やっと、会えるね。

今日は、父の納骨日。
四十九日がすぎ、まだ落ち着かない状態ではあるが、
母が待っているだろうと、あまり間をおかないことにした。
約半年前に旅立った母を、追いかけた父。。
本当についていったんだ。母が呼んだんだ。
「あんた、何やっとんの、はよ、こっち。こっちで待っとるで」
父の末期の眠りの日々には、きっとそんな母の言葉を夢うつつで
聞きながら、そのままその言葉に応えて、旅立ったのだろう。

いろんな場面を思い出すと、信じられないことがあるまま、
父と母の再会こそが、一番の供養であると勝手に思っている。
良かったね。また会えるね。二人で仲良くね。喧嘩もしていいよ。

寒いなか、あたたかい気持ちで、妹と一緒にこの節目の時間を
大切に見守りたい。
父へ。良かったね。やっと会えるね。
母へ。良かったね。やっと会えるね。
今日は、誕生日にいただいた花を添えて、感謝の意を込め、1日をはじめる。

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わが人生、プロセス第一。

生きていれば、いろんなことがある。
仕事でも、プライベートでも。

例えば、仕事で、自分が考えた、ひらめいたアイデアを実現させようと
努力しても、結果そうならないこともある。
自分だけの力ではどうにもならない、
そして何事も相手があってのことだから、
自分が思うように、いつも物事が進むわけではない。
とくに、間接的なコミュニケーションのなかでは、うまくいくことは難しい。
なんでも自分の耳で聴き、自分の口で伝える。
自分で考えたことは、本来はそうありたいが、そういうケースばかりでもない。

そんなこんなで、結果うまくいかないことがある場合は、瞬間くやしいが
すぐ頭を切り替えて、協力いただいた方にきちんと報告し、御礼を伝える。
結果を伝えながら、自分の力が及ばなかったと伝える。
すると、相手も「自分の力が及ばなかった」と言ってくれる。
お互い同じ気持ちであることに安堵を感じる。
一緒に同じゴールを目指したのだから、お互いに結果を共有し、また次に向かう。チャンスを一度逃しても、この経験から、新たな気づきもある。

何事も、そのときはうまくいかなくても、一生懸命にやったのであれば、
悔いはないし、その経験から得たことはたくさんあるはず。
結果よりプロセスが大切なことも多い。
そして、そのプロセスがもっと大きな愛をもたらしてくれることもある。

だから、わが人生には、失敗はない。
成功と失敗。人生はこの二軸だけではないと思っている。
その過程が大切。どこを向いて、どうやったか。何を積み上げたか。
プロセス第一で、これからもいきたい。

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コロナに負けず・・とびきり笑顔

「いまおさーん、会えてうれしい!!」画面から飛び出そうな勢いで
笑顔で挨拶をしてくださるカフェオーナー。
久しぶりの再会。もう3年ほど経っているかもしれない。
その間、コロナもあり、なかなかのご無沙汰であった。

先日突然
「ディナーショーは今年はやらないんですか?
愛の賛歌とピアノが聴きたいです」とメールをくださってから、
それがきっかけで、ZOOMでの再会面談となった。

コロナでも、もともと人も雇っていないし、家賃も
いらない環境で店をやっているから、コロナの影響は
少なかったとのこと。
そして、開店後3年、5年と時間が経って、自信もついて
お店の経営にも「自分はコレ」と言う世界が見えてきたと
おっしゃるたくましさ。

5年の間に、旦那さまが闘病の末、亡くなり、でも悲しみを乗り越えて
営業を続けた。そしてコロナにも負けず・・・。

「死ぬまでこの仕事をします!
フライパンがもてなくなっても、コーヒーぐらい運べますよね。」

そんな日は来ないだろうと思うほどに、すこぶる元気だ。

この12月22日から、5周年の1年間。いっぱいGOGOの発想でいくという。
来年早めに、会いに行こうと思う。そしてこのGOGOに相乗りしよう。

生涯仕事をすると決めている人は、元気いっぱい。
生きている限り、それを目指したい。
彼女の名前もMASAKOさん。彼女はフライパン、私はピアノ。
とびっきりの笑顔で!今日も
「いらっしゃいませ!」の1日がはじまる。

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乙女のてくてくコミュニケーション。

久しぶりに会った友人。1時間ほどお茶を飲みながら、話したあと、
カフェの前で別れるつもりであったが、
「一緒に歩いていくわ」
と、四条烏丸から京都駅まで一緒に歩くことになった。
何年ぶりかの再会でもあり、まだ話し足りないこともあったのかも
しれない。
人と一緒に歩くということは、家族以外とはあまりしないが、
自然とそういう流れになった。

