非日常と感動をお届け。

1日2回コンサートも慣れてきた。とはいえ、猛暑の中の移動はなかなか・・。
ではあるが、施設のスタッフの皆さんのご協力をいただき、楽器運びは助けていただき、予定通り実施することができた。
1か所目は、父が最期までお世話になった施設のデイサービス時間での開催。
久しぶりに現地に行くと、どこかで見た写真が?なんと手作りのコンサートポスターが
ありびっくり。私の公式サイトのTOPページを使っての制作。スタッフが話し合って、
素敵な事前準備を、皆さんでしてくださったのだ。
父が座っていた場所。おかげさまで、もう今は冷静に思い出すこともでき、
冗談も言える。元気いっぱい初めての方たちに向けて、演奏とトークを進める。
とにかく、心を込める。
スタッフの皆さんが利用者さんの体調を気遣ったり、本当に介護の現場は大変だと
演奏しながら実感する。
一方、スタッフの皆さんご自身が、楽しんで聴いておられるのもわかる。
大きな拍手をいただき、無事終了。握手を求めてくださる利用者さんもあった。

体力も声も使い果たしたが、水分補給をし、少し休んだら元気が戻って再出発。
暑さの中、がんばって二つ目の会場に向かう。
こちらでは七夕ということで、短冊を描いて笹に吊るしておられた。
「ここに元気に通って、長生きできますように。」「○○子と、また一緒になれますように」後者の短冊は、奥様を1年前に病で亡くされた方の言葉だとのこと・・。
思わず、胸がいっぱいになる。それぞれの思い、願いがこもった一枚の短冊・・・。

こちらは、すでに何度か呼んでいただいている施設。若き経営者の考えに共感、
気が付けば、応援団になっている。
今回こちらでは、笹の飾りつけ以外に、七夕スペシャルコンサートと題した配布資料も
用意されていた。毎回行事に、心を込めてきちんと準備をされている点も感心する。
コンサートの始めは、施設のスタッフが合唱団となって、利用者さんと一緒に歌う時間。
七夕や星にちなんだ曲を選曲。私はぶっつけ本番で伴奏をお手伝い。
みんなで声を出すというのは、とてもいいこと。元気のオーラのハーモニー。

その後、私のステージとなる。1時間ほどいっぱい話して、たっぷり歌い弾いた。
皆さん熱心に参加され、一緒に楽しんだ。コンサートは演奏だけでなく話の勉強になる。
アドリブで楽しい話をする、相手に想像をして楽しい世界を描いてもらう。
そのためのトーク。おかげさまでスタッフにも楽しんでいただいている。
演奏もよし、話もよし。がライブに求められること。

終了後、「楽しかった」との声をたくさんいただき、やって良かったと、安堵する。
主催者から「マーサさんの時間は、ぼくらにとって、非日常であり、感動なんです。
ありがとうございます」と、こんな言葉をいただいた。

そう、自分は、誰から見てももしかしたら、ちょっとした非日常の人なのかも
しれない。
「非日常」ということは、何か特別なこと、やはり感動が付きものでないと、
存在価値がない。

よし、これからも、ちょっと非日常で感動をお届けできる!そんな存在で
あり続けよう。

1日2回でもまだまだできる。
もっともっとネタもレパートリーも増やしていかねば。

暮らしは日常。そこにちょっとした非日常の存在がいることで、
心が豊かになる。素敵なことだ。

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朝に夢がひらく、七夕。

今日は、旧暦での七夕。
もともと中国の五節句であったこの行事、すっかり日本で親しまれ、独自のスタイルで今も受け継がれている。欧米の一部では、この七夕は「サマーバレンタイン」とも呼ばれており、いずれにせよ、星空の伝説を心に描き、夢見るロマンチックな日であることは、世界共通のようだ。
そんな本日、私は午前と午後と、高齢者施設(デイサービス)で七夕コンサートをさせて
いただく。
コロナもいったん収まり、これまで見送りになっていた行事が復活、そんな流れでの開催
である。
ひとつは、一昨年前の秋まで、父が最期までお世話になった施設で。
父が座っていたあの場所で、父がそこで私の演奏をきいて「わーん」と、いきなりうれし涙を流したその場所で(すでに認知症も進んでいたと思う)。
今日は父の思い出を胸に、今を生きるおじいさん、おばあさんに向け演奏をする。
ふたつめは、いつもコンサートに呼んでいただいている別のデイサービスでの開催。
いずれも、七夕だからの特別企画となる。

