鵜飼クライマックス

下は一昨日10月8日夕方17時頃の長良川の写真。鵜飼い船の乗り場の様子。
まもなく夕暮れが一体を包む前。観光客がこの近くに集まってきている。
岐阜の長良川は意外と有名らしい。もちろんふるさとの貴重な文化財、観光資源で
あることは知ってはいるが、県外での認知?はこれまで意識したことはなかった。
が、明日のコンサートに絡めて鵜飼も見学してみようという方もおられて、
これはこれは地元のお宝なのだと認識し、感動する。

その鵜飼も10月15日にて、今年もおしまいとなる。そう、父の命日の翌日、
そして優しくしてもらった叔父さんの命日・・。みんな、鵜飼の人だ。
鵜飼は私にとっては、大切な人のレクイエム的な存在だ。
改めてそう思ったりもする。

さあ、やると決めたわが25周年イベントのひとつ
ふるさとLOVEコンサートはいよいよ明日。
おいでいただく方に心を込めて、自分なりの表現を・・・。
今日から岐阜入りされる遠方からのゲストにお会いする。
コロナ後初めての旅だと言われる方も。
わざわざ遠方よりわがふるさとにおいでいただき、心から感謝を込めて。
父の三回忌を今日済ませ、その後、赤いポストの会場に向かい、気持ちを切り替える。

鵜飼クライマックス。ふるさとに感謝を。平和なふるさとで良かった。
世界の戦争が早く終わって、みんながふるさとに自由に帰ることができるように。
そんな願いも込めて、やりきる!

※コンサートにおいでの方へ。
岐阜駅から長良橋経由のバスに乗り、「長良橋」バス停で下車、
階段を降りるとこの景色に出会います。その後、川を背に前進すると、うちわ屋さんを
過ぎて、しばらくすると(下の写真)赤いポストの建物に到着します。
こちらが会場となります。気を付けてお出かけください。

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開拓を支えた影の力に祈り。

歴史は表舞台だけでは生まれない
裏で、水面下で苦労した先人たちの汗や涙があってこそ、
今がある。
そのことを忘れてはいけないと思う情報に接した。
それは北海道の開拓、発展の歴史。
大きな鉄道工事やダム工事に、多くの人々の命が犠牲になって
いたことを、数少ない信頼できる報道番組を見て知った。
そして、驚いた。
権力と歴史について、改めて考えさせられた。

北海道は、日本人はもとよりアジア人にも人気の観光地。
大自然とグルメ。デパートの催事でも、人気が高く北海道展
は2回に分けて開催されるほどに出展者数も多く、また
やればやるだけ人が集まる。
本州から見れば、九州の最南、最西のように、北海道も
さいはての地としてのロマンを感じる。
鉄道の旅でも、よく取り上げられ、ノスタルジックな駅と
広大な自然を見ながら、異国情緒に似た感動も覚えたり・・。

一方、このロマンチックやノスタルジーは、リスク、危険と
背中合わせでもある。
厳しい大自然との闘い、また開拓での悲劇、こういった
先人たちの多くの苦労があって、今がある。
確かに、あんな広大な土地に鉄道を通す、車が通れるように
する、人々が暮らせるようにダムをつくる・・・。
不便で人もいない未開の地であった北海道が今日のような
発展を遂げるには、輝かしい歴史ばかりがあったわけではない。
強制労働の結果、無残な死を迎えた人もあったことを今回初めて
知る。
知る人ぞ知る、影の歴史。
このことこそ、実は知るべきである。

これらの開拓の闇の部分についての研究が、オホーツク民衆史講座という
形で受け継がれてきたことを知り、早速その拠点のひとつである
北見の同窓生に久しぶりに電話をしてみた。
大学時代の唯一、連絡がとれる友人、元高校教諭。彼なら
知っているかも。
懐かしい久しぶりの電話口で、そのことを訪ねてみたら、
オホーツク民衆講座という存在は知らなかったが、影の歴史の
ことは知っている様子で、それは北海道の歴史だから・・という
口ぶり・・・。あまりそのことは語りたくない様子も伝わってきた。
地元の人には、北海道とは観光地とか、グルメとかそんな
イメージではないことがうかがえる。

