成功か、失敗か。

核兵器の廃絶を呼びかけ続けているサーロー節子さんが、「サミットは大失敗」
と発言されてたことに、胸がつぶれる思いがした。また同じ活動を一緒にされて
きたピースポートの畠山澄子さんが、ニュース番組でこの結果を涙ながらに悔しそうに
話されていたことに、心震えた。
被災地の方からも、残念、失望との声があがっているとの報道。

一方、ネットのニュースでは、いつもながらの軽いアンケート。
「あなたは今回のサミットは成功したと思いますか?」
その問いに、成功したという人は7割を超え、失敗したという人は20%に満たない。
報道の仕方により、反応は変わる。
何かイベントが仕組まれるたびに、いつも、そう思う。

また、ある政治家は報道番組でこのサミットをほめたたえていた。

成功と失敗。
ひとつの物事の両極である。

どこから見るか、何を軸にするかによって、評価は分かれる。
外交的に見れば、被爆経験の立場、核廃絶の立場から見れば・・・は違う。

いろんな思いを抱きつつ、この事態を冷静に見守る。
無事に終えられたことは良かった。
それ以外にも、このステージがあったことで成し遂げられたことは
あるので、良かったとは思う。

大切なことは、これからだ。
単なる国際交流イベントではないのだから。
これから、本当にどう平和な健全な社会を取り戻せるか。
地球全体がどう存続し続けることができるか。
今回のリーダーたちの議論がそこに活かされなければならない。

そして、
日本が本当に自らの経験をより良き方法で生かしているか、いけるか。
平和な社会を本当に実現できるか?
日本が世界から尊敬される国になれるかどうか。

そのためには、今回、成功と思えなかった人たちの声にも耳を傾け、
活かしていくことが大切かと思う。
それができれば、日本はまだ大丈夫か・・。

成功か、失敗か。は、これからの行動で決まると思う。
しっかり振り返りをして、失敗といわれる方の声もしっかり
拾い上げること。

NO MORE ヒロシマ
NO MORE ナガサキ
NO MORE ウクライナ
NO MORE ・・・・

ほんとうにこれからだ。






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360度で見る。

今、ビジネスの現場で360度カメラなるツールが活躍され始めている。
物事は、前から見るだけでなく、左右、後ろ、そして上からも下からも見ることにより
前から見るだけの世界とは違う、前からでは見えなかった世界に出会え、発見もあると
いうことで、それは大変有意義な手法。

そしてそれは、被写体に対する見方だけでなく、世の中の動き、事象についても、
常に心の360度カメラをもつことが大切であることにも気づかせてくれる。

広島サミットは閉会された。事故もなく、無事に終わったことは良かった。
ウクライナからの撃的なゲスト参加といったサプライズもあり、世界からも注目され、
一定の成果を得た。と各メディアは報じている。
そのことはある一面からは、間違いがないともいえるかもしれないが、
それを世界はどう見ているか?

という目も忘れてはいけない。
そして、広島の人はどう思っているか忘れてはいけない。
被爆経験を持つ人たちにとって、納得できる内容であったかという点について。

本当に難しい問題であるが、セレモニーだけでは事態は解決しない。
すべては、これからである。
西と東。
世界はつながっていないのか。
どうして分けるのか?
敵と味方。
見方を変えられないか。

ロシアの人々にも目を向けたい。

私にとっては、そんなことを強く思うイベントであった。

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それでいいのかな。

なんとまあ、戦禍にあるウクライナの大統領が、来日されたとのこと。
テレビやネットで毎日見続けている世界で一番有名になってしまった
このリーダーが突然来日との報に日本だけでなく、世界中が驚いたのでは?
スターが来日したような感覚になってはいけないが、そんな騒がれ方だ。

