酸いも甘いも、ラビアンローズ。

昨年の岐阜のコンサートから間もなく1年。
あれから、あっという間に時が経った。
アルバムのリリースから、各地各所での出前コンサートから、できることは
いろいろやってきた。ドタバタ珍道中の25周年の観覧車も1回転。

この間には、新たな出会いや、ありがたい再会もあった。
数えてはいないが、30代、40代の時と比べて、出会いの数は減ったかも
しれないが、それは意識的にそうしている面もある。

その代わり、そんななか出会う人は、出会うべくして出会ったという
特別な思いがある。
また再会も、出会うべくして再び、ここでまた出会えたという思いがある。

昨年のコンサートを機に40年ぶりに再会できた方とは、あれから季節に一度ほど
お会いしてきた。会うたびに、共通の関心テーマである「音楽」を中心に
さまざまな話をさせていただき、聴かせていただく。

気が付けば 時計が3回転しているときもある。
「あ、こんな時間!」
と我にかえる瞬間まで、しばらく心の旅に出ているような、そんな感覚。

単なる再会ではなく、ご縁あっての再会。
良かった、よかったの表面的な言葉だけでなく、再会するまでのそれぞれの
人生で培ってきた経験も踏まえ、人生についての深い話も、音楽への
こだわりもしっかり話す。かなり深い話ができることがありがたい。
深いところの共感は、誰とでもというわけにはいかず、限られる。
それぞれ生きてきた違う道を理解し、認め合い、またそこから勇気をもらって
いるのかもしれない。

帰り際に
「酸いも甘いも・・・だよね。」
という言葉をいただいた。

そう、人生は酸いも甘いも・・である。いろんな味があるのだ。
時間とともに、いろんな味がしてくるのだ。
そして、味だけでなく、音も、においも、触り心地も・・・
いろいろな五感で感じる人生。

甘さも酸っぱさも、苦さも、辛さも、甘い香りも、臭いにおいも・・・
若いときには気づかなかった、人生の表と裏。でも、これらは一対である。

全部ひっくるめて、経験しながら、迷いながら生きていく。
そのなかから、自分が好きなことを選びとり、
自分らしく生きていく。

それが今思う、ラビアンローズ。

酸いも甘いも、ラビアンローズ。

と、1年前のライブに遠方よりいただいた記念の赤いバラを見直しながら、
ありがたい再会を改めてかみしめる。

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少女の涙。


たまたま買い物に入ったお店、猫が飼われていた。
看板猫なのだろう。
用を済ませて帰ろうとしたら、二人の少女が取っ組み合いながら
店に入ってきた。
ひとりはその店の娘さん?ともう一人が喧嘩しながら
帰ってきた?なんだか、穏やかならぬ光景。
二人の少女が押し合い、へし合い。
狭い玄関、帰ろうとしていた私に、その押された少女がぶつかった。
押した方の子が、もう一人の子をにらみ続け、私にぶつかったことは
眼中にないようだ。
「ぶつかったら、あやまらないといけないよ。関係ない人なんだから」
と押した方の子に注意したら、彼女の目には涙があふれた。


お店の人にも、
「あやまらなきゃ、いけないよ。ごめんなさい。申し訳ありません」
と言われた。
お店の方は、店から入ってきた子供たちがお客さんに迷惑をかけたと
いうことであやまっておられた。
「いえいえ。喧嘩したらいけないよ、仲良くしないとね」

と言いながら、店を出る。
子どもが喧嘩しながら、家に帰ってくるとは穏やかでは
ないな~と思いながら、歩き始めた。


暫くして、振り返ると、さっき、目に涙をためていた少女が後ろを歩いている。
「あれ?あのお店の子じゃないの?」
と声をかけ、進む方角が同じのようだったので、しばらく一緒に歩く。
彼女は
「さっきはすみませんでした」
とさっきの形相とは全く違うおとなしい少女らしく、あやまってきた。
「いや、いいよ。どうした?」
彼女は静かに話し始めた。彼女も押し合いへし合いしてた相手の子も
さっきのお店の子供ではなく、たまたま猫がいる店で、学校帰りに
寄って猫を見ていくのが日課だったそう。

