平和のなかの多忙に感謝しながら・・・

コロナとともに迎える3年目のGW。
どうやら、今年は昨年と比べ6割増しの
旅行客が見込まれるようだ。
暮らしが平常モードになることは、本当にありがたい。
皆さん、わくわくの日々に向け、今週をスタートされていることだろう。
あと何日、あと何日。
大人も子供もカウントダウン気分かもしれない。

そんな休み前に向け、そんなときに集中して、
いろんな予定が入ってくる。
連休前後とは、そういうもんだと昔から思ってはいたが。
今週も連日、おかげさまのてんこもりもりの予定である。
なかには、自分が企画したイベントもあり、初めて試みるコミュニケーションも
あり、ほどよい緊張感に包まれる。

毎日が本番。
これをひとつづつ、毎日しっかり完成形をイメージしながら
進めていく。
そして、ひとつづつ終わらせて、次に向かう。
今週前半は、毎日新幹線とともに1日が終わり、終わる。
その移動中に、しっかり本番に向けてのイメージを整えよう。
すべての本番。目指すはみんなの笑顔。
それができれば、すべて成功。

平和で自由な朝を迎えられて今日に感謝しながら、
1日を大切に進めていきたい。
忙しいなんて、贅沢なこと。幸せなこと。

早く戦争が終わってほしい。
そうしないと、個人的にはこの連休も楽しくはない・・。


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心遣いの承継。

新潟小千谷より、お届けものを受け取る。
長年親しんできた、なじみの食品。鮭などの加工品でブランド名は「吉雪」。
雪は人々に吉をもたらす、ありがたい存在。という新潟の人々の雪への思いが
込められている。その名づけ親でもある創業者と出会い、十数年、おつきあいを
深め、その関係は、その方がコロナ禍で亡くなる前まで続いた。
その「吉雪」が届いたのである。現社長である娘さんからである。手紙が同封
されている。
「・・・・4月19日の新潟日報の記事を拝見しました。長らくお疲れ様でした。
1200社のなかの1社である、うちも大変お世話になりました。きっと母が
生きていたら、新聞を見てすぐ手紙(メールかもしれませんが)を書き、
そして、吉雪を送っていると思いますので・・・。」
とのメッセージがそこに記されていた。
母が生きていたら、きっとこうするだろう。ということを娘さまが想像して
お母さまの代わりに、送ってくださった。
その想いが、本当に本当に心に沁みた。
二代にわたり、心遣いいただけるとは、なんとも・・・。
そんな感激にひたった夜から、日付が変わり、4月24日。
今日はそのお母さま、吉雪の生みの親である美智子さんが旅立ちから2年だ。
時間は経っても、忘れる日はない。
そして、娘さまがお母さまの想い、思いやり、おもてなしの気持ちを受け継ぎ
仕事をされ、元気にご活躍されていることを思うと、美智子さんもきっと喜んで
おられることだろうと嬉しい気持ちになる。
今日は空を見上げて、美智子さんを思い感謝の祈りを捧げたい。

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コミュニケーション アスリート。

気が付けば、朝の7時半から12時間、ずっと誰かを話しをする、打ち合わせ、
会議をしていた。と、そんな日も週に何度かある。
そんな1日は、とても体力を消耗する。
そう、ずっとしゃべって、聞いて、頭をフル回転し、気も少々遣いながら・・・、

長時間のさまざまな人とのコミュニケーションは、まるでスポーツでもして
いるようだ。
ときに寄り沿いしっかり聴く。ときに演じるかのように表情豊かに。
場を盛り上げるときにはそんな元気放出も必要だ。
また、笑顔をキープし、表情でコミュニケーション。
とにかく、コミュニケーションはエネルギーを消費する活動だ。
体内の細胞が動いている実感がある。

ただ、毎日それをやっていると、鍛えられるが、疲労も蓄積される。
ときに、さまざまな力をチャージしたり、
コミュニケーションレスの日があることも必要だ。

今週、来週はコミュニケーション アスリートの日が続く。
とくに来週は毎日マラソンしながら山登り?

