命日にすること、決定。

両親のことは、毎日頭にある。忘れる日はない。
生きていたときもそうであったように、今も変わらない。
もちろん今となっては話しかける相手は、写真であり、空であり、
自分の内面に対してである。悲しみが消えることはないが
それとうまくつきあいながら、心のなかで生き続ける親の
存在を見続けるようにしている。
命日という日は、誕生日と同じく重要な記念日。
仏教の世界では、二年たったら三回忌だそうで、それは昨年
終えたし、ひととおり親の希望どおりにすることはしてきた。
もうそこから自由に!と思っていた。
すでに今年のこの日は出張も入った。普通に生活しようと思って
いるので、それでよし。
でも、何かしたい、しなければ、してあげたい・・・。
と考えていたら、名案が浮かんだ。

そうだ!昨年は、命日に母の写真入り出前コンサートのチラシを
新聞折り込み。限られたエリアではあるが、母の存在を地元の人に
思い出していただくきっかけにしたい・・・と。
今年は新しいアルバムができた。しかもふるさとをテーマにした
タイトルであり、それに関連する曲も挿入している。
ということで、今年の命日は、このチラシを4000部折り込んで
見ることにする。
早速地元の新聞販売店に連絡する。
地元ならではの会話になる。「今年も母の命日に、チラシ入れようと
思います。」の言葉に販売店のオーナーさんも反応される。
そして見本にもっていったチラシをじっくりご覧になる。
親も新聞をとっていたから、新聞屋さんも親のことをご存じなのだ。
ま、親の命日にチラシを折り込むというアイデアはおかしい?とは
思うが、それでもそれが私なりの供養であり、きっと母は喜ぶと
確信している。


ネタがあるから、折り込みもできる。
と、今年の記念日はそのようにしてみよう。
できるときに、できることを。
今それ向けにチラシを少しリメイク中。
地元の人向けにしなければ!である。

ちょっと新しいアイデアが湧いてくると、なんだかわくわくしてくる。
とことん自分流でやる。それを貫く。
「それでいいやんね~。」母に話しかける。
「なんでもいいわ」と、笑っている気がする。

カテゴリー: Essay (Word) | 命日にすること、決定。 はコメントを受け付けていません

ずっと待っている、ともにある・・・。

今日3月11日。日本に住んで、この日のことを知らない人はいないはず。
あの日から13年。各メディアがさまざまに取り上げる。
どうやら、ハード面での復興は進んでいるようであるが、ソフト面が
まだこれからとおっしゃる専門大臣の声もテレビで流れた。
報道資料によると亡くなった方は一万数千人、行方不明の方が2500人
以上おられるということに愕然とする。
13年間、ずっと待っている、あきらめずに待ち続ける、でも・・・。
どんな気持ちでご家族の皆さんはお過ごしになってきているのだろう。
この数が減っていくといいけれど・・・。
もし、自分の身近な人が・・と思ったらたまらない気持ちになる。

一方、福島原発の影響で、食用ではなくなった牛たち百数十頭をひとりで
世話し続けている牛飼いの方の存在を知った。
食用ではない牛。人間から見れば、用がなくなった牛。
避難地区の牧場の牛もあずかって、その方はひとりで牛たちに毎日餌を
与え続けている。
生きる意味を問い続けながら、牛たちと生きるその姿を見ると、
大震災、津波が与えた影響について改めて考えさせられる。

津波でいのちを終えてしまった方たち。
その後、さまざまな苦労、苦痛を経て亡くなった方たち。
大切なものを失くし、その悲しみを抱えながら生き続けている方たち。
傷が癒される日は来るだろうか。
時間が解決することもあるが、風化させてはいけない。

「自然には感情がないんですよ!」
穏やかな大船渡湾を目下に、あの日を思い出しながらこの言葉を
発した知人の声がよみがえる・・・。
この言葉は一生忘れることができない。

と、大船渡の知人のことを思い出しながら、今朝を迎えた。
今日は、昨年からコンサートの予定を入れていた。
いろんな悲しみや苦悩とともに生き続けている方たちに、
想いを届けたいと思う。

心を込めて、震災後にうまれたうた「かもめりぃ」を演奏する。

行方不明の方たちに、そしてそのご家族に心を寄せて・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | ずっと待っている、ともにある・・・。 はコメントを受け付けていません

