最高の表現者、崇高な仕事。

指揮者といえば、先日亡くなった小澤征爾さんがあまりにも
有名だ。日本が、世界が誇る名コンダクター。
指揮者という仕事は、特徴、個性の異なる楽器、演奏者をまとめて
ひとつの交響曲を、一つの世界として体現させるという偉業。
目にこそ見えない、いや、本当は見えるのであるが、
無言のコミュニケーション力が発揮される仕事。
そのタクトの一振り一振りで楽団の音はいかようにも変わる。
魔法のような仕事でもある。

さて、その小澤さん以外にも、学生時代から大好きで、あこがれて
いた指揮者が何名かいる。演奏会に行くのも勉強のうちと、よく出かけて
いた若かりし頃。
京都に住んでいた頃は、よく京響の演奏会には足を運んでいたし、
海外に行った際には、運がよければカーネギーホールも、リンカーン
センターもオペラ座も、それ以外も足を運んでいたが、ここんところ、
ご無沙汰していた・・・。
そんななか、井上道義さんのN響公演の放送を知り、久しぶりに若い日に
大好きだったこの指揮者の指揮を拝見する。
ああ、なんと今なおエネルギッシュで、自由で、抑揚のある指揮だろう。
しかし、自分がご無沙汰している間に、年月は経ち、井上さんは
病との闘いも経験され、そして今年いっぱいで、引退されること
を知り、ショックをうける。


指揮者という仕事は生涯現役だと思い込んでいた。
そういう仕事、生き方そのもの、人生そのものが指揮者という
仕事なんだと勝手に想像していたが、そうではないようだ。
いつまでも、だらだらやっているとは見えたくない。との意志も
おありのようで、(ネット情報によると・・・であるが)
なんとも井上さんらしいなあと納得もする。12月30日が最終公演。

お店の閉店とはまったく違う話であるが、ぜひ、引退されるまで
にあの素晴らしい指揮による、演奏を聴きに行かねばとスイッチが
入る。
この井上さんと同じ時代を生きておられる指揮者でもうひとり大好きな
方がいる。小林研太郎さん。炎の指揮者と言われていたっけ。
第九の合唱で一度お世話になったことがあったような記憶が・・・。
もう何十年も前の話だ。
一流の指揮者とは!というのを肌身で感じさせていただいた一人。
小林さんも80歳を過ぎておられるようだ。
急がねば!

指揮者という仕事は、本当に創造的な仕事である。
両手だけではない、全身で表情で人々を動かす仕事。
そしてそれは、感動に向かっているという点が最高である。

お元気なうちに、現役のうちに、若い日に体験した感動をもう一度
感じたい。
画面越しに伝わるショスタコーヴィッチを聴きながら、抑えられない
何かが久しぶりに動いた。



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時々ドラえもん?季節外れのサンタさん?

「もう一人暮らしやし、ご飯も炊かんわ、面倒くさいし」。ふと、知り合いの
おばさんの顔が浮かんだ。
義理のおじさんの後妻さん・・ということで、実際の血縁はないが、それを
越えて、子供の頃から応援していただいてきた。
コンサートにはおじさんと夫婦そろって参加いただいたり、最初のCDリリース
のときには、お祝いまでいただき・・・。
今はおじさんもなくなり、おばさん一人、暮らしておられる。

子供のいない夫婦であったから、相方がいなくなる寂しさはいかに・・と思うた
め、時々声をかけてきたが、ふとおばさんがご飯を炊かない・・と言われたことが
浮かんで、新潟の新之助というお米のパックご飯を店頭でみつけ、思わず買った。

それから、カレーやスープやみそ汁やお菓子や・・・。小さなダンボールに入るだけ
すぐに食べられそうな食品を詰め、手紙を添えて、送った。
なぜか、そうしなくちゃ。と思ったから。
「明日夕方、ちょっとだけ、食べ物届きます。」と事前に一言メール。
返事がないので、倒れていないか心配になるが、到着の返事を待つ。
翌日荷物の指定時間になった。するとすぐメール。
「今、届きました。バラエティな美味しいもの、いただきます。ありがとう!」
絵文字入りでメッセージが入り、ほっとした。

