AIの活躍が目覚ましい。
その存在に人格があるわけではないが、学習力が素晴らしい。
わずかの情報から、多くの関連情報を集め 求めるアウトプ
ットを提供してくれる。しかも瞬時に、である。
今、人間はそんなに努力をしなくても、ほどほどの表現がで
きてしまう。
深く考えることよりも、早くこなすこと、効率を優先するこ
とが日常になりつつある。
今、若い人たちとの協働時間が増えているが、
「はい、AIに手伝ってもらいました」
という会話が日常である今日、その言動に驚いているようで
はいけない。
それもあり。現実を認める。その利点を自分も理解する。
でも、自分にしかできないことをみつけ、極めることを怠らず。
一昨日、地元の初春コンサートに出かけたことはすでに記述し
たが、あれは、まさしく 人間ができる、人間だからこそでき
る生の表現。
ライブとは恐ろしいもので、本番は一回きり。
だから、この上なく演奏する側も聴く側も、ともに緊張するの
だ。
機械のように計画どおりに、安定した音色が出なくても、その
時の演奏者の生き様が見えることで、私たちは感動する。
その人が今、生きていることを、その人のがんばりを感じる
ほど、心を動かされるのだ。
一生懸命やっている姿を一番美しいと思うのだ。
もちろん、そこには一定の技術も求められる。
それも含め、
自分しかできないことをやっているその姿が、感動に値する
のだ。
人間らしいことが、人の心を動かす。
なぜ、それをやっているのか。を問い続けながら、努力する
姿に感動する。
このことを、忘れないでいたい。
AIも時と場合に必要であるが、それ以上に「あい(愛)」を
もって自分しかできないこと、生きていることの証しを示す
ことを希求し続けたい。
来週、成人の日のイベントに向け、若者たちの未来を想像
しながらそんなことが頭をよぎる。
自分にしかできないことを。
まだまだ知らないことだらけ
久しく足を運んでいなかったクラシックのコンサート。
地道に地域で開催され、出演者の関係者、応援者たちが
駆けつける、アットホームな演奏会。
岐阜を離れて40年以上経ち、そんな場にも疎遠となって
おり、コンサートといえば、海外に行った際にクラシッ
ク本場で学び、活躍する演奏家や指揮者の演奏を聴きに
行く(しかも一番安い最上階、バルコニーの端っこの席
で聴くのがお気に入り)
と、今から思えばコンサートに行くこと自体がハレな感じ
であったが、最近は地元での活動にもご縁が生まれ、
時折、足を運ぶようになった。
そこでの学び。演奏家たちの技を見る、知ることももちろん
あるが、最近ではコミュニケーションの視点から、
このパフォーマンスは伝わっているか?という点からも
学ばせていただいたり、何より、知らない曲に出会うこと
が楽しいし、知らない演奏家の出会いもうれしい。
こんな作曲家が、いたんだ。こんな悲しい曲を書いている
背景は、やはりその人が生きた社会が背景になるのだ・・
など、そんなことにも触れることで、改めて音楽の力を
感じ、可能性も感じる、
こんな美しいメロディ。私にも書けるかな。
などなど、コンサートに行くと、自分の内面がワンダー
ランドに変化する。
また、それぞれの年代、経験を重ねてきた演奏家
のパフォーマンスから、その人たちから音楽への愛着を
感じることもうれしい。ただ「音楽という一本の糸」で、
人は結び付くことができることにも、心動かされる。
まだまだ知らない世界、若いときにはわからなかった
味わいが、わかることも新鮮である。
今回初めて聴いた曲。アザラシヴィリの「無言歌」、
ハンス・ジットの「エレジー」という作曲家の作品。
新たな発見。その作曲家自体を知らなかったから、
もっと勉強せねば!