それよりも、ゼレンスキーさんは被爆経験をもつ広島に降り立ち、
どんな気持ちでおられたことだろう。
高級ホテルにお泊りの昨夜は、どんなことを考えておられただろうか。
と勝手な想像をめぐらしてしまう。
平和に向けての強いメッセージを、この日本、広島から発信して、世界からの
協力をより一層得たいとのこと。その思いは理解できる。
でも、その協力が武器や戦車といった闘うための協力を取り付ける場に
なってしまうならば・・・と強い懸念もある。
強い団結が生まれれば、同時に・・・とも思ってしまうのだ。

被爆地で行われるという意義を改めて考えるならば、
間違っても広島の地で、敵と味方を線引きし、より戦争が過激になる方向の
議論は絶対にやめるべきであると思う。
サミットが本当に先進国の優れたリーダーたちの集まりであるならば、
ウクライナのトップを呼べるぐらいならば、もう一方のリーダーも招いて、
話し合いができるように導く。それができたら、このサミットは本当に
素晴らしいのに。どうせならば、そこまでしてほしい。

世界をより分断に向かわせるような議論の場でないことを心から祈る。
戦車や武器の供与の話になるのであれば、広島でやってはいけない。
絶対に。

近いうちに、何かが起きるかもしれない。
と、思ってしまう。

それでいいのかな。
そう思う人が、少なからずいてくれることを、切に願っている。




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成長に気づく瞬間。

人は短い時間の中で、変化、成長することがある。
最近、それを実感することがあった。

つねに人のことを気にかけ、上を横を、下を見ながら
調整型の仕事をしてきたように見えてきたその人。
もう長年のつきあいになる。
お互い20代の頃からのつきあい。
昔から、とてもまじめで、努力家。
人柄もやさしくて、本当に申し分ない。
そして、粘り強い。仕事が好きだからと、何事に対しても
さぼらず、地道に取り組む人。
嫌と言わないからか、仕事はどんどん増える。
忙しい日々を、送り続けている。

一方、決して声が大きいわけではなく、
自ら発信して、突き抜けていくタイプではないため、目立たない。
このままでいいのか、周囲は評価してくれているのかなと
心配な部分もあり・・。でも評価も意識せず、もくもくと仕事をする。
それがその人のいいところ。
そう、本当に、いわゆる「いい人」だと思っていた。

その人が、最近、急に変わった。
それに気づいたのは、公の前で話す場面に立ち会ったときである。
話し方が変わった。自信をもって堂々と話すようになり、
説得力が増してきた。
よどみがなくなったというか、安定感が増したというか、
とにかく話を聞いていて、安心して聞けるようになったのだ。
力強さも感じた。

何か起きたのか?
もしかしたら、ひとつは環境の変化かもしれない。
何十年ぶりかの転勤。昇進・・・と、仕事の環境も変わり、
仕事への意識も変わったのかもしれない。
無意識に変化したのかもしれない。

周りが変わるきっかけを与えたことで、自らのやる気に
火が付いたのかもしれない。
きっかけとは、変化のためにも重要である。

人はいくつになっても変わることができる。
やっぱり自分次第。
緊張感をもって新たな環境で、ぜひ花開いてほしい。

気にかけてきた人の成長を感じるときは、
とてもうれしい瞬間。

そして同時に、自分の背筋も伸びる。

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タレント交換。

自分ができないことができる人、自分と違う能力を持つ人は興味深い。
もちろん敬意を表するし、応援もしたい。
すごいな、自分にはできないけれど。その発想、その表現、その知識・・・。
その才能に触れる時間がとても刺激的だ。

久しぶりに親しくしている脚本家、作家さんに会う。
半年に一度ぐらいか、会って話をするが、本当に面白くて、あっという間に
時間が経つ。

作家という仕事は観察力がある。
世の中を、時代を、独自の目線で見ている。
人間は進化するようにできている。
という話題から、最近、重大な問題になっている性差別、虐待と権力の
相関関係・・・。
と、普段ビジネスの世界では会話に出てこないような社会的な問題、話題が
次々出てくるのである。

