帰るお盆と・・・。

お盆になると、ほおずきを見かけることが多くなる。
私も、今年は大きいのを買って、お墓に飾った。
ぐっと臨場感が増す、雰囲気たっぷりのお供え花。
お墓にも、お寺にも、仏壇にも・・・。
とくに、あのあざやかなオレンジは、暑さのなかでも、
元気が湧いてくる、まさにビタミンカラー。

そして、
この写真は、ほおずきの皮をむいたもの。
使ったあとのほおずきの活用法のひとつらしい。
レースのような皮の中にプチトマトのような
ほおずきの実が見える。
最近では、これをつかったリースなどもあるようだ。

お寺でいただき、早速、両親の写真の前に飾ってみた。
ご年配の方には、ほおずきは、懐かしい夏の風物詩だそうだ。
中の実を食べて、音を鳴らしたもんだと・・そんな話を聞き、
ほおずきが長らく、生活に浸透していることも知る。

さて、そのお盆。
今や夏休みのイメージが先行しているが、もともとは
みんなで、先祖にお参りするというならわしから。
それも江戸時代から・・・ということで、もっと早い段階では
仏教行事として、1000年以上継承されているようだ。

さて、そんななじみ深い、お盆・・・。
お盆に先祖さんが帰ってくる。というけれど、
ご先祖は、お盆しか帰ってこないのか?かえってきちゃいけないのか?
と、最近お会いしたお寺の住職さんとそんな話になった。

いろんな考え方があるけれど、私にとっては正直あまりお盆も
お彼岸も関係なく、
親はずっと心のなかにいる存在。いつでもいる。
帰ってくるのではなく、すでに、ここにいるけど?
という感じ。

こちらが意識している限り、相手は生きていると
信じているせいかもしれないが。

だから、今年のお盆も帰ってきたという感じはなかったし
初盆である父に対しても、久しぶり~と言う感覚は
まったくなかった。

暑い中 お墓に行き、花を取り替える。
「今日も、まじあっついね。」などと、両親に話しかける。
普段通りである。
なんだか、にこにこしているような気がする。

ふたりは、いずれ同じ土になる。

そんな二人は、やはり幸せ。

今年のお盆は、そんなことを思った。

帰ってくるのではなく、すでにここにいる。
ふたりでいる。よかったね。という感覚だ。

盆が過ぎても、変わらず。
お墓に行けるときも、いけないときも、
毎日思い、話しかけている。
それでいい。

毎日がお盆というわけにはいかないが、
とにかく
忘れないでいたら、その人はいる。
そこが大切だ。
と思っている。

お盆は、生きている人が寂しく思わないための
そう思わず、元気に生きていけるための
きっかけのひとつなのかもしれない・・。

ふと、そんな風にも思えたり・・・。

それだけ、大切な人の存在は見えても、隠れても
大きいのだ。



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人生のたいせつな節目にうたう歌

今回の郵便騒動はなんとか2件で終わり、他の郵送物は無事に届いた。
そして、今度はお手紙と枝豆が届いたり、日々、送り送られの日々が続いている。

その枝豆を送ってくださった方は、新潟の農家さん。
そう彼女は枝豆と米粉の普及をテーマに地元で活躍する農業女子で、
20代前半のときからのおつきあいであった。
純粋で、まっすぐで しっかりしていて、新潟の女性とは本当に強い!と
思わせてくれる素敵な見本のような人で、将来が楽しみだと思っていた。

彼女が結婚され、出産、育児で大変な時期から少しご無沙汰していたが
今回、久しぶりにその元気が伝わってくる枝豆便が届き、そして、
お子さんも小学校に入学され、今年から枝豆ショップを立ち上げたり、
米粉の事業を改めて起業というカタチでスタートすると聞き、
とてもうれしく思った。

そして、彼女が結婚されるとき、私がつくった「ひと・文様」を結婚式で
流して良いか?と聞いてもらったことを思い出した。
そんなこともあったなあ・・・。

今回久しぶりに電話で話すことになり、近況を伝えるなかで、
「昨年、両親が亡くなったのだけど、葬儀のときに、
あの『ひと・文様』を歌ったの。今から思えば、
A子さんの結婚式にも使ってもらった曲だったね。
親の金婚式を思ってつくった歌だったから・・・。」

ちょっと、縁起でもないかと思いつつ、そう伝えると彼女は
「そうですか~。へえ素敵ですね。あの曲は人生の節目にうたう曲ですね。
そうなんだ~。」
と電話口で、感動してくれた。

