終の棲家をかんがえる。

自然災害、犯罪の増加による治安の悪化。
地球全体、ここなら絶対安心!という場所を探すのが難しくなって
いると感じる。
国という単位についても、考えさせられる。
地政学的に見たら、日本はこれからリスキーな大国やその周辺の国に
取り囲まれて、どうなっちゃうの?
と不安が募る。

かといsって、今から地球の裏側へ飛び出すというのも
現実的ではないし、自然的リスクはどこに行っても同じ。

どうせならば、好きな町で、場所で最後を迎えたい。
それが、ふるさとという人もいれば、移住先であったりする
場合もある。

ふるさとを離れて住むことを選択した人にとっては
その土地への思いがより強くなる。
近くにいれば、なんてことはないけれど、離れると
思いが募る。

好きな町で過ごし、最後を迎える。
好きとは、その町の風景、自分との相性、そこに住む人々の
価値観、そこに住んでよかったと思えることがたくさんみつかる。
それらが総じて、「好きな町」になる。
京都や、東京、新潟、長崎。そしてふるさと岐阜。それ以外も・・・。
いずれも好きな理由がそれぞれある。

大きなピアノを道連れに、さて、私のこれから、どこへ?
終の棲家。
まだまだしばらくは迷っていい。
でも、そのうち、元気なうちに、
自分なりの着地ポイントをみつけ、準備をする必要もある。

好きな町。
うきうきすること、わくわくすること、ほっとすること。
安らぎを感じること。
そこで暮らす。

そして、最後まで自立した生活を目指す。
こつこつ、働く。楽しみながら忙しく生きる。

と、終の棲家探しを楽しみながら、
でも、今日が最終日かもしれないから、
今日を楽しむとしよう。


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オフライン時代を懐かしむ。

40年前は海外に行くことが非日常であった。
海外出張は、ご褒美のように言っていた人もいた。
20代でNYに行ったとき、お餞別をくれた人もいた。
その代わりお土産も・・・。
今では信じがたいが、とても特別なことであった。

海外に行くから、その間は日常の仕事ができない。
なんていって、行く前と帰国してからが大変。
行っている間に何か起きたら、大変。
当時はメールもまだ使っていなかったから、
基本連絡がとれない。という感じであった。

それに比べたら、今はどこにいても、つながれるし、
連絡がとれる。

パソコンさえあれば、世界中どこにも行ける。
相手に迷惑をかけることもせず、時差さえ
乗り越えれば、普段通りに仕事もできる。
そんなネット普及のおかげで、私も海外に出る
機会を多くつくることができた。
ネットにつながるのも、四半世紀前に比べたら
ずいぶんと楽になった。

とはいえ、印刷物の入稿など いわゆる商品の
納品のような仕事には今も緊張が伴う。
普段から海外からのデータを受け取ってやりとり
しているのであれば心配ないが、
たまたま海外に行くタイミングでそれをやらねば
ならないという仕事はちょっとドキドキ。
もしかして、ネットが突然ネットが使えなくなったら
どうしよう。災害がおきて、相手と連絡がとれなく
なったらどうしよう。
日本にいても災害がおきるかもしれないのに、
海外にいるということを思うと、リスクをかなり
考えてしまう。

オフライン時代には、海外出張先からデータを
送って印刷入稿するということはあり得なかった。
オンラインはとても便利。でもちょっと怖い。
そんなこと言っていたらクラウドはどうなんだ?
という話になるが、
今はとにかく海を越えて、無事に入稿できることを
願う。

オフラインの確実性、オンラインの利便性。
いやはや、たまに、オフライン時代が懐かしくなる
こともある。

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気が付けば、2025にならぬよう。

やっと秋らしくなってきたと、衣替えをしたばかり。
四季から二季に自然は変化。
だんだん、ゆっくり季節の移ろいを感じる、味わう。
ということが残念ながらなくなりつつある。

ある日突然、暑くなる、寒くなる。大雨になる。地震が来る。
今日も九州の大雨が気になる。お年寄りが多く住んでおられるのでは?
島での災害は・・・想像するだけで心配になる。

