作品の説明や解説など、とてもじゃないがおこがましい。
描いている作家本人にしか見えないこと、わからないことがある。
観る人はただひたすらに、それを想像して楽しむ。
絵画鑑賞とは、それでいい。それに尽きるのではないかと思わせてくれる
言葉を越える、作品たち。
何度見ても楽しく、幸せな気持ちになり、またその作品に取り組む
作家さんたちの表情や手元が浮かんでくる、そんな作品たち。
生きてるな~。すごいなあ~。とただ、ただ感嘆!
現在、京都市の京セラギャラリー(京セラ美術館ではない)で開催されて
いる作品展。
個性的な作家さんたちの入魂込めた、力作がずらり並ぶ。
混雑した著名な画家の展覧会と違って、ゆったりした広々空間で、1点づつ
の作品に向かい合うことができる。
本当に贅沢な作品展だ。ついこの1週間で二度も足を運んでしまった。
高価な作品を美術館で見ることや、絵画を販売する会場に足を運び、絵画を
偉そうに観る機会はあるけれど、
ここにある作品は商品ではなく、純粋なる作品。
まず、そこに心打たれるのである。
素晴らしい観察眼。繊細な色さばき、筆遣い。緻密さ、明るさ、やさしさ。
その人しか見えない、独自の世界を1本の筆から、色鉛筆から、手先から
表現されているのだ。
この作品展では、絵画だけではなく、段ボールを使ったユニークな人形や、アニメ
など、多種多様な作品がずらり並んでいる。
先日、作家さんたちが日々通う施設に向かう道で、ある一人の作家さんと
出会った。声をかけたら、くしゃくしゃの顔をしながら、恥ずかしいのか
走ってどこかに行ってしまった。なんだか想像を超える行動に、いつも
不思議な感覚を覚え、取り残されて、ふっと笑った。
社会の決まったルールのなかで、ストレスを抱えていきる人たちと、
その枠にとどまらず、自由に表現し続けている人たち。
どっちが幸せ。という比較はないが、とにかく彼ら、彼女らの
作品を観ていると、透明でやさしい気持ちになれる気がするのだ。
ここに作品をいくつか投稿させていただく。私がとくに好きな作品の一部。
(全部好きなのだけれど・・・)
ぜひ期間中に、足を運んでいただきたい。
障がいではなく、個性。
個性豊かな人たちが自由に自分を表現する世界。
生きるとは、社会とのかかわりとは・・・いろいろ考える前に
いっぱい感じたい。
実は、この作家さんたちとのコラボ活動が、この春から本格稼働する。
(このことは、後日紹介する)
この関わりも、私にとってはとてもうれしい。
そんなこともあって、この作家さんたちを余計に応援したい気持ちが高まっている。
それぞれがもつ才能を存分に開花させる。そんな生き方をしたい。
改めて背中を押される展覧会でもある。
本展覧会の詳細はこちら
京セラギャラリー2024年冬季特別展 「宇宙の意志 ーアトリエやっほぅ!!ー」
https://atelieryoohoo.com/news/362
何度も足を運びたい、あたたかい作品展。
肩の荷をひとつづつ。
人生は様々な荷物を担ぎ、そしておろす。その繰り返しなの
かなと思う昨今・・・。
何も背負わなければ、重さを感じることなく、楽々生きられる
かもしれないが、自分から荷物を担いだり、背負ったりする。
荷を担ぐとその重圧で歩きが止まったり、阻まれたり・・と
思うように前進できない日もあったり、心労も増える。
でも、目的地にたどりついて、その重い荷物が降ろせた瞬間、
その解放感たるや格別であり、頑張って担いだ自分をほめて
やりたくなる。
肩の荷がおりる。たとえば子どもをもつ親御さんであれば、
子育てが一区切りされたら、そんな気持ちになるのでは。と
思う。
私の場合は、子育てという荷物はないが、それ以外の荷物を
背負って生きる。自分で作った荷物だ。
今回は4作目のアルバムをリリースできて、何とかカタチに
することができ、よくやり切ったなと思っている。
自分にしかわからない、大きな荷物をひとつおろした心境だ。
何か新たな挑戦をしようと思えば、背負う荷物は増える。
それは当然。
