価値観の共有とつながり。

久しぶりに、ある青年と再会、夕食を一緒にとる。
あのときは、まだ20代であったのに、もうすぐ40歳になる
という。
その間に転職し、結婚、そしてお子様も誕生、コロナ・・。
もともと素直で、まっすぐ、しっかり者という印象であったが、
安定感も増し、さらに家族のことを本当に大切に考え、これから
どう生きていこうかを真剣に問いながら、日々前進している様子が
伝わってきた。

当時20代後半、私も40代。ずっとマーサさん、マーサさんと慕ってくれ、
人生の節目には報告をいただいていきた。
出会った頃は、勢いに任せがんばる。という一面もあったかもしれない。
人付き合いにしても幅広く、いろんな人に出会うことがよい、と
出会いの量を求めていたのかもしれない。

しかし、年を重ねるにつれ落ち着いてくると、価値観が共有できる
人との関係こそが、最終的には一番大切なのでは・・という結論へ。
人付き合いも量から質へ変わる。
同じ価値観を共有できる人とは、月日を経ても、いつでも会える、話せる。

世の中には、自分と異なる価値観をもつ人も、もちろん多くいる。
それはそれで、その存在は認めつつ、でも分かり合える人との時間を
より大切にする。

そんな話を彼とするようになった。
相手とともに、自分も少し大人になったような気がして・・・。
年の上下ではなく、成長し続ける人と出会うこと。
そのことが、自分にも新たな学び、刺激になる。



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わが秋を色づかせる。

ふと、気が付けば50代後半になっている。
両親たちは80代前半で生涯を終えた。
70や80という年齢はなんだかずっと先の、未来の話・・・
と思っていたが、実はそうではないのでは?と思う今日この頃。

生涯現役で走り続けるつもりでいるが、
しかし、20年後を考えてみると・・・?わからない。

わが人生の夏は多分、もう過ぎただろう。
もちろんまだまだ若さもパワーもみなぎっているつもりでは
あるが、いろんな意味で、30代や40代のときの
自分とは異なってきていると感じる。

親を送るという年齢は、すでに自分も人生の折り返しになっていることを
自覚させられる。

さて、がむしゃらに進んだ夏を終え、この秋。
さあ、どんな風にこれまでの経験を実らせるのか、
色づかせるか?

自分自身、自然の四季のなかで秋から冬が一番好きであるが、
人生もそうありたい。

いい熟し方をして、そしてその先は、いい感じに枯れていけるように。
もちろん枯れ方の心配はまだ不要。
少しでも長く、ずっと秋を長く過ごすことができるように
自らの経験を活かしながら、まだまだ勉強も怠らず、
晩秋には急がず、ゆっくりゆっくり実っていくように
心がけたい。

涼しさを感じながら、より一層、人生の四季を感じる。
そう、それは1日1日、ひとり一人に感謝して、
丁寧に生きるということだ。

さあ、今日という日がはじまる。
昨日と違う今日。小さな実りをひとつでも、ふたつでも。

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わくわくの2023年に向け。

暑さ寒さもお彼岸まで・・という言葉は、すごいなと思いながら、
台風とともに・・・の1週間。
もうおせち料理の予約がはじまっている。
そうか。気が付けば、もうすぐ10月になる。
これから、クリスマス、年賀状やお歳暮やとまた騒がしくなる。
日本特有の行事が多くなる季節・・・。
なんかやんかで、あっと言う間に2022年も終わりになるだろう。

来年のことを考えると、まず手配するのが新しい
カレンダー。
毎年同じデザイン・テーマのものを取り寄せている。
パリとNYのイラストのものをもう何年も使い続けている。
これがないと、1年が始まらないという感じだ。
毎日、見ながら姿勢を正したり、夢を膨らませたり・・・・
夢のツールと位置付けている。
もうひとつは、ポケットダイアリーも併せてチェック。
こちらも、ずっと同じデザインのものを使い続けている。
毎日のトピックスをメモって残しておく。
同じデザインのものが手もとにあることは。とても
安心につながる。

次に自分のオリジナルカレンダーも用意するか・・・。
そろそろ、やらねば!の季節になった。

と、これらが整うと、まず来年への備えはオッケーだ。

そして、来年すべきことについて、改めて考える。
来年は25周年。さあ、この節目に何をするのか?
年内に考えて、準備に入る。
企業であれば、大がかりになるので、もっと早く取りかからねば
ならないが、私は自分で決めて実行すればよいので
本当に楽なものだ。
もういくつか案はある。
なんだか、楽しくなってきた。

