被災地に心寄せる、聖バレンタイン。

このたびのトルコの大地震の被害は、東日本大震災の記録を越え、まだこれからも
広がりそうで、心が痛い。
トルコ、シリアの被災地の皆様に心からお見舞い申し上げたい。
また国際的な緊張関係で支援が無事に届かない実情もあるようで、それも悩ましい。


ほんとうにいつ、どこで何が起きるのか。
天災、人災・・・。世界各地で起きているこの惨状を見て、明日は日本でも・・と
思い、備えなければならないが、できているだろうか?平和ボケが戻っていない
だろうか?
コロナが落ち着いて、ちょっと気持ちが解放されている今こそ、気を引き締めなければ
と思うけれど・・・。

「日常こそが奇跡」だと、東日本大震災後にその思いを表現されたという、詩人の長田弘さんという方がそんな言葉を記されているようであるが(まだ詩集は読めていないが)、
確かに当たり前であると思っていることが実は当たり前ではなく、それを失くして初めて
その有難さに気づく。

いて当たり前、あって当たり前。
そんなことは何ひとつないのに、失ってから悔やみ、嘆く。それでは遅い。

だから、今この平穏無事な朝という瞬間に感謝し、このひと時を大切に丁寧に生きるのみ。
今日はバレンタイン。今年は、例年とはちょっと違う気持ちでいる。

奇跡なる今日に感謝して、周りに感謝して、そして今の世界情勢を鑑み、静かに祈り
を込め、丁寧に日常という時間を過ごしたい。

「日常」を元気に、無事に過ごせることが一番のギフト。
これ以上の幸せはない。周囲に感謝を込めて。

そして、改めて天災・人災の被災地の皆さまに心を寄せて
早く、日常が戻るようにと祈りをささげたい。

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マイファニーバレンタインを想い

バレンタインはすっかりショコラの祭典となった。
もちろん大切な人に贈る方も多いだろうが、年々、自分用の消費のための
イベントになりつつあるような・・・。
限定、初登場、ショコラティエ来日トークショー・・・。いろんな販促
の情報に接し、また会場での長蛇の列を見ると、「ま、やめとこか」と
萎えてしまう。今じゃなくていいかな・・・と思ってしまう。
と同時に、昔のバレンタインのワクワク感を思い出し、あの頃は良かった
とつい、昔を懐かしむ。
子どもの頃のバレンタインは、不二家のハートチョコが主役であった。
ピーナッツが入って、おいしかった、あの商品、復活したらいいのに・・・。
もうひとつ、チョコといえば、だれもが知る、あの「チロルチョコ」。
この商品のコミュニケーション力は今の時代も衰えず、素晴らしい。
最近、改めて気に入っている。いつか、オリジナルのチロルチョコにも
挑戦したいほど・・・。

そして、話は飛ぶが、バレンタインといえば・・・。
NYにて歌を少しだけレッスンを受けた先生に、教えてもらった「マイファに―
バレンタイン」。
ジャズの本場でその曲について学べたことはとても幸運だった。
マイルス・デイビスや、チャット・ベーカー等であまりに有名な曲であるが
私にとっては、その歌の先生の言葉が今も忘れられない。
「毎日がバレンタインですね」
そう、そのとおり。
毎年、この時期になると思い出す。

愛をささげる、告白のきっかけとして日本に上陸したバレンタイン。
いつしか業界のイベントになった。
でも、そのルーツを大切にし、心を大切にしたい。

愛を感謝を伝えることは、大切。
でも、この日に限らず、いつでも伝えたい。毎日伝えたい。

なんでも消費拡大に向く流れに乗る楽しさもあるが、
本質を忘れず、感謝を伝えたい。





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アフリカに学びはじめる。

現在放送されているもので、最も有意義なコンテンツとして毎回チェックして
いるのが、「こころの時代」という番組。週末の楽しみのひとつでもある。
これは思想・哲学・宗教面からこの混迷の時代に生きるヒントを与えて
くれるもので、毎回、さまざまな気づきや発見があり、自分の世界を広げて
くれる。
世の中の人がつまらないニュースを見るよりも、こういったコンテンツに
興味をもってくれたら、とおせっかいながら思える、時空を超えた普遍の
教材だ。

