その気があるかどうか。

企業内でのコミュニケーションについての研修を行うことがある。
いろんな階層やテーマがあるが、最近は係長や主任といった、
リーダー対象のプログラムを組むこともある。コミュニケーションの
大切さへの気づきと共有から、リーダーとしての意識向上、行動変革に
つながればとの思いもあるし、リーダー同士の一体感の醸成も目指す。

みなさん現場での仕事も忙しいため、長い時間は組めないが、短いながらも
聴くだけではなく一緒に考え、実際に話し合うワークタイムも組み入れる
ようにしている。その時間が日頃の業務面での協力体制づくりにも役立てばと
思っている。
そんななかで、コミュニケーションに関する相談ごとについて取り上げた。
「人の名前が覚えられないが、どうしたらいいか?」
と、そんな声があったため、それについて皆さんで考えていただいた。

「そんなん、覚えようと思ったら絶対覚えることができるわ。覚えられない
ではなく、覚えようと思わないといかんわ」
と、大変前向きな発言が出て、頼もしく思えてくる。

「名前は大事です。やっぱり『ちょっとちょっと』ではなく、ちゃんと
名前を呼んでもらえるということはうれしくてやりがいにつながるから、
やっぱり覚えないといけない」という意見も出て、さらに安堵する。
そう、
覚えられないで終わらず、覚えようという気持ちがあるかどうか。ということだ。
もちろん相談ごととして挙げてくれた人も、これをなんとかしたいという意志が
あるので大変前向きだ。その気があるということだ。

もちろん、人によってはそんな無理しなくてもいいのでは?という声もあるが、
やっぱりコミュニケーションをとる上で、名前を覚えるということは相手を知る、
相手と打ち解ける第一歩。
仕事をする上では、そして人の上に立つという点でも、そのことは大変重要だ。

自分だってそうだ、名前を呼んでいただけると うれしい気持ちになる。みんな同じ。

といいながら、私自身が研修などやらせていただくと、
一対多のコミュニケーションになるため
また頻繁に会うことがないため、どうしても名前を覚えきれず、あわてて思い出したり
メモや名刺を見直したりということもあるが、
忘れないためにもできる限りのコミュニケーションは不可欠と思っている。
と、何年も前に、交換した名刺に必ずその人の特徴をメモして、名前を覚える努力を
されていた先輩ビジネスマンを思い出す。そういう方法も有効だ。

とにかく何事も、その気があればできるし、気がなければ成就しない。
その気がある人に、チャンスはめぐってくるのだと思う。

名前を覚える。名前を呼ぶ。
それは相手に興味を持っているということにつながる。

その気があるかどうか。これは、成長のための大切な起点となる。

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自分で決める記念日。

来る5月14日は母の日とのことで、カーネーションはじめ、
さまざまなギフト商品の提案がリアル、オンラインの売り場で
繰り広げられ、いつまでに注文しないと間に合わないと
いうカウントダウンの昨日今日。
各社のメールマガジンもあわただしい様相だ。今日が注文の
締め切りという店舗も多いことだろう。

おととし、昨年のこの商戦シーズンは、正直耳に、目に触れるのも
きつかった。
生きている間は、いつも何かしら贈っていたことを思い出すからだ。
そして、今年はもう何ともないかと思ったが、思い出すと
やはりつらいので、距離をおきながら眺めている。
父の日についても同じだ。

そんなこんなで、
みんな一斉の記念日・・という盛り上がりが、現在の自分にはそぐわない
こともあると思うようになってきたこの2年ほど。

考え方を少し変えてみる。
世間での特別な日に合わせることなく、考えようによっては、
毎日が母の日であり、父の日である。
自分の場合は、そんな気持ちで、常に心で対話し、感謝の言葉を
伝えるようにする。
そうすることで、悲しみも寂しさも、和らぐ。
一緒に盛り上がることが、しんどいこともあるのだ。

毎日がバレンタインで、毎日が母の日で、毎日が父の日で・・。
と、毎日大切な人に感謝する気持ちを持つことで、心の
落ち着きを保ちたい。

記念日は自分で決める。自分が自然に気持ちが向くように。
そんな考え方があっても良いと思う。

もちろん、
次の日曜日、日本中(世界中?)で、「おかあさん、ありがとう」
の言葉が響きあうことは、とてもいいことだと思う。
その日がきっかけで、その日に終わらず、
毎日が感謝で溢れる世の中になるようにと願っている。
そう、記念日は毎日をより豊かにするためのきっかけなのかも
しれない。





