17回目の冬に思う。

コロナのおかげで、オンラインでの仕事が可能となり、名古屋へ引っ越して遠くなった新潟出張の回数は激減した。
久しぶりの新潟行。しかもこの季節。
かの川端康成の小説にあった「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」
というくだりをいつも、思い出すのが上越新幹線に乗り、越後湯沢に到着する頃。くぐるトンネルごとに雪がお出迎え、そしてその地形により、雪の見え方も違う。スキー場がある山あいの雪、さらに平野の広がる銀世界・・・。
同じ雪でも、その場所場所で、違う表情を見せてくれる。
この広々とした新潟の地に向かう、この回数はこの17年間で何回重ねたことか。
数えたこともなかったが、1年に10回としても、170回。実際にはもっと通っているはずだ。
この景色に触れるのがいつの間にか普通になり、感慨も薄れるぐらいに、親しんできた新潟時代。
雪の季節には、しみじみと、ああ、ここは本当に雪国なのだと、自分の生まれ故郷とは違う厳しさのなかで、生きてきた人々への尊敬の念が生まれる。
厳しいなかで育ってきたから、我慢強い。
「新潟の冬は、こんなもんですよ。雪がなければ、美味しいコメも酒もできない
ですから」と地元の方がいつも言われてきた言葉が、この風景のなかに浮かぶ。
写真は、久しぶりの雪の季節の出張でみつけた車窓の様子。
にいがた。思い出がありすぎる。いつのまにか、第4のふるさとになった。
コロナのせいで・・といいたいことも多いが、コロナのおかげで、
ダイナミックな四季に触れることへの感動が、ありがたく思えてくる。
なんだか、感慨深い新潟出張。東京から通い続け12年、名古屋から通って5年。
春を待ちわびる気持ちと、冬のままでいてほしい気持ちが入り混じる
2月の越後行き。

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どこまで伝わるか?のどきどき

13日まで公演された、朗読劇の配信サービスが開始となった。
これは、会場にその日に出向かなくても、自宅など好きな場所で
期間内の好きなときに楽しめることができる。という点で
コロナが与えてくれた、新たなサービスだ。
配信は、今から思えば、技術的にはコロナ前からも可能であったが
「今、そこに行くことができない」という現実が、主催者に気づきを
与えたといえる。
確かに、今回も遠方からなので、コロナゆえ、東京に行けないけれど・・・
ということで配信予約をしてくださった方や、当日体調不良になり、
配信予約に切り替えられたという方もおられる。
主催者によると、
今回は、劇場来場者よりも、ネット配信予約の方が増えた。
最近の傾向はとくにそのようだ。

とくに小劇場、小さなホールでのイベントには、配信の方が安心、安全
に思える。
そんなことで、かえって、会場自体は、従来の公演と比べると大変人が
少なく、密にもならずたっぷり楽しんでいただけることにもなる。

さて、その配信。私はまだ自分で観るのが怖い。
だいたい自分で観るのは、そうかもしれない。

この録画は、初日の2回目を録ったもの。
初日というのは、なかなか緊張するものだ。
初演はとくに、お客さんが入った初めての空間、初めての演技。
チームワークもまだ未完のままでのスタートゆえ、少しぎこちなく、
なんともいえない緊張感が会場を包む。
今回は、開演後、サーキュレーターがフル回転したおかげで、
とてつもない寒さが、指先を凍らせた。というアクシデント。

そして2回目は、その初演よりは慣れてきたが、会場に撮影用のカメラが何台
も入ったおかげで、「絶対に間違えてはいけない!」との新たな緊張感に
再び包まれる。この回の公演が、配信されるのだ・・・と思うと、
これまた最後まで、どきどき。でも、意識しすぎるのも禁物。と
内面のバランスがなかなかむつかしい。

