どんどん再会しよう!

何かのきっかけでしばらく会えなくなってしまった人。
でも、ご縁がある方とは、必ずまた出会えるようになっている。
と、そんな風に思うことが多い。

今回も、なんとなくご無沙汰して十数年・・・の方に再会。
知らない間に、当時からお世話になっていた会社の社長さんに
なっておられた。
どんなオーラを放っておられるかと楽しみにしていたが、
昔のままの笑顔と明るさ、そして自然体。

話は2時間半も続いた。
話題が切れることはない。
営業歴の長い方であったため、大変参考になるお話しも
いただいた。

売りに入ってはダメ。
相手が何を欲しているかをまず知ること。
機微んのわかる人になれ。
営業として、そんなことを先代から教えられたと語ってくださったのが
とても印象的だ。


「今日は本当に久しぶりにお会いできてうれしかったです」
「これからも、またお願いします。また会いましょう!」
と固く長く握手。

再会できてよかった。
心からそう思い、なんだか心が晴ればれした。

会いたいと思う人。とはぜひ会っておきたい。
相手も自分も元気なうちに。
また会おうと元気に分かれられるうちに。

と思っているうちに、次会ったときのネタがもう
浮かんだ。
会いたい人との関係は、こういうものかもしれない。
縁はつづくよ、いつまでも・・・。

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真の「よりそい」について考える。

最近見た何かの記事で、「寄り添い」という言葉が嫌いだという
どなたかの発言を読み、ああ、そうなんだと思った。
好きとか嫌いというものなのかと。

一方、人間とは一人では生きられない。
お互いに協力しながら、助け合いながら生きていけるものだと
思う。

困っている人、傷ついている人がいれば、やはり、
そっと手をさしのべ、助けるということは、
人としてすべき当然のことだと思う。
しかし、あまり遠かったりすると、実際に近くまでいったり、
関心を寄せ続けることができず、心が離れてしまうこともある。

「よりそい」には身近だと感じることができる距離というものが
前提にあるのかもしれない。
あまりに遠くからでは、その目的を果たしづらいのかもしれない。
「よりそい」とは、寄って、添うものだから。

また、「よりそう」とは、抽象的な言葉になりがちであるが、
役に立つためには、より具体的なことをしたい。

また、瞬間的な寄り沿いは、容易であるが、継続して長きにわた
って応援し続けることは難しいかもしれない。

と、最近、情報も少なくなってきているウクライナのことを
思いながら、そんなことを思い、一種のジレンマも感じる。

一人の人間。自分ひとりが生きていくのが精いっぱいなので、
他方に目を向け、多くの人に寄り沿って生きることが難しい
かもしれない。

でも、出来る限り、自分ができることがあれば、気持ちがそちらに
向くのであれば、応援を続けたい。

今、改めて世界に目を向けてみる。
自分が生きる世界の小ささ、自分がいかに、何も大したことが
できない存在かを改めて知る。中途半端だとも思う。

でも、何もできないわけではない。
今日で会う人との関わりのなかでも、できることはあるし、
海の向こうで気になる人があれば、できることをすればよい。

寄り添う生き方。
思えば自分自身が、多くの方に支えていただき、生きている。
気づかないだけで、多くの人のおかげで・・・。

他人事として片づけずに、「自分事」として、物事をとらえ、感じ、
行動したい。もし、自分がそうだったら・・・と。
そう、思えるかどうかが、寄り添いの第一歩かも・・・。

そのことを忘れずに、今日も1日を生きるとしよう。

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いつでも、世界旅行の贅沢。

コストをかけない世界旅行。しかもタイムトリップも含めて・・。
そんなことができることに気づかせてくれたのは、コロナ。

2020年1月以降、パスポートを使うことがなく、渡航のチャンスを
持てないまま、まだしばらくは、難しい。
そんなこの2年半の間に、覚えたのが「ピアノ」で出かける世界旅行だ。

弾きたい曲で行きたい国へ行き、会いたい人に会える。
これはなかなか面白い。
たとえば、ベートーベンのピアノソナタ8番を弾きだす。
すると、ベートーベンの生家のことが浮かび、その町ボンの
駅前からその家までの道のりが頭に浮かび、とくに12月の町
の賑わいが出てくる。さらには何度も出向いたベートーベンの
お母さんマリアさんのお墓も出てきて、ありがたい気持ちが
高まり…。

