久しぶりにコミュニケーション研修がはじまる。
企業で働く人の育成は、とても重要で、
ひとり一人が同じゴールに向かい、ベクトルを合わせ
協力していかないと、目標は達成できない。
一緒にがんばろう!という気持ちがないと、
思わぬミスや事故につながることもある。
そのためには、日頃からのコミュニケーションが大切だ。
そんなことを、いろんな角度からお伝えをし、
皆さん同士で話し合っていただく。
普段、改めて考える機会を通じ、それぞれの存在の大きさにも
気づいていただく。
自分は、必要とされているということを感じて、職場で
力を発揮してほしい。
そんな思いで、これから数回の研修を毎月行っていく。
私からというだけではなく、参加者同士の姿勢や
モノの見方、発言から、それぞれお互いに気づきや学びが
あれば、うれしい。
講師という役割は、新たな情報や知識を提供する以上に、
参加される方が、しばし立ち止まり、考え、何かを得る
時間、場をつくることだと思っている。
少しでもそんな思いが伝われば、しあわせだ。
元気にがんばろう!と皆さんの自信とやる気につながれば最高だ。
研修は、あくまでもきっかけ。そこからはじまる。
あくまでも、きっかけ。
真実は、目の前にある。
岐阜新聞本社ロビーでのコンサート、今年の出演は昨日で無事、終了した。
主催者に問い合わせして、これまでの出演回数を教えていただいた。
37回目だった。2017年7月の出演から、7年以上・・・。
当時、東京に住んでおり、ふるさとで演奏をする場がないかと、思って探して
たまたま歩いていてみつけたあの場所。本当に偶然の出会いから、今日に至る。
父母が元気なうちに、地元での発信拠点のひとつをみつけられたことは幸いで
あった。コロナのせいで、演奏活動ができない時期も長くあったが、再開したとき
なんとか母も参加できた。
両親がいなくなってからも、この活動は止めずに続けた。
最初、心配してくださる方もいたが、ずっと応援してくださる方もいて、
また新しいお客様も増えて、毎回来ているという方、お友達を連れて
きてくださる方もあり、また遠方からお出かけいただく方も・・・。
思いおこせば、本当にいろんな思い出が・・。
昨日演奏が終わったあと、
「ほんとうに、楽しいわ~。ありがとう」
「こんないい秋の日を迎えることができて、しあわせだなあ」
「前、母を連れてきたんですが、3年前に亡くなって・・・。
あのとき、本当に喜んでいたなあと思い出しました」
帰り際に、皆さんさまざまに声を寄せてくださる。
このメッセージと皆さんの笑顔。
このとき、ああ、この活動を続けてきてよかったと思う。
人が歓び、笑顔になる瞬間を見続けていられる幸せを
かみしめる。
ささやかで、つかのま・・ではあるけれど、人が幸せになる
こと。生きていく上で大切なこと。
これが見えてくる。
真実は常に目の前にある。
匿名で無責任な、思慮に欠ける情報が拡散するなか、
そのどれが真偽であるかを見極めるのは、難しく、また
そこにパワーを割くは労力の無駄。
それよりも、目の前に起きていること、聴こえていること。
それを大切にしたい。
真実は目の前にある。
だから、たくさん経験を積む。いろんな人に会う。
易きに流れず、自力で歩く。
今日も新たな世界が見えてくることを期待して。
これからも、地元での演奏・発信活動は自分なりに
続けていく。
応援いただいているすべての皆様に、感謝を忘れずに・・・。
魂込める、マイステージ。
ずっと頭から離れない、フジコ ヘミングさんの言葉。
「魂入ってないとダメなのよ。」
技術力だけでは、音楽は伝わらない。
魂を込めて演奏しなさい。ということだ。
ご本人自身がそれを生涯実践されたと思う。
魂とは、精神そのものだそうだ。
(実は定義は難しそうだ)
魂に身体がゆさぶられるということ。
自分のすべてを現すこと。
内面から湧き上がってくるチカラそのもの。
生きていることの証し。
それが魂だろうか。
心を込めて。
さらに魂を込めて。
確かにより、存在を力強く示しているような気がする。
今日は、岐阜新聞での今年最後のステージとなる。
長きにわたり、多くの出演をさせていただいた。
いろんな勉強をさせていただき、ご縁もいただいた。
あるお客様の場合。
体調が悪いときは、次には元気になって必ず行くね。
と元気になって、コンサートに行くことが
ひとつの目標になっておられる方もおられるようで。
と、
いろんな方の日々に、少しでもお役に立っていれば
私自身、とてもうれしい。
魂を込めて。
今日のテーマは
「愛と平和とつながり」
今年のいろんな苦労や災いでの疲れを
音楽で癒し、優しい気持で2024年を締めくくれるように。
ひとりでも多くの方に出会えることを楽しみに、
さあ、魂込めて、今日のしごとを始めよう。
風にも負けず、音を楽しむ!
