「されコミ」を、今一度。

毎日、食事の回数より、コーヒーブレイクより多く、呼吸をするごとく
何らかの言葉を受発信しながら生きている。
言葉や文字を使う回数はコミュニケーションの量に匹敵する。
何かをするために誰かに何かを発し、また相手から投げられる言葉の
ボールを受け取り、返信している。

百発百中思ったとおりに受けとめられているか?
このことは、なかなかむつかしい。
家族や親しい人同士であっても、そうはいかない。
自分と相手は違うから、そう簡単にはいかないこともある。
ましてや忙しいビジネスタイムのなかでは、スピード優先。いろんなことが
同時進行となると、言葉や文字のボールの着地まで見守ることなく、次の
ボールを投げていることも多く、そこにコミュニケーションギャップが
生まれることも少なくない。

自分自身、コミュニケーションクリエイターと言いながら、自分の受発信も
まだまだ及第点にいかないことが多い。
自分の考える言葉の意味と、相手が受け取る意味は、同じ言葉であっても
違うことがある。
立場や環境、優先順位によって受け止め方が異なることも多い。
だから、言葉ひとこと発するときには、内容ももちろん、タイミングに
いたるまで、総点検してから送り届けなければならない。

クイックレスポンスも大切であるが、丁寧に言葉を届けること、また
気持ちよく受け取ってもらえるように、日ごろから関係づくりをしていく
ことも大切だ。
コミュニケーションなんか・・と思う人も多いかもしれないが
DXの時代であろうがなかろうが、人間は一人では生きられず、みんなで
助け合って生きていかねばならない存在であるから、もっともっと
コミュニケーションを大切にしなければと思う。
便利な時代だからこそ、大切にしなければならない。

少なくとも、自分が発する言葉や文字で相手が傷ついたり、不快に思う
ことがなく、伝えたいことが自然と伝わる。そうでありたい。
そうあるための意識づけを、改めて心したい。

忙しい日々であるけれど、心なくさず、時間に追われすぎず、落ち着いて。
一見簡単そうであるが、日々の対話を軽く見てはいけない。
いつも、相手の立場になってみて、相手に寄り添いながら。

いろいろあっても、されどコミュニケーション。
苦労があっても、ちゃんと伝わったときは、幸せだ。
手抜きをしないで、しっかり向き合う人こそ、相手に心から伝わるはず。
まだまだ修行中である。

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目指せ!「みんなのうた」

妄想するのは悪くない。
夢に向かって走り出すこともあれば、新しい自分に出会うこともある。
コンサートやライブで歌ったあと、何度か「みんなのうたに出たらいいのに。」
とか、「マーサさんの曲は『みんなのうた』の世界にぴったり」と言われたことがあり、
それはそれで嬉しく、そのたびに「よっしゃ!」と思ったものだ。

と、しばらくそんなことも忘れていたが、今週のコンサートで、初めて
わが演奏を聴いて下さった方が、即そんな感想をくださって、まだいけるんだ。
とうれしい勘違いをさせていただいた。

声はしっかり整えないと年齢とともに衰える。
そんな歌手たちを多く見ている。
声だけは、ピアノだけは老化してはならぬ!

だから「みんなのうた」を永遠に目指すということはとても
大切だ。
その夢の実現については、別途考えるとする。
とにかく、いくつになっても、夢を持ち、進み続けること。

「あなたのファンだからね!」
と話しかけてくださったお客様の顔も浮かぶ。
ああ、うれしい。
これからも妄想と行動を続けよう。

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「愛着」ある暮らし。

人生あと20年、25年。どこまで続くかわからないし、
いつまで今のままの自分でいられるのかも、未知数。
わからないけれども、こうでありたい、こうなりたい。
と思いをもって、想像をして日々生きている。
残された人生、楽しまなくちゃ。
では、何をする?
人によってその選択肢はさまざまであるが、
たとえば、いつか運転免許を返納する日が来るならば
それまでにいろんな車の運転を楽しんでみる?
今ならそんな新しい車を買ったり、新築の家を建てたり・・
とそんなことも不可能ではない。
でも・・・という答えが出てくる。
新しいものを手に入れたり、作るということは、古いものが
処分されるということ。
処分することにも、パワーが要る。
さらに、ずっと使っているものには、「愛着」が生まれる。
古くても大切に使うと、車も家も家族と同じ、人格を持つ
存在になる。時間をかけて利用するということは、
その道具が自分の暮らしの一部になるのだ。
モノではなく、相方になる、相棒になるのだ。

