行かなくちゃ!

ここに行ったら、あの人を。
そこに行ったら、この人に。

どうせ行くなら、会えるときに!ついでに寄ってみよう。
最近はとくに、東西南北、仕事で出かける時に、
目的地から行ける距離ならば、ご無沙汰している人生の
先輩に会いに出かける。
わざわざそのために行く時間がとりづらくても、
ついでなら、行ける。
意識的にそうしている。

次はないかも?お互いそうだ。
と思う故、会えるときに、会いに行こうと思う。
動ける方が動けばいい。
どちらも動けなくなったら・・・そんなことは考えない。

30年以上おつきあいいただいている、マーケッター、
プランナー、プロデューサーとしての先輩。
脱サラして、起業してその世界で食べていく。
その背中を見てか、私もできるかな?
影響を受けたその先輩。
一回り上になる。
若い時は、大阪で大変お世話になった。
公私ともに本当によくしていただいた。
応援していただいた。
「よー、がんばってるな~」と言ってもらえると
うれしかった20代、30代。

ご自身も、いろんな挑戦をされてきた。
自分で企画し、事業を興し、大阪を拠点に
しながらも、世界にも足を伸ばし、
ご自身のしたいことに常に挑戦されてきた。
なんでもやれるなあ。やろうと思ったら
やれるんだ。
自分の背中を押してもらった一人であることは
間違いがない。

気が付けば、30年以上、おつきあいをいただいて
いる。
「もうやりたいことやってきたし、
やり残したことはないわ」
と昨日も言われた。

あと何回会えるだろうか。
と思ったら、大阪の南まで行くついでと
追加の移動時間含め、3時間の余裕があったら、
迷わず、出向く。

富田林の寺内町。
その地を気に入り、14年前からそちらを拠点に
ライフワークである「和の心」を、茶事を通じ
伝える活動を積極的にされている。

10年後、私もこのように精力的に発信できる
だろうか?
ずっとそう思ってきた。

久しぶりに会いに行き、齢を重ねながらも
ひとたび向き合って座ると、昔と変わらぬ
元気なトークが飛び出し、まだまだやるぞ!
と気合が伝わってくる。

会いに行って良かった。
帰りの電車でほっと一息。

また会いに行こう。
最初遠いと思っていた駅も、何度も行けば
近く感じる。
会えるときに会っておこう。
話せるときに話しておこう。

人生のこと、仕事のこと。
なぜか、話題がつきないのは昔から。

ふと、手書き時代の企画書を思い出した。
その方が最初に、企画書というものは
こういうものだと見せてくださった。
プロが書く企画書。
その後、見せ方は進化したが、魂を込めて紡がれたことば、
鋭い目線の市場分析、斬新なアイデアは今も十分通用する。
そんなインパクトのある企画書であった。
「ワタシ、まだ企画書書けるわ」
何年経ってもそんな言葉を聞けるのが嬉しかったことを
思い出す。

久しぶりにお会いして、いろんな記憶がよみがえった。

また、会いに行こう!

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貧しくなっていないか?

世界で最も貧しいと言われる、ウルグアイのムヒカ前大統領の
訃報に接し、何とも悲しい気持ちになった。
フランシスコ教皇に続き、善良なる、尊敬する人がまた一人
いなくなられるとは・・・。

お会いすることはなかったけれど、発信されているメッセージ
から、なんと素晴らしい方、お手本にしなければ!と何度も
思い、勝手に親近感を抱き、そして尊敬し続けた。
ああいう人にならなければと、ニュースを見るたびに、
思ったものだ。(すぐ忘れてしまうのだけれど・・・)

一時、日本でも「清貧」という言葉が流行ったことがあったが、
それよりずっと前から、その生き方を貫き、人々に尽くされ、
愛された真のリーダー。
まずは、自分から。その姿勢は感動的であった。

ムヒカ前大統領は、
「貧しい人とは、お金やモノをもたない人のことではなく
たくさんもっていても、満足しない人のこと」
といった内容のメッセージを残されている。

本当にそうだ。
ムヒカ前大統領は、決して貧しくない。むしろ世界一豊かな方だ。
広く、深い心。利他の心。それを大切に生きたお方だ。

一方、自分はどうだろうか?
貧しくないだろうか?
不満を言っていないだろうか?
不満を言うということは、満足していないということだ。

今一度、ムヒカ大統領の生き様を学び直し、
満足の意味を再度理解し、感謝の気持ちで生きなければ。

こういったリーダーこそ、長生きしてほしい。

心から、その存在に感謝を込めて、祈りをささげたい。

今日に感謝し、満足し、少しでも追いつけるように
努力したい。
まずは、自分から。

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ち・ち・ち でいこう。

AIの情報処理能力にはびっくり!である。
それだけ、この社会には情報があふれている。
AIが自動学習できる素材がそろっている。
このAIが繰り広げる人口知の世界。
こんなに情報があるのだから、もっと勉強せよ。
と人間への警告、警鐘ともいえる。
驚いて、感心している場合ではない。
主役は人間なのだよ。
考えなければならないのだよ。
技術が進めば進むほど、哲学が必要なのだ。

