生きていく上で、変化はつきものだ。
環境が変わる、状況が変わることにより、自らも変わらなければならない。
そんなときも多くある。
ときに、変わりたくないこともあるかもしれないが、
なかなかそうはいられない。
生きるということは、変わるということ。
毎日違う時間を過ごしていること自体、変化しているようなものだ。
同じ毎日を生きているような感覚になることもあるかもしれないが、
同じ日を同じように生きるということは、決してない。
一方、時に大きな変化が外的環境からもたらされると、特に予期せぬ
ことであれば戸惑ったり、悩んだりすることもあるかもしれない。
そんな時は、そんなもんだと思うようにする。
そして、変わるチャンスをもらったのだと受けとめるようにする。
そして、どうせなら人から言われる前に、自分で変化に向き合う
ようにしたい。
昨日までラッキーな時間を重ねていても、今日はどうかはわからない。
とにかく何があってもおかしくない、どんな状況でもタフに
乗り越えられる自分でありたい。
今、時節柄、さまざまな見直しがされる時期である。
新しい人が入ってきたり、送る送られる、そんなこともある。
どんな変化がふりかかってきても、自分が主体的に変化を楽しみ
それをきっかけに成長できるようにしたい。
受け身になるより、自から発する人へ。
人からもたらされる変化より、自分から変わる方が面白い。
人生主役は自分。
周囲といい関係をつくりながら、自分らしく
変わることを楽しもう!
ときに葛藤も内なる成長のために歓びとしよう。
自分の目指す方向に向かい、日々を楽しむ。
と、今日もそんな思いをもって、変化の旅へ。
変化を自ら楽しめる人に。
戦後80年の節目にできること
出張先では、その土地で発行する地方紙を購入して、移動中に眺め
持ち帰っても眺めるのが日課のようになっている。
とくに、京都新聞を読むのは、楽しみのひとつ。
だんだん発行部数が減っている新聞。いつまでこの新聞文化を楽しめる
のかわからないが、紙面を広げて「眺め読む」愉しみは、今や昭和生まれ
でなければわからないのかもしれない。
一昨日、購入した京都新聞のなかに、よく見ると
「京都戦時新聞」というタイトルの新聞が別冊として織り込まれている。
思わず見間違えたのかと思ったが、昭和17年(1942年)7月8月のニュースが
わかりやすく再編集された紙面である。
「米英艦隊を壊滅 ソロモン海戦 日本の損害軽微」
との大見出しに驚く。
もし、今日本が戦争に巻き込まれていたら、毎日このような戦況が掲載される
のだろう。恐怖心を抱いた。
京都新聞が戦後80年ということで、当時の記事を再編集し、戦時中の様子を
改めて現代に生きる読者に伝え、戦争について考えるきっかけを・・・との
狙いであろう。その企画意図に共感する。
戦争はあってはならない。ということを自分事としてとらえるには、いろんな
きっかけが必要だ。
新聞社の役割として、こういった企画はぜひ続けていただきたいし、これから
各社がさまざまな取り組みを行うことだろう。
節目とは、そういう意味でとても意味がある。
自分といえば、まずは2月14日に予定している長崎でのコンサート。
平和と愛について、自分なりに考えて、表現してみたいと思っている。
集客の心配はあるけれど、そんなことよりも、
おいでいただける方に、いかにメッセージを届けることができるか。
平和への願いと、長崎への思い。
ずっと気になっている原爆資料館で知った1枚の少年の写真。
あれがずっと忘れられない。
平和がずっとここにあるように。
そんな願いをどう表現しようか。
戦後80年だからというわけではないけれど、せっかくの節目だから
自分がすべきことはしたい。
と思いながら、新聞を眺め直す。
真剣は疲れる。
ある企業で従業員さんとの個別面談。
今回は管理職。その時々で相手によっては、リーダー
であったり役は特についていなかったり。
いろんな立場の方たちとさしで向き合い、その時々の
テーマについて話を聞かせてもらったり、ときに
アドバイスや、エールを送ったり、相談にのったり・・・。
話すのがそんなに得意ではない人、気が進まない人も
あれば、話し過ぎる人もいて、本当にさまざまであるが、
実はこの時間が、私はとても好きだ。
人を知ることができる、新たな発見を得られるだけ
でなく、喜んでもらったり、応援したくなる気持ちが
湧いてくるのが嬉しかったりもする。
どんな問いかけをしても、「別に」という感じで
多くを語らない人には別の角度から違う質問をして
違う言葉が出てこないか模索したり、
問いかけをすることで、それが考えるきっかけになる
人には、一緒に考えてみる。
普段の仕事の手を止めて、ともに考える未来に向けての
時間。
将来自分はどうなっていたいのか?どうなっているのだろう?
