感動と記憶力。

本ブログで何度も書いてきた、映画「ひまわり」のこと。
最初に流れる、あのヘンリー・マンシーニの名曲とともに
視界に広がる、あのひまわり畑を久しぶりに見たくなった。

ウクライナのへルソンという町が、この映画のロケ地である
ことを改めて知り、
20世紀の戦争後の爪痕を残す半世紀前の世界を、そして
今の現地に想いを寄せたいという思いで・・・。
まさに今、観なければならない。と強い情動にかられた

実はこの映画、以前DVDだけでなく、テーマ曲の入ったレコードも
購入し、ずっと保管してある。
であるのに、パッケージをわざわざ開いて観賞することはなく、
お宝状態。いつでも見れると思っていたから。
しかし、保管してあることをすっかり忘れ、
今回ネット配信で観ることに・・・。

数年ぶり?10年ぶり?にその名作を味わう。
学生時代、京都の映画館で観たときのこと、
その後、東京の名画座で観たときのこと、テレビでも何度も観たときのこと・・・。
そのときの自分のこともなぜか覚えている。

そして、不思議なことに、最後に見てから随分と時間が経過しているにも
関わらず、最初の場面から最後まで、その場面も音楽もしっかりくっきりと
頭に入っていて、次はこうなる、こうなる。と全部ストーリーが先に
わかるのだ。覚えるほど見ていたとは驚きだ。
改めて、あの美しく悲しい映像を久しぶりに見ながら、
言葉にならない、感動が静かによみがえる。

今思えば、この映画では、「ひまわり畑」はもちろん重要な要素であるが、
「駅」も同じく物語を支える重要な要素だ。
ソフィアローレンとマストロヤンニの再会、別れはすべて駅である。
しかも再会もうれしい再会ではなく、悲しみの再会・・・。

最後、ミラノの駅で永遠の別れをする二人の姿と、あのテーマソング。
ソフィアローレンの泣き顔、マストロヤンニの悲痛な表情・・・。
これ以上ない哀しみの表現が、この映画のクライマックス。
戦争は愛を引き裂くのだ・・・。この余韻がたまらない。

何十回も見ているのに、今回も初めてみたように、感動し、
映画館で映画を見るとき感動のあまりしばらく席を立てないとき
のように、しばらく呆然とした。
そして、今回はウクライナのことを思った。
半世紀前と、今。同じく戦争が愛を引き裂いている・・・。

久しぶりに見たこの映画。やはり最高傑作だ。
感動すると忘れない。感動は記憶力を高めてくれる。
いっぱい感動しよう。
そうすれば、記憶力も高まり、人生がより豊かになる。

早く戦争が終わり、別れ別れになった人たちが早く元気に会えますように。

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スーパーの地元愛を応援!

大型スーパーは本当にすごい。その購買力でもって世界から品質良く、
価格もありがたい、そんな商品をずらり揃え、お客を迎える。
そんな価格では無理!というものが平気で並んでいる。
利便性も含め、大型スーパーの存在価値は普遍であろうが、
そのおかげで町の商店街は瀕死の状態。

最近、とくに昔の商店街が本当に懐かしく、
できればこういったお店を応援しなければと思っている。
衰退、絶滅の危機は絶対に阻止しなければ・・・。
一方で、全国展開こそしていないが、地域に根差す食品スーパーも
気になる存在。こちらは、コロナ禍であっても関係なく、
健闘されている様子。

よく通った新潟県内。主要な食品スーパーは複数、名を連ね、
各社とも工夫しながら、個性を生かしながら、
争奪戦を展開していたが、それはこの東海地区も同じこと。
おかげさまで100周年というスーパーもある。
実は、地域密着のスーパーは本当に奥行きが深い。

私が一番気になるのは、「地元の商品」の扱いだ。
もしかしたら、「地産地消」なんて言葉が流行る前から、
当たり前のように、地元の商品を積極的に販売していたのだろう。
大手スーパーでは、メディアに出ているような著名な商品が
優先されるが、地域のスーパーでは地元の中小・零細企業の
商品も多く取り扱われている。
例えば、袋菓子。昭和漂う、懐かしのお菓子がずらり並ぶ。
ひとり買い物に来るおばあさんのためか、昔を懐かしみ
子どもにも食べさせる母親のためか、とにかく、懐かしい
商品が多く、思わず滞留時間が長くなる。

