永遠の上司に感謝する日。

久しぶりにこの写真を出してきた。
会社員最後の日の記念写真。
上司や部下、先輩・後輩の有志たちが、京都駅ゼロ番線で送りだしてくれた時のもの。
忘れてはいけない1枚。
そして、この写真は、私の出発記念の記録。
このあと、東京行きの夜行列車に乗り込んだ。
電車に乗って、ガタゴト揺れながら、これで良かったのかと自問しながら
涙があふれたことを、再び思い出す。

この日を経て、グラン・ルーは回り始めた。
あれから、今日で24年が経った。
観覧車1周を1年とすれば、24周回ったことになる。

その間も、ずっと欠かさず親身に寄り添い続けてくださった上司は、
引退後も熱心な親衛隊?のごとく応援してくださったが、残念なことに、
今年2月90歳で旅立たれてしまった。
「おかげさまで24年です。ありがとうございます!!」
毎年、御礼を言ってきたように、今年もそう告げたいが・・・。

そんなこともあって、この1枚を出して眺め、想いを馳せる。
上司はじめ、皆さんの応援があって独立でき、そして廻り続けることができた。
そして、24年の間、ブレずに仕事を続け、人生を有意義に過ごすことができている。
なんという幸運かと思う。幸せ者かと思う。

人生は観覧車のようだ。と本当に毎日思い続けている。
来年は25周年。上司が生きていたら、喜んで駆けつけてくださるはず。
それはもう叶わないけれど、ずっと空から見守ってくれていると信じている。

今日は、グラン・ルー24周年の日。
出会いをいただき、お世話になってきた全ての皆さまに、
心から感謝申し上げます。

25周年に向けて、動き出す。
軸は、これからもブレることなく。

人生は観覧車のように。
グラン・ルーは、私の誇り、私自身。
パリで出会った、あの大観覧車から生まれた、マイブランド。
このロゴができたときの感動、独立を実感した瞬間を思い出す。
オンリーワン、オリジナルへのこだわりはこれからも。
生きる限り、廻る、廻す。
出会った全ての皆さまへの、心からの感謝を込めて・・・。

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なんのため?

日本も世界もおかしいと首をひねることが多すぎる昨今。

もうあれから、何年経つのだろうか。
ブエノスアイレスでの東京オリンピック決定に、関係者たちが
狂喜していた様に、「なんのためにやるんだろう?」
と思い、自分の価値観とは違う世界の存在と大きな違和感を
感じたこと、そしてその自分の感覚がおかしいのかなと思ったとき
のことを、昨日のように思い出す。

その後、東京から引っ越しをした理由のひとつも、
これから、何かと騒がしくなる状況から逃れたかったから。

なんのために、こんなことにお金をかけるんだろう?
なんのために、あんなものつくるんだろう?
なんのため?なんのため?
その問いかけは、ずっと続いた。

今も続いている。
なんのため?
でも、その当事者たちは、そんなことは深く考えておらず
マイワールドのなかで、良かれと思って行動しているのだろう。

と、穿ったものの見方をしてはいけない。のかもしれないが、
いつも「なんのため?」の問いかけは忘れてはいけない、
大切にしなければならないと思う。

何のため?と考えると、瞬間でも冷静になったり、客観的に
俯瞰して、物事を見られたりすることもある。
あるいは人として、立ち止まることもできるかもしれない。

もっとも、「何のために、生きているんだろう」
この答えは、難しい。
わからないまま、探しながら、生きていく。
そして、わからないまま終わるんだろう。
でも、そのプロセスが大切なのだと思いたい。

なんのために?今日をがんばるのか?
誰かの「ありがとう」の声をきくために。
そう思うと、がんばれる。

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気持ちが沸きあがる瞬間と歴史。

連日エリザベス女王のご逝去から、葬儀に向けての道のりが報道されている。
なぜか見るたびに、目を奪われ、心も留まる。
もし、今、英国にいたら、と想像もする。

海を越えた日本でも、リアルにこの場を見聞きすることができる。
大英帝国を築き、かつて世界を支配した英国の伝統に触れながら、
その国の歴史を知るきっかけにもなる。
いざというときのために、準備されてきたとも思える完ぺきなセレモニー。
まさかそんな日が。でもやはり来てしまうのだ。
そんな思いを、見守る人々が抱いているだろう。

昼夜を問わず、どこでも長蛇の列。世代を超えて、一目、女王様にお別れをしたい
という純粋な国民の気持ちが、こちらにまで伝わってくる。
拠点を移動しながら、本拠地であるロンドンのバッキンガム宮殿へ到着。
そして斎場までの厳かな移動の様子を見ると、なぜかこちらも胸がいっぱいになってくる。
結婚式など華やかな場面とはまた違う、荘厳さを感じる。

