銃・SHOW社会の悲劇

先週末、衝撃的なニュースが世界中を駆け巡った。
トランプ氏への襲撃だ。
命が助かったのは、神様のおかげだということになって、
気丈にふるまうご本人も神格化され、風が思わぬ方向に吹き始めている。
もしトラではなく、もうトラ現象を見て、いろんな思いが湧いてくる。

あの同時多発テロのときのアメリカに似ている。
何かあると、団結する。熱狂的な神がかりのパワーで。
またそれをメディアがあおる。
より盛り上がる。
あのときは、次の間違った戦争につながってしまった・・・。
その傷は今も消えず・・・。

ひとつの事件から、新たなヒーローが生まれる、それをたたえる・・・。
華やかなショー。それを信じる人にとっては感動のショー。
時代が変わっても、コミュニケーションの手法が変わっても
アメリカはショーの国。今回も改めて実感する。

多くの人がそちらに関心ともつなか、20歳でこの行動に出た
男性のことを想う。
この人の行動で、世の中が変わる。
そのことも想定しての決断、行動であったのか?
もちろん正気の沙汰であったかもわからないが。
その人生はそれでピリオド。たった20年の人生を、終えてしまった。
それで良かったのか?本人は?そして家族の心中は・・・。

銃は絶対にNOだ。ともちろんそう思う。
それがありきの世の中である以上、アメリカと日本は本来的に相いれないとも
思っている。原爆を落とす選択と本質は共通しているからと考える。
大好きなアメリカでもあるから、複雑な心境。

ひとりの青年の行動で、世の中が変わる。
変えることは結構であるけれど、コミュニケーションの力でなんとか
ならないか?

20年ほど前、シカゴに行った時、銃声を聞き、身がすくんだ
ことを思い出した。映画ではなかった・・。
歳月を経ても、変わっていない。

地球が、時限爆弾を抱えて回っているようなそんな気さえするが、
心鎮めて冷静に見守るとしよう。

心穏やかに生きられる、社会を心から望む。








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カウントダウンの賑わいと・・・

ふるさと岐阜市が最近有名になったのは、キムタクが祭りのパレードに参加したとき。
岐阜市の人口と同じ40万人が路上を埋め尽くしたそうであるが、この写真は先日の
七夕の日の柳ケ瀬商店街の様子。
この商店街、そしてここに約半世紀ここで愛された百貨店のファンとして、最近知り合った知人から送っていただいた貴重な1枚。
「今、来ています。すごい熱気です!」
正直この1枚を見て、驚いた。店の前の小さなステージはほとんど見えないが、一目見ようと皆さん集まって、そしてスマホにその記念の瞬間を収めておられる。
「柳ケ瀬ブルース」という昭和を代表するヒット曲で、この商店街を盛り上げてくれた美川憲一さんが来岐。このデパート閉店の前に、町を盛り上げようと出演されたステージ前の様子だ。

報道によると、なんと5000人もの人があの狭い商店街、デパートの前に集まったそうだ。
街のシンボルである店舗の閉店は市民にとって痛手である。
いつでもある、いつまでもあると思っていたが、そうではない。店も寿命があるