空港から、空港まで。


東京に住んでいた頃は、新潟はちょっと離れた隣町。
という感覚であったが、名古屋に移ってからは、
「よし!」と気合を入れて向かう、ちょっと遠い町
になった。とはいえ、その遠い感覚も出発してしま
えば、すぐに距離感はなくなる。

今回は飛行機での移動。
行きは、いつもお世話になっている個人タクシーの村木さんに
来ていただき、目的地までお願いする。
70代後半とおっしゃるが、本当に若々しくて、毎回車内に
飾ってある花が楽しみ。初めて乗ったときから、花がおもてなし
という珍しいタクシーであった。
今回は一輪のひまわりに迎えられ、夏気分になる。
車中でいろんな話をしながら、すっかり新潟はわが町になる。
毎日、宝探しの人生を送っておられるという話は本当に
心にしみる。
あっという間に目的地。

仕事をしている間も、新潟ではいろんな懐かしい仲間に
出会える。
やっぱりわが町だ。自然に地元の人と接している自分。
ふと、あの人は元気だろうか?と、佐渡のケーキ屋さんの
ことが浮かんだり、とにかくあの人、この人は?
コロナでご無沙汰していた間に連絡が途絶えた新潟の方の
ことを思い出す。
皆さん、お元気ならば、お変わりないならばいいな。

そんなこんなで、仕事を終えて、空港までふたたび。
今度は、私が新潟に通うことになったときから、ずっと
お世話になっている新潟の妹さんに空港まで送っていただく。
久しぶりの再会、車の中でのコミュニケーションの時間も
貴重である。
仕事のこと、人生のこと・・話題は尽きず、そのまま空港に
着いても話し続ける。

空港から、空港まで。
それぞれ素敵な人に送迎いただき、新潟での1日が終わる。

帰ったら帰ったで、新潟からの連絡が入っている。
ありがたい1日。

また次回も、会わねばならない人、会いたい人に会う。

カテゴリー: Essay (Word) | 空港から、空港まで。 はコメントを受け付けていません

「飲水思源」と「有難い」

昨日、仲間とのやりとりで、この言葉の大切さについての言及が
あった。この「飲水思源」は、最初に井戸を掘った人のことを
忘れない、水を飲むときに、水源~設備を作った先人に感謝する
という意味。

水を飲まなければ生きられない。
生きられるのは、先人たちのおかげ。

生きていると、すべてが先人のおかげであることに気づかされる。
自分が初めてやったこと・・なんて、そんなにないのだ。

一方、
「ありがとう」という言葉。
これは、「有難い」という漢字になる。
有ることが難しい。
あって当たり前ではなく、本当はなかったかもしれないこと。
それがある。そのことに感謝しよう。という意味が込められている
と理解してきている。

だから、どんなことでも有難い。
平和であることも、当たり前ではない。
先人たちの絶え間ない努力があって、日本にいる自分たちは
日常生活を過ごしていられる。
有難い日常・・・なのだ。

と、物事の本質をとらえて、日々生きているだろうか?

目先のことだけに追われて、有るのが当たり前、やるのが当たり前。
と先人たちの、先輩たちの苦労に目を向けることなくスルーして
いないだろうか?

と、日々の事象を見ながら、自分の来た道をふりかえってみる。

改めて「飲水思源」の意味。そして心からの感謝。
こういう気持ちをもつことが、謙虚で誠実な行動になるのだろう。

何をするにも、そこを忘れずに生きていきたい。

と、今朝も強く思う。
先人がいて、自分がいる。
あなたがいて、わたしがいる。
というお互いの感謝の気持ち。
そこがなかったら、人間社会は壊れてしまう。

まずは、自分から実践しよう。
すべての先人に感謝し、有難い今日を精一杯、生きること。

カテゴリー: Essay (Word) | 「飲水思源」と「有難い」 はコメントを受け付けていません

「もっとコミュニケーション!」のお供

愛すべき仲間たちとのコミュニケーションの勉強会。「マーサの会」
と名付け、年に2回ほど開催。もう4年目になるだろうか・・。
ハンディがあっても仲間と一緒に仕事をし、日々の暮らしもしっかり。
そんな皆さんひとり一人の自立、心身の健康、そして幸せを私なりに
願いながら毎回の勉強会を企画実施する。