まさに体力と気力と知力の勝負だ。
マイゴールまで軽やかに走るために、スタンバイ。
スポーツするようにコミュニケーションする。
コミュニケーション アスリートという新語。
なかなか、耳ざわりもいい感じかも?

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天職はひとつ?

今週、新聞に掲載された記事の反応は、まだ続いている。
人々が新聞を読まれるタイミングを知るいいきっかけにもなっている。
新聞は、当日読まれるとは限らない。長い時間をかけて読まれる。
保存できるものだからこそ、時間あるときにゆっくり・・という
ことなのかもしれない。

メールをいただく方々からは、いずれも丁寧でありがたい文面を寄せて
いただいている。
これまで私が関わったことでの成長について、細かく書いてくださったり、
近況報告をしながら、過去の学びを思い出してくださったり、
とにかく心から感謝していただいていることが
手に取るように伝わり、メールを受け取りながら、胸が熱くなる。

十年ほどご無沙汰している方からも、記事をみつけたと
感激しながらメッセージをいただいた。
カラーの写真付きの新聞記事は何かと効果的なようだ。

いただいた一通のメール。
お礼の言葉の前後に、広報活動をやっての変化が書かれていた。(一部引用)
・客層が変わりました。(こだわりのお客様が増えました)
・地域の人に知ってもらうことができ、声をかけられるようになりました。
・前は、「まだあったのか」と言われたのが「懐かしいな~」の声に
 変わりました。
・社内の皆さんのモチベーションがあがりました。
・販促活動していないところからのご来店が増えました
・伝えることが苦手だった自分が、人前で話せるようになりました など

きっとご自身の取り組みの歴史をふりかえって、整理されたのだろう。
このようなメッセージに触れ、
本当にこの仕事、やってきてよかった。改めて今、そう思っている。
この広報アドバイザーという仕事は、もしかしたら天職のひとつ
かもしれない。と思うほどに、企業の皆さんが変化されることを
私自身、意気に感じ、歓びをもって取り組むことができた。

天職。
これは一人にひとつしか与えられていないだろうか?
そんなことはない。
できれば、複数の天職でもって、心の観覧車を回し続けたい。
チョット欲張りかもしれないが。
伝えることのお手伝いは、天職のひとつ。
これからも、自分の天職 磨いていこう。
人に感謝される仕事をやり貫く。やり続ける。さあ、今日も。


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みんなと一緒じゃなくていいよ。

私はみんなと一緒に。ということがあまり好きではない幼少期を
過ごしてきた。
みんなと違っていていい、自分だけ違ってもいい。
と、そんな感じだ。

世の中には、年齢に関係なく、
人に合わせることが苦手だったり、嫌だったり
とそんな人もいる。
そのときは、「ちょっと苦手だからできない。」
と耳打ちしてくれたらいい。
「じゃ、こうしようか。」「じゃ、どうしたい?」と聞くことができる。

みんなと一緒だと 力を合わせてできることがあり、
その喜びもひとしおであるが、
一緒がいやならいやで、違う方法をとればいい。

こうじゃないとダメ。
という物差しはもう捨て去りたい。

ダイバーシティ、インクルーシブというならば
何があってもいいじゃない。と言う気持ちになってくる。

それぞれにとって、快適な世界を。

最近、障害をもつ人たちとのふれあいのなかで、
嘘やごまかしのない、素直な心の大切さを
感じている。

我慢せず、自由に、自分らしく生きる。
自分も、そうありたい。
今日も、そうありたい。

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わくどき!掲載され、安堵と感謝。

ウクライナ情勢によって、どうなるやら?
と半月以上、やきもきしていたのが、新聞記事の掲載のこと。
3月半ば 新潟日報の投稿欄に掲載されてから、知り合いの記者から
「読みましたよ。良かったら、今尾さんを取材したいのですが・・・。」
とのメールがあった。経済の担当者だ。
彼が20代の時から知っている。今やベテラン記者。
コロナ禍ということもあり、メールとオンラインでの取材対応となり、
インタビュー風景の写真は、地元で仕込んだ3月後半。
モノクロで掲載となるか、カラーかわからないので、両方用意して送る。
新潟での17年間の仕事についてのふりかえり、新潟県人の広報について
変化してきたこと、中小企業へのアドバイス・・・など、いろいろ話した
けれど、どこをどう切り取り編集してくれるのか・・。

