ローリングストックと賞味期限

最近、この「ローリングストック」という用語をよく耳にするようになった。
個人的には1年以上前に、防災士の知人から教えていただいており、
とてもいいことだ!と思って、一部の人には話し伝えはじめている。

「いざ」というときの食事のために、缶詰やレトルトなど保存食を備蓄するだけ
でなく、定期的にそれらを消費して、また補充して日々の暮らしで有効活用
していこうというもの。それを習慣化すれば、保存食の賞味期限切れも
防げるだけでなく、いざというときの備えについての意識も日常的になる。
家のなかの在庫品が消費されつつ、新しいものを備える。
日常の暮らしで、非常時を考えるには、とてもいいきっかけになる考え方だ。

としっかりローリングストックのことは頭に入っているが、実践は?
というと、実はなかなかできていない。

缶詰やレトルトは長期保存ができるため、ついつい買い置く習慣はある。
でも、やはり保存してしまう。
気が付けば賞味期限がかなり過ぎていたという食品に出会うと、
しまった!と思い、急いで消費する。
そう、まだまだ置いてあるだけのストック状態。

今回、防災の日でローリングストックのことを思い出し、ついでに
冷蔵庫のなかも見てみると、賞味期限の切れた冷蔵食品がいくつか
出てきた。開封していないまま・・賞味期限が切れてしまっている・・。
ああ、またやってしまった・・・。

ローリングストックどころか、フードロスの原因をつくっているのだ。

ということで、在庫は持ちすぎず、程よい量で、とにかく消費して
回転させること。
人生は観覧車のように・・だけでなく、保存食品も観覧車のように
くるくる回していかないと。

仕事柄もあるがついつい、購入までは積極的。そして保管というところで
行動が止まっているわが暮らし。

いざのためだけだなく、地球のためにも、ローリングストックを
心がけなければ。
と書きながら、防災士の知人の顔が浮かんできた。

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おかげさまで・・のお守り

コロナ・・・。今となれば、少し過去の思い出にも
なりつつあるが、
3年前は本当に大変な状況であった。

自分でも忘れていたが、お世話になってきた
ある飲食店の社長さんに、ささやかながら・・・と
以前お世話になった恩返しも含め、気持ちのしるしを
手紙とともに、お渡ししたことがあったようだ。
本当に、外食産業は大変で、倒産した例も少なくなかった。

その企業は工夫を重ねて、苦しかった時期を切り抜けて
今は以前のように繁盛店に復活している。
そう聞いて、本当にうれしく思っていた。

久しぶりに社長さんとお会いする。
こちらも会いたいと思っていたが、相手も会いたいと気にかけて
くださっていた。
そして再会、よもやま話をしながら、コロナ禍をよく乗り越えたね
という話をしていた。すると、その社長さんが改まって、
バッグから封筒を出された。

「本当にあのときは、ありがとうございました。
なんとか、あの状況から今日までがんばってこれました。
本当にあのときのことは忘れず、ずっとお守りと思って
がんばってきました。そして、早く元通りになったら、
この気持ちは必ずお返ししないといけないと思っていました」
と言いながら、3年前に渡した封筒を私に返された。
「このお手紙は、ずっとお守りですから、こちらはもらっておきますね」
ともうひとつの封筒は、ご自身が改めて持ち帰られた。

3年前のほんの気持ちをずっと胸にがんばってこられたのだと
思うと、思わず涙があふれそうになった。
自分ではこのことは忘れていたし、当時も、それまでお世話になったから
という気持ちだけで送ったが、ずっとそれをお守りにしてくださったとは・・。