最近、「アフリカの思想」を知るというプログラムがあり、そこで知った
コンゴで活躍する医師、デニ ムクウェゲ氏。
性犯罪が多発し続けるこの国で、女性たちを救い、またその犯罪撲滅の
ために声を上げ闘っている活動家でもある。
生きる道を失った性犯罪の被害者である女性たちの心身に寄り添い、
被害を受けた人たちが、その経験に負けず生きるための支援をするとと
もに、国連で自らの経験を含めた力強いメッセージを世界に発信し、
ノーベル平和賞を受賞した経歴の持ち主だ。
とても情熱的な活動家。ノーベル賞を受賞されたときに、もっと関心を
持つべきだったと反省。

アフリカはもともと固有の風習・文化のなかで歴史を刻んできたが
欧州列国の世界進出・侵略により、多くの国々が植民地となり、
虐げられる歴史を刻んだ。
今思えば恐ろしいことばかりだ。もしかしたら、ロシアのウクライナ
侵略を一方的には避難できないかもしれない・・・。いや、できない。
それらの歴史から引き起こされた内紛、貧困、性犯罪といった、
SDGsが目指す社会の対局にある、生きづらい環境で闘っている一人が
このデニさんだ。

彼は来日した際に、大学での講演・授業を積極的に行い、若い人たちに
アフリカの現実にも目を向けることの大切さとともに、社会に問題があれば、
無関心であってはいけないということを力説していた点が心に響いた。

犯罪があるとしたら、その加害者は当然、責められるべきであるが、
犯罪はどこでも誰にも起こる可能性はある。特定の加害者を非難するだけでは
世の中は変わらない。何の解決にもならない。

さらに物事に「無関心」であること。これでは犯罪がなくならない。
戦争が終わらない原因のひとつはこれ。だから無関心も加害者なのだ。
無関心であってはいけない。声を出す、行動を起こすことこそが平和な
社会のために大切だ。

と、熱く語っておられたことが強く深く心に刻まれる。

無関心。自分には関係ないわ。言うと面倒くさい。言わない方がいい。
見ないふり。責任はとりたくない・・。
と、そんな風潮が今の世の中にあると思う。
昔よりも、情報化社会のなかで、より人間間の距離は、溝は広がっていると
思う。
これでは、いけない。

この尊敬する活動家は言い、また自ら動く。

欧米的価値観に惑わされることなく、世界を広く観ながら、
より確かな道を探し続けよう。

ちなみに、デニさんは日本の「利他の心」が大好きだそうだ。
ああ、同じだ。良かった。

人はだれかのために役に立つために、生まれてきた。
このことが根本にあるから、行動できるのだとのこと。

ここも深く共感する。

その背中を見習って、さあ、自分は何を活動するのか?

さあ、自分は何でもってお役に立てるのか。

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小学3年生の「雨にぬれても」

あのバート・バカラックさんが亡くなったとの報に接し、あの名曲が久しぶりに
頭の中で流れ始めた。
Raindrops Keep Fallin’ on My Head」~日本語タイトルは「雨にぬれても」。
結局、その曲が有名になった映画「明日に向かって撃て」は、観る機会を逃して
いるが、私にとっては忘れられない名曲だ。
実は、この曲は小学3年の頃、毎日のように電子オルガンで弾き続けていた。
そのせいか、今も当時のアレンジされたイントロからすべて思い出すことができる
し、鍵盤の前に座ればそのまま指が動き出す。
それぐらいしっかりインプットされている。
当時、電子オルガンのコンクールに出ているため、特訓を受けた曲。
三度のごはん以上に、この曲を弾いていた日々もあったことを思い出す。

年月を経て、街角やテレビコマーシャルでこの曲を耳にしたとき、その曲自体を
やっと味わうことができた。
なんといういい曲なんだろう♪
♪雨にぬれても、自分は平気さ~。♪
前向きで、軽快で、気持ちが明るくなってくる。

雨が降っていても、傘をさすのがあまり好きではなく、
そのまま歩いていきたくなってしまう、そんな習性は、
この曲が幼いころに体に染みついたからだろうか。

雨がタイトルに付く名曲は数々あり、雨の位置づけもいろいろあれど、
この曲は人にやさしく、癒しと元気を与えてくれる希望の名曲だ。

長年名前を聴く機会がなかったが、94年の生涯であったとのこと。
本当に長く、ご活躍されたんだな~。
としみじみとした気持ちに。

この曲との出会いがなかったら、音楽を本格的にやっていなかった
かもしれない。
コンクールという緊張の場に立たせてくれた曲。
おかげさまで鍛えられた。
いやはや、懐かしき昭和40年代、宝の思い出。

世界の人に多くの感動を与えてくれたバカラックさん、どうぞ
安らかにお眠りください。ありがとうございました!