これまで長崎をはじめ、殉教やかくれキリシタンなど権力に抑圧されながら
も信仰の道を守ってきた先人に関心を持ち、心を寄せてきたが、
経済発展のために、国力向上のために犠牲になった人が多くいる
ということを知り、こういった現実にも目を向けなくてはと
思った次第。
殉教者ではなく、殉難者。そういう言葉自体、初めて知り、
自分はまだまだ世間を知らないのだと恥ずかしくなる。

華やかな歴史には影がある。闇の世界がある。
それもあって、光があたっている人がいること、今日があることを
忘れてはいけない。

来月久しぶりに北海道にレコーディングに行く予定であるが、
歴史をかみしめながら、あの大地に足を付け、空を仰ぎたい。
そして、開拓に関わられた人達に祈りをささげたい。
と、強く思った。
歴史には光と闇がある。それが現実。

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親孝行のお手伝い

下の写真は、前日に書いたまーくんと、お父様よっちゃん
のツーショットである。
施設で暮らしておられるお父様と、コロナ禍でなかなか
面会も許されなかった時間が続いていたが、このたび幸運なことに、
一緒にコンサートを楽しんでもらう時間をもつことができた。

この写真はコンサート後のお二人の記念撮影。
久しぶりの再会で、喜びいっぱいの表情にこちらもうれしくなる。

今回、まーくんからのオーダー・リクエストをいただき、お父様が
おられる施設にお邪魔して、お父さんのためにコンサートを実施。
施設にもご協力をいただいての開催となった。

せっかくなので、施設の利用者さんにも参加いただき、皆さんで
楽しんでいただく。
すでにお父様の簡単なプロフィールや好きな曲、親子の思い出など
お聞きしていたため、それらをプログラムに盛り込み、若かりし日の
家族の時間を思い出していただいた。
山や川で楽しんだ親子での自然とのふれあい時間から、家族の結婚式
の一コマまで・・。

会場の一番前に、お父様に座っていただいた。私はお父様の顔をずっと
みつめながら、語り掛けるように話し、演奏した。
ときおり、お父さんが顔をくしゃくしゃにして泣き顔になった。
きっといろんなことを思い出しておられたのだろう。
私自身も演奏しながら、父の生前、施設に演奏に行ったとき、父が声をあげて
泣いていたことを思い出していた。

音楽とは、人生を共有することができる素晴らしいコミュニケーション
ツールであり、「生きる力」を与えてくれる絶対なる存在。
と、今回もそんなことを改めて実感する。

「おかげさまで、いい親孝行ができました!」まーくんがとても
喜んでくれたのも、うれしかった。
この寄り添い出前コンサート。施設にも、ご自宅にも、どこへでも
ご本人、ご家族のご要望あれば、駆け付ける。

拍手と涙をいただく時間。私にとって、涙は感動の証し。だから
うれしい。
音楽を聴いて、笑って泣いて、人生を豊かに・・・。
そんな願いを込めて、さらに続けていこうと思う。
親孝行のお手伝いをさせていただけて、本当に幸せなわが人生。
マー君に感謝を込めて、お父様との良き時間をこれからも重ねて
1日でも長く、ともに生きてほしい!!

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まーくんのお父さんに会いに行く!

今日は、念願の寄り添い出前コンサート!
今年の春に思いついてから、ずっとあちこちで声をかけ、チラシを配って
きた。大阪でお声をいただいてから、地元でもやる機会があれば‥と思って
いたところ、日頃お世話になっている介護施設の方から、リクエストをいただく。
「僕の父親にコンサートやってほしいです」
私の演奏を聴いたことがあり、ぜひ今後はわが父にプレゼントしたいということ
になったようで、もちろん二つ返事。

