企画する人たちへの応援の仕事。
提案書のチェックというのも多い。
とくにコンペの場合の企画書は客観的に事前チェックをすることは
有効だ。
直前になればなるほど、もう企画段階の話ではなく、プレゼンのテクニック
の話になる。
たとえば、企画書など提案する資料が、相手にとってどんな印象になると
より伝わるか。コンペであれば、いかにプラスイメージで目立つか。
真面目なだけでは興味をもってもらえない。
たとえば、表紙は大切だ。
「本文に出てくるエッセンスを少し表紙でちらり見せたら?」
「相手の組織のイメージは、花ならば、そんなイメージを表紙に入れて
雰囲気よくしたら」
「もっと色をカラフルにした方が見やすい」
「通し番号をちゃんとつけた方がいい」
受け取った相手にとって、不便なないようにしておかないともったいない。
せっかく考えたプランがそのまま、スムーズに相手に理解されるように。
そのためにも、目立ってなんぼ!
AIDMA的にもそこは、やはり最初の重要ポイントなのだ。
それにしても、プランナーと言う仕事。
私も長くなっていた時代があるから、苦労もわかるが、皆さん素晴らしい。
ゼロから形にする仕事は、本当に大変なのだ。
なんとか、せっかく考えたことが、カタチにできるように、
心からのエールを送る。
目立ってなんぼ。
即興力を生かす。
ピアノに向かうと、そのときの感情がキャンパスに絵を描くように
メロディーとなって現れる。
指の赴くまま、心の動くままに、音を重ねていくと一曲の小品ができる。
そのひとときを、たまに楽しんでいる。
ピアノがなく、歩いていて歌うときでも、同じことが楽しめる。
ちょっと贅沢、心豊かになれる、ひとときでもある。
但し、録音や記録しないと、その時限りの作品として消えていく。
不思議なことに、子どもの頃から、この即興が得意であった。
何も考えなくても、鍵盤の前に座ったら、勝手にメロディが
出てくる、勝手に指が動く。
確か幼稚園の頃、オルガンに向かってもそうだった。
また、聞いたことある曲が弾けたり、勝手に伴奏を付けたり・・・。
演奏には、楽譜どおりきちんと弾くということはもちろん
重要であるが、即興や初見という力も求められる。
そのどちらもなぜか得意だった。
即興はまさにアドリブ。ジャズのごとく、すらすらと湧いてくる音を
弾いていく。初見は、知らない曲の楽譜を見て、すぐ弾けるかどうか
というもので、どちらも努力や練習を要さない、芸当?で
練習不足、努力が嫌いな
私には都合が良いものだった。
それで、ごまかしてきたことも正直、あったかもしれない。
アドリブができると、実はずるくなる。
しっかり記録をとったり、何度も練習しない。
その場その場で、ごまかせることで、満足してしまう。
努力した上で、アドリブができるのが一番良い。
自分のオリジナル曲のほとんども、もともと即興から生まれた。
歩きながら、浮かんできたメロディを記録してという流れ。
作曲とはそんなものだと思う。瞬間芸の集積なのだ。
この即興力。
日常では、柔軟性とか自由に置き換えることができるか
もしれない。
その場の発想、着想をうまくカタチにしていく。
もっともっと、意識して生かしていきたいと思う。
即興。
もっと人生のなかで楽しみたい。
ピュアな才能が見える瞬間でもある。
そのためには、やはり日頃からのインプットが
大切であり、
出会いがしらのアクシデントも意味
があるのかも。
もちろん新たな出会いが多いことも
豊かな発想につながるだろう。
父なき、父の日。
今日は父の日だそうだ。
ここんところ、〇〇の日にはアンテナを張らなく
なってきたせいか、最近までその日も忘れていた。
昨年の今日、父は生きていた。でも、コロナで会えず、
また寂しい毎日を送っていた父に、元気な頃のような
プレゼントはできなかったが、手紙を書いて
届けた記憶がある。
それが今から思えば、最後の父の日。
父なき記念日は、寂しさが募る。
実家に咲く、紫陽花を1本持ち帰る。
そして、
父との会話を思い出すが、気になる言葉ばかりが
蘇る。