これからも、この名曲を口ずさみ、
雨にぬれる日があっても、心は晴れ!
夢と希望を胸に生きていこう!

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公共空間と音と癒しと・・・。

駅ピアノなるテレビ番組がくりかえし放送されている。はじまった当初は
海外の空港や駅に置いてあるピアノを旅人たちが思い思いの曲をそれぞれ
演奏していくというものであったが、今や国内各地でもその拠点は広がって
いるようだ。
演奏しているとときに、通行客や待合人から拍手が沸き起こる・・。
その光景はちょっとしたドラマ。に見えた。

そして、実際、パリの東駅だったか。そこの待合室でテレビ番組と同じように
少し古びたアップライトのピアノがおいてあったときは、思わず弾こうかと
思い、でも、やめた。
旅に疲れて眠りたい人もいるかもしれないし、音楽が嫌な人もいるかもと
思ったからだ。
公共の場所は、コンサート会場とは違うし、演奏を聴くために集まってきた
人ではないので・・・ととっさに思った。

それ以来、そういう場所をみつけても、弾かないことにしている。
ある仲間が渋谷駅に隣接するビルの中においてあるピアノを見て、
「マーサさん、あそこで弾いてくれたらいいのに」
と言ってくれたが、「いや。いいわ。」と笑って済ませた。

一方、実家のピアノ部屋は、もともと親が私がいつかレッスンをするために
帰ってくるだろうと思って、しつらえた大きな部屋である。
田んぼの前に建った家なので、多少の音は大丈夫としつつも、
一応、二重窓など対処はされている。
窓を開けて、開放感に浸って演奏することはできない。
雨戸を締めきって演奏する方がよりいいが、気分が下がるので、それはせず
窓を締めきって演奏している。それでも近隣への音漏れは気になる。

時々、隣のおばさまにお会いする。
挨拶の流れで
「ピアノの音、すいませんね。」
というと、
「いやいや、私にとっては癒しだわ。今日も息子が帰ってきていて
『お母さん、ピアノ?いい音がするね~』と一緒に聴いてたんよ。」
との言葉に安心する。
お隣さんは音楽が好きな方なのだ。良かった。

でも、そうではない場合もある。事件になることもある。
人前で演奏することを経験すると、聴きたい方にだけお届けしたい。
騒音になっては、絶対にいけない。

どんな音もその人によって、受け留め方が違うのだ。

そんな意味から、大勢の人が行きかうターミナル駅で、大きな音で
ピアノを弾いている場合は、その音が雑踏に消されることもあるし、
結局、自分のために弾いているのかなとも思うことが多い。
駅が町が自分の部屋になっている。私にはそう思える。
それはいいとも、そうでないとも、両面あると思っている。
これはもちろん人によって受け止め方は違うので、なんともいえない。

音は、望まなくても耳に入ってくる。
そこを忘れずに。

それにしても、親が遺してくれたピアノ部屋は
今となれば、ありがたい。
マンションではできないことができる。
いつの間にか、単なる空き家ではなく、ピアノスタジオになりつつある・・。

音コミュニケ―ション。迷惑にならず、快適に癒しになるように。

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「無の境地」と自由を得られるよう。

最近、ヴァイオリニストたちの演奏を聴きながら、音色とともに表情を観察する
ことが多い。目を閉じて、ときに苦しそうな顔、ときに至福の顔・・・・。
前を向いて演奏するため、その表情も音とともに、聴き手にインプットされるのだ。
演奏家がその曲に、自分の音にどう魂を傾けているのか・・がわかり、釘付けになる。

そして、その表情にはその人の生きざま、歴史が刻まれていることを思うと、
演奏家という仕事、生き方のすばらしさを感じ、深い感動をおぼえる。

韓国人の著名ヴァイオリニスト チョン・キョンファ。できれば、一度、生の演奏を
聴きたい演奏家のひとりであるが、たびたび拝聴する映像からでも、
突き抜けた才能を感じることができる。
12歳から単身でNYにわたり、勉強を重ねてきたという人生。
若いときは、一音でも間違える自分が許せなかったという。

でも、今は肉体の限界もあり、それは無理。
それよりも聴衆と瞬間の感動を分かち合うことが一番。それを大切にしたいという。
そして、演奏をしていると「無の境地」を感じるという。
無の境地。それは、自由だという。
それは、若いときは、感じなかったこと。
年を重ねて初めてわかってくることかもしれない。