ということで、今日はその当日になる。
依頼主はまーくん。プレゼントさせていただくのはまーくんのお父さん。
病を患い、お世話されていた奥さまが先に旅立たれたあと、施設で生活をされて
おり、まーくんは日曜になると見舞いに行かれているとのこと。
生きている間に、あと何回会えるか・・・と思うと、1回1回を大切にせねば・・。
と、そんななかでの出前コンサートのご依頼。

少しだけお父さまのエピソードも伺って、勝手にどんな人かをイメージして。
スマホで見せていただいた顔写真を思い出しながら、
まーくんのお父さんがとびっきりの笑顔になっていただけるように、
そして一緒にそこで生活されている方々にも一緒に楽しんでいただく。

まーくんからの最高のプレゼント。
となるように、私もはりきって!まいります!

この寄り添いコンサートは、わが人生のなかで、大切なテーマ。
このような声をいただけることに感謝して、ご縁をいただいた人たちの人生に、
小さな花を添えることができたら・・・。
母もにこにこ、笑って応援してくれていることだろう。

今日は、まーくんのお父さんに会いに行く!

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2年前の今ごろ。

オレンジ色のコスモスが実家の庭に咲く。
ふと2年前の今ごろのことを思い出す。
母が旅立ってしまい、急激に弱った父の様子を毎日のように
見舞いに出かけていた日々。
施設のみなさんのご協力により、コロナ禍のなかでも、入室を許され
点滴でいのちをつなぎ、痰の吸引を常にやっていただき・・・。
施設に行っても、私は父の手を握り、話しかけるぐらいしかできなかった。
でも、2年前の今日は、まだ息をしていた。

来週は父の三回忌。それを思って企画したふるさとLOVEコンサート。
そして、両親ともいなくなった後、自分がせねばならないと思って企画した
よりそい出前コンサート・・・。
これからの1週間、実施する。
親が元気だったら、これらの企画は生まれていなかった。
いないから、いなくてもやらなくちゃ!と思って生まれた企画に向かう。

2年前の今ごろ。あの緊迫した思いの日々。張りつめすぎていた日々。
人生でもっとも無我夢中の時間だったのかもしれない。
2年前の今日、父は生きていた。
今日もそんなことを思い、辿る道々で、父や母の元気な顔を思い出すだろう。
オレンジのコスモスを見るたびに、毎年思うのだろう。

明日はよりそい出前コンサート。いろんな思いを込めてやり切ろう。


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秋の行楽?修行のラストウィーク。

しばらく葛藤の日々が続く。まさしく自分との闘いだ。
小さなイベントひとつやるにも、いろんなことに出会う。
自分が投げたボールがどこに届くのか、どう受けとめられるのか?
小さなマーケティングの実習時間である。

思わぬ人から予約が入ればうれしくなり、満席か?と思ったら
キャンセルになったり、新聞に載ったので喜んだら、それを見て
問い合わせがあったものの、キャンセルになったり・・・・。
ほんとうにジェットコースターに乗っている気分になる。
何かあるたびに、頭のなかで曲が流れる。いいニュースのときは
ビバルディの四季。悪い知らせは葬送行進曲‥という感じだ。

いちいち、反応している場合ではない。そんなに暇でもない。
いろんなことが起きすぎて、一喜一憂することをやめることにした。
何でも来い!と、こんな気持ちになる。
まさに、命までとられない。

そう、イベントを興す、自ら何かをするということは、
予期せぬことにも対応するということだ。
それがないと つとまらない。

これまでも何十回もやってきたことなのに、やはり毎回いろいろ起きるものだ。

今回の取り組みは、短距離マラソンにも障害物競走にもたとえることができる。
とにかくいろいろ乗り越えて、ゴール(本番)に向かう。
ゴールはお客様の笑顔と拍手。
良かった、良かった。と言ってもらえるように。

だいぶ先が見えてきたから、もうそこだけに集中して、葛藤も乗り越える。
最後は観覧車に乗るのだ!と思ったら、気持ちが楽になった。

と、私の秋の行楽は、まさに修行である。
小さなことをコツコツ積み上げて、心強く、しなやかに。さあ、今日も朝連!