と、そんななかで撮られた回が、昨日、ネット配信された。
早速、ごらんになった方から、「朗読劇と生演奏ってはじめてみたけど、
場面転換に音楽があることで、本当の演劇みたいに映像が浮かびますね」
「音楽はすごい重要な役割なんですね」などの声をいただく。
ああ、間違えているところ、気づかれていないだろうか・・。どきどき。
ああ、観ていただいたんだ。と思いつつ、あの現場のなんともいえない
緊張感が蘇り、役者やピアノ演奏の「生」の表情が、配信でどこまで伝わった
だろう・・と不安な気持ちも改めて芽生える。

劇場に来られた方は、「やっぱり、現地でないと味わえないものがあるから」
ということで足を運ばれた方もおられたため、配信ではそれがどこまで伝わり、感動をお届けすることができるのだろう・・・と思えてくる。
しかし、「ある程度」は伝わるだろう。そして、今度こそは、生で観たい、聴きたい
となれば、まずは成功か。
でも、やはりネットの限界はある。

そんな状況で、今回、心から応援いただき、各地からご予約いただいた皆さま
に心から感謝をしたい。
行けないから、とあきらめられた本番が、
自宅や好きな場所でいつでも楽しめる。
このネット配信のメリットは、計り知れない。ここが大切だ!

いろんな発信にトライすることで、次が見えてくる。
でも、やっぱり、生がいい。
生で伝えたい。そして、生は贅沢。
改めて、そのことをかみしめ、配信された作品と自分をみつめなおそうと
思う。勇気をもって・・・。

今回の朗読劇の配信サービスは3月10日までご覧いただけます。
今日も好評受付中です。ぜひ、よろしければ・・・配信の可能性を
ご一緒に探検いただけたら、幸いです。


「スーパーむつみ堂のバレンタインストーリー ~最後の2月14日~」動画配信チケット | b.l… (stores.jp)

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おすそ分けと反省会。

東京公演でいただいたお花を、出演者やスタッフに分けていただき、
そしてその一部を自分も持ち帰る。
その中から、日持ちしそうな花を少し両親にもおすそ分け。
そう思って、大荷物と一緒に持ち帰った花たち。

1週間に一度は、と思っている墓参りもなかなか時間がとれなく
なるが、それでもなんとか!と思い往復2時間。
今の自分の任務のひとつとして、報告に向かう。
「コロナでも、お客さん来てくれたわ。初演はうまいこといかんかった。
でも、なんとかやれた。だんだん良くなったかな。」
「もっと、練習しないといかんね」
「お花をたくさんもらったので、ここにももってきたよ。
バラは花びらが落ちるし、やめとくわ」などと、
お墓に花を飾りながら、そして誰もいない実家の仏前の写真に
話しかける。ちょっと寂しさが入り混じる。

以前は、電話やメールで、報告していたことが
今はこんな形でのワンウェイコミュニケーション。
「ま、そんなことで、いろいろあるけど、今週もがんばるわ。」
と最近は、そんな感じ。
「じゃ、仕事に戻るし、もう行くわ。また近いうちに。元気でね」
と写真に向かって呼びかける。
元気で?一体、誰に言ってるんだろう?

と、自分でも思いながら、そんな風に姿が見えない両親に、
話しかける反省会。
きっと聞いているだろう、届いているだろう。
もしかしたら、東京にもついてきていたのかもしれない。
と、ブツブツ。
そんなひとり反省会をしながら、頭と心を切り替えて次に向かう。
やっぱり報告しておかないと。次がはじまらない?
いただいた花を、きっと母も大喜びしていることだろう。

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挑戦と達成感。自分へのバレンタインギフト。

昨日2月13日までの朗読劇公演は、おかげさまで無事に終了した。
一部出演者においては、濃厚接触ということで降板されるというまさかの事態も
あったが、それも含め代役も用意していたため、問題なく全プログラム開催
できたことは幸い。(ご本人には本当にお気の毒で、残念であったが・・・)

