最近、改めて考えさせられた、理想の終わり方。
オランダの元首相(93歳)が夫婦で安楽死を選ばれ、手をとって
人生を終えられたというニュースを知り、つい、いいなあ。と
思ってしまった。
そして、しばらく忘れていた安楽死のことを再び思い出した。
オランダやスイスなど一部の国では、一定の条件を満たせば、
安楽死ができる。合法である。
何年か前、新潟のある女性が難病のため、安楽死を選択し、
海外に移り、その願いを遂げたというドキュメンタリーを見て
そのときも心動かされた。その方の勇気と、そしてそれを受け入れた
家族の気持ち。自分ならどうするか?を考えた。
そして今回は「夫婦で安楽死」について。
70年連れ添ったお二人、お互い相手がいなくては生きて
いけない。だから終わりも一緒に・・・。手をとりながら亡くなっていく。
なんと素敵なことだろうと思ってしまった。
残す、残されるはなし、一緒に旅立つ。
もちろん事前準備はしっかりしていかねばならない。
頭もしっかりしていなければ、この選択は難しい。
究極の終活は、安楽死だ。
もちろん、ぴんぴんころりが一番いいけれど、
いざとなったら、安楽死という選択肢もあれば・・・。
日本では認められていない。何かと生きづらい国だ。
人生の終わりまで、なんとか自分らしく生きたいものだ。
一緒に旅立つ。理想の終わり方。
父と母は、一緒ではなかったが、続いて旅立った。
最後に会えなかったから急いだのだろうな・・・。
安楽死。考えたいひとつの選択肢である。
理想の終わり方を考える。
完成しての歓びを分かち合う
今回のアルバムの音作りを担当してくださったエンジニアの
T.Iさんから以下のメッセージををいただいた。
ぜひ、マーサさんの演奏を聞いてくれた人々に
マーサさんのお気持ちが伝わり共有していただけたらと
思っております。
余談ですが、昨今、パソコンで色々とできる
時代になり、あとで修正や補正ができたりと、
我々が生きている一瞬一瞬の時間の価値(意味)が
疎かになってきていると感じております。
あのスタジオは、そんなことは無く限りなく
自分自身と向き合い、限界に挑戦するスタジオであり、
人を成長させてくれるスタジオだと思っております。
(私も日々スタジオに育てられております。)
今回、マーサさんという人の生の音をしっかりとCDに込めることが
できたと自負しております。
・・・・・・・・・・・・ここまで。
改めて昨年の11月のレコーディングのことを思い出す。
私の声を研究し、それに合う最適なマイクを用意され、
本当にいい音をつくってくださった。
早速お聴き頂いた方からはこんな感想をいただいた。
CD聴きました!最初に思ったのはとにかく音がびっくりする程良いということです。
ピアノの音も透き通っていて、今尾さんの声もとても立体的で素晴らしかったです。
・・・・・・・・
音へのこだわりが伝わって、うれしい。
モノになってこそ、やった!という歓びが沸き上がる。
ネットにアップするだけでは、やった!は瞬間で終わってしまう。
手にもって、目でみて、耳で確かめることができる・・・。
CDはまだまだ必要な作品形態だ。
完成した実感が毎日、じわじわ・・・。
いろんな声をいただき、本当に幸せだ。
まーちゃん、ごめんね。
両親がなくなってから、実家は第二の仕事場でもあり、創作場になっている。
定期的にパトロールしながら、有効活用している。
とくにピアノ。
実家に棲んでいるピアノたち。
私にとっては、まさにそんな存在だ。
それらは、今回の新しいアルバムの中でも歌っている「大きな古時計」
のような存在かもしれない。
親がいなくなってから、グランドピアノに「まーちゃん」と名付けた。
最初はマドレーヌとか、横文字にしたけれど、やっぱり自分の分身だから
まーちゃんにした。子供の頃の自分は、近所のおばちゃんたちにそう呼ばれていた。
(そういえば、アップライトにはまだ命名していないが、「まあねえちゃん」とでも
命名しようか・・・)
このピアノ姉妹?は、私が子供のころから大きな古時計のように
ずっと私を見てきている。
小学生のときまでは、アップライトピアノ。
(幼稚園のときはオルガンだ)
中学生になってからグランドピアノも入居してきた。
昔住んでいた古い自宅 六畳間に楽器がすべて置いてあった。
ピアノ2台とエレクトーン。今想像したらすごい世界だ。まさに楽器部屋。