ふるさとLOVEコンサートまであと1週間!

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私が社長である限り・・・

最近、経営者の方とのやりとりが多い。
そこで働く人たちともかかわりをもたせていただきながら、
一歩外にいる立場として、客観的に、また忖度なしに発言
したり、思い切った提案もできる立場をご理解いただいているようで
本当にありがたいと思う今日この頃。

ある社長さんと初めて会食をする。
10年以上のおつきあいになるのに、仕事以外の話でゆっくり
お話ししたことがなかった。
今回は改めて、今後のことを話したいということで、初めて
ゆっくり時間をとることにする。
乾杯をしながら、日頃の感謝を伝えながら、いろんな話題に話は
及ぶ。会食はお互いに相手を知る絶好の機会である。

ふと、はじめてお会いしたときのことなどが浮かび、懐かしさもこみあげた。
ああ、最初からこういう方だったな~。情熱的なところは同じだな~。
その会社を知る、会社に関わる。かかわらせていただける歓び。
きっかけがあって、ご縁があって、関係は育まれる。

社長さんは、あと〇年したら、引退を考えておられるとのこと。
70歳を節目にということのようだ。
「私が社長でいる間は、ぜひ・・・」
とおっしゃっていただき、驚きとともに、喜びと、またちょっとなんとも
言えない気持ちが入り混じる。

おそらくまだ50代だった頃の社長に出会った最初の頃、まさか
引退ということを考える日がくるとは思っていなかったけれど、
十数年経つと、会社もご自身も、そして周囲も変化する。
もう次のことを考えていかねばならないのだ・・・。

経営者にずっと寄り添わせていただけることは、本当にうれしい。
経営者に寄り添うイコール、その会社に寄り添うことであるから。
責任も感じるがやりがいも感じる。

この経営者とともに、次の世代の人達の育成にも関わりながら、
みらいに残せる仕事のお手伝いができたらと思う。

社長は大きく重い荷物を背負って前に進む、孤独な存在でもある。
そこもしっかりカバーできる、力と愛を備えておきたい。


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寄り添い業を極めたい。

おかげさまで、日々いろんな企業、人との関わりをもたせていただいている。
毎日、いろんな出会い、交わりが生まれる。
そこから、共感でき、尊敬でき、気が付いていたら応援していた。
というケースも少なくない。
気が付けば、社長はもとより、管理職のみなさん、現場リーダーのみなさん、
若手の皆さんまで・・・。それぞれの立場の人たちの話をききながら、
ときには背中を押したり、ときにはヒントを提供したり、相手に合わせて
コミュニケーションをとらせていただいている。
その結果、さまざまな変化も出ていている。
いい商品ができたり、全社一丸で取り組むようになったり、組織が
活気づいてきたり、そこで頑張る人が自立してきたり・・・。

ある社長さんから、
私が社長でいる間は、ぜひお願いします。

とのお言葉をいただいた。
とてもありがたいことだ。

その会社の未来に向け、一緒に歩んでいけることは光栄だ。

気が付けば、いろんな方に、企業に寄り添わせていただいている。
幸せな仕事だ、恵まれた道だと思う。
小さなことをコツコツと‥。この寄り添い業、もっと極めたい。
コミュニケーション・クリエイターは、究極の寄り添い業を目指す。


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見た目で判断。

先日の新聞掲載の反響はさまざまで、これ自体がとてもいい経験と
なっている。
丁寧に取材され、いい記事に仕上がっている。と記事自体を客観的に
評される方から、私のことについて、理解を深めてくださった方、
親のことを思い出してくださる方・・・・。
また、記事内容だけでなく写真にも反応があった。
演奏時のアップの写真であり、赤い洋服を着ていたため、華やかに見えた
ようだ。たまたま撮影するならと思い、取材時に赤い上着を持参しておいて
良かった。
今どきの新聞はカラーなので、色が読者の目に入る決め手になる。
ある人は、立ってピアノを弾くというスタイルの記述とこの写真野見た目で、
私がジャズピアノ奏者と思いこまれた方もおられた。

なるほど、見た目はクラッシックには見えづらいかもしれないし、
そうか立ってジャズピアノというのもありだ。レパートリーを増やそうか・・などなど。
見た目で判断されることで、違う世界も見えてくる。
「ふるさと」を即興でジャズ演奏してみるなんていうのも、ありかも?