「わしの人生、終わったわ」
「おれの気持ち、おれにしかわからん」
免許返納後、そして病に倒れてからの
父の心の叫びが蘇ってくる。
そのことに、何もしてあげられていなかった
ような気持ちになる。
人生はずっとピークではありえない。
下り坂が必ずくる。
父のことを思い出す。
いろんな顔、いろんな場面・・。
そして、ふと、ピアソラが亡くなったお父様のことを
しのんでつくった「アディオス ノニーノ」(さよなら、お父さん)
のことを思い出し、ブエノスアイレスから持ち帰ったバンドネオンの前に、
紫陽花をおいてみると、あのメロディが蘇る。
自分が撮った長良川の漁火の写真と、紫陽花と、ピアソラ・・・・。
(漁火も父を想い出す、ふるさとのシンボルだ。)
私にとっての今日の父の日は、不思議な組み合わせ。
父を静かに思い出し、懐かしむ1日にしたい。
会いたくなるのが、たまらないけれど・・・。
3分をコツコツ重ねる。
1日24時間、1年は365日。ここまでは皆、平等に与えられた時間。
それをいつまで続けられるかは、わからない。神のみぞ知る世界だ。
でも、今日目覚めた以上、1日はあるし、明日もあると思って生き続けている。
その1日24時間。どう過ごすのがいいか。
気が付けば、予定していたこと以外のことに時間をとられてしまうことも
ある。それはそれでよし。
でも、そんな日々でも、自分で決めたことをコツコツ続ける習慣は大切に
したい。
わずか1日3分。この時間であれば、なんとかやりくりはできるだろう。
3分ならば、無理せず、できそうだ。
たとえば、最近は、簡単なダンベル体操を朝メニューに加えた。
どうしても、二の腕が気になって、それをなんとかしなければと思ったから。
ピアノを弾くと、そこは気になる。なんとかしたい・・と、そんな動機。
わずか3分では、本式ではないかもしれないが、やらないよりはいいだろう。
と片腕3分、限界の手前まで動かすようにしている。
ラジオ体操に、プチヨガに、ダンベル・・・。毎朝することがどんどん増えている。
でも、3分づつ足していくことぐらいは、まだできそうだ。
小刻みに、ちょっとづつ続ける。そしてできることを少し延長していく。
それでもいい。
とにかく、小さなことを続け、積み重ねる努力。
このエクササイズは、かなり効果的だ。
これから、ますます気になることが増え、3分○○がどんどん増えていくかも
しれないが、楽しみながらトライしたい。
誰でも、3分ならできる。
まずは、そこから。
元気な朝をはじめよう!
隣人からも、刺激。
今取り組んでいるプロジェクトのひとつは、
社内報をつくる仕事。
チームのメンバーで、アイデアを持ち寄り
ミーティングの場で各自説明し、
意見交換を行う。
アイデアを持ち寄ってほしいときは、
全員から意見を出してほしいときには、
フォーマットを作成して、そこに
記入いただく方法をとる。
考えたものを文字にすることは大切だと
思うから。また紙や画面に向かう瞬間、
真剣にそのことに向き合うことができるから。
大人になって、「宿題」というのも
申し訳ない感じもするが、
でも、ちょっと楽しくもある。
プチ非日常のひとときにもなる。
また、この宿題への向き合い方で、会社や
そこで働く人たちの真面目さもわかる。
今回のチームの皆さん、全員、大変まじめだ。
ギリギリまで知恵を絞ってくださって、その結晶を
会議で発表。
「へ~。そうなんだ~」
「すーごいなあ。」
「いいねえ~」
「さーすがー」
メンバーから感嘆の声や、ため息も出る。
わずか1時間の会議でも、
お互いの個性ある発言が多く出されて
刺激になったようだ。
普段とまたひと味違う、コミュニケーションタイム。
ちょっと緊張してはじまった会議も、笑顔で締まる。
毎日、隣に座って仕事をしている仲間とも、
新しいことに取り組むことで、
刺激を交換することができる。
プロジェクトの醍醐味はこの「刺激」の交換である。
新しいことを生み出すことは、しんどさもあるが、
それを乗り越えると、楽しさに変わる。
みんなでいいものをつくろう!
