エッセンシャルワーカーに今一度。

エッセンシャルワーカーという言葉はコロナ禍からよく耳にする
ようになった。別に新しい職種ではない。
人びとが生きていくにあたって、不可欠なお仕事である。
皆がお世話になるお仕事である。

人びとの暮らしが、いったん元通りの、日常に戻った今、
あまり聞かれなくなったけれど、派手ではない、地道な、できたら
あまりやりたくない仕事・・・こういった仕事をそう呼ぶならば、
そういった仕事をしてくださっている方たちのおかげで、この
日常があるということを忘れてはいけない。

生活のインフラは、こういった方たちのおかげで成り立っている。
電車もバスも、電気もガスも、ゴミの収集も、お掃除も・・・。
もっといえば、人の生き死にに関係する各種のお仕事・・・。
そう、医療や介護の現場で働く人たちも、もちろんあてはまる。
金融も、社会を動かすシステムの仕事も・・・。
そこが止まると、社会生活がストップする。
昨日も新幹線が止まっていたが、こういう時に復旧のため尽力
してくださる皆さん、駅で車内で対応される皆さん。本当に頭が下がる。

人々が日常を生きるために、支えてくださっている仕事。
誰かを具体的に助けている。具体的に誰かのために役に立っている。
声には出さないけれど、暑い日も寒い日も私たちの暮らしのために
努力されている人、そのご家族に改めて感謝したい。

世の中には、いろんな仕事がある。
どんな仕事も一生懸命やっておられる方は、本当に尊い。
また、誰かのお役に立てていると思えば、がんばれる。

私の仕事は・・・といえば、大したことはできていないし、
上に書いたお仕事に就かれている人のご苦労に比べたら
お恥ずかしいぐらいであるが、
誰かのお役に立っているか。そこだけは大切にしたい。
自分ができることは、たかが知れている。
そこをちゃんとわきまえること。

声が大きい人が目立つ、拡散力のある人が話題になる。
なんだか、ぺらんぺらんな感じがする。表層的な世界。
一見世の中のためといいながら、実は自分のため・・?
こういう世界とは対極に、黙って世の中を支える仕事を
してくださっている人がいることを忘れず、
周囲の働きに感謝して、自分ができることを精一杯
したい。

コミュニケーションの力で、音楽の力で
人を元気に・・・。それぐらいしかできないけれど、
誰かのお役に立てていれば、幸い。

暑い日が続く。
改めてそんななかで黙々とお仕事される皆さんに
心から感謝の気持ちを伝えたい。

カテゴリー: Essay (Word) | エッセンシャルワーカーに今一度。 はコメントを受け付けていません

変革、変革!

イギリスでは政権が交代するそうだ。いいな。うらやましい。
とつい、思ってしまう。
国民の思いが届いた結果のようで、イギリスはやはり民主主義先進国!
偉いと思ってしまう。
議会を見ていても面白い。生の討論を見ることができ、政治が身近なものに
感じられる。
一方、日本は・・・・。

今回のイギリスで起きたことが日本でも起きてほしい。
そんなことを真剣に思う。

イギリスの新党首はいわゆる一般家庭で育ち、
地道に努力を重ねてきた方。
自分でも国を動かすという大きな仕事ができると、若者にも希望を
与え、また一般庶民の感覚もわかるということで、国民からも多くの
指示を得られるだろう。
これこそが、政治。

イギリスがこれから、どんな風に変わっていくのか楽しみだ。
変革!という言葉がリアルに響いてくる。

日本でもいい影響が出るように。

今、イギリスだけでなく、フランスも変化に向かっている・・。
方向はいろいろあれど、人々の意志で変革の道が選ばれる
ということが素晴らしい。

待っているものではなく、自分から変えに行く。
そういう意味で、まず選挙にはいかねばならぬ。
今は、東京都民ではないが、明日の結果は気になる。
日本の変革につながるように、と心から願う。
しかも言葉尻、うわべではなく、地に足のついた変革を!

世界も、日本も真剣に変革、変革!みずから変革!

カテゴリー: Essay (Word) | 変革、変革! はコメントを受け付けていません

さあ、みんなで願いゴト。

「飾りつけしました!」とメールが届き、写真も添付されていた。
昨年から始めた、オフィスで内の七夕の飾り。
お客様を迎えるロビー。ちょっと季節感が出ていい感じ。
生の笹を取り寄せてもらったが、すぐに枯れてしまうそうで、
笹の扱いのご苦労も知る。そんななかで出来上がった今年
の「願いゴトの」木。

6月のコミュニケーション勉強会の時に、宿題として短冊を書いて
もらい、スタッフが笹を用意してくださり、みんなで飾った
とのこと。短冊以外の飾りも、自分たちで工夫したと聞き、
うれしくなる。

さて、書かれた短冊は・・・。「世界平和」「今年の夏は涼しいと
いいです」「アメリカに行って大谷選手に会いたいです」「おいし
いごはんを作れるようになりますように」「腕の筋肉をつけられる
ようになりたい」など、バラエティーに富んでいて、思わず、
笑みもこぼれる。
そうそう、全部大切な願いゴト。全部叶うといい!