背負ってはおろす。背負ってはおろす。忙しくなり、疲れる日も
あるが、それを繰り返すわが人生。
残りの人生のなかで、あといくつの大きな荷物を背負うだろう。
心身ともに、まだまだいける!とそんな気持ちでいるが、
その前に、一人でも多くの方に聴いていただけるように、
活動を続けていかねば・・。
そう思うと、荷物を下ろした・・けれど、活動は終わっていない。
ひとつづつ肩の荷をおろしながら、運び終わった歓びをかみしめる。
そんな瞬間を増やしたい。
「黒いひまわり」とともに祈る日。
2月24日はロシアがウクライナに軍事進攻した、戦争を仕掛けた忌まわしい日だ。
あれから2年経ってしまった。
長い歳月である。あれからずっと戦争状態が続き、罪なき多くの人々が犠牲になって
いる。自分の国を守るため。このことのため、いわれなき戦いに向き合わなければ
ならないとは、本当に不運なことである。
夢や希望に満ちたはずの人生が、独裁者のせいでズタズタにされ、家族も愛する人も
そしてふるさとも捨てなければならなくなってしまった、そんな人生・・・。
想像するだけで身震いがする。
ウクライナの各町では、一見日常生活が維持されているように見えるが、毎日の
ように爆発が起き、警報とともに逃げなければならない、こんな生活・・・。
いつ襲われるか、いつ命を落とすか、自分自身も、家族も・・・。
天災も困ったものであるが、人災であれば恨みや憎しみも増す・・・。
何もなければ、平和に生きられるのに、その国の歴史や地政学的な位置により、
運命は変わる。ほんとうにウクライナの人のことを思うとこんなに離れていても
首謀者への憎しみの感情も沸いてしまう。人間とは恐ろしい存在だと思えてしまう。
2年も続いていたら、疲れ果てる。どうでもいいわ。なんでもいいから早く終わって
くれ。と自暴自棄になってもおかしくない。
でもあきらめては、いけない・・・と頑張り続ける人たち。
本当に戦争は何の意味もない。いいことなど何もない。
大国のおごり、権力行使・・・。辟易する。
この戦争が始まって間もないころに、頭に浮かんだ「黒いひまわり」。
早く戦争が終われと祈りを込めて作った。
まだ見ぬひまわり畑がなくならないようにと・・・。
今回リリースしたアルバムにも挿入しているが、この曲を支持してくださる
方は多い。みなさん、同じ気持ちになってくださっているのだ。
昨日もこの曲をひとり弾きながら、この無謀な戦争の終結を祈った。
今日も明日も祈り続けたい・・。
黄色いひまわりが元気に咲き誇る、そんな日が戻ってくることを
心より、心より祈っている。
お父さんと乾杯!
最近、お世話になっている方のお父様が亡くなっておられたことを
知った。昨年の末ごろから、食事がとれなくなってきているとお聞き
していたが、自分の父の時のことを思い出し、あまりたびたび様子を
伺うのは・・・と思い、自分から尋ねないようにしていたが、
教えていただき、できたらもっと早く知って言葉をかけるべきであった
ということと、今のお父様を失くされた心境を思うと、自分の時のこと
を思い出し、なんともいえない気持ちになった。
どこに行っても会えない寂しさ・・・わかる、わかる・・。
お父様と一緒に私のライブに来ていただいた15年ほど前のことを
思い出し、ああ仲の良い父娘だな~と思ったことが昨日のようで
その後も、何度もお父様のことはお聞きしていた。
一緒にビールを飲むことが好き、もともと北海道の方とのことで、
サッポロビールがお好きだったようで・・・。
親子で乾杯とは、いい景色。
ふと、自分も父と乾杯をしていた頃のことを思い出した。
気が付くと、サッポロビールを送っていた。
お花より、お線香より、こっちが喜ばれそうな・・・。
乾杯するごとに、お父様のことを思い出す。
今は寂しさが増すかもしれないが、きっと時間を経て
良き思い出とともに、いつ見守ってくれていると
気持ちを上に前に向ける日が訪れるだろう。
親との別れ。避けられない人生の試練ではあるが、
感謝を忘れず、受け継ぐべきことを大切に、