話しながら歩くということは、不思議な感覚。
足も動くが、口も耳も動く。ある意味、全身運動だ。
「歩くの、速いね」「そうかな」
言葉を返し、東京時代に鍛えられたかも。そう思いながら、てくてくと進む。
「今日は15000歩ぐらいになるかな」
「いつも、6000歩は歩いてるで~」
「ええこっちゃ。歩けるのは幸せなこと」
黙って歩くのではなく、歩きながら話す。

いくつかの信号を渡り、気が付くと京都タワーが間近になる。
「なんだか、早いな。すぐ着いてしまった」
もっと、歩けたのに・・・という感じの名残惜しさ。

「じゃ、また。元気でね。介護、おつかれさん」
友人は、そこから地下鉄と阪急に乗って、帰るといった。
わざわざ、話すため、そして運動のために、一緒に歩いてくれた
冬の夕暮れ。
いい健康コミュニケーションになった。
また彼女とのいい思い出が一つ、増えた。
顔を見て話すのも良いが、一緒に前を見て歩きながらもいい。

てくてく、ぺちゃくちゃ。
いつまでも、元気でいてほしい。
いつまでも、乙女の心の元気なおばちゃんで。

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コロナで昭和コミュニケーション?

とにかくアグレッシブな知人がいる。
ある国の大衆文化の研究家でもあり、歌手でもあり・・・メディアにも出演された時代もあり、本をかいたり、大学で講座をされたり・・・とにかく、個性的で活動的で、情熱のかたまりだ!とその生きざまを尊敬していた。
とにかく、勉強熱心な方という印象であった。
20代の頃から知っていた。当時、会社員をしていた私は彼女のように活動できなかったが、独立してからは、フリーで仕事をするという立場で共通点ができた。
ライブにお互いに行きあい、刺激を交換。
私のオリジナル曲をご自身のライブで歌いたいとおっしゃっていただけたことは、うれしかった。(楽譜を渡せていないため、まだ実現していないが)
でも、ひとまわり以上も上の先輩で、そんなに気軽に話せるとは思っていなかったコロナ前。
ちょっと遠くから応援しながら、応援されていた距離感で、しばらくご無沙汰。コロナが影響していた。
この2年の間、ライブの案内なども送られず、ネットでの情報更新もなく、最近の活動の様子がまったく見えず、心配になっていた。
お元気なんだろうか?どうされているのだろう?
なんどか思い出し、確認しないではいられなくなって、ついにその事務所に電話をしてみる。恐る恐る・・・。誰か電話に出てくれるだろうか・・・。
初めての電話。これまではずっとメールでのやりとりのみ・・・。

最初、スタッフらしき人が出たあと、電話口にご本人が出た。
その瞬間、ほっとした。よかった。
それから、彼女は話し出した。最初はゆっくりとした口調であった。
もしかしたら、コロナで誰かと話すという機会が減っているのかもしれない。
と察知した。
その後、いかにコロナのなか、演奏活動を積極的にできず、自粛し続けてきたか。今も新幹線は乗らないと決めているとのことなど・・。
そして、この間、仕事に求められることも変わってきて、元に戻れない、
時代が変わってきたということを痛感した。
リモート対応ということも、なかなかむつかしい・・・。
などなど、とにかく久しぶりにお話をお聞きした。
最初は、口数が少なかったが、そのうちいつものライブのトークのごとく、
元気にいっぱい話を続けられた。ときに笑い、ときにしんみりしながら・・。
契約しているお店でのライブでは、お客様が感染してはいけない。と気にしながらやっておられるようで、おそらく普段どおりのパワーも出せないまま・・の複雑な状態なのだろう。
でも、電話だと遠慮なしに話せる。
ということで、コロナでリモートではなく、なんと1時間の長電話になった。
オンライン世代でなければ、電話コミュニケーションは確かに有効だ。
こんな長電話。もしかしたら、中学生以来かも?もちろん時に仕事でどうしても
の長電話は稀にあるが、それでも、こんなに長く話した、聞いた記憶はない。

お互いの連絡先を再確認して、元気に電話を切る。
「また、いつか安心してお会いできる日に、会いに行きますね!」
そう、そんな日が来るために、今もまだ我慢、自粛しなければならないのだ。
と、そう思っている人は少なくなっているかも?
彼女は、医療崩壊を目の当たりにしながら、深刻な状況を理解しながら、
静かに忍び、生きているおひとりだ。
本当に、コロナを甘く見てはいけないと、その生活ぶりから、真面目な様子が
伝わり、背筋が伸びる。

