安らぎと表情の学び。

ふるさと岐阜の本性寺にある、大仏さん。なんと奈良と鎌倉の大仏と
並び日本三大大仏。と知る人ぞ知る、貴重すぎる存在。
木材と粘土、経典を書いた美濃和紙、金箔でできているという
珍しい製法。かごを編むように作られたから、「かご大仏」と
呼ばれている。
完成してもうすぐ200年になるが、建立されるまでにも長い歳月
を要した。これを考案し、実現させたご住職たちや周囲の方々の
熱き想いと、大変な努力を思うと、頭が下がる。

なんでも、江戸後期の大飢饉や地震など災害で亡くなった方への
祈りを込めて、建立されたものだそうであるが、時代を経ても人間
の脅威は変わらないのだと、またこの大仏さんの存在も、永遠
であると思え、思わず手を合わせたくなる。

私はこの仏像の表情がとくに気に入っている。
どこの仏像よりも、好きなお顔である。
いつも、寄らせていただき、上を見上げると、なんともいえない
やさしく、おだやかな気持ちになる。
大仏さんが自身を見守ってくださっているという安心感に包まれる
のである。
「いいよ~。大丈夫だよ~」
とそんな声が聞こえてきそうだ。
また、手の表情も正式には、「説法印」というスタイルかもしれないが、
私には
「いいよ~。オッケーだよ~」
と背中を教えてもらっている感じを受ける。
(この手の件は、次回お寺で確認してこようと思う)
お顔の表情と、大きな手の表情で包まれる感じになるのだ。

以前、地元紙にもミニコラムを書かせていただいたが、数年経った
今も、大仏ファンの気持ちは変わらない。
岐阜と言えば、長良川の鵜飼、信長の岐阜城、そしてこの大仏さん。

大仏を作った仏師とは、どんな方であったのだろう。
と大変興味がわいてくる。
これからの研究課題のひとつにしよう。

慈愛に満ちた表情。
なかなか凡人にはたどりつけない境地であるが、
学びたい。

これからも、ふるさとを優しく見守り続けて
いただけるように。
そして、災害からも守ってくださるように。

と、この大仏さんに向かうと、そんな気持ちが
湧いてくる。
今も、これからも変わらず、ありがたき存在だ。



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国境の壁。

日本は島国だ。
そこに育った。だから国境はどこ?と言われても、実は正式には
わかっていない人が多いかも。自分も詳細を把握していない。
もちろん地図を見ればわかる。

国には領土、領海、領空。というものがちゃんと存在しており、国は
自国の領域を守り、ときに拡大しようとしてきた。
それが戦争に発展してしまう。

日本に住んでいると、国境についてあまりイメージする機会が
ないかもしれない。
この壁の向こうに違う国がある、このゲートを越えたら違う国。
30年以上前だったか、板門店に行ったとき、ここまでは韓国、
ここからは北朝鮮という境界線を目の当たりにしたとき、
とても不思議な感覚がした。
国境って?同じ地球、同じ地面のつながりなのに・・・と思ったが
この国境には緊張感があり、怖さを感じた。

ドイツからフランス、フランスからベルギー、オランダ、イタリアからフランス。
電車で気軽に国境を越えられるEU。とても好きだ。
国境をいつの間にか超えていたという経験はこれまた新鮮で、
まるで同じ国。通貨も言葉も、まあ英語でなんとか通じる。
人が自由に行き来できるのは、平和の象徴。
そんな時代を生きてきた。

さて、今、アメリカでは移民対策が大きな話題になっている。
国境の壁の建設。
さらに移民の取り締まりは厳しくなるという。
アメリカ側の主張はいろいろ聴こえてくるが、
一方、移民になる人達の声がどうか?
メキシコとアメリカの国境の町ティファナ。
ここまで足を伸ばしたことはない。せいぜいサンディアゴまで。
そのティファナは、かつては歩いて国境を越えられるということで観光地としても
知られていたようであるが、
今は、何十万という人達が毎日、国境越えに列をなしているそうだ。
その手続きを待つ時間を待てずに、壁を自力で越えてしまう人も・・・。
制限が今後ますます厳しくなるし、入国しても強制送還されてしまえば・・・。
まさに、命がけの国境越えだ。