さすがにコロナ禍で、満員御礼にはど遠い客入り。これも想像通り。
そんな悪条件でも、来場される方はかなりの演劇通だったり、近場の応援団
だったり、コロナとのつきあい方も心得ておられる方だったり・・。
とにかくお客様の数にはこだわらない。おいでいただいた方がすべて。
100人でも10人でも、同じ。ひとり一人のお客様に響くよう、
届くように演じよう、と一丸となって取り組んだ6回の公演。

お客様から見たら、その毎回の変化には気づかないかもしれないが、
演ずる側には、さまざまな違い、変化があり、一喜一憂もあり、
成長もあり・・。とにかく毎回違う作品になった。
とにかく、それぞれの役割をまっとうしたといえる出来栄えになった。
配信用に録画したのは初日であるため、こちらにはまだ初々しい緊張感が
漂っているかもしれないが、2日、最終日と回を重ねるごとに演技も安定し、
演奏する私も、台本を見ないで、
役者の朗読に聴き入ってしまう余裕ができるほどになった。

さて、今回改めて学んだこと。
演劇でも朗読劇でも、オーケストラでもそうだが、チームワークが肝心。
一人一人が自分の役割をしっかり担う。そして、「間」を大切に。
言葉が命の朗読劇であれば、言葉を次の人にバトンを渡すように、
つないでいかねばならない。
そして、音楽は意外と重要、重責を担う。
映画でも同じであるが、最初と最後の音楽で作品は決まるといっても
過言ではない。もちろん場面転換も重要であるが。
決して気が抜けない。自分がちゃんとしないと、拍手が来ないかも。
最後が決まらなければ、せっかくの作品がだいなしになってしまう。
絶対に、そうなってはいけない!
と、毎回緊張の連続で、心臓が飛び出しそうなぐらいであったが、
なんとかうまくおさめ、最後の音を決めることができ、
会場から拍手が沸くと、心からふーっと力が抜ける。
毎回、そんなエンディングを迎えた。

心のこもった拍手や、お客様からお声をいただいたり、
アンケートにうれしいことが書いてあると、
本当にやって良かったと思えてくる。

今回は、スーパーとバレンタインをテーマにした作品で、
4つの作品を音楽でつなぐという仕事をさせていただき、
新たな可能性に出会えた。まさに、自分へのギフトだ。

これから、この季節がくるとこの劇のことを思い出すだろう。
出演者の皆さん、本番の様子、そして、演奏のタイミングのチェックを入れた付箋付きの台本とピアノ。さまざまな写真からこの3日間をふりかえり、安堵。
無事終えることができた達成感と、温かい応援への感謝の気持ち。
新たに出会えたアーチストたちとの、次なる遭遇を楽しみに。
ハッピーバレンタインの月曜がはじまる。

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3日限定のチームのクライマックス。あっという間の千秋楽

「スーパーむつみ堂のバレンタインストーリー」。
4人の作家による、4つの朗読劇公演がいよいよ千秋楽。
本日が最終日となる。
さすが、日本随一の演劇の町、下北沢の週末。開発が進んだ駅前。
コロナといいつつも、マスクをした人々でにぎわう。
劇場に足を運ぶ人はコロナ前と比べると少なくはある。
しかし、演劇が好きな方はそれにかかわらず、足を運んでくださる。
混雑していないため、安心して観ていただける。
(今回はこれまでよりも配信での予約が伸びているとのこと。)
本番前にはじめて出会った、6人の役者、演出、照明そして私。
この9名で作品を作り上げる。
まともな練習1日で、作品を作り上げ、初日開催。
緊張の初演から、すでに4回。
不思議なもので、回を重ねるごとに、どんどん良くなる。
作品が自分のものになってくる。
寒さ対策も工夫をして、1日目よりも指もよく動き、
役者の演技との一体感も増す。
芝居など連日開催の作品は、回ごとに違う。そこが生の良さ。
お客様にごまかしができない。
来場されたお客様には、しっかり90分楽しんでいただき、満足いただき
お帰りいただいた。もう1回見たいと、
今日、再び足を運ばれる方もおられる。
そして4名の作家さんからも大変好評をいただいた。
自らがかいた1本の作品が、
他の作品と一緒に1つの物語として上演される。
一体、どんな風になるのだろう?と
期待と不安で本番を迎えられたことと思う。
その作家さんたちにも、生演奏も大変喜んでいただき、
安堵した。責任をひとつ果たせた感じだ。