会社はどうなっている?自分は何ができる?
今日明日のことではなく、先のことを想像する時間は
普段と違う想像力を使う。
面談後、ある人に笑いながら言われた。
「疲れますね。変な意味じゃなくて」
この面談の時間は疲れるとのこと。私と話すとパワーを吸い取られるという。
「そう?元気もらえますという人が多いけど?」
笑いながら、かわす。
最初は人見知りだったこの人も、面談を重ねるうちに、いろいろ話すように
なり、一緒に未来を向いての会話もできるようになった。
変化を感じる。
「真剣になっていると、何でも疲れるよね。」
楽しいだけではなく、パワーを放出しながらのコミュニケーションの時間。
その間に交わした言葉のいくつかが、心に刻み込まれたらそれでいい。
そう、真剣勝負は疲れる。お互いに。
そこから生まれる信頼関係を大切にしたい。
悪い終わりはない。
終わりよければすべて良し!と言われる。
確かにそのとおり。
ハッピーエンドになるようにと、日々心掛けているつもり
ではある。
でも、終わりに失敗してしまうこともある。
大変卑近な例となるが、
ある料理を試みた。
実は近年、乾物をつかった料理に興味があり、
乾物を時間をかけて戻してから料理するという
先人の知恵に学ぶ、驚きの時間。
乾物を戻すのは、モノに寄るが、そこに化学変化
も見られて大変興味深く、時間をかけて料理を
することでの楽しみもある。
ということで、今回は棒鱈に挑戦。
京料理で知られる「いもぼう」もどきを
作ってみようと思い、棒鱈を水で戻すこと
1週間。
毎日大きくなって、魚の形になってくる
のも面白く、少し癒しにもなっていた。
さて、そろそろ調理をしようと味付けを
しながら、最後に美味しい新潟の里芋を
鍋に入れて・・・。
そこで火をかけていることを忘れ・・・。
気が付いたら、鍋が真っ黒。
焦げるほどに火を入れ続けていたのだ。
もう少しで美味しい京料理もどきが
いただけると思ったら、まったくの
大失敗。
1週間もかけてきたのに、なんたること。
しばし、茫然となる。
しかし、そこで気づいてよかった。
火事にならなくてよかった。
火元から絶対に目を離してはいけない。
最後まで気を抜いてはいけない。
終わりよくなければ、努力も無駄の泡。
ではなく、
失敗して学ぶことは多い。
真っ黒になった鍋を洗い、磨きながら
今度は鍋がきれいになったことに
歓びを感じ。
前より鍋がきれいになったかも?