また、バルトークのルーマニア民俗舞曲も、素晴らしい。
民俗という言葉は、大衆文化の象徴。いろんな人々が瞬時に浮かぶ。
そんな自分にとっての新曲との出会い、さらに
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」弦楽三重奏版も心穏やかに。
バッハってこんなに良かったんだ。とコロナ前、
最後に出向いたドイツ。途中下車して駆けつけた
アイゼナハのバッハの家を思い出し、天才は時代を
越えて生き続けることを再認識・・・。
また、楽器ではなく、歌の力も改めて感じる。
人間自体が、生きる楽器である。
魂を込める演奏について、改めて感じ、
人は声だけではなく、表情も含め、全身で演奏
することで、人に存在を伝えることができること
も、改めて学ぶ。
とにかく、まだまだ知らないことだらけ。
もっと知ろう、もっと触れよう。
興味が芽生えるものには、自分からもっと
挑戦していこう。
新春に訪ねた地元でのコンサートから、音楽の
すばらしさ、多様性を改めて学ぶ。
良質なもの、コト、人との出会いを得て、
さらに内面を充足させていきたい。
それが一番の幸せだ。
お声をかけていただいた主催者に感謝して・・・。
欲しいものは何ですか?
「欲望の資本主義」という刺激的なタイトルのコンテンツがNHKで時々、
放映されている。これは自分にとって役に立つ、学びの番組であると、
毎回いろんな学者のメッセージを興味深く拝見している。
社会をしっかり見つめている人が、世の中にいるということを
知るだけでも心強く思える。
たとえば、成長とは何か。
企業の場合、売り上げを伸ばす、利益を出し続けること・・・。
それだけが成長ではない。心から、そう思っている。
経済の成長となると、数字に目がいきがちであるが、
企業の持続的な成長となると、決して数字だけではない。
その中身(仕事の質)、そこで働く人、企業自体の成長ということ
こそが、重要なのである。
何のために存続しているか?お金もうけのため・・だけであっては、
ならない。
企業は社会の公器なる存在であるから。
と長年ずっと思っていることが、このコンテンツでも表現は違えど、
伝えている。
人類のために、社会のために。
そのことをいつも考えながら、自分の生き方を模索すること。
ここが今こそ求められること。
であるが、分断の世の中においては、自分第一主義が大きな潮流
になってきており、自分さえ儲かればよいと国、リーダーが登場
してきているのも現実。
煽れば意図通りに動く大衆。ネット社会は大衆をうまく操る道具
になっている。
そんなことについても、考えさせられる今。
簡単なメッセージに左右され、行動する考えない消費者。
ふと、正月恒例のセール会場に足を運びながら、消費する人たち
を観察していた。
それが本当に欲しいのかな。
本当に必要なのかな。
セールって、何のためにあるのかな。
作り手と売り手の勝手な企み?
それに乗って消費しているだけ?かもしれない・・。
とはいえ、
長年自分も、このセールに恩恵を受けてきたことは否めないが、
最近は、欲しいものはそこにあるのか?
ということを考える。
年を重ねてきたから、もうモノは十分なのかもしれない。
最近、そう思うようになってきた。
欲しいとは?
まさに、欲求である。
それが生きる糧になっている人もいるだろう。
それも理解できる。
お祭り感漂う売り場で、いろんなことを思う。
欲しいものは何ですか?