強風吹きやまない晴天の祭日。
今回のコンサートはなんと、屋外での出演。岐阜のクリニック主催、そして
認知症専門医療機関共催の「まちの文化祭」というイベントである。
地域との共生を目指し、クリニックがスタッフや利用者、地域の方とともに
さまざまな文化活動をお披露目、交流する場に演奏の機会をいただいた。
https://www.shadan-gifu.or.jp/inf/2114/
こればっかりは天気次第であるので、雨が降らないか心配をしていたところ
美しい青空。おまけに飛行機雲が大空に描かれて、まさに空も文化祭。
ではあるが、なんと、強風!がやまない。
そして、一気に気温も下がった朝。こんな寒くて風が吹くなか、お客さんが
来られるのかな、また来られる方にも申し訳ない。
心配しながらの開会。地元の方のマルシェ、キッチンカーの参加もあり、
また様々な展示発表もあり、病院のエントランス、屋外で文化祭は寒さに
関係なく賑わってきた。
では、私の出番。
一旦、おさまっていた風が、演奏しはじめたら、再び吹き始めた。
この写真でもわかるように、スカーフが風で広がっている。
途中、帽子も飛んで、演奏がやめられないので、主催者が帽子を拾って
かぶせてくださったり、歌詞カードが飛びそうになり、共催者が助けて
くださったり、とにかく皆様に助けられてのステージ。
風が吹こうか、雪が降ろうが笑顔でやり続ける!
寒いので、通常と違うプログラムに変更。歩きながら聴いていただくとか
踊りながら聴いていただくなどのエクササイズを入れながらの演奏に
切り替えた。すると皆さん、ノリノリになって楽しんでくださった。
コンサートが始まったときは、地域の皆さんに受け入れていただけるか
と思っていたが、皆さんにこにこ顔で、最後まで楽しんでいただき、
演奏中も握手を求めに来てくださる方や、なぜかペンライトのような
ものをもって、演奏中ずっと応援してくださる方など、皆さんとともに
創る、まさに「まちの文化祭」となった。
夏に出かけた認知症予防のためのサロン「やすらぎカフェ」で出会った
岐阜病院の先生との出会いから、今回の出演となった。
ありがたい、つながり。心のふれあい。
まちの文化祭という素晴らしい取り組みに、自分も関わらせていただき
至福のときをいただいた。
コンサートの締めに残したこんなメッセージ。
「音楽は音を楽しむこと、人生を楽しむことですね。音楽があると心が
豊かに、しあわせになりますね」。
コンサート終了後、ひとりの参加者の方に
「ほんとうに、そうですね。音楽は上手下手ではないですね。楽しむことが
大切ですね」と共感の言葉をいただき、伝わったことがうれしかった。
風は強かったけれど、そのパワーに負けない、地域のみなさまのあたたかく、
素敵な笑顔で無事に終了でき、安堵。
またひとつ、ありがたい経験。
前夜心配した、右手もしっかりいつもどおり活動してくれた。
機会を与えていただいたみなさま、ご参加いただいたみなさま、
そして、わが身に感謝。
まちの文化祭。これからも続きますように。
これは、まちの健康づくりに欠かせない素晴らしい活動だ。
今日も笑顔で、元気に。
昨日の皆さんのお顔を思い出しながら、すがすがしい朝を迎えた。
焦った本番前夜。
ゆうべのこと。
ソファで少しうたた寝をし、しばらくして目が覚めて起き上がったら、
右手に力が入らない。
こんなことは初めてだ。
さっきまで、明日の準備をし、鍵盤もいつもどおりたたいていたし、
そのあと、パソコンのキーボードもたたき、洗濯もして、洗い物も・・
すべていつもどおりに、動いていた右手が動かなくなった。
いやー、焦った。
右手に力が入らない。握ることも、書くことも、弾くことも・・・。
さすがに困った。
どうしよう。明日はコンサートなのに。しかも呼んでいただいている
初めての会場。下見も昨日のうちに済ませ、イメージもできつつ
さあ、明日がんばるぞ!という矢先に・・・。
どうしよう。
救急病院へ行くべきか?