昔、スーパーに行くと楽しみがあった。そのわくわくが蘇る。
大手店舗では、品ぞろえと価格で驚かされるが、
地域のスーパーでは、お店と地域の企業とのつながり、
ストーリーに胸が高まるのだ。
こんなところに、こんな会社、こんな商品・・・。
地元を応援しようとがんばるお店は素晴らしい。

連休は普段足を運ばないお店にも、小旅行気分で調査に出向く。
地方のメーカー、地方の店舗。とにかく地元を大切にする人たちを
心から応援しなくては。
名もないメーカーたちが、ずっと作り続けるお菓子こそ、
変わらない味こそ、ホンモノだ。

小売りも地元愛。
地方ではこんなことも改めて学べる。
気が付いたら、見たことのない地元の商品で籠がいっぱいになる。

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音楽と食欲と回転率?

飲食店。いいお店というには、空間、や料理、接客は、もちろんいうまでもなく重要である。
あるチェーンでは、HDCをかかげ(Hospitality,Delicious,Cleanlinessの略)独自のおもてなし
活動を推進しているが、私はこれ以外には、感性への響きに注目している。
とくに音楽だ。お店のなかでどんな音楽が流されているか?はお店に一歩入ったとたん
そっちが気になってしまう。飲食店に限らず、デパートやスーパー、駅・・・。
お店や公共空間すべて音楽が気になる。
話を戻す。
飲食店での音楽。
大好きなのは、クラシック音楽が流れている店。ときにジャズが静かに流れているのもいい。
お店の空間とマッチしていると最高で、京都の老舗喫茶店には店のしつらえとともに、
音楽もきちんとしているそんな店もある。
一方、個人の好みとは別であるが、最近感心したBGM。初めて入ったお店だ。
それは、コロナで好調の「一人焼肉の店」の店内に流れるBGM。
それはなんとパンクである。ずっとビートの効いたパンクの響きが、店内によく馴染んでいる。
ひとり焼肉であるため、お客の会話はあまりなく、スタッフの接客の声や、料理ができた
というチャイムの音など・・・そのなかで、切れ目なくパンクが流れ続けている。
このビート感が、店の隠れた主役のように、わりと主張している。
肉を焼く、ジュージューという音と不思議とマッチしている。
「なんで、パンクなんやろう」。
そう、ビジュアル的にもパンクと焼肉のイメージは見事に合致する。
いけいけー、もっといけー。
なんとも攻撃的な、前のめりな感じ。
ガンガン肉を焼いて、さっさと食べて、満腹になって
さあ、お会計へ~。とそんなメッセージを感じるのだ。

ひとりで焼肉を食べるその空間にパンクミュージックとは!
おひとり様たちをこのBGMがつないでいるとも感じ取れる。(笑)
いやはや、これはお客の食欲アップと、スピーディーなリピートオーダー、そして回転率にも
影響があるとみた。(この分析はおそらく正しいのでは)

もし、演歌がかかっていたら、まったりされてしまうし、肉を焼く手も止まってしまう。
店にとってはゆっくりしてもらっても困る。おひとり様に続々ご来店いただきたいのだ。
これまでジャズが流れていた焼肉店には行ったことがあり、ここはちょっとインテリアも
おしゃれでたっぷり2時間ぐらいお邪魔し、それなりの金額を消費したが、このおひとり様
焼肉では、2時間はとてもいられない。そして、談笑しない分、焼いて食べるだけであるので、
追加注文も進む。客単価も悪くない。

いやはや、いろんな意味で合理的で計算されつくした、この焼肉店、お見事だ。
コロナ感染拡大が始まった頃「今こそ、ひとり焼肉」
と店頭に大きく掲げていたのも印象的だった。

パンクと焼肉。コーヒーとクラシック、洋酒とジャズ。
食べ物と音楽の関係をたどると、店のおもてなしと経営感覚がうかがえる。
そういえば、「さくらさくら」の琴を今だに流していた和食レストランもあったが・・・。

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まさこさんへのメガエール(5月2日分)

5月2日朝、公開したはずの原稿が、消えてなくなってしまっていたため、再度。
消えてしまったので、もう一度書き直す。

とてもエネルギッシュな女性がいる。
新潟で出会った。60歳からUターンで起業され、65歳の今年、5周年を迎える。
5月5日が彼女のお店(カフェレストラン)が開店日だったということで、
「じゃ、555でGOGOGO。ぜひお店で5周年の記念コンサートをしましょう!」
と約束していたのが、今年初めのこと。
「今尾さんの愛の賛歌、最高!」といつも、ディナーショーも催促してくださる方で
私としても、何か一緒にしたいと思っていた。