なんだか、久しぶりの会話で、さらに成長された彼女とそんな会話が
でき、うれしくなった。
「ひと・文様」
ほんとうに縦糸、横糸の人生を綴った夫婦だった・・・と改めて両親を
思い出し・・・。
今日はその気持ちを込めて、ちょっと遅めのお盆の法要。
感謝の気持ちを込めて。

人生の節目にうたう歌。
いいお褒めの言葉いただき、とても幸せな気持ちになった。

そして、改めて、A子さんのこれからの人生の節目節目を見守りながら、
ずっと応援したいと思った。
久しぶりにいただいた枝豆は、やっぱりとびっきりおいしかった。
https://edamame02.base.shop/

ひと・文様の演奏は
https://www.mahsa.jp/creation/

こちらのページからごらんになれます。

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奇跡は二度も?

前日の投稿からの続き。
郵便の話だ。

送ったはずの郵便、封筒と中身がバラバラにではあったが、
無事、相手に届き安堵。
では終わらなかった。

その解決した日の夜に、長崎の知人からメールが・・・。
「先ほど、お手紙届きました。ですが、中身がなかったのです~。
チラシか何か入れていただいていますか?お伝えせねばと思い
メールしました~。」

先の方の分が無事に届いたので、今日は安心して眠れると思った
矢先のこのメールでガーン!
マンガであれば、頭上の棚から、どさっと郵便物が降ってくる感じであった。

まじ!?なんで、またそんなことが?2件も続けて・・・。
再びちょっと不安な気持ちで夜を過ごし、朝9時になり、前回ご親切にしていただいた
郵便局に電話をした。(9時になるのを待っていた感じだ)

ご担当はMさん。すでに私が今回出している郵便物の中身はごらんになっており、
すっかり知り合い状態である。
電話口に出られたMさんに、
「いやー、昨日はお世話になり本当にありがとうございました。」
先方もにこにこ顔が浮かびいい感じの声で、
「いえいえ、良かったですね。お役に立てて何よりです~」

続けて、今日の電話の要件を切り出す。
「あのー、ほんとうに本当に申し訳ないのですが、もう1件、封筒だけ届いた~と
ゆうべ連絡入ってしまいまして・・・。ごめんなさい。同じ日の郵便物で
残っている分があればと思い、一度見ていただけたらと思いまして・・・。本当に
すみません。」
とお伝えしたら、Mさんは落ち着いて
「そうですか~。わかりました。その郵便ですが、もう一度確認させてください。
最初どちらの郵便局に出されたんでしたっけ?ポストでしたっけ?・・・・
そしてどちらに送られましたか?」
と前回以上に詳しくヒアリングしていただいた。
その郵便は、長崎宛てです~。と詳細の住所も伝えた。するとMさんは
「わかりました。では、これから調査しますので、おそくとも今日中、いや、午前中にはお返事できると思います。今日お電話して大丈夫ですか?」
これまた、ご丁寧な対応に頭が下がりっぱなし。

「いやー、ほんとうに本当にごめんなさい。まさかもう1件出てくると思いませんで・・」
ペコペコしながら電話をおいた。
まあ、出てこなくてもしょうがない。そんな続けてラッキーはないはず・・・。

2時間ほど経過したあと、電話が鳴った。
もうMさんとは、仕事仲間のような感じに打ち解けている。
「大変、お待たせしました。」
Mさんは、なかなか心憎い。結論を先に言われないのだ。経過をたどる報告であった。
「まずは、お客様が出された局で確認し、そこでなかったので、再度私どもの局で確認し
なかったので、それで、長崎の大村局というところに連絡をしました。
そこになければ、そのあとの配達局ということになるのですが、大村局にありました!
私はその現物と同じものを見たことがありますので伝えましたところ、それらしいものがあると確認がとれました。入っていたのはお手紙と〇〇でよろしかったですか?」
この素晴らしい報告にまたもや感動し、歓喜の声をあげそうになった。

「あったんですか!!!すごい、長崎まで連絡していただいて申し訳ないです」
「それでですね、前回、私が一昨日書かせていただいたと同じように、
長崎の局のものが、住所を代筆させていただき、速達で今日の午前か、夕方までには必ず
お届け先にお届けしますので、先方様にそのようにお伝えいただけますか?」
と、今思い出して書いていても、感動してしまう、見事な対応と説明。
「いやー、ほんとうに本当に申し訳ありません。大変助かりました」
とお礼を何度も言う。
「いえー、ほんとうは全員がそんなことができたらと思いますが、今回はたまたま
二件ともうまくいきましたが、いつもいつもうまくいくとは限りませんので。」
それにしても、郵便局のネットワークも大したものだと心から感動。