冷静になろうと、いろいろ考えた。
いざ、手が動かないということは、こんなに困ることか。
この瞬間の、予期せぬ事態。
時計は23時前。うーん。
湿布をしながら、さらに手袋をして、手を守りながら
とにかく休もう。ちゃんと休んだら、きっと元通りになる。
どうか朝には治りますように。
祈りながら、手をこれまでないぐらいにいたわり、休んだ。
夜中に目が覚めた。
あ、戻った。
いつもどおり力が入る。指が動く。鍵盤も大丈夫そうだ。
朝食準備もできる。
そして、今キーボードもいつもどおり、たたいている。
これで、本番予定どおりいけそうだ。
歌を歌うので、喉のことはかなり意識するし、
指も包丁を使う時などは気を付けるようにしているが、
それでも、まさか手に力が入らない・・ということも
あるのだ。
休むときのポーズ、態勢に問題があったのだと思っているが、
とにかく、とにかく要注意。
手が動かない、指が動かない。
演奏者にとっては致命的になる。
何があるかわからないから、もっと身の回り、日々の暮らし方には
細心の注意が必要だ。
指が動くこと。声が出ること。歩けること。
健康であれば当たり前と思っていることが、当たり前ではないと
いうことに気づかされた。
今日も元気!
ああ、よかった。
常に不測の事態を想定しながら、でも、万事無事に進められるよう
周囲に迷惑をかけないように、心して今日を過ごしたい。
ああ、指も、声も、全部大切な私。
愛おしい、自分の体。
改めて、その存在に感謝せねばと思った次第。
動いてよかった、本当に!
この経験を忘れずに!
心厚の人になろう。
よく会話のなかで、
「心が折れる」という言葉が出てくる昨今。
先日も、とある面談で、そんなことを言われた。
きっとつらかったんだろうな。と話をしっかり
聞きながら、いろいろ改善策を一緒に考え、
こうしたらよくなるのでは、という言葉も添える。
最後に
「心は、折れへんと思うよ。心は折れるというものでは
ないと思うので、またそう感じることがないように、鍛えて
いくといいのでは?」
という言葉を返すと、何度も「心折れる」と言っていた
本人から少し驚きながらも、笑顔が見えた。
日頃から、「心折れる」という言葉が日常的によく
飛び交う。
心って何かわかっているのかな?とも思う。
身体は骨折もする。
でも、心はカタチが見える物体ではない。
自分のなかに、自分が生きる以上、内面に存在し続ける
自分そのもの。
この内面が強くしなやかであり、また広い心をもっていれば
相手の言うことをよく聞き、受け入れることができ、
お互いに良き方向に行けるように導くこともできる。
心次第で、何事も良くも悪くもなる。
折れることはない。
傷つくことがあっても、また自分の心がけ次第で
回復できるし、さらに強くすることもできる。
折れるとは、傷つくということだろうが、
コミュニケーションでは、必ずしも一方だけが
傷つくことはないと思う。
自分は傷ついたと思っていても、相手も
不快な気持ちになることもある。
ある意味、コミュニケーションはお互い様である。
ということを肝に銘じていたい。
心は柔軟な存在である。
自分を豊かにしてくれる、もう一人の自分である。
心と前向きな対話をしながら、
より自分らしく、社会と向き合えるように
前進する。
そしていろんな人に出会い、経験を積んで、学ぶ。
傷つくことや違和感も含め、いいことも悪いことも受けとめながら
どうしたらよくなる?自分も相手もよくなるのか?