最近、「愛着」という言葉を改めて大切にしたいと思う。
モノだけでなく、生き物~ペットも然り~、家族も含め、
自分の周りの身近な存在。
長年連れ添うということは、愛着が生まれる、沁みつくもの
なのだろう。
ちなみに、長年使っていたケトル。その蓋が壊れ、半年以上
だましだまし使っていたが、もう使えないという状態に
なったため、泣く泣く新しいものに交換。
古くなっても、やっぱりこれがいいと使い続けた10年余り。

この古いやかんに、今朝別れを告げた。
「長い間、ありがとうございました」。
そう、こんなやかんひとつにも、愛着があった。
朝のくらしの相棒だった・・。
と、モノだけでなく、あらゆる存在との関わりを
大切にしたいと思う。

新たな消費を促される昨今。人生の残り時間のなかで、
何を大切にすべきか。ということについて、丁寧に考えて
みたい。
愛着があるもの、存在に囲まれた日々は、それだけで
幸せなのだと思いたい。

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大きく一発より、一滴の感動を。

人生何をもって成功とするのかは、人それぞれ。
成功したいかどうか、も人それぞれ。
出世することが、経済的に豊かになることが成功であるならば、
まあ、それは目指さなくていいかなと思う。
一発大勝負。みたいなことも、興味はない。

地元で応援してくださる方たちは、冗談まじりももちろんあるが
「紅白出てね。楽しみにしてるよ」
と昔からよく言われた。
それは大きな成功のひとつになるだろう。
でも、そのために何をすべきかと思うと、自分がしたいことかどうか?
何かを犠牲にしないと成り立たない挑戦かもしれない。

そんなことではなく、今大切にしたいことは小さな感動をたくさん
届け続けること。
少人数でいい、一人の人でもいい。その人が喜んでくれる、涙を流してくれる。
喜んでくれる。生きててよかったといってくれる。
そんな場面にたくさん出会えたら、それが私にとっての幸せ、いきがいだ。

大きな一発を目指すよりも、
まさに持続可能な感動づくり。
関わった人がもうすでに数えきれないほどいる。
これからも、小さな出会いを重ね、一滴の感動をお届けし続けたい。

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ノーミス 集中!

急に指先がかじかむ季節になった。
2~3日前までとは、違う季節のようだ。
冬の演奏は要注意。手袋に身にカイロは必需品。
とにかく指が動かなくなるのだ。

その事態が昨日の演奏会で発生した。
え?もうこんな季節?
指先から季節のうつろいを感じるのだ。
寒い時に緊張すると、本当にフリーズ状態になる。

いつも間違えたことがないところで、指がひっかかり、
へんな音を鳴らす。
そのことがまた気になって、演奏に集中できない。
細かいミスを何度もした。
なんとか、ごまかしてそう見えないようには咄嗟に動いてみたが
分かる人には、わかるはず。焦る。
ノーミスを意識せず、自然にいけるもんだと思っていたが、
不測の事態になると、ひとつ間違えると、また他のミスが出る。

お客様には好評をいただき、ありがたい言葉をかけていただき
無事終わったコンサート。自分にとっては、合格点ではない。
帰り道はおひとり様反省会。
リハーサルではうまくいったのに・・・。あかんな~。
いろいろ凝り過ぎた。盛り込み過ぎた。
そして、弾きなれないの曲にミスが出た。ということはやはり練習不足
は厳禁。

などなど、がんばったけれど、まだまだ。
ああ、今日はうまくいったな~。
と思うときばかりではない。
幸いなのは、お客様はとても喜んでおられたということ。
早速来年の予約をして帰られたり、他のライブの開催を待ちわびている
お声をいただけたことは幸い。
30名以上の方に足を運んでいただけて、また今回は遠方からのゲストもあって
本当にありがたい。
だからこそ、ノーミスでいきたかった。

よし!もっとがんばる。もっとよくなる。
会場から多くのあたたかい拍手をいただいた。
これは、エールだとありがたく受けとめることにしよう。

ご来場いただきました皆さま、大変ありがとうございました!

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心に染み入るか。それが価値。

今日は岐阜新聞での、年内最後のコンサート。
今回は、はるばる他県からのご来訪もあるとのことで、
本当にありがたい。
キムタクにはまったく及ばないが、自分のコンサート目的で
わざわざ岐阜まで来ていただけるとは、嬉しい限り。
そんななか、一昨日行ったデイサービス施設でのご婦人の
発言が今も頭の中をぐるぐる回っている。
「高いコンサートに行っても感動しなかったのに、
今日は本当に心に沁みました。ほんとうにありがとう」
この言葉に私が感動した、本当に心に沁みる言葉をいただいた。

高いお金を払ってでも見に行く。それも価値である。
ビジネス的に見れば、そりゃ高いお金払ってでもきてくれる
お客さんがたくさんいることは成功かもしれない。
でも、高いお金が必要の背景にはいろいろある。
ひとりのコンサートにいろんな人の役割があって
それ自体が経済活動であるから、廻していくためには
その金額設定が必要。
そして、高くて良いのは当たり前。
食事でも同じこと。高くておいしいのは当たり前。
でも、その高いところに何度も行けるか行ききたいか
・・・は別の話。

まあ、私の庶民的な演奏と、高級レストランは比較にならないが
言いたいことは、金額よりも、大切なことは価値。
価値があったかどうか?