返された封筒。
コロナではお守りとしてお役に立ったそうだ。
次は、困っている誰かに役立てるもことももちろん、
やはりこのお店のお役にも立てたい・・・。

コロナの間にしたささやかなことを、ずっと覚えていてくださったことが
本当にうれしかった。
ときに、誰かのお守りになれるなんて、なんと素敵なことだろう。

覚えていてくれた、気持ちを胸にいだき、頑張り続けてくださったことが
心からうれしかった。

二度とあの苦しい事態には戻らない。
活気に満ちた、元気な日々を感謝とともにかみしめたい。


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代役のない仕事をする人へ

自営業、フリーランス。その中身は俳優、作家、歌手、カメラマン、デザイナー、そのほかアーチスト、料理人・・・。代役がない、仕事をされている方はそのほかにもいろいろある。

身一つで、生計をたてる。これは、なかなか簡単ではない。
もちろん雇用関係のなかで仕事されている方のご苦労も計り知れないが、休む権利が確保
されているという点では、フリーの身は休んだらおしまい。ということもある。

であるため、自営業、フリーランスで生きていこうとしたら、まずは健康であることが
もっとも求められること。
代わりがいない仕事をするということで、本番の日に絶対に穴をあけてはいけない。
お客様にご迷惑をかけてはいけない。
これは、何があってもそうである。

這ってでもいく。
そんな気概でこれまでやってきた。だから、コロナになってはいけないと心してきた。
もちろん気合があっても、なるときはなるので、仕方ないが、とにかく人一倍
健康には気を付けなければ続かない仕事である。

数年前までお世話になっていたある方。また仕事の相談をと思い、久しぶりに連絡を
とったが、返事がない。メールが届かない。おかしいな。
共通の知り合いに尋ねてみると、どうやらしばらく体調すぐれず、お休みされていると
聞き、とても心配になる。
あんなに元気だったのに。
早く回復されることを心から祈るばかり。

フリーランスで頑張り続けている仲間に、改めて。
自分しかいない仕事をしているのだから、本当に自分を大切に、健康第一で
がんばってほしい。
やりきって終わるならば、それはいいけれども、悔いが残るのは避けたい。
孤独な仕事であるが、自由な仕事。自己管理がいつまでできるかが、長続きの
秘訣かもしれない。

と、我が身も自分ごと。
代役のいない仕事のやりがいは計り知れないが、ご迷惑だけはかけないように
心したい。
健康で前進できる限り、現役でいられる。

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ゴールが見えれば

今日も地元では36度、37度の猛暑になりそうだ。
思えば、この2か月以上、この真夏日が続く毎日、本当によく耐え、がんばって
きたと思う。
私だけではなく、すべての人である。働きざかりの方々も、老いも若きも、お子さんもペットも・・・。
挨拶は「今日も暑いですね~」こればっかり。暑いといって、涼しくなるわけではない
けれど、そう言わずにはいられない毎日であった。
いつまで続くのか、と外出するのをためらう日々もあり、こんなとき、オンラインで仕事ができるのもありがたい選択のひとつであった。

さて、カレンダーのページが変わり、9月になったとたん、朝、夕が少しだけしのぎやすく
なった。そして、もうしばらくしたら涼しくなると、このしんどかった暑さも「残暑」と
受け留められるようになった。

ということで、夏の終わりが見え始めた。
ゴールが見えると、気持ちが楽になる。
いつまでも、先が見えないのはしんどいけれど、もうすぐ終わると思えば
この暑さも楽しめるかもしれない。

何事もゴールが見えると、新たな元気が湧いてくる。
さあ、ラストスパート。夏にやり残したことはないか?
そろそろ、そんな自己点検もしておきたい。

苦しかった分だけ、よくがんばったな~。と思えてくる。
暑さを生きるのは、実は大変なこと。
命がけの夏。というのも大げさではない。

とにかく、みなさん。元気に夏のゴールに向かいましょう。
実りの秋こそ、1日でも長く・・・。

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笑い雲に抱かれ、清流で心涼む

父が現役バリバリであった頃、週の半分は出張に出ていた記憶がある。
といっても、新幹線で都会への出張ではなく、車で1時間半はかかる飛騨金山に。
岐阜県の美濃地方と飛騨地方のちょうど真ん中、境界線になる町。
昭和40年代、そこに工場があり、地元の職人さん、パートさんと一緒に仕事をするため通っていた。当時は、制帽業界も活気があった。
父は、そこを任されていたのだろう。
とにかく「今日は金山の日」と言って弁当をもって出かけていたことを、最近、
ふと思い出した。
その金山とは、どんな街なんだろうか。
父が通っていたのはもう40年ほど前であるが
田舎町であれば、そんなに変わっていないのかも・・・。