ほとんどの人が女王様に直接会ったことがなく、メディアでしか接していないはずなのに
この盛り上がりは、一体なんだろうと思う。
これは70年ぶりの国の出来事であり、国で最も大切な存在への感謝と祈りの儀式。
これが、まさに歴史的瞬間なのだと思う。
国葬と言う名にふさわしい雰囲気が、じんと伝わってくる。
まさに、お人柄や功績があってのこの盛り上がり。
こんなにも多くの人々に惜しまれて人生の幕を閉じるとは、
ほんとうに幸福な人生であるとも思え、祈りとともに拍手を送りたくなる。

気持ちというのは、正直だと思う。
自然と湧き上がってくるのだ。
一緒に送りたい、会いたい、感謝を伝えたい。お別れを言いたい・・・。
ひとりで悲しんでいるのが嫌だから、出かけてきたという人のインタビューも
印象的だった。

棺の移動を見ながら、いろんなことを思う。
人はそれぞれに思うだろう。いろんな人生を重ねているかもと思う。
私の場合は、ふと、自分の母親のことと重なった。
もちろん規模はまったく違えども、小さな世界でのあの一コマは、
本当にドラマチックであった。
悲しいけれど、感動的であった。そして今も忘れない。
かけがえのない存在を失うというこの瞬間は永遠のものだ。

今回の英国女王のセレモニー。
世界中の人々の気持ちが悲しみと感謝に包まれている。
この気持ちは、まだまだ続くだろう。
クライマックスに向け、もっと盛り上がっていくことだろう。
悲しいけれど、素晴らしいことだ。

ところで、
長蛇の列の国民の多くがスマホを持って、お見送りしているのも印象的だ。
拍手する人、祈る人、そして撮る人。夜には女王を送る灯りとしてスマホが活躍。
伝統と現代の融合。この風景も歴史の一コマに刻まれるだろう。

気持ちが沸きあがる。大切にしたい。
気持ちというのは、一番正直である。






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25周年に向けてキックオフ!

なんだか、急に元気もりもり、やる気が普段以上にみなぎってきた。
コロナのための行動制限がなくなったことも大きいのかもしれない。
お客さまの最近の感動の様子、賞賛や感謝のお言葉が、
私へのエネルギーになっているのかもしれない。
萎縮せず、万全の注意を払いながら、行動するように心がけながら
どんどん挑戦していこうと意欲あふれる今日この頃。

なんでやろ?先日の若者とのセッションも影響しているのかもしれない。

9月17日はグラン・ルー誕生24周年。わが独立記念日と称している。

脱サラして、よく「おひとりさま」稼業を長くやってこられたものだと
毎日、ありがたい、ありがたいと思うのみ。
こんな自営業もあるんだ。と、我ながらそう思うことがある。

来年は25周年を迎える。
9月17日が近づいてきて、その意識も高まってくる。
そのせいか、最近、いろんなアイデアが湧いてきている。
それらは、その四半世紀の節目に向けて、すべて実行しよう!という
自分へのシグナルだと思える。
やるなら、この節目!ということだ。

急にやろうと思ってもできないため、今からこのアイデアを具体化、
実現するための下準備、下調べ・・・。
そして、今すぐできることは、今やり始める。
来年、元気でいる、いられるの保証はないから、できることは
どんどん始めて、行動しながら25周年に向かう。

そして、
25周年からは、次のステージをしっかり生き始める。

思い立ったらいつでもキックオフ!でいい。

もちろん軸は何も変わらない。
コミュニケーションクリエイターをどう発展させるのか、進化、深化させるのか。
そこを問い続け、
そして、
変わらず、人生を観覧車のように回し続ける。
自分も回り続ける。

そんな気持ちで、今日も元気にスタート。

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小さなひまわり応援キャンペーンにご協力ください。

ご存じのとおり、ロシアのウクライナ侵攻では、多くの被害が出続けており、
難民の流出も増え続け、親を亡くした子供、夫と別れ別れの人々・・・。
本当に悲しいです。
そして、この戦争は世界にも悪影響をもたらしています。
恐ろしいです。
一日でも早く、平和が戻ってほしいです。
ということで、自分が今できることを「小さなひまわり応援キャンペーン」と
題して、戦争が終わるまで、続けたいと思っています。
内容は、私のオリジナルCDをご購入いただきましたら、その売り上げ全部を
日本赤十字社を通じ、ウクライナの人道支援に寄付させていただくというものです。
9月13日は8月分と9月分で28000円を入金させていただきました。
ありがたいお気持ちに感謝しております。