震災とサイン色紙と・・・

このサイン色紙は、私のお宝のひとつ。13年前から、実家の玄関に飾ってある。
たまたまご縁をいただいた声優さんから収録の日に、皆さんで書いたので・・と
震災直後に送っていただいたのが昨日のようだ。
番組のファンでもあったので、みなさんへお菓子を差し入れした・・そのお礼にと
書いてくださったのだ。書かれた後、あの大地震・・・。
2枚いただいた。1枚は当時やっていたラジオ番組を運営する会社の社員さんの地元が
被災されたから・・ということで、元気が出ればと思い差し上げた。
そして、1枚はこれだ。13年経った今も、見る人を元気づけてくれる。
これを見ると、まさに東日本大震災を思い出す。
そんなことを思いながら、実家に行くたびありがたい1枚を眺めている。

このたびのTARAKOさんの突然の訃報に驚いた。
この色紙にご本人のサインも入っている。残念でならない。同世代でもある・・。
アニメ界で活躍された方々の悲しい報せが続いている。
昭和の時代から、世代を越えて、私たちに元気を与え続けてくれる、素晴らしいお仕事。
地震があっても、何があっても平和な幸せな時間を与え続けてくれる。
とくに声優という仕事は、実在しない存在を見える化する、すごい仕事だ。
まさに夢の仕事。今書いているときも、主人公たちの声が浮かんでくる。

明日は3月11日。私にとってはこの色紙も、この日を思い出す貴重な存在だ。
時は流れる。でも大切な記録を、記憶を風化させてはいけない。

大変なときにも、笑いと幸せを届け続けてくれる仕事を続けてきた皆さんに心から
敬意を表し、これからもずっと応援したい。
友蔵さんの役をされている島田敏さんのおかげで、このお宝を今も持たせてもらっている
ことに心から感謝。
改めて、まる子ちゃんファミリーへの感謝と、
そしてTARAKOさんのご冥福を心から祈りたい。


カテゴリー: Essay (Word) | 震災とサイン色紙と・・・ はコメントを受け付けていません

NOBUNAGAの夢は、わたしのゆめ。

わが新アルバム「おもしろうて おもしろうて やがて・・・」
は、ぼちぼちとじわじわと?皆様にお聴きいただきはじめており、
お聴きいただいた方からは、大変うれしいお言葉をいただき、
その声を聴くたびに飛び上がりたくなる、自分に拍手したくなる、
そして本当にやってよかったな~という久しぶりの達成感に包まれ
る。頂くメッセージに涙することもある。
人生の讃歌というところに響いてくださる方が多いことは本当に
うれしい。

カバー曲も入れたことで、私をご存じない方やお子様にも楽しんで
いただいたり、長く応援いただいている方からは、新曲について
大変ありがたい反応をお寄せいただく。
岐阜鵜飼の歌「やがて・・・」、両親への想いを込めた「あじさい日記」
「空から便り」「夜想曲2021」への反応、そしてなんといっても
全国区である信長をテーマにしたオリジナル組曲「NOBUNAGAの夢」
は、大変興味をもっていただき、信長が生きた時代(はこちらは生きて
いないので想像でしかないが)だけでなく、現代にも通じる曲との声を
いただいた。
なかでも、「信長TANGO」はアルバム発売前の配信ライブの
ときから、人気が高い。これが良かったとおっしゃる方が多い。
想像、空想、妄想。この力は現実逃避ではなく、もうひとつの生を生きる
有意義な手段であると思っている。
だから、私が音楽を通じて、信長と一緒にいるひとときを勝手につくること
ができる。これが創造の醍醐味だ。

NOBUNAGAの夢を聴いたら、戦国時代にトリップできる。
だけでなく、ひとりの人間信長の精神世界を自分なりに描き、
自分とのつながりを勝手に見出すことができる。

最近は、岐阜城を見上げても、本能寺にある墓に行っても、
この曲をひとり口ずさみ、信長に話しかけるのが楽しい。
「どうですか?この曲は。合ってますか?踊りたくなるでしょう?
どうですか?信長はん」という感じで・・・。
会えない人と会えるのが創造・空想・妄想の世界。
それが次々できることが、私の夢。

だから、「NOBUNAGAの夢」は、わたしの夢そのもの。
春からは、この作品をひっさげて、彼の歩いた道のりを辿っていこう。
と、そんな妄想が次に続いている・・・。