終わり悪くも、学びはある。
すべての行動を、教訓にして、
喜怒哀楽、成功も失敗
大きいことも、小さいことも
すべて生きる糧にして。
懲りることなく、乾物にまた挑戦
しようと思うが、しばらくは・・・。
新オフィスとモチベーション。
お世話になっている企業が事務所移転をした。
引っ越し後、初めて訪問する。引っ越しされてまた1週間も経たない。
ビフォア・アフターが気になる訪問。
地方が本社で、東京には支社、営業所をもつ会社も多いが、
職住一体型の事務所として常駐せず、出張した社員が宿泊先としても
利用するといったスタイルもあり、また最近ではリモートワークも
普及した関係で社員は毎日事務所に出社せず。必要な会議時などに
出社する。
ということで、最小限の専用ワークスペースと、自由に使える
共有スペースがあるシェアオフィスを利用する企業も増えている。
今回は後者のパターン。
専用オフィスはデスク2台が入るほどの小さな仕事場ではあるが、
広々とした共有スペースがあることで、会議はもちろん、来客を
受け入れたりいろんな交流もできる。
同じビルの中で、仕事したり、休憩したり、交流したり、自由な
過ごし方ができるという素敵な空間。
まさに今どきのオフィス、である。
そこに地方の本社から社員が出張で訪れる。
新しいオフィスに入ったとたん、「わあ、かっこいい!」と
眼を輝かす。きょろきょろと室内を見渡し、興味が尽きない。
ここで働きたいと思った社員もいたかもしれない。
「ここなら、来客もどんどん呼べるし、学生にも来てもらえます」
と責任者の声。
事務所とは自分たちが仕事をする場だけでなく、交流する場でも
あると考えると、今どきのシェアオフィスは新しいワークスタイル
を提供している。
かっこいい会社で働きたい。
会社のイメージをアップさせたい。
機能的に、柔軟に仕事をしたい。
いろんな思いが叶った今回のお引越し。
コロナの影響で、オフィスの考え方も変わった。
新しいオフィスで、東京と地方の社員が集い、交流したひととき。
普段はリモートでのコミュニケーションが多いからこそ、
新オフィスでのリアルコミュニケーションは
モチベーションアップのきっかけにもなる。
働く皆さんの興奮気味なきらきら笑顔を思い出しながら、
若い人たちが、働きたいと思う環境を整えていくことは
これからの企業にとって必須条件であると確信する。
ふと、会社員時代東京に初出張した20代の頃を思い出す。
「ほら、東京のビルはね、24時間、電気がついているんだ。
夜遅くまで皆働いているんだ。東京はすごいだろ!」
と一緒に新幹線移動した上司が車窓のビル景色を見て
教えてくれたことが、今も懐かしい。
若者たちがいきいきと働けること。
そんなことを真剣に考え、取り組む企業は素晴らしい!
毎日誰もいないかもしれないオフィスに、咲き続ける三色バラと
アウフヘーベンを感じさせるトライアングルなVASEを贈る。
自分なりの応援と寄り添いの気持ちをこめて・・・。
そして、頑張る若者たちに心からのエールを送る!
バックボーンとバックグラウンド。
ひとりの人を知る。ということは、簡単なことではない。
見た目や表層的な会話だけでは、本当はわからない。
いい人に見える、気が合いそう。好感をもてるかどうかは
第一印象やその後の会話がまずは決め手。
そこで不協和音を感じるようであると、そのあと理解が
進まない。
第一印象がよければ、さらにコミュニケーションが進む。
第一印象が良くない、なぜ、そんな態度をとるのだろう?
なぜ、そんな風に周囲に誤解されるような言動なんだろう?
気になると、なぜなのか?を知りたくなる。
自分から見ると決してそうでもないのに、
第一印象が良くない、誤解されやすい。
そのままでは、もったいないと思うから、何とかできないか
と思ってしまうのだ。
無駄口を吐かず、ただ真面目に仕事をする、自分にも厳しく、
周囲にも厳しい人がいる。人の評価は気にしない。
その厳しさはどこから来るのだろう。
それは、その人の生い立ち。そしてそこから培われた人生観
から来ていることを、じっくり対話してわかってきた。
バックグラウンド。その人が生まれた環境、背景。
それはその人の人格形成や精神力に大きな影響を与える。
そして、バックボーン。
その人の背骨。生きていくなかで基本的な考え方が育つ。
自分はこうやって生きる。生きるしかない。
この背骨がしっかりしていると、人はそのように生きる。
背骨がある人とない人の違いは、行動に現れる。
その自分にも人にも厳しい人は、「人は一人でも生きて
いられるようになっておかないと。誰も助けてくれないから」
と、言う。
自立の必要性をとても強く感じているのだ。
だから、つい部下への指導も厳しくなってしまう。