人は見た目で自由にいろんなことを思うものだ。
知らない人だからこそ、何の予備情報もなく自由に想像される。
とても興味深い反応であった。

コミュニケーションは第一印象がすべて。
視覚に入ってくる情報は、最初にインプットされる。

であれば、そこをどう丁寧に伝えるか、しかもインパクトをもって。
今回の新聞掲載後、多くの学びをいただいている。

見た目。大切にしたい。

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来年の秋まで待つ。

京都のとある洋菓子店。こちらは明治時代からの創業とのこと。
私にとっては学生時代から憧れの店のひとつで、京都といえばの
お店のひとつ。
何とも言えないレトロな創業当時の面影は、洋菓子自体が
まだハレの日の特別な存在であったことを思わせる独特の魅力がある。
初めて前を通った40年ほど前と今は、店の外観、店内とも変わらない。
但し、店の奥はカフェに改装されたため、こちらは進化しているが。

主な商品はロシアクッキー。知った頃は、その珍しさもあって、
余計に興味をもった。今も、伝統を受け継ぎ商品は変わらず、新商品は
マドレーヌが36年ぶりに発売されたとのことで、ひとつの商品の発売
に向ける時間のかけ方も、素晴らしい。
急がない、じっくり時間をかける。いい意味でマイペース。
モノづくりとは本来そうであるべき道を、今も貫いている。
ニーズがあるからといって、規模を拡大したりしないのだ。
仕事への向かい方もブレない。
そんなことも好きな理由。
京都に西洋にあこがれていたときの自分に戻れるようなタイムトリップ
を楽しませてくれる店。
久しぶりに前を通ったので、壊れそうな重いドアを開けて中に入る。
店内は薄暗い。こちらも昔のまま。店内は混んでいるし、次々と
お客さんが入ってくる。相変わらずの人気店だ。
なつかしのロシアクッキーを選び、そして他のお客さんの接客に影響
されてか、思わず、当店のもうひとつの名物の缶入りクッキーのディスプレイ
が目に飛び込んできた。
「すみません。これ、注文できますか?」
とたずねると、「はい、こちらは早くて来年の秋になりますが、
それでもよろしいですか?」とごく普通に答えられる。
毎日この応対を何十、いや百回以上、こなしているのだろう。

そうだ、このお店では、急ぐことがない。速さが売りではない。
じっくりマイペースで作り続け、できたらお客さんにお届けする。
おそらく1日の生産量を計算した上での、来年の秋のお約束なのだろう。
この姿勢も、なかなかで、そんなに待たされるならば、よし待とうじゃないか
と思えてくる。

「はい、ではひとつお願いします」と、予約。
取りに来るならば、お代も1年後。送ってほしいならば、前払い。
各地から足を運んでくるお客さんの多くは支払っていく。
すごい信用だ。1年後の納品のために、今からお金を払うとは・・。

と、この洋菓子店のスタイルは何かと学びも多い。
他がどうであれ、うちはうち。
伝統を守り続けながら、カフェなど新しい事業も行うが、基本は崩さず。

考え方やこだわりが透けて見える仕事は、とても気持ちいい。
商品がおいしいのはもちろんであるが、
スピリットに共鳴するのだ。

速い、安い、どこでも買える。
すべてに逆行していることで、価値を高めているのかもしれない。
来年の秋まで、待つ。
忘れてしまうかもしれないが、まあ、電話がかかってくるから、
そのとき、思い出せばいい。
来年の秋・・・。わが身はどうなっているだろう?
と、そんな想像ができるのも、ワクワク感につながる。

京都の老舗に学ぶことは、多い。
そんなわけで、最近は寺町界隈が改めて気に入っている。

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