時々、誰かのドラえもんか、季節外れのサンタさん?
気になる人に、気になるときに、心を届ける。
「お元気ですか?」

気になっている人には、できることをしたい。
理由はいらない、できるときに、できる人が、したい人が、したい人を。

この連休、被災地へボランティアに出向かれている方がおられることを
思うと頭が下がる。
それに比べたら、恥ずかしいぐらいのささやかなことであるが、
自分は自分なりに、できることを。

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魂のピアニスト。

昨年、フジコ ヘミングさんがショパンが棲んだマジョルカ島をたどる
ドキュメンタリーを何度も見て、静かに、そして深く感動した。
ああこんな風に生きなければと大いに刺激を受け、
60歳からでも遅くない・・と思っていたが、そのお手本である
フジコさんの訃報を聴いたのが一昨日の朝。
このところ、偉大なる音楽家が続いて旅立ってしまわれ、まさか
フジコさんもですか?と思うほどに、しばらく信じられず・・・。

若き日から成功を収める、見た目華やかなピアニストとは違い、
それらとは次元を異にして、命を燃やして演奏していると感じられる
演奏家。
60歳からでも遅くない、ここからだと思わせてくれた人である。
もちろんレベルは違うけれど。

彼女が弾いたラ・カンパネラは見事だ。とてもじゃないが、指が咄嗟に
ジャンプできないため、いまだに弾くのは難しい。
自分流ならいかようにも・・であるが。
ピアノは寝食を忘れるほどにせねばならない。そうしないと弾けるように
ならない。すべては練習であると改めて反省しながら聴く。
もちろん、その難しいリストだけでなく、ショパンの音色も最高である。

フジコさんの演奏は、まだまだ研究が足りないけれども、私が感じるのは、
生きる悲しみが、情念が、弾く一音一音に含まれているということ。
弾くことは、生きることだったのではないかと思える人・・・。
そんな風になれたらいいな・・・。
技巧ではなく、魂を感じる演奏家。そして90歳を過ぎても、現役で
あり続けたこと。尊敬しかない。

どんなことでも、人に感動を与える仕事は、最も尊いことだ。
半歩でも、一歩でも近づきたい。まだ遅くない。

こんな気持ちにさせてくれる、偉大なる演奏家フジコ・ヘミング。
心からご冥福をお祈りします。

好きなピアノを思う存分演奏できたのは、
本当に幸せなことだったろうと思う。

さて、私はまだ生きねばならない。

フジコさんの年までは生きなくて良いが、生きている限り
感動を与えることを目指して、できることを続けたい。

素晴らしき魂の演奏家のメッセージは、命を越えて
永遠に、人びとの心に刻まれるこどだろう。
その存在に、心から拍手をおくりたい。

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究極のサービス業、公務員。

県庁や市役所、町役場で働く人は、地元出身の長男が多いと聞いたことが
ある。親の面倒をみる、後継ぎのため、遠くに出ることはゆるされず、
地元で就職。企業が少ない町であると、公務員を目指す人も多い。
音楽の世界で過ごした高校時代まで、そして大学に行っても公務員といえば
教員ぐらいのイメージしかなかったが、社会人になって、さらに
自分が行政関連の組織での仕事をさせていただくにあたり、公務員
という仕事を少し知ることになり、また職員さんたちと一緒に仕事を
する機会も増えて、その仕事の幅に驚きながら、自分なりに学ばせていただいた。
とくに新潟県での仕事では、二桁ではおさまらない数の職員さん
たちに出会い、交流をさせていただいた日々が、今となっては
大変懐かしい。県庁の職員さん、市役所の職員さん。いっぱい顔が浮かぶ。
なかには、市長になり今も活躍されている方もおられる。
一緒に地元企業の皆さんに、一緒に市民の皆さんにお役に立てるよう
ともに過ごした新潟時代は、企業さんとの出会い以外に、公務員の皆さん
との出会いと学びも、今から思えば大きな収穫であった。