一方、野生の動物たちが食べ物を探して町に出てくる。
自然も大荒れ。動物たちも必死。いろんな自然界との戦いに悩まされる。

人間社会も大荒れ。
選挙も戦争も、世界の融和、平和への道のりは険しいまま。
混迷、分断、不信。

人生は観覧車のように・・・を貫きたい自分としては、
これでいいのか?と思わぬ日はない。

そんななか、自分ができることを毎日毎日を
とにかく精一杯動く、経験を積む。
意識して、いろんなことをやろうとしている。

そうこうしているうちに、2024年という1年のサイクルが
もう終盤に近付いてきている。
近所の商業施設では、今日がクリスマスイルミネーションの点灯らしい。
これで一気に、年末ムードが高まる。
なんとなく、楽しい気持ち、うかれた気持ちになるだろう。
コロナのときのあの苦しかった日々を忘れたかのように、

かつてブエノスアイレスで体感した、夏のクリスマス。
あれに近い、寒くない不思議な感覚のクリスマスが日本でも
体験できるようになってしまうかもしれない。


と、いろいろ違和感を抱きながら、
毎日を目まぐるしく生きる。
でも、
気が付けば2024年も終わり。
ではなく、今年はこれができた、まだこれができる。
と流されないで、生きた足跡を残したい。

混迷の時代。その渦に巻き込まれないように、少し俯瞰しながら
自分でしっかり立って歩き続けよう。
気が付けば、今年が終わり、になる前にできることを!


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受け入れる器と、不屈の精神。

ディナーショーが終わって知った、気になっていたことの結果。
へえ?そんな早く決まるんだった?
瞬間、目を疑った。
これは事実?フェイクじゃないのか?
と、今回こそ思ったし、仕組まれていないか?と疑ったのは
私だけか。
とにかく、昨日1日、ニュースを見たくなかった。
信じたくなかった。
そして、敗北という言葉を聞く、見るのが嫌だったし、
誇りに満ちたハリスさんが、この結果によりどうなっているか
想像するだけでも重苦しい気持になった。

一晩明けて、母校の大学で学生に向かって(後輩)に今回の
結果のスピーチをしているのを見て、胸がいっぱいになった。
静かにやわらかい、優しい表情で、
「諦めてはいけない。」
という言葉をくりかえし、そして今回の結果を受け留める
ことについても発言し、そして戦いには時間がかかるもの。
だから、未来のために諦めてはいけない。
と語っていたのが心にしみた。

大激戦、接戦という前触れもあり、どっちの結果になったときの
準備もしていたのだろう。
負けたときの準備は、想像したくないものだっただろう・・・。

ハリスさんの演説を聞き、涙を流す若者がたくさんいた。
また、彼女の演説に大きな拍手と声援が沸き上がった。
ここに思わずもらい泣きした。

もし反対の結果になっていたら、相手は暴力で攻撃してきたかも
しれない。何を破壊するかわからない。想像するだけでも怖い。
勝った、勝ったと言い誇り、歓喜にわく人たちと、
さまざまな不安と抵抗心をもちながら、結果を受け入れよう
と努力する人たち。
ここに融和は生まれるだろうか。

女性が望もうが、そうでなかろうと、自分は女性を守る。
という言葉に、嫌悪を感じる。
望まないことをしてくれなくて、結構。
女性をなんだと思っているんだろう?と、改めて。

そう思っている人は少なからずいるだろう。

ということで、誕生日ウィークに新たなアメリカを祝福する
渡航計画はいったん中止としよう。
いつか、不安なくわが永遠の憧れだったニューヨークに
再び足を踏み入れたくなる日が来るのを待つ。
今は、NO。

ハリスさんは素晴らしい。
諦めないで。諦めないで。
若者に語り掛けているが、若き日の自分に向かって言っていた
のかもしれないと想像する。
彼女が生きてきた道そのものが、諦めない生き方。

このままいくと世界は危険な状態になる。と想像する。
自分さえよければ。自分、自国主義。拝金主義。
恐ろしい。
民主主義は単なるイデオロギーのひとつではない。
これがなくては、世界の平和は維持できない。

平和な世界を心から諦めず、願い続ける。

ハリスさんに、悔いがなければそれでよし。
本当に立派な戦いぶりだったと思う。

現在を見る、未来を見る。
アメリカの若者へ、ハリス支援者の皆さんへ

諦めないで、未来に向かって走り始めよう!
不屈の精神を持ち続けて・・・。

と、太平洋の向こうの国に心から呼びかける。


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心のふるさと、幸せな人生。

無事、新潟でのディナーショーが終わった。
6年ぶりの開催。
やってみるかと決めて、ドタバタ準備から本番。
もっとここをこうすれば、伝えたかったという点もいろいろある。