次はバッハの昔懐かしいインベンションを弾きながら、
コロナの直前に駆け込んだ、アイゼナハの駅が浮かび、
バッハハウスまでの道のりと、このミュージアムがとてつもない
観光地になっていて驚いたことを思い出し・・・。
帰りの電車に遅れないようにと走りながら、道を尋ねた人達の
親切さが懐かしくなり・・・。

次はショパンの即興曲などを弾きながら、ポーランドで
生まれ、パリで亡くなったショパンの物悲しい半生を
想像し・・・。ワルシャワがまだ行ったことがないが、
パリの亡くなったヴァンドーム広場を思い出し、ロマンチック
な気分に浸り・・・。

旅の締め。せっかくなので、と足を延ばしNY経由で
アルゼンチンに行こうと
おもむろに、ピアソラのオブリビオン(忘却)やリベルタンゴを弾きだす。
そうピアソラはNYを拠点にしながら、いつもふるさと
アルゼンチンのことを思っていたから・・・。
ブエノスアイレスの街並みがパノラマのように浮かび
タンゲーラ店内、あの老舗カフェのスタッフのこと
など・・・昨日出会ったかのように蘇る・・・。

とそんな具合に2時間ほど次々と各地を巡り、その地で
作曲家たちに出会い、また実際に出会った人たちのことも
思い出す。

経験があるからできることだ。コロナ前の経験は宝。

本当に、豊かな気持ちになる。
免税店も食事もついていないが、本当に楽しい旅。
いつでも行ける。コストもいらない。

これからも、思い立ったらいつでも行けるように、
ベートーベンやショパンやピアソラに会えるように、
もっと練習を積まなくちゃ。

人は、想像と妄想で結構楽しく生きられる。
さあ、次はどこの誰に会いに行こうか。


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思わず涙の、お囃子の音。

仕事で数えきれないほど京都に出向いているが、
この連休は足止め。
静かなところで過ごしている。
でも、少しだけあの賑わいが気になって、祇園祭りのライブ中継を
ちょっとだけ見てみる。
大変スローで躍動感とは対極にある、お上品なおまつりの生中継
というのも、解説が大変だなと思いつつ、それは流し聞きしながら、
お囃子の音に注意が向く。

ああ、懐かしい。ああ、懐かしい。
本当は生で聴きたかった。

そして、馴染みの四条通などを鉾たちが巡業していく様を
見ながら、なぜか涙があふれてきた。

はじめて京都に来たときに、初めて観た感動。
学生時代は四条麩屋町のビルにあった企業でバイトをしていたため、
そのビルから鉾を眺め、興奮したことが蘇った。
会社員時代のこと、そして独立してから祇園祭りのときに
四条木屋町を上がったところの会員制クラブで
ライブをさせてもらったときのこと・・・。

私の青春がまるごと蘇り、今は亡きお世話になった方々や
友人のことを思い出し・・・。
そこに、あのお囃子の響きが加わる。

どんな感情も静かに収めてくれる、不思議な音色。
これが、京都どすえ~。

多くの人が鉾巡業を見守る様子を涼しいところから
眺めながら、
あっついやろうな~。
でも、それが京都の夏。
この祭りが終わったら夏本番や。

とひとり解説をして・・・。

2年実施できず、久しぶりの祇園祭。
それはそれはおめでたいこと。
心からおめでとさんどす。

でも、コロナが心配。
きっと感染者も増えるだろう。

でも、開催できてよかったと思う。

ああ、泣けてくる。わたしの祇園まつり。

今日の京は、その余韻を楽しむお客さんでまだまだ賑わっている
ことだろう。

まだあのお囃子の音が、頭の中で鳴り響いている。

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意見が自由に言える社会こそ!

おかしいな。なんで?腑に落ちない。なんで、今なの?なんで?
と、この7~8年。心からおかしいと思うことがあっても、
世の中は、そちらの方向に動き、納得できない自分がいる。
自分はよっぽどマイノリティなのか?と思うことに慣れているが、
それでも、恣意的に世の中が動いているのではと、つい猜疑心をもつ
のが当たり前になりつつある、今日この頃。

物事をまっすぐ見るということは、目の前の現象を
ただ、鵜のみにするということではなく、
俯瞰して、しっかり見る、いろんな視点から客観的に見て、
そして、自分の考えをしっかりもつと言うことだと思っている。

どんなときも、おかしいと思ったら、「それはおかしいのでは?」
と言える人がいないといけない。

自分の意見を伝え続けることで、
周囲に伝わり、風を変えることもできる。
もちろん、言い方はある。言えばいいというものではない。

民主主義、民主主義と今、言っているけれど、
暴力の対局にそれがあるということのようであるが、
思っていることをきちんと口に出す、自由に議論することができる
ということこそが、民主主義ではないか。
それって、できているだろうか?