と、そんなことを改めて強く思ったのが、岐阜市役所へ行ったときのこと。
自分が作った地元を題材にした曲をどうしたら、広めることができるか?
自分の音楽が地元でお役に立つことができるか?この私のわがままな
課題、相談に対して、最初紹介をいただいた窓口の方も、ちゃんと話をきいて
くださり、そしてお預かり。1週間以内にはその回答をいただき、次の窓口を
紹介いただき、その方もご親切にきちんと情報を整理してくださり、私のため
に資料を作成いただき、その詳細もご説明いただき、実務担当者をご紹介いただ
く。さらに、こんなことはできるか、できないか。という強引な?相談について
も、ちゃんと傾聴いただき、その担当につないでくださったり、お電話いただき
確認をしていただく。こんなに親身になってくださるとは・・・。
とても感動的な市役所訪問となった。ここまで考えてくれるんだ。
自分宛の資料が用意されていたことに、胸がいっぱいになった。
「ここまでしていただき、本当にありがとうございます。」
いただいた情報を足掛かりに、次の行動に進めることができそうだ。

今回応対いただいた方に、感謝とともに感動の気持ちも沸いてきた。
市役所をたずねてくる様々な人。その一人一人は違った用件である。
暮らしにかかわる、地域にかかわる実に多様な問題、課題、相談。
これに対して、親切に向き合う。
あ、地元の市役所もいいサービスしているなあ。
とうれしく思いながら、新潟の職員さんたちを懐かしく思い出したのだ。

公務員は、自然災害があったらすぐ駆けつけなければならない。
そういう意味で、本当の休日はないはず。
そんなことは、あまり知られていないが、公務員になるには、
それなりの覚悟が必要なのだ。

今回得た情報をもとに、新たな行動も起こす。
また紹介を受けたさらなる窓口にも足を運ぶ。
全部、動くのは自分。当然のこと。
動くから、開拓できる。動かねば何もない。

行政とのかかわり。うまく関係をもつことは、社会にも役立ち、
自分の成長にもつながる。

それにしてもいい課長さんたちに出会えた。
ご紹介いただいた地元の方に、心から感謝。
すべては、つながり。である。

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健康寿命と道・未知・みらい。

長年お世話になっている方から最近の健康状況について、報告が入った。
高速道路だって半世紀以上も使われれば、大修理が必要なように、
人間も70年、80年と生きれば確かに故障も増える。壊れない方が不思議だ。
身近な人の病は、本当に心が痛い。
神様、どうにかして!と無力な自分は祈るしかない。
そして、老いという現実について考えさせられる。

80代も元気に過ごしたいと思っても、健康でなければ、叶わぬ夢。
そんなことは、10年前には考えたことがなかったが、明らかに人生は後半を
まっしぐら・・・の日々。
決して後ろ向きでいるわけではないが、現実は現実である。

そんななか、最近、周囲で、「ロードマップ」についての話題も出る。
50代の経営者はこの連休に、これからの人生、会社のロードマップを考えようと
されており、またあるところでは、ひとつのプロジェクトについてロードマップを
描かねばと言われる方も。
ちゃんとしているなあ。そうだな。
ゴールを定め、そこに向かってどう進もうとしているのかの見える化はしておくのが
良い。とくに組織の運営を担う人には、必要だ。社員がメンバーが道に迷うことが
ないようにしておくのが大切な仕事。

では、私の場合のロードマップは?
わが人生、そんな風に生きてきたことはなかったなあ。と改めて。
道なき道を歩み続けて、化学反応の日々を過ごしてきた。
さて、この先もこのまま進むのか?思案のしどころ。

長生きをしたいわけではないので、長い道のりは描きづらい。
奇跡が起こるロードマップならば、描いて走ってみるのも良いかもしれない。

と、まとまらぬうちに、今日もはじまる。
まずは、今日という日を悔いのないように。
すべてはここからはじまる。

道は描いて走るのか。
道なき未知(みち)をすすんで、自分の道ができるのか。
マイウェイ。は後者だろうか。

とにかくお世話になってきた大好きな人たちと、
これからも少しでも長く、ともに刺激を与えながら、
笑顔で生きていきたい。






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請求書の重み。

毎月月末になると、どこの企業もしなければならない請求業務。
これを滞ることなく発行しないと、売り上げは立たない。
会社員時代には、請求をしてこそ、営業の仕事が終わると教えられた
こともあったが、確かに、請求こそ仕事をした証し、これがあって
はじめて入金となる。
毎月、今も何件かのお仕事に対して、請求書を発行させていただくが、
そのたびごとに、1か月自分が行った仕事をふりかえり、ああ今月も
お世話になったなあと、思いを巡らす。
そして内容を確認いただき、多くは原本を送付するが、そのときも
感謝の一言を添えて送る。
お客様からお金をいただくということは、ほんとうにありがたい。
日々仕事をしているときは、ただひたすらに前に進んでいるが、
この月末の請求業務は、立ち止まる大切な節目でもあるのだ。