私自身も、毎回新鮮で、大変刺激的だ。
同じテーマを取り組むチームでも、組織によって、人によって
まったく違う展開になるから。毎回が新しい。
机を並べて仕事をする隣の仲間や、
ひとつ屋根の下でともに暮らす家族など
身近なところからの刺激こそ、まさに「刺激的」だ。
お隣さんからの発見、気づき、学びを大切に。
いのち、尊し。
永遠の上司が、この2月に90歳で旅立たれ、やっと奥様にお会いすること
ができた。もう100日が経過した。
末期の入院の様子も教えていただき、そのときの写真も拝見しながら、
お元気いっぱいの時代の写真や、家族としてのエピソードもたくさん
お聴きしながら、ああ、こういう人生だったんだ。と新たな発見もあり、
静かに感動。幸せな人生を生きられたことが嬉しく、またその一コマに
自分も参加できたことをうれしく思った。
そして、人生は周囲にいる人とともに、育まれるものであることを知る。
一方、人生の相方が先に旅立つというのは、寂しいものであるのだなと
想像し、残って生きるという運命についても、考えさせられた。
夫婦が60年以上も寄り沿った時間というのは、本当にその人の人生そのものであり、
ともに生きた時間は永遠であるのだ。
親を亡くすのと、相方を亡くす心情は、どうやら異なるようだ。
奥様によると、
親が亡くなるのは悲しい、連れ合いが亡くなるのは寂しいそうだ・・・。
経験してこそ、実感できることなのかもしれない。
「いつ、帰ってくるのかなと今も思いますよ」
写真を見ながら、毎日話しかけておられるという。
愛する人との時間は限りあるけれども、一日でも長く、一緒に過ごしたい。
悔いはないけど、もっとこうしてあげたかった。と、今も思うことがあるそうだ。
いのちが寿命とともに絶えていくことは、寂しいけれど、いつかそんな日が来る。
一人の人が生きていてくれることで、自分の人生も豊かに、いきいきとしたものに
なる。
いれば当たり前かもしれないが、いつかいなくなるのだ。
いのちって、本当に尊い。
生きているだけで、存在だけで、それだけでいい。という思い。
いのちは尊いのに、
異国では、毎日多くの人が戦争で亡くなっていく。
まだ続くのだと、報道されると、人間は本当に愚かであると
嫌になる。
いのちこそ、すべて。
いのちは、尊いのに・・・。
改めて、仕事だけでなく、
生きること、命の尊さを改めて教えてくれた 上司のご冥福を
感謝を込めて祈りたい。
そして、一刻も早く平和な世の中に・・・。
気が付けば、マイノリティ。
わが人生、ふりかえれば、
人がやっていることをやらないことが多い。
結婚、運転免許、法人としての仕事、ゴルフ、そしてSNS・・・。
どちらかといえば、多くの人がやっていて、そうしていて当たり前のような
ことをやっていないことが多い。女性であれば、ということもあまり・・
である。
あえて、そうしている面もある。
結婚って?何のため?契約したら安心なの?
車はエコに悪いし、事故につながるし?いつか返納しないといけないなら。
仕事をする形態はさまざま、株式会社という箱でしか仕事はできない?
それ以外の極め方もあるだろう。
ゴルフは・・・環境にどうかな?あくまでも目的ある人たちの社交場かも?