と、考えられる人になりたい。
薄っぺらい心ではなく、
肉厚の心。
強い人は、心が肉厚だと思う。
しかもやわらかくて・・・。
「あなたの心は折れないよ。」
頑張る人にそう、エールを送りたい。
きっとあの人が・・・。
自転車を乗って日本中を旅して、各地の人とふれあう
番組でお馴染みの火野正平さんの訃報を知った。
若き日の活躍にも親しんできた世代としては、
おじさんになってもがんばっておられるのだ、と
個性豊かなパフォーマンスを見て、懐かしく思い、
今回は新潟か、今回は・・と、番組をしっかり見て
はいないが、馴染みの土地に行かれたのかと思うと
なんとなく親しみをもって眺めていた。
昨年か今年の初めの出来事。
京阪特急に乗って、京都から大阪に移動していた。
途中から、大きい荷物をもったおじさんが、乗り込んで
きた。
あの大きさは自転車だ。
自転車を持ち込み、電車に乗り込む初老の男性。
その雰囲気から、もしかして?と思った。
でも、直接会ったこともないし、アップでの顔は知らない
から、人違いかもしれない。
でも、自転車とあの雰囲気。
そっくりさんは、そんなにいないだろう。
付き人もいないから、違うかなあ。
誰も気づいていないし、声をかける人もいないし。
とにかく真ん前におられるので、視界にしっかり
入る。
かといって、あまりきょろきょろすることもできないが、
絶対に、ご本人だと思いながら、そしてご本人も
なんとなく気づかれているかな?という表情を
ちらつかせながら、しばらく時が経ち、
途中の駅で、その人は電車を降りて行った。
後ろ姿から、やはりそうだ。と確信した。
これまで、飛行機のなかで何人かの人に
声をかけたことはあったが、
(怖いもの知らずの若き日の思い出・・・)
今回は、若い時に知っていた姿とのギャップも
あり、また電車の中ということでの遠慮もあり
確認することもできなかったが、
私の中では、ご本人であったと今も思っている。
70代半ばでの旅立ちは、まだ早いといえる。
最後まで自転車で日本をめぐる仕事をされて
お幸せであったと思う。
出会いと発見を得られる旅が仕事なんて、
大変な体力を費やしての登板であったと思うが
充実の人生であったと想像する。
今から思えば、一言、二言声をかけたら良かった
かな。とも思うが、
カメラに写っていない素の状態の芸人さんは
ひそやかに佇んでおられる。
人目につかないように移動するのも、大変だ。
京阪特急に乗ると、これから毎回思い出すだろう。
心からの哀悼と、永遠の旅立ちを祈る。
ふりかえりの次。
先日のディナーショーの様子を録画いただき、その動画を
チェックした。
わあ、こんな風にやっているのか。
と、自分の声、話し方、手の表情、歌、ピアノ・・・。
いろんな自分の様子が見えて、恥ずかしくなったり、驚きもあったり・・・。
こんな顔して話しているのか、
こんな声で歌っているのか。
こんな風にゼスチャーしているのか。
こんな姿勢で歌って、ピアノ弾いているのか・・・。
とにかくお客様にとってはすでにおなじみ?の自分の姿を改めて
どきどきしながらチェックする。
人間一生懸命やっている時の顔は、表情はこんな感じだ。
とても恥ずかしいような・・・。
でも、いつも熱唱しているときは、お客様は私のこの顔を見て
おられるのだ。
もっとスマートな表情で、しわくちゃにならないように
気を付けて・・・とそんなこと気を付けて歌っていられない。
心を込める、とは全身ゼスチャーなのだから。
ということで、大いに振り返り、自分を認める。
そして、次は・・・。
せっかくのディナーショーなので、また記録にちゃんと
とって編集もしていただけるので、
これも当日来られなかった方にも、また当日ご参加された
けれども、もう一度見たい聞きたい、表情をもっと見たいなど
の方のためにも、試聴できるようにしよう!
ということで撮影編集スタッフと急きょ打ち合わせ。
そういえば、1年前も動画配信したことを思い出す。
あれは、無観客ライブだった。
今度はお客様がいる会場でのライブ。
ドキュメンタリー風なディナーショーなんて、ちょっと
面白い。
ということで、ふりかえりの次は新たな挑戦へ!