私は、本番直前、出演者がそれぞれ発声や、腹筋、
セリフの練習を行う
この時間がとても好きだ。
自分も指を思う存分鳴らす。
それぞれが自分の世界に入っている。
本番に向けた張りつめた緊張感が漂う。
写真はそのひとときの1ショットだ。

本日は最終日。この光景もあと2回しか見られない。
そしてあと2回の本番をこなしたら、
このチームは解散となる。
準備含め4日間の、期間限定のアーチスト集団。
出会い、ともに創り、そしてそれぞれ次へ向かう。
私の腕は別として、それぞれがプロだからできる、
面白い仕事だと思う。

かけがえのない1日。
応援の赤いバラとともに、最終日を悔いなく弾ききる。
劇中音楽家のマーサとしての存在。ありがたいこと。

さあ、素敵なクライマックスをみんなで創りたい。
バラ色の人生のように・・・。

※本日、13時、17時の部ともにお席に余裕があります。
どうぞお待ちしています。

※今回の演技のネット配信は、2月15日以後開始となります。
ただいま好評受付中です。
会場でのライブ感がそのままお届けできないのは残念ですが、
期間限定ユニットの初日の演技と4つのストーリーをおうちで
お好きなときにお楽しみいただけます。
ぜひ、バレンタインの贈り物におすすめします。
ご予約はこちらからどうぞ。
次回公演情報 | B.LET’S (blets.net)


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選手の気持ちがよくわかる本番。

どんなに練習がうまくいっても、本番は違う。
オリンピックの様子が報じられる毎日。選手によって、
その結果は悲喜こもごも。
前評判や期待が良すぎると、その重圧も大変だ。

本番を成功させるには、さまざまな要件を満たす必要がある。
練習は大前提。技を自分のものにしなければならない。
そして、ものすごい集中力。ほどよい緊張感。
そして外的な要因が揃っていることも必要要件。
普段と環境が変わりすぎると、うまく力が発揮できないこともある。
それらすべてが融合され、当日の力になる。

オリンピックを見ていて、特にフィギュアスケートはすごいと思う。
ずっと見られている。転倒してはいけない。それだけでもすごいのに、
その上で四回転半とかするのだから、まさに、神業。
どんな戦いが自身のなかで、繰り広げられているのだろう・・・。

さて、コロナのなか、朗読劇公演がはじまった。
雪もとけ、太陽が降り注ぎ、まずは安心。
だが、初日はとにかく緊張するものだ。
リハーサルまでとは、やはり勝手が違う。
お客さまが入ることで、場の空気ががらりと変わる。
こんな状況で、ネット配信ではなく、来場される人はかなりの
マニア、ファン。変わった人。有難い限り。
そして、初日にこそ観たいという人が来られる。
だからこその緊張がある。
また初回公演は、どうなることやら?の心配もつきまとうもの。

その本番。
朗読劇はピアノではじまり、ピアノで終わる。
さあ、出だしは手もあたたかく、普段どおりのスタート。
そのあと、劇が進み、自分の出番を待つ間、だんだんと
寒さが増して、手がかたまってきた。
手もとにカイロをもっていたが、全身が冷えてきて、
焦ってくる。
まずい。なんで、こんな寒いんだろう
(後で確認したら、自分のまわりの会場の暖房がOFFに
なっていたようだ・・・)