そしてSNS。拡散する広がりよりも、孤独でも深く考え生きる方がカッコイイ。
コミュニケーションの量と質。後者が大切。
と、そんな具合に、若いときから、そんな具合にひとつひとつの当たり前に
疑問をもちながら向き合い、そうでないと生きられないのか?と試している
自分がいる。
結婚をいう選択をしないで、人生最後まで生きられるのか?
まあ、人さまから見たら、とくに男性社会の目線からすれば、おかしいと
思われる点も多いのだろうと思う。
考え方や人生の価値も違うから、それをやるという選択は
人それぞれ。
自分がいいと思うことをすればよいし、しなくてもいい。
することだけが選択ではなく。しないのもひとつの選択だ。
でも、人それぞれであるので、他の方の選択はもちろん
尊重する。その人に良ければ、良い。押しつけはなし。
と、思えば、どんどんマイノリティに突き進んでいるが、
ダイバーシティ、インクルーシブという言葉は、本当の意味で
すべての価値観にもあてはまってくるのかもしれない。
自由に、でも責任をもって。
自由に、いい調和を目指して。
違っていても互いに尊重、理解できればいい。
どこまでできるのか。わからないが、
自分らしく、個性的に生きるということは
時に勇気も必要。
と、ずっとそんな道を歩んできている。
最後、自分を貫き、「らしく」終われたら、ラッキーだ。
「十人いたら、十人することをやっていればいい」
と、子供の頃の反面教師の教訓が今にも生きているのだろう。
十人いたら、みんな違う。それぞれ違っていいと
ずっと半世紀以上、そのように思ってきた。
子どものころから、そのことだけが、きつく
沁みついてしまっているのだろう。
新たな仲間、世界へ。そして。
先日知り合った、長崎の被爆体験を朗読で伝える活動をされているグループ。
その主催者とのやりとりが続く。
地元では、継続的に様々な活動がなされている。「9日と言う日を忘れない」
と、被爆体験を9日の日に、朗読で伝える活動があるということも知らなかったし、
7月には広島の団体との合同の体験を語り継ぐイベントもあるようだ。
今回の出会いで、これまで接したことがなかった新たな世界を知ることになる。
なぜ彼女がこの活動に深くかかわることになったのか、その動機や
いきさつは、まだお聞きしていないが、長崎に生まれ、育った方であれば
なんらかの問題意識はもちろんお持ちであろうし、積極的な方は
新たな活動を広げていかれるだろう。もし。自分がその立場であったら
そうしていると思う。
現地で使命感をもって取り組まれている様子がひしひし伝わり、
私なりにも長く応援できればと思っている。
長崎にも足を運ぶ機会は、今後増えていきそうだ。
「今週、ウィーンに行ってきます。核兵器禁止の会議に派遣されました。
市民の目でしっかりみつめ、学び、発信してきたいと思います」
ゆうべ、そんなメッセージが入った。核兵器禁止のための市民活動もされており
長崎を代表しての、今回の渡航のようだ。
おそらく本会議はニュースでも取り上げられるだろう。
私もこれまでと違う目でその様子を拝見。確認することになるだろう。
信念をもって世界のために取り組む生き方は、素晴らしい。
道は違えど、目指す方向が共通していれば、いろんな方に出会えることができる。
世界には、このように地道に頑張っておられる方がいる。
その生きざま。大いに参考にさせていただく。
コロナが落ち着いて、世界規模のリアルな交流が再会されつつある。
世界に目を向け、活動すること。
さあ、私も。世界に目を向けながら、今日もグローカルに走る。
これからの人生マーケティングを。
世の社長さんたちは、本当に大変だ。
常に業績のを向上を目指さなければならない。
それは、企業が次代に存続するためであり、そして従業員に
還元していかねばならないから。
そのための舵取りが本当に大変だ。
頭が下がる。
生産性の向上、業績の向上。