今週は、若いみなさんと夢を描くひとときを過ごした。
そして、今日は今を生きる人生の先輩とのひととき。

明日はどうなろうとも、今日の七夕は楽しかった。と言ってもらえて、
「わしの夢はな~」なんて、声も聞けたら、うれしい限り。

昔「夢は夜開く」という演歌もあったが、今日の私の場合は、「夢は朝ひらく」。
今日も出会う人それぞれに、幸せで元気なひとときと、愛をお届けしたい。

30名のみなさんに心のギフトを送りたい。そんな七夕の朝。
スタッフの皆さんにも、ぜひ楽しんでいただけたら・・・。

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緊張の夏、格闘の夏。

「キンチョーの夏」というキャッチフレーズのコマーシャルを
ご存じの方は、昭和生まれ、育ちかと思う。
私にとっても懐かしい。蚊取り線香の煙ちと香り、そして花火と
うちわのイメージ。
蚊をはじめ、虫さされに気を付けながら、夏を快適に過ごそう。
あのコマーシャルは今から思うと、よくできていると
思う。

その後、高温化、都市化、さまざまな地球環境、住環境、ライフ
スタイルの変化のもと、「殺虫市場」も急速に拡大しているので
はないかと思う今日。
6月を過ぎると、やたら殺虫剤のコマーシャルが増え、ドラッグストア
のメインスペースにも各種殺虫剤が大量陳列される。
「ああ、またこの季節がやってきたのか・・・」ととても憂鬱になる。

夏は正直、好きではない。その理由にひとつはこの虫対策である。
鳥や虫類との共生は、大の苦手である。
お願いだから、近くに来ないでといつも思っている。
だから、もし苦手が虫が目の前にいたときは、平常心を失い、
かなりパニックになる。平気で退治できる人は、尊敬する。
そういう人とつきあいたいと思ってきた。

東京に住んでいた頃に比べると、地方ではどうしても動物類を
目にする機会が増え、遠目に見ているときには良いが、近くに
来られると、困ったものだ。ときには退治?しなければならず、
心を鬼にし、格闘する自分がいる。
ほんとうに、苦手である。これは子供時代にあったちょっとした
事件がトラウマになっているのかもしれないが。
犬猫がかわいいというレベルとは違う。同じ動物であるのに、
なぜ、こんなにも鳥や虫は人に嫌われるのだろうと思いながら
自分も好きではない・・・。動物といっても、括れない。

さて、そんなことで、必要にかられてドラッグ売り場の殺虫剤売り場
に行かねばならないことがある。できたらあの売り場も行きたくない。
パッケージを見る、あの強烈なコピーを見るのも、避けたい。
(最近、テレビでやっている強烈かつ残酷なコマーシャルも本当に
やめてほしい。でもそうでもしないと効果がないのだろう・・・)
殺虫剤を買うか、買わずに自然に任すか・・・。ここは究極の選択。
そして、やむなく殺虫剤を買うときも、パッケージデザインが派手で
強烈なものは手にとるのも怖い。
虫との戦闘意識があるような、あの派手なパッケージは手にとりたく
ないのである・・・。
でも、実家にはどうしてもさまざまな虫が出てしまうこともあるため
必要な1本、2本・・・。
少しでもおとなしい、やさしいデザイン?家においてあってもインテリア的
にも違和感のない殺虫剤?をつい探す。
最近では自然派のものもあるので
そういったデザインの殺虫剤もあるが、まあ、それでも自己満足の世界
であり、虫を殺す目的の薬剤であることには変わりない・・・。
本当にこの売り場では、脂汗が出るほど悩んでしまうこの季節。
食品売り場であれば、ぱっと見てついたくさん買ってしまうが、
殺虫剤の売り場では、悩んでしまい滞在時間を費やす。この自分も
情けない。
ああ、このパッケージは嫌だなあ。これ、どういう気持ちでデザインした
のだろう。自分は殺虫剤の仕事は無理だなあ~。
と想像が膨らみ、余計に時間がかかる。