「それでですね、今尾さま、またもしかして何かあったらいつでもご連絡ください」
と言われてしまい、いやー、穴があったら入りたい気持ちになった。
もう3件目はないだろう。ないと思いたいが、送った人全員に、「ちゃんと届いて
いますか?」と聞くのも・・・である。

とにかく、奇跡が二度もおきて、ほんとうにびっくり。
長崎の封筒だけを受け取った知人は、この結果にびっくり驚きながら
大笑い。
「今尾さん、調べたんですか。そんなの調べられるんですか~。」
「いやー、ほんとうに素晴らしい郵便局員さんに出会って・・・
実は前の日にもう1件あったんですよ」
ここで、また爆笑された。

改めて、糊付け注意報。であるが、
それ以上に、郵便といえば糊付け!と一生忘れない教訓をいただいたのと、

親切な仕事を自然にできるMさんのこと、ほんとうに素晴らしいと思った。
失敗から学ぶことは、大きい。
感謝を込めて。

いやはや、とびっきりのお盆になった。
奇跡は二度起こったのだ。

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プロの仕事と糊付け注意報


「お手紙届きましたが、中身がなく、残念で~す!」
こんなメールが届いてびっくり!
郵便を出しはじめて半世紀。こんなことは初めてだ。
(今から思えば、連絡がなかっただけかもしれないが)

そのとき、外で食事をしていたが、手と口が止まった。
まさか?おかしいな。
2日ほど前に、地元の郵便局まで持ち込んで
その場で、重さも確認して出してきたので、そんなはずはないと
思いながらも、大変気になってしまった。
どこで落ちたんだろう?中身はどこへいったんだろう。

これはほっておけないと思い、すぐ郵便を出した窓口に電話をしてみる。
あいにく、そこには、その日の残留物(業界ではそう呼ぶようだ)はなかった。とすると、
次の工程である、各局からの郵便が集まる大きな郵便局でふるい分けの際に・・
という可能性があるかも?
と思い、そのハブ郵便局名を聞き、ダメもとでそこへ電話をする。

お盆中でもあるので、人手も足りず、応対してもらえないかもと思ったが、
電話口に出た方が、大変親切!どうやら、郵便物の中身が、零れ落ちることは毎日何軒かあるようだ。
「中身の特徴を具体的に教えていただけますか?」
との問いに、こちらも手紙の書き出しから、便箋のサイズ、色、同梱物にいたるまで細かく
説明したら、
「ああ、特徴ありますね。わかりました。では12日以降の分で調査してすぐ電話します」
との回答。なんと親切なことか。さあ、ここでみつかればいいが・・・。

数分もしないうちに、電話があった。
「ありました!」
その答えに、思わず歓喜の声を出してしまった。
「へえ!あったんですか。素晴らしい!ありがとうございます!!!で?どうしましょう?」
とたずねると、
「では、私たちの方で、お客様の方で郵便局から速達で今日出しておきますから、
相手先様の住所わかりますか?」
との答えで、これにも驚いた。

普通郵便で出したのに、速達でしかもそのお金は郵便局持ちで・・やってくださるとのこと。住所をお伝えすると、
「はい、わかりました。では私の下手な字ですが、ちゃんと書いて、明日午前速達でお届
けしておきますね。つきましては、受け取られた方には・・・」とご案内をいただき、
何度もお礼を言って、電話を切った。

封筒だけ届いたショックは消え去り、中身がちゃんと救出され、しかも速達で送って
いただけることになったことに、奇跡と幸運を感じ、またその郵便局の方の応対の
素晴らしさに胸がいっぱいになった。

無事、郵便は翌日午前、約束どおり、速達で届き
「中身、ちゃんと来ましたよ~。」のお返事が来て、安心。
思わず、郵便局にも、御礼の電話を入れた。

時々、封書で中身が飛び出ることがあるとのことで、
その郵便局の方いわく、
「スティックのりは、乾いてしまうので、実はおすすめできないんですよ。
できれば、水タイプののりが、しっかりつくので良いですね。」
と教えてくださった。