明後日3月11日岐阜新聞コンサートでは、この組曲の一部を演奏しようと
思っている。

新アルバムの詳細はこちら
New release 2024 (mahsa.jp)
岐阜新聞ロビーコンサートのご案内はこちら
3月11日岐阜新聞ロビーコンサートです | La Grande Roue (mahsa.jp)





カテゴリー: Essay (Word) | NOBUNAGAの夢は、わたしのゆめ。 はコメントを受け付けていません

思いを綴る、決めの文具セット。

親が現役時代に半世紀近くお世話になった会社の社長さんから便りが
届く。
父の葬儀以来、約半世紀ぶりに時々交流させていただいている。

今回は、久しぶりのお手紙で、もう80歳になったので・・・、と
ひとつの節目のようなことを書いてあり、最後には父へのお礼や
私へのエールなど書いてあり、読んでいて胸があつくなった。
文末から、ひなまつりに書かれたもののようだ。

桃の節句に私ごときに、どんな思いで、この手紙を書いてくださったのか。
すぐに返信を出したい
この交流を止めてはいけない。と咄嗟に思った。
メールをやりとりしている間柄ではなく、手紙と電話という
方法でつながっている。でも、今回はお手紙ありがとうございました。
とすぐ電話をかけるような・・ではない。

そう思ったら、最近は一筆箋を多用するが、今回は社会人になって
から半世紀ほど愛用している、丸善の便せんと愛用の筆ペンを
引き出しから取り出していた。

この丸善の便せん。1枚に10行ほどしかかけない。罫線が太くて
大きな文字が書けるので、ついつい何枚にもなってしまうが、
紙の上をペンが滑らかに泳いでくれるので、自分の想いがそのまま
湧いて文字になるのだ。
そこに今回のお手紙のお礼を書き始めた。
父が背中で手紙を書くのを見てるような気がした。

気が付いたら数枚になっていた。
この便せんを使うときは、ここ!というとき。
これまで何十回もそうしてきた。
パソコンを利用することで、手紙に文字を書く機会は減ったが、
やはり紙に書くというのは、温度や気持ちも伝わり、良いものだ。

感謝の気持ちとともに、封筒に入れて投函した。

想いを伝えるには、手紙。手の紙。
やっぱりそうだな・・。
文字を書くことで伝わることもある。

書いて伝えること。
忘れないでいたい。

それにしても、あの便せん、なぜすらすらかけるのだろう。
丸善さん。どうかこの便せんは、ずっと製造・販売してくださいな。

父に感謝するということは、仕事をさせていただいていた職場に
感謝するということ。
世の中の社長さんは、社員だけでなく、その家族と歴史までを
背負う。大変な仕事だ。
ピアノを今も弾けるのは、この社長さんのおかげ・・。
だから、大切にしなくては。


カテゴリー: Essay (Word) | 思いを綴る、決めの文具セット。 はコメントを受け付けていません

永遠のわがチェルシー。

チェルシーというと、ニューヨークの通りの名前も思い出すが、
それより前より御馴染みなのは、
「あなたにも、チェルシーあげたい」
という名セリフと金髪の少女(だったはず)のコマーシャル。
昭和40年~50年代。憧れのお菓子が続々登場した時代。
その当時新しい商品は、なぜか金髪の少女のイメージ。
お菓子といえば、憧れの西洋文化であった。
そういえば、ヤマザキパンのトラックにプリントされた
かわいらしい金髪の少女。こちらは今なお、見かけることが
あるが、とてもシンボリック。
(あのトラックを今も見ると、あの少女はもうどんなおばあちゃん?
まだ存命なのだろうかと勝手な想像をめぐらしてしまうが・・・)

と同じように、チェルシーもあのコマーシャルの音声と
少女の残像とバタースコッチという当時珍しいキャンディ。
それまで日本になかった舶来品的なイメージ。
しかも味はバター、ヨーグルト、コーヒー。この3種。
おしゃれなパッケージで、人々を魅了した。
もっているだけで幸せな気持ちになれ、そこから一粒取り出し
口に運ぶあの瞬間は、ちょっとした贅沢な時間であった。
持って歩くのが、バッグに忍ばせているのが、とてもおしゃれ。
お菓子はファッションアイテムにもなった。