大人になって、わざわざ短冊を書いたりする機会は少ない
かも。だからこそ、七夕の機会は貴重だ。

「みなさまも自由に願いゴトを書いてください!」
と、会社の受付ロビーで短冊コーナーも設置。
七夕らしい、とても素敵なおもてなし。子どもの

頃のように、純粋な気持ちで願いごとを書いて、飾る。
見える化すれば、叶う。きっとそうなんだろう。
ということで、自分の願いゴトも飾ってほしくなり、
今すぐ行けないので、代筆をお願いした。
(代筆の願いゴトとは聞いたことがないけれど?)

今年も七夕の季節。全国で祭りも開催される。
これは、中国からはじまったという説もあるようだが、
このように日本らしい形で、これからもずっと長く
息づいてほしい。

そうそう、七夕はまたの名をサマーバレンタインという。
と、台湾に通っていたとき学んだことも今は懐かしい。
素敵な週末になるように。

カテゴリー: Essay (Word) | さあ、みんなで願いゴト。 はコメントを受け付けていません

寄り添う歓びと、心の観覧車。

コミュニケーション クリエイター。
四半世紀前に考えた自分の職業名。
どこまでいっても、比較されない、競合しない、
絶対的な自分として生きたかったため、
35歳手前に、自分を棚卸した結果、生まれたコンセプト。
これはこれで、とても良かったと改めて思う。

コミュニケーション クリエイター。
La Grande Roue
人生は観覧車のように生きる。
コミュニケーションの力で、世の中を元気に幸せに。
その軸、黒子、つなぎ目になれたら・・・。

この思いは、今もまったく変わらない。
いわゆるコンサルタントといわれる従来の職業を越えて、
いわゆるミュージシャンとしての既存の枠を超えて、
両者を融合させながら、人生は観覧車のように・・を体現
する。

改めて、我ながら、有難い仕事をみつけた、つくってきたと
これまでを、ふりかえる。

そのなかで、最近とくに感じるのは、
寄り添える幸せだ。

仕事で出会う、様々な人と交わり、そして必要な場合、相手に
とことん寄り添い、一緒に課題を解決していく。
この有り様(ありよう)が、現在の自分流コミュニケーションクリエイターの姿。

社長さんから、新入社員まで。若者からお年寄りまで。
業界、業種も、地域も越えて。
出会った人がみな、ご近所さん。そんな気持ちでそばにいる。
「そばにいるよ!」
そんな気持ち。

20代から90代の方々との交わり。
それぞれが生きてきた、生きていく世の中を想像しながら、
目線をあわせてのおつきあい。

寄り添い。寄って、添う。
ここには細やかなコミュニケーションが必要だ。
周る観覧車が多くの軸で支えられているように、1本の柱だけで物事は
進まない。

さあ、今日も元気に、わたしの心の観覧車を回すとしよう。
(写真は、以前パリで撮影した 夜のLa Grande Roue)

カテゴリー: Essay (Word) | 寄り添う歓びと、心の観覧車。 はコメントを受け付けていません

まだ見ぬ人の無事を願う。

20年ほど前、台湾はじめ上海、香港へ出張に出かけた当時のこと。日本とは違う衣食住文化に触れ、エキゾチックな気分を満喫していた。同じアジアでも日本とは違う!というワクワク感があった。そのなかで、日本では見かけないアパレルチェーンをみつけた。アメリカでいえばGAP、その後の日本で言えばユニクロといったファストファッション。もちろんユニクロはすでに国際ブランドに成長して久しいが、当時、出張先でみつけて日本になかったブランドが「ジョルダーノ(giordano)」。
最初それを見つけたのは、台北の街中であったが、その後、香港でも、上海でも、ソウルでも・・。最近は日本でも購入できるようであるが、当時日本には店舗がなかった(上陸を試みたようであるが、撤退?)
とにかくアジア各国で、もっともみかけたファッションブランド。ほどよくおしゃれで安価。庶民の味方というイメージ。まさに四半世紀前のアジアのファストファッション。

最近、その創業者が香港の民主運動を推進した新聞社の創立者でもあったということを知り、ショックを受けた。
よくメディアにも登場してきたジミー ライ氏。
ネット版では香港で最も読まれていた新聞は、廃刊となってしまい、その新聞社も今は・・・。

