123.と覚えやすい数字のせいか、わが誕生日を覚えて
いてくださる方がいて、メッセージを寄せてくださる。
当日も、その前後も・・。あ、そういえばと思い出して
くださるのかと思うと、ありがたいの一言に尽きる。
メッセージ以外にも、お花や癒しの道具、美味しいもの・・・。
いろんな気遣いが届けられ、覚えていていただけ、気に留めて
いただけることに胸がいっぱいになる。
当日の0時2分に届いたメッセージは、まさに一番のり。そこから
5日の1時すぎ。現地時間では4日のお昼か。
ボストンからメッセージが届き、驚く。
数年以上逢っていない知人からの祝福メッセージだ。
どこかに控えてあったのだろうか?その人の中にバースデー
カレンダーが存在しているのだろうか?
(以前、NYの文具屋で、知り合いのバースデーを記載する
カレンダーなるものをみつけたことを、思い出した)
とにかく123になると、思い出していただき、あたたかい
メッセージをいただくことが、何よりの贈り物だ。
存在を覚えていていただけること。記憶されていること。
認めてもらっていること。そして、応援していただけること。
この123はまさに、私にとって一生のラッキーナンバーだ。
123は、動きを止めない、そしてアウフヘーベンな建設的かつ
発展的で、楽しい数字だととらえている。
ザビエルが空に帰った日が、私が世に誕生した日。
なんとまあ、ロマンチックな123だろう。
と、日々のくらしのなか、しばらく123の余韻にひたる。
メッセージを寄せていただいた一人一rに感謝を込めて。
ラッキーナンバーの幸せ。
小さな戸惑いを越え。
さっそく、外出先でアンケートに答える機会があり、年齢記入欄に戸惑い。
これまでと違う項目にチェックをしなければならないことに、ちょっと違和感。
50代になったばかりのときも、同じ感覚であったことを思い出す。
昨日まで40代のところにチェックをしていたのに・・・。と思った10年前。
今は、慣れ親しんだ?50代枠ではなく、60代にチェックを入れることへの
ためらい・・・。
大したことではないのに、そんなことが気になったりするものなのだと、改めて思う。
60代ともなれば、いろんな優待や割引もあるので、有効活用すればいいとそんな声も
あるが、吉永小百合さんのコマーシャルなど、シニア向けのサービスは
自分にはまったく関係ないと思っていたことが、意外と自分もその世界に近いところにすでにきているのだ・・・と改めてショック・・・。
生命保険会社からのDMもなんだか、人生の後半色を感じさせる文言で、そんなに60歳が
特別なのかと不思議に思う。
など、まだ60代という世界に慣れていない私。
人生の先輩たちも、この節目に同じようなことを感じていたのだろうな。
まあ、そのうち慣れるし、自分は自分だ。
4か月前に60歳になった仲間から、
「また同い年になりましたね。ここから一緒に元気にがんばっていきましょう。
還暦は暦がひとまわり。ここからですね」
とうれしいメッセージ。
そうそうここから、人生の観覧車は新しく回る。
それだけのことだ。ワクワク前に進もう。
圧倒的にびっくり元気な人生を重ねるため、心身の力を蓄えたい!
生涯、夢見る、挑戦を止めない・・・そんなマーサ流生き方を止めないと
心に誓う。
心からの感謝祭、はじまる。
60回目の誕生日となった。
親が生きていたら、父は87歳、母は84歳か。
そう、27歳と24歳で私の誕生となった。
あれから60年というわけだ。長い。短くはない。
もう電話をかけたり、メールで
「誕生日、ありがとう」という相手はいなくなってしまったが、
誕生日だけは巡り、さまざまな思い出がよみがえる朝。
あの親が存在していなければ、この私はここにいなかった。
たまたま、あの親なのか、もしくは、あらかじめそのように仕組まれていたのかは、
神のみぞ知る。であるが、現実、与えられた環境で生まれた私は、
60年も生きてしまった。長いけれど、あっという間でもある。
たまたまなのか、必然なのか、わからないが、今日のところ、まだ生きている。
不思議なものだ。
これからも、もうしばらく生きるとするならば、
残された人生、自分にとっても、周りにとっても、
いい思い出になるような瞬間づくりを重ねたい。
まだまだ、これまでどおり、これまで以上に元気に走ることができるが
永遠ではないから、その自覚をもちたい。
そう、すべてが永遠ではないことを改めて胸に抱き、
その時、その人、その場所での時間を丁寧に紡ぎたい。
これまで出会い、お世話になってきた皆様に心からの感謝。
そう、これからの人生は、「感謝祭」でいこう。
楽しいこと、わくわくすることを心がけ、相手にそれが伝わるように。
ということで、ここからは、わが人生感謝祭。
グラン・ルー25周年。今尾昌子60周年。
これからも、これまでも。
人生は観覧車のように。
くるくる回して、祭をはじめるとしよう。
誕生日、ありがとうございます!