最近、民主主義の下で、と改めてよく耳にするが、
私にとっては、少しうすら寒い感じもする。

もっとモノを言うことを生業としている人たちには、命を賭けて
言論の自由を実践してほしい。討論してほしい。
きちんと見えるコミュニケーションをしてほしい。
批判や否定から入るのではなく、あくまでもポジティブに。具体的に!
ぬるい、あまい。伝わっていない。
そして、なんとなく、流されていく。では未来がない。

今、この日本は、もっと内面から自立しなければ。
そのためには、ひとり一人がもっと学び、世界に目を向けなければ。
もちろんそれをしている若者たちもいる。
その声をもっともっと世に出していかねば。
社会は未来を生きる若者たちのためにこそ、あるのだから。
と、思っている。

先日、パリ祭があった。市民が自由を勝ち取った記念日。
ふと、その時代を自分なりに想像を膨らませながら、
今の日本を改めて思う。憂う。なんとかせねばと思う。
まず、己がもっと知見をもつこと、良質な学びを増やすこと。
そして、自分にしかできないことを、必ず実践すること。




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チームワークを磨く!

障がいをもちながら、社会でがんばっている仲間たち。
彼らのコミュニケーション力を育む勉強会を続けている。
昨年の夏からスタートした「マーサの会」を通じて
みんなでテーマソングも作り、お披露目する企画も
春に実現した。
その次のテーマは、「チームワーク力」の育成。
ひとりではなく、チームで一緒に考え、話し合い
チームの意見としてまとめる。
どんなときも助け合う。そんなことが日常からできるように。

今回やった研修内容。
みんなで作ったテーマソング、どこがいいと思うか?
そして、どんな風に広めていったらいいと思うか?
これらをチームごとに考えてもらい、発表してもらう。
他のチームはしっかり聞き、質問する。

さらに、テーマソングの歌詞をチームで輪読する。
1行づつみんなで言葉をつないでいく。
みんなで読んでいく楽しさを味わいつつ。

その次は、このたびできた会社のホームページを
一緒に見て喜び合い、感想を述べ合いつつ、
自分たちの会社のいいところについて話し合い、
さらに、それをどのように外に発信するか?

これもチームで考え、話し合い、チームとしての
意見、アイデアを発表してもらう。

そして、最後は皆でテーマソングを歌って終わり。

気が付けば約2時間の長い研修になったが、
みなさん目を輝かせて、飽きることなく
チームワークショップを実践してくれた。
感動したのは、発表するときの協力体制。
うまく話せない仲間が話すときは、他
のメンバーがサポートする。
助け合いしながら、みんなでがんばって
発表。
そんな姿を見て、ほっこりしながら
感動した。

チームワーク力。
研修だけでなく、日頃から協力し合える
ようになるだろう。

本当に

障害があるか、ないか。が大切ではない。
生きることに真剣であるか、真面目であるかが大切。
今後も彼らのチームワーク力がさらに高まる
楽しい企画を用意し、わくわく一緒に学びたい。


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五感のON OFFを

いつでも五感を全開にして、社会とつながり続けていると
情報の洪水を受け入れることになり、
感度が鈍くなったり、感性がゆるんだり・・・するのではないか。
見なくていいもの、聞きたくないもの・・・も、自動で
すべて受容することによって、感じづらくなり、結果的に
物事の理解や、深堀が難しくなるのでは?
こんなもんだと、流すこともあるのでは?
と最近、そんなことが気になる。
そう、五感の疲れである。