CD3枚組 7500円のところ5000円
CD1枚 「あなたに捧げる1・2・3で愛の歌」2500円のところ1000円で
作品の紹介は、
https://www.mahsa.jp/creation/

こちらをごらんください。

ご協力いただける方がいらっしゃいましたら、ご一報いただければ幸いです。https://www.mahsa.jp/contact/

あの映画「ひまわり」のような戦争の時代は絶対に繰り返してはいけない。
そして、あのウクライナの広大な地に、うつくしいひまわりが元気に
咲き続けてくれるよう、祈りを込めて・・・。
今、自分にできる小さなことを、ひとつづつ。

みなさまのご協力、心よりお待ちしております。

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自分にできること、やります宣言!

9月12日岐阜新聞でのコンサートは、おかげさまで大盛況。
今回はコロナ制限はなし。と事務局が決定され、35名以上の
お客様が集まってくださった。
知らないお客様も増えてきており、ほんとうにうれしい限り。

今回は演奏とトークに加えて、先日の朗読劇の配信のご案内と、
さらに、「平和な社会を願って、ウクライナの子供たちへの応援」
として、自分のCDのセットをチャリティ商品として、ご案内。
「私は提供できるのがCDしかないので、これを売って全額
寄付します。戦争が終わるまでずっとやり続けます」
そして、
「大好きなひまわりが、あの地にまた咲き続けるように祈っています」
と、映画ひまわりのテーマ曲を演奏。

コンサートが終わったら、何名かのお客様が来られて
CDセットを即、お求めいただいた。
へ?そんな、いいんですか。
「これぐらいしかできないし、ぜひお願いします」
「これ、ウクライナに使って」

最近、メディアでは国葬などに話題が移り、ウクライナの報道が
薄くなってきているが、まだ戦争は終わっていないのだ。
現地は何も変わっていないのだ。難民や親を亡くした子供たちも
多数いる。日本の暮らしとはまったく違う世界があるのだ。
そのことを忘れてはいけない。
だから、やれることを続ける。

ご賛同いただき、ご協力いただいたみなさんに心から感謝したい。
早速、寄付をさせていただく。

これからも有言実行を続けていきたい。
自分ができることはやる!宣言してやる!たとえ小さなことでもいい。
そのかわり、宣言した以上は、やらなくちゃ!

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心の旅に出かけよう。

このコロナの3年間で、海外渡航はストップ。そんな生活にも慣れてきた。
もちろん、時期が来たら、ちゃんと行けるときがきたら、
再びNYや、パリや、そしてボンや、ブエノスアイレスや・・・。
いろんな町をこの足で歩き回りたい、あの町の匂いを、音楽を、人々の集う風景を
リアルに自分の体と五感で確かめたい・・・。
生きている間に絶対に!と思う反面、
実は、今ここで、自由にその旅をイマジネーションすることもできることで
楽しんでいる自分がいる。

それは、ネットのおかげと言いたいところであるが、
私の場合は、音楽のおかげ。であるといいたい。

音楽は時代を越えて、空間を越えて、いかようにも心の中に、自分が描きたい
世界を描かせてくれる。行きたいところへ自在に行ける。のみならず
心を豊かに、やさしく。そしてときに癒しの役目も果たしてくれる。
思い出であったり、未知の世界であったり、それもさまざまであるが、
音楽のおかげで、自由に旅ができる。
心のなかの非日常の体験ともいえる。

ということで今日は、岐阜新聞ロビーコンサートの出演日。
今回のテーマは「心の旅をたのしむ、あんな歌 こんな歌」。
季節を切り口に、あるいは心情から、それぞれの世界を楽しんで
いただきたいと思う。

主催者から聞いたところによると、多くのお客様においでいただけるとのこと。
コロナとの共生時代に入った証しかも。
感謝を込めて、いいパフォーマンスをしたい。

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気高き、みんなのマザー。

イギリスだけでなく、過去の植民地であった国々だけでなく、
日本含め、世界中の人々が、静かで深い悲しみに包まれたこの週末。
その存在感が大きかったゆえに、より一層、惜しまれる。

なんと、崇高で愛情深く、そして強い女性であったのだろうか。
私がイギリス女王さまのことを口にするだけでも、場違い、身分違いで
あると思うが、ほんとうの意味で、こういう方こそが国の象徴、シンボルである。