結果、見た目的に強烈でない殺虫剤を求め、実家で使用する。
こんな優しい表現じゃ、効果あるのか?という気持ちにもなるが
悩んだ結果の選択である。
そして、この1本を使うとき、いつも虫に謝りながら使う・・・。
このこと自体が苦痛。じゃ、殺さなきゃいいのに・・。
でも、ここに、この虫にいてもらっては困るのだ。
と、一体自分は何だろう?と自己不審になるほどに、虫への恐怖感は
特別である。殺虫はしたくない、でも・・・。この葛藤自体が
夏の大ストレスなのである。

ああ、早く秋になって、冬になって・・・。毎日そう思っている。

ふと、ある製薬会社で定年までつとめられた方との会話を思い出す。
その方はずっと製薬会社、しかも人間の命を守る薬の方ではなく、
殺虫剤をつくる開発に携わっておられた。いろんなご苦労があったの
だと思う。定年後、地元の庭園で清掃などお手伝いされていたが、
「本当に虫には申し訳ないことをした。そんな仕事でした。罰があたりますわ。
今は懺悔の気持ちでこういうお手伝いしていますわ」
とこぼしておられた・・・。それを聞いて、殺虫剤をつくられる方々のご苦労を
知り、同情した。やさしい心の持ち主であったが、その仕事は日々葛藤であったの
だろう。

そんなこんなで、人間社会の身勝手さを思うこの夏。
共生とか自然環境を守ろうとか言っている反面、一方、自分の命?の敵である
虫は殺す。ばんばんコマーシャルもする。作る、売れる、使う、虫を殺す・・。
人間中心の夏、到来。でもそれをしないと、快適に過ごせないのだ。

うーん。矛盾。うーん、偽りの共生だ。
とすごく悩みながら、殺虫剤を手にする。

ああ、私には本当の意味での共生は無理なんだろう。
自己嫌悪の夏は、これからだ。

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大人になっても、願いごと。

コミュニケーションの勉強会の一環として、今回は夢をテーマにそれぞれが語り、また
チームで話し合うワークショップを企画した。そして仕上げは、その夢を短冊に書いて
みんなで笹の木に吊るすこと。
わずか2時間足らずの勉強会であったが、あっという間にオフィスが七夕ムードになり、
他の社員の方も、お客様も足を運んでくださって、早速我も!と短冊を書かれる方も・・・。
勉強会で「夢はなんですか?」とたずねたら、23歳の方が「いやー、こんな年になってそんな夢なんかないですよ。考えたこともない、17歳や18歳ならまだしも・・・」と照れながら
話してくれたのが印象的。そうか。夢は若い人の特権?いやいや、そうとはいえない。
夢はいつでも、いつまでも持っていたい。
勉強会ではたくさんの夢が発表された。個人の夢、そして会社の夢。
会社の夢で感動したのは、その会社がもっと知られますように、ずっと会社が存続して
自分たちがずっと働き続けられますように・・とそんな純粋な願いが挙げられたこと。

夢を語るとき、人は素直になる。そしてまっすぐ人生をみつめるいい機会になる。
七夕に「短冊と笹」という風習は、日本的なものであると思うが、素敵なコミュニケーションツールだと思う。
ぜひ、しばらくこの笹の下で前で、皆さんが立ち止まり、しばし夢を描いてほしい。
会社で、こんなロマンチックなひとときも、マインドアップにつながること間違いなし!