ということで、このところ、頭の一部は来年に飛んでいる。
わくわくの一年にしたいから、今をがんばる。

この時期はさらに時間が過ぎるのが早く感じるから
心して。
流されて、あっと言う間に終わってしまった~と
ならないように。




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マーチンさんからの贈り物

両親の旅立ちは、実に思いがけない新たな出会いにつながっている。
地元の米屋さんは両親の親友であったため、今も母の代わりにはならないが、
顔を出し、女将さんが元気かどうか確かめに行くのも大切なお仕事となった。
その店では、コメだけではなく、味噌や野菜、飲料、麺類、お菓子、野菜、
お彼岸となればお参り用の花まで・・。
まさに地域のコンビニとして地元に愛され続けている。
そこで販売されている味噌は、まさに超地元の味噌醸造所のもの。
わが家でも、子供のころからそこの味噌を使っていたため、店でみつけた時には懐かしく
気が付けば、そこの味噌製品をよく購入し、自分でも使うが、
県外の方へのお土産としてもよく使うようになった。

その味噌が、県外の方にとても好評であるので、つい嬉しく、
またその地域密着の様子が大変気になって、
そこの社長にコンタクトし、会社まで会いに行くことにした。
実は、以前から岐阜の土産物の開発にも意欲的であり、また食育活動にも熱心である
という情報は見聞きしていたので、大変興味があったが、やっと面談が叶ったわけだ。

子供の頃から、もちろん存じ上げている味噌屋さんであるが、なんと現在の社長さんは
40代半ば。私より一回り以上若い。小学校・中学校の後輩にあたる。
外食での経験もあるようで、サービス精神にもあふれ、とても気持ち良い、礼儀も品も
そして、感謝の気持ちが全身からにじみ出ている素晴らしい経営者であり、とても感動した。私は18歳で地元を出てしまったため、その人との交流はまったくなかったわけだ。
会話が弾みはじめたころ、社長夫人が、あたたかいココアをふるまってくださって、
そのあと、写真のものを持ってこられた。
私は、パッと見せられたとき、
「ショコラティエが作ったチョコレートかな?へ?高級そう」
と瞬間思ったのであるが、なんと、これは岐阜県産大豆をつかった、
自社製味噌による「みそ玉」なるもの。
「みそ玉」は聞いたことがあるが、こんなおしゃれな素敵なもの
とは知らなかった。そしてトッピングは野菜。
説明を聞きながら、もっとも感動したのは、
「紫のお洋服を着てこられたので、紫のみそだまも入れてみました」
とのこと。へえ?来社するお客の服装の色まで見て、それでお土産を・・・。
粋すぎて、言葉にならない。
どうやら、非売品。特別すぎて、いただくのがもったいない。
そこには、手書きで書かれた「みそ玉の召し上がり方」、会社のリーフレットも。
さすが、しっかりされている!
とにかく、自分が一度は捨てたふるさとで、ずっと家業を守り、そして新たな挑戦を
している企業が、今もここ!にあることがとてもうれしかった。

実は、最近知ったのであるが、生前会ったことがなかった、祖父。(父の父)
この会社でお世話になっていたそうで、今回確認したら、
その事実も明らかになった。
「あの時代は、従業員さん同士あだ名で呼び合っていたようで、『マーチンさん』と
呼ばれておられたそうですよ」
と、社長が教えてくださり、胸が熱くなった。
交通事故で亡くなってからの悲しい話しか聞いたことがなかった
祖父の生前のことを、今このように知るとは、
まるでアナザー ヒストリーのようだ・・・。
一度も会ったことのない、祖父が笑っているように思えた。

そうか、これは、
マーチンさんからのギフトなのかもしれない。味噌は美祖?

今、このような出会いを大切に、自分が外で仕込んできたさまざまな事が少しでも
お役に立てればと思っている。
この味噌屋さんの名は、芋慶さん。地元が誇る素晴らしい百年企業だ。

http://www.ccom.or.jp/imokei/imokei.html

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「待っとってね!」

幼き頃から、ずっとお世話になってきたおじさん。
2.3年前までは、普通に生活をされ、元気いっぱい。
仕事もずっと続けておられた。
ごはんもいっぱい召し上がり、ああ、この人は100歳まで
生きるのでは?と思うほどに、お元気であった。
とにかく地道に、コツコツと生きる。
純粋なおじさん、大好きな人だ。
ただ、この20年ほど、耳が不自由になってしまった。
それでも、何度も私のコンサートにきてくれた。
聴こえないのに、楽しいのかな?と思っていたが、
普通に過ごしておられた。そして笑顔で帰っていく姿が
印象的だった。
「まー、またな。」
「まー」、いつも私をそう呼んでいたおじさん。
何かが聞こえていたのだろうか。見守る世界で?
でも、ありがたい、大切な応援団だ。
50年前に亡くなった妻は私のおばさん(前妻)。
もしかしたら、その面影をコンサートのとき、感じていたのかも
しれない・・・。