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予定どおり着地させる歓び。

仕事とは与えられた、あるいは自らが課したミッションを遂行すること
である。
この日までに、これをやる!と公言した以上は、絶対にやり遂げたいし、
難しいとなれば、早めに計画を変更する見極めも大切だ。
とくに多くの人がかかわるプロジェクト、事業であれば、皆さんにうまく
協力いただいて、とにかく実現しなければならない。

最近、このような取り組みに対し、関わるケースも多い。
目標に向かって走る人が、ちゃんと進んでいけるのか見守り、違っていれば
その都度助言したり、軌道修正するように促したり・・・。そして、
とにかく止まらず、ブレずに進むことができるように、導く。
気が付けば一緒に走っている。

途中、どんなことがあっても、それから逃げることなく、ひとつひとつ
しかも全方位で取り組んでいけば、必ず着地することができる。

今回、その着地の歓びを一緒に体感することができた。
それはある商品の完成、発売。
「何事も経験ですね。次に生かしますね」と担当者の声。
そう、何事も経験。経験しなければわからないし、見えないことは多い。
ゴールに向かう道の様々な苦労は、過ぎてしまえば、ありがたい経験であり
教訓となる。

仕事は、課題をこなし、目標に近づくことであるが、そのプロセスで
人は成長することができる。

私自身、商品をつくることは、人をつくること。
であると最近しみじみ感じている。
ひとつの着地の経験を多く重ねることで、人は必ず成長していく。
もちろんその人次第であるが、どうせやるなら、そうであってほしいと
いつも願い、うるさいおばさん役を演じ続ける。

とにかく着地する経験を多くもつこと。それは小さな達成感につながり
自信にもつながる。

そして着地は新たなスタートである。
何かをやり遂げたとき、人は輝き始めると思う。
だから、何事も中途半端でなく、ちゃんとやりきる。
そんなことを、これからも伝え続けたいし、伴走していきたいと思っている。

関わる人たちが着地すると、こちらもうれしい。
少し気分が晴れやかで、落ち着いた朝を迎えられるのはありがたい限り。

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マスクなし、自分の顔。

マスク生活を3年。お互いの身を守るために、日本人はとくにきちんと、
このコロナ禍での社会的ルールを守ってきた。
それが結果的に良かったという点はあるし、これからもそれぞれの
判断により、適宜、使用していくことになる。
自己責任で、自らの身を守る。当然といえば、当然のこと。

そんなことで、今週になって、マスクを外す機会が増えてきた。
また暑くなってきたため、なるべく外したい。外せて快適・・・。
ではあるが、ちょっと気になるのがマスクなしの私の顔。

コロナ禍に出会った人とは、リモート以外、マスクありの顔しか
お互い知らなかった。
そのときは、目元がポイントであったが、マスクを外すと口元に
目が行くことになり、そしてフェイスラインもしっかり見えるなど
顔全体を見られることになる。
こういう顔だったんだ~。とお互いを知る機会も増え、多少イメージと
違っていたとか、発見があったりするのだろう。
さて、自分の顔は大丈夫かな?

正直、マスク生活、リモート生活では化粧(特に口元)は少し
手抜きをしてきた。口紅を付けてもマスクについてしまうから、
どうせ見えないから・・・。
という3年を過ぎ、久しぶりに濃いめの色の口紅を付けたり、3年前の
自分に戻ろうとしている。
が、3年前よりは着実に年を重ねているわけで、あのときの自分の顔と
同じというわけにはいかなさそうだ。

顔のたるみ。フェイスラインはとくに要注意。
それなりに、努力はしてきたつもりであるが、マスクを長期間して
きたせいもあり、自分の顔についてのチェックも甘くなって
いたかもしれない。
「しょうがないよ、年なんだから・・・重力には逆らえないし」
と家人に言われても、そこは妥協してはいけない。

ということで、今一度、わが顔をしっかり点検。
努力できることは、今からでも!

と思っておられる女性(男性も?)は少なくないかも?
とくに、重力への抵抗力が低下しがちなアラカン世代以上は
要注意だ。

夏に向け、メイク市場、エステ市場はこれから活況を帯びること
だろう。そんなところからも、日常が戻ってきた。

3年前に自分の顔を戻すことはできないが、たるんでいた自分の
内面を見直したり、コロナだから・・を言い訳にしたり、諦めの
理由にしていた頃とは一線を画し、元気にどんどん挑戦していく。