大人になってからも、ちょいちょい持ち運び、移動中に
チェルシー気分でセルフヒーリング。
つい最近まで、そうしていた。
ドラッグストア用にアソート袋が販売されるようになって
箱入りではなく、個包装もキャラメル包みではなく、ちょっと
味気なくなったけれども、チェルシーはチェルシーだ。
3種のスコッチを楽しんでいた。個人的にはヨーグルト味が
一番好きであるが、味のバリエーションを楽しめたのが良かった。
そして、いつしかドラッグストアだけでなく、100円ショップ用の
少量バージョンもみかけ、箱入りのチェルシーはあまり見かけなくなり、
販売チャネルごとにパッケージを変えるのは大変だなと思っていた・・・。

そのチェルシーが3月末で終売というニュースが一斉に流れた。
驚いたのはニュースの多さ。こんな大きく、いっぱい取り上げ
られるのだ。それぐらい国民に愛されたお菓子なのだ・・。
常備するようにしていたが、少ししか在庫をもっていなかったため、
どうしたらよいか考えた。
ネット検索は予想通り恐ろしく、値段が信じられないほど吊り上がった。

なくなるとなると、こういうことになるのだ。
それでも、なんとかチェルシーをもう少し楽しみたい。
ということで、なんとかわが秘密?のルートを探り、今しばらくの
在庫は確保できた。
ああ、名古屋に住んでいてよかったと思えた瞬間でもあった。

あるお店で聴くと、「チェルシーありませんか?ていう電話が
たくさんかかってきて、内はもともと扱ってないので・・・。
なくなると聞くと買って高く転売する人がいるんですよね」
正直、こういうのはあまり感心できないが、ネットはこのような
手口も広げている。

懐かしきもの。
子どものころからあるものは、ずっとあるもの。
と思いがちであるけれど、そうではない。
ある日なくなることもある。


商品とは、商売とは
つくる人がいて、売る人がいて、買う人がいて・・・。
どれかが欠けても 成立しない。
また時代の変化にあわせて対応していかねばならない企業
にとって、伝統を守り続けることは難しいときもある。
むしろ、これまで半世紀ありがとう!と思うべきだ。
いつまでもあると思うな わがチェルシー。

あなたにも〇〇あげたい。
このフレーズ、とてもいい。

昭和に生まれた大好きなものたちが、消えていくのを
観るのは寂しい限り。せめて、感謝でおくるとしよう。

チェルシーのような存在は、もしかしたら親と同じかもしれない。
親もずっといると思っていたから・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 永遠のわがチェルシー。 はコメントを受け付けていません

生きる証しとしての仕事=創造。

昨日書いた元日雇い労働者の人々を撮り続けてきているカメラマンの存在を知った
ことがきっかけで、仕事とは?についてあれこれ考える。
同時に、確定申告の時期には、自らが1年働いてきた結果が見えて、1年間経済面でどうであったかと改めて見直す。これはこれで社会人として大切なことであるが、
いくら売り上げたか、いくら利益を得たか・・が最終目的なのか?といえば、
決してそうではない。もちろん業績が良いとありがたいし、気持ちも引き締まるが
内側から湧き出る歓びとは、数字とは違う。

お金になることもうれしいし、生きていく上では大切であるが、それ以上に
相手が喜んでくれたり、感動してくれる。このために仕事をしたい。
と思う。その結果、経済が伴えばそれはそれでいいし、伴わなくても気にしない。

自分がやった仕事=創造。残した作品は、残る。
それを楽しんだり、愛用したりして、その人のよき暮らしに、時間にほんの少し
光や潤いをプラスできたら、とてもうれしい。相手が企業でも、個人でも同じ。


先日リリースした新しいアルバムを早速ご注文いただいた方から便りが届く。


♪家で、車で出かける際もCDをかけて毎日聴いてます。

曲の中に「ひまわり」の曲が入っていて、マーサさんの歌声が入っていて
驚きました。曲解説にも記載されているとおりですが、ロシアによるウクライナ侵攻で再び上映され注目されている映画で、学生時代を思い出し、地平線のかなたまで広がるひまわり畑が映し出され、あまりにも有名な映画で改めて映像美に酔いしれました。何回みても泣けます。心から平和を願ってます。
ご両親への曲、まさに愛と人生の讃歌にステキな演奏に酔いしれました。心が落ち着きます。ありがとうございます。♪