前回は「愛」がテーマ。今回は、会社の公式サイトも新しくなった
ことも踏まえて「もっとコミュニケーション!」をテーマに行う。
新たに加わった仲間も一緒に、スタッフ含め、二十数名で一緒になって
の取り組み。
みんなでつくったテーマソングは勉強会の最初と、最後に一緒に
唄う。これはお決まりのメニューとなった。
それ以外のプログラムは毎回考えて用意する。

今回はまず、自分のことを皆に知ってもらうために、「自分が好きな言葉」
とともに自己紹介をしてもらう。
20名以上の人が好きな言葉は、多様で学びも多い。
また、好きな言葉が浮かばなくても、好きなもの、コト、動物でも
OKと、それぞれが話しやすいようにすると、皆さんが自由に発想
して、自分のことを積極的に紹介してくれる。話す題材はなんでもいい。

続いて、新しくなった公式サイトを見ながら、自分の写真が出ているなど
楽しく確認しながら、このサイトの広報の仕方についてチームでディス
カッションしてもらう。自己紹介を改めてした後は、チーム内のコミュニ
ケーションも和やかで活発になる。
「家族に、友達に、施設の方に、他の会社の方に見てほしい」「SNSなど
使って広めたらいい、テレビコマーシャルする?」ユーモラスな発言も
出て、皆さん熱心に語り合い、そしてチームで発表。お互いに聞き合う。
自分たちの広報ツールを、自分たちで伝え、発信していかねばという
気運も高まったよう。

途中で、皆さんへのエールを込めて、自立、共生への願いを込めた
歌をプレゼントし、最後は七夕の準備を宿題として、あっという間に
終わる。
この勉強会では、他の勉強会とは一味違い、キーボードがお供。
そして、参加者もマラカスや木魚などさまざまな楽器を鳴らし
ながら演奏する。他にはないコミュニケーション勉強会?
五感に届く、さまざまなコミュニケーションの体験をしていただく。


多様性という言葉が最近よく聞かれるが、人はそれぞれ違う
個性をもっているのだから、それを大切にしたい。
尊重し、認め合い、助け合いたい。
そういうことを、この「マーサの会」では、私自身も学ばせて
いただいている。

さあ、今年はどんな願いごとを短冊に書くのかな?
七夕までの宿題を見るのが、楽しみだ。
参加者の皆様、スタッフの皆様、いつもありがとうございます。
お疲れ様でした♪
新しくなった公式サイトはこちら。トップページ
にみんなでつくったテーマソングのインスト版が挿入されて
います。
https://mosshine.co.jp/
下は、勉強会の様子。

カテゴリー: Essay (Word) | 「もっとコミュニケーション!」のお供 はコメントを受け付けていません

いろんな営業。

いろんな企業の仕事に関わらせていただき、いろんな営業スタイルを
見せてもらう機会が多い。
製造業の営業、とくにB to B のビジネスをされている企業の営業は、
会社員時代から馴染みがある。そのなかで自分も育ってきた。
そこではいかに、提案営業が重要かを肌感覚で学んできた。
それは今も変わらない。

最近では、IT関係の会社に関わることが多く、そこでの営業は
まさに専門性を磨き、伝えることで差別化を図ることがポイントだ。
時代の先端をいく業界では、常に自分たちの知識がアップグレード
されていかねばならない。
そのための勉強を怠っては出遅れ、ライバルに負ける。

またコロナの時代を経て、対面でなくても営業ができるようになった。
オンラインでのコミュニケーションは、いまだにドキドキすることが
多いけれど、国内、海外のどことでもやりとりできる点は、コロナが
くれたギフトといえる。
情報環境に変化できる人は、企業は、今の時代、どんどんビジネスチャンス
を拡大することができる。
オンラインでの営業。ここには無限の可能性がある。

昭和の営業、平成の営業、そして令和の営業。
いずれはこの仕事もAIの力をもっと活用することになるだろう。
でも、やっぱり人の力である。

リモートのプレゼンであっても、その人らしさがにじみ出る。
そんなこともよくある。

営業。
死ぬまで営業だ。といつも言っていた知人の作家の言葉を思い出す。
これでいい、これぐらいでいい。ではなく、いつも工夫し続ける、
学び続ける。

ということで、営業は決して「売る仕事」ではない。
相手の、企業の、社会のお役に立つように工夫し、自らの
仕事を獲得する活動だ。
歩を止めない。成長する営業はいつも前進!