誰から見ても憧れの女性。
そんな女王は「母」でもあった。
チャールズ新国王が、就任のビデオメッセージにて、最高の最愛のママである
女王に心からの感謝をされている言葉を聴き、思わず涙があふれた。
言葉数は多くなかったけれど、
ぬくもりのある、愛情にあふれた素敵な哀悼ののことばであった。
言葉というものは、染み入るものだと改めて思った。

ふと、マザーテレサとその存在が重なる。
彼女も、世界の人々に慕われた「母」であった。
もちろん、ふたりの進んだ道は異なる。
ではあるが、ひとりの女性として、誰からも尊敬され、愛される人柄。
みんなのマザー。という点では共通する。

ステキだ。
愛されること、愛すること。
このことが、一番幸せな人生であるのだと、
今回の哀しみのなかで、そんなことを感じている。

感謝され、尊敬されて、世界の人々が見送る。
なんと素敵な、素晴らしい人生の締めくくり。

みんなのマザーは、歴史から消えることはない。
これからも、この時代をともに生きたシンボルとして
語り継がれていくだろう。




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悲しみの日に学ぶ。

イギリスだけでなく、世界がエリザベス女王の死を悼み、
そして今、悲しみのなかにいる。
ともに女王に感謝し、哀悼の意を込め、祈りを捧げている。
祈りのかたちも、場所も、それぞれであろうが、悲しみの気持ちというものがこんなに
広がるものだろうか。と、喪服に身を包んだBBCのキャスターのニュースを見てから1日、
ずっとそんなことを考えていた。

その存在に感謝し、死を悼む。哀しみにくれる。
これは、誰からも強要、強制されてもできないことで、
自然と湧き上がってくるものだ。
涙は自然と湧いてくるものだ。

直接会ったことがない人々にとっても、その喪失が悲しいと思えるという
その存在感と影響力は凄いと思う。
それだけ、生前、善行につとめ、人々に尊敬される生き方をされてきた
ということだろう。

「私たちが生まれたときから、すでに女王でした。」

と、あるイギリス国民がインタビューに答えていた。
きっと、母親のような存在なのだろう。

そう、母親が亡くなることは、この上なく悲しく、そして寂しい。

亡くなったときに、自然にみんなの気持ちが集まってきて、あたたかい感謝の心で
送ることができることが自然であり、それが一番の幸せだ。

「死」というのは、その人の一生を締めくくりだ。
自然の総意で、拍手と祈りで送ることができることが一番。
自然に純粋に、気持ちが沸きあがる、
そんな人生、そんな人物でなければ、そうなることは難しいだろう。

カタチではなく、気持ちから。
気持ちの方が大切だ。

心こそが、人を動かす。
心だけが、人を動かす。

そんな人生の在り方を学ぶ、悲しみの日。
エリザベス女王は、これからも世界中の人に愛され続けるだろう。

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その威厳なる存在にただ、感謝。

イギリスのエリザベス女王が亡くなったとのニュース。
ああ、そうか・・・。
海を越えた、異国の女王様のことであるのに、
なぜか、とても悲しい気持ちに包まれた。

自分が生まれた時からずっと変わらず、
イギリスの象徴といえば、という存在。
世界中の誰もがそう思い、そしてあの愛らしい存在に
親しみを感じ、敬意を感じてきただろう。
25歳で即位されてから70年もイギリスと言う国の
母なる存在でおられた。
命が短かろうが、長かろうが、国のために尽くすと
即位のときにメッセージを出されたそうであるが
その志が、長寿へとつながったのかもしれない。


イギリスは、新しい女性リーダーを迎えたばかりの
今、その大きな存在を失った
今の現地の様子を想像するに、心が痛い。
時代も状況も異なるが、
日本で昭和天皇陛下が亡くなったときのことを
ふと思いだした。

その存在自体がすべて。
いてくださるだけで・・・と言われる存在になるには
どれだけの努力や心がけが大切だろうか。

本当に偉い人は、忖度や根回しやそんな小さな世界での
ご苦労がなくても、ごまかさなくても、
だれからも尊敬され、愛され、
そして、惜しまれる。
存在自体がホンモノなのである。

エリザベル女王の存在に、その偉業に心から敬意を表し
祈りを捧げたい。

静かに祈る。
ただ、それだけ。

今、イギリスには荘厳な時間が静かに流れていることだろう。

静かに送る。

公人として生まれ、育ち、そして生涯を閉じる。

その大きな存在に改めて、心から敬意を表したい。

なんだか、日本もこの訃報で大切なことに気づいてほしい・・と
思ってしまう朝。

コロナを経て、
これまで経験しなかったさまざまな衝撃や新たな経験により
時代が変わっていく。
今は、まさにその過渡期なのかもしれない。
いい方向へ変わっていくことを、切に願うのみ。

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