とこのように、毎日誰かが歓びの声や、うれしい感想を届けてくださる。私の曲や演奏から
人生をみつめていただいたり・・そのきっかけになっていることもうれしいこと。
毎日通勤の車内で聴いて、だいぶ口ずさめるようになりました~。なんて嬉しい声も。
なんだかその人と一緒に生きているような気持ちになってくる。

これらの声が、反応が生きた証しとなる。
生きた証しになる仕事をもっと増やしていきたい。

毎日、そんなことを少しだけ意識していたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 生きる証しとしての仕事=創造。 はコメントを受け付けていません

会いに行きたいカメラマン

今どきは、スマホで誰でも簡単にそれなりの写真撮影ができてしまう。
プロとアマチュアの差が、素人の方には一見わかりづらいということもあり、
プロのカメラマンにとっては、なかなか生きづらい時代でもある。
ほんとうは、素人が撮るのとプロが撮るのとは、雲泥の差があるのだけれど
スマホの進化、影響力はなかなか大きい。
と言いつつ、私自身は、カメラマンを生業としている仲間も何名かいることも
あり、職業としてのカメラマンには敬意を表しているし、応援もしている。

そんななか、その方の撮影の腕(技術)だけでなく、写真への向かい方というか、
撮影を通じた社会貢献というか、その取り組み自体が素晴らしい!
そんなカメラマンの存在を知り、大いに刺激を受けた。
石津武史さんとおっしゃる。もう80歳を越えておられるようだ。
少しその活動を調べてみるとアマチュア写真家と記載されてはいるが、
これこそ、プロフェッショナル!と思うカメラマンである。

その方のことはドキュメンタリー番組で知った。
大阪で活動されている方である。人や街を撮り続けておられるようだ。
今回感動したのは、
大阪で日雇い労働者の方たちや、生活保護を受けて暮らす、家族や
身寄りのいない男性たちのポートレイトを無料で撮影され続けているという
取組みだ。

年に2回、その地区(釜ヶ崎)の広場に仮設の写真館を開設され、
これまで写された写真をずらり展示され、そして撮影ブースも併設し、
撮ってほしい人は無料で撮影してもらえる。
何かの手続きに必要な証明写真用であっても、目的はなんでも
良い。とにかくプロのカメラマンが自分を素敵に撮ってくれるのだ。

ある男性は毎年、撮ってもらいに来ている。
これが遺影になるかもしれないと、そんな気持ちで、生きた証しにと
撮影してもらう方もある。
とにかくその写真に浮かび上がる表情が最高なのだ。
どんな仕事をしていても、していなくてもひとりの人間が生きている
という証しをうまく表現されている。
その一人一人の「素顔」をうまくとらえた写真なのだ。

そしてその広場では年に一度、1年の間に亡くなってしまった方たちの
慰霊祭も行われるとのことで、そこで撮影された写真が飾られることもある。
同じ地域に住む、素性も知らない仲間たちが手を合わせる。

家族も仕事もなく、ひとり老後を過ごす人たちが、
「写真は思い出やからな。」
と語る。
そして、その人たちには今は分かれ分かれになってしまった
家族たちの写真がある。大切にもっている。
写真は世間とつながるツール、思い出す貴重なツール。
写真は、ずっと幸せな時間を思い出せる道具なのである。

カメラマンに撮ってもらった写真は、自分が生きた証しになる。
「もし、わしが死んでも、この写真があったら、生きたということ
は残るから。写真はいいな」

このカメラマンのライフワークについて、
本当に素晴らしく、心から尊敬する。
撮影で人が幸せになれる、生きた証しとなる。
そんな写真を提供できるなんて、素晴らしい仕事だ。

売れているとか、売れていないとか、そういう問題ではない。
自分ができることを通じて、人の役に立つ。
ここが大切だ。
一度、ぜひ会いに行きたい。この仮説写真館もぜひ一度
出かけてみたい。

自分は何ができるんだろう?
そんなことを考えるきっかけをいただいた。
今朝もずっとそんなことを考え続けている。
好きなこと、できることで、誰かを幸せにできるのであれば
ほんとうに幸せだ。