この「人工」市場の勢いが止まらない。
AI産業が世界中で加速、拡大している。
それだけでは人間は幸せにならないような
動物的な予感がする今日。
ときに立ち止まり、考える必要もある。

これから、しあわせな社会を実現するならば、
とこんな言葉が頭に浮かぶ。
「ち・ち・ち」

3つの「ち」。
ひとつは、インテリジェンス「知」の「ち」
ふたつめは、その土地に根差す「地」の「ち」
そして、愛のある「血」が通い合う「ち」。
これらのバランス、融合。

知だけではダメだ。
知識があっても、人の心や故郷を大切にできなければ
意味がない。

他の切り口もあるが、まずは3つの「ち」のバランスを
大切にしたい。

知の先行、は、時に偏りをもたらす。
時代の変化とともに歩を止めず、でも常に考えよう。

混迷の時代。自分らしい生き方を、折り合いの付け方を
常に考え、前に進むとしよう。







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信長への願力、届く?

雨があがり、山にかかっていたもやの上から金華山が見える・・・。
山頂にはさっきまで隠れていた岐阜城が姿を見せた・・・。
まるで水墨画。
モノクロの写真であるため、幻想的であるが、こんな
景色の眼前にコンサートは開催された。
雨あめ 上がれの願いは天にいる信長さんに届いたのかも!

「鵜飼開き 愛の夕暮れコンサート」。
開始1時間半までは降っていた雨。でも、念力?願力が届い
たのか、
おかげで、今年の初チャレンジ ミッション1日目は無事
予定通り、開催された。
会場の両脇では、「長良川夜市」も開催され、美味しい匂
いがたちこめ、鵜飼びらきを寿ぐイベントとして人も集ま
ってきた。

長良川の流れは普段より速く水量も多い。鵜飼をするには
・・と素人的には気になったが、小雨のなか鵜舟は準備を
しており、コンサートのあと、予定どおり鵜船は岸を出た。

今回はわが鵜飼のテーマソング「やがて・・・」に加えて、
信長のテーマにしたピアノ曲「NOBUNAGAの夢」の楽市
楽座に歌詞をつけ、タイトルも「楽市楽座~ながらよいち~」
として初披露。
常連さんにもおいでいただいたが、皆さん、屋内のコン
サートとは違う感じを味わっていただいた様子。

風情があったとのお声もいただき、気持ちよかった。
癒され、夫婦で楽しい時間を過ごせた。
岐阜城と金華山、長良川とマーサのコラボが良かった
・・・などうれしいお声をいただいた。

5月の土曜、あと2回の開催。
来週24日には、さらにプログラムもバージョンアップ
してみるか。
と考えながら、帰路につく。
お客様にも喜んでいただけたのは何よりであったが、
自分にとっても心が洗われる時間となった。
幸せな人生。まさにラビアンローズ。(こちらも演奏)

見知らぬお客様が足を止めて拍手をくださったり、
コンサート後に声をかけていただいたり・・とうれしい
出会いも。
初めての方に聴いていただき、気に入っていただくことも
大きな歓びだ。

改めて 機会をくださった長良川うかいミュージアムの
皆さんに感謝したい。

さて、来週は晴れるだろうか。

そういえば、最近岐阜を訪れる観光客が増えているような。
うれしきこと。
そんな方にもぜひ聴いてほしい マイソング。

掲載写真は、岐阜でいつもお世話になっているR。Tさんに
よるもの。相変わらず被写体の表情を抑えるのがとても
素晴らしいと感心。(モデルは経年劣化しているが)
モノクロがとくに素敵。

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雨あめ、あがれ!本日初日!