今は、
欲しいものは、そこには、ない。
欲しいものではなく、欲しいこともなく。
ふと、この平和な日本はいつまで・・と思えてしまう。
平和な世の中が欲しい。自分たちだけでなく、今困っている人
たちも笑顔で暮らせる世の中が欲しい。
と、こんな風に考え方が変わってしまう。
消費の装置としての売り場。
そこにモノを提供し続けるメーカー。
単に利益を上げ続けることだけでなく、それ以上の価値を
提供し、本当に世の中の役に立つ存在でなければ・・・と
正月早々、考えてしまった。
売り場は見る場所。資本主義を感じる場所として、
役立っている。
いつまで、人々はモノを作り、売り、買い続けるのだろう。
生きることと消費について、改めて考えなければ。
自分が長年してきている無駄についての反省と自戒も込めながら。
懐かしき音楽の都へのエール。
写真は、ニューオーリンズのバーボンストリートか。路上で演奏するミュージシャンが
日常の風景となっている町。2013年に訪ねたときの写真であるが、そのときも昼から
町にジャズの音色が空にこだましており、上機嫌な町だと旅の緊張がほどけた。
ありがたいことに、当時は旅の写真の一部をこのサイト(旧スタイル)に残していたため、
今回の事件のあと、久しぶりにこの写真を探し出すことができた。
今見ると、改めて懐かしい。
https://mahsa.jp/world10.html
幸せな新年を、テロ事件がこの街を襲った。
この写真は、ニューオーリンズの街中で、観光客が訪れるジャズのメッカ。
まさしくこの一帯が、事件のせいで、シャットダウンされてしまっており、町の人々は
大きなダメージを受けているとのこと。
この時に再会したあと、ずっと会えて友人、ALEXAにふるさと岐阜の写真付きメールをしたら、現地の様子と悲しみを伝えながらも、日本からのお見舞いメールをとても喜んでくれた。
町から突然、希望の灯が消えたような、新しい年・・・。
地震も困るが、人災もあってはならない。
大好きなプリザベーションホールも、新年を迎えるジャズライブで大賑わいになる
はずが、営業もままならず・・・。心からお見舞いを申し上げる。
世界の分断が、このような形で一般の人々の幸せを邪魔することに怒りを覚える。
とにかく早く日常が戻るように。
ニューオーリンズはマイノリティが作り上げた、音楽の都。
ヨーロッパにも音楽の都はあるけれど、こちらは、黒人音楽、ジャズが花開いた
町。
生きているぜ!と彼らが吹くトランペットや、叩くドラムの音から、「魂」
を感じるのだ。
ルイ・アームストロングの音色と声が、今、頭の中で鳴り続けている。
音楽は平和の証し。音楽は平和の使者。
人種を越えて、海を越えて、信仰を越えて。
音楽がこの世でできることを、改めて問いながら、そして伝えて
いきたいという思いが強くなる。
明るい音色が、この通りで、早く聞かれるように。
皆が笑顔で、往来できるように。
テロなき、戦いなき世界を、こんなに願う必要があるという現実が
悲しいけれど。。。、それを乗り越えて、元気に!!
年賀状とお返し。
これまでは、毎年何百枚と印刷をして、年末に書いて出すのは
どうしても時間がとれないことを言い訳に、元旦に書いて出す、
いただいた賀状にも返事を書く。
このように年賀状は年始の恒例行事であった。
台湾の人にその話をしたら、年賀状は日本しかない習慣ですね。と
言われ、そうなんだと改めて日本のお正月、コミュニケーション
文化に不思議な誇りをもっていた。
自分が出す年賀状は、自分らしくとそれなりに意識してつくってきた。
一方、年々、今年で終わりというメッセージをいただいたり、
おつきあいのある企業からも、年賀状廃止というご連絡をいただくようになり、
その流れに沿ってというわけではないが、例年つくっているカレンダー
タイプは制作しつつ、それ以外の毎年の新柄分は制作を控えていた。
改めてわざわざ印刷しなくても、これまでにつくったオリジナルのカードが
あるし、それをうまく利用すればいい。と思ったのと、
この何年かで、新年への意識も変わったのか、何か正月の特別感が薄らいだ
のかもしれない。
ということで、今年は頂いた賀状のお返しに、これまで創ったオリジナルの
カードも使いながら、書いている。
今年も、何名の方が、今年で年賀状を終わりにしますが、今後ともよろしく
と書いておられる。これからこういったご挨拶がもっと増えていくのだろう。
寂しいけれど、止められない。
筆を執り続けること、書こうと思う意欲と行動が、だんだん負担になるのだろうか?
年賀状といわなくてもいいので、いつでもいいのでハガキ1枚、手紙一通を書いて
出すという根気、元気は生涯、できれば持ち続けたいもの。
だんだん、受け取る年賀状が貴重に思える。
これは日本の良きコミュニケーション文化である。
郵便代の高騰もあり、年賀はがきの売り上げは激減だそう。
デジタルコミュニケーション社会で、ますます年賀状文化は衰退か?