若いときは、ある意味、不自由だったのかもしれない。自分もある意味そうだった。
でも、だからこそ、当時、がむしゃらに練習したのだろう。
だからこそ、上達した。
若い日々は、技術の時代。うまくなるための不自由な時代。受験生もある意味そうだ。

年を重ねて、自由を得る。
素晴らしい。
私も、技術的にはもうボロボロで、情けない限りであるが、
でも、チョンさんと同じく、聴き手(お客さま)とかけがえのない瞬間を分かり合うことの
すばらしさは理解できるし、
誰にも邪魔されない「無の境地(=自由)」の存在も、
なんとなく感じることができる時がある。

人は年を重ねると、肉体こそ不自由になるかもしれないが、
自分次第で、心の自由を得られるのだと、
彼女の深い音色と言葉をいただき、改めて思った次第。

素晴らしき人生。見習いたい。
おっと、私はまだまだ努力が足りなさすぎる。
ずっと絶え間なく努力した人こそ、真の自由を得られるのだと思う。
まだ、これからでも、間に合うかな。

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相手が喜ぶ小さなこと。

仕事で出会う人とも、親しくなりたい。その方がうまくいく。
とはいえ、とくに仕事での出会いでは、すぐにうちとけることは
難しいこともあるが、
ちょっとした工夫や演出で、親しくなることもある。

たとえば・・最近の打ち合わせには、ちょっとした駄菓子の類を
持参することが多い。
高いものでなく、昔ながらの安価なもの。
本当に10円や20円のものでも、相手かまわずもっていくこと
がある。珍しい、懐かしい点がポイントである。

これ、喜ぶかなあ。うけるかなあ。笑ってくれるかな~。
と想像しながら、こっそり出発前にバッグに忍ばせる。
「今日は何がいいかな~」という具合に相手の顔を浮かべ
手荷物点検だ。

実際、それを挨拶代わりに渡すと、相手の方は、ちょっと驚かれる。
「わあ、懐かしいわ~」「これ、まだあるの?」
「そうなんです。実は地元でつくっているんです」
と、そんな会話に。
一気に目じりが垂れたりして、そのあとの本題の会話がスムーズに
運ぶなんてことも少なくない。
その商品の高いか安いかではなく、気持ちが通うことが
大切だ。

相手が喜ぶこと、相手が好きなもの、そして共通の話題づくり。
ここから、相手との距離感は変わってくる。

この前お会いした方は、ビスケットのチョイスとかマリーとか、
あるいは、名古屋を代表する駄菓子?しるこサンドなど
昭和の懐かしき菓子類にとても反応され、そんな駄菓子のひとつふたつを
差し出すだけで、ほんとうに子どものように喜んでくれた。

まあ、永遠の「隣のおばちゃん・おねえちゃんマーサ」を
このまま突き進むだろうから
このお菓子作戦は、まずまずいい感じだ。

好きなものが共通していると、人は自然と心を開くものだ。
共通しているものが多ければ多いほど、さらに親しくなる。

ちょっとしたきっかけで、人は違う顔を見せてくれる。
仕事はもちろん本気でがんばっているけれど、その合間に
見せてもらえるあどけない笑顔。

みんな。昔は少年少女だったのだ~。
と、駄菓子のおかげでそんな時間も楽しんでいる。

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永遠のにいがた。

越後湯沢から浦佐を抜け、長岡へ向かう車窓。
トンネルを抜けるとそこは雪国であった・・・の言葉どおり、暗闇から急に現れる銀世界にはっと目が覚める。久しぶりの新潟の冬景色。そうそう、これこれ!と、新潟の冬の感動がよみがえる。地面が、空がキラキラ輝いているのだ。
夏には広々と広がる、色鮮やかな緑の田んぼが実に美しく、収穫の季節が楽しみになるが、雪化粧を施したこの真っ白な世界も、夏に劣らず美しい。
そういえば、上越新幹線で新潟と東京を往復し続けた十八年の歳月。毎年年度末が近づくと、いつか新潟出張も終わってしまうのか、この景色が見られなくなる日も来るのか・・と心配したこともあったがそんな心配も今は懐かしい。
私にとって、新潟との縁が切れることはない。上越新幹線に乗る最後の日など、想像しなくても良い。頻度は減っても、仲間が多く住み、はたらくこの越後の大地を忘れることはない。
久しぶりに銀世界を目の当たりにして、雪は人に厳しく憎いときもあるが、きれいで最高の存在であることを思い出した。
雪。ゆきどけの前に、再会できてよかった。