いよいよ、念願の長良川を前に、岐阜城を見上げての
コンサートがはじまる。
昨日は楽器や機材を搬入。現地は初夏を思わせる暑さ
でありながら、川風が吹いて、爽快。
鵜飼も11日からはじまった。それから最初の土曜。
今年も長良川夜市がはじまり、同じ会場での開催。
長良川夜市2025の開催について|岐阜市公式ホームページ

鵜飼のはじまりを待つ、夕暮れどき。
道行く人に、主催者いわく「チル」なひとときを過ご
してほしい。
まったりを時を過ごす。ゆっくりとくつろぐ。という
時間。

そう、日ごろ頑張って生きているとたまってくる心の
澱も清流に流して、すっきりした週末になるといい。

とにかく、私にとってはこの最高のロケーションで、
長良川の鵜飼をテーマにつくった「やがて・・・」や
信長、ふるさとにまつわる曲を演奏できるということ
が奇跡。生きていて良かった。ここに生まれて良かっ
た!を改めてかみしめる。

ふるさとのみなさんに感謝しながら、そして、
今日もまたきっと新たな出会いが?

と書きつつ、追いついていない準備を急ごう。

どうか、雨があがるように!
鵜飼が予定どおり実施されるように!

鵜飼開き!
ふるさとの、世界の平和を祈念して。

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どこで出会うかより、どうつきあうか?

人との出会いは、ある意味くじ引きのようだ。
残念ながらというか、宝くじではない。
直接、間接さまざまな出会いを得て、そこからおつきあいが
始まり 時間を共に重ねる。
大切なことは、どれだけのコミュニケーションがとれたか。
どれだけ相手に信用され、自分も信頼できる関係になれたか。
時間の長さではなく、やはり心を通わせて関わることが
できたか。

公私いずれの場合でも、共感できる相手と巡り合えたら
それは長いおつきあいになる。
人として、相手を大切にしたい気持ち。
それが生まれてくるのが、人との出会い、おつきあいの
本来のあり方かと思う。

今はオンラインだけの関係も増えている。
その人を本当の意味で知ることなく、限られた情報の
なかで一方的に相手のことを決めつけたり、ときに
相手の立場も考えずに、伝わらない行動をとって
しまうこともあるかもしれない。
そういう環境では、良好な、健全な人間関係は
育まれないと思う。

出会いの仕方はいろいろあれど、まずは謙虚に
関係を大切にしながら、
小さな感謝を重ねながら 信頼の関係を
育てていけたらと思う。

世代の差、環境の差、人と自分との間には
つねにさまざまな違いがある。
そのなかで、お互い学び合い、生かしあい
長く付き合いたい人をみつけていくこと。
が、成長や幸せにつながると信じたい。

毎日、いろいろあれど、
出会いはある日突然に。
それが吉になるか、凶になるかは、
運しだい。ではなく、自分次第でもある。
と思う今日この頃。

生涯の友。
これからも、大切にしたい。

大切に思ってくださる方がいる限り、
応援してくださる方がいる限り、

ときにはから元気であっても、
つらいことがあっても、大丈夫!

と、その人たちの顔が浮かぶ。

人を大切にしたい。
それがわかる人と、
長くおつきあいをしたい。

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やっぱ、いいまち、にいがた。

新幹線が新潟駅に到着。ドアが開くと、何とも言えない開放感を感じる。
そして、「お帰り」と言われているような気がしてくる。
ここ、ふるさと?そんな錯覚になる。
そして、
10数年前、一緒に新潟にたどり着いた台湾の仲間達が、
「空が広い〜」と感動していたのが、昨日のことのように思い出される。


そう、新潟はやはり空が広い。心が大きくなる。
今回もそう思った。気分がいい。歩いていこう。
歩いていたら誰かに会うかもしれない。

駅から萬代橋に向かう。少し時間があったため、橋の途中まで歩く。

ああ、来た来た。この景色が大好きだ。よく歩いた。
万代橋は私にとって思い出がいっぱい。
わがふるさとを想う曲「みず・つち・ひと」はここを歩いているときに
生まれた。そして、新潟出身のマジシャン クロッキーさんゆかりの端。
いろんなことを思い出すと胸が熱くなってくる。新潟はそういう町。

私はこの町になんと、18年も通ったのだ。通わせていただいたのだ。
いつか、上越新幹線 新潟~東京に乗る最後の日が来るのだと思っていたが、
今も時々載せてもらっている。
そう、新潟との縁は切れない。まだまだ終わらないのだ。

万代橋を見て信濃川に挨拶してから、新潟の仲間と次々に会う。
仕事の課題を聞く。これ困っているから頼む。そんな相談を受ける。
歳月を経て、お互い年を重ねたけれども、変わらない親友は今も現役。
新潟での活動の機会を与えてくれた仲間には、足を向けて眠れない。