Last Day の心構え。
いくつになっても、誕生日ってうれしいものなのか?
「そんな、もううれしくないわ」
と口にする人生の先輩たちをたくさん見てきた。
年をとると、そんなものなのかなと思っていたが、
確かに、そんなにうれしくないかも・・・。
もちろん、無事に生きてきたことへの感謝の気持ちは
尽きないけれど。
人生も後半になると、誕生日も何か違う意味合いになって
くる人が多いのかもしれない。
さあ、未来に向けてこれをやるぞ!とか前向きになったり
新たな夢がわいてくるような記念日ならばいいけれど、
老いへの意識が前向きな考え方に歯止めをかけているのかも
しれない。
年を重ねると、健康に生きることが一番の願いになって
くるのかもしれない。
でも、それだけではなく、生涯追いかける夢をもちたい。
と、一つ節目を迎える前日。50代最後の今日は、
次のステージの生き方について作戦を練る日にしよう。
アンチエイジングではなく、プラス思考での生き方を。
その前に、この59年間を振り返り、自分をしっかり
抱きしめたい。ありがとう、50代!
とそんなLAST DAY に感謝を込めて。
48時間をどう刻むか。
私の新年は、1月ではなく12月だ。
そんな認識でいつも過ごしてきた。
12月3日が私の新年。
そこまであと48時間を切った。書いている間にも刻一刻と、時は進む。
いつも節目の年齢を迎える前になると、感慨深いというか、なんというか
それ以外の年とは違う心持になる。
人生はできたら、50代で幕引きとなったらいいな。
と常々思ってきたが、ここまで元気できているので、
きっとこのまま新年に突入することになるのだろう。
あと48時間。いや、正確には43時間を切った。
この短い時間で、私は何を残せるだろうかと改めて考える。
カレンダーも、今年最後の1枚を残すのみ。
ああ、これで50代も卒業。そして、その続きがはじまるのだ。
人生の第二幕といってもいい。
と、今朝はそんな気分だ。
残された時間を大切に過ごし、
ああ、我ながらいい50代であったと、心から自分の生を
祝福できるように。
以上は今朝の気持ちだ。
人生ゴールを仮に決めると、真剣さが増す。
人生50代の結び。しっかり生きよう。
人生は観覧車のように。今日もしっかり回したい。
いつの時代もほう・れん・そう!