この創業者は無一文から勤勉に働き、若い頃に起業し、財を成したあと、世の中のために
役に立ちたいと、自由のためにメディアの世界に。天安門事件がきっかけであったようだ。
香港の歴史とともに75余年生きてきた人。時代の変化のなか、自由を求めて戦ってきた
人、今も戦っている。

今、この方の命が心配だ。
自由と弾圧。

お会いしたことはないけれど、解放されて自由を取り戻し生きられるように、
と香港の風景を思い出すたびに、会ったことのない人のことを思う。

見ぬ人のことを思い、願う。
そんな人がたくさんいるこの世界。
自分ができることは、祈り、願うのみ・・でふがいない。

どうにかならないのかと 思えることが
多すぎる世の中。
まずは、目の前のことで日々誠意をつくり、全力で
生きるしかない。
見ぬ人たちの無事を祈りつつ・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | まだ見ぬ人の無事を願う。 はコメントを受け付けていません

「水になれ!」に背中を押される

香港の大スター、ブルース・リー。
単にカッコいい、カンフーの名人俳優かと思っていたら、
立派な哲学的思考をもった教養人であることを、先日知った。
アジア人、アメリカ人の血をもち、アジア人のアイデンティティを
探し求め、いきついたのがカンフーだったそうで、
それは単に武術としてだけでなく、まさに精神を鍛える修業であった
ようだ。
そして、その学びは、彼の生き方に大きな影響を与えた。

水のような存在になれ。
水のごとく、生きよ。

これが、ブルースリーが残した言葉だそうだ。

水は入れる容器によって、どんな形にもなる。
そして一定のところにはいない。
常に流れる。止まると腐る。
そして、水は、ときに石をも砕く強い力をもつ。
だから、
水のように、生きろ。

心が震える、思わずガッツポーズをとりたくなる
名言。

今も、自由を求め戦う香港人は、その言葉を胸に抱き
がんばっているのだそう。

私もそうありたい。

水のごとく生きる。
しなやかに、強く、決して流されず。

カテゴリー: Essay (Word) | 「水になれ!」に背中を押される はコメントを受け付けていません

なんでも老々の時代へ。

コンサートの依頼が増えてきた。
嬉しい限り。
出前コンサートのチラシの効果があったかどうかは
わからないが、お年寄り向けのイベントへの依頼が
多い。というか、世の中全体が、高齢社会になっている
ので、それも自然なことであるが。
敬老の日に行われる地元の敬老会のコンサートの打ち合わせ。
お電話をいただき、その後ショートメールでのやりとり。
あ、メールをされる方であれば、まだお若いかも?
そして、昨日は顔合わせ。
お世話役の方3名様とお会いする。
敬老の日のイベントも、高齢者の人数が多すぎて、
今はなんと、80歳の人を対象に。ということらしい。
へ?80歳だけの限定イベントなんて、対象者が少ないのでは?
とたずねると、そうでもない。
案内した人全員が参加されたら主催者含め200名以上になる。
自分が子供の頃の敬老会は、対象年齢も65歳以上とか、70歳
以上とかそんな年代からの参加を呼び掛けておられたはず。
年金もそうであるが、敬老会の招待年齢も引き上げである。


それにしても、80歳の方にイベントに来てもらうのも一仕事。
足の問題がある。
免許返納された方が多いので、外出しづらい。こういう方に
どうするのか?
気が付けば、コンサートの打ち合わせ以前に、敬老会の集客に
ついて、チラシの作り方や広報の仕方に一生懸命アイデアを
出している自分がいた。
どうせやるなら、ひとりでも多くの方に来てほしいから。

今回のお世話役のみなさん、72歳の同級生だそう。
まさに小学校、中学校の先輩だ。
一昔前ならば、まさに敬老会に招待される側の人たちが、
今は主催者側で奮闘されている。

なんでも、老々の時代になってきたことを実感する。
身体の変調を抱えながら、まだ元気で意欲がある方が、
地元のさまざまな支援活動に取り組まれている。
そのことに頭が下がる。

今回のイベントの会場は、自分が通っていた小学校
の体育館。
半世紀ぶりに立つ体育館のステージ。
ふと卒業式のときのことを思い出す。
今度は、そこで地元の先輩のみなさんへ音楽の
贈り物。
きっと、両親も喜んでくれるだろう。

日頃の仕事の現場で感じることが少ない老々。
一歩外に出ると、これが今の地方の実態。
まだまだ自分は中年である。
ある政治家が昨日インタビューで、ヤングオールドとか
う言っていたが、オールドはなし。
まだまだ若い。
担う側にいなければ!と思った次第。

カテゴリー: Essay (Word) | なんでも老々の時代へ。 はコメントを受け付けていません

自由を求め続け・・。

香港の100年を題材にした映像を見て、常に自由を求め続ける
香港の人々の歴史に触れ、胸がいっぱいになった。
(と、同時に、日本がしてきたことも・・・。)