急に父の足跡を辿りたい気持ちになって、免許をもたない私は電車で現地に。
木曽川の上流。ここでは飛騨川と馬瀬川の合流点。とにかくきれいな澄んだ水が
静かに流れる。釣り人もいる。
なんだか平和な景色。街も昔のまま、昭和がそのまま残っていた。

そのおかげで、父が通った頃のことがくっきり想像できた。
この道を通ったかどうかは定かではないが、間違いなく、この山、この川、この空を見ながら、仕事に通い、家路に着く。
そんな生活を繰り返していたのか・・・。冬は雪も降る地域。
よくがんばってくれたな~。

この日見事な晴天。さわやかな青空に、豪快な雲が浮かんでいる。
なんだか、その大きな空に浮かぶ表情豊かな雲を見ていたら、
父と母が「あはは、おほほ」と笑っているような感じがした。

笑い雲。そんな雲、あったかな?
しんどいことはきれいな水で洗い流し、上を向いて楽しく笑って生きよう。
と、両親はそんな風に生きていたのではないか。と
彼らの仕事ぶりを思い出したら、胸がいっぱいになってきた。
その日々のおかげで、ピアノがある。
笑い雲に感謝しながら、元気に秋に向かう。

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たら、ればバースデーと。

9月1日。関東大震災から100年。その経験から現在は、防災の日として
いざ!に備えるための取り組みが広がっている。

この記念日は、私にとってもうひとつ、大切な日である。
母親の誕生日である。今も元気でいてくれたら、生きていれば84歳になる。
3年前までは、毎年欠かさず、なんやかんやと何かしらを送り続け、どこかしらか
電話をかけていたか、メールを送っていた。
「おめでとう。もう〇〇歳やね~」
「もう年やわ。」
そんな掛け合いも、今は懐かしく、そのときの声がかすかに聞こえてくる。

人の歴史は、生まれた日から息絶える日まで。
亡くなっても誕生日は大切だ。
生誕84周年。

母はきっと、幼き頃から、自分は関東大震災の日に生まれたと心に刻み、
毎年、誕生日を迎えていただろう。

そんなわけで、なぜか母と防災はいつもセットで思い出される。

100年前の今日を想像しながら、そして84年前の母の誕生も想像しながら
9月がはじまる。

さまざまな経験、教訓を残してくれたすべての先人に感謝し、
平和で穏やかな今日を大切に生きよう。91(くい)なき人生のため。

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社長の思いは未来へ。

日々、多くの経営者にお会いする機会をいただく。
思えば、この1週間も毎日のようにそれぞれの会社を経営される
社長たちにお会いしている。
たとえば介護、印刷、食品製造、葬祭、ITサービス・・。創業者から承継者、
そしてサラリーマン社長。業界業種も、社長としての経歴や経験、背景、
地域もさまざま。
実に、いろんな社長さんがおられる!

最近お会いしている方は、社長を何十年もやってきた人・・ではなく、比較的
若く(私と同世代も多いが)、社長歴も浅い方が多い。世代交代も多い。
これから社長デビューされる方もいらっしゃる。

共通しているのは、みなさん未来に目が向いておられること。
自分の代だけでなく、次の10年、20年を見据え、自分の会社がどうなるべき、
なりたいか。
働く人たちにどうなってほしいか・・・について、皆さん真剣に考えておられる。