そのおじさんが、高齢で寝たきりになったため、
コンサートに来れなくなった。
ちょっと心配になり、お見舞いに伺う。
食欲が落ちているようで、かなり細くなっていた。
でも、顔を出すと、にこにこ笑って、とても喜んでくれた。
聴こえないので筆談で話をする。
ずっと付き添っている奥様(後妻)が、
「こんな風になってしまったので、コンサート行けずに
ごめんね。残念やわ」
「来月で89歳。来年は90歳やわ。それまでがんばってもらわないと。
お父さんががんばっているので、私も頑張るわ」
と言われた。
そうか・・・。老々介護とはこういうことだ・・。
とにかく、会いに行ったら、おじさんの目がきらきら輝いた。
久しぶりにおじさんの笑顔を見た日だった・・と、あとで届いたおばさんからの
お礼ハガキに書いてあった。
行くだけでも価値があったのかな。

そんなことを考えていたら、
長年お世話になっている95歳の方から電話が入る。
母の親友であり、私の高校の大先輩にあたる。
「あんたー、もう足が動けんで、昔みたいにいろいろ行けんわ。
昔は本当にどこでも行ったのになあ。
岐阜新聞のコンサートも行けへんわ。ごめんねえ。」
どうやら、ちょっと転んで骨折されてから思うように動けなくなり
最近はデイサービスにも通いはじめられたようだ。
「今、近所のデイサービスいっとるよ。今度さあ、そこにきて。
あんたの歌、もう一回聴きたいわ。20人ぐらいのところやけど」
とリクエストが入る。
「わかったわかった。行くね。
 必ずやるので、待っててね。元気に待っててね」

と、声をかける。電話口でおばあさんは、喜んでいる。
まだまだお元気だ。

と、こんな風に、とくにふるさとでのコンサートの常連
さんたちは高齢化により、動けなくなりつつある。
行きたい所へ自由に
出かけていけるというのは、元気な証拠、若い証拠。
何よりの贅沢なのかもしれない。

こんな現象、現状を前に、今、自分ができることを考え始めている。
待っている人に会いに行く。
待ってくれている人のために・・・。

これから、自分ができること。
私が動ける間にできること、それは、今しないといけない。
急げ!

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誰にとっても、「ある日突然に」。

長年お世話になっている仲間たちが勤務する会社の社長さんが、
地方新聞の死亡広告に掲載されており驚いていると、現地の知人から
連絡が入った。
すぐ聞いてみると、亡くなる前日まで元気に普段どおりお仕事
されていたとのこと。
地元の名士であり、地域のために業界を越えて、幅広く活躍されてきたリーダー。
私は実際に面識はなかったが、そこで働く人たちにお世話になっていた
から、当然お世話になっていたことになるし、その社長談を聞く機会も
あったため、決して遠い存在ではなかった。

ああ、そうなんだ~。
ご家族や従業員の皆さん、関係者の皆さんにおかれては、どんな
お気持ちだろうか、それと会社のことも大変だろう・・・。とそんなことを
ずっと考える1日だった。もし、自分がそこの社員だったら、その家族だったら・・。

ああ、もっと早くお会いして、お話ししておけばよかった、報告しておけば
よかった・・もっとこうしておけば・・・。
突然の場合は、どうしてもこのような悔いも残ってしまうだろう。

誰もが、ある日突然に・・・と、この可能性は否定できない。
だから、会っておかねばならないと思った人にはすぐ会いに行く。
伝えたいと思う人には、すぐに伝える。
とにかく、悔いを残すことはしたくない。
自分が突然かもしれないし、相手が突然かもしれないので、
とにかく思ったらすぐ行動。
そして、やはり1日1日をしっかり生き抜くことだ。

ある日突然、自分がいなくなっても、
ある日地球が滅びても、
何があってもおかしくないのだ。

というつもりで、今できることを重ねるだけ。

従業員はもちろん、多くの経営者、地域の人々に尊敬された
社長さんのご冥福を心より祈る。
ああ、人生とは・・・。わからない。



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自分の声、演奏を聴く勇気。

最近、ある人との会話で、「自分の声は自分がしゃべっている声と
実際録音して聞く声は全く違うので、聴くのが嫌ですね~」と、
そんなことを言われた。
そう、よくわかる。
自分の声は、確かに、実際に改めて聴いてみると、自分が話しているときとは
別物に聞こえる。