カテゴリー: Essay (Word) | いろんな営業。 はコメントを受け付けていません

うちのあじさい、親の笑顔。

出張続きで、なかなか行けず、約1週間ぶりの実家のパトロール。
先週、咲き始めていたあじさいが、見事に咲いていて、感動のあまりじっと
見入ってしまった。
庭の手入れをしてもらっている叔父にきいたら、通行人の人に
「きれいなあじさいですね。と言われてうれしかった」とのメッセージが届き
こちらもうれしくなる。
少し花を切ってお墓にも持って行く。
そして、自分用にも・・・。
それにしても、マイソング「あじさい日記」を再現したような、咲き方で
あじさいが歌を聴いて咲いたのかと思うほど。
先日の長崎のあじさいも、きれいであったが、うちのあじさいには、格別の
想いがある。
こんなに咲いて、まんまるで。好きな紫色で。
なんだか父と母が笑っているようにも見えてくる。

ひとり、歌を歌いながら、
今年も咲いたね♪
感謝を伝える。

花のいのちが、永遠なるものを教えてくれる。
そんな気持ちになる。

今朝は自宅にかざった花を見ながら、今日もがんばる!と
元気にスタート!

カテゴリー: Essay (Word) | うちのあじさい、親の笑顔。 はコメントを受け付けていません

余韻を楽しむ。

「まだ、余韻が残っています」
と、コンサートが終わった翌日、主催者からメッセージをいただく。
ああ、そうなんだ。それはよかった。感動いただけたようだ。

やった方も、それなりの余韻がある。これは達成感か、疲労感なのか
よくわからないけれど、何かをやった後はそんな状況である。
ジーンとしている。何かを成し遂げたあとのなんともいえない感覚。
そして、初めて演奏した曲は、初演のあと、ずっと頭の中で鳴り続けて
いる。演奏するまでは覚えられるか心配だった曲が、一度演奏すると
もうメロディは途切れなく、頭で鳴り響く。作った曲はこのようにして
自分のものになっていく。余韻のなかで、曲は完成する。と、そんな感じ。

改めて、「余韻」。いい言葉だ。
何かが終わった後に残る心の響き。「韻」というのは、いい音の響きの名残
といったところか。
生演奏は視覚に訴えるため、余韻に残りやすいのかもしれない。
もちろんその感動がなければ、後にも残らないが。

余韻。余裕。
心豊かに生きるために大切にしたい言葉。

改めて、楽しんでいただけて、良かった。

余韻のある暮らし、それは、人生の思い出づくりにもなる。

カテゴリー: Essay (Word) | 余韻を楽しむ。 はコメントを受け付けていません

生き続ける商品たち

つい先日、「ハレの日の笑み子さん」という写真撮影サービス
のことを書いた。
人生の仕上げに、とっておきのほほえみを写真にしておきたい。
そんなニーズにこたえる撮影プラン。
当時、お互いの母親が存命だった頃、この会社の社長さんと
面談していて、「あ、これいいかも」と
笑いながら、提案したこの名前。ノリで走った。
最初のモデルは、社長さんのお母さまだった。
本当に素敵な写真が撮れた。まさに「ハレの日の笑み子さん」
にふさわしい1枚。今もサイトにアップされている。
終活とは言わないが、人生の仕上げの1枚。
いい企画だったと、今も思っている。
久しぶりに、このサービスを手掛ける企業さんにブログ掲載
の報告をしたら、お返事が届く。

この「笑み子さん」は爆発的ではないけれど、年に何名かは
撮影希望者がおられるとのこと。ああ、ニーズはあるのだと
安堵。

その報告に続き、当時、企業さんと一緒に考えた「レトロな
写真のブライダルフォトプラン」。こちらの近況も書いてあり、
なんとこのサービスが人気商品になっているのだそう。
「時代きもの写真婚」という。
明治、大正、昭和の各時代の和装、洋装から自分でその時代の
着物を選び、着付けをしてもらい撮影する。
カップル自身が主役となって、素敵なレトロな世界を表現できる。
まさにハレの日の特別な作品づくり。
今も、人気商品か・・・。そうきいて、胸が熱くなる。
発売当時は、ドキドキするだけで、本当にいけるのか・・と
心配もしていた。
でも、長岡の花火大会でのゆかた撮影や、若い人へのアプローチ
を地道に重ね、SNSの活用なども怠らず、とにかく地道に
活動を進めてこられての、結果であろう。
長岡で、東京で・・・まだZOOMもなかったコロナ前。
この事業者さんとは、濃厚なコミュニケーションを交わし、
一緒に商品づくり、広報活動を行ったあの頃が懐かしくよみがえる。