その後、残念なことに、この5年間、ふるさとでお世話されてきたお母さまが亡くなった
との報せが入り、コンサートはいつでもできるから、5月に限らず、今年中にやれば
いいですよ~。と悲しみの中、そんな話し合いをしていた矢先・・・。

4月前半。1通のメールが入る。
その大切なお店とご自宅が火事になってしまい、全焼されてしまったとのこと。
驚きとショックでしばらく動けなかった。
なんとそんなことがあるのか・・・。
すぐ電話して、声をかけたかったが、その後連絡がしばし途絶え、どうされている
ことだろうとただただ、心配をし、4月が過ぎた。
5月に入り、メールが届いた。
「わたしは復活しました。これから元気に生きていきます。これからも宜しくお願いいたします!」
元気にあふれ、笑顔が浮かんでくる文面に安堵、と同時に電話もかかってきて、
声を久しぶりに聴き、心で抱き合った。
「ご無事でよかった、ほんとうに。」
モノは消えても、思い出はたくさん、宝物は消えない。
これから、ふるさとを離れ、お子さんたちと一緒に生活をされるとのこと。
近々彼女に会いに行くつもり。
そして、やはり元気いっぱいで常に前向きな まさこさんに、メガエールを送りたい。
いつか、二人で楽しいことを必ず。
新しい住まいは、横浜になる。数年前まで、彼女が長年住んでいた第二の故郷である。
UターンのUターン。予期しなかったことであろうが、でも、必ず道は前に開けている。

ピンチやチャンス。まさこさんの強さ、本当に素晴らしい。
見習って、元気に生きるのみ!

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がらくた?お宝?発見。

あたたかくなり、暑くなるまでの間に、再び親が遺したものたちを
整理再開。寒い間、やる気がおきず、半年ほど放置していた。
こういう仕事は、気持ちがのって、一気にやらないと進まない。
ということで、連休の合間に少しでもやろうと、腰を上げる。
亡くなった当時は、なぜか勢いで片付けを進めていたが、
一度休むと、なかなかエンジンがかからなかった。
面倒くさいからだ。でも、結局誰もやってくれないなら、
早くやった方がいい。と言うことになる。

実家に残されている、謎の大きなスーツケースが数個。
何が入っているのか。主人たちが旅に出なくなって
何年も、まさに開かずの間状態。
なぜかずっしりと重いため、一体何が?と気にはなっていた。

コロナをまだ知らない幸せな時代、親たちが元気な頃、
本当に頻繁に旅に出かけていた。
70代まではアジア方面ではあるが、海外へも何度も出かけており、
その後は、国内に出向くことが増えた。
どこにそんなお金が?と不思議なぐらいであったが。

さて、今回初めて開いた、その大きくて重いスーツケース。
想像どおり、海外に旅したときのさまざまなものが保管されていた。
母にとっての「思い出の品々」である。
旅行会社から渡された旅のしおり、保険の控えから各地の観光パンフ、
ホテルの袋、はおり用の衣類などなど・・・。
現地で使った衣類はすぐ洗濯したであろうから、着なかったものは
また今度持って行こうとそのままそこに残されていたのだろう。
よく旅先で寒くなったら、雨が降ってきたらと持参する軽量防水の
上着。まさに旅行会社のガイダンスに従って用意していたんだろうな
とさまざまな様子が目に浮かぶ。

そして、その中から、その現地で調達してきたであろう、お土産品が
隠されていたかのように出てくる。
まさに、「触って触ってなんでしょう」といった、クイズ番組に
出演しているかのようだ。
「ん?硬いな。これ、何?石」
と他の荷物に紛れて、グリーンのパワーストーンなどが出てくる。
絶対に使わないような派手なプリントのテーブルクロスや、動物の
キーホルダー、ボールペン、怪しげな飾り物など・・・。
このスーツケースを開けなければ、出会うことがなかった世界の
個性豊かな小物たち。
きっと誰も着ないし、誰も欲しくないおみやげ物・・。
でも、母は誰かにあげようと思い、現地で購入し、大切に保管
していたのだろう。よく現地に行くと、その現地の雰囲気で
買ってしまうものの、帰宅するとなんか合わないなと後悔する
ことがあるが、そういう類のものである。
と、そんなことをやっている間に時間が経ってしまう・・・。
「今日はここまでにしよう」。