演奏も同じだ。
弾いているときと聴くときはまったくの別物だ。
あとで聴くといつも、反省ばかり。

レコーディングのときは何度か聴いて録り直しもできるが、
ライブの録音となれば修正はできない。
ああすればよかった、ああ・・・。と、いつも反省しかない。

その気持ちは変わらないまま、
今回、朗読劇の後に演奏した様子が、劇団のご厚意で
録画・編集、そして公開していただけることになった。

朗読劇の本番中、1時間余りじっと黙って、時に息をのんで
時に冷や汗を感じながら、お客様に背を向け座って弾き続けたあとに、
急に歌いはじめたという演奏。
劇の余韻が終わらないうちに、お客様がいてくださる間に演奏する。
そして、限られた時間での演奏・・。早く終わらないと~。

と言い訳はキリがないが、とにかくその演奏動画が出来上がった。
2日目の公演時を録ったものだ。
演奏自体も芝居も千秋楽が一番良かったが、まあ、そんなもん。

ステキな照明に浮かび上がるいい世界。
環境はばっちり。いうことはない。雰囲気は最高!
自分の声を聴くことは、だいぶ慣れてきており、まあ、こんな感じか。
でも、やはり気が急いていることがわかって、あかんな~。
でも、それがライブ。

劇が終わって帰る人はなく、突然の演奏を皆さん、
最後まで、しっかりお聴きいただいた。
中には、泣いておられた方もおられた。
そして、
あたたかい拍手をたくさんいただき、
演奏後に、声をかけてくださるお客様もいた。
ライブとは、そういうものだ。
反応があるということは、お客様の心に届いたということは、
演奏家冥利につきる。

そんなわけで、以下のミニコンサート
https://youtu.be/SAPGBpCj45o
をご案内させていただきます。

劇をご覧いただいた方たちに、今ふたたび余韻を
味わっていただけたら・・とも思いながら・・・。
感じたことは、次に必ず生かす。
人生はまだまだ終わらない。
観覧車のごとく、また新たに回りだす。

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応援したい人が増える。

台風に振り回された三連休が明けた。
影響は今日にまで及ぶ。
休んだような、休めなかったような、中途半端な朝をお迎えの方も
多いかもしれない。

そんな連休中に、思いがけず新たな出会いをいただいた。
このために職業を退職し、自分の地域を守る、未来に向けた仕事をしようと
出発した人。
そう、自分が生まれ育った町の市長になろうと決意し、活動を始められた
人とその応援団との出会いだ。

長年つとめてきた仕事をやめて、その道に進むという決断は生半可では
できない。
その過程で、葛藤もあったともお聞きした。そりゃ、そうだろうと思う。

実は、この方以外にも、現在、市長を目指して、走り続けている知人がいる。
この人のことも応援している。こちらは定年後のスタートだ。
決意表明してから3か月以上経つが、とにかくひとり一人にお会いする
活動を続けているとのこと。マラソンのように粘り強く走り続けておられる。

とにかく直接会って話すこと。
このDX時代には、もちろんネット上での発信も有効であろうが、
お年寄りが多い町においては、まだまだアナログに勝算ありか。

世襲ではなく、ゼロからのスタート。政治家とは無縁の人生を送って
きた人たちが、人生の後半になり、新たな道を歩み始めようとしている。
ここに期待を寄せる人も少なくない。

あふれる想いを、どう伝えるか?
これまでの人生、こういうことに慣れていない。
「見られていますよ。聴かれていますよ」
ここをまず意識してもらい、ひとりでも多くの人に好印象を残し、
いい結果を出すために、自分ができることをお伝えする。
つい、こちらも熱が入る。

上から目線ではなく、純粋な心で、自分がやらねば!と
立ち上がる人のことを応援したい。
皆さんの人生に悔いが残らないように、
自分が選んだ道をまっすぐ進むお手伝い。
頑張る本人も応援したいし、応援されている仲間たちのことも
応援したい。

伝わったもの勝ち。こんなことが世の中には無数にある。
声ひとつ、姿勢ひとつ、目線ひとつ、言葉ひとつ・・、色ひとつ。
ひとつひとつの要素でイメージが醸成される。
そう、自分ブランディングである。
これらを意識し行動するかどうかで、明らかに印象は変わってくる。