ではあるが、もう一人の子がいじめるそうで、その延長でのとっくみ
あいになっていたようだ。

いじめか・・。
今は中学一年生だそうで、いじめは小学6年のときからだそう・・・。
彼女はいじめの様子を見知らぬ私に話してくれた。
かなり深刻のよう、
学校の先生も、親御さんももちろんご存じのようで・・・。
いじめられているという子に返す言葉は難しい。
さっきは、彼女が手を出しているように見えたのだが、
逆襲だったとは・・・。

「今何歳?」
「12歳です。」
「そう、私はあなたの五倍生きてるなあ~」
「へえ???見えませーん」
「生きているといろんなことがあるから、
きっとあとで、ああいう時代もあったと思い出すときがあるから
負けないでがんばって。何かあればお母さんに相談すればいいから、
いじめられて、いじめ返すはやめて。同じレベルではいけないよ。
がんばってね、」
そういって、別れた。彼女は普通の少女であった。
いじめの話になると、涙を浮かべていた。

なんとか、なんとか仲直りできるといい。
いじめをしている側の少女のことも気になりながら・・・。

いじめ。
狭い心ではなく、広い心をもって、強い心をもって。
前を向いて生きよう。

少女の名前は このみちゃん。(仮)
どうぞ、元気に強く育ってほしい。

青春の入り口でいじめは、いけない。
お互いに理解し、許し、協力しあえる関係になってほしい。
これから、いろんな困難があるだろう。
でも、きっといいこともいっぱいある。

このみちゃんのことも気になりながら、
もう一人の少女のことも気になって・・・。

仲直りできるといい。

遠くから、5倍も長く生きているお姉ちゃんは
応援しているよ!
このみちゃん、がんばって!

ふと、50年前、自分が涙を流したときって、
どんな時だっただろう?

思い出せない少女時代の涙。
もしかしたら、しょっちゅう泣いていたのかも
しれない。
泣くごとに強くなってきたのかもしれない。


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2025年の小さな夢に向かう。

あれ、あの船はつい最近、横浜港でみたクルーズ船。同じ船が、長崎にも・・・。
意図せず、同じ船を違う場所で再び見かけるとは、幸運なことだ。

港町だなあ。ああ、どこからきて、どこで行くんだろう。
想像するのが楽しい。ちなみにこの船は今ごろは、横浜港に向けて航海中のようだ・・。

長崎は港町のなかでも、悲喜こもごも 笑いと涙が詰まった、夢と抑圧のなかで
生きてきた、まさにちゃんぽんな港町。
この味わい深い町は、すでに心のふるさとのひとつになっている。
それは、フランシスコザビエルさんのおかげでもある。
いろんな挑戦をさせてもらったなあ。長崎ご縁も少しづつ広がっているなあ。

コロナもあけて、いろいろあって、そろそろ新たな出発を。
9月までのさまざまな活動を経た今、さらに次へ進もうという気持ちになる。
そしてずっと考えていた、久しぶりの長崎コンサートを決行することに。

まずは会場確保。この港の真ん前に見える、旧香港上海銀行長崎支店の記念館の
ホール。
10年前に企画したときと同じ会場だ。
まさかの大雪になったあの日を思い出し、今ふたたび、挑戦することに。
ということで予約手続きを済ませ、結果が来るのを待つ。

2025年のテーマを考えながら、やっぱり、愛かな・・・と。

小さな夢は小さな挑戦。思い立ったら 即行動。
そこから新たな出会いが、すでにはじまった!
2025年への思いも膨んで・・・。

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もらって嬉しい言葉。

仕事の内容によって、頂いて嬉しい言葉は違う。
演奏の場合は、「楽しかった~」「じんときた」「感動した~」「泣けてきた」「もっと聴きたい」などの言葉をいただくと、ああ伝わったのだととても幸せな気持ちになる。

一方、コンサルティングやアドバイスの仕事では、
「的確なアドバイスありがとうございます」
など、「的確」と言われるのが、一番うれしい。
言っていることが的外れであったり、不確実なようでは、アドバイスとしては
いかがなものか?
と常々思ってきた。
なるほど、さすが!そのとおりだ!
と相手の心を動かさなければならない。