なぜそんななかでも、アメリカに行きたいのか。
とある報道番組でアメリカを目指すメキシコ女性の匿名の声を
きいた。
自分の国は貧困で、治安も悪く、家族がすでに誘拐され、次は
自分の番・・・恐ろしいから家にも帰れず、国境越えを目指して
いるとのこと・・・。
自分の家にも帰れない危険な国とは、情勢とは・・・。
移民には、移民それぞれが抱える理由がある。
生きていくためには、国を超えるしかないのだ。
そういう人たちは、メキシコに限らず世界中にいる。

そんな危険に、今、自分は侵されていない。
昨日と同じように目覚め、元気に平穏無事に1日をはじめている。
一杯のあたたかいコーヒーをいただけるなんて、
何というしあわせなこと。ありがたいこと。
これを当たり前と思ってはいけない。

今も、食事も睡眠もろくにとれないまま、
国境を越えたい人が列をなす・・・。

今、私たち日本人は、平和である。
でも、同じ時間に、同じ地球上で、多くの苦難を抱えて、
必死に戦っている人たちがいることを、忘れずにいたい。

国境。
見える壁を作らねばならないことは、本当に不幸だし、
本当は、
国境なんて、なくていいと思ってしまう。
もちろん、それは現実的ではないけれど・・・。

島国で良かった点、そうでない点。
それも含め、国境について考えたい。
そして、
個人的にはボーダーレスな考え方と、行動をとる人間で
ありたい。

世界はひとつ!を目指して。

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エンジニアも営業の時代。

営業とは。
研修、勉強会をするときに、よくそんな話もしてきた。
生業(なりわい)を営む。生業とは生活を営むための仕事。
だから、生活を営むための仕事をする。ということになるか。
かなり広義であるが、営業とは、単なる物売りではないことは
明らかだ。

脱サラした頃から、ずっと親しくさせていただいていた作家の
野村正樹さんが、お元気だった頃。
「人生は営業だ!」と言われ、せっせと毎日毎日、行く場所、
会う人に自分のプロフィールや作品の紹介をまとめたビラを
名刺とともに渡しておられたことを思い出す。
本を売っているのではなく、自分を売る。自分が商品だと。
一生それを貫き、自分で作品を書き、自分で営業し、広報し、
とにかく、仕事の人であった。

自分にあてはめる。
私も同じだ。自分の能力以外、売るものはない。
だから自分という人間を知ってもらうこと自体が、営業活動と
いうことになる。
「仕事ください。」
ではなく、仕事してもらいたくなるような自分でいること、
そのように生きることが営業だと思っている。
それは、会社勤めをしている頃からも、そして独立して四半世紀
以上経過した今も変わらない。
営業とは、単にモノ売りではないのだ。

話は変わる。
最近の、ITのサービス会社の方とのチャットから・・・。
「うちの営業はモノ売りとは違うんですよね。技術を売るので、
その知識がないと、営業にならない。だから、エンジニアに営業も
してもらうというのもありかと。これからは全員営業ですよね!」
とこんな内容のメッセージを読み、自分がもともと、情報産業で
法人向け提案営業に関わっていたため、よく理解できると思った。
モノ売りではなく、お客様の持つ課題に対して、自分たちがもつ
どんな技術・表現手法でそれを解決できるのか。
まさにソリューション営業。
このことが、IT業界でも求められており、需要が増えるほど、
競争力も激しくなり、営業力も必要になる。
でも、モノ売り的な営業では、お客様の課題も聞き出せず、
その解も出せない。提案できない。

ということで、技術がわかっている人が営業をする。
エンジニアセールス。そしてコンサルティングセールス。

ということは、これまで黙々とパソコンに向かって難しい
(私から言わせれば)専門用語の世界で格闘してきている
人たちが、今度はお客様の前でも仕事する時代!

ということは、コミュニケーション力が不可欠だ。

エンジニアの営業力。コミュニケーション力。
何かお役に立てそうだ。
これまでの経験も生かせそうだ。

営業とは自分のスキルを活かし、お客様のお役に立つ仕事。
ひとり一人の生業。
そして会社の成長のためには、
全員営業!の意識と行動改革が急務である。

結局、やっぱりここでも、コミュニケーション。

そういえば、私の周りには、元気でコミュニケーション力もある
エンジニアの卵たちがいる。
頼もしい限り!一緒に成長し続けたい。


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あとで聴いてほしい曲。

そういえば、あの人どうしているかなあ。と、
時々思い出すミュージシャンがいる。
そのひとりが、「ルビーの指輪」で昭和の良き時代に
レコード大賞に輝き、一世を風靡したあの方。
もう何十年もメディアに出ていない感じだけれど
ご存命?と思うこともあったが、77歳のお元気な
姿を歌番組で拝見し、現役であることをとてもうれしく
思い、演奏をながらリスニングしていた。
バンドマンの寺尾さんは、ポールアンカなど、アメリカ
文化が憧れだった頃のナンバーを渋く歌った後、最後に
唄った曲・・・。それは、「ルビーの指輪」ではなかった。
「寺尾聡とは、『この曲』として、亡くなった後にこの曲を
聴いてもらえたらいいな」
と言って、静かに歌い始めたのが、「航海~SASURAI~」。
あ、どこかで聴いた気がする。たぶん、CMでも使われたはず。
でも、曲をメインに聴いたのは初めて。