ありがたいのは、皆さん、売り上げありきのお考えではないところ。
もちろん数字は必達目標であるが、むしろ、進むべき道をきちんと示すことが、
まず社長の仕事。そして目標を達成するために何をすべきかは、未来に会社を
担う若手の人たちもどんどん考え、意見を出してほしい。
と、「みんなでやっていく」というスタンスの経営者が増えていることがうれしい。

報道の一部によると、ワンマンな経営者、カリスマ社長もまだ世には存在するが、
利益優先、利己主義だとそうなっていきがち。言うことを聞いたら、出世できる、
報酬をもらえる。
そんな会社は、長くは存続できないはず。何等かの社会的制裁を受けることも
あるだろう。
未来を考えたら、社会との共生を考えたら、この発想は生まれないはず。

ということで、自分の周囲には、利己でなく、共生を重んじ、世の中に役立ちたい、
未来志向の社長さんが多いことに幸せを感じている。
それぞれの企業が未来も元気に成長を続ける会社であっていただくために、
コミュニケーションを軸に、人と人をつなぐことに貢献したい。と、改めて思う。

社長の思いを、いかに伝え、現場に伝わり、組織が動くか。
ここも、実はコミュニケーション力。

従業員がここで働いてよかったと思える企業に。
そして、経営者が、この会社をやってよかった、いい仕事をしたと思って
いただけるように。
両社の目をもって、コミュニケーションの力で応援を続けたい。







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岐阜のモノたちに囲まれて。

やると決めたら、やる。やるしかない。
不思議なもので、人間、迷いがなくなると、すっと前向きになれるものだ。
初めての場所でのライブコンサート。どこまで、ルーツ、ふるさとに恩返しできるか。
親と交流があった方々含め、地元の方、県外でご縁のある方にご案内も出し始めた。
ほんの少量、ポスターも用意した。そして、会場でも掲示してもらうようにと
チラシとともに預けた。ポスターはお店のレジ前、お客様がお金を払う時に必ず
視界に入る場所に掲示されていた。岐阜が誇る水うちわや、提灯とともにお客様の目に
入ってくるはずだ。(ペイペイの名入りの提灯は初めてみたが、岐阜限定か?)
個人情報の扱いは今、大変難しいが、ことイベントを興す、自分から発信しないと
はじまらない仕事は、個人情報も何も関係なく、ある程度人目に付くことを覚悟
しなければ・・・。でも、自分のポスターが街角に貼ってあるのを見るのは、
ちょっとした非日常で、また私は誰?という感覚にもなってきて、モチベーションも
アップする。
ちょっと隠れ家的な小さな空間でのコンサート。いろんな思いが重なる。
グラン・ルー25周年と、両親の三回忌、信長へのロマン、長良川でのさまざまな思い出と・・・。そう、12月に人生60年の節目を迎えるにあたって・・・というのも含め。

このルーツで、ふるさとでこの秋に、小さな発信をすることは意味があるのだ。
最近見たとある紙面で、布施明のインタビュー記事に書いてあったこと。歌うとは「訴う」
=訴える・・・思いを強く伝えること、そのために歌うのだ・・との一文に強い共感を抱いた。
私なりのメッセージを伝える、歌う、そして届けることができたら、いい。
岐阜生まれのモノたちに囲まれて、元気に発動。もうすぐ秋。

ふるさとLOVEコンサートhttps://www.mahsa.jp/%e3%83%9e%e3%83%bc%e3%82%b5%e3%81%ae%e3%81%b5%e3%82%8b%e3%81%95%e3%81%a8love%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%882023%e3%80%80%e4%ba%88%e7%b4%84%e9%96%8b%e5%a7%8b/

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「どうしたら伝わるか?」を真剣に考える

福島の方のご苦労は尽きない。本当に大変なことだ。
12年経っても、原発事故のせいで、風評被害に苦しめられている。
今度は処理水の海への放出が、とくに中国で騒ぎになっている。
水産関係のお仕事をされている皆さん、現地の観光業界の皆さんの
気持ちを思うと、たまらない。