でも、やってよかった!
久しぶりの会場、懐かしいお客様、信頼のパートナー、スタッフ・・・。
ああこんな時代があった、新潟はやはり心のふるさとであった・・・。

コミュニティラジオでの「愛の元気人」という番組をやらせていただいたあの時代。
6年前までの新潟時代と、その後のさまざまな変化を思い出し、
それでも変わらない、あたたかい絆、つながりを今回も感じた。

懐かしい方にも、新しい方にも同じ場で、同じ時間を楽しく過ごして
いただけたなら、それが最高。

感動の声を早速いただき、改めてよかったと思う。

ほぼぶっつけ本番の尺八との協奏も、無事着地。
これこそ、6年前よりお互い成長した面を感じた瞬間。

多くの笑い、涙。今朝も思い出す。
今日も元気にスタートしてほしい。

やっぱり、愛の元気人・・・でいなくちゃ。

東京だけじゃないんだよ。と教えてくれた新潟の存在が
改めて自分に刻まれた。

ほんとうに、しあわせなわが人生。
やれてよかった。

みなさま、ありがとうございました!!



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やりきる!ただ、それだけ。

自分が決めたことを、ちゃんとやる。やりきる。
最後まで全力で走る。
毎日、そうありたいと思っているが、
今日はとくにそう思っている。

自分の思い、行動がちゃんと相手に、ひとりひとりそれぞれに
きちんと伝わるように。

挑戦するということは、やりきることのトレーニング。
口だけでは挑戦とはいえない。
やってこそ、やりきってこそ、初めて挑戦といえる。

自分の行動は、とてもささやかなことではあるが、
大海のさざ波のような存在であるが、そこからすべては
はじまる。

今日出会う人が、全員笑顔で会い、
別れることができるように。
そのために、全力を尽くす。

決めた以上やらなければならない。
代理はいない。

そう、人生にはもともと代理はいない。

と、そんな気持ちで1日をはじめる。

名古屋~東京~新潟。
この思いを抱きながら、元気にスタート!

まずは、ころばないように、足元を見て
そして、前を見て!

きっと短くて長い1日になるだろう。
今日という日はもう来ないから、
やりきる!

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24時間最後の仕事をしよう!


アメリカの動向が気になる。
いよいよ、日本時間今日の夜から投票が始まる。
大統領選挙。
少なくとも、高齢者同士の戦いにならず、それぞれがアメリカを代表する
まったく違う個性をもった二人の戦いになることで、
緊張感が高まり、良かった。
どっちになるかによって、その影響も気になるが・・・。

最後まで相手を批判し続ける人、
相手のことではなく、国民を見て、未来を語る人。

勝つとは相手に打ち負かすではなく、
ではなく、未来に向かって進むこと。

カマラハリスの生い立ちから、彼女のここまでの道のりを
知れば知るほど(まだ少ししか知らないが)
レベルやスケールの違いこそあれど、いろんな意味で共感すること
があるし、心から応援している。

マイノリティから始まった人生でも、自分の努力で変えることが
できる。そのこと自体が、今の時代に合うアメリカンドリームなのではないか。
お金を稼ぐ、自分は偉大だと誇示する、そんな時代はもう終わったのではないか。

今回の選挙を見て、アメリカが憧れの国だった時代も終わったとも感じる。
経済や移民といった政策の影響、個々の変化。背景にはネット社会の影響、
コミュニケーション、人間関係の有り様の変化も大きいと感じている。

自分にとって都合のよい人を選ぶのではなく、一人一人が社会を見る目を
養うこと。それだけでも随分と選択肢も変わってくるはず。
どうか、今でも世界のアメリカなのだから、その誇りをもった結果になるように
心から祈っている。

ハリスが最終日の集会で
「未来に向かって、24時間最後の仕事をしよう!」
と挨拶していた。自分に向けたメッセージであり、支援者とともにの
意志の現れであろう。

誇りをもった人でありたい。
アメリカを見ながら、わが国を見て、そして我をふりかえる。

レベルもスケールも違うけれど、同世代でこんなにがんばる
女性がいることを知るきっかけを得て、とてもうれしい。
彼女がリーダーになったら、お祝いの気持ちを込めて
久しぶりにアメリカの地を踏みたい。
いい意味で変わるアメリカを見たい、感じたい。
さて、どうなるか。