思わず、手を止めて、その曲を聴くことに集中。
なんだかこみ上げてくるものがあり、人生終わった後に
聴いてほしいという意味が分かるような気がした。
寺尾さんの人生は、まさにこの曲自体なのだろう。といろいろ
想像し、その人生がカッコよく浮き上がってくる気がした。

曲が終わるとき、ライブで聴いているわけではないのに、
思わず拍手したくなるほどに、画面越しであるのに
伝わってくるものがあった。

自分の人生を何で結ぶか、結びたいか、どう思い出してほしいか。
わたしの人生が終わった後、どの曲を聴いてほしいだろう。
これは、明確にしておかねばならない。

と、77歳お元気な寺尾聡さんを久しぶりに見て、フィナーレにする
曲について、考えるきっかけをもらった。

私がこの世を去ったあと、
お世話になった方に聴いてほしい曲。

まだ決め切れないけれど、これまで創ってきた作品を
ぜひ聴きながら、あんな奴だったな~、観覧車観覧車と言ってたなあ
と思い出してもらえたら、それでいいのだろう。
もちろん、まだまだ湧いてくるはず。

あとで聴いてね。
そんな風に言う日が、いつか、来る。


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ネット社会の両極で

最近はオンラインでの会議も増えてきた。
その議事録もAIに助けてもらう場面もあり、また昨日の会議では
「できないと思っていたことが、chat gptに相談したら、いいアイデア
が出てきて、最近はchat gptと共同開発しているような感じです」
という発言もあり、へえ!と驚き感心。
昨年まで生成AIという言葉自体が、まだ慣れなくて、その言葉は
わかりづらいのでは?と技術の専門家に尋ねたこともあったが、
もともと、英語で generative AI 。このgenerativeが「生成する」
という意味だから、直訳でそういう日本語になったとなれば、まあ、
そんなもんか・・。
とにかくこの生成AIが今や、創造・開発・発信の場面で進出しまくって
いる脅威。先日のアメリカの大統領選挙もそうだったし、
昨日は、応援している声優さんが、ニュースで生成AIの適切な活用を
求めて発言されており、このままじゃ、声優という職業が危なくなる
・・と危機を訴えておられ、とても心が痛んだ。
と、この生成AIとの競争、共存、共生が課題の今日。

一方、ずっとネット社会で仕事をしてきた人の中にも、もう
パソコンに触れたくないという人もいる現実もあるようだ。
これからは手書きで・・・という声も聞くことがある。

ネット社会が大前提になっているけれど、常に俯瞰して
物事をとらえないといけないと、改めて思っている。
上手く使いながら、人として大切にしたいものを優先する。

何でも人が幸せになるための道具でなければならないが、
気を付けないと、よく考える前に使われてしまい、意図してか
意図せずか、人を傷つけることも。そんなことも多い。
やってみよう!の行動にはリテラシーが求められる。

今、最先端と原点回帰の両極を見ながら、
わが仕事は、くらしは、どうしていくのかと考える。
AIには創れないもの、考えられないことが湧いてくる
人間味あふれるクリエイターでありたい。と改めて。
我は人なり。人としてどうすべきか?
どこまでいっても、そこを追求し続けたい。

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見られる仕事。

ある政治家のこと。
時の人として、注目を浴び、意気揚々と話している姿に期待を持ち、
希望を見出した人も多く、ああ、なんだか日本も変わるかな。
と思った矢先に、スキャンダルで話題の人になってしまった。
涙目で謝罪をしている姿、また人前で奥さんへの謝罪のことを何度も
話している姿を見て、昨日までのヒーローとは違う印象をもってしまった。

なんだかかわいそうでもあり、カッコ悪いと思った部分もあり、
まあ、人間だからなあ。とか、昭和の大物政治家たちにもいろいろ
あったけれど、それは何かもっと違う形でささやかれていたような・・。
時代の変化も正直感じながら、そのある種気の毒なインタビューを
見ながら、結局はみんな人間だな~としみじみ・・。