もの書きをするには、さまざまな情報、知識が必要。その上にその人なりの
視点、視座も必要。
作家はメッセージを発する創造的な仕事。一種の才能がないと続かない仕事だと
つくづく思い、尊敬する。

お互いもっている才能、能力を認め合い、刺激を交換する。
自分の内面を豊かにするためのパワーチャージのひととき。
ありがたい。

信念をもってがんばる作家さんをこれからも応援し続けたい。

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コロナの置き土産

コロナが残したもの。
プラスマイナスいろいろあるが、今でも最も活かせているもののひとつが、
オンラインコミュニケーションではないだろうか。
人が移動し、集い、対面するというリアルなコミュニケーションができないという
考えたこともなかった衝撃の事態のなか、オンラインミーティングという手法は
本当に助かった。
出張に行かずとも、移動時間をかけずとも、それぞれ都合のいい場所で、いつでも
画面を通じて話をすることができる。対面のときよりも、多く会することもできる。
このおかげで、仕事に支障が出ることはほとんどなかった。
もちろん、対面の方が質的なコミュニケーションができるのは言うまでもないが、
回数を重ねて親密になったり、スマートに仕事を進めるなど、いい点も多かった。
もちろん限界はあったけれども、慣れればその距離感にも抵抗を感じなくなった。
果たしてネット社会でなければ、コロナ禍をどう過ごしただろう。

今は、対面で会おうと思えば会えるが、それでもオンラインでのミーティングは有効だ。
全国から集まる必要があるとき、オンラインでの会合を行う。
もちろん目的によるが、同じ情報を共有したり、一対多の発信が必要な場合、
またそれを同時に共有する場合、オンラインは有効だ。
また人数制限をせず、遠方からでも急に追加参加することも容易だ。

そんなこんなで、あるプロジェクトのキックオフミーティングにオンラインで参加した。
主催者にとっても、参加者にとってもメリットが大きいと改めて感じる。
もちろん主催者から見れば、それぞれの参加者の詳細な表情までは見えないが、
まあ、それも慣れ。小さな画面のなかで、どう盛り上げるコツはある。
情報を共有し、目的に向かって実践を進め、確認するのであれば、オンラインの活用は
十分に有効で、成果も出せる。もちろんオンラインでのミーティングを重ねれば、対面
での再会を求めたくなる。その実現もまた感激の瞬間となる。

コロナが残したもの。
いろんなことがあるけれど、このオンラインミーティングという手法の誕生には
感謝したい。
もちろん、その一方で会いたい人に、自由に合えるようになった今の環境にも
感謝したい。

今は、ハイブリッド。自由に選べる。
これこそ、当たり前と思わず、一期一会を大切に、今日も大切な出会いを育みたい。

もちろん、コロナが残してくれなかったこともある。けれど、まずはポジティブでいこう!
現状に感謝することから、すべてがはじまる。
すべての経験は、新たな道に通ずるのだから・・・。

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愚痴で終わらせない。

ずっと「愚痴」という文字、言葉は好きではない。
見た目、なんだかぐしゃぐしゃになったものが入っている感じで、
漢字の意味もあまりいい印象がない。
愚痴という言葉も使いたくないし、聞きたくない。
耳に美しいことばではないから・・。

ではあるが、生きているといろんなことがあるため、愚痴を言いたくなることや、
人から聞かされることもある。
愚痴は聞いていると、やっぱり言うものではないと思えてくる。
客観的に聴いていると、そういう見方だけではないけれど、違う見方もできると
思うけど・・と思うことがいろいろ出てくる。
でも、まあ話したいのであれば、できる限りは聞いてあげればいい。
まずは吐き出すことで楽になる人も、なる時もあるから・・。
でも、聞き続けることもしんどい。
だから言わない方がいい。でも・・というところだろうか。