半月も連絡がないと、このまま掲載されずに‥というケースも多いが、
今回はぜひとも掲載になってほしい。新潟で広報の仕事をしてきて
新聞記事で締める。というのはとても自然で、かつ最適な結びとなる。

掲載される前日の夕方以降、急になんども記者から連絡が入りはじめる。
記事になるときは、記者が書いた文章をデスクがチェックし、いろいろ
確認や細かな修正が入る。
ああ、これはいくな~と久しぶりの緊張感。
さまざまな細かい情報の確認だ。間違ったデータは掲載してはいけない。
ネットであればすぐ直せるが、新聞の場合は、刷ったら最後だ。

さて、どきどきワクワクの朝。
7時すぎ、まず一緒に仕事をしてきた公務員の方から
新聞記事を見たと、その記事の写メとともにメッセージが届いた。
メールされた画像で恐る恐る自分の写真を確認する。
まずは写真が気になる。そして内容確認。ああ、ここを書いてくれたんだ。
ああ、だから電話でここを確認したんだ・・。限られた枠で、わかりやすく
まとめられた記事を読んで安堵する。

お久しぶりの方から、いつも応援してくださる方・・・。昨日は夜の21時すぎるまで、
記事を見たとの連絡が続く。
どちらさまも、これで終わりという感じではなく、これからもお願いしたいという
メッセージだ。新聞で会えたのが嬉しいという声もあり、こちらも嬉しくなる。

自分のインタビュー記事。久しぶりだ。
今回、新潟で広報の仕事をして、いい節目となった。
記者も知り合ってから十数年の間、文章力に磨きがかかった感がある。

みんな成長したこの歳月。
改めて、新潟のみなさんに、心から感謝とエールを!

※掲載は4月19日 新潟日報 朝刊 経済面です。

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本番があるとがんばれる。

半年ほどかけて、仲間たちと一緒に取り組んできた小さなプロジェクト。
自分たちの会社のテーマソングを一緒につくって、一緒に演奏し、大切な人たちに
聴いてもらう。という小さな取り組み。
障がいがあるからできないとか、できるとかそんな思い込みは投げ捨てて、
まさに一緒にダイバーシティ、いやインクルーシブな体験を生み出したかった。
そしてできあがった曲。
来週のお披露目に向かって、最後の練習を行った。
どんどんうまくなって、自分たちのものになってきている。
約20名の想いを受け取りながら、こちらで作詞作曲しながら、ひとつの作品にできたことも
歓びであるが、何よりもみなさんが楽しんで演奏している様、このプロジェクトで
社会性が養われていることがが嬉しい。
一緒に何かを作り出す喜びは、やった人しかわからない貴重な経験だ。
口笛あり、ハーモニカあり、行進あり。
何よりうれしいのは手話もありということ。
自分が作った歌詞が、手話で表現されるなんて、感激だ。
最初誰も想像しなかったことができるようになったことが、嬉しい。

さあ、本番。コロナで何名のオーディエンスにおいでいただけるか
わからないが、親御さんや施設の方がおいでになるとのこと。
最高の本番にしたい。
知らないうちに、こんな小さな夢も叶いつつある。
本番というメリハリは、人を大きく成長させてくれる。

もちろん、自分次第で、毎日が「本番」だ。

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「歯が立たない!」相手。

先日ラジオで流れてきたピアノ曲、ラ・カンパネラ。
ああ、懐かしく美しい響きだ。
ヨーロッパの市街にある教会のイメージが、鐘の音とともに広がる。

でも、めちゃくちゃ難しい曲で、昔はまともに弾けなかったな~。
勝手にアレンジして、だましだまし弾いてはいたが・・・。

と思いつつ、なんだか急に再挑戦してみたくなり、
楽譜を探して、40年ぶりに譜面を開く。
リストのエチュード(練習曲)の15番。憧れの曲のひとつであった。
超越技巧という名がつく曲があるほどに、リストのピアノ曲は本当に難しい。
手が2本、指が10本では追いつかないほどに、鍵盤の上を素早く大きく飛ばねばならない。
そう、ピアノを弾く人が指先のアスリートと思えるほどに。
しかも、その飛んだ先の鍵盤に的確に当たらないと、見当違いの音が出て台無しとなる。
とにかく難しい。

