東京駅キオスクのおねえさん。

たまには、いろんな人の1日、たまには、その人の人生を
無責任にイメージしてみるのも楽しいかも。
そんなことを思う小さな出来事があった。

東京へ出張に行き、東京駅から新幹線に乗る時は、
時間がある限り、決まったキオスクに寄ってから
新幹線の改札に入ることにしている。
そこのキオスクだけ、私が読みたい新聞を売っているのだ。
改札内の売り場では、種類が少なく好みの新聞ではないので
決まって、その「いつものキオスク」に寄って2種類の
夕刊を手に取る。
「はい、東京新聞と毎日新聞ください」
キオスクのレジもセルフが導入され始めて
いるが、そこは幸いにして、有人レジも併設されている。

「はい、100円ですね。」
「はい、SUICAで」
ピピッといつもの音が鳴り、
「ありがとうございます」の声。
もうお釣りを出したりする回数は減っているんだろう。

今日の担当は私より年配に見えるおばちゃん、いやおねえさん。
今は品出しをしたり、有人レジの対応で1名。
昔は、キオスクに2名が働いている・・そんな光景もあったが
今は多くの場合1名で回しているため、なかなか忙しいのだろう。

新聞をバッグに入れ、さあ、出発と財布をしまったり
しているその1~2分。さっきまで後ろで聞こえた声が
近づいていることに気づく。
「ま、素敵な洋服。これ、へえ。いいわね~。こういうのは
重ね着っていうのかしらん?」
そのレジにいたお姉さんが、店から出てきて、私の洋服を見に
きたのだ。そして、上から下まで見て、珍しそうにしている。

「そうです。重ね着ですね。でも、今日は重ね着は暑いですね」
「そうねええ。いいな。ちょっと見せてもらおと思って、へえ。」
お姉さんは、仕事そっちのけで、私の服を見て、なんだか喜んで
おられる。そんな珍しい恰好でもないが、ま、お気に召したなら。

「それは、伸び縮みするの?私のような体形でも着れるかな?」
へ、そんなに興味があるんだ。
「いやー。私が着ているぐらいですから、大丈夫ですよ」と
近所のおばちゃん状態で話していると、お客様がレジに。

「あ、いけない。お客さん来られた。ありがとう、お気をつけて」
そのお姉さんは、笑ってすぐ店に戻られた。
もう私もその人のことをしっかりマークした。

東京駅改札前のキオスク。
電車に乗る人も乗らない人も利用するキオスク。
毎日何人の人が利用するだろう。
そこで働く、あのお姉さんは、毎日どれだけの人のファッションを
目にするだろう。
そういう目で見ると、なかなかいい定点観測ができる場所でもある。

そして、気になったファッションのお客さんには、こんな風に
声をかけているのだろうか?
と思うと、楽しくなってきた。
仕事って、そんな楽しみ方もあるかもしれない。
と、勝手にキオスクで働くおねえさんのその1日を想像してみた。


どこで見られているかわからないもんだ。
東京駅のキオスクの中から見える世界。
とても興味深い。

また今度寄ったとき、覚えているだろうか?
多分、覚えていないかもしれないが、
そんな瞬間瞬間での出会いも面白いものだ。
駅ってそういうドラマがある。

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年齢の差を楽しむ。

ある勉強会の懇親会で、たまたま20代の人たちと
同じテーブルになる。
1時間半ぐらいの会食の間、いろんな話になる。
若い人たちの交流がメインであるため、こちらは
一応、隣で話を聞きながら、ときどき突っ込みながらも、
あとは頷いたり、合いの手を入れたり・・・。
時間が進むにつれ、ああ、時代が違うんだ~と
つくづく思えるほどに会話の中身がわからなく
なってきた。
「アイドルっていいですよね」
という会話で、具体的なK-POPのアイドルの名前が
ずらずら出てきても、もともと関心がないため、
理解できずにいる自分がいた。明らかに浮いている。