仕事には的確さが重要だ。
そのためには、常にそのように判断できる、発信できるよう情報をしっかり
インプットしながら、目的や相手にあわせて精査し、備えておかねばならない。
そして自らに常に問い続けなければならない。
本当にそれでいいのか?と。


おかげさまでこの四半世紀、この「的確」というお言葉をよくいただけた。
この評価で、自分の仕事に自信をもてたことも多い。

一方、
「ご指摘ありがとうございます」と言われることもあるが、
指摘して終わりでは、無責任と思っている。
指摘と助言と、そして伴走、共走が一体でなければならない。

どんな仕事をしても、とにかく相手様に喜ばれる、心にしみる
働きかけを続けたい。
慣れることなく、決して奢ることなく・・・。

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元気にな~れ。

生きていると、いろんなトラブルや病いや・・で、どうも元気が出ない
ということはある。
人に関わりたくないときもあるかもしれない。
人に会う、人とコミュニケーションをする。仕事をする。
ということは、改めてパワーを要する活動ではある。
元気でないと、できない。

ちょっと元気がない人に、心配だからといって、
「元気?」と何度も尋ねることもかえってよくないし、
何か手を差し伸べることを、求められないこともある。
自分で乗り越えようとされている場合はなおさらである。

自分の調子は、自分が一番わかる。
どうしたいのかも、自分が一番わかる。

だから、応援団はそっと見守る。
もし何かあったら、言ってきてもらったら一緒に考えたり、
自分ができることをすればよい。

今日も周囲の大切な人たちが、
みんな、元気で1日をスタートされるように、

そして、ちょっと元気がないに人は、
早く心に晴れ間が見えるように、祈っている。

そっと見守る。
これが一番いい時もある。

周囲の皆さんが、今日も幸せであるようにと
思う朝。
そして、自分も元気でい続けることができるように
しっかりセルフケア・メンテナンス・チューニングを
し続けよう。

から元気も元気のうち。

人生、晴れの日も雨の日もあるけれど、
ずっと同じではない。
必ず晴れる。
それを信じて・・・。



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ひとつづつ、次につなぎ続ける。

今日から10月。
好きなerで終わる月が続くのはうれしい。
冬生まれの自分としては、寒い季節に向かうこの秋が
気に入っている。
躍動のあとの、暑さのあとの落ち着き、静けさ・・・。

昨日までの自分の活動を少し振り返る。
ありがたいことに、一つの仕事を終えると、
「来年もお願いします」
「10年後もお願いします」
など、次の予約、オファーもいただくことがあった、

1年後ならまだしも、10年後も期待していただけるとは
なんとありがたいこと。

ひとつづつしっかり仕事を行うことで、そこで終わらず、
次につながる。
生きている限り、次につながる。という意識はとても
大切だと改めて思う。

今年のあと3か月の間も、さらに、次につながる活動を
続けたい。
またお願いしたい、また一緒に取組みたい。
と思っていただけるように、全力を出し切り、心を
寄せて・・・。

心の観覧車は暑さも寒さも乗り越えて、
ただ、ただ、ゆっくり次へ次へと回り続ける。

心も実りの秋となるように願いつつ・・・。

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笑いあり、じんわり涙ありのお宝時間

無事に初の寺コンが終わった。
会場の本堂には、その前に行われた法要にご参加されたお寺の
門徒の皆さまと、コンサートの情報を知っておいでいただいた
方々で、用意された席が足りず、急きょ席を追加されることに。
仏さまの前での演奏、永代経のあとの時間ということもあり、
今回の「ふれあいコンサート」は、会えなくなった方とも
再会できる・・なつかしく愛おしい時間にしたいと思い、
誰もが知っている懐かしい曲と、これまで作ってきた哀悼の
曲などを10曲ほど。トークを交えて演奏させていただいた。
お会いする方はほとんどが初めての方。
演奏が始まるまでは、皆さん少し緊張。どんな演奏をするんだろう?と
思われていただろう。