親はどれだけ貧乏をしたことだろう。内職を毎日していた・・。
父は車好きであるが、車購入は楽器購入に消えたと母に。いつも言われていた。
その後、30年ほど前に、現在の実家に楽器たちも引っ越した。
私はそのとき、そこにいなかった。京都にいた。
いつか娘がかえってくるであろうというはかない夢で作られた
大きなレッスンでもできそうな部屋。そこに、ピアノ姉妹がいる。
実家に行くと、いつもグランドの方を弾いてしまう。
やはりゴージャスだから、そちらで弾くのが当たり前になっている。
アップライトはその傍らでじっと私を見ているのだろう。
ピアノには、演奏する前も、途中も、終わった時も
話しかけている。
そしていつも二言目には、
「まーちゃん、ごめんね。」という。
18歳で岐阜を捨て、京都に行ってしまった私はこのピアノたちを
置き去りにしたのだ。
それから35年近く、ピアノはほとんど弾かれず・・・であった。
それが急に、私が自宅のピアノを頻繁に弾くようになった・・。
一度見捨てられたピアノたちは、
なんじゃ?急にかえってきて!と思っているかもしれない。
置き去りにしていったから、ごめんね!なのである。
でも、グランドのまーちゃんは、いい音を出して、演奏させて
くれる。本当にありがたい存在だ。
このまーちゃんは、私の若き日の音楽人生を一番見てきた存在だ。
18歳の時の方がうまく弾けていたのは、まーちゃんが一番知っている
はずだ。でも、今、私はそこに追いつかねばと思っている。
マーサとまーちゃん。
死ぬまで、一緒にいたいと思っている。
それぐらい、私にとってはかけがえのない親友なのだ。
置き去りにした分、大切にしなくては。
それが両親へのお詫びと感謝の気持ちでもある・・・。
まーちゃん、そう呼ばれていた少女時代。
あまり変わっていないような、そんな気がする。
昨日はピアソラの楽譜を見ながら、所見で演奏をしていた。
クラッシックからアルゼンチンタンゴまで・・・
鍵盤に向かっていれば、勝手に指が動く。新曲も沸いてくる。
まーちゃんは、なんでも付き合ってくれる。
私の想いを音にしてくれる。最強のパートナー。
まーちゃん、ごめんね。ありがとう。
父さん母さん。素敵なお宝を、ほんとうにありがとう!
かな文字礼賛
あるお店の男性販売員の人から名刺を受け取った。
名前をみると「とも」と書いてある。
思わず「へえ。ひらがなの名前って珍しいね」
と反応してしまった。
きっとよくそう言われてきているのだろう。
「そうなんです。うちはみんなひらがな二文字の
名前なんです。あい ゆう とも です。」
「へえ、いいねえ。すごいいい名前、お父さんお母さん
よく考えられたねえ。ほんとうにいい名前だわ。大事に
しなくちゃね。」
すっかり、そのへんのおばちゃん状態で、若き販売員さん
にこんな風に話してしまった。
若い人の名前は最近、キラキラネームといわれる、当て字の
ような、正直読めない、時々理解できない名前も増えており、
昭和のまさに自分の名前のように「◌子」という名前は最近はめったに
お目にかからないし、それがいいとは思わないけれど、
読めない漢字の命名にはちょっと疎外感を感じるときもある。
それに比べ、このひらがなの名前は、なつかしくもあり、新鮮であり、
そしてなんとも漢字にはない、やさしさを感じることができ、好感も増す。
大正、明治と時代をさかのぼると、女性の名前はかな(カナ)に文字
も多かった。(最近、お墓に行くときよく墓石に書かれている名前を
観察している・・・)はな、とめ、ウメ・・・。私の知り合いにはハル
さんという方もおられる。
カナ文字の名前。改めて見てみるととてもシンプルで、親しみがわく。
名刺1枚で、相手の名前を知り、そこからコミュニケーションが生まれる。
そういう点では、私の名前は、名前自体からは会話は発展しないかも
しれないが・・・。
そういえば、先日参加したある企業の株主イベントでは株主のことを
「株主さま」と記載していた。これも、とてもやわらかいいい表現だと
思う。
日本人だから、今改めてかな文字コミュニケーション、改めて大切にしたい。
遠くから旅して、そして・・・。
ある会で全く知らない女性二人と出会った。
束の間の交流であったし、名前も連絡先も交換しない、
まさにその時だけのふれあい。
人生、こんなこともあるし、これもたまには良いもの。
その場かぎりの会話でも、十分に刺激や発見がある。
今回お話しした二人の女性は、旅がお好きなようだ。