また、仕事観も休日の過ごし方も違うことに驚く。
ああ、今時の人はそうなんだ。自分が20代のときは
と思い出しながら、時代だけでなく個の違いもあるな~。
とにかく、新鮮であった。
でも、結婚観などは、意外と古風で保守的なところもある。

と、観察していて、いろいろ発見があった、
でも、やっぱり世代が違うな~が結論。


20代とのコミュニケーションに少し普段と違う
パワーを費やした翌日、次はなんと18歳の少女との
顔合わせ。
8月に行う朗読劇の役者さんである。
なかなか10代の人と話す機会はない。
「いやー、3倍以上生きてるけど~」
親子以上に年が違うが、こちら職業意識が高いせいか
しっかりしていて、大変大人びている面も感じる。
でも、ういういしくかわいらしい。
今回は、挨拶程度しかできなかったが、長く会話をしたら、
また未知の世界に誘われるのかもしれないが、
とにかく新鮮。


時代もあるだろう、個性もあるだろう。
そして、成長していくのだろう。
と、10代の頃の自分を思い出す、恥ずかしい気持ちに
なってきた。
とにかく異世代コミュニケ―ションは、学びがいっぱいだ。
時々、おすすめ。

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「今日の小山」を登り切る。

人生、山あり谷あり。
という言葉は一見耳にやさしい言葉。
でも、よく考えるととても深い。

改めて自分なりにとらえ直してみる。
山というのは、自分より高い位置にあるもの、自分から向かっていくもの。
登ろうと意識しなければ進むことはできない。
ときには、「よし!」と意気込むことも必要。チャレンジをも意味する。

谷は、襲ってくる困難、アクシデントにどう立ち向かうか。
注意して進まないと、谷底に落ちてしまうから、ちゃんと足元に注意を
はらって進まねばというイメージ。

人生と言う道は、平坦ではないよ。眼を見開き前を見て、そして足元にも
目を向けて、四方八方に意識を向けて、心して生きるようにという意味にも
思えてくる。

山あり谷ありだから、苦労もあるが楽しみもある。
生きている時間、いくつもの山を登り、谷を抜けることで、
人生は豊かになれるはず。

毎日が山あり谷ありの積み重ねなのかもしれない。
しかし、そんなことをいちいち意識したら、とてもしんどいから、
そんなに気負う必要はない。
ただ、ちょっとだけ意識したい。
「今日の小山」を登り切ることを。

毎日が小さな山の連なり。
小山を越えることで、終えたあとが爽快だ。
おいしい乾杯のために、ゆうべのために、なんでもいい、
小さな今日の締めが笑顔でできるように、
今日という山をしっかり越えていこう。

私にとっての「今日の山」。
また新たな出会いが生まれそうだ。
わくわく気分で一気にのぼるとしよう。

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自己責任でWITHコロナ時代を生きる。

国が行動規制をしない。
今回のコロナ対応。
賛否あると思うが、全部止められても困るという
状況でもある。
それぞれがそれぞれ自分で判断できることを決定し、実行する。
コロナのこの3年の教訓は、そういうことらしい。

結局は、決めるのは自分。
自己責任で行うしかない。

そこで気を付けて積極的に行動するか、
もしくはやめておくか。
どちらもありえる。

何かあっても人のせいにはしない。という覚悟のもと、
行動する。あるいはやめておく。
それで良いと思う。

私の場合、今日の仕事は、最後のひとりになっても
自分からやめるわけにはいかない。
でも、もちろんリスクはある。
こんな状況でも、わざわざお出かけいただける方に
感謝を込めて。

人の責任にしない。それだけはしっかりしたい。
何とか、無事突破したい。

笑顔でまず、今日を終えられるように。

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飲食店のきもち。

今週ある勉強会を予定していた。全国各地から都内で集まっての研修会。
昨年は、コロナで会えないなかオンラインで一緒に学んだ仲間たちが
今年こそは、と対面を果たすことも大きな目的のひとつであり、楽しみであった。
まさか、今年はコロナはさすがに・・。開催に不安を感じることはないだろう
と思っていた半年前。