演奏の途中から、目が真っ赤になっておられる方、ハンカチで
顔を覆っておられる方・・・。とにかく皆さんがこちらのパフォーマンス
を全身で受けとめてくださっていることが伝わった。
無事予定どおりプログラムを終えた。みなさんから多くの拍手をいただき、
また帰り際には、声をかけていただいた。
喜んでお帰りになったようで、まず安堵。

あとでお寺さんからいただいた、皆さんの感想。
・どの歌も素敵だったけど、オリジナル曲が特にグッときた
・生演奏を久しぶりに聞けて良かった曲の間のお話も楽しかったし、
エピソードトークにもじんわり涙した
・もっと聞きたかった、やっぱり本物は歌がお上手
・今尾さんの声が好き
・帰りにいい気持ちで帰れた。
などなど
ああ、喜んでいただいたようで良かったと改めて安堵。

今回、知人のブルマンさんが新しいカメラを入手したのでと
この寺コンを撮影に来てくださった。
なかなかいい感じで、自分で写真を見ながら、お寺でのコンサート
という特別な空気感を改めて感じた。

またピアノの上には、今回のために私のイメージにあった
お花も用意いただき、演奏に華を添えていただいた。

いろんな方の思いが結集した、素敵なコンサートになった。

1年前のふるさとLOVEコンサート後、自分が取り組んできた
活動。この寺でのコンサートをもって1年。
無事に、いい感じで、25周年の観覧車を回すことができたと
思う。
今回のコンサートは26周年スタートの貴重な機会ともなった。

お声をかけていただき、新たな出会いがまた生まれる。
またつながる・・・人生は、やはり観覧車のように回り続ける。

笑いと涙。これをお届けできるこの仕事が好きだ。
そして、小さな誇りをもっている。これからも愛と元気をお届けしたい。

ここにいたるまでのすべての出会いをいただいた方、主催
いただいた円覚寺さん皆さんに感謝を込めて。
ほんとうに、ありがとうございました!

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寺コンでふれあいの時間を。

本日はお寺でのコンサート。
永代経法要という、永代供養のお参りで檀家さんたちが集まられる。
春と秋の2回、開催されているそうだ。
亡き人を想い出し、その人の存在に感謝するひととき。
その法要のあとに行うコンサートということで、他の会場での演奏会と
少し違う気持ちで準備をする。

どんな方が、どんな気持ちでお寺に来られているか?
お参りのあとの音楽とは?
演奏する曲は?
トークの内容は?
衣装はどうする?

などなど、改めて先日下見に伺った会場のことを思いうかべながら
今日の仕上がりをイメージする。

選曲。
亡き人をしのぶ・・・にふさわしい曲。
思い起こせば、自分のオリジナル曲には大切な人を
テーマにした曲が何曲もある。
もう会えない人のことを思って 創った曲たち。
台湾の、京都の、新潟の、神戸の・・・そして両親の・・・・。
思えば、こんなにたくさん哀悼の曲を創っていたのだ。

今日はそんな目線から、お参りに来られる皆様の心に
寄り添う演奏をしたいと思う。

マーサのお寺での「ふれあいコンサート」。
心に棲む、大切な人との改めての再会、感謝、交流、愛の時間。

昨日、リハーサルをしていたら、涙があふれた。
会いたい人に、しばし会える時間になったら・・・。

貴重な機会をいただいたことに、心より感謝を込めて。

マーサのふれあいコンサート 詳細はこちら

https://www.mahsa.jp/%e3%80%809%e6%9c%8829%e6%97%a5%e5%88%9d%e3%81%ae%e5%af%ba%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%80%82%e7%a7%8b%e3%81%ae%e6%b3%95%e8%a6%81%e5%be%8c%e3%81%ab%e5%87%ba%e6%bc%94%e6%b1%ba%e5%ae%9a%e3%80%82/



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顔で勝負!