デジタル社会になり、「共有」という言葉がやたら増えてきた。
驚くほどに、日々のビジネスのやりとりで、この言葉を
まるで「合言葉」のように、皆が多用するようになった。
個人的には安易に使う言葉ではないと思うことも多いが、
ネット環境が整った現在、このことはコミュニケーションの
基本のひとつになっている。
アナログ社会では、「共有」は、紙ベースや伝言でしか
できなかった。それと比べれば、今の時代はメールでCCしたり
さまざまなネットワークツールのなかで、仲間とひとつの情報を
瞬時に共有することが容易であり、伝える手間が省けて
大変便利である。
一方、ネット環境が異なったりすると、その共有もむつかしい。
情報が見えている人と見えない人が出てくると、その差を埋めなければならない。
その場合は、丁寧にコミュニケーションをすることが必要になる。
共有のいいところは、関係者に見えるということ。
それが見えない状況であれば、見えるようにしていかねばならない。
今の時代、何かと便利になっているが、
コミュニケーションの基本を忘れてはいけない。
と、改めて感じる今日この頃。
そして、パソコンに向かってのコミュニケーションももちろん
重要であるが、報連相はとても重要で、とくに顔が見えるコミュニケーション
に勝るものはない。
ビジネスの基本は、共有。
そして、その前に報連相。
信頼関係をつくるためには、人と人の関係づくりが大切。
そのために報連相は共有のため、そして共感、共創のためにも
大変重要なのだと思う。
DXの時代と言われるが、大切なことは、あくまでも人である。
そこを忘れず、丁寧に関係づくりを行うことを大切にしたい。
たまたま、を必然に。
今、企業で働く人達の個人面談を続けている。
最初は管理職から、そしてリーダー、さらに一般の社員の方との
面談。
普段、自分から話すことをあまりしないような人、人と関わりを
あまり持ちたくない人、常に受け身の人、人見知りをする人・・。
モノを作る現場で働く人たちには、そんなタイプの方も多く、
口を開いてもらうため、いろんな角度から話をすると、
マスクで口元は見えないが、目じりが下がってきて言葉も出て
くるようになる。
聞いていると、いろんな事情があって、その会社に入社されて
いることがわかる。
コロナのせいで、転職してのご縁となった方もあれば、結婚が
きっかけでの転職であったり・・・また、今ご家族が入院中で
慣れない子供の世話もしながら、家事も仕事も頑張る男性が
おられたり・・・。
皆さん、それぞれの環境でそれぞれの事情を抱えながら、
それぞれの人生を生きながら、同じ会社につとめている。
毎日がんばっている。
思えばすごいことだ。同じ時に、同じ場所で働いている
ということ。これは、たまたま…ではあるが、ご縁である。
だから、それを大切にして、お互いを大切にして、助け合って
いい仕事になるよう、そして結果、それぞれも幸せになり、
会社も成長できるようになるといいと思う。
そのために向かう方向をそろえていくことは大切だ。
たまたま・・ではあるが、必然。
今、自分の周りにいる人との出会いは、すべてそうである。
たまたま・・・知り合ったように見えているが、
見えない糸があっての繋がりである。
星の数ほどある出会いのなかで、たまたま出会えた貴重な
ご縁であるのだ。
「たまたま」に感謝したい。
今日も新たな出会いがあるだろうか。
それぞれの人生を生きているのに、交差する瞬間。
これを楽しみたい。そして、出会った以上、
相手を大切にしたい。
聴く人、見る人、観る人。
隔月の岐阜新聞でのコンサートも、もう何年続けている
ことになるだろうか?東京暮らしのときから、通っていた記憶があるため、
7~8年は続けていることになりそうだ。
いろんなお客様に出会ってきた。
初めて来た!と喜んでおられた方が増えることは、本当にうれしい。
演奏を聴き、一緒に音旅を楽しんでいただく。
いい顔になって、皆さんお帰りになる。
ああ、今日も良かったと思う反面、演奏は毎回反省だ。
でも、お客さまがまず喜んでおられたら、成功と思えば良い。
昨日は、「今年、皆勤賞でした!」という方もおられて、
本当にありがたいと心から思った。
来られるお客さんも、いろいろだ。
あるお客さんは、目的があってコンサートに来られた。
私の演奏姿を見にこられたのだ。演奏を聴くことももちろんではあるが。
そのお客様、ついその観察に夢中になり、演奏中、スマホで撮影・・・。
思わず、ちょっとアクションが大きくなってしまい、他のお客様が??