今後、封筒だけ届かないように、糊止めのあと、テープもしょうと思った次第。

無事届いてよかった。
という安堵の気持ちと、
ちゃんとお客様のもとに届けてくださる郵便局員さんの親切な対応に
とても心うたれた。

よくない報道も時にはあるが、人による。
いい人もたくさんいらっしゃる。

ほんとうにありがたい。

せっかく書いた手紙だから、きちんと届けたい。

郵便局の方の適切かつ親切な対応に感謝。
そして、糊付け注意報の夏・・・。

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夢は何ですか?改めて自問。

先日、ある講演会で、障害をもった人に
「夢は何ですか?」
とたずねたら、
「〇〇寿司へ行ってお寿司を食べることです」
と、確か1皿100円の回転寿司の名前が出たという
話を聞いて、その答えはとても新鮮で、そして考えさせられた。

そんな体験から、あることを思い出した。
何年か前、初めて会ったビジネス関係の方に
「あなたの夢は何ですか?」
と問われ、なぜかとっさに出てこなかった。
何か気の利いた答えを言わないといけないと思ったのと、
急に夢と言われても・・と戸惑いを感じたからだ。
日常会話でそういう問いには慣れていなかった当時。
そのあと、ああいえば良かったと、何度か思い出して
少し苦い思いをしていた。

夢はその人それぞれにとって違う。
自分が叶えたいこと。
それが夢だ。
大きいとか小さいとか、関係がない。
自分の夢とは、相対的ではなく、絶対的なものであるはず。

最近、これからの自分の行き先を考えるにつれ、
あれをしたい、これをがんばろう、という思いがより強く
なってきた。
そして、具体的になってきたようにも思う。
私の夢は、イコール課題となってしまうところが、現実的すぎるが、
夢を叶えたいと思うと、それは課題の実現となる。
そして、その夢(課題)はいくつかある。

具体的には、
ピアノの演奏力を18歳のときの状態に戻すこと。
ベートーベンの三大ソナタや、ショパンのエチュードやソナタが
途中で止まらずに弾けるよう、力を付け直すこと。
そのための答えは、わかっている。
練習をする。ただ、それだけだ。
地道に何かを続けるということはできるはず。
それをピアノにも向けるということだ。

そして、もうひとつ、今の私の夢は・・・。
親切な人になること。親切な人であり続けること。
周囲にお年寄りの先輩が増えてきて、
親がいなくなった分、余計にそう思う。
「ありがとね、ありがとうね」
と、そんな風に言われる人になること。

そんな何気ないことが夢であっても、
今は、恥ずかしくなく、
胸を張れる。

今日は、五山の送り火・・・。
親には親切にできただろうか。
顔が浮かび続けたこのお盆。
足りなかった分を周りの人へ・・・。
と、改めて心寄せ、夢に向かって前に。

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今を感謝する1日に。

今日は77回目の終戦記念日。
戦争を体験した人たちの高齢化がさらに進み、戦没者も増える・・・。
若い人にとって、この日はどう見えているのだろう?
自分が若かった時代とは、受け止め方が少し変わってきているのかも
しれない。77年も経つとまったく実感がないのではないかとも思える。
でも、お爺さんおばあさんの幼少の時代であるから、意識があれば、
努力すれば、かろうじて理解はできるのかもしれない。

1945年までの、77年間、日本は戦争の時代だった。
いくつもの戦争を繰り返し、明治以降の日本は大国と戦争をする
国であった時代。
その時代は緊張感に包まれた、ある意味力強く、人生の価値観も
今とは違っていたことだろう。
戦争で、ときに人は狂乱する。狂気が常識になってしまうことを
日本も経験してきた。戦争とはそういう恐ろしい存在だ。

そして、その終戦から77年、日本は平和の時代を進んだ。
自分たちは、戦争を知らずに、しかも敗戦から立ち上がりつつある、
高度経済成長の下に育ち、随分と恵まれた環境で育ててもらった
と改めて思う。
自分が知る「昭和」が懐かしいのは、日本が平和な社会のなかで、
生まれ変わろうと努力していた、国民が勤勉に働いた。
独特ではあるが、光が見える、夢がもてる時代だったからかもしれない。

そして、時代は変わった。
平成から令和へ。
平和のまま、ここまでやってこられた。
でも、世界を見れば、平和ではない。
今日も戦争が行われている。
理由もなく、惨い殺戮があり、叫びあり、別れあり、涙あり・・・。
難民が増え続けて、これから先も見えない状況・・・。
なぜ一般の人々がこんな目にあうのだろう・・・。
これは、他人事ではない。