今改めて、自らの五感を
OFFにする時間も、大切にしたい。
ココロの器に余裕をもたせたい。

そして、

今、これをしっかり見よう。
今、これに耳を澄まそう。
今、しっかり味わうことにしよう。
今、この香りを楽しもう。
今、しっかり触れておこう。

すべての行動について、そんな意識をもつことは
大げさすぎるかもしれないが
豊かな五感を持ち続けることを、今改めて意識したい。

良質なものに触れる。
情報でも同じ。
人との関わりも同じ。

おいしいなあ。きれいだな。いい香り。ああ、幸せ・・。
といった、これらの感覚、そして小さな感動が
次の行動へのエネルギーになったり、
活力になる。

研ぎ澄まされた、豊かな五感で
瑞々しい世界に触れることを
毎日の楽しみとしたい。

何でも受け入れがちな日々であるが、
五感も、ON OFFを大切にしたい。





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気にしない力。

最近、世の中が不穏である。そんな空気を感じる。
また、気にしすぎたり、考えすぎると、道を間違ったり、本来の自分らしさを
なくしそうになる、そんな時代でもある。
元気に強く生きるためには、いちいち気にしないことだ。

だから、いちいち情報を見ない、得ない。知らない方が幸せなことも多い。
本当に大切な人と、大切な話だけをすればよい。
自分がすべき、自分にとって大切なことにだけ、向き合えばいい。

世の中のことを気にしても、自分の力ではどうにもできないこともある。
なるようになる、見ている人は見ている。
自分は自分と、割り切って、前に進むことだけ。

もちろんときに、気が付く力は、とても大切だ。
でも、気にする必要がないことにまで、力を割くことは
人生がもったいない。

小さなこと、自分には影響がないこと、考えてもしょうがないこと
は気にしないこと。
大切なことは、
自分は今日という一日を、どう生き切るかということだ。
それだけ。

気にしない力は、強く生きていく上で、とても大切な力だ。
小心者にならないように、
自分に自信をもって大きな心で!いざ!

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こんなコンサルタント、いない!

コミュニケーションクリエイターといえば、なかなかご理解
いただきづらい面は今もあるが、それは自分が望んでそうして
いるだけのこと。
いろいろやるから、ひとことでいえばそういう括りとして
表現しているだけで、実際にはコンサルタントとしてお仕事
するときも、アーチストとして演奏活動しているときも、
企画を考えているときも・・お客様に向けてはそれぞれの
仕事で関わらせていただいている。
ある企業の社長さんから、
「こんなにうちのこと、本気で考えてくれるコンサルタントは
他にいない!」
とのメッセージをいただいて驚いた。
そうか、私ってコンサルタントなんだ~。
なるべく世間のいわゆるコンサルとは一線を画して、とにかく
現場、現実に寄り沿うことを姿勢としているため、
いわゆるコンサルっぽくないため、どう見えているんだろう?
と気にはなっていたが、プロとして、コンサルとしてちゃんと
見ていただけていることに安堵し、またこんな人はいない。
と言っていただけることにとても歓びを感じた。
そう、真剣に考え、いろんなことを度外視して、相手のために
考え動く。このことがわかっていただけることが、私にとっても
一番のやりがいになる。

自分の存在は、いったい何の意味があるのか。
そこはとても大切だ。
意味がない人で終わらないために、真剣・本気・真面目に。
一緒に前進できるパートナーとして、がんばりたい。

こんな人、ほかにいない。
この言葉を大切に、日々向き合う相手にとって、
つねに
オンリーワンのパートナーを目指したい。

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「心痛い」も感動のうち。

ふるさとでの音楽活動は、どんな形にせよ、とにかく一生続ける。
それが恩返し、親孝行。のつもり。
心のなかに存在し続ける限り、親孝行はできると信じている。

その活動のひとつがコンサートの継続。
しかも、できれば毎回、新曲を発表したい。

昨日の岐阜新聞コンサートでもそれをなんとか実行。
初演奏はいつも、緊張するものだ。
先に他の曲を何曲も演奏するため、その間にメロディやコードが
記憶から飛んでしまったらどうしよう。とかいろいろ思うが、
人間の脳は不思議、
なんとか記憶も途切れず、しっかり演奏できた。

ちょっと悲しい曲ではあるが、キレイなメロディーでまとまったと
思っている。実家の庭でのふとした瞬間を作品にした、日常を少し超えた世界。

お客様から、「とても良かった、心が痛かった」と言われ、それは褒め言葉と
解釈している。
音楽は人にいろんな感情を提供することができる。
感動とは、心が動くこと。動かすことができるって、本当にすごい力だ。
元気が出たり、痛みが癒しになったり、心がきれいになったり・・・。

今回発表した作品はこちら。(音源公開は後日改めて・・・)

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