そこで、思うが、もし企業に雇用されている従業員の皆さんも
毎月、請求書を会社に発行しなければ給料が出ない。というしくみ
になったら?と思う。
現実的にはそんな面倒で誰にとっても仕事が増えることは実現しないが、
毎月、自動的に給料が支払われるのが当たり前ではない。という気持ち
になることはとても大切だと思うのだ。
今月も仕事をさせていただいて、ありがたかったなあ。と
そんな気持ちになる瞬間があっても良いと思うのだ。
ましてや、今は現金手渡しではなく、振込。決まった日に口座に
お給料が振り込まれる。それが当たり前の時代になってしまった。

もし毎月、全員が請求書を発行することになったら、
それぞれがお金を稼ぐことに今以上に真剣に向き合ったり、現状を顧みたり
・・・いろんな効果もあるかもと思ったり・・・。
もちろん雇用とは、最初に条件を決めて契約するのだから、
こんな事務手続きは不要であるが、請求するという発想を従業員も
持つと、会社も変わるのでは?と思った次第。

いやいや、社員さんにはそんなことに時間をとられることなく
自らに与えられた業務に時間を割いて
いただきたいし、総務経理の仕事をこれ以上増やすのもよろしくない。
ただ、請求書というのは、一つのビジネスの締めである。という認識は
働く人すべてにおいて重要なのではと思ったりする。

4月もありがたく、請求書を発行させていただき、カレンダーも5月に。
ああ、今月も始まったという気持ちになる。
月初から月末まで。四半世紀以上、このサイクルを続けられていることに
幸せを感じ、お世話になっているすべての企業様に心から感謝したい。
使っていただき、ありがとうございます!

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改めて異業種に学ぶ。

筋肉の衰えを軽減し、強いカラダをつくる。
健康的な生活を維持するために、一番大切なことである。
許容量を超えて、体を酷使すると、疲労がたまって、支障が出る。
ちょっとしたサインを無視せず、メンテナンスする。
そんなことも怠りがちであるが、さすがに、それではいけないと
思い立ち、久しぶりにリハビリに行く。
数年前まで、通っていた東京の整形外科のリハビリサービスは大変
良かったが、その後、いい出会いがなかった。

と思ったら、最近できた近所のクリニックで良き出会いを得た。
理学療法士という仕事は大したもんだ。
大変教え方の上手い先生に出会った。

カラダのメカニズムがわかっている。
それを、わかりやすく教えてくれる。
説明力も、コミュニケーション力もなかなかである。
ついつい、その教え方に感心しているうちに、時間が過ぎる。
あと何回か通いながら、足の筋肉の調子を整える。
毎回、療法士の方も交代されるそうであるから、それぞれの対応が
楽しみでもある。
やり方を伝えて、自宅でもできるように導く。
これはビジネスの研修でも同じだ。
やり方を伝えて、自分一人でもできるように導く。

聴いているときはわかる。
でも、ひとりになったらできなくなる。

とそんなことも日常茶飯事。
一人でもやれるようになるには、教えてもらう側にも
努力が必要だ。

実行に導く伝えることの難しさを学ぶ。
異業種に出会い、学ぶ。
この連休はそんな機会も含め、普段と違うインプットを
楽しみたい。

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観てよかった、観ない方がよかった。

子供の頃から、日曜ロードショーとか、水曜名画劇場(タイトルが正しかったか?)
などが、映画世界への入り口であり、大人の世界への憧れであった。
世界、歴史、人間関係、愛、生と死、神と人間・・・・。さまざまなテーマから
現実を越えた大きな世界を学ぶいい教材でもあり、エンターテイメント。
自分にとってはテーマ音楽も楽しみのひとつ。
時々、親の目を盗んで夜更かしをしてみたアラン・ドロン、オードリー・ヘップバーン
の映画などは、今もくっきりその名場面を思い出すことができることに強く胸に刻ま
れている。