メールにあったこの言葉。

「あの時期、次から次へと新商品を先生と一緒に考えて生み出しましたね。
濃厚な一年に先生と生み出した商品達は、今も変わらず大切な存在です。」

ああ、この仕事をやっていてよかったな。
商品が生まれ、育つ。人も育つ。会社も育つ。

そのことに少しでも関われていることが、本当に本当にうれしい。

大ヒットを仕掛けたとかそういうことではなく、
地道に、長く生き続けている商品に関われていること。

それが一番の幸せ。
これからも、喜んでもらえるアイデアを出し続けられるように
しっかり磨きをかけておきたい。
「こんなんどうやろ?」と、企画がポンポン湧いてくるように。

時代きもの写真婚 (enishi.ne.jp)

カテゴリー: Essay (Word) | 生き続ける商品たち はコメントを受け付けていません

あじさいと空と、マイソング。

自宅の花瓶にさしたあじさいは、遠藤周作も愛した、長崎の外海
の道の駅で入手したもの。
紫のあじさい。1本のあじさいでも、まるで花束のよう。
まさにこぼれそうな・・・。とは、マイソング「あじさい日記」
にも綴ったが、ほんとうにそんな形容詞がぴったりな花。

これを新聞紙に包んで、飛行機に乗って持ち帰った。
あじさい運び人。どんな高価な土産物よりも、そこで咲いて
いた花を持ち帰ることができるのは、とても贅沢なこと。
しかも一束165円。都会の値段とはまったく違う。

あじさいをみつけると、この季節がやってきたのだ。と、
3年前の悲しかった日々が蘇る。
でも、あじさいはその悲しみを和らげてくれる存在でもある。
1年ごとに、そのこぼれそうな花びらたちを見ながら、
癒されながら、悲しみを梅雨の雨に薄めてきた月日。
いい歌をつくれてよかった。
悲しみという感情があったから、生まれた作品。
今は、おかげで少し俯瞰してその悲しみにも向き合える。

青い空に紫の花。
そんなに晴れなくていいよ。というぐらいに
海も空も青い、外海の6月はじめ。

雨に似合うあじさいを、青空の下で
みつけてきたのはちょっと変だけれど、
外海の空は、なぜかあじさいも似合っている。

悲しみを抱き続けてきた空だからかもしれない。
だからこそ、余計に美しいのだと思う。

遠藤周作は外海の海のことをあまりに蒼いと書いていたが、
空も透き通るように青く、心洗われる。
そういえば、この長崎外海の空をおもってつくった
「そらいろワルツ」もよみがえる。

今しばらくは、2つのマイソングを鼻歌に、
長崎のあじさいを愛でながら
あの「そら」を思い出すとしよう。

カテゴリー: Essay (Word) | あじさいと空と、マイソング。 はコメントを受け付けていません

魂を未来へ伝えるプロジェクト発進

1枚目の写真は、遠藤周作も愛した長崎市の外梅の出津にあるド・ロ神父がつくられた
旧救助院という施設の中にある、まさにド・ロ様が母国フランスより取り寄せられたオルガンと置時計。そこにド・ロさまの肖像画も一緒にある。
このオルガンを使って以前ここでコンサートを行ったこともある、
私にとっては大変思い出深い場所。
そして、そこで出会ったシスターともご縁を長くいただいている。
https://shitsu-kyujoin.com/publics/index/3/
久しぶりにそのシスターに連絡をとると、見せたいものがあるということで、
今回ご案内いただいたのが2枚目からの写真。切り開かれた山から見える眺望に
心が開かれていく。
ド・ロさまのおかげで見ることができる、本当に美しい世界だ。