自分が生きている間は、存続してほしい。
これまでいただいた年賀状、全部保存しておけばよかったかもと、
超アナログなことも頭をかすめる、年はじめである。
静けさのなかの、年の初めに。
元旦。
大晦日までの賑わいが町からすっと消え、人通りもまばらな
元旦の朝。
ところどころに、日の丸の旗も見える。
そして、各戸には しめ縄、お飾りなど・・・。
気持ちがすっとする。何より晴天で、寒くなく心地よい。
お正月だなあと思うこのひととき。
海外から訪れる人たちから見ても、これは日本でいう
「THE お正月」であることを感じ、新鮮に思うだろう。
今も昔も変わらない、日本のお正月。
コンビニやファストフードがなかったころは、ほとんどのお店が
休業になるお正月。
ほんとうに、静かであった。
混みあうのは、神社ぐらい。
おせち料理をみんなでつついて、家族みんなで、ゆったり過ごす。
子ども時代は、この三が日は少し持て余していたかも・・。
そんなことも懐かしく思い出す。
今年の初日は、おかげで、静けさのなか、心ゆったり過ごすことが
できた。
実家に出向き、元旦から弾いたピアノの音は、静か故、ご近所には
漏れていたかもしれないが・・・、昨日は激しい曲ではなく
静けさを邪魔しない優しい曲を選んで弾いた。
私なりの、弾き初め。心が落ち着く。書道での書初めでなく
こちらはピアノの弾き初め。
実家に親がいた時代と違う、静かな正月の過ごし方。
これにも慣れてきたか。
そして、来たる成人式(最近は二十歳の集いというイベント名になっているそう)
での演奏の準備もそろそろしなければ・・・。
午後4時を過ぎると能登半島地震の追悼式がはじまった。
被災された方の挨拶には、もらい泣きしてしまった。
あれから1年。
家族みんなで、楽しい時間を過ごしていたはずが・・・。
悲喜こもごもの新年。
静かに過ごしたい。
新年を迎えるアメリカニューオリンズでは、
大きな事故が起きたようで、
テロではなければいいけれど。
現地の友人が被害に遭っていないか心配になる。
正月ぐらいは何のトラブルもなく、
静かに生きていることに、
感謝の気持ちをもち、世界が平和で、そして
無事で安全であることに思いを馳せたい。
今年は1日1日を大切に過ごしたい。
そして、できる限り、静かな時間を大切に。
穏やかに、美しく、伸びやかに。
2025年も幕を開けた。
どうぞ、穏やかな1年になるように。まずは今日を無事に生きていきたい。
そんな思いで朝を迎える。
昨日、2024年の最終日は、1年間の歩き納めとして、岐阜の町を歩き続けた。
目標もあったのだが、2万歩歩いたところで打ちどめ。
もっと歩けたのであるが、悔いなく2024年の歩みを止める。
この2万歩のうちに、最高のギフトを得た。
まずは、大好きな岐阜のかご大仏。
正月は静かに過ごしたいから、大晦日に今年のお礼を言いに行く。
岐阜の大仏さんの表情は学ぶところがある。
穏やかで、優しい。慈しみを感じる。
ああ、こんな表情で2025年は生きたいなあ。
大仏さんを見上げ、お礼を言って、外に出て。大仏殿を改めてふりかえる。
ここの大仏さんは城下町岐阜の安寧を願い、変わる時代を見守ってこられた。
見守る存在があるというのは、ありがたいものなのだ。
と思いながら、さらに歩みをすすめる。
小雨混じりのなか、傘もささず、そのうち晴れると思い、歩き続ける。
岐阜の町は、小雨、雨混じりを歩くのが似合っている。
ふと、大仏殿の背後にある岐阜城を眺めてみる。
今年の見納め。
すると、なんと虹がかかっているのをみつけた。
頂上の岐阜城にかかっているようにも見える。
なんという、幸運。
「また、虹を見た。しかも岐阜城と虹!」
年末の忙しい時間に、往来する人々、車に乗っている人は
何人気づいただろうか?