そんなことが可能になったこの今に、感謝したい。
もちろん、気を付けながら、あくまでも確かな自己判断で。
我が身も見た目も、自分で守る。

そう、セルフマネジメントがさらに求められる時代になったのだ。

3年間のコロナは、結局このことを教えてくれているのかもしれない。
と、鏡にうつる自分の顔を見ながら、3年前の顔を必死に思い出してみる。


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「真善美」を改めて

ふと、日常のさりげない瞬間、普段の風景のなかで、
昔習った言葉などが、よみがえるときがある。

今回の連休、消費を求める人々の列、その雑踏を潜り抜けるときに
なぜか、「真善美」という三文字が浮かんできて、
「しん・ぜん・び・・・か。いいな」と久しぶりにこの言葉をかみしめた。

学生時代に読んだ、懐かしい文字であり、おそらくドイツ哲学者のカント
の時代からの用語。さかのぼればギリシア哲学でもこの考え方はあったよう
であるが、理想の人間の有り様を表現した言葉であると理解している。

つねに、真なるものを目指し、善きことを行い、美しくあれ。
そういった存在であれ・・と。
情報もモノも多すぎて、とかく流されがちになりそうな現代社会において
常に本質を希求することは、迷子の人生にならないために大変重要である。

また、この「真善美」とは他人との比較ではなく、絶対的なものであるべき
であるから、自分なりの道を究めればよい。

雑踏のなかでふと考えることは、時々、普段忘れていたことや、普遍なる
テーマであることがある。
自分しか見えていないときには気づかないが、群衆を目の前に、ふと哲学者的に
俯瞰して見えることがある。
この瞬間を大切にしたい。人混みは苦手であるが、少し距離をおいて眺めるには
いい題材になる。

私は私の「真善美」な生き方を求め続けたい。

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ほんとの「いざ!」には大丈夫か?

連休最終日。明日から本格稼働では遅いと、いつものごとく、先に走り始め、
体調、仕事ペースを整える。
一区切りして、ほっとしたとき、住まいの火災報知器が鳴る。
もっとも心臓に良くない音だ。
「火事です、火事です。6階で家事です。すぐに避難してください」
このアナウンス、過去にも何度か鳴ったことがあり、前回は夜も遅かったため、
かなりうろたえたが、今回は日曜の午後。
雨も降っているのに、家事か?
オオカミ少年ではないが、これまで何度も誤報であったとあとで知らされてきた
ため、今回もそうだろうと思いつつも、心臓がばくばくしてきて、
「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、持っていくものを冷静に
リュックに入れ始めた。冷静にといいつつ、もっと急がねばならないのに、
半分、今回も誤報だろうと勝手に決めて、ゆっくりやっている。これはいる、
これはいらない。母の形見ももっていく?パソコンは?・・・・
そうこうしているうちに10分ぐらい経ってしまう。警報音も聞こえなくなった、
前回鳴った救急車のサイレンの音もないので、やっぱり誤報か?でも?
そにかく、なんだかかなり時間を要している。こんなことやっていたら、火が回って
焼き死ぬぞ。と思いながらも、6階ときいたら、9階はどうしようもないのかも
・・・と生きるか死ぬかを想像しながら、取り急ぎ必要なものを持った時点で
思い切ってドアを出て通路を進み、エレベータホールに行くと、エレベータが
動いている。同じフロアの人も、外に出ようとしているが、あまり緊迫感がない。
なんだ、じゃ、大丈夫
じゃないかな。
それでも、恐る恐る下まで降りる。
1階まで無事降りると、普段会ったことのない方が
「誤報だったようですよ」
と親切に教えてくださり、お互い良かった良かったと安堵・・・。
そのときになって、背負ってきた荷物の重さがずっしり感じられた。

と、結局今回も家事でなく、本当に良かったが、なんで、いざというとき、
私はゆっくりしているんだろう。
焦ってもろくなことがないと、これまでの経験から思っているのか。
とにかく、いざ!というときに迅速でない自分に改めて、驚いた。

と同時に、自分は荷物をまとめて下に降りようとしているのに
火災報知器に反応せず、の住民の方もおられたようで、
いざ!というときにみんな大丈夫なのか、誤報が基本と思っておられるのか
そこも心配になった。
誤報が続くと、それに慣れてしまうのだろう。

地震も怖いが、家事も怖い。津波も怖い。雨も怖い。
そして・・・。
怖いことばかりの中で、いろんな経験を経ながら、日々生きている。

この連休で、一番刺激的だったのは、この誤報事件だったかも。
無事に部屋に戻り、普段の生活に戻ったとき、当たり前は、
当たり前ではないことを、痛感。
無事な瞬間を生き続けられるだけで、十分幸せである。