戦争がない世界になるために、今、自分たちができることは?
それを、改めて問いたい朝だ。
そして、
今日と言う日を平和に迎えることができることに心から
感謝したい。そういう1日でもある。

朝に目覚め、普段どおりの生活をはじめることができる。
今日は何をしようか。と自分の意志で生きることができる。
淹れたてのコーヒーをいただけるなんて、まさに平和の象徴。
当たり前の暮らしができること。
ありがたい以外に、何もない。
そのことを、今日1日かみしめたい。

日本が戦争に二度と巻き込まれず、
そして世界平和に貢献できる存在になれるように。
心から祈りを捧げたい。

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ニューオーリンズを届ける人。

いろんなアーチストとの出会い、交流が自分の内面を支えてくれている。
そんなことを実感する。
世界中が影響を受けたこのパンデミックの中でも、柔軟な発想で自分の
世界を切り開くことができるアーチストたちは、その想像力を鈍らせることなく
大きく、豊かに自分の表現を表現している。
行けないから、会えないからこそ、こめこまやかな情報発信はとても重要だ。

とくに最近、刺激をよく受けるアーチストのひとりは、ニューオーリンズ在住の
デザイナーALEXA。どこかの会社のロボットと同じ名前?であるが、
十数年前だったか、NYのギフトショーで会ってからのつながり。
それは細い糸であるが、赤い糸だと思っている。
コロナになって、どこにも行けなくなってから、彼女からのメールマガジンを
しっかり見るようになった。
何時でも行ける、会える時よりも、会えない今の方が、届くj情報を大切にしたいと
思うのだ。まるでギフトをもらったかのように。

ニューオーリンズを襲ったハリケーン後のやり取りも含め、そして、彼女が
いてくれたおかげでジャズのメッカであるこの町を訪ねることもできた。
そんな彼女のことを、今は時々送られてくるメルマガやサイトを見ながら、
懐かしみながらその仕事ぶり、生きっぷりを含め、多くの刺激をいただいているのだ。

ほんとうにアクティブで、どんどん活動の幅を広げている。
世界的に有名なブランドのロゴやデザイン作成も担当している。
日本でも彼女の商品が取り扱われていたが、今はどうだろうか。私もその昔、
一時、銀座のショップで扱う手伝いをしたが、まるで昨日のことのようだ。
はじめてNYのショーで見た、彼女の作品たちが、がきらきら輝いていたのだ。
あれから十数年。

今回送られてきたサイトには、なんと彼女がすすめる、ご当地ニューオーリンズに
ついての観光情報が詳しく書かれている。
ひとりのアーチストが観光大使であり、町おこしの発起人のような
活躍ぶりであることに頭が下がる。

現地に行けなくてもニューオリンズの現在が浮かび上がってくる。
アレクサはニューオーリンズをこよなく愛し、そこでいつも輝いている。


イタリア生まれの彼女。最初は英語に苦労したという。
映画を見てれば言葉は覚えるよ。と教えてくれた。
彼女の娘さんに弾いてあげたピアノで、お嬢ちゃんは家の中で踊りまくって
いた。
サイトを見ているだけで、いろんなことを思い出し、
パワーをチャージさせてもらう。

人生を楽しくなるように、がんばっている彼女からの
エールを受けて・・・
https://alexapulitzer.com/

案内してくれた、老舗ジャズホールにまた行きたい。
ジャジーに生きるイタリアンレディー。
ステキとしかいいようがない。

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丁寧に説明するって?

最近、よく「丁寧に説明」という言葉を聞く。

一見、耳当たり?耳障り?が良さそうな言葉だ。
ソフトな印象だ。
人に何かを伝えるとき、丁寧に説明することは、
コミュニケーションの基本。
その丁寧にというのは、やさしい言葉でもって、
わかりやすくという意味だろうか?
そこは確かに大切である。

でも、伝え方の問題ではなく、内容が問題な場合は
もっと考える必要があると思う。

内容自体が分かりづらい、理解が難しい、
見方によっては、違和感を感じたりすることなど・・
について、表現だけその結果だけを「丁寧に説明」をされても、
それは伝わらない。
表現、説明の仕方以前に、内容自体を疑問に思われているからだ。

そういった場合には、内容について、もっと議論をするべきだ。
一方的に結論を出す前に、
その前に相手の話を聞くべきだ。
対話をすべきだ。そして、よりよい結果になるように
導くのが信頼への鍵だと思う。

内容が理解されていないのに、伝え方だけ丁寧にされたとしても、
それは余計に不信感が募る。
言い訳をしたいだけなのかなとも思えてくる。

今の社会は、前を見たコミュニケーションが足りない気がする。

民主主義って、言い換えればしっかりコミュニケーションしよう。
ということではないだろうか?