引き続き、25年前に起業されたIT企業の社長に会い、その企業の社員とも
しばし交流。
新潟というだけで、親しみを感じる。
なんだろう。

京都と同じ感覚だ。
新潟は、いつの間にか私の心のふるさとになった。
京都、東京に並ぶ自分のふるさと。

気が付けば、まだすぐ帰れないのに、新潟の野菜を買って
いる自分がいる。
そう、東京に住んでいるときも、新潟で野菜を調達するのが
楽しみだった。

にいがた。
なんで、こんなに愛しいのか。
みず・つち・ひと。そう、人だ。

新潟の地、人の魅力をこれからも私なりに伝え続ける。


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日々の悩みは生きてる証拠。

親の代わりに、草ひきや小枝の伐採等など庭の手入れをして
くれる叔父。健康のためにと、親たちがそれをできなくなって
から、すすんで担ってくれている。もう数年になろうか。
自分の仕事として、自身のペースで週に何度か時間を決めて
やっていただける。本当にありがたい限り。
庭がきれいだと、家も喜んでいる。

こちらの健康にも気を配ってくれ、気遣いの声をかけてくれる。
「よー、はたらくなあ。」
といい、「無理するな」と草をむしりながらの会話。
「時には、ストレスもたまるわ。」
「そりゃ、仕事してたら、ストレスはしようがないなあ」
「もうこっちは引退したから、気楽なもんや。ストレスはない。
自分ひとり、こうやって庭いじって、自分のペースで」

そんな言葉をくれる。なぜか癒される。
庭いじり、孫たちの送迎、ボーリング、ときにゴルフ。
毎日しっかり予定を組んで、計画的に生活している叔父も
気が付けば70代半ば・・・。
自分を生まれてから知っている数少ない一人。
貴重な存在だ。

そう、仕事をしているといろんなことがある。
日々、この人間社会で生きていればそうである。

いろんな人間関係を乗り越え、自分らしく生きていくには、
それなりの葛藤もある。思い通りに行けないこともある。
流されていく辛さを抱えている人もいるだろう。
まあ、人間関係の悩みやストレスとは、まさに生きて
いる証拠。現役である証しなのかもしれない。

それに反し、高齢者施設での光景が浮かんでくる。
父が病に倒れ、病院から施設に移ったときは、まだ元気も
あり、普通の生活に戻りたいという欲求もあり、いろいろ
やんちゃをしてくれた。施設の方にも何度も謝りに行った。
父なりのストレスの発散であったのだろう。
おれは生きているぞ!俺は好きにやるぞ!何が悪い!
という感じだった。

でも、だんだん元気がなくなると、そういうこともなくなり
おとなしくなった。
他の入居者も同じように、おとなしくなり、反応が鈍くなる
方もおられた。そこには人間関係というのはあまり見られず
個々の高齢者が介護してくれる人の世話になっているだけ
という関係であった。
働く側にはストレスはあると思うが、被介護者には、
そんな力もなくなっているように見えた。

人間関係で悩んでいるうちは、まだ元気なのだ。

仕事していれば、ストレスはある。
ほんとうに、そうだ。
その葛藤とどうつきあうか、折り合いをつけて前に進むか。
人間関係を避けての仕事もあるが、
多くは人と人とのかかわりのなかで、生産したり、販売
したり・・。
人の力がもたらす、プラスとマイナスの両面を活かしながら、
ミッションをいかに果たすか。すぐに〇〇ハラと言われる
世の中、うまくコミュニケーションをとりながら、仕事を
するのも難しい時代。変化に対応していかねばならない。

生涯現役を目指すならば、ストレスともおつきあい
し続けねば。もちろん程よいストレスのなかでの
持続性を求めていくのが良い。

庭いじりをしてくれている叔父には、本当に
教えられる。
人生の先輩を大切に、感謝して学ばせていただこう。

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確かにイケてるだけに。

最近、身近なところでchat GPTなどの生成AIを使うケースが
増えている。
その言葉は、毎日のように耳にするようになった。
2年ほど前、「生成?」その用語も聞き慣れず、へんな
ネーミングだと思っていたが。

先日もある企画書を作るときに
「このイラスト、生成AIで作ったんですよ」とある方。
自分が指示した内容と出来上がった作品について、
説明され、まあまあですねとの評価。
「これぐらい作れるならばいい」という感じ。