おひとりは70代後半ぐらいか。
でも、背筋も伸びてしゃきっとされている。
「ポルトガルからスペイン、カナダ、アメリカ・・いろいろ
行きましたが、遠くから行っておこうと思って。」
アジアはもっと先で良いとのこと。
今のうち、元気なうちに遠くへ旅しておこう。いろんなことを
してみよう。
年を取ったらだんだん近くへ・・とおっしゃる。素晴らしい。
もう一人の方は40代ぐらい。
この方、留学経験もありオーストラリアなどがお好きなよう。
そして好きなブランドのホテルを世界中泊まっておられるようだ。
国内外のホテルを私もかなり利用してきたので、初対面でも話が弾む。
お二人ともリッチな人生を送ってこられている。
そう、旅は若い時に元気なときに。
コロナ前は、遠くまで行くのも平気であったのに、
今はひたすら国内をさまよっている。
コロナのせいか、戦争のせいか・・・。
今じゃなくていい、と思っているふしもある。
もちろん外に出始めたら、また止まらなくなるだろう。
思えば、ほんとうに十分、遠くから旅をしてきたわが人生。
もう思い出も、経験も十分ある。
今は、もっと違う世界に興味が向いているのかもしれない。
旅することが好きな人は、若々しい。
世界に目を向けているから、いきいきとされている。
遠くから旅をしよう。
そして、生きる限り旅を続けよう。
行っておいてよかった。と、今まで巡ったさまざまな国や場所が
いつでも次々と浮かんでくる。
束の間のマダムたちとの会話で、久しぶりに海外に出たときのことを
思い出した。自分の一つの時代を。
どこに行こうが、行こまいが、
人生そのものが旅。毎日をしっかり生きること自体が、旅をしているような
ものだと思う。
遠くから旅する、内面を旅する。
楽しみながら、今日も旅心をもって生きたい。
おばちゃんの気持ち。
母の代わりにと思っている実家の近所のおばちゃん。
母の親友であった。商売をなさっているので、今も看板娘として
毎日お店に出ておられる。
母亡きあとは、このおばちゃんによく会いに生き、母にしたように
どこかの出張土産だとか、つくったものだとか、いただきものを
持っていく。
月に2~3度はお店に寄っているかもしれない。
おばちゃんは、80代であるが、本当にしっかりもので、今も家と
お店の往復には車を運転され、お店での接客も昔どおりである。
岐阜新聞でのコンサートも、欠かさず、毎回お友達と来てくださって、
本当に母代わりのようによくしていただいている。
昨年、秋の岐阜でのコンサートにもおいでいただき、
「みなさん、喜んでみえたよ。よかったわ~」
親がいなくても、お客様が大勢きてくださったことに
一緒に喜んでいただき、
「次はCD楽しみに待ってるね」
と応援してくださる。
遂に4枚目のアルバムができたので、まずはおばちゃんにと
持っていった。行く前に電話をする。
「昌子です。CDやっとできたし、これから持っていきます」
おばちゃんは、待っていてくれた。
「これ、どうぞ。」
ほんとうは、親の代わりなので、そのまま渡して帰るつもりだったのに
おばちゃんは、財布からお金を出して、
「えっと、いくらやったっけ?」
支払いの準備をされる。
「いいて、いつもいろいろもらっているし、お母さんの代わりやで」
とお金はいらないといったら、
「あかん、あかん。これだけはあかん」
とおばちゃんは、くしゃくしゃになったお札と、小銭を私に握らせて
くれた。
これ以上言うと、かえって悪いかなと思い、
お礼を言って、そのまま握ったまま失礼した。
帰り道、お金をしまいながら、おばちゃんの気持ちを思ったら
涙が出てきた。お店で稼いだ大切なお金、おばちゃんのお小遣いか・・・。
なんだかありがたく、もったいなく・・・。
ほんとうに、母のように、CDの完成を待っていてくれたのだ。
このように応援してくださる方たちがいてくださって、
今の自分がいるのだと、思うと、ほんとうにしっかりやらなくちゃと
思った次第。
「この表紙に、ほれ岐阜城が写ってるやろ。それで鵜飼の漁火の灯りと、
きんきらの信長をイメージして作ったんやよ。岐阜らしいやろ?」
「ほー、いろいろ考えてやるなさるんやね」
今朝もこんな会話が頭の中で蘇る。
しっかり、親孝行をしなくてはと改めて、強く思っている。
人の気持ちを大切に、感謝を忘れずに今日も生きたい。
早速、ご注文いただいた皆さま、本当にありがとうございます!