なんだか、楽しみになってきた。
一粒一粒、味わう能登の米。
先日、お母さまの実家が能登である知人から、ジプロックに
入った、お米をいただいた。お店で売っているのとは違い、
まさにとれたて、無印の農家直送、非売品だ。
「これ、今年母の実家でとれたお米です。地震でちょっと土が
変わってしまったかもしれないので、味はどうかわかりませんが、
でも、私が一番好きな地元のお米なんで、ぜひ召し上がって
ください」自分が一番好きなお米・・・。
そうか。この一言に心があたたかくなる。
きっと、お母さまからのお気遣いなのだろう。
ささやかな応援のお返しにと、このお米をお届けいただいた。
その思いに、心があつくなる。
元旦での地震から、10か月以上。さらに先日の雨被害。
復旧の目途が立たない、そんな状況のまま、寒い冬を迎える
人たちも多くおられると思う。
そんななか、わざわざいただいたこの米袋。
周囲が大変ななか、それでも自分たちは生きていく、食べて
いく。生きる力の結晶が、このお米だと思う。
苦労して作られた能登のお米。そういえば、生まれてこの方
石川のお米は食べたことがなかった。
彼女がそんなに好きという地元のお米。さぞかし美味しい
のだろう。
貴重なお米、と思いながら、ありがたく開封させていただき
一合を炊いてみる。
お米は品種によって水加減が異なるので、いつも食している
お米と同じでいいかどうかわからないが、まあ、感覚で。
ちょっと水が多かったかなと思いつつも、炊飯器から
甘い湯気が立ってきた。いい香り・・・。
優しい気持になり、炊き上げてから、少し蒸らして
ほんの一口をほうばってみる。
あ、甘い味。優しい味。なぜかお米をいただいた彼女の
顔が重なる。このお米が一番好きといったときの笑顔が・・。
このお米を収穫するまでに、地震後の皆さんのご苦労は
・・と想像すると、一口でお腹がいっぱいになった。
無事に収穫出来て良かったと、思っておられるだろうが
いろんな思い出が入り混じって、いろんな味がするのかも
しれない・・・。と想像する。
貴重なお米をいただきながら、今なお、大変な環境にお
られる現地の方のことを思う。
防災の専門家の方と先日交わした会話より。
「もう北陸の人には、元旦はおめでたい日ではないのです。
毎年、追悼の記念日になってしまったのです。」
ほんとうにそうだ。
浮かれていてはいけない。
最近の街中の賑わいを見ながら、そんな思いも。
しばらくこの能登のお米をいただきながら、
お米を研ぐたびに、炊くたびに、握るたびに、
北陸へのエールを送り続けたいと思う。
そして、自分ができる応援を続ける。
能登のお米、ご馳走さまでした。
どうぞ、寒さにも負けず、お元気に無事に年越しを
していただきますように。
安らぎと表情の学び。
ふるさと岐阜の本性寺にある、大仏さん。なんと奈良と鎌倉の大仏と
並び日本三大大仏。と知る人ぞ知る、貴重すぎる存在。
木材と粘土、経典を書いた美濃和紙、金箔でできているという
珍しい製法。かごを編むように作られたから、「かご大仏」と
呼ばれている。
完成してもうすぐ200年になるが、建立されるまでにも長い歳月
を要した。これを考案し、実現させたご住職たちや周囲の方々の
熱き想いと、大変な努力を思うと、頭が下がる。
なんでも、江戸後期の大飢饉や地震など災害で亡くなった方への
祈りを込めて、建立されたものだそうであるが、時代を経ても人間
の脅威は変わらないのだと、またこの大仏さんの存在も、永遠
であると思え、思わず手を合わせたくなる。
私はこの仏像の表情がとくに気に入っている。
どこの仏像よりも、好きなお顔である。
いつも、寄らせていただき、上を見上げると、なんともいえない
やさしく、おだやかな気持ちになる。
大仏さんが自身を見守ってくださっているという安心感に包まれる
のである。
「いいよ~。大丈夫だよ~」
とそんな声が聞こえてきそうだ。
また、手の表情も正式には、「説法印」というスタイルかもしれないが、
私には
「いいよ~。オッケーだよ~」
と背中を教えてもらっている感じを受ける。
(この手の件は、次回お寺で確認してこようと思う)
お顔の表情と、大きな手の表情で包まれる感じになるのだ。
以前、地元紙にもミニコラムを書かせていただいたが、数年経った
今も、大仏ファンの気持ちは変わらない。
岐阜と言えば、長良川の鵜飼、信長の岐阜城、そしてこの大仏さん。
大仏を作った仏師とは、どんな方であったのだろう。
と大変興味がわいてくる。
これからの研究課題のひとつにしよう。
慈愛に満ちた表情。
なかなか凡人にはたどりつけない境地であるが、
学びたい。
これからも、ふるさとを優しく見守り続けて
いただけるように。
そして、災害からも守ってくださるように。
と、この大仏さんに向かうと、そんな気持ちが
湧いてくる。
今も、これからも変わらず、ありがたき存在だ。