伝わってこそ!
知らない人に知ってもらう。
このキャンペーンは、まさにコミュニケーションの力で決まるのだと、
あらためて、こちらも学ばせていただいている。

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24年目初日の新たなお仕事。

数年以上お会いしていない方から問い合わせが入る。
へえ、久しぶり。
覚えていてくださったんだ。
そのメールから、彼自身の相談ではなく、彼の地元の方のための相談であること
を知る。

この秋、新しい挑戦をされる方のサポートをしてほしい。できたら、すぐにでも。
という相談であった。
ご本人の見た目や言葉からの印象を高め、発信力を高めるサポートという任務。
しかも短期間でそれを実践したい。とのこと。
遠方であるため、オンラインでの指導をリクエストされる。

この類の仕事そのものは、24年間受けたことがないが、こういうことなら
できそうだ。コロナのおかげで、遠くの仕事も本当にやりやすくなった。

では、すぐやりましょう!
と二つ返事で、この連休中に早速スタートということに。

ご無沙汰していても、ちゃんと覚えていてくれて、ここ!というときに
お声がかかるとは、ほんとうにうれしい。
人は自分のどこを見ているか、ほんとうにわからないものだ。

人生をかけた挑戦をする人のお手伝いができるとは、やりがいもある。
24年目初日に連絡がいただくなんて、ほんとうにうれしくて。
何と言っても、思い出して声をかけてくれた人にも報いたい。
その方が感謝される仕事になれば、嬉しい限り。

新たな出会いを大切に、一期一会をまた重ねたい。
さあ、新たな1週間、台風に気をつけて元気印でスタート!

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思い出更新の地。

母が亡くなった当日、病院から連絡が入った3~4時間ほど前に行った
カフェ。
そこはコロナ禍にオープンしたホテルの1階にある店で、ずっと気になりながら
やっとその日初めて入店。
入院中の母、入所中の父のことでなかなかゆっくりする時間もとれなかったが
しばし疲れをとるために、ちょっと小休止したくなったのだ。
ま、今日はいいかな。
そこに入って、美味しくコーヒーとケーキをいただいた。
ああ、久しぶりに気分転換、少しゆっくりできた~。

と思って帰宅し機嫌よく夕食の準備をしていたところ、
病院から母が危篤の連絡が入り・・・駆けつけたが
間に合わず、旅立ってしまった・・・。

あれから、1年と約半年。
その後、あの店にはなかなか勇気がなくて、前を通ることも、
中に入ることもできなかった。
母の最期の日を思い出すから、
母がハーハー苦しがっているのに、私は呑気にコーヒーを飲んでいたから・・
などなど、とにかくそこに行くとあの日のことを思い出しそうで、ずっと避けていた。

しかし、今回、近くに出かけたついでに、その店を思い出し、
もういいかな。今日は寄ってみようかな。
と、思った。
ちょっと勇気が要ったけれど、今日は久しぶりに行こうと思ったのだ。

店内は平日の午後で、とても静かで、ひとりコーヒーとスィーツをオーダー。
さっき近所のYAMAHAで購入したばかりの楽譜を眺めながら、去年の3月26日のことを
ずっと思い出していた。
ちょっと心が痛んだが、それでも美味しいコーヒーをいただきながら、
あれから一年半の時間をゆっくりたどりながら
ああ、あのときは二人とも生きていたのに・・・。でも、まあ、仕方ない。

名古屋にまつわる幼少の頃の自分と親とのさまざまな思い出が次々湧いてくる。
よく、毎日岐阜と名古屋を送り迎えしてくれたな~。裕福な家庭でもなかったのに、
よくあんなにレッスンに通わせてくれたな~。
そう、名古屋のこのあたりに来ると、幼い日の私に期待を寄せ、
とにかくがんばっていた両親のことが蘇る。
二人にとって、私の音楽は、生きがいだった。

と、気が付けば、このカフェは、
自分にとって両親との思い出の更新地になっていた。
しばらく忘れていた細かな場面や言葉、表情なども、思い出すのだ。

そうか、思い出に浸りたくなったら、ここに寄ればいい。

実は、私にはそういった場所がいくつかある。京都、東京それぞれに・・・。

大切な人のことを思い出し、懐かしみ、いとおしむ場所。
時間を経て、その人との思い出を更新しに行く。

思い出はなくならない。浸りたい場所があることは幸せ。

写真は1年半前にいただいたスィーツ。
何とも言えない記念日ケーキになってしまったけれど・・・。


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