自分より社会、今だけでなく未来。
真剣に考えないと、世界は地球は破滅に向かう・・。
それは絶対に避けたい。

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わたしの何が、誰に役立つのか。

間違いなく、人生も後半にさしかかってきている。
残される時間の長さはわからないが、
それまでの間、少しでも自分以外の人にとって、少しでもお役に立つ、
良き影響を与えられる存在になりたいと思う。

社会のお役に立つとか、そんな大きな、大それたことではない。
行動とは、つねに具体的だ。
抽象的な行動とはありえない。
誰かにいい影響を与えるとは、何等かの行動を起こすこと。
それを受け取る相手がどう感じ、受けとめ、そして生かしてくれるか。

たとえば、自分のコミュニケーションの力が誰のどんな時のお役
に立てるのか。
もっと細かく言えば、
自分の音楽の力が、誰を幸せにすることができるのか。
そんなことも考える。
万人を幸せにすることはできないし、そのように伝えてもいない。
見えているのは、目の前の人たち。その目の前の人を少しづつ増やす、
そんな生き方だ。いわゆる拡散とは真逆のことをやっている。

とにかく、物事を具体的に、より細かく考えて行動していこうと思う
今日この頃。
誰に喜んでいただきたいのか。
お役に立ちたい人の顔をいつも思い浮かべ、自分にできることをする。

抽象的に物事をとらえ、自分なりの世界観、価値観を持ちつつ、
それを持ちながら、行動はより具体的に、きめこまやかに。

さあ今週も、自分の周囲にいてくださる多くの方の笑顔を思い浮かべて。


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「楽しみにしています!」

ここ最近、うれしい言葉のひとつは、
「楽しみにしています!」。
自分と会うこと、歌やピアノを聴くこと、話すこと、顔を見ること・・・。
何が楽しみかは、それぞれあるかもしれないが、とにかくこの一言が
あれば、がんばらねば!とやる気がみなぎってくる。
そして、その人のためにがんばらねば!とも思えてくる。

10年ほど前、新潟のある勉強会で出会った方。
受講いただいたあと、さりげなく渡したディナーショーのチラシが
きっかけで、ずっと奥様とおいでいただいて、しかも、いつも予約は
一番のり。
コロナのときはオンラインでの演劇演奏にもつきあってくださり、
CDもすぐ購入いただき、聴いてくださって・・・。
さらに、季節の美味を送ってくださり・・・。
今回のディナーショーもご夫妻でお申し込みいただいて、
「楽しみにしています!」
のお言葉をいただき・・・。

こんな自分のような存在のことを、楽しみに待ってくださっている
人たちが、この地球上にいてくださること・・・。
これが、やりがいや、生きがいにつながる。

「楽しみにしてます!」
あと3日、2日、いよいよ・・という感じで、
待ってくださる方は、お正月を待つような自分で、1日1日を
数えてくださっているのかもしれない。
私にとっては、違う意味でのカウントダウンであるけれど、
とにかく楽しみに待ってくださる期待に応えたい。

写真は以前の新潟モノリスでのディナーショーの様子。

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気が付けば、みなとまち愛

急きょ実施することにした新潟のディナーショー。11月6日開催。
気が付けば、あと3日しかない。自分ながらびっくり?!
わらじの一足としてこちらの準備も粛々と進めている。
「あ、そういえば会場に掲示するものがいるなあ」最初は少人数の会食しか考えて
いなかったため、今回は事前に何も作っていなかった。
しかし、ここまできたら・・・。2月に長崎でもコンサートをすることにしたし、
ということで、2か所のことをまとめたポスターができた。
26年間、ずっとデザイナーさんに無理を言い続けているが、今回も・・・。
(いつも、本当にすみません。そしてありがとうございます!)

新潟と長崎。そうか~。どちらもみなと町だ。
改めて、自分が少女時代から港町にずっとあこがれていたことも思い出す。
最初は横浜、ときどき神戸・・・。そして新潟に長く通い、ザビエル縁で長崎にも・・・。
ということで、みなと町経験が重なって、結果的にプチツアーすることに。
何も意図していなかったけれど、われながら、なかなかいい組み合わせだ。
まずは、11月6日の本番に向けて、心のふるさとに感謝を込めて。

わらじの1足が脱げないように、頑張って着地するのみ!

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