生き続けていく。
人生はリレー。何を受け取ったか。
ここをしっかり確認して、前に進みたい。
敦ちゃんのお父様に感謝しながら、心からのご冥福を
お祈りいたします。
いつか終わる、できあがる。
昨年末からはじまった仕事。ある企業のコーポレイトサイトのリビルドである。
近年、1年に1件はこの類のテーマにも取り組んでいるが、今進めているのは昨年の
秋から企画がはじまったもの。
そこからチームで役割分担をして、原稿作成をし、雪の年末に撮影をして・・・今
はデザインも完成に近づき、2月末、3月末と段階的に公開できる目途が立ってきた。
最初の段階は何もカタチがない。
どういうものをつくればよいか?クライアントの要望は?その先のメッセージターゲット
への響き方も考えながら、あれこれと提案しながら、議論を重ね、クリエティブスタッフ
にデザインを依頼しながら、作り進めていく。
プロデュース、ディレクション、コピーライティング・・・。
前職含め、こういった仕事を長年してきたせいか、やはり今もゼロから作り上げていく
仕事は馴染みがある。
自分が引っ張っていかないといけない緊張感と責任があるため、プレッシャーもあるが
その苦しみを越えての作品づくりとなる。
思えば、正月三が日もずっと考え、原稿を書いて・・・という年明けであった。
それが今だいぶ形になり、ゴールが見えてきた。
「あと一息です。もう少しです。」
と、チームにも声をかける。
姿かたちが見えてくると、安心する。
しかし、印刷物であれば刷り上がるまで、WEBであれば公開するまで、本当に安心は
できない。
はじまりはいつも、何もないところからのスタートである。
どんなものを作りたい、誰に何を伝えたい。
そこからはじまる。
ゼロからつくる生みの苦しみと、できたときの達成感。
苦労があるから、歓びがある。
終わりなきトンネルはなし。
今、トンネルの向こうの光が見え始めている。
もうしばらく、もがくとしよう。
仕事は、こんなことの繰り返し。
生きている間に、どれだけのトンネルを通るのだろう。
分身つくる仕事。
仕事と作業は違う。
作業はモノづくりなど行う場合に必要な、体や手先を使って行うしごと。
指示されてそのとおりに動くのが作業。作業をしないと、モノはできない。
どうしたら生産性を上げることができるか?を考えて動く、または人や機械を
動かすのは作業ではなく仕事。
考えて、工夫したり改善することは、仕事である。
作業は他の人でも対応できること。仕事は本来、自分にしかできないこと。
また作業は労働でもある。
私が希求したい仕事は、作業ではなく自分で考え、つくりだす仕事。
できたら他の誰もしないことに挑戦したい。
そう、私にとっての仕事は想像であり、創造。
とくにコミュニケーションを軸に考え、生み出す仕事。
その結果、その制作物や商品から、メッセージを伝えることができたら、
それは最高の幸せ。
そんな仕事をしていきたいと考える。
言い換えれば、仕事は自分のいのちであり、自分の分身づくり。
そう思うと、こだわりも生まれ、いい意味での執着も生まれる。
いいモノをつくりたい。いいコトをしたい。いい時間を生み出したい。
そんな思いで、今、日々の仕事に取り組んでいる。
先週リリースしたアルバムはまさに、自分の分身。
そして、今日々取り組んでいるクライアントのお仕事も自分の分身になる。
いいサイトができた、いい商品ができた。
お客様と一緒に喜びを分かち合える商品づくりに関われることは幸せだ。
分身をつくるしごと。
やりがいがある。
今日も分身づくりに励みたい。
理想の終わり方を考える。
最近、改めて考えさせられた、理想の終わり方。
オランダの元首相(93歳)が夫婦で安楽死を選ばれ、手をとって
人生を終えられたというニュースを知り、つい、いいなあ。と
思ってしまった。
そして、しばらく忘れていた安楽死のことを再び思い出した。
オランダやスイスなど一部の国では、一定の条件を満たせば、
安楽死ができる。合法である。