それは、自立してほしいが故のその人なりの思いやりでもあるのだ。
話をよく聞くと、なぜその人が厳しいのかがわかってくる。
じっくり話せば、ひとりの人の「人となり」が見えてくる。
その人のバックグラウンド、バックボーン。
話を聞きながら、その人の、家族の人生がうまく幸せで
あるようにと心から思った。
人は生かされている。
だから、その人のためにがんばらねばと思う思いから
パワーが生まれる。
バックグラウンド、バックボーン。
ふと、自分に当てはめる。
なぜ、自分がこう生きているかの理由がそこにある。
きっと誰しもがそうだろうと思う。
それぞれの基点を大切に、そしてそれがより良い方向へ
発展できるように、努力したいと思う。
勇気づけられる言葉のギフト。
これからの世の中に対して、一体どのように向き合うべきかと
考えていたら、こんな言葉をいただいた。
「世界は混沌として、政治がどれだけ愚かでも、
ひとりひとりの個人の素晴らしさを繋いでいけたら、希望はありますね。
わたしは、先が見えないときには歴史や、先人の言葉に尋ねることにしています。
アレクシェーヴィッチのようにして。」
これを読んで、心の中のもやがすっきり晴れた感じがした。
そうだ、ひとり一人に目を向けたらいい。
がんばっている人、人のために生きようとしている人。
利他の心で生きることを喜びとしている人。
自分のため。ではなく、周囲にとって善良なことを考え、
頑張り続けている人。
無名な人でも、素敵な人はたくさんいる。
そこに目を向け、自分もそうなれるように努力するのみ。
そして先人に学ぶ。
確かにそうだ。
ベートーベンからピアソラにいたるまで、人々に感動を
与え続けた音楽界の先人たち。
そして、それ以外にも学びたい人は多くいる。
目先のことにとらわれない、惑わされないように。
どんな時でも、心の声を聴いてくれる人がいる。
励ましてくれる人がいる。
こういう人がいるから、私もがんばれると思う。
共感しあい、共鳴し合い、みんなで良くなる。
個がしっかりしないと、社会は壊れる。
個の責任は、今改めて、重大だ。
ひとりひとりを大切に。
そして、今の瞬間を大切に。
そんな思いを大切に、
今日の仕事をしっかり、成し遂げよう。
年のはじめのご挨拶。
年賀状が年々減っている。
郵便料金の値上げもあり、ネット社会もあり、高齢化社会もあり・・・。
さまざまな要因から、とくに今年は受け取る数が減っているし、自分も
いただいた方へのお返事という受け身な対応になっている。
これでいいとは思っていないが、
時間的なゆとりという点からも、後追いになってしまっている。
そんななか、大変勝手ながら、
毎年来るはずの年賀状が届かない人からの連絡がないと、心配になる。
そうか、安否確認という意味において、年賀状は大変重要なのだ。
ということにも気づかされる。
便りがないと、心配になる。
そんなわけで、気になる方に、メールや電話をしてみる。
ショートメールが使えそうな方には、メッセージを入れてみる。
電話をして 相手が出てくれて、元気な声で話してくれて、
自分を認識してくれて、会話が成立したら、安心。
電話が使えなくなっているという、まさに音信不通になっている
辞退には遭遇したくないが、そういうケースもある。
年はじめのコミュニケーション。
年賀状とは、「元気にやっていますよ!」というサインなのだ。
そういう意味では、相手によっては、ハガキ1枚でご挨拶を
しておくことは大切なのだ。
二度と年賀状をいただけなくなってしまった方たちの
ハガキは捨てずに保管してある。
ハガキから、いろんな思い出が蘇る。
年賀状とは、そういうものでもある。
改めて大切にせねば。
そして、気になる人には連絡をしておこう。
気が付けば、気になる人がたくさん・・・。
逆戻りする世界は描かない
誕生日に久しぶりのニューヨークに行く予定をキャンセルしてから、
アメリカは変わった。予想通り、予想以上に。
時計の振り子がぐるぐる逆回転している感じがして、
とくに昨日は、ニュースを見るのをやめた。
それでも現実を見なければと思い、もう一度見ようと思ったが
すぐ視界から消した。
見なくていい。見ない方がいい。
以前、日本でもそういう時があったが。
自国のことしか見ない権力者と、そのパフォーマンスに沸く
熱狂ぶりを異様と感じてしまった。
そして、怖いとも思った。
移民、難民と言われる人たちのことも思った。
SDGsのゆくえも・・・。
誰ひとり取り残されることのない世の中を・・・なんて言って
未来を描き進んできた、共生の世界は、とても遠くに見えて
しまった。
世界規模で一緒に地球を守ろうと言っている運動は
皆が参加しないと、意味がない。
「常識の革命」という言葉を聴いたが?理解が難しい。
常識が変わる。常識を変える。
どっちに向かって?