すべては社会のために、そして何よりそこで働く人のために・・。
私の場合は、従業員を抱えない仕事の仕方をしてきたため、
その苦労はない。
でも、その分、どう自分なりに社会に役立っていくか
ということについて、真剣に考え、実践していかねばならない
と思っている。
数字を上げることではなく、自分という存在が社会にどんな
影響を与えることができるか。
そのことについて、改めて考える今日この頃。
そんななか、都内で途上のホームレスを救済する活動を
続けているカップルの存在を知った。
格差が広がる社会のなかで、ますます貧困に苦しむ方を
応援することも難しくなってきているとのこと。
それでも、夫婦で力をあわせ志ブレずにがんばっておら
れる姿に感動した。人が人として、普通に生きられるよう
に。そんなことが、当たり前ではないこの日本社会・・。
一人でも多くの人をサポートすることに人生を賭けて
おられる。
一方、被爆体験を語り続ける人と最近出会ったということ
はここでも綴った。
彼女は、国内に限らず、世界的な核兵器禁止の運動も含め、
長崎・広島の経験を伝えようとされている。
この2つの例。
いずれも、社会のために、社会がより良くために奮闘
されている例。
地位も名誉も関係なく、利他のために生きておられる例。
本当に、素晴らしいと思う。偉いと思う。
さて、私は誰のために、何をすればよいのか。
最近、真剣にそのことを考える。
何ができるか?は見えている。
そのできることを誰に向けて、取り組むことで
喜んでもらえるのだろう。
人生いかに生きるか。は、自分という商品を社会という市場で
どう活かされるように努力するのか?ということだと
思っている。
そう、だから人生マーケティング。
人生は哲学的にも、宗教的にも、そしてマーケティング的
にもとらえることができる。
そして、全部つながっている。
自分が誰のために、何をするのか?
それは、自分が生きていることの答えになるはずだ。
まっすぐに社会に向かっている人たちのこと。
大切にしなくては、応援しなくては。
世の中、決して肩書ではない。
にわかに耳に入る、選挙活動がノイズに聞こえる。
偉い人は、黙って活動している。
まず、やる。
自分の人生マーケティング。しっかり舵取りしよう。
最後の記念撮影。
両親の最後のツーショット写真が出てきた。
撮ったのは、私だ。
2020年10月29日とプリントに印字されていた。
そう、父の84歳の誕生日~今から思えば最後の誕生日~の翌日のもの。
コロナでなかなか面会を許されなかったこの時期に、誕生日だからと
施設の方に無理をいって、夫婦での久しぶりの再会を果たした。
お互い、コロナで疲れていたのもあるのだろう。本当に言葉もなかった。
でも、なんとか記念撮影をした。
一生懸命、写ってくれた。それが最後の共同作業になった。
元気な頃のように、一言いえば喧嘩になる・・・そんな勢いもなく
ただ、一生懸命カメラに顔を向けるのが精いっぱい・・・。
この1年後には、二人とも旅立っていた。
今回、その1枚が出てきて、この最期の記念撮影のときのことを
思い出し、まさかそのときが最後と思っていなかったため、思いが
こみ上げる。
この撮影が、久しぶりの、そして最後の対面に・・。
半世紀以上連れ添った仲であったのに、それでお別れ。
会えなかったのは、コロナのせい。
二人とも早く逝ってしまったのも、コロナのせい。
もっとちゃんと挨拶したかっただろう。
いや、もっといっぱい会って、話したかっただろう。
いた、本当は二人でもっと長く暮らしたかっただろう。
このふたりの最後の1枚を見て、思わず涙。
まさか最後とは思っていなかっただろう。
だから、挨拶もなく・・・。
でも、これが最後になった。
でも、今は再会して、話しているだろうか。
そうだといい。そんなことを思いながら、最後のツーショットを
フレームに入れた。
最後の記念撮影。
誰もそんなことを思わず、写る、撮る。