になってしまい、こちらもドキドキしたが、そのお方、実は
絵を描くため、私を観察に来られていたのだ。
あれから2か月。
「絵がだいぶ、できたよ。いいのが描けてる」
なんと、演奏している私の姿をモデルに、作品を創っておられるのだ。
ほんとうに、描かれたんだ。
途中までできている作品を見せていただいたら、
私が立って弾いて歌っているその姿そのもの・・・。
揺れる洋服のしわや、髪の毛、指先・;・・。
グランドピアノに向かう私の姿。そんな構図の絵を見たのは
初めてだ。
「今週、先生に見せて修正入ると思うけど、いいのになると思う」
と画家さん。
そう、そのお客さまは、画家としてコンサートに来られていたのだ。
来年の展覧会に出されるとのこと。
自分の姿が絵になるなんて、うれしいこと。
私自身、楽しみだ。
コンサートに来られるお客様、人それぞれ。
ひとり一人の人生にお役に立てていたら、
五感のどこかに触れることができていたら、
それで十分。
ユニークな経験をたくさんいただいた、今年のコンサート。
もうこれでおしまい?なんだか、そうではなさそうだ・・・。
まだわからないが、まずは予定をコンプリート。
多くの方にお聴きいただき、本当に幸せな2024年。
感謝と安堵と。そして肝心の演奏の反省は次に活かすとしよう。
自分にとっては、ここが一番大切だ。
音旅でマジックコミュニケーション
本日11月27日は、今のところ、本年最後のライブコンサートになる。
隔月続けてきた岐阜新聞社でのロビーコンサート。
毎回、新聞でも事前告知をしていただけるため、テーマや曲名を
提出するが、今回は「あったか気分!秋の音旅♪」とした。
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音階。
この組み合わせで西洋に倣った現代音楽
は成り立っているが、無限の組み合わせがあることがすごい!
この組み合わせでもって、いろんな楽しみが生まれるのだ。
そして、それにより心が軽くなったり、明るくあったり、うきうきしたり・・。
現実とは違う世界をたずねることができる。
まさに音楽は心の旅を誘う、マジックコミュニケーションだ。
ということで、「音旅」という表現をしてみた。
どこに行かなくても、世界に出かけることも、
今を生きていても、歴史をめぐることも
可能になる。
お客様がどこに行かれるかは自由。
行先はご自身で決めていただくとしよう。
そして私自身も、音旅に出る。
わずかの時間でも、そんな旅が提案できる。
音楽の力はすごい!
多くの笑顔に出会えることを楽しみに、旅の準備を急ぐとしよう。
地道な仕事が、世の中を救う。
介護は、長寿社会全体での深刻な課題である。
健康であり続けることを求めたいが、いつしか自分の力だけでは
生きられなくなる。
悲しいけれど、長生きするならば、そうなる。
それが現実。そのことは親のことで学んだ。
家族がいても、この忙しい現代社会では、
日々の介護について、家族だけではカバーできず、いろんなサービスに
多くの方にお世話になり、回していくのが当たり前の世の中になっている。
私自身、介護職の方には、本当に助けられた。
知識も術も、未知の世界で、素人ではわからないことばかり。
関りをもたない頃は、
特養って何?老健って何?ケアマネって?という具合だ・・。
親を送って少し時間を経た今、当時の経験をふりかえりながら、
(といっても、何もしていないうちに終わってしまった感はあるが)
長生きする人は、回りが大変だ・・と改めて思い、みつめている。
わが妹は、介護の仕事をしている。
久しぶりに食事をしながら、話をしているなか、
自分が今通っているご家族の話題になる。
とにかく、いろんなパターンがあり、こういうケースもあるのかと
学びながらの仕事のようだ。
へえ。そんなことまでしているのかあ。
私にしてみれば、自分の仕事とはまったく世界が違うため、ただただ
頭が下がる。
まあ、仕事だからできるということもあるのだろうが・・。私に
できることは、せいぜい話や音楽で楽しんでもらうぐらい・・・。
偉いなあ。
素直にそう思えてくる。ただ、その一言に尽きる。
これから、日本の介護事情はますます大変になる。
人様の世話にならないように、人生を終えたい。
それが一番の願いであるが、
そうはいっても・・・わからない。
華やかな仕事ではなく、ほんとうに地道で、しかも心身ともに
疲れる仕事だろう。
親がお世話になったケアマネさんやヘルパーさんや、看護士の方や
・・・いろんな顔が浮かんでくる。
偉いなあ~。ただただ、感謝と尊敬。
経済を回す方にだけ目を向けるのではなく、人の命を支える仕事。
もっとこっちの光が当たってほしい。
大変だというよりも、えらい!素晴らしい1というポジティブな
見方で・・・。
こんな仕事がしたいと思ってもらえるような光の当たり方を。
こういった方たちのおかげで、個々が自由に仕事をしたり、
自分の人生を止まることなく、進めるのである。
そのことを忘れてはいけない。