利己的な常識に変わっていくのであれば、それは一部の
人にとっての常識でしかないが・・。
それが本当に世界に通用するのだろうか?
アメリカが好きだったのは、自由な国だから。
多様性を認め、夢を求め、世界中から人々が集まって
きたから。
その移民の力でアメリカは成長を遂げたはず。
経済だけでなく、文化も、コミュニケーションも、
今は成長しすぎたコミュニケーションの力で
向かう方向は怪しくなっている。
とますます、不安に思う。
頭の中には、大好きなグランドセントラル駅の
時計は、ぐるぐる逆回りしている絵が浮かんでくる。
歓迎をしている人もいる一方、怒りと不安で
爆発する人たちも出てくるのではないか。
世界はさらに分断の方向へ進むだろう。
歴史は繰り返す、歴史は逆戻りする。
ではいけない。
非常に表現が難しいが、
遠い、大好きだったアメリカの正しい未来を
信じたい。
そのときに、憧れをもつ喜びを与えてくれた
NYに再び足を運びたい。
真の豊かさとは何か。
そんなことを思いながら、ブレずに生きていかねばと
気を引き締めている。
不吉な予感が消えないまま。
世界を見続け、自分の立ち位置、立ち方、進み方を
しっかり見極めよう。
世界は自分に無縁ではない。
世界をつくるのは、ひとり一人なのだから。
家と個のはざまで。
選択的夫婦別姓という社会的な「問題」。
選択的であるか、どうかは別として、この苗字の問題は、
子どもの頃から疑問に思い続けてきたこと。
「今尾家」という言葉を何度も聞かされ、そのこだわりに
ついても理解できないまま、周囲に抗いながら生きてきた。
個の尊重以上に、家の存続が重視されてきた時代。
もう半世紀以上、人生の半分以上、このことについて
首を傾げ続けた。
世の中変わったというけれど、変わっていないなと
思い、であれば、自分が変わるしかないと思ってきた。
自分が変わるというか、変わった自分のまま生きるという
選択だ。
急にこの制度の見直しがなされつつある。
選挙のための改正かとも見えてしまうが・・・。
人生折返しを過ぎた今、制度が変わっても、今さら
今の生き方を変える気はない。
姓の問題以上に、結婚とは?家とは?
世のなかの価値と自分の考えとは、合わないところが
多い。
ではあるが、合わないでも生きてきたから、このまま
自分らしさ(個)をとって、生き続ければよい。
苗字は名前の一部。自分のアイデンティティ。
昨今の別姓問題を取り上げるニュースに半分耳を傾けつつ、
親たちが眠る墓のことを思い浮かべる。
○○家の墓と彫ってある墓石もあるが、親たちが建立した
のは、南無阿弥陀仏の念仏。
今尾家の墓となっていたら、これまた悩みが増えただろう。
いずれにせよ、
日本では、家は社会を支える、いろんな意味で大切な単位。
その中に組み込まれて、黙って、耐えて、首をかしげながらも
生きるのか?
もちろん、単位の中で生きる方が楽という人
もいるから、それこそ、人それぞれ。
自分がいいと思う方法を選べればそれでいい。
それだけの話なのに、なぜこんなに時間がかかるのだろう。
そういう意味では社会をあきらめている。
自分で自分の道を切り開く。
どこまで、それが通用するかはわからないが、
どこまでも個を大切に、自分らしく生きられる社会を
目指したい。
生きるのは難しい。改めて。