とにかく、じっとしているのがたまらない。
ずっと弾いていれば動く指も、止まっていると固まる。
鍵盤の上で、指を動かしているが、どうも違う感覚だ。
手がかじかみ、劇の途中で弾き始めるときに、うまく音が出るか?
指が動くか、練習の時には、これまでの本番では味わったことの
ない不安が自分を襲う。
指がかちかちになりながら、なんとかなんとか、進んでいく。
フィナーレに向かう。
クライマックス。何があっても止まってはいけない。
演奏ですべてが作品が終わる。
そこだけは死守せねば。
まさに、氷の上で、転ぶな転ぶなと自分に言い続けている
選手のようになる。
なんとか、切り抜け、初回を終わる。
良かった!みなさんさすがプロ。という声をいただき、
少し安堵。
でも、
こんなに寒くなるとは。
お客さんには関係ない。なんとかしなければいけない。

早速2回目に向けて、衣装や暖房や、さまざまな工夫、改善をする。
環境を変える。足元にストーブもおき、待ち時間は手袋も・・。
落ち着きも出てきた。初回よりノリも少し出てきたか。
まずは、滑らないように、止まらないようにが最低要件。
などなど、とにかく無事2回目を演じ、初日を無事終わった。

本当に選手の気持ちがわかる、本番の怖さ。
コンディションを整えるということは、カンタンではない。
アカギレとの戦い。液状ばんそうこうを指先に着け続け、
今日も戦いにのぞむ。力士のシップと同じだ。

こうやって場数を踏んで、だんだんうまくなる。
役者さんもそれぞれ自身との戦いをしている。

今日は二日目。
だんだんうまくなるはず。
この緊張との戦い、自身との戦い。
この積み重ねで、本番力が養われる。
シングルのコンサートとは違う、チームワークの大切さ。
みんなで作り上げる、ひとりが欠けても成功しない。
他の仕事にも活かせる、とても貴重な経験。

遠方からも、さまざまな応援をいただいている。
有難い限り。
その声を、今日の演奏に!
プレッシャーを楽しみに。
今、そっちに向かっている。
だから、アーチスト業もやめられない。


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コロナと雪と「一体感」で本日初日!

昨日は、今日から開演する朗読劇の「小屋入り」。演劇の業界用語らしい。
劇場に全員が集合し、そこに籠って最終の練習。
「場当たり」といった場面転換の照明の確認や、
「ゲネプロ」というリハーサルなど、1日、演劇人の中に混じって、
普段と違う時間を過ごす。
その会場に、演者に、照明に、音楽に・・慣れ、空間のなかでどう演ずるのか
想像を膨らませながら、自分の役割をまっとうするべく、熱心に練習する。

初めて集中してこの公演にどっぷり浸れる、貴重な日だ。
最新の台本(「上演本」)を初めて通しで読み、改めて作品を理解する。
劇場に入ってしまうと、その世界に入ってしまえることが、とても
新鮮。本番が近づく、逃げられない感覚もたまらなく好きだ。

脚本家、役者さん、照明さんたちと一緒にお会いするのは初めて。
「よろしくお願いします」とご挨拶。
おかげで、今回の作品のちょっとしたテーマソングをつくったことで、
皆さんとの一体感が生まれた。お互いを良く知らないのに、それを歌うことで、たちまち、一緒に作品をつくっているという仲間意識も一気に高まり、
なんだか楽しくなってくる。
今回は朗読劇であるため、演技自体は言葉が勝負となる。
コロナ的にも、朗読劇は安全だ。

役者は、それぞれうまい。やっぱりプロだ。
みんな、それぞれ自分の夢を賭けて、頑張り続けているのだ。
下北沢の劇場には、そんな役者たちが東京、日本中から集まって、自らの
演技を毎日披露している。
この2年間、どんなに大変な日々を皆さんおくってこられただろう。
このような状況でも、「やろう!」と思う気持ちがとても理解できる。
皆さん、逃げないのだ。とても共感できる。
「明日は、雪で、キャンセル出るやろうなあ。」
「こんな状況で来てくれるお客さんは、よっぽど好きな人。変わった人」
と笑って言い合う。なんだか前向きで、楽天的。でも強さを感じる。
お客さんがたとえ、いない幕があっても、やりきる。