これからも、なんとか無事に生きていきたい。
それにしても、「いざ!」のときは、結構頼りない自分を改めて知り、
もっと強くならないとと思った次第。

一方、地震と雨で被害が増えている能登の方のことが頭をよぎる。
いつ何時、わからない。
真剣に、「いざ」について、考えよう。

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生涯現役でいるための努力、精進。

もう40年以上昔の話。山口百恵はじめ、多くのアイドルがそれぞれのタイミングで
引退をした。惜しまれて・・永遠に人々の記憶に刻まれ、伝説となった。
スポーツ選手は体力あっての仕事であるため、体力の限界とともに引退する選手が多い。
現役選手のあとは監督としての活躍という道もあるため、比較的長いスポーツ人生を
過ごされる方も多い。
仕事によって、個人によって引き際はいろいろであるが、歌手という仕事の期限に
ついて、考える今日この頃・・。

近年、昭和の歌謡曲、ポップスに再び脚光が集まり、歌番組も増えている。
早朝から演歌など流すのは正直、勘弁していただきたいが(汗)、
それ以外の時間の歌謡番組もちらほら・・・。
昭和40~50年代に活躍し、大ヒットを飛ばした歌手が、今、再びステージに
立ち、当時のヒット曲を歌うという番組に出会うと、思わず手をとめ、耳を澄ます。
懐かしく、集中してその曲を鑑賞。
すると、あれ?昔となんか違うな?何かが違うのである。
その歌手もあれから、30歳か40歳年を重ねている。
もし昭和50年に20代でヒット曲を歌っていた人も、今や70歳を越えることになる。
そりゃ、見た目も変わるし、声も変わる。
そして、男性歌手の声の変化よりも、女性歌手の変化を著しく感じる。見た目も声も・・・。

昔感動したあの曲を、今の風貌、声で聴きたいか。
ああ、お元気でがんばっておられるな~。と思う反面、昔の方が良かったと思ってしまう
こともあるかもしれない。ちょっと複雑な気持ちになる。
年を重ねることでの円熟味もあるが、苦しそうに歌う往年のスターを見るのはちょっとつらい。
でも、半世紀以上も、元気に頑張り続けている姿を見ることで、元気をもらえることは
ある。

とにかくスターも年をとり、自分もしかり。
時は流れるということだ。

さて、今からでも遅くない。ボイストレーニングをがんばらなければ。
声が命といっても過言ではないこの仕事
しゃべりも、歌も声が資本だ。
そして、姿勢。表情。見た目も大切だ。

さて、老いても声が素晴らしい。菅原洋一、布施明、松崎しげる、にしきのあきら、HIROMI GO・・・。見た目も変わらない。どんな努力をされているのだろう。

今からでも遅くない。

いつまで現役で?長ければいいというものではないということをしっかり受けとめて
生きていこう。

そのためにトレーニング、努力、挑戦を続けるとしよう。

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目が覚める瞬間と教訓。

休日、映画を見た余韻で少しまどろんでいたら、
突然襲った大きな揺れ。
映画の世界にさっきまでいたせいか、これが現実なのかどうか、すぐにわからなかった。
でも、確かに揺れている。
テレビのスイッチを入れると、あの震災を思い出す緊急速報の音。しばらくすると画面は
緊急時のフォーマットになりベタ帯に地震情報が映し出される。

さっきまで気持ちよく、止まった時間を楽しんでいたのに、一気に現実。
今回も石川の方が震源と知り、最近、こちら方面の地震が多く、その周辺が地元という
知り合いの顔が浮かぶ。あ、○○さんのおばあさん、大丈夫かな・・。
新潟にも被害は及んでいないだろうか。
こちら名古屋は幸い、瞬間の揺れで済んだけれど・・・。

世間は連休の後半を迎え、それぞれの休日のクライマックスを楽しんでいる頃。
遠出している人、帰路につくひと、それぞれの思い出を胸に・・・コロナとともに
過ごした3年間にできなかったことを取り戻そうと、気兼ねなく非日常を過ごしていた
矢先のこの地震・・・。

被災された方には、心からお見舞いをお申し上げたい。
まだまだ被害が増える可能性もある。

自然は人間界の暮らしやカレンダーとは関係なく、自らのペースで動き、
人間を脅かす存在。恐ろしい。やっぱり感情はない。

予期せぬ、あの揺れの瞬間、自分では何もできないと思った。
「あ、やば、怖い怖い・・」
と、じっとすくんでいた私。
さっきまでどっぷりはまっていた映画の世界もどっかへ飛んだ。


気を抜くな。いつ来るかわからないぞ。
目が覚めた瞬間。

それにしても、ほんとうに突然やってくる。
天災、事故は、忘れたころにやってくる。
忘れてはいけない・・。
気を付けようがないけれど、
備えて楽しむ。なかなか慣れることはできないが、
それが必要と、改めて気持ちが引き締まる。