Valentineに幸せ時間を贈る
Valentine。その昔はチョコレートをプレゼントするのが慣習となっていた。
義理チョコとか、今もあるのだろうか?今から思うと懐かしい。あれはあれで楽しい時代。
コロナでその習わしも変わったようであるし、デパートのチョコ商戦はすっかりギフト市場ではなく自分へのご褒美市場へと変わってきている。これは時代の変化。
まあ、昔のさまざまな思い出も悪くない。
そして、今どきのバレンタイン。
おかげさまで予定通り4枚目のアルバムもリリースでき、なんとかその当日に
Valentineコンサートに出かけることができた。
時々演奏に伺っているデイサービスの施設から、
「マーサさん、今度はいつ来てもらえますか?」と聞かれ、
「じゃあ、バレンタインにしましょう」ということで、本企画は決定。
20名ほどの利用者さんと数名のスタッフと一緒に楽しむバレンタインコンサート。
歌で、音楽で愛をみつめ、愛を育む。そして人生の先輩たちへの感謝を伝える時間。
なぜ、自分がここに演奏に行くか。
聴いてくださる人たちが、みるみる変化していくのがうれしいから。
乗り出して聴いて下さる方、動かせる手で足でリズムをとって楽しんでおられる方。
どの人も、心から楽しんで耳を傾けてくださる。この反応が私にとってのギフトでも
ある。
45分ほど語り、歌い、一緒に楽しむ。
持ち込みのキーボードであるから、十分な演奏はできないけれど、「これはグランドピアノです。そう思って聴いてくださいね」それでよし。
少し喉の調子を心配したが、気合で本番を無事乗り切った。
こんな素敵な装飾をしていただいて。前日までにスタッフと利用者さんがせっせと準備を
してくださっている。
自分のようなものが、誰かの愉しみに、幸せな時間に関わっていられることに感謝。
ということで、今年のバレンタインはアルバムのリリースとともに、愛のコンサートで
心のギフトを行う。
人に喜んでいただけることが、本当にうれしい。
「また来てね。がんばってくださいね」
皆さんが、手をふっておくってくださる。
帰り際、すでに施設のBGMに新しいCDが流れていた。
感無量の愛のバレンタイン。
みなさん、どうぞ今日もお元気で!
ふるさとに星店 発見!
昭和時代、わが幼少時の賑わいがなつかしい岐阜市の中心的な
商店街、柳ケ瀬。神田町といえば、地元の人であれば皆知っている
かつての繁華街・・。そこに最近みつけた喫茶店!
岐阜といえば、名古屋に負けない喫茶店の町であるが、郊外での出店
が多い中、まちなかの、しかも古いビルの2階にあるお店。
たまたま、道を歩いていて、好きな落語家のポスターが掲示されて
いたのが、きっかけ。
「こんなところで、落語?カフェで?2階?」
どうやら、いろんなイベントを企画したり、イベント用に貸し出しも
しているようだ。でもコーヒーやケーキにもこだわりがあるとのこと。
便利であるけれど、静かなロケーション。
さて、どんなお店なんだろう?