私も実際にどの程度の文章作成力なのかを実感したく
問いかけをしてみる。
この問いかけの仕方こそが、ポイントのようだ。
人間とのコミュニケーションとも共通する。

相手をどういう存在として位置づけるか。
どういう役割を担ってほしいか。

最初にその定義づけをしておくと、chat GPTも
それに従って学習した言葉で目的に沿った
アウトプットをしてくれる。

驚くのはその時間の速さだ。
ひとつの問いかけをすれば、瞬時にその答えが
出てくる。
問いかけの意図が相手(あえてそう呼ぶ)に
伝われば、期待した文章が時間と手間をかける
ことなく入手できるのだ。

生みの苦しみを伴わない創造とは?
ここは考えねばならないが、使う側の
力量によって、使いこなせるツールであることは
確かなようだ。

学生がレポートや論文でよく使うのもわからなく
はない。
もちろん先生からすれば、これは「使ったな」
とまだわかるレベルだそうだが、いずれ
見分けがつかないほどに、精度アップする
日も遠くないだろう。

感情もなく、血も涙もないが、
それでもコミュニケーションの相手になりうる。
仕事のパートナーにもなりうる。
期待と怖さを同時に感じつつ、
あくまでも、使うのは人間だ。
使われてはいけない。
と自らに言い聞かせる。

それにしても、AIの成長は凄すぎる。
これを活用しながらも、人間にしか、自分にしか
できないことを真剣に問い、自己研鑽しなければ。

その人がゼロからやったことか、
AIとの共同作業か。
見分けがつかなくなる日が来るのは
心配もある。
それでいいのか?と。

魂、思い。伝えたいという意志。
感動、共感・・・。
これを大切にしたい限り、自力で書かねばならない。
と私は思うが、それも人それぞれか。

改めて、
便利な使える、イケているツールだからこそ、
人間が主役でなければならない。


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旅先でも平和を祈って。

GW後の1週間、京都は少し人出も少なめ。とはいえ、
一般の観光客ではなく、修学旅行生のご一行は元気に入洛。
京都駅コンコース内で座って先生の話を聞く姿は、今も
健在。
これは、今も昔も変わらぬ京都の風物詩的光景のひとつ
かもしれない。
(内外ともに他の町では、見たことがない)
京都を訪ねる生徒たちの姿を見て、次の観光シーズン到来
を感じる。

インバウンド客はといえば。円安が続いているため、日本の
人気は高いまま。日本人観光客が少し落ち着いた先週、外
国人の姿が目につく。
それにしても、いろんなところを歩いているものだ。どこに
行っても外国人がいる。個人旅行では一人旅も、カップル、
3~4人のグループも多い。

四条通を歩いていたら、声をかけられた。
なぜか、声をかけられやすいのか、そういう機会が多い。
4人ほどのグループだ。
英語が話せるか?と聞かれ。少しならというと、
「ワタシハ ドコ ニ イマスカ?」
と日本語で質問された。ああ、道に迷われたのだ。
そのあとは、つたないながらも英語でやりとりする。

錦市場に行きたいようであるが、どこかで間違って西に
来てしまったのだろう?
歩いたら、ちょっと遠いですよ。というと、スマホを
見て、「1キロメーターだから。遠くないよ」。
そう、世界中のツーリストにとってスマホは大切な
お供である。
そこは、四条大宮であったので錦市場までの行き方を
伝えると、一同 よく分かったご様子。
お礼を言われた後、どこから来たのかと尋ねてみたら
「ワタシハ イスラエル人です」とまたもや日本語で回答。

そうなんだ。
平和を祈ります。早く戦争が終わるように祈ります。
というと、一同、笑顔で頷いた。

イスラエルの人々にとっても、今の世界情勢は決して
嬉しいことではないはず。
国と国民はイコールではない。
平和な日本に来れば余計にそれを感じるだろう。

旅先では、危険を感じる国もあるが、
日本ならば、まだ安全で、平和を感じることができる
はず。

穏やかに1日を過ごせる幸せ、それを守ることの大切
さを京都で 日本で感じ、その平和の心を自国に
持ち帰ってほしい。

グルメや観光地の楽しみだけでなく、
その楽しみを守り続けるための努力について
感じ、学んでいただけたら。
世界遺産を破壊していく心ない国もある。
そう思えば、今の日本は平和を学べる貴重な場
でもある。

瞬間にでも出会った人と平和を願い、誓う
ことができる。

こんな小さなコミュニケーションからも平和は
生まれると信じて。

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