オンラインではまだ湧いてこなかった、なんともいえない緊張感と、一緒に
作り上げようという一体感が高まる。
稽古が終わって、小屋を出る。
気が付けば、夜9時。外に出たら、予想通り雪が降っている。
町もコロナのせいで、時短営業のため、静まり返って、
雪ふる音がしんしんと・・・。

さあ、舞台は東京。メディアが騒ぐ様子とは違う様子も含め、
東京に住んでいた5年前をふと思い出す。
あの頃は、親に電話していた。
「明日、劇に出るし、劇でピアノ弾くし」
今は、心のなかで報告する。

さあ、今日は初日。
まずは、気を付けて、会場に向かおう。

応援してくださる皆さま、こんな状況でも足を運んでくださる皆さま、
配信予約をいただいた皆さま、大変ありがとうございます。
引き続きのご予約、ご来場、心よりお待ちしております。

「スーパーむつみ堂のバレンタイン ストーリー」
本日より始まります!ご予約はこちら!

次回公演情報 | B.LET’S (blets.net)



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運しかない。

このオミクロン感染拡大期に、朗読劇をする?
話がきたときは、当日には感染も収まってくれるだろうという
希望的観測前提で話を受けた。
その劇団主宰者の真剣な思い、行動力に共感し、
「さっちゃんがやるなら、やる!やるわ!」
とふたつ返事。必要としてくれること、一緒に作品を
つくりたいといってくれることがうれしかった。
その声に応えたい。と思った。ただそれだけ。

その後、コロナは感染拡大、今も日々感染状況は
収まっていない。
でも、絶対に「やめる!」という選択肢はない。
対策をしっかりして、やる。と決めている。
やめるときは、本当に最後の最後。そのときは仕方
ない。でも、今はそのときではない、前に進むのみ。

さらに、今日は大雪警報だそうで・・。
今日からリハーサルで東京入りと言うのに・・・。
何年前か、東京のライブで大雪になった日のことを
思い出した。
笑うしかない。本当に・・・。
コロナに大雪。というスペシャルな条件。
であるが、まあ、それもありだろうと、
「気を付けてきてくださいね」
との言葉をもらう。
まったく普段通りだ。

こういう前向き加減が、本当に好きだ。
役者魂、作家魂。やわじゃない。どんな天気であっても、
突き進む。
地震がきても、演じ続けるのだろう。
まさに生きているという感じ。

さあ、気を付けて、明日からしばしの東京ステイ。

「あとは、運です。それしかない」
そのとおり。運に身をまかそう。

まずは明日会場へ行き、そこからホテルに帰る。
運任せ・・・になろうか。やりきるところまでやったら、それしかない。




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ゴールを目指して、一緒につくるタノシミ。

今、ある「歌づくり」を進めている。
企業ではたらく、障がいをもつ人たち同士、周囲の皆さんとをつなぐ、
コミュニケーションツールとしての音楽づくりと活用。
ちょっとした発案から、夢が実現に向け動き始めた、小さなプロジェクト。

皆さんに、仲間と一緒に働くことの楽しさ、やりがいについて、
グループ・個別面談をしながら、それぞれの言葉で語ってもらったことを、
皆の想いとして、一曲にまとめるという流れ。
とりあえずメロディラインはできて、歌詞も頭の中に浮かぶイメージを、
あとは一気に出すだけの状態。アウトプットにはちょっとの集中が必要で、
それがなかなか・・という状況であるが、期限を決めて自身を追い込む。

リズミカルで、どの人にも楽しんでいただきやすい曲を・・・。
〇〇マーチと名付けた。皆さんも大賛成!でまずは安心。

さて、曲ができたら、今度は演奏を皆で行う。
その仕込みがはじまる。

まずゴールを決めましょう!
ということで、その会社の設立記念日を、本番とすることにした。
スタッフだけでなく、障がい者の方にも一緒にそのミーティングに入って
いただき、どうやったらゴールに近づけるかについて、意見をもらいながら
皆さんと決めていく。
「どんな本番がいい?」「誰に聴いてもらいたい?」
全員で演奏するだけでなく、もちろんギャラリーがいた方がいい。家族に
聴いてもらうのもいいこと。やりがいにもなる。
などなど、前向きの意見が出てきて、うれしくなる。
事務局は大変であるけれど、うれしい悲鳴と解釈させていただく。