昭和なコミュニケーションはときにいい。
顔を想像しながらの会話もいい。
昔は、それだけだったのに。
今は、世界中で、想像を要することが減った分、
創造も乏しくなっているかも。
決して良いことではない。

電話をきって、すっかり距離が縮まった。
お元気で、ほんとうに良かった。

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第三の音の存在で。

静かな未明。マンションの窓をあけると、階下の道路から、信号の歩道者向けの音声が聞こえてくる。ピポッ、ピポッ。
また、しばらくすると、貨物列車のガタゴトという音が遠くに聞こえてくる。
世の中は、眠ることなく、いつも動いているのだ。ということを感じる瞬間だ。

先日、父が亡くなったと聞き、ちょっと動揺気味に家を飛び出し、
移動しながら、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせていたあの時を
今、思い出す。
自分の中では、超非日常の事態であるのに、それでも信号は赤信号にもなるし、
コンビニに入ると、いつも音でお出迎え。
世間は自分と無関係に平常モードだ。ということに気づかされ、落ち着く。

さらに記憶をたどる。母が亡くなった日のこと。病院から危篤の連絡が入り、急いで電車で岐阜へ向かおうとしたが、名古屋駅は、電車の遅れでホームに人が溢れ、係員が何度も状況説明をアナウンスしていた。
一瞬を争うぐらい急いでいる私にとって、それは残酷であった。でも、この雑踏の音で、もうだめだ。仕方ない。と諦めの気持ちもうまれ少し落ち着いた。
そして、どんなときも世界は自分に関係なく動いているのだとも感じた。

どんなときにも、第三の音があることで、
われにかえることができたり、日常を感じたりすることができる。
そのことは大切だ。

人が、時に海に出かけ、波の音を聞きたくなったり、自然に包まれ、鳥のさえずりに出会いたくなるのは、第三の音だから。
自分が住む同じ世界に、自分以外のいろんなものが棲み、生きている。そして、小さな自分の存在を、より自覚できることで、目の前のことがなんでもないことだと思えてくる。
世間から見れば、親の死もよくあること。誰にでもあること。だから大丈夫とも思えてくる。

第三の音に耳を済ませよう。
朝のクラシック音楽もそのひとつ。

第三の音は、
自分をみつめさせてくれる大切なコミュニケーションツールだ。


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プロと言われる仕事を。

どうせやるなら、プロと言われる仕事をしたい。
どうせやるなら、予想をはるかに超える結果が出るようにしたい。
と、
そう思い続けていると、そうなるために努力もするから、
力もついてくる。

ごまかしや、見せかけは、見る人が見たらわかる。
地に足の着いた、仕事をしたい。
それは、経験を積み、いろんな学びを経て、試行錯誤のなかから
生まれるもの。

仕事は相手があるもの。
趣味は自分の世界のもの。

プロとアマチュアの差はそこだと思う。
相手に喜んでもらうことが前提である。

「さすが、プロですね」時々、そんな言葉をいただくと、
素直にうれしい。

さらにがんばろう!と思う。

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「ありがとう」を届けたい朝。

この写真は、長崎の大浦天主堂の近くにあるカステラ屋さんのゲンちゃんが
以前私にと作ってくれたケーキ。
今日は、マイバースデーだから、この写真を選んだ。
ピアノ。これは両親が私に与えた、最高のプレゼントとなった。
二人とも旅立って、そのことを、今、より一層強く感じている。

私にピアノと、強く生きる勇気と元気を与えた父と母。
反面教師の部分も多かったけれど、今から思えば、その生きざまも含めて
ありがたいギフトだったのだと思えてくる。

昨年までであれば、
「誕生日、ありがとう!」と電話をかけるのが恒例行事。
「いくつになった?もうおばさんやな~」と母に、笑いながら
言われていた昨年の今日。

おばさんやな~と娘に言いながら、どんな気持ちでいたのだろうか?

今日は電話をかけることはできない。
けれど、改めて
「誕生日、ありがとう。代わりに、頑張って生きるね」
と心のなかで、感謝を唱える。

人生最初の、親の見えないバースデー。
慣れない気持ちではあるが、両親がいなかったら自分の存在はなかった。
自分がいるということは、そのルーツが消えることはない。

改めて、父母に感謝の気持ちが湧く、
ちょっとだけ〇〇なマイバースデー。
それを思ってか、0時1分に、「お誕生日おめでとうございます!」
のメッセージをくださった方がいる。
ありがたい。うれしい。お気遣いに心がじんわり・・。
さあ、幸せな58歳をはじめるとしよう。