何年か前、新潟のある女性が難病のため、安楽死を選択し、
海外に移り、その願いを遂げたというドキュメンタリーを見て
そのときも心動かされた。その方の勇気と、そしてそれを受け入れた
家族の気持ち。自分ならどうするか?を考えた。
そして今回は「夫婦で安楽死」について。
70年連れ添ったお二人、お互い相手がいなくては生きて
いけない。だから終わりも一緒に・・・。手をとりながら亡くなっていく。
なんと素敵なことだろうと思ってしまった。
残す、残されるはなし、一緒に旅立つ。
もちろん事前準備はしっかりしていかねばならない。
頭もしっかりしていなければ、この選択は難しい。
究極の終活は、安楽死だ。
もちろん、ぴんぴんころりが一番いいけれど、
いざとなったら、安楽死という選択肢もあれば・・・。
日本では認められていない。何かと生きづらい国だ。
人生の終わりまで、なんとか自分らしく生きたいものだ。
一緒に旅立つ。理想の終わり方。
父と母は、一緒ではなかったが、続いて旅立った。
最後に会えなかったから急いだのだろうな・・・。
安楽死。考えたいひとつの選択肢である。
完成しての歓びを分かち合う
今回のアルバムの音作りを担当してくださったエンジニアの
T.Iさんから以下のメッセージををいただいた。
ぜひ、マーサさんの演奏を聞いてくれた人々に
マーサさんのお気持ちが伝わり共有していただけたらと
思っております。
余談ですが、昨今、パソコンで色々とできる
時代になり、あとで修正や補正ができたりと、
我々が生きている一瞬一瞬の時間の価値(意味)が
疎かになってきていると感じております。
あのスタジオは、そんなことは無く限りなく
自分自身と向き合い、限界に挑戦するスタジオであり、
人を成長させてくれるスタジオだと思っております。
(私も日々スタジオに育てられております。)
今回、マーサさんという人の生の音をしっかりとCDに込めることが
できたと自負しております。
・・・・・・・・・・・・ここまで。
改めて昨年の11月のレコーディングのことを思い出す。
私の声を研究し、それに合う最適なマイクを用意され、
本当にいい音をつくってくださった。
早速お聴き頂いた方からはこんな感想をいただいた。
CD聴きました!最初に思ったのはとにかく音がびっくりする程良いということです。
ピアノの音も透き通っていて、今尾さんの声もとても立体的で素晴らしかったです。
・・・・・・・・
音へのこだわりが伝わって、うれしい。
モノになってこそ、やった!という歓びが沸き上がる。
ネットにアップするだけでは、やった!は瞬間で終わってしまう。
手にもって、目でみて、耳で確かめることができる・・・。
CDはまだまだ必要な作品形態だ。
完成した実感が毎日、じわじわ・・・。
いろんな声をいただき、本当に幸せだ。
まーちゃん、ごめんね。
両親がなくなってから、実家は第二の仕事場でもあり、創作場になっている。
定期的にパトロールしながら、有効活用している。
とくにピアノ。
実家に棲んでいるピアノたち。
私にとっては、まさにそんな存在だ。
それらは、今回の新しいアルバムの中でも歌っている「大きな古時計」
のような存在かもしれない。
親がいなくなってから、グランドピアノに「まーちゃん」と名付けた。
最初はマドレーヌとか、横文字にしたけれど、やっぱり自分の分身だから
まーちゃんにした。子供の頃の自分は、近所のおばちゃんたちにそう呼ばれていた。
(そういえば、アップライトにはまだ命名していないが、「まあねえちゃん」とでも
命名しようか・・・)
このピアノ姉妹?は、私が子供のころから大きな古時計のように
ずっと私を見てきている。
小学生のときまでは、アップライトピアノ。
(幼稚園のときはオルガンだ)
中学生になってからグランドピアノも入居してきた。
昔住んでいた古い自宅 六畳間に楽器がすべて置いてあった。
ピアノ2台とエレクトーン。今想像したらすごい世界だ。まさに楽器部屋。
親はどれだけ貧乏をしたことだろう。内職を毎日していた・・。