心ゆるせる相手であれば、わかりあえる間柄であれば、ガス抜きの瞬間として
たまには良い。
でも、そこで終わってしまってはいけない。
愚痴をいったけれど、言うことで頭が整理でき、気分もすっきり
もう一度がんばってやる!と前向きになれるならば、まあ、時にはよし。
聞いた時間も無駄にはならない。

とは思うが、やはり愚痴は言わなくて済む方がいい。
それはおそらく日頃の自分の物事や人間に対する身の置き方、向き合い方と
大きくかかわっていると思う。
まずは自分中心にならないこと。感謝の気持ちをもつこと。
相手の立場になること。
俯瞰して物事を見るようになれること。
こんな意識を持ち続けることで、
愚痴から開放されることも多くなるのでは。
と思う。
我慢したり、自分の外と内にギャップがたまってくると
愚痴の素ができてしまう。
行き場のない詰まった感情、それが爆発するひとつの表現が愚痴
なのかもしれない。

と理解しつつも、聞き役になったときは
その時間を無駄にしないように、プラスの方向へ一緒に歩いていけるように
ナビゲートできたら・・と思う。

下を向く愚痴より、前を見た発言を心がける。
前向きで建設的なコミュニケーションを優先。

やっぱり、愚痴なし人生を目指したい。
もちろん、時にこぼしたくなる気持ちはわかりつつ・・である。



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「変わらないね~。」

昨日は久しぶりに半日以上、立ちっぱなしで、動きながらの弾き歌いで
存分に体力を消費させていただいた。
不思議なことに、喉枯れや痛みはなく、声帯が丈夫なのかなと思う
一方、足は筋肉痛である。
私のライブは、まさに?スタンディングプレーになるため、スポーツのような
後感覚になる。まあ、心地よい疲れは、良き余韻である。

さて、昨日の地元でのコンサート。ひとつめは新聞社ロビーでの開催ということ、
しかもコロナも落ち着いたため、事前予約をしなくても入れるようになり、
多くの方に集まっていただき、コロナ前、そして親たちが元気だったころの活気を
取り戻した賑わいで大変ありがたかった。

演奏を終えた後、いろんな方が声をかけてくださる。
そんななか、はじめてお見掛けするような感じのご婦人がにこにこ笑って
歩み寄ってこられた。親しげな表情だ。あれ?前も来ていただいている方かな・・・。
「まさこちゃん、久しぶり~。私、◌◌(町内名)の◌◌です。(苗字、たぶん旧姓?)
ひとつ上の。」と言われた。どうやら、1つ学年が上の隣町の方のようだ。
「ほんと、変わらないね~」
と言われて、そうなんだ~。と思いながら、どうしてもその方の子供時代が思い出せず
反応に困りながら、
「そうですか~。長年ご無沙汰してしまって、すみません。もう50年も経っているので
・・・」そう、小学校に入学した頃から半世紀は経っているのだ。
しかも地元を離れて40年も経ち、成人式や地元の行事に何も出ておらず、まったく接点がないと記憶が途絶える。
大変申し訳ない状態で、とにかく感謝の気持ちを示しながら、ご挨拶をする。
ほんとうに、いろんな方が来てくださることに改めて感銘を受ける。
地元での広がりは、一度おいでいただいた方の口コミ力も大きい。

「変わらないね~。」きっとその先輩、私の演奏やトークを見聞きしながら、ご自身の小学生時代のことも思い出しておられたことだろう。
人間50年以上生きていれば、変わらないわけはないが、変わっていないところもあるという
ことで、これはきっといい意味だ。
変わった、変わらない・・・ということは、久しぶりにお会いする人だからこそ、気づいてくださるのであろう。もちろん見方によっては、「変わったね~」ともなるが。