自由・・・。
今の自分は、自由に生きていることに感謝しなければ。
と心から思う一方、
まったく自由かといえば、そうでなく、無言で戦って生きてきた
ともいえる一面も。

自由になるように、厳しい道を選んできた・・とそんな
大げさなことはしていないが、とにかく自由であることが、
一番人生のなかで大切であると思い、そうなるように生きて
きたつもり。

たとえば、選択制夫婦別姓の問題。
いつまで、言っているんだろう。
モノごころがついてから、ずっとおかしいと思ってきた
この問題。
今の日本では結婚すると、不自由になる。
自分らしくなくなる。名前をなぜに変えなければならない?
と本気で思ってきたから、
変えなくていい生き方にこだわってきた。
その方が自由に生きられると思ったから。

結婚は法制度であるので、個としての人生の本質とは
関係ない。と思い続けてきた。
結婚しなくても、しあわせのかたちは、創ることができるし
今、まさに自由に自分らしく生きている。
もちろんデメリットはあるが、別にそんなことは大したことはない。

大切なことは、自由に生きること。

ふたたび、香港のこと。
自由で輝いていた、憧れの地、大好きなテレサテンも愛した香港。
九龍と香港の島間を往来していた、あのスターフェリーの姿と
美しいビル群の景色が懐かしい。
限りない夢と可能性を感じた香港。

残念ながら今は・・・。
でも、ずっと何者かに圧力をかけられ続けてきた香港の人は
負けずに生きている。生きるはず。
水のように柔軟に、自由を求め、生き続けるはず。
心から応援している、香港の次の道・・・。

自由が一番の宝。
おかげさまで、多少の不便があっても、今の自分はとてもとても、
自由で、しあわせだ。

そのことは、決して当たり前ではないことを、かみしめたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 自由を求め続け・・。 はコメントを受け付けていません

忙しくなるSEPTEMBER

BERが語尾につく月になると、牡蠣がおいしくなるんだよ。と教え
られた中学生の頃。
果たして、この地球高温化(あえて、温暖化ではなく)の今日も
同じだろうか。きっと違うだろう。
昔は、秋の訪れを感じるうれしい9月であったが、今はまだまだ
戦いの残暑。

その9月、今年はなぜか忙しくなりそうだ。
なんと、珍しく、1か月で5回のステージがありそう。
その規模、長さ、対象、目的はすべて異なるが、急に9月の
演奏依頼が舞い込んできた。ありがたいこと!
企業、組織の周年、定例のコンサート、敬老の日、お彼岸・・・。
連日出演という週もありそうだ。

なぜ、急に9月に?
9月はグラン・ルーのアニバーサリー。17日には27年を迎える。
私にとっては、おめでたい月。
なんだか、今回は記念すべき新しいスタートになりそうだ。
新たな出会い、長いおつきあい、意外な展開・・・。
とにかく、ご依頼をいただけるとは、大変ありがいこと。

思いがけないチャンスを多くいただけ、うれしい限り。
出前コンサートが意外と違う展開で広がってきているような。

今年の夏は、暑さに負けていられない!

カテゴリー: Essay (Word) | 忙しくなるSEPTEMBER はコメントを受け付けていません

後輩の旅立ち。

今年2024年前半もそろそろおしまい。
なんと時間が経つのが早いことか。

会社員時代の後輩が、今日をもって卒業。
そして起業に向けての道を歩み始めるという。

自分の25年前のことを、くっきりと思い出す。
会社員最後の勤務日のこと。

最終日まで、得意先へプレゼンに行き、
そこで
「今日で私、会社を退職します。今日が最終日です」
といったときのお客様の反応が今も浮かぶ。
ほんとうに、今日でやめるのかなと思いながら過ごした最終日。
そして、最後は今とは違う、昔の京都駅のホームでの壮行会。

上司や部下たちが、送ってくれた夜行列車までの時間。
(なぜか新幹線ではなく・・。)
花束をいただき、駅のホームでみんなで撮影した1枚も懐かしい。
別れたあとの車内での脱力感と、達成感と・・・。

と、今朝そんなことを思い出した。
後輩は希望に満ち、まさに満を持しての今日であると思う。
彼は、今朝どんな気持ちかな。

昨日くれたメッセージは
「最後までつとめあげて、卒業しますね」
大人になったなあ。成長されたなあ。
新入社員の頃のとてもヤングだった彼を思いながら、
今日はなぜか自分も胸いっぱい。

終わりよければすべてよし。
まずは、今日が最高の最終日になるように、心から応援したい。


カテゴリー: Essay (Word) | 後輩の旅立ち。 はコメントを受け付けていません