ちょっとだけ弾き始めて、ああ、こりゃダメだー!
メロディは知っているため、鼻歌はできるが、指が・・・。
その前に目が楽譜を追いかけるのも難しい。どこまで高音にいくの?と言う感じ。

なんだかベートーベンやショパンがかわいく思えてくる。
ということで、久しぶりのリストのカンパネラ。
歯が立たなかった。とても悔しい!
いつか絶対に弾けるようになってやる!と久しぶりに闘志がわいた。

コロナ前の冬。ワイマールで撮影したリストの家のピアノ。
こんな難しい曲を、リストは作るだけでなく、弾けたのかしらん。
このピアノでも弾いたのかな。
と写真を見ながら、想像する。

もはや人間技ではない。でも、弾けるピアニスト(フジコヘミングのように)
が存在するということは、人間ならできないことはないということだろう?

それにしても、久しぶりに歯が立たない状態、そのときの気持ちを味わった。
これは屈辱的そして、とても刺激的!
どんな分野でも、ときに歯が立たない相手に出会うことは、
成長のきっかけになるかもしれない。

できることばかりやっているようじゃ、成長がないということ?
弾けなかった言い訳をしてみる。

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自分の背景は何色が?

前日の投稿に登場した、同じハナミズキの木。実家にある大きな木。
今週ちょっと目を離したすきに、白い花を咲かせていてびっくりした。
でも、白っぽい曇り空では、そんなにきれいだとは思わなかった。(昨日の写真)

ところが、晴天になった週末。もう一度眺めてみると、青い空になんとよく
この白い花が映えていることか。
ああ、今日は美しい。清々しい。見事だ。とひとり感動する。

同じ花木なのに。
やはり、何事も背景が大切だ。
美術館に行って、せっかくいい作品であっても、その額縁の色合いで、その
作品自体が生きたり、そうでなかったりする。
惜しいな~と思うことも多い。
額縁も入れて作品の完成である。

どの世界で、どの環境で存在するとその作品自体がより魅力を発揮できるのか
は大変重要だ。
そう、色調のharmonyだ。

自分に置き換えてみる。
自分の背景は何色がいいだろう。
自分が身にまとうもの。また自分をとりまくさまざまな環境。
どんな色・どんな世界観だと一番自分が輝くのかを、花を見ながら
イメージしてみたい。

青空が似合う人、夜の雰囲気が似合う人いろいろあるだろう。
魅力的に存在し続けるためには、背景・環境との調和が大切だ。
と花を例にたとえながら・・。
と、そんな花見も進めたい春本番。
どなた様も素敵な日曜をお過ごしください。

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主人(あるじ)なくても、花は咲く。

キレイかどうかは別として、藤の花のアップをまず・・。
3日ぶりに実家に立ち寄ったら、なんと一気に庭の花たちが開花していた。
これだけでなく、ハナミズキやスイレン、また傍らにはタンポポも咲いていて、
あれ?こんなところに?という感じで、桜が散ったと思ったら、一気にそれ以外の花たちが
出番を待っていたかのように、登場した!

花もなく、枯葉が落ちていただけの冬は、本当に寂しい空き家状態であった。

同じ場所なのに、花が咲いてくれるだけで、敷地全体が生き返ったような感じになる。
毎朝水をくれて、草をむしってくれていた主人がなくとも、(今は周囲の皆さんのお世話
になっているが)そこに住人がいなくとも、樹木や花たちが、代わりに住んでくれて
いる感じだ。

少し華やかな気持ちになり、そして、やはり何かしら足りない気持ちになって・・。
そう、この写真のごとく、白い空に白い花のような・・・。
今日は青空を背景に見られるといい。
と、季節が移るたびに、こういった経験を重ねていくのだろう。


主人なくても、花が棲む家。
今となっては、大切な守り神になってくれているようだ。

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