父は車好きであるが、車購入は楽器購入に消えたと母に。いつも言われていた。
その後、30年ほど前に、現在の実家に楽器たちも引っ越した。
私はそのとき、そこにいなかった。京都にいた。
いつか娘がかえってくるであろうというはかない夢で作られた
大きなレッスンでもできそうな部屋。そこに、ピアノ姉妹がいる。
実家に行くと、いつもグランドの方を弾いてしまう。
やはりゴージャスだから、そちらで弾くのが当たり前になっている。
アップライトはその傍らでじっと私を見ているのだろう。
ピアノには、演奏する前も、途中も、終わった時も
話しかけている。
そしていつも二言目には、
「まーちゃん、ごめんね。」という。
18歳で岐阜を捨て、京都に行ってしまった私はこのピアノたちを
置き去りにしたのだ。
それから35年近く、ピアノはほとんど弾かれず・・・であった。
それが急に、私が自宅のピアノを頻繁に弾くようになった・・。
一度見捨てられたピアノたちは、
なんじゃ?急にかえってきて!と思っているかもしれない。
置き去りにしていったから、ごめんね!なのである。
でも、グランドのまーちゃんは、いい音を出して、演奏させて
くれる。本当にありがたい存在だ。
このまーちゃんは、私の若き日の音楽人生を一番見てきた存在だ。
18歳の時の方がうまく弾けていたのは、まーちゃんが一番知っている
はずだ。でも、今、私はそこに追いつかねばと思っている。
マーサとまーちゃん。
死ぬまで、一緒にいたいと思っている。
それぐらい、私にとってはかけがえのない親友なのだ。
置き去りにした分、大切にしなくては。
それが両親へのお詫びと感謝の気持ちでもある・・・。
まーちゃん、そう呼ばれていた少女時代。
あまり変わっていないような、そんな気がする。
昨日はピアソラの楽譜を見ながら、所見で演奏をしていた。
クラッシックからアルゼンチンタンゴまで・・・
鍵盤に向かっていれば、勝手に指が動く。新曲も沸いてくる。
まーちゃんは、なんでも付き合ってくれる。
私の想いを音にしてくれる。最強のパートナー。
まーちゃん、ごめんね。ありがとう。
父さん母さん。素敵なお宝を、ほんとうにありがとう!
かな文字礼賛
あるお店の男性販売員の人から名刺を受け取った。
名前をみると「とも」と書いてある。
思わず「へえ。ひらがなの名前って珍しいね」
と反応してしまった。
きっとよくそう言われてきているのだろう。
「そうなんです。うちはみんなひらがな二文字の
名前なんです。あい ゆう とも です。」
「へえ、いいねえ。すごいいい名前、お父さんお母さん
よく考えられたねえ。ほんとうにいい名前だわ。大事に
しなくちゃね。」
すっかり、そのへんのおばちゃん状態で、若き販売員さん
にこんな風に話してしまった。
若い人の名前は最近、キラキラネームといわれる、当て字の
ような、正直読めない、時々理解できない名前も増えており、
昭和のまさに自分の名前のように「◌子」という名前は最近はめったに
お目にかからないし、それがいいとは思わないけれど、
読めない漢字の命名にはちょっと疎外感を感じるときもある。
それに比べ、このひらがなの名前は、なつかしくもあり、新鮮であり、
そしてなんとも漢字にはない、やさしさを感じることができ、好感も増す。
大正、明治と時代をさかのぼると、女性の名前はかな(カナ)に文字
も多かった。(最近、お墓に行くときよく墓石に書かれている名前を
観察している・・・)はな、とめ、ウメ・・・。私の知り合いにはハル
さんという方もおられる。
カナ文字の名前。改めて見てみるととてもシンプルで、親しみがわく。
名刺1枚で、相手の名前を知り、そこからコミュニケーションが生まれる。
そういう点では、私の名前は、名前自体からは会話は発展しないかも
しれないが・・・。
そういえば、先日参加したある企業の株主イベントでは株主のことを
「株主さま」と記載していた。これも、とてもやわらかいいい表現だと
思う。
日本人だから、今改めてかな文字コミュニケーション、改めて大切にしたい。