もちろん政治家は公人であるので、行動もよく考えければならない。
経営者も同様であると考えるが。
でも・・・ということもあるだろうが。

とにかく心配したのは、この人大丈夫かな。
壊れないかな。というところ。

人間は多面性があると思う。
でも、やはり見られる仕事をしている人はとくに、
いつも見られている!ということを念頭におかねばならない。

人びとはなんでも面白がる。そんな話題にすぐ乗っかる。
そして、メディアは面白がらせようとネタを探しまくっている。
こういったネタを探しているメディアは何を目的にやっているのかと
思うところはあるけれど、まあ、権力の監視の一環と言いたいのかも
しれない。

いずれにせよ、人に上に立つ人は「見られている」。
政治家だけでなく、企業の経営者も然り。
前からだけでなく、後ろからも・・・。
お気をつけください。と、思わず言いたくなる。

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音は正直。

先日、久しぶりの新潟でのディナーショー。
久しぶりに共演いただくことになったゲストの尺八演奏家
の鯨岡徹さん。
スケジュールを急に入れさせていただいたので、
また対面での練習をする機会もなかったため、
当日、本番までノーリハーサルで行かねばならない状況であった。

覚悟して、6年前までの共演の様子を思い出して、あとは
以前の録音を聴いて、オンラインミーティングで確認した
ことを胸に、本番力でのりきる!と覚悟していたが、

なんと開場直前に駆けつけてくださり、20分ほどの
音合わせができた。
6年ぶりの尺八との共演。

思い起こせば、この数年、ずっとソロで活動していた私。
コロナもあり、自主公演もできず・・・。
でも、細々とできることを続けていた。
そして、今回のディナーショーでの共演。

会場全体に尺八のまっすぐな音色が響き、私のピアノ音が
それに重なる。
いい具合に、瞬時に調和が生まれる。
久しぶりになのに、息が合っている。と思った。
少し音を合わせただけで、安心する。

おかげで、本番もうまくいった。
多少の間違いがあっても、そこは、もう失敗と思わない。
観客の皆さんに、いい!と思ってもらえる世界が表現できて
いればいい。

6年ぶりの共演。
お互いに、それぞれの環境で生き延びてきた。
諦めずにやり続けてきた。
そこから生まれた音。

彼の純粋な、透明感のある音は前から好きであったが
初めて合わせた十数年前よりも、今の方がより、豊かな音に
なっている。
人のいきざま、成長は音に現れるのだろうか。
ニューヨークのトリニティ教会でのコンサートに出演したく
オーディションに誘ったことも懐かしい。
無謀な挑戦もつきあってくれた良き仲間。

「マーサ、ピアノ上手になった」
と、そういわれた。
確かにこの数年で、ピアノへの向き合い方が変わった。
40代、50代前半よりも、ピアノに近くなった。
「そう、若い時に戻ろうと思って。前よりは弾いているかな」

音に向き合う時間がある、そんな人生は改めて幸せだ。
ピアノがあると、歌を歌うと、心が洗濯される気持ちがする。
とても気持ちいい。
そして、お客さんも気持ちいいなら、なおさらうれしい。

それにしても、いい尺八の音であった。
その道に生きる、和楽器の魅力を次世代にもしっかり
伝えようとしている彼の取り組みをあらためて、応援
していきたいと思う。

音は正直で、素直。
その演奏者の内面を表す。


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終の棲家をかんがえる。

自然災害、犯罪の増加による治安の悪化。
地球全体、ここなら絶対安心!という場所を探すのが難しくなって
いると感じる。
国という単位についても、考えさせられる。
地政学的に見たら、日本はこれからリスキーな大国やその周辺の国に
取り囲まれて、どうなっちゃうの?
と不安が募る。

かといsって、今から地球の裏側へ飛び出すというのも
現実的ではないし、自然的リスクはどこに行っても同じ。

どうせならば、好きな町で、場所で最後を迎えたい。
それが、ふるさとという人もいれば、移住先であったりする
場合もある。

ふるさとを離れて住むことを選択した人にとっては
その土地への思いがより強くなる。
近くにいれば、なんてことはないけれど、離れると
思いが募る。

好きな町で過ごし、最後を迎える。
好きとは、その町の風景、自分との相性、そこに住む人々の
価値観、そこに住んでよかったと思えることがたくさんみつかる。
それらが総じて、「好きな町」になる。
京都や、東京、新潟、長崎。そしてふるさと岐阜。それ以外も・・・。
いずれも好きな理由がそれぞれある。