映画は、フィクション。今どきの表現でいけば、フェイクであるが、それが実話に
基づいているものもあり、それでも映画ならではの脚色、演出、スケールも表現力も
元ネタとはかなり違う描写になっていることが多い。また、誇張もなければ、
映画にする意味もないため、現実とは違うな・・という点はあってしかるべき。

その映画、様々なジャンルがあり、人により嗜好も異なる。
また観る目的に応じて、視聴する作品を選ぶ。
ストレス解消して、リラックスしたいとき、とにかく笑いたいとき、スケールを楽しみたい
とき、歴史を学びたいとき、好きな人物の半生を見てみたいとき・・・。
今はAmazonだけでなく、他の企業の映画配信(配給ではなく)のサービスをしているため
自宅で、いつでも好きな状態で鑑賞できるのは、ありがたい。

そんななか、好きな歴史上の人物の作品を観ることは好きだ。
先日は信長をテーマにした作品を2つほど観たが、これは良かった。自分が思い描いていた
信長像の延長にあり、自然にその世界に入っていけた。
一方、ナポレオンをテーマにした作品もみつけたので、少し観てみた。
実はナポレオンも、ザビエル、ベートーベンと同じぐらい興味関心のある人物で、
20代、30代にはゆかりの場所を訪ねたこともあり、私にとっては身近な存在。
美術館ではナポレオンの肖像画を何度も観たり、実際に使用した家具を見たり、妻ジョセフィーヌのためにつくった城に出向き、その庭、建物、調度品を見ながら、在りし日のナポレオンを想像していた。ベートーベンがつくった「皇帝」を聴くと、ナポレオンが馬に乗って
行進している姿が浮かんだ・・。などなど、自分なりのナポレオン像があったのだが、映画を
観たとたん、「あれ?こんな感じ?」と思う点が次々と出てきて、また時に戦の現場の惨い描写に目を覆い、観続けることができなくなった。
ナポレオンの印象が変わってしまうのが、嫌だったのかもしれない。

ということで、映画はかなりのインパクトをもって、観客にメッセージを伝えるメディア。
五感に訴えてくる。そして、良くも悪くも、強く伝えることができる。

あとで観て良かったと思うか、観ない方が良かったと思うか。
もし、大切にしたい人物像がある場合は、そのあたりも覚悟しながら、映画鑑賞をするのが
良いのかもしれない。

誰かがつくったイメージよりも、自分でつくったイメージのままで良い場合もある。

と、改めて映画の力を感じている。もちろん可能性も感じている。
でも、ナポレオンの作品は、自分にとっては、観ない方が良かった・・。


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「自分らしく」を探し続ける道。

先日、仕事で接点がある人と、はじめて個人的な話をする時間があった。
普段は、目の前にある仕事の話しかしないので、どんな人なのか、どんな背景をもって
いるかなど知る由もなかったが、知っておくとおつきあいもしやすいため、
声をかけてみた。
その人は、自分のことをぽつりぽつりと話しはじめ、いろいろお聞きしているうちに、「自分も本当は今尾さんみたいな生き方をしたい人なんですよね」という言葉が出てきた。
「でも、今は家族もあるし・・・」と、ほんとうはやりたいこと、生きたい道があったけれどそれではない道を選び、生きていると言われた。
話を聞きながら、その人は自分らしく生きられているのかな。と気になってきた。
もしかして、ずっと我慢や妥協を続けている・・・のではないだろうか?とも思った。

結果的には、どの道も自分が選んだ道なので、どの道を歩んでも自分の道であるが、
その道が自分らしく進める道であれば、良いと思う。
そのためには、家族や同居人と話し合ったり、お互い理解、協力をすることも大切だ。