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挑戦するか否か?は自分で決める。

新しい挑戦をしようと思うけれど‥と迷いが生じるときはないだろうか?
やってみたい、やらなくちゃと思う前向きな自分と、
できるかな?大丈夫かな?今かな?できなかったときにどうする?とリスクを
考える自分の綱引きだ。
後者はどちらかといえば、やらない言い訳のようなものではあるけれど。
そんなときは、1日冷静に考えることにする。

そして、その挑戦の意義をもう一度自分なりに整理してみて、
それでもやるのだ!と覚悟が決まれば、前に進む。
考えた結果、時期をずらそうとか、再考しようとすることもひとつの
決断だ。大切なことは、あとでやっておけばよかったと悔いが残らないように
すること。

挑戦には熟考を。
ひらめきはもちろん大切にするが、見切り発車だけでやってはいけない。

よく考えた上であれば、もしもそれがうまくいかなかったとしても、
プロセスから学ぶことも多いため、納得ができるはず。

これまでも何度かそんなことがあった。
やろうと思ったら、やる。
でもその前に少し考える。

そして、挑戦への意欲は、これからも持ち続けたい。
それが真の若さと思う。
無謀な挑戦ではなく。ちょっと背伸びする、いやジャンプするぐらいの
挑戦はどんどんする。
いや、もっと大きく出てもいい。
まだまだ大志を抱いてもいい。

ということで、今日の移動時間は、考える時間にするとしよう。

今日はたまたま、「夢」をテーマに勉強会を行う。
この時間も、きっと今の自分の思いに刺激を与えてくれることだろう。

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その存在に感謝する。

家族は身近な存在だ。格好つけることなく、素の人間として、向き合える。
それが家族。もちろんひとりひとりは、個々の人間であるから、自分と同じ
考え方、価値観であるとは限らないが、その違いも認めた上で、お互いに理解
しあえる、そしていざという時には助け合える、それが家族だと思う。
そして、親とは自分のルーツであるから、否定することはできない。その人が
いなければ自分は存在していないのだから。親が旅立ってから、さらに感謝の気持ちが強くなっているのも事実。
いて当たり前ではなくなった今、自分にとって、かけがえのない存在である。
もちろん意図して生まれてきたわけではないが、結果、このように生き、それなりに充実した、幸せで健康な半生を歩んでこられたのは、親のおかげ。
だから自分が存在する限り感謝する。それが当たり前であり、自然なこと。
そして、親とは違うが、長年一緒に暮らしている家族(心族)も大切な存在。
肩書や外見ではなく、ひとりの人間としての自分をもっともシビアに見つめて
くれる存在。もし、何かあっても(きっと?)お互いに助け合える。
その存在にも感謝だ。そういう人がいるという前提がありがたい。

最近の世間のさまざまな報道(事件)に触れると、なんで?と理解不能なことも多く、
親、家族の関係について考えさせられることも多い。
今こそ、改めて「身近な存在にこそ感謝」することを大切にしたいと思う。
もちろん、その家の事情、背景もあるため、人様のことは簡単には言えないが、
親や家族を大切にして生きること。これが人の道であるということを、確認したい。
家族を大切にし、周囲の人を大切に・・。心がけていきたい。
と、思えることこそが、本当に幸せなのだと思う。
健全に、心おだやかに、安らかに、生きる。その存在に感謝して・・・。


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モデルの課題?

先週出演した、屋外コンサートでの演奏の様子を撮影してくださったTさんより、
預けた私のスマホではなく、ご自身の本格的なカメラで撮影されたデータをいた
だいた。Tさんは他に職業をもつ、アマチュアカメラマンであるが、腕前は間違いなく
プロフェッショナル。だから、特別な一眼レフで撮影された写真を見るときは、いつも
ドキドキする。
今回、会場にはお客様もおられるため、少し離れた場所の限られた場所からの撮影で
あったが、いつもながら、表情をおさえるのが流石で、よくあの場所からその瞬間が撮れるなあと思うショットがいくつもあった。
そして、やはり、自分はモノクロ向けだと今回も実感。いろんな難を隠してもらえている
のがわかる。また帽子をかぶって演奏して汗いっぱいになったあと、帽子をとって
演奏すると、髪がぺったりしてしまい、いい写真が少なくなるが、ここに選んだ
のは、表情をよくとらえていただいたと感心した1枚。