準備もすすめて、いよいよ・・となったこの7月半ばから、コロナ感染が急拡大。
さすがに地方から東京へ出張する立場になると、東京の今はちょっと危険と感じる
人もいるだろう。さらに会食となれば、キャンセルしないと、という気持ちが勝るのは
やむなきこと。

そんなことで、この1週間のうちに、毎日のように会食のキャンセルが続く。
感染対策はしているよ!といっても、とくに地方の方からすれば、東京での会食というだけで不安になってしまうのだろう。

ということで、ここしばらくレストランの立場でこの様子を見ているため、
いかに飲食業の人がこのコロナで毎日、どんな思いをしてきたかが想像でき、
心から同情してしまう。心折れるのもわかるな~という感じだ。

電話が鳴る。そのたびにキャンセルの連絡・・。
「あ、また」「あ、またか・・・」
せっかく集まれると思ったのに、ひとり、ふたり・・・。
コロナも落ち着き、せっかくいい感じでお客様も戻ってきたのに、
と夏に向かったこの矢先の、キャンセル続き。
こんな思い約3年、毎日、毎日してきたんだ。

よく言えば打たれ強くなり、一方、心も折れるのも理解できる。
開き直るしかない、現実に向かうしかない。となってくる。
お店の人の気持ちが本当にわかるような気がして。。。
いよいよ、明日が本番であるが、今日もまた電話がメールが入るのかも。

と思いながら、どきどきしながら最悪の場合も想定しながら備えていく。

その立場になると、気持ちがわかるもんだ。
飲食店の皆さんの3年の苦労を思うと、いろんな制限がない方がいい。
あとは利用者の自己責任ということになるけれど。

ウィズコロナ時代のイベント開催の難しさ。
もちろん自分に何かあった場合のことも想定しながらいる。

安全に無事に予定が遂行できますように!
やって良かったと、
マスク越しではあるけれど、たくさんの笑顔が見られるように。


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「ほんまに、ええ人やった」

この猛暑でも、実家には定期的に足を運ぶ。第二の仕事場、スタジオというか。
クリエイティブな空間として、自分にとって必要な場所になりつつもある。
そして、行くことで親たちに会えるような気もする。喜んでいるような気がする。

「また来たよ。」「じゃ、また来るわ」「じゃ、よろしく頼みますわ」と一人で
声をかけることにも慣れつつある。あまり考えないようにもしているが。

思い出は、実家だけでなく、実家と最寄りの駅までの道中にもあふれている。
春になると桜が咲く、川沿いの道。
この道は、幼き頃から高校時代まで、そして最近は親が旅立つ最後の2年ほど、
本当に数えきれないほど往復した。
ドキドキはらはらいろんな気持ちを抱きながら ひたすら家に向かい、また違う
気持ちをもって駅に向かい・・・の緊張感にあふれた生活は随分昔のように、
今は静かだ。

つい先日も、その道を歩きながら、過ぎた日々を思い出していた。
すると、目の前に、犬を連れたおばあさんが現れた。
こんな暑いのに、散歩なんだ。犬に引っ張られているな~大丈夫かな。

犬の無邪気さとおばあさんのこの一体感が微笑ましくずっと見ていたら、
どこかで見たことがある顔だ。
思わず「こんにちは!」と声をかける。
すると、おばあさんも
「こんにちは。あ。あれ?」
と私の顔を見て、表情が変わった。

「もう1年になるねえ。ほんとうに寂しい。としちゃんは、本当にいい人やった。
気前がよくてなんでも人にあげてた。あんな人はおらんかった。」
と、母のことを話し始めた。
そう、この方は、母のすすめで、私のライブにも来られている。
こちらもだんだん記憶が戻ってきた。
「いやー、ほんとうにお世話になりまして。」
「ねえ、さびしいね。ふたりともいなくなってしまって・・」
その間、犬がどうなっていたかはわからないが、そんな会話でしみじみ・・。