フランスの宣教師ド・ロ神父は明治時代、来日されその生涯を終えるまで、ずっとこの長崎のここにとどまり、地元の女性に教育を行いながら、地元の振興に尽力された。
キリスト教の禁教時代には信徒たちが長崎市内から逃げてきて、潜伏しながらも信教を続けた、決して肥沃な土地とはいえないこの一帯をド・ロさまは耕し、田畑をつくり、作物を育て、パスタなどの工場もつくり、その仕事を女性たちに教え、布教を行った。
印刷、建築、医学などの知識を有したド・ロさまはまさにマルチな才能をこの地区の繁栄に
尽くされた。
そして、今、ド・ロさまの偉業を未来に伝えようということで、素晴らしい取り組みが始まっている。
ド・ロさまと歩くミュージアムづくり。
オルガンとの出会いをいただいたシスターたちの悲願のプロジェクトである。

ド・ロさまと地元のみなさんが切り開いたこの地区を今再び、多くの人に知っていただき
たい。生活に必要なものを自分たちで作る。SDGsという言葉がない100年以上前から、
持続可能な生き方を実践されていた先人たちの暮らしを知ることができる。
それは、ド・ロ様の教えによるもの。
ここを訪ねれば、その偉業をよく理解することができる。
今、ド・ロさまが作られてきた畑や作業所を整備しながら、
公開しやすい形へと工事も進み、近いうちに一般にも公開されることになる。
キャンプをしながら、自炊をしながら、ド・ロさまたちが生きた時代に思いを馳せる。

「多くの観光客に来てほしいのですか?」
「いえ、単に観光ではなく、ここにきてド・ロさまの遺されたこと、思いを知ってほしい。
そういうために皆さんに訪ねていただきたいですね」
と、案内してくださった赤窄シスターはおっしゃる。

意味のない利益権益まみれの無駄なイベントや施設の建設ではなく、
先人が残した大切なお宝を守り伝える事業こそ、行う意味がある。
ド・ロさまと歩くミュージアム。ぜひ応援したい。
そして、また近いうちに訪ねたい。

なぜか印刷にも精通されていたド・ロさまがこの出津の地区を
愛されたということや、あの素敵なオルガンを遺されたということで
勝手に親しみを持ち続け、そしてご縁を感じている。

そして、ド・ロさまの素晴らしい取り組みをぜひ、一人でも多くの方に知って
いただきたい。ご案内いただいたシスターのお気持ちに感謝し、
微力ながら応援を続けたい。
本プロジェクトの詳細はこちら
https://fr-doro.jp/

カテゴリー: Essay (Word) | 魂を未来へ伝えるプロジェクト発進 はコメントを受け付けていません

結論は先!まずは骨組み!

時々、リクエストをいただき、スピーチのレッスンを行っている。
今回は20分以内で自らの地域づくりについての考えを、地元の
ビジネスパーソンにお伝えするのがテーマ。
スピーカーの話を聞いてくださる方たちが、この人を応援しようと
思ってもらい、ともに力を合わせて地元を元気にするきっかけづくり
になればという主旨である。

想いがあふれて、言いたいことがいっぱいあると、
いきなり話してしまう。そしてそれが延々と続く。
「ちょっと待ってください」
「今日は何について話すんですか?」
「タイトルもですが、何が言いたいですか?言いたいことを
先に、『今日はこれについて話します』と、結論を先に話すと
相手にも聞く気持が生まれますよ。
たとえば、今日はこのタイトルに対して私の提案として
3つの◌◌について話します。という感じで。
それから、ひとつめ、ふたつめ・・・と話しを具体的にして
いったらいいですよ・・・」
「いきなり原稿を書くのはやめた方がいいです。
何を話したいのか?のプロットからですね。
話の組み立てをまずすること。骨組みが必要なんですね。
骨組みができたら、肉付けをしていけばいい・・」

とまあ、そんな話をしながら、構成についてこちらからの
アドバイスを伝えると、話す人も少しづつ変わってくる。

そんなこんなで、週末返上、出張先での途中下車もなんのその
で対応したこのレッスン、成果が出てきた。

今日は本番。うまく伝わりますように。

結論を先に。そしてわかりやすい構成で。
原稿をすぐ書きだすのはやめよう。
何を伝えたいか・・が大切だ。

人様に伝えながら、自分でも毎回自分のことを見つめ直している。
人に伝えるたびに、復習と確認。

自分はできているか?の確認。
コミュニケーションは、「伝わってこそ」である。

カテゴリー: Essay (Word) | 結論は先!まずは骨組み! はコメントを受け付けていません