演奏後に「ちょっとですが、100枚ぐらいは撮っておきましたので」と言われ、
そんなに?そんなにたくさん撮らなくてもとそのとき思ったが、やはり選ぶとなると限られるものだ。
まさに、写真は瞬間瞬間でまったく変わる。ポートレイトでなく、ライブを、演奏風景を
撮っていただいているわけだから、そりゃ100枚撮るのも納得だ‥・。

しかし、しかし、こんな顔をさらして生きているのか・・こんな表情になるのかと写真を見るときは、自分の見え方を確認、チェック。まあ、重ねた年のことは仕方ないし、あちこちの皺も仕方ないが、自分の顔の角度について、どう撮られるといいのかわかってくる。
かといって、あれこれ注文できるほどのモデルでもない。

そういえば、昨年亡くなった、市田ひろみ先生は、撮影のとき必ず、「こっちから撮って」と向きや角度を指定されていたことを思い出す。
どこから見たら、撮ったら一番いいか、わかってくるのである。
どうせ撮っていただくならば、より美しく?見える角度が良い。
それにしても、マスクの3年でこの顔、大丈夫?
写真はそのチェックにもとても有効だ。
どんなポーズであっても、今を真剣に生きている様がわかるショットが、とても好きだ。
岐阜で何かあると駆けつけてくださるTさん、いつの間にか故郷のカメラマンとして
お世話になりっぱなし・・・。
写真は被写体を撮る以上に、カメラマンの人間性も映し出されていると今回も実感。
彼のボランティア精神、きれいな心が作品に溶け込んでいる。不思議なものだ。

また機会があったら、100枚撮ったら使える確率があがるよう、モデル力も身に着けよう?

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アニバーサリーの後半、はじまる。

毎日、かなり濃厚な長い1日を過ごしているのに、
なぜか時間が経つのが早いと感じられる。

毎日毎日違うプログラムで生きているせいなのか、新しい取り組みや
課題が日々めぐってくるからなのか。
いやいや、毎日が新鮮で楽しいからだろう。と思うことにする。
今月は、今週は、明日は、今日はと、毎日考えているから、あっという間に
1日が1週間が終わる。
また自分で計画することだと、時間の経過も、より早く感じられるはず。
やらされていることが多いと、なかなかそうは感じないかもしれない。

ともあれ、気が付けば、今年も半分終わってしまった。
少しだけこの前半を振り返る。
おかげさまで25周年の気持ちで昨年までとは違う気持ちで
スタートし、小さな歌詞集を周囲のみなさんに味わっていた
だいたり、在宅医療から刺激を受け、ひらめいた出前コンサート
のPRもぼちぼち実践に向かいつつある。違う形であっても年配の方への
演奏の機会について、お声をかけていただくことが増えてきた。
そして、おかげさまで日々の仕事も、本当に飽きることなく次々と
課題が得られ、頭もココロもおかげさまでフルネスだ。
(いっぱいいっぱいとは、言わないし、いい意味で満ち足りていると
言いたい)

でも、そこにとどまりたくないため、自分の世界を深め、広げたい。
具体的には、音楽の探求をさらに深め、もっと読書を勉強を・・・と
走りっぱなしの30代~40代とは違う自分も育っている。
内面を磨き、高めたいという欲求、探求心が沸き上がってきている
こと自体、成長のあかし?だといいが。

さあ、後半。
25周年の取り組みの山場をつくりたいと思っている。
このまま走っていってもいいけれど、気が付けば終わって
いたという1年にはしない。
今しかできないこと、今年だからこそできることがまだ
まだある。
まだアイデアも出し切っていないし、行動もまだまだ。

2023年は私にとっての大切なアニバーサリー。
50代のラストラン。そしてグランルーがさらに前に進む
ために、1日1日。自分ともう少し向かう時間をとりたい。

おかげさまで25周年の2023年の後半がはじまった。
感謝と笑顔で、自分らしく、楽しくいこう。
自分だけでなく、周囲が楽しく、幸せになるお手伝いを。
それが私にとっての幸せになるから。

人生は繰り返さない。前に進むしかない。
毎日が最終日の気持ちを忘れずに。

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肩書人生のラストラン!