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ちょっとしたことが大したこと。

日々、自信をもって元気に頑張り続けることは、なかなかむつかしい。
いろんな試練が次々と訪れるから。
人生とはつくづく小さな山あり、谷あり。または人生は観覧車のように ではなく
時にジェットコースターに乗っているような気分になることもあり、
なかなか順調満帆にとは、いかないものだ。

そんななか、ちょっとしたことで、パワーを得て、がんばれるきっかけ
を得ることがある。

それは、感謝の言葉をいただいたり、共感の思いを寄せていただいたり
あるいは、認められたい相手に評価してもらえたときなど。

たとえば週末こんなことがあった。
文筆専業の方から、自分が書いたある文章について
「相変わらず適格で、人の心に届く文章を書かれますね。・・・・
感銘を受けました」というメッセージをいただき、とてもとてもうれしく
何度も何度も読み返した。
そうなんだ、そういってもらえるんだ。よし、この調子でがんばろう!

小さな評価、賞賛の言葉で背中を押されて、元気に再スタートできる。
ちょっとしたことのように思えるが、それが最大の自分を動かすエネルギー
となる。
この繰り返し、積み重ねで力をつける。
今週も、どんな「ちょっとしたこと」に出会えるだろうか。
そのために、まっすぐ取り組みたい。

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知って生きるか、知らずに生きるか。

数年来、継続的に受講している大学の講座がまた始まった。
講師は、尊敬し応援しているジャーナリストの横村出さん。
4回で完結するプログラムであり、またコロナのおかげ?で
オンラインで受講することができるようになり、大変ありがたい。

テーマや内容はもちろんであるが、講師の仕事への向き合い方も
勉強になり、知識を得るだけでなく、自分自身にとって毎回
大変、大きな学びになっている。
日頃、自分が接する世界とは違う世界で活躍されている方、そして
豊富な取材経験がある方からの生きた情報を得られることは、
大変貴重で、刺激的である。
そして、人に伝える仕事をする上で、伝え方についても参考
になることが多い。

さて、今回学んでいるのは、戦争とジャーナリズム。
まさに今の世界情勢のなかで、報道とはどうあるべきか、伝える
とはどういうことか?、目の前の現実をどうとらえ、何を発信す
るのか?人々の心に刻むのか。
戦争について綴った作家たちの作品から考え方、そのメッセージ
を事例として、学び生かすというものだ。

今回、もっとも衝撃的だったのは、今ウクライナの情勢に接し、
こんなことが起きてよいのかと驚く日々であるが、
実はこれは1960年代に起きたベトナム戦争と重なるという
話。大国が自国の覇権争いのために、小国を舞台に世界を巻き
込んでいる。どこの大国が仕掛けているかの違いではあるが、
結局、過去の教訓は、反省され世界平和のために生かされるのではなく、
大国たちの覇権争いに利用されているという見方。

恥ずかしい話、ベトナム戦争のことは正直、自分が幼いときの、
しかも外国の戦争であり、ほとんど知らないで育った。
それは日本に、自分に関係ないと思っていた。

一方、ウクライナのことはこの情報社会のなか、操作され続けながらも
日々、世界中から情報は入ってくるため、自分にとっては現実の世界。
それが、数十年前の悲劇とつながっているとは・・・。
さらに今回のウクライナ戦争では、情報化の加速、テクノロジーの進化で
事態はエスカレートし、恐ろしい結末を想像してしまうほどだ。
人間は同じ過ちを繰り返している。
・・と、このことを知ることはショックである。

物事を知ると、自分の中の世界が、世界観が広がる。
この世界のなかでどう生きていけばよいかに
ついて、俯瞰して考えるようになる。
でも、不安や懸念はつきまとい、楽しいばかりではいられない。

一方、何も知らなければ、また違う生き方になる。

学ぶということは楽しいだけなく、苦しいこともある。
しかし、知るということは間違いなく自分の成長につながり、
生き方にプラスの影響を与え、ときに新たな道を示してくれる。

だから、私はこれからも、知ることを止めず、動くことを止めず、
前に進み続けたい。

知るべきか、知らないで生きるべきか。
もちろん内容次第。
その選択は自分次第。

自分にとっては、生きるとは学ぶこと。

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