自分はこう生きたい。こんな人生にしたい。

小さくても夢や、思いをなくさずに、どうしたら自分がやりたいこと、
進みたいことができるのか。を持ち続けたい。
ひとりで生きると、自由があって、どんなことも、周囲に遠慮なくできそうに思うけれど、
家族や同居人がいれば、ちょっと不自由もつきまとうが、別の良さもある。
あれもこれも、は難しい。
それとどう折り合いをつけるのか。
諦めず、折り合いをつけ続けるのが、生きること。

「わたしは、自分らしく生きているだろうか?」
と改めて自に問う。
今は、大きく頷ける。
子供の頃は、そうではない面もあったが、それは親の世話になっていた時代だから
当然のことだ。
「大人になったら、好きなようにしろ」
と何度も言われた時代。その時代こそが、自分らしさを考えさせてくれたのかもしれない。
もっとおしゃれがしたい、もっと〇〇へ行きたい・・・。
それができるために、がんばってきた18歳以降の人生・・・。

今日までをふりかえると、自分らしさ・・そこにこだわり、そこだけを選び、
そのために生きてきた人生だったかもしれない。
人によって、何が「らしさ」なのかは異なるが、
私の場合は、今の日々の生き方そのものが、自分らしい、そうありたいと生きている。
だから、今、とても幸せだ。そして、周囲に感謝している。
周囲の理解や応援なしでは、自分らしく生きることは、難しい。
そして、平和であるからこその、自分らしさでもある。

自分らしくは、人は与えない。自分がつくること。
自分が意識し、そちらに向かうよう努力すること。

「まあ、いいか。」
と妥協した時点で、らしさは崩れてしまうような気がするから、
そこは気を抜かず、「自分らしさ」を希求し続けよう。

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楽しそうなオーバーツーリスト。

京都はますます外国人観光客でごった返している。
今週は3度京都出張があったが、曜日は関係なく、外国人グループを
多く見かける。最近はとくに欧米からの訪問者が多いように感じる。
爆買いを楽しむのではなく、異国のKYOTOにいる時間を楽しんで
いる、大人の旅行者という感じで安心する。

新幹線の構内も、通路も、在来線もバスも外国人であふれている。
大きなスーツケースを引っ張りながら、大きなリュックを背負い
ながら・・・。昔は若いバックパッカーのような旅人が多かったが
今は、大人のグループも多い。
錦市場の狭い路地は、連日、昔の大晦日のような混雑ぶり。
ほんとうに、ほんとうに京都は外国人観光客で溢れかえっている。
そのため最近は、混んだバスに乗るのを避けて、地下鉄に乗るのも
あきらめて、四条から京都駅まで歩くようにしている・・・。

京都駅。回転寿司屋の前に大勢の外国人観光客が列をつくっている。
おそらくSNSで話題になってしまっているのだろう。いつも、並んで
いる。安いのと珍しいのが人気なのかもしれないが、コロナの時とは
ガラリと違う店頭・店内。
同じく、席の改札にほど近い洋風居酒屋。そこでお客さんを待っている間に、
その店に来ている旅行客の様子を観察。
夕方17時前。まだ日本人のビジネス客はいないが、ツーリストでいっぱい。
自分がローマの駅近くの店にでもいるのでは?と思う感覚にもなる。
その店はバールのような雰囲気なので、もしかしたら伏見稲荷に行った
帰りに寄ってくるのかもしれない。
気軽に入れる店が旅行客は好きだ。しかもそんな高価な食事は求めない。
みんな、ビールジョッキ片手に大変幸せそう。
隣のテーブルにいる私にもサインを送ってくる。
一緒に飲まない?そんなメッセージを感じる。
京都にいながら、外国にいる気分になれる、ちょっとこちらが海外時間を
懐かしむ束の間・・・。
ひとり居酒屋で外国人観光客を眺めていると、新たなヒントも生まるかも。
本当に幸せそうで、こちらも楽しくなる。

一方、連休もはじまり、今日から京都はさらにオーバーツーリズムに悩まされる
週末となる。
ほんとうに何とかして!と思うボリュームであるが、それでも一人一人の
顔を見ていると、皆さん幸せそうなのが、印象的。

念願のKYOTO旅行を楽しんでいるのだ。
為替の影響とオーバーツーリズム。どこまで人が増えるのだろう。

ちょっとだけ、コロナのときの静けさが懐かしくもある。

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