スーツケース数個を開けつつ、今年の連休は親たちが出かけた
旅につきあっているようだと、ひとり笑う。
楽しかったんだろうな。元気なうちにいっぱい出かけることが
できて、本当によかったな~。

どうみても「がらくた」いっぱいのスーツケース。ここには
リアルな親の人生のひとときが詰まっていた。
なかなか、片付けは進まない。
嫌な片付けだけれども、見ながら呆れながら、
親の一生を追いかけ楽しんでいる自分がいる。

どこか寂しいのは否めない。でも、慣れるしかない。

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テンポを変えて、時の間を楽しむ。

急に動きを止めたら、再び動き出すのが大変だ。
もう何十年も前から、休み癖を付けないことにしている。
頭が仕事から離れると 再開が苦しくなるから。

もちろん睡眠時間を少し多くしたり、講座を聴いたり、
映画を観たり、本を読んだり・・・いろんな活動を
して普段よりリラックスして過ごす。
書類の整理や片付けもいい。
とにかく、めいっぱい消費・浪費するだけが休みではない。

再び元気に走り出せるように、スタンバイしながら
適度に緩める。
休日の最終日になって、
明日から会社へ行くのが嫌~というケースもよく聞くが
そういう休み方ができないのは、前世がマグロだったのかなんなのか・・。

でも、この生き方が自分には気持ちいい。
休み過ぎず、緩めて過ごす。
そう、いつもアレグロやビバーチェで歩いているならば
今日あたりは、アンダンテ、とくにアダージョもよし。
ゆっくり、時間(「時の間」)を感じながら・・・。

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裏返しの写真。

よく家族の写真を仕事場や自宅で飾る人がいる。
とくに遠く離れている場合、会えない場合には、そうするだろう。

親の写真。
両親が元気なころ、身の回りに写真を飾るということはなかった。
実物がいるわけで、また声もすぐ聴けるし、メールも送れるわけで・・。
そんな頃は、写真を持ち歩くことも、飾ることも・・そんな発想すら
なかった。

そして、亡くなってからは、
実家の仏間やリビングなどに、小さめの写真を何枚か飾り、
戻ればその写真を見て、話しかけている。
そこはもともと親がいた場所であるから、自然とそうなった。

一方、自分の自宅には、同じ小さいサイズの写真。
しかし、基本的に裏返しにしてあり、何かあるときに
ひっくり返して、ちょっと見て、また裏返しにしてきた。

別居してきた親の写真が飾ってある・・というこの風景に、
慣れないというか、なんだか写真を直視することができず、
この世にはもういないのだということを認めることができず・・
とそんな心理かもしれないが、とにかく
この1年間。基本的に写真を裏返しにしてきた。
両親がいないということを、信じたくなかったのだろう。
見ると哀しみがわいてくるのを避けたかったのだろう。

母の旅立ちから1年経ち、最近、やっと写真を表向きにしても、
平気な日が増えてきた。
表向きにしても、見ない。直視できないことが多いが
それでも、裏返しでなくても、平気になってきた。

ただ、写真を見て話しかけることは、まだできないでいる。
写真を見ると、会いたくなってしまうものだ。
だから、じっとみつめることはできないが、
いろんなことに、だんだんと慣れていくのだろう。
慣れるということは、その環境に一体化されていくということ。
無理せず、自然体に。
もっとも、写真がなくても、見なくても、心のなかに
棲んでいる、いつもいる。

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GWとウクライナ。

明日から、日本では大型連休がはじまる。
今年こそはと、多くの人が移動をし、しばしのリゾート、解放のときを
思い思いに楽しむ。
ああ、日本はなんと幸せな国かと思う。
(但し、「今のところ」と言う枕詞をつけたくなるが・・・)

少し前までは、さあどこへ旅行しようかと計画し、海外へ出発する人も
多くいた。
そんななかに、今戦禍のなかにあるウクライナに行こうと思っていた人も
おられることだろう。


私がもっとも大好きな映画のひとつ。
「ひまわり」を何十回も観て、未知の東欧世界と戦争の歴史に触れ、
あのドラマチックな物語と作品の完成度に観るたび胸熱くなり、涙も流し・・。
その舞台がウクライナ。
今回の戦争で、その地の名前は一気に世界に知れ渡った。