ふと、防災士の知り合いの顔が浮かんだ。
被災経験からさまざまな学習と対策が生まれた。
経験が教訓になる。
自分はまだ経験はしていないけれど、事例を見ながら学習し、
想像から教訓を得ることはできる。

とにかく、自分事として備えることに尽きる。

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心の旅を誘う周年事業

今週は、ちょっとした旅に出る時間を楽しみとしている。
心の旅、そしてタイムトラベルである。
たまたま、いつも利用する楽譜店で探し物をしているとき、
この楽譜出版社の75周年の記念品の案内をみつけ、即反応した。
今なら、限定で条件付きで記念出版された楽譜をいただけるとのこと。
どんな記念出版なんだろう?
実はこの出版社の楽譜は高校のときから、今にいたるまで
最優先で選択し、利用している。
ドイツのヘンレ社。
このグレーブルーの表紙の色も知的でとても気に入っているが
なんといっても楽譜自体が、原点版に忠実というところが良い。
余計な解釈を加えていない、というところが最大の特徴。
気が付けば、ショパンの楽譜をはじめ、多くのクラシック曲の
楽譜はこちらのブランドを愛用してきた。
本場ドイツに行ったときは、安価で購入でき、とてもうれしかった
のが昨日のようだ。
さて、今回の心の旅、タイムトラベルとはこの記念出版本に
掲載されている世界の名曲を順に弾き続けていくことだ。
同社が編纂した各作曲家バッハからガーシュインまで。
なんと古典から現代までの著名な作曲家の名曲17曲を厳選。
タイトルは「PIANO ALBUM」、なるほど、これは確かに
アルバムだ。
入門から中級の曲ばかりで、まあ、旅がしやすい。
シェーンベルクやラフマニノフなど弾く機会がなかった作曲家の
メロディや和音に触れることができ、新たな体験、世界に出会う。
1948年に生まれた会社。戦後まもなく誕生した背景も興味深い。
この会社、ビールがおいしいミュンヘンに本社があるようだ。

今年のGWは、これ1冊で世界旅行。
なんとも心豊かな旅か。
混雑もせず、パスポートも要らず、コロナも心配なく。
こんな旅行なら、いつでも何度でも、行ける。
これが、本当の贅沢な旅。
ヘンレ社。これからも原典を大切に、後世に、世界に、クラシック
音楽のすばらしさを伝え続けてほしい。心からの感謝と祝意を込めて。
表紙の写真は、ピアノ楽譜台のイメージとしてお許しいただくとしよう。

こんな素敵なアニバーサリーがある。
ファンが喜ぶ、最高の企画だ。

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若い人が主役。次代を生きる人へ勇気を。

先日の統一地方選挙では、市長選や市議選で、20代の方の出馬、そして当選が
実現し、今、被選挙権の年齢の見直しについての議論も出始めている。
その報道を横目に見ながら、なるほどと思い、若い人の中にもちゃんと世の中を見て
行動しようとしている人がいることに、安堵し、頼もしく思い、また応援しなくちゃと
いう気持ちが高まる。

若者にとっては、このコロナ禍を通じて、いろんな政治的な問題、矛盾が自分たちの生活に
ふりかかってきて、このままでいいのか?という思いになってきたのだと思う。
また、ネット社会でもあり、いつでも海外の情報も入手でき、それなりのお勉強をしている学生には、世界の中の日本のありようも見えてきて、首をかしげ、このままでは・・と思うことも大ありだと思う。

もし、今、自分が学生だったら、同じように思い、そして行動しなくちゃと思って何かを
しはじめているだろう。
今の自分であっても、何かしなくちゃと思うほどだ。ましてや若かったら、じっとしていられないと思う。

それだけ、今は危機的な状態である。
私たちはまだいい。あと四半世紀も生きるかどうか。(生きたい気持ちはないが)
それよりも、その先まだまだ生きる人たちが、自分たちが生きやすいように、世の中を
変えていかなければならない。

現在の社会については言いたいことはある。でも、言っているだけでは変わらない。
せめて、若い人たちが頑張れるステージをつくっていかなければならない。
世の中の根幹を変える、ルールを変えるのはやはり政治の力。
そこに若者がどんどん入っていかなければならない。

諦めてしまう若者が増えたり、ネガティブな方向へ進んでしまう人が増えないように、
大人たちが、若者主役の光ある社会の可能性を示していかねばならない。

いつまでも、いい歳をしたおじんたちが、しがみついている姿は、若者から見たら
どう映るだろう。

次の世代は若者へ。大人はその応援、サポートをしていかねばならない。
と、この連休、いろいろ考えることは多い。

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