今日で長年つとめてこられたお仕事から卒業される方がいる。
20年以上もお世話になってきた経営者である。
本当にあるきっかけから、おかげさまで公私ともに
長いおつきあいになっている。

昨年ぐらいから、肩書がなくなってからの生き方について
問われたり、セカンドライフについて意見交換も交わしてきた。
こういうときは、フリーランスで生きてきた私の意見も参考に
なるらしい。

私は長年、その方に
「社長だから、と思って尊敬しているのではなく、一人の人間として
尊敬し、応援し、心配しています。肩書がなくても変わらずに
おつきあいできたら、と思っています。」
と生意気にもそう言い続けてきたが、現役時代は、その言葉に耳を傾けてもらったかどうかわからないが、ようやくそのことが現実味をおびてきた。

これからの生き方について、いろいろと話す機会がありそうだ。

どんな仕事も結びがある。人はいつまでも同じではいられない。
地位や名誉があっても、潔く終わる、次にバトンを渡す。
このタイミングも重要だ。

引継ぎも断捨離も?無事終わった(であろう)今日、ご卒業される。

多くの社員やパートさんや、関係者が涙するだろう。
全国から、世界から声が届くだろう。
惜しまれての最終日になると思う。幸せだなと他人事ながら、
笑顔で想像する。

肩書人生のラストラン。

長年のご活躍、貢献に心から拍手と感謝を。

そして、これからの新たな関係に胸がおどる。
あと10年は元気に。
そのお手伝いができたらと思っている。

肩書時代を経て、ほんとうの意味で人と人の
付き合いが始まる。
そんな関係が、うれしい。

今日というラストラン。どんな気持ちで今朝を迎えておられるかな。
駆けつけることはできないが、
記念すべきご卒業日を心からの拍手でお送りしたい。

本当にお疲れ様でした。心からの感謝を込めて


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聞いてくれる会社を応援しよう!

株主総会の季節である。
1日に何社も行かれる株主もおられるようだ。
ひと昔前は、お土産付きの総会も多く、その時は、お土産だけもらって
話を聞かずに帰ってしまうという、そんな人もいたが、最近は廃止されているところも多く、本当に会社の方針や業績についてしっかり聞きたいという熱心な方たちが来られる場になっている。
ましてや、コロナの経験から、オンラインでの参加も可能となり、遠方までわざわざ出向かなくても自宅などどこからでも参加できるという点で、会場に足を運ぶ人の数は減った。
お土産が出ないから減ったのではなく、行かなくても参加できる時代になったから、来場者が減ったのだとみている。

そんななか、暑い中、わざわざ足を運んでこられる方とは・・。
常連さんも多い。そして、必ず毎年質問をされる方も。
自分が感じたこと、意見を聞いてほしい。そう、企業の話を聞くというよりは
自分の意見を聞いてほしい、参加したいという株主が目に付く。
先日、関西の企業の総会でも、
「これを言いたくて、◌◌よりきました!」という株主も何名かいた。
その声に耳を傾け、誠実に答えてくれる。感謝であったり、謝罪であったり、
そして検討の意思であったり・・・。そのやりとりで株主の応援マインドや
投資意欲が変わることがある。お金を動かすのは人(心)である。

聞いてくれる会社、そして聞いたことを活かしてくれる会社。
そんな会社のことは、誰もが好きになり、応援したくなる。

一人一人の声を面倒くさがらずに 丁寧に対応する。
その姿勢が大変重要だ。
発言をしたあと、今日の仕事を終えたような達成感で着席されたり
帰っていかれる株主を見て、きっと帰宅後の食卓で、家族に話されたり
するんだろうな~と勝手に想像し、微笑む。

聞いてくれる人、聞いてくれる企業が好き。応援したい。
総会はそれがダイレクトにできる貴重な機会。

オンラインがさらに進化していっても、このリアルなコミュニケーションは
形は変われど、必要とされ続けるだろう。

すべてのステイクホルダーとの関係を大切にする、企業のたゆまない努力に
心から敬意とエールを送りたい。

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