また元気に、「世界でひとつの私の人生」という観覧車を回し続けたい。
誕生日、ありがとうございます♪

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表情を見る、思い出す。

ライブでも、講演会でも、研修でも、何か自分からメッセージを発信する
とき、相手の反応や表情を見るようにしている。
そこが発信者にとって、一番気になるところである。
今言っていることが、今演奏している曲が、
相手にどれだけ響いているかを確認しながら、進めていくことは、大切だ。
演奏しているときは、涙ぐんでおられる方や、手拍子をされたり、カラダを
揺らしておられる方がいたら、「やったー!」と思いながら、気分よく演奏を続ける。マスクのせいで、前より表情が見えづらいが、もうそれにも慣れた。
目元やカラダ全体で反応がわかる。
研修会などで、複数の方々にお話しをさせていただくときも、
相手の様子を観察しながら、口を動かす。
反応を見ながら、話題を変えたり、もう一度言い方を変えたり、また問いかけ
などをしてみる。
とにかく、相手に「いい意味での化学変化」を生み出すことが、発信者の目的
であると思うため、つねに表情を伺うことは大切だ。

そして、
演奏会や研修会を終えたあとも、お客様や受講者の皆さんの顔や言葉など思い出して、ひとりでその時間を振り返る。
面白い発言や、さまざまな表情が私の中にインプットされ、記憶される。
そして、私は歩きながら、何かをしながら、それを思い出して、ひとり笑っている。
「あの人、あんな発言してくれたな」
「あの人、いつもと違う表情だったな~」
と、映画を観るように、もう一度、その時間を振り返ることで、見えてくる
ことがある。

ふりかえりが楽しい。そんな仕事を重ねたいと思う。
予想以上の反応、想定外の変化。これを感じたとき、
コミュニケーションクリエイターとしてのやりがいを感じる。

さあ、今日もどんな化学変化を?

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ショコラはエナジー!永遠のパリ土産物語。

今日で、月めくりカレンダーの最終ページとなる。
カレンダーをめくる瞬間に、背筋が伸びる思い。
ああ、もう12月か~。
過去には、この12月が始まると、誕生月という理由も絡めて
ニューヨークやパリにバタバタと出かけた。
浮世を離れ、理想の世界に身をおいてさまざまな
発想をし、新たな1年を過ごすエナジーチャージをした。
そんな若い日々が、今は懐かしい。
ホテルから出かける朝7時でも、まだ夜明け前。そして寒い。
白い息が冬のパリの朝・・そこにあたたかいカフェオーレ。

浮かれ気分があったのか、一人旅の若い東洋女は狙いやすかったのか、
の地下鉄の改札で、スリに遭ったことを思い出す。
花の都は、犯罪の町でもあることを知ったあの瞬間。

世の中には、親切な人がいるもんだ。
地下鉄車内でバッグから財布を取られたことに気づき、
困っている私に声をかけてくれるマダムがいた。
そして、途中の駅、新凱旋門駅で一緒に下車。
警察に一緒に行ってくれて、そのあと、盗まれた航空券の再手配など
のやり方を教えてくれて・・・。そのあと、そのマダムは
元気をなくした私をマクドナルドに連れていき、
珈琲とチョコレート菓子をごちそうしてくれた。

どんなチョコレート商品であったかは定かではないが、
ショコラが好きなパリの人々には当時から必需メニュー
だったかもしれない。
見知らぬ東洋人の小娘を助けてくれたマダムは、ほんとうに
どこまでも人がいい。

「ここから見えるあのビルに、航空会社があるから
そこでチケット再発行してもらったらいいわよ。」
挨拶以外フランス語を知らない私が、彼女と英語で会話したのか
それも怪しいが、とにかくそのときは、よく理解できた。
人は生存がかかると、何か普段使わない力が湧いてくるのかも
しれない。

そして、
「ショコラはエナジーよ!」
と言って、元気を出して!と励ましてくれた。
その後、シャンゼリゼ通りで別れた。

と、今、今年最後の1枚をめくり、大好きなパリの絵柄が
変わったとたん、その彼女のことを思い出した。
あ、ルコントさん、お元気だろうか?
メールもない時代。別れ際にいただいた名刺。
帰国する前に、空港から名刺に記載の番号に電話をして、
「Merci!」
と言った記憶も蘇る。

これは、もう30年ほど前のことだ。
いい思い出。
素敵なパリの思い出。

今年もパリとの再会は、叶わなったが、私の中には
あったかい思い出がいっぱいだ。
12月初めに思い出した、ギフトストーリー。

ショコラはエナジーよ!

さあ、今年も最終ラウンドだ。
エナジーたっぷりで、快速・快適な時間を!



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