カメラマン。
人生の証しを遺す仕事。
真の意味で、プロにしかできない仕事。いや神業かもしれない。



カテゴリー: Essay (Word) | 会いに行きたいカメラマン はコメントを受け付けていません

なつかしき新宿、歌舞伎町

思えば、新宿で暮らした23年は長い。わが人生で最も長く住んだ町、神楽坂。
ここも新宿区である。新宿は思えば広い街、ビッグシティ。
今も神楽坂界隈を公私の用事で歩くことがあるが、とにかく懐かしいことが
いっぱいある。京都につづき、私の第二の青春の町。

懐かしい新宿。最近、ご無沙汰しているエリアがある。
歌舞伎町である。もっといえばゴールデン街。
新宿歌舞伎町に新しいビルができたなどニュースで町の様子を見るたびに
ああ歌舞伎町も変わったと思いながら、あのゴールデン街はどうなったのか、
そこで出会った店のママたちはどうされているのか?となつかしさが
蘇る。

昭和の時代を代表する飲み屋さんの業態といえば、スナック・クラブ・バー・・。
世の男性は、よく通われたことだろう。新宿が華やかな時代を思い出す。
馴染みの店があるということは、仕事をする上でも大切であった。
そんなか、スナックのママさんやその仲間の皆さんとも出会い、
何十年も経った今も、細々ではあるがやり取りが続いている元ママもいる。

当時は、いろんな人をお連れしたり、そこで小さな会をやったり、またママと
公私ともにいろいろ話し合ったり・・・。
今から思えば、本当にいろんな人生を見せていただいたなあ。
今でこそ、LGBTが社会に理解されるようになってきたが、30年前の新宿には
すでにいろんな女性が新宿にはいた。声が低くて、きれいな女性。いろんな人生
を見ることができた。夜の市場はある意味、開かれた世界だったのかもしれない。

今朝、落語で飲み屋のママが出てくる作品を少し聴いたきっかけで、
新宿歌舞伎町の思い出が湧いてきた。

ママ、元気かな。今日は一度電話をしてみるか。

思えば、私は昼の世界だけでなく、夜の歌舞伎町でも社会勉強をして、育って
きた・・・。祇園、柳ケ瀬・・・いろんな飲み屋街があるが、新宿歌舞伎町は
どことも違う、独特な忘れがたき心のふるさと。

ああ新宿。やっぱり演歌が似合う町。
昭和を生きた自分には、懐かしすぎる思い出の町。

そのうち、探検してみよう。何か新しい曲でもできるかも?

カテゴリー: Essay (Word) | なつかしき新宿、歌舞伎町 はコメントを受け付けていません

空想コラボで、自分らしく生きる。

自分の生き方は、われながら、まあ自分らしいと思う。
相対的に生きたくない、誰かと比較されることなく、
唯一無二の自分として、自分ができることで生きていきたい。
と30代から、そして今もそう思い続けている。
このスタイルは間違っていなかったと思っている。

自分ができること。
大したことはできないが、少しはできることがある。
それを生きている最後の瞬間まで希求したい。
自分が取り組むテーマを思い描き、それを実践することは
意味があると思っている。
創造的な生き方につながると思っている。

周囲に環境に流され、生きていく生き方もあるが、
自分には幼い頃から、周囲への反発や違和感を感じることも
あったせいもあり、自我が早く芽生え、独立心が若いうちから
育ってしまった。それが良かったかどうかはわからないが。
哲学に出会ったおかげで、まずは疑う、考えてみるという習慣も
身についてしまった。

だから、世の中のルールとされていることでもおかしいと
思うことが多く、いつもそこには入りたくないと思う自分がいる。
それでいい。

自分らしく生き切る。
人生も間違いなく後半に来たのだから、これからもテーマを決めて、
それをひとつひとつやり抜こう。
テーマなき人生はありえない。

ということで次なるテーマは、
尊敬する人との対話。
時間、距離、歴史を越えて、人はコラボできる。
ほんのさわりであるが、ザビエル、信長、そして芭蕉・・。
みんな私の空想コラボ。

誰にも邪魔されない、独自の発想での次なる展開の模索。

小学生の頃から大好きなピアノソナタを弾きながら、
次なるテーマを考える。

そんな時間をもてるのは、幸せなこと。
自分らしく、人がしないことを思いつく瞬間を
楽しみたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 空想コラボで、自分らしく生きる。 はコメントを受け付けていません