いつか、キエフと呼ばれる町に行きたいと憧れをもっていた。
モスクワにももちろん興味はあったが、キエフにはノスタルジー漂う
何とも言えないロマンを感じていた。
そう、東欧の京都という名にふさわしい存在とイメージしていた。

それなのに・・・。

最近、テレビで平和だったウクライナの町の旅の番組をやっており、
複雑な気持ちになった。
美しい街は、同じように戻ることはない。
この国の傷は、私たちが生きている間に回復はしないだろう。

改めて思う。
この2か月の信じがたい無残な光景は、全部映画だったら良かったのに

と強く思う。

ああ、ウクライナ。
ヘルソンには今年も ひまわりの花が咲くのだろうか?
戦車が広大な畑を前進しているかと思うと、胸がつぶれそうだ。

あの映画のようなひまわり畑にいつか行けるだろうか。
行けるように。
あのひまわり畑の下には、前の世界大戦で亡くなった戦士たちが
眠っていると聞いたことがある・・・。

だから、一刻も早く戦争を終わらせてほしい。
そんなこともあり、
私自身は、今年の連休は、平和を祈りつつ、
静かに過ごしたい気持ちだ。

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今年のファーストミッション達成。

個性ある仲間たちと一緒につくった 、会社のテーマソング。
お披露目を無事終わらせることができた。
会社設立の5周年行事として、その作品をみんなで演奏した。
全員に希望のイメージや歌詞に入れたい言葉などをヒアリングし、
それを踏まえ、ひとつの曲にして出来上がり、レッスン開始。
3~4回の練習で本番。楽器も名古屋からせっせと運んだあの日が
懐かしい。みんな、それをフル活用してくれた。役に立ったようだ。

その会社で働くご本人だけでなく、会社の関係者や親御さんたち、支援者
の皆様にも参加いただき、みんなの演奏を聴いていただき、
そして、最後は全員で合唱した。楽しい会になった。
ご家族の皆様は、会社でのわが子の姿を見て安心され、喜んでおられた。
いい会社に入って仕事をしているんだと。
ご本人たちも、全力でがんばった!と満足。職場の自分を家族に見て
もらう機会はあまりない。いきいき過ごしているところを親に報告
できて、親孝行ができた。

「春には、こういう日を迎えるようにする。」
半年前に思い立ったイメージは、実現した。
今年のファーストミッション達成。
みんながんばってくれた。緊張したといいつつ、とてもうまくできた。
手話も素晴らしかった。
やればできる!ということもわかってもらえた。
これからはぜひ、仕事でも新しいことに挑戦してほしい。
障がいがある人もない人も。一緒にできることを一緒にやろう。
近日、演奏の様子はWEB上でごらんいただける予定です。
本日は歌詞のみ先行公開します。
今朝もメロディが頭から流れてくる感じだ!

シャイン・マーチ ⒸMasako Imao 2022
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いざ、本番!

今日は、半年以上前から仕込んでいたことの本番だ。
ダイバーシティ&インクルーシブを目指す仲間たちのアニバーサリーイベント。
会社の創立5周年の節目に行う、小さなイベント。
一緒に考え、つくったオリジナルソングをご家族やお世話になってきた施設の皆さん、
会社の方々にお披露目をする。
この企画を思いついてから今日までの道のりを思い出す。
いやー、夢が本当に実現したな。やっぱり、想えば叶う。
ちょっと感慨深いものがある。
ほんとうにできちゃった!やろうと思ったらやれる。やろうと思ったら
応援していただける。やっぱりひらめきと行動は大切だ。

今日のために何度か練習もした。
限られた回数、時間ではあったが、その中で、一生懸命に取り組んだ。
自分ができることは、やった。そして、皆さんも本気で取り組んでくれた。
私は本番に向かうプロセスこそが大切だと思ってきた。
ひとりひとりが、新たなことに挑戦することを応援したいと思ってきた。

皆さんの目が輝き、本番という節目に向かって、成長されていくさまが、とても
うれしいと思った。先日の練習では、手話のご披露に心から感動した。

きっとゆうべは、「明日は本番!」と緊張しながら眠りについた人もいるだろう。
また、今朝、「今日は本番!」と早く目が覚めた人もいるかもしれない。

皆さんにいいお披露目できるように、そのサポートを心を込めて行うつもり。
この仲間のために、いい曲ができて良かった。
小さいながらも、残せる仕事がひとつ増えたことがうれしい。

さあ、本番。すでに、頭のなかで、素敵な拍手が聞こえている。

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