懐かしき人。ありがたい。
今朝になっても、その先輩がどんな人だったかを一生懸命、思い出し続けている・・・。

そんなタイムトリップもありがたいこと。



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青いカーネーションと約束

この週末は、街角で多くのカーネーション売り場を目にした。
母の日への思いは、前に書いたとおりであり、母の日だからという
特別な思いは、過去とは変わっているが、お墓には花をよく持って
いっているため、まあ、そうであれば・・ということでカーネーションも
添えることに。但し、白い花は悲しくて、ちょっと苦手であるため、
青いカーネーションをみつけたので、これを選ぶ。
ちょっと派手な感じで、人によっては??と思われる
かもしれないが、母は珍しいものが好きだったので、喜ぶに違いない。
だから良し!
と、雨の中そんなことをしながら、次は今日行うコンサートの準備に入る。
同時に、今後のこと、来年のことも考える。

そして、来年1年間の出演予定を決めた。
やる気満々だな、来年も元気にがんばる覚悟だな。と自分に話しかける。
いつも、長生きはしないと人様に言い切っているわりには、
来年のことをもうしっかり計画している自分に驚くが、
このことが、親への感謝の気持ちの表れかもしれないとも納得する。

青いカーネーションを飾った日に、来年1年の計画を決定する。
私にとって、このカーネーションは単に母の日だからの贈り物
ではなく、有言実行、約束のツールになった気がした。

ちなみに、あとで知った、
青いカーネーションの花言葉は、「永遠の幸せ」。
選んでよかった。
私にとっては、「自ら切り開く、永遠の幸せ」としておこう。
待っているだけでは、幸せは来ない。

明日に向かって、まずは今日をしっかり。
今日の二連発コンサート、青いカーネーションを胸にがんばろう!
出会う皆さん一人一人の永遠の幸せを願って・・・。

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お客様の顔を思い浮かべ、笑顔の着地を願って。

明日は珍しくアーチストとして、掛け持ちの1日になる。
しかも午前・午後ではなく、午後にふたつのコンサート。
ひとつめを終えたら、すぐ移動して1時間後にはふたつめのステージへ。
ちょっとあまりない経験。ちょっと緊張。
ひとつめの演奏が終わり次第、次の会の主催者の方が車に乗せてくださって
すぐ移動となる。
1時間の移動時間と切り替え時間で、ちゃんとこなせるか?がポイント。

声の調子が悪くてもいけないし、事故にあってもいけないし、あわてて、
いいかげんなパフォーマンスになってもいけないし、
とにかくそれぞれにとって、ベストな結果を残すためには、1日1回のステージ
の倍以上の気を遣う。
お客様からすれば、それぞれのステージを楽しみにされているのだから、それぞれに
答えなければならない。今日2つあります・・は、お客さんには関係ないこと。
どんなときも、目の前のお客様がすべて・・である。
だから、そのために各準備、段取りと自信とゆとりをもって取り組むための
練習、そして集中・・・。
ちゃんと本番をこなすには、いろんな力が試される。

今日はその準備を優先して行う。
まずそれぞれのコンサートのプログラムを整える。資料を準備する。
そして、練習と一部楽器の搬入。
ひとつめはグランドピアノ、ふたつめはキーボード持ち込みでのコンサート。
と、使う楽器も空間も、対象も会場も皆異なる2つのコンサート。
どちらも成功させる。どちらも満足いただけるようにする。
それぞれのステージを待って下さるお客様の顔を思い浮かべて。

よかった、よかった。

と軽やかな気持ちで帰りの電車に乗れる瞬間を楽しみに、準備もがんばらねば。

大谷選手だって、大変な準備とトレーニングをして、本番に臨んでいる。
くらべものにならないが、私なりのベストを尽くそう!

今、目の前にいる人のために。それを1日何回もできるのが、プロの仕事。
努力と研鑽。今日1日しっかり準備して、本番に臨むとしよう。
お客様の顔を思い浮かべ、そして笑顔の感謝で結べるように。

お互いの「よかったね」のために・・・。

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