以前、ある選挙に立候補された方のポスターが横顔で、驚いた。
これでは、勝てない・・・。
お客様(有権者)と目を合わせないで、どうするんだろう?
顔は正面、笑顔が基本。
その方は、それが理由かどうかわからないが、いい結果には
ならなかった。

顔は大切だ。
メディアに露出するいろんな方、政治家、ジャーナリスト、歌手・・・。
人に何かを伝える仕事をする人は、顔、顔つきが大切。
ここでほとんどの印象は決まる。

パッと見て、印象に残る顔は、
笑顔が素敵な顔、人相の良い顔。
パッと見て、この人なら。と思う顔。
こういう顔に生まれついたら、運がいい。
でも、顔は造形より、表情なので、努力でカバーできる。

良い印象を残さないのは、怖い顔、もう見たくない顔、悪人の顔。
他の方にどうかはわからないが、私にとっての基準はそうだ。
今から思っても、こいつは怪しいと思った顔つきの人は、やっぱり悪人であった。
パッと見ればわかる。言葉には騙されないぞ。という感じだ。

美男美女ではなくても、愛すべき表情、人間らしさ、誠実さが
伝わってくるのが良い。
思わず人を微笑ませてしまう力。
政治家の人たちにも、そういう力は必要。
但し、腹黒いのに見た目だけ満面の笑みを演じるのは
すぐわかるのでご注意。

今回の2つの組織のリーダーが決まった。
パッと見て、まずまずいい人に見える。
よく見たら、じんわりと良さが伝わってくる。
その違いはあるけれど、まずまず、二度と見たくない顔ではない
点は良かった。

政治家は顔。顔つき。
いいも悪いも、強烈な印象を残す人が有名になる。

もちろん顔だけではない。
中身が大切である。

日本が変わるように。とんでもない方向にいかないように。
世界から信頼される国になれるように。

まずは、北陸や災害で困っておられる方に最優先で支援を
するような、そんな国であるように。
リーダーは、なることに意義があるのではない。
しっかり、しっかり世のための仕事をしてほしい。
もちろん、私も小さいながらも世の役に立つ仕事をしたいと
思っている。

顔は、心の窓。
心を磨けば、いい笑顔になれるかな。

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ライバルか仲間か?を越えて。

ITの進化は目覚ましい。と、日々思ってはいたが、最近はとくにそれを実感する機会が
多い。ときに戸惑いも・・。
ある新人研修を兼ねてのプロジェクトミーティング。
役割分担をして原稿作成を依頼する。
「できました~。」
「早いね。」
「はい、生成AIにさくさくって手伝ってもらいました~」
という会話。

さらに、ちょっと時間がたりなくて、しばらく誰も手を付けずにそのままになって
いた仕事。
あるきっかけでメンバーのひとりが、すぐその懸案になっていた件の原稿を送ってくる。
「えらい、早いですね。」
「ちょっと生成AIに書かせてみました。普段から◌◌に関することは
学習させているので、それなりにできてますね。」
確かに、本当に取材して書いた文章のように見える。完成度は予想外に高い。
「これなら、これからもそんなに手間とらずできますね」
忙しいからできない。は、もう言い訳にしかならない。

一方、お客さんとの面談で、パソコンを開けて議事録をとりながら
人の話を聞くというケース。
メモをとることがメインになってしまい、目を見て会話できず、しっかりお客さんに
言葉を返すことができず、それでいいのか?営業になるのか?
そこで、「レコーダー買いました。これがあれば、メモもあとの書き起こしもいらない
です」。という話。見せられたのはカード式の薄いレコーダー。
これなら、目立たずメモがとれる。録音した音声がそのままテキストに変換される。
実際、会議の議事録は大変面倒。
最近はこの手のツールを使う企業、役所も増えつつある。

進化するITツールを使って、DXを進める。
ということが、本当に日常の流れになりつつある。
時代についていけないと言っている場合ではない。
とくに、クリエイティブな仕事をしている人間は、パソコンには負けない、負ける
ことはないと過信していたかもしれないが、
文章もイラストも、それなりに作れてしまう。
コピーライターの仕事は?デザイナーの仕事は?作曲家の仕事はどうなる?

便利であるけれど、仕事をとられてしまう可能性もある。かもしれない。・
困った。
で終わらずに、その現状を踏まえて、さらに自分しかできないことを
生み出す力が必要であり、そこに無限の可能性を感じる。

自分しかできないこと、人間だからこそできること。
考えさせられることが、増えている。

人間は、どこへ向かっていくのだろう。大いなる疑問でもある。

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