早速伺ってみる。その空間がとても心地よく、主人にとっての理想のカフェを
実現していると感じた。
柔軟に動かせる店内家具。ワークショップから落語会、各種ミニイベント。
いかようにもアレンジができる。ピアノがないのは残念であるが、楽器も
持ち込めば十分コンサートも可能。
店内には地元のアーチストたちの作品や告知ツールがきれいに掲示されたり、
セッティングされていたり・・・。お客さんは自由に見て、好きなように
楽しめる。
ひとりできたい店。もちろん二人でもいいが、あまりおしゃべりは似合わない
お店。かといって、決して敷居が高いわけではなく、店主は謙虚で丁寧な接客を
されている点も、心地よさのひとつ。
静かにゆったりとしたちょっと知的な時間を楽しむ。そんな空間。
店主は脱サラされ、この店を立ち上げたようだ。岐阜が喫茶町であることも
あり、自分のやりたいカフェでもって、岐阜を元気に盛り上げたいとの思いで
このお店を運営されている。素晴らしい!
手作りのあたたかい空間に、カウンターがあり、そこで店主がコーヒーを
淹れる姿もなかなか絵になる。
先日、落語会にもお邪魔し、その余韻を楽しみながら、読書時間でも・・・。
わざわざ行きたくなる喫茶店。
久しぶりにいいお店に出会えた。「星時」というお店であるが、三つ星か
五つ星かの相対的な星の数ではなく、どことも比較したくないオンリーワン
のきらり星のような存在。
地元の応援を精力的にされており、さまざまな情報ツールもおいてもらえる。
ということで、あつかましく明日発売予定のCDのフライヤーも早速置いて
いただけた。うむ、なかなか絵になっている。
時を刻む、星のような空間。
また、わざわざ足を運びたい。
どうぞ ふるさとで長く、長く続いていただきたい。
「こんぺいとう」と信長縁。
新しいアルバムができて、ジャケットを何度も何度も眺める。
岐阜城、漁火、そして信長と夢・・・。そんなイメージ
を表現した世界。
自分のなかでは、自分なりの信長の像ができてきた感じだ。
そんな折、たまたま 最近全然チェックする時間もなくなっている
Amazon primeの映画のリストを見る。
「本能寺ホテル」という名の映画をみつけ、そうだ、こんなのも
あったのだ。と迷いなくこれをすぐ視聴。
信長の終着点であるこの本能寺。どう描かれているか。前情報もなく
突然映画の世界に入った。現代と信長が生きた戦国時代がホテルを舞台に
シンクロするとても不思議な映画。
その時代の転換点に出てくるのが、なんと「こんぺいとう」。
そう、信長が南蛮文化が好きであったということはよく知られており、
そのなかでも、コンフェイトー(金平糖のもともとのポルトガル語)も
気に入っていたということは何度か読んだことがある。
その金平糖、しかも京都で以前取材もさせていただいた老舗の金平糖
屋さんのそれが映画に何度も出てくる。
金平糖を食べて、ホテルのエレベーターに乗ると、信長の時代にタイムトラベル
するというものだ。
この金平糖。実はここ1~2年、よくいただくことがある。
まさにこの映画に出てくる金平糖と同じものだ。
「はい、季節のが出ましたんで」と、京都でお世話になっている方が
よく持たせてくださるのだ。
なんだか、映画をみていたら、金平糖をいつも私に下さる方は、
信長に関係があるのかもしれぬ。とだんだん思えてきた。
なんて、そんな幻想を抱きながら、本能寺ホテルを見ながら、自分なりの
信長ワールドを再確認。
ああ、もう少し早くこの映画も見ていたら、わが組曲にも「コンフェイトー」
という曲を創って入れたであろうに・・・。
自分が出会うものが、出会う場所は、いろんな形で信長とつながっている
ことが、本当に多いことが不思議でならぬ。
歴史と自分が想像の世界でつながるとは、なんとロマンチックなこと。
金平糖を食べるとタイムトラベルできる。
おもしろうて、おもしろうて・・の
世界がまた広がる。