丁寧に伝え、伝わること。期待したいし、
自分自身の身の回りでも、大切にしたいことだ。



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真夏の「ひと粒」コミュニケーション。

ちょっとしたことがきっかけで、お互いに笑顔が生まれる。
そんなコミュニケーションがいいな!と常々思っている。

企業などへ訪問するときは、相手に合わせて、キャンディーなど小道具をよく持参する。
大阪のおばちゃんでもないし、また飴でなくてもなんでもいいが、
ちょっとあいさつ代わりに、あるいは会話のふとした隙間に、
「どうぞ」と言って渡すだけで、思わず相手に笑みがこぼれることがある。
そこから会話が弾むことも多い。

ちなみに、名古屋の名産であれば今のところ、「ミニしるこサンド」が、
重宝している。
「あ!それって・・・」
と会話が始まる。
本当に、ちょっとの気持ちのことで距離感が変わる。
どうしたら、相手が喜ぶか、場を和ませるかは
いつも考える。そのうちの一手が「ひと粒コミュニケーション」。

この作戦の隠し玉は、わが家の冷凍庫に常備してある。
東京暮らしのときから、真夏の宅配の配達時などに役立った。
そして、今も・・・。
先日、重い荷物の到着を日時指定していたにも関わらず、タッチの差で受け取れず
持ち帰られた。申し訳ないと思いながら再配達をしていただいた。
「今日はいるんだろうな~」ときっと、そう思いながら台車を押してのご到着。
汗をかきかき、インターフォン越しに見えた宅配のお兄さんに、
あやまらなくちゃ!と思った。
そして、すぐに玄関前まで来てくださった。

「すみませんね~。今回は本当に申し訳なかったです。
これ、ほんの気持ちです・・」
と、冷凍庫からとってきた一口アイスの袋を手渡した。
すると、手ぬぐいで汗をふきながら
「え!いいんすか?ありがとうございますっ」
と笑顔で受け取って戻られた。

ほんとうに暑い日の宅配は大変だ。一粒では本当は申し訳ないのだけれど、
まあ、ほんの気持ち・・。

たったひと粒で、お互いが気持ちいいコミュニケーションができる。
何事も、ひと粒の想いをもって、感謝を伝えていきたい。

酷暑、本当に再配達には気を付けよう。と猛省!!
ドライバーさん、
お盆休みも関係なく、本当に本当にお疲れ様です。
ありがとうございます!!

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最後の被爆地に。の祈りに心寄せ。

なぜ、よりによって、こんな暑い季節に原爆が落とされたのだろう。
当事者にとっては暑いも寒いも関係なかっただろうが、
今年はとくに、そんなことを思ったこの1週間。

そのじりじりと暑い真夏。
今年も広島、長崎で祈りの式典が開催され、それに
関連する行事も執り行われた。
ウクライナの現実を前に、絶対に戦争を起こしては
ならない、核は使用してはならない・・。
世界中のまともな人たちは、そのことを改めて強く
思っていることだと思う。

いつも、長崎の人たちが、
「ここを最後の被爆地に」と言われることが
ほんとうに心に沁みる。
自分たちが体験した悲劇、苦労、悲しみを誰にも
味わってほしくないのだ。
という気持ち。
このことをずっと伝え続けなければならないのだ。


被爆者を代表して内外で生涯活動をされておられ
昨年亡くなられた、広島の坪井直さんがいつも
「ネバー ギブアップ!」
と力強く訴えておられた様子がよみがえる。

盆休みがはじまる。
そして、今年も終戦記念日を迎えることになる。

広島、長崎そして、終戦。
この一連の流れを今一度。そして
そこからの77年間の、現地の皆様たちの
ご苦労を忘れず、他人事ではなく、
自分がその身だったら・・・
明日は我が身・・と思って、
現実と明日をみつめていきたい。

バカンスが始まったけれど、
私には、実は、楽しさよりも哀しみの感情が高まる。

祈り続ける人々や、地道に活動を続ける人のことを
思えば、
現地の皆さん、先代の皆さんのご苦労、悲しい経験が
あってこそ、今の平和があることを忘れずにいたい。

心して、この1週間を、できる限り静かに
過ごしたい。


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