亡くなっても、寂しがってもらえて、「いい人だった」と言ってもらえて
母は、本当に幸せな人生だったな~。と、1年以上経過した今、改めて
思う。
そのおばあさん、奇遇にも母と同じ名前であった。
「じゃ、敏子さんもくれぐれもお元気で。長生きしてくださいね。
またお会いしますね。ありがとうございました」
お互い、元気に手をふる。

「いい人やった」の言葉を胸に、駅にたどり着き、涼しい電車に
乗りこんだら汗とともに、マスクの上から涙が・・・。

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戦争と平和と「伝え人」

ウクライナの惨状をこんなに身近に知ることができたのは、
ネットの普及のおかげ。
でも、知りたかったか?と言われたら、知らない方が幸せだったかもとも
思う自分もいる。
そう、人間は知らない方が幸せなときもある。
でも、現実から目をそらし、何もしないのは、賛成できない。
知ることができる環境のなかで、何ができるか?が大切だ。

人間は時代に関係なく、戦争する。
学ばない人がいる。
悲しい動物だ。
そのために被害を被る人がたくさんいる。
今も、まさにそうだ・・・。

そうならないために、同じあやまちを繰り返さないために・・と
活動を続けている人たちの活動、仕事がある。
色んな活動があるが、そんな中でも私自身が刺激をいただいている事例。

ひとつはジャーナリストという仕事。
今も、大学の講座を受講し続けているが、世界情勢を客観的に俯瞰しながら
主観をもって、いのちを守るためのメッセージを発し続けている。
自らがチェチェン戦地などにも出向き、精力的に取材を続け、発信して
こられているジャーナリスト、横村 出氏。
講座では自らが撮影してきた戦地の惨状をそのまま示され、ありのままを
伝えたいとされる。自ら命をかけて活動されている力強さを感じる。
ちゃんと伝えようとすることで、受け取る側に問題提起を与える人。
戦争にならないためにどうすればよいかについてのメッセージを送る。
私は、その講義の内容はもちろんであるが、横村氏の仕事への向き合い方、
姿勢を学ばせてもらっている。

もうひとつは、被爆体験を語り続けていこうという朗読会の活動。
この週末も朗読によるこの語りを聴かせてもらったが、
想像力をかきたてる朗読で、聞き手に戦争の悲惨さをイメージさせ、
忘れないように働きかけ続けることは本当に根気のいる活動であると
改めて思う。
それをやり続けておられる人たち。
たまたま、最近出会った、被爆体験記の朗読「永遠の会」。
ボランティアの皆さんの思いはただひとつ。
事実を語り継ぎ、後世に伝え続ける。この悲劇を忘れてはいけない、
同じあやまちを繰り返してはいけない。そのために語りつぐ。
皆さんの、力強い言葉にその想いがしっかり籠っている。

いずれも言葉や文字で「伝える」活動・仕事だ。
武器をもって相手を責めない。傷つけない。

コミュニケーションで、人は幸せになれないのだろうか?
平和を願い、自分ができることを、もっとしないと・・と
心から思う。

自分ができることで、一生懸命伝えようと行動される方に
改めて敬意を、拍手を送り、応援を続けたい。



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長崎に行った気持ちで応援し、学ぶ!

実はこの週末は、長崎にいる予定であった。
春に長崎を訪ね、原爆資料館に隣接する長崎原爆死没者追悼平和祈念館で
出会った朗読の会の方に、ご紹介いただいたイベントに参加しようとの計画で
あった。
ぜひ出向いて勉強し、また平和のための活動を地道にされている皆さんを応援したいと
思っていた。そして、それをきっかけに、自分が今後できることを模索しようと思って
いた。

そのイベントは、「ナガサキ映画と朗読プロジェクト」である。


ところが、このコロナ感染の急拡大。
来週もさまざまなイベントなどが控えているため、大変悩んだが、直前になって
出発を見送った。
誘ってくださった現地の皆さまにも申し訳ないと思ったが、また改めての再会と
とメールでやりとりを続けていた。