価値があると思えば、また機会をいただける。
聴いてよかった、会えてよかった、また聴きたい・・・。
この積み重ねが、力にもなっていくのだろう。

これまでの無料コンサートでは、
「今後はお金を払って聴ける機会呼んでね。
なんだか無料ではあまりに申し訳ないので・・・」
と言ってくださって、せめてといってCDを買ってくださった
お客様もおられた。

価値があるかどうか。
そのことを自分の行動の指針としたい。
すべてのことに対して。
相手に向かう仕事、活動はすべて相手が決める。
自分に価値があるかどうか。

少しはお役に。の気持ちにさらに、
自分に価値があるかどうか?
と、少しハードルを上げていこう。

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いなくても親孝行!

あるご縁から、地元のデイサービス施設でのコンサートを依頼いただく。
その施設の利用の皆さん、十数名に向けたもの。
タイトルは、管理者の方と相談して「Mahsaのふれあいコンサート」
と名付けたが、ありがたいことに会場もそのようにしつらえていただき、
初対面の方が多いなか、あたたかい雰囲気ですんなりと本番に入ることができた。

施設での演奏は、父がお世話になった施設での演奏から2年ぶり。
コロナもあって、なかなか実現できなかった。
待っていてくださる方もおられたため、昭和の曲も入れながら
一緒に歌える曲も含め10曲ほどレパートリーを用意。手拍子あり、合唱あり、
ちょっと歌声喫茶の雰囲気もあったが、とにかくみなさんよく聴き、よく
ノッてくださった。
とくに自分のオリジナル曲への反応が高く、驚いた。知らない曲なのに
みなさん、すっと入ってくださった。
30分ほどの予定であったが、気が付けば45分もしゃべり、演奏していた。

「ひと・文様」という曲が終わったら、ひとりの利用者さんが、
「素晴らしい。心から感動しました。こんなに心がふるえたことはこれまでの
人生でなかった。高いコンサートに行っても感動しないけど、今日は違う。
こんな人生の終わりかけの私に、本当に、本当にありがとうございました
・・・」と、皆さんの前で発言され、会場もじんわり。
みなさんが、本当に感動しておられることがよくわかった。
演奏が終了してあとも、余韻は消えず、利用者さんからも、施設のスタッフの
みなさんからも歓びの声を多数いただいた。
そのなかで、ある男性の方がスマホをもって近づいてこられた。
「わしは、子供のときから音楽がダメで、これまで歌なんかどうでもいいと
思って生きてきたけれど、今日は、あの歌を聴いて、この絵が浮かんだ。」
といって、スマホの中に入っているラクダに乗って砂漠を歩く人の写真を
取り出し、見せてくださった。あの歌とは、「月の砂漠」だ。
「こんな風に歌を聴いて、絵が出てきたのは初めてや。感動した。」
と力強く言ってくださった。
スタッフによると、この方は現役時代は著名な学者さんだったらしい。

そのあとも、皆さんとしばしお茶をいただきながら懇談。
しっかり会場ではチャリティに協力いただいたわがCDも早速流していただいた・・・。

本当にいいふれあいができた。皆さん、コンサートが終わったら、若返った
そんな感じすらした。そして会場全体があたたかい笑顔であふれていた。
ああ、いいコンサートができた。
キーボード持ち込みで、演奏のインパクトは出せないのが残念であったが、
それでも、感動してくださる方がたくさんおられた・・ということは楽器は
あまり関係ない。
可能な環境でベストを尽くす。ただ、それだけ。

母がお世話になった方も何名か参加されており
「おかあさん、本当にいい人やった。
おかあさん、喜んでみえるわ。よかった、よかった。
今日は良かった・・」
何度も同じ言葉を繰り返しておられたのが心に沁みた。

伝わることが幸せだ。
さらに、磨きをかけよう。
いなくても親孝行。いや、ずっといる。

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考える時間のギフトとしての芝居。

夏に演奏出演した朗読劇から3か月も経っていないのに、
仲間の作家は、新作の公演を果たした。
執念の挑戦とも思える。記念すべき劇団の20回目公演。

秘めたる思いを短い時間に実現させてしまう、そのスピード感にも驚くが、
そのテーマの深遠さにも驚く。社会のそこを見ていたのか・・と、改めて
作家魂に敬意が芽生えてくる。
この作品には彼女なりの長年の想いがあったようで、その強い気持ちが
この公演への挑戦につながったのだろう。