虹が消えるまで、見続けようと思ったが、今日の虹は長い。
全く消えない。なんで?虹が消えない。消えないと帰れないのに。
自転車を引っ張っているおばあさんが、近づいてきた。ひとりごと。
「ああ、虹。めずらしい。こんな風に金華山に虹、大晦日に虹。
きれいやねえ、素晴らしいねえ」
私も
「ほんとうに、きれいですねえ」
思わず言葉が出る。
「どうぞ、よいお年を」
見知らぬ人と虹の感動を共有できたのも、よかった。
この虹は、信長が見せてくれたのかな。
大仏さんが、ご褒美で出してくれたのかな。
この1年は自分なりに岐阜に思いを寄せて生きてきた。
その真ん中にいたのは、信長の存在だったから。
1年間の締めに、瞬間の自然美に出会い、
ああ、偶然とは必然かもしれず、
偶然に出会うということは、自分へのギフトなのかもと
思ったりする。
ふと、オーロラを見たときの感動を思い出し、
ふるさと岐阜での大晦日は、なんとまあ、
信長が棲んだ岐阜城と虹のコラボレーションに遭遇。
これをモチーフに新曲もできそうだ。
言葉にできない満足感いっぱいの大晦日。
終わりよければ、すべてよし。
本当にありがたい、しあわせいっぱいの一年であった。
さて、2025年はこの感動を胸に、忘れず、
穏やかに、美しく、のびやかに。
さらなる挑戦を成長を続けたい。
2025年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
元旦からお仕事されている皆さんに、心から敬意を表し、
感謝をしながら、自分も普段通りにスタート!
より良く生きたいために・・・。本ブログ、今年も毎日更新を
目指します!
今年の一文字は「魂」
年末お会いした方から、
「今年の一文字は決まりましたか?」
と聞かれ、
「まだです。まだ考え中です」
と答え、あれから1週間。
今年1年を自分なりに振り返り、もっとも共感し、もっとも
そうありたいと思い、目指したことを象徴する一文字
を考え続けた。
その結果、
今年の一文字は「魂」。
これにした理由は、まずは、フジコヘミングさんの生前のインタビューを
聴いて、「あ、これだ!そうそう、これしかない」と思ったことが、挙げ
られる。
「機械みたいに弾いていたら、コンクールでは1番になれるかもしれない
けど、それじゃないんだよね。演奏は『魂』なんだから」
この一言に、どんなに助けられたか、救われたか。強く深く頷く自分がいた。
ずっとそう思いつつも、そう言ってはいけない、ある意味、負け惜しみになる
と思ってきた言葉でもある。
もちろん突き抜けた生涯を生きたフジコさんの言葉であるからこそ、
説得力がある。
私には大した学問も、卓越した技術もない。
ただ、幸運にここまで、生きてきた。
どうして、がんばってこられたのか、
それは何であったかといえば、自分らしく生きるというこだわり。
ブレないという信念、発想と行動、挑戦。
そして、こと音楽については、あらゆる情感の表現。
生きる人間の心の動きを、自分の経験と想像から描きだす。
そして、自分は生きているということを、表現する。
心の奥にある芯のようなもの。
魂はそんな風にも例えられるだろうか。
それがあるかないかでは、伝わり方が違うのだ。
フジコさんのピアノは、とてつもなく悲しく、優しく、美しく。
彼女はこういう人なんだということが透けて見えてくる。
技術だけの、試験やコンクール狙いの表現をしているだけでは
その人自身は見えてこない。
「魂」とは、その人自身。その人の存在の証し。
それを大切に、意識して、生きること。
この意義を感じる、有意義な1年であった。
だから、2024年の私の一文字は「魂」。
明日からも、これを意識し続けて、生きていきたい。
フジコさんはじめ、偉大なるアーチストが遺されたメッセージを
自分たちなりに受けとめ、人に感動を伝える仕事をすること。
最後に、
今年も多くの出会い、学び、気づき、感動を
心からありがとうございました。
1年間、お世話になった皆さま、大変ありがとうございました。