残念な気持ちで土曜を過ごしていたら、さきほど長崎から、配信で観ることができるとの
連絡が入った。
そうなんだ!もっと早く気が付くべきだった。

ということで、長崎にいなくても、配信で参加することができる。
今回、このことを教えてくださった被爆体験朗読「永遠の会」甲斐さんも朗読をされる。
(16時ごろからの「原子野に生きる」の予定)
また、1日目23日分の配信にて、最後のプログラム「浦上の丘に立ちて」でも
会の代表大塚さんの朗読も視聴できる。

【公式】ナガサキ 映画と朗読プロジェクト (nfrp.jp)

コロナに慣れたおかげで、現地に行けなくても参加できる。離れていても応援できるのだ。
ということで、ご興味ある方は時間あるときにチェックしていただけるとありがたい。

原爆投下の日が近づいたから・・だけでなく、いつもいつも平和な社会を願い、自分たちが
できることをし続ける、思い続けることが大切だと思う。
そして、経験を伝え続ける人々に敬意を表し、応援を続けていかねばと改めて思う。
この思いにあふれた本プロジェクトの成功を名古屋から祈りつつ・・・。

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夏の挑戦、やりますわよ!

いやはや、ほんとうにやるんだ。
という感じで、チラシができてきて、あと1か月しかない!と
思わず目を疑う。
いつもこんな風にバタバタとはじまる。
そして限られた時間に集中して、本番に突入。
このバタバタ仕事が、実はとても好きだ。
ドキドキ、わくわくな1か月を過ごせるからだ。

今回上演の作品は東京と上田で、コロナ前にやったことがある。
それも懐かしい。マスク不要のあの自由な時代のステージ・・。

今回は再演。キャストが変わる。
しかも10代の若い人と一緒に出演だそうで・・。
「マーサさん」と呼ばれるこの仕事は、なんとも
不思議な感覚だ。
異世代の初顔合わせで、どんな作品にしあがるだろう。
付箋をいっぱい貼った台本捨てないで良かった。

「真夏の雪」。とてもいいタイトルで、中身もなかなか・・。
女性作家らしい、しなやかさが出ていて、とてもドラマチック。

チャンスをいただきうれしい。クリエイターとしても
オファーされる仕事があることは幸せだ。

公演の詳細はこちら!
https://www.blets.net/%E6%AC%A1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E6%BC%94%E6%83%85%E5%A0%B1/

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一緒に挑戦しよう!の夏本番。

京都出身の脚本作家とは、東京の作家大学で知り合った。
本当に得難い貴重な出会い。
このおかげで、東京でのクリエイター活動も続けることが
でき、幅も広がった。

コロナを恐れながら行った、今年2月のバレンタインの公演から
はや半年。
で、またやる!ということに!!
今度は大丈夫かな?と思っていたら、ちょっと怪しいコロナ・・・。
でも、それでやめることはない。
やると決めたら、やる!
気合いでコロナには絶対ならへん!
とお互い言いながら、駆け抜けた2月の公演が今となっては懐かしい
が、また同じ気持ち、ドキドキのスタートだ。

集客がままならなかった2月よりは、集まっていただけるかな?
と心配は尽きないが、やると決めたらやる!
この作家と私の共通点はここだ。
ふたりで握手を交わし、キックオフ!

ということで、8月26日から再び東京下北沢で朗読劇と生演奏!
作品は「真夏の雪」再演。
なんと今回は18歳の役者さんとも共演できるそうだ。
多くの若者が本作品を演じたいとオーディションにエントリー
いただいたようで、光栄だ。

同じ作品でも人が変わればまったく違う。
ということで、忘れかけた作品を思い出しながらピアノ演奏
の仕事を再び!
クリエイターとして仕事ができる時間が楽しみだ。

そろそろチラシもでき、告知もはじまる。
本番があると、なぜか気が引き締まる!

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