今回のテーマは性犯罪である。しかも男性の・・というあまり聞かない話。
聞かないこと自体が、実は問題であるが、そんなことを普段考えることも
なかった。

普段、誰も目を向けようとしないことがある。
だから、言わない、言えないまま長い時間、苦しみを背負ったまま
生きなければならない弱い立場の人が、世の中には存在する。

このデリケートで重いテーマの作品。どんな風に展開するんだろう?
ドキドキしながら、ストーリーにはまっていく。
作家の強い思いと、それをちゃんと演じようとする役者たちの力が
シンクロして、私の五感にぐっと染み入った。
なぜか、涙があふれて止まらなかった。苦しい90分であった。

芝居は映画とは違う。このライブ感がたまらない。
生きている人間そのものを抉り出して見せる瞬間であるから、
人間が、むき出しに、真正面に伝わってくる。
だから、ライブは素晴らしい。コンサートとそこは共通している。

大切なテーマについて、考え、話す時間。
そんな立ち止まる時間が、とても大切だ。
普段考えないことを考えることができる。そんなギフトを
芝居は与えてくれる。
だから、世界中に演劇ファンがいる。
DXの時代と言われても、このアナログな表現こそが、人間を語る、伝える。

今回の作品はコメディではなく、社会派の演劇だ。
今の世の中だからこそ、ぜひ、見てほしい。

考えたことのない世界に足を踏み入れ、どうすれば世の中が
よくなるかと考えることはとても大切だ。
目を背けないことも大切だ。

明日、明後日と公演が続く。
ぜひ一人でも多くの人に見ていただきたい。


脚本家という仕事。役者という仕事。改めて凄いと思う。
世にメッセージを伝えるための、自己表現の職業。
アーチスト的な生き方。心から共感する。

次回公演情報 | B.LET’S (blets.net)

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みんなで作った作品だから。

今年の春にかけて、みんなでつくった曲。
障がいをもった皆さんが働く職場での勉強会中に発案、提案。
みんなで一緒に会社のイメージソングを作ろう!
みんなの想いを集め、ひとつのマーチに仕上げた。
そして、無事出来上がり、会社の記念イベントでのお披露目。

そして、季節は変わり、夏から秋へ・・・。
なんとか、この演奏を記録に残し、記憶から消えないように・・・と思っていた。
久しぶりに再会し、再び演奏。今回は、無事録画も完了。

そんなこんなで、今年完成したばかりの企業サイトでこのテーマソングを公開。
マスクをしているので、表情はいまひとつわからないのが残念ではあるが
一緒に演奏しているときに見えた皆さんの表情はばっちりであった。

なかなかいい曲ができた。
みんなでつくった曲だから、丁寧に歌い継いでいきたい。
みんなでつくった「たからもの」である。

株式会社モスシャイン | 一人ひとりが輝き、みんなが笑顔になる共創のモスシャイン (mosshine.co.jp)

このサイトのイベント・セミナーコーナーにて動画を公開、チャレンジ日記という
ブログページでその様子も投稿されています。

チャレンジ日記 | 株式会社モスシャイン (mosshine.co.jp)

「みんなで」という言葉、想い。大切にしたい。

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無から有が面白い。

クリエーションとは、ゼロから生み出す活動だ。
まさに創造的な活動。
音楽でも、もちろんクラシックも流行歌も好きな曲は数多あるが、
人のつくったものよりも、自分で作った曲の方が思いが伝わる。
当然といえば当然のことだ。
音楽以外のコミュニケーションの仕事でも、企画や製作の仕事に
携わる場合は、本当に楽しい。
ゼロからの仕事は、かなり想像力が必要だ。どうすればどうなるか?
イメージがわかないと、人に伝え、カタチにしてもらうことができない。
こういうのを作りたい、こういうのが必要だ。ではそれをするには?
どんどん湧いてくる仕事がクリエーションだ。
今年はホームぺージの仕事もいくつかやってきたが、自分のサイトも
リニューアルでき、イメージどおりにできたことが嬉しいし、
今取り組んでいるサイトも、予定通り、自分が思っていた世界がカタチになりつつ
まり、どんどん楽しみになっている。
無から有を生み出す仕事は、やはり面白い。
もちろん無から有にするプロセスでは、さまざまな経験、事例や情報が参考になり
その組み合わせ、掛け合わせで新たな有が生まれる。
まったく何もなければ、有は生まれない。
こうしたい、そんなものにしたい。との思いを膨らませ、それを実現するための
パーツを常にもっていること。
日頃から、アンテナを張り巡らせることがポイントかもしれない。

小さくてもいい。無から有の楽しみを人生に、人生にたくさん取り入れていきたい。

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