では、誰が歌い、誰がどんな楽器を受け持つのか?その役割分担は
メンバーの皆さんにお願いする。自分たちのことを、自分たちで話し合う。
やらされる仕事にならないために、こういった役割を任せることも大変意味がある。
仲間同士で話し合ってもらって、曲づくりのプロセスのなかで、企業内の
コミュニケーションが図れるようになればいい。

「絵やデザインが得意な仲間がいますが、その人たちの能力を活かす場は
ありますか?」
という質問が出る。確かに器用な方もおられた。その才能ももちろん
生かしたい。
「では、本番のチラシやポスターをつくってもらって、それをみんなのご家族や
グループ会社の皆さんに配付したり掲示したり・・ということで、
活躍いただくというのはいかがでしょう?」

画面の向こうのマスクの顔が、頷きと笑顔であふれる。
そう、ひとりひとりの能力とやる気を活かして、みんなで作品づくりをする。
皆さんがこんなにのってくれるプロジェクトになってきて良かったと
胸をなでおろす。
障がいのある人もない人も、一緒になって小さなゴールを目指す。
これは、言い換えれば金メダルを目指すことと同じかもしれない。
でも、競わない。他と比べない。

自分たちができる、最高のパフォーマンスを成功させたいだけ。
ゴールを決めると 自ずとお尻に火がついてくる。
やるしかない。

輝く皆さんとともに、皆さんがもっと輝くために。
そして、もちろん私も一緒に輝きたい。
今、皆さんのご家族が喜んでくださる瞬間のこともイメージ
しはじめている。



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演奏者も役者!?

NYのブロードウェイ。25歳で初めてNYに行って以来、
もう何十回、足を運んだことか。
いろんな作品を見たが、結局はこの10年ほどは(といっても、コロナ前から
ご無沙汰で3年ほど行けていないが)気が付けば、
毎回、「CHICAGO」ばかりを毎回観てきた。
しかも最前列に近いところなど、演技や演奏がよく見える場所を好み、
演者の呼吸、表情やステージ上のチームワークを体感、研究した。
なぜ、「CHICAGO」をこんなに多く観るようになったか。
セクシーかつユーモアあふれる役者の演技と音楽性の高さは
もちろんであるが、それ以外には、指揮者がピアノを弾きながら、
出演者と一体となって演奏しているところが大きな理由。

役者の歌やダンスももちろんしびれるが、そのピアノを弾く
指揮者の彼女を見て、限りない憧れを抱き、いつかは私も!
なんて妄想を抱く瞬間が好きだった。

配役された役を演じ、セリフを話し歌い、踊る役者だけが
役者ではなく、演奏者も同じ役者なのだ。歌舞伎の世界にも、
長唄をはじめ、音楽があり、三味線などの音色が役者の演技を
盛り上げる。
音楽は舞台に不可欠である。

さて、いよいよ週末からはじまる、朗読劇。
やっと脚本・演出責任者と音楽の打ち合わせができ、
だいたいどこにどんな音楽を入れるかを話し合った。
自分のオリジナルもそれ以外も、音楽以外の効果音も・・・
できることは全部やる。
さて、当日の衣装は?とたずねてみると、
「考えておきまーす」とのこと。
何でもいい。
お客様が喜んでくださったらいい。
昨日の投稿に記した、「天井桟敷の人々」とは
くらべものにならないが、いつの時代も、
舞台にいるすべての人間は、お客様のために存在する。
そういえば、この映画に出てくる演劇には、
いつもオーケストラの存在があった。音楽があることで、
作品が立体的になり、観客の情緒をかきたてることができる。

と書いていたら、どんどん緊張が高まってきた。
カウントダウン。やるしかない!
兼業アーチスト、がんばろう!

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