一つの判断、伝達、行動が思わぬところへ飛び火する。
ここでも、コミュニケーションの問題は大変重要であると思っている。
安全である。というならば、しっかり根拠を示し、誰もが見て納得できる
ように根拠を示すべき。
誰が見ても安全であることが理解できるのは、科学的根拠。
それも口頭だけでなく、ここを見れば明らかだと、
世界中のどこからでも、いつでも見える場所をしっかり示す。
そして、ときにはパフォーマンスも大切だ。
私は、岸田さんに、海に放出されたあとの水をぜひとも飲んで、世界に
安全である!とアピールしてほしいし、福島の魚を毎日とはいわないが、
定期的に食していただき、それもアピールしてほしい。
「私も、飲んでます。食べてます。元気です。全然問題ありません!」
とパフォーマンスしてほしい。
自らが、体をはってやれば、伝わり方が違うはずだ。
口先だけ、しかも原稿を読んでいるだけでは、伝わるはずはない。
相手は暴力で反対の意思を伝えているのだから、
それに対しては、パフォーマンスで返す。

と、このところ、総理大臣に伝えたくてしようがない自分がいる。
ま、私がその立場なら、参謀なら、それをやる、それをすすめるな~。

ときにパフォーマンスも、大切である。
どうしたら伝わるかを、真剣に考え、対応してほしい。
政治の仕事は、言葉・受発信が命である。本当によろしく頼みたい。

福島近海の魚をどんどん消費しようと思う。
今こそ、応援せねば。

しかし、国民性とコミュニケーションはいつの時代も大きな問題だ。
相手を理解し、相手に伝わるやり方を工夫せねばならない。
真剣かどうか。ここだと思うが。

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自分しかいない、でも・・・。

おかげさまで、日々いろんな仕事、取組みが動いている。
どこまでをひとつの仕事と数えるかもあるが、数える必要もない
ので、とにかく目の前に来る課題をひとつひとつしっかりこなす。
と同時に、依頼を受けたことだけでなく、自分が考え、自分でやろう
と決めたことも、もちろん自分でこなす。
誰かが代わってやってくれることはない。
特に考えて、それをカタチにすること。ここは人にはお願いできない。
もちろん、仕事によってはいろんな方に助けていただいているが、
それを受けて動かすこと自体が、わが仕事であるので、絶対に
途中で、投げ出すことはできない。
ずっとこのスタイルでやってきた。
自分で責任をもって、完結させる。人のせいには絶対しない。
すべては自分。だから悔いのないようにやり切りたい。

最近、自分の代わりに生きてくれる人はいない。
ということを痛切に感じる。
特に親がいなくなってから、親がやってきてくれたことを
今は自分が全部しなければならない。
当たり前のことであるが、いかに、助けられて生きてきたか
について、感じることが多い今日この頃。

自分しかいない。
自分がやるしかない。

本当に追い詰められると、馬鹿力が湧いてくると思う。

自分しかいない。
そこが基本。
人をあてにせず、自分で悔いないようにやりきる。
これを続けていくと、生きる力もみなぎってきそうだ。

代わりに生きてくれる人はいないし、AIに頼りたくもない。
まずは、自力でまだまだいける。

と、書いていたら、先月行われたパリ祭でのコンサートの録画より
ベートーベンの第九4楽章が流れてきた。
元気が湧いてきた、明るい世界が開けてきた。
いける、いける。まだまだいける。やれるよ。
自分しかいない孤独。でも、それは、みんな同じ。
さあ、前に進もう、生きる喜びとともに。
そんな気持ちになってくる。

自分しかいない。でも、ベートーベンが背中を押してくれている。
どんなに苦しくても、もっとしんどい人がいた。
それでもがんばって生きて、後世に残る偉業を成した人がいた。
そう思えば・・・まだまだ・・・。

自分しか生きられないこの人生、
今日を生きる喜びをもって、元気に生き切ることにしよう。

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