2024年最終日を、最高に有意義に過ごし、1年を結びたいと
思う。
ジュリエットへの愛に、想い馳せ。
今年もいろんな方が旅立っていかれた。
有名、無名・・いろいろあれど、身近であればあるほど、その悲しみは
長く、そして広く影響を与えた人であれば、多くの人が悲しむ。
オリビア・ハッセーもそのひとり。
昭和世代にとっては、「ロミオとジュリエット」の映画でのあのジュリエット役
が懐かしい。
シェークスピアが書いたあの物語が美しい悲恋物語として映像化され、子ども
ながらに、これは実話なのかと涙したあの時代。
そして、何より、布施明との出会い・・。その当時大変話題になったことも
懐かしい。日本が高度経済成長に向けて湧いている時代。
そして、偶然にもそんなことはすっかり忘れて、最近、布施明の歌唱力に改めて
注目し、70代後半になっても衰えぬ歌声を心から尊敬し、目指したいと
思っていた。
オリビアはブエノスアイレス出身であったこと、お父さんは有名なタンゴ歌手という
ことも知り、驚き、いろんな想像も膨らむ。
オリビアの訃報を知ったせいか、さらに布施明の昔の歌が聞きたくなり
久しぶりにベストアルバムを聴く。
つややかな伸びる声は、華やかである一方、心込めれたバラードには、より
心動かされ、その情景がくっきり浮かぶ。
丁寧に歌っておられるからだろう、歌詞のひとつひとつが場面になる。
そのなかで「カルチェラタンの雪」という曲を何度も何度も聴く。
きっとオリビアもこの曲、好きだったのでは?と勝手に妄想する。
パリの石畳をあるく男女。私の中で、この歌の登場人物がいつのまにか
オリビアになっている。
布施明はいつも誰かを思い浮かべて歌っているのかなと思うほど
に、心を現るアーチスト。
具体的に誰かを思えば思うほどに、思いが込められるはずだから。
この時代の歌を聴くと、オリビアのことを思い浮かべていたのかも
しれない。
と、事実はどうか知れないけれど、
改めて俳優、歌手という仕事は、人々に自由な発想や想像を与える
想像的な仕事。
人に感動を与える仕事。
70代での死は早いと言われる今日。
そう70代は、まだまだ壮年。
夢を見させてくれたオリビアに哀悼を込めて、
あの時代をいつくしみながら、
今、布施さんはどんな思いで、歌を聴衆に届けるのだろう。
と・・・。
歌で、愛する人への思いを綴ってほしい。
人生は、ドラマだ。そして、歌は人生だ。
返事がなくても、ありがとう。
今年もあと3日。1年、362日が過ぎたということだ。
改めて考えたら、すごいことだ。長距離マラソンのごとく。
そして、1年という観覧車ももう少しで1周。
1日24時間生きるには、体力も気力も、いろんな力が必要だ。
それらがあるからここまでこられた。
よく考えたら、すごいことだ。当たり前ではない。
生きることをあきらめる。そんなことを考える隙もなく、
やること満載、考えることづくめの1年を過ごせた。
何という贅沢か。
今年は、自分とのいろんな約束を果たせた・・・そんな1年。
それができたのは、ひとえに周囲の方のおかげ。
眼を閉じて、心の中に観覧車を描く。
この1年、またこの1年にいたるまで、お世話になった人、応援くださった人、
思いを下さった方・・・。
いろんな方がにこにこ、乗っておられるのが浮かぶ。
ほんとうに、いろんな方のおかげで、私は生きてこられたと
思う。おかげさまの1年。
そんな皆様にちゃんと挨拶ができたか。お礼は言えたか。
相手がどうであれ、返事があろうがなかろうが、
感謝を伝えたい方には、メッセージを送りたい。
残念ながら返事が来ない方も増えている。
それでも、
「ありがとうございます。おかげさまで、この1年も無事に
自分らしく生きられました。」
と伝えたい。
今日もこれまで来た道を振り返り、お礼を言い忘れた人は
いないか・・と点検。
あと3日。賑わいのなかに、静けさを求めたい。
楽しみのなかに、感謝を示したい。
頭の中で、わが「人生は観覧車のように」のメロディが
オルゴールのように、鳴っている。