大きなピアノを道連れに、さて、私のこれから、どこへ?
終の棲家。
まだまだしばらくは迷っていい。
でも、そのうち、元気なうちに、
自分なりの着地ポイントをみつけ、準備をする必要もある。

好きな町。
うきうきすること、わくわくすること、ほっとすること。
安らぎを感じること。
そこで暮らす。

そして、最後まで自立した生活を目指す。
こつこつ、働く。楽しみながら忙しく生きる。

と、終の棲家探しを楽しみながら、
でも、今日が最終日かもしれないから、
今日を楽しむとしよう。


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オフライン時代を懐かしむ。

40年前は海外に行くことが非日常であった。
海外出張は、ご褒美のように言っていた人もいた。
20代でNYに行ったとき、お餞別をくれた人もいた。
その代わりお土産も・・・。
今では信じがたいが、とても特別なことであった。

海外に行くから、その間は日常の仕事ができない。
なんていって、行く前と帰国してからが大変。
行っている間に何か起きたら、大変。
当時はメールもまだ使っていなかったから、
基本連絡がとれない。という感じであった。

それに比べたら、今はどこにいても、つながれるし、
連絡がとれる。

パソコンさえあれば、世界中どこにも行ける。
相手に迷惑をかけることもせず、時差さえ
乗り越えれば、普段通りに仕事もできる。
そんなネット普及のおかげで、私も海外に出る
機会を多くつくることができた。
ネットにつながるのも、四半世紀前に比べたら
ずいぶんと楽になった。

とはいえ、印刷物の入稿など いわゆる商品の
納品のような仕事には今も緊張が伴う。
普段から海外からのデータを受け取ってやりとり
しているのであれば心配ないが、
たまたま海外に行くタイミングでそれをやらねば
ならないという仕事はちょっとドキドキ。
もしかして、ネットが突然ネットが使えなくなったら
どうしよう。災害がおきて、相手と連絡がとれなく
なったらどうしよう。
日本にいても災害がおきるかもしれないのに、
海外にいるということを思うと、リスクをかなり
考えてしまう。

オフライン時代には、海外出張先からデータを
送って印刷入稿するということはあり得なかった。
オンラインはとても便利。でもちょっと怖い。
そんなこと言っていたらクラウドはどうなんだ?
という話になるが、
今はとにかく海を越えて、無事に入稿できることを
願う。

オフラインの確実性、オンラインの利便性。
いやはや、たまに、オフライン時代が懐かしくなる
こともある。

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気が付けば、2025にならぬよう。

やっと秋らしくなってきたと、衣替えをしたばかり。
四季から二季に自然は変化。
だんだん、ゆっくり季節の移ろいを感じる、味わう。
ということが残念ながらなくなりつつある。

ある日突然、暑くなる、寒くなる。大雨になる。地震が来る。
今日も九州の大雨が気になる。お年寄りが多く住んでおられるのでは?
島での災害は・・・想像するだけで心配になる。

一方、野生の動物たちが食べ物を探して町に出てくる。
自然も大荒れ。動物たちも必死。いろんな自然界との戦いに悩まされる。

人間社会も大荒れ。
選挙も戦争も、世界の融和、平和への道のりは険しいまま。
混迷、分断、不信。

人生は観覧車のように・・・を貫きたい自分としては、
これでいいのか?と思わぬ日はない。

そんななか、自分ができることを毎日毎日を
とにかく精一杯動く、経験を積む。
意識して、いろんなことをやろうとしている。

そうこうしているうちに、2024年という1年のサイクルが
もう終盤に近付いてきている。
近所の商業施設では、今日がクリスマスイルミネーションの点灯らしい。
これで一気に、年末ムードが高まる。
なんとなく、楽しい気持ち、うかれた気持ちになるだろう。
コロナのときのあの苦しかった日々を忘れたかのように、

かつてブエノスアイレスで体感した、夏のクリスマス。
あれに近い、寒くない不思議な感覚のクリスマスが日本でも
体験できるようになってしまうかもしれない。


と、いろいろ違和感を抱きながら、
毎日を目まぐるしく生きる。
でも、
気が付けば2024年も終わり。
ではなく、今年はこれができた、まだこれができる。
と流されないで、生きた足跡を残したい。

混迷の時代。その渦に巻き込まれないように、少し俯瞰しながら
自分でしっかり立って歩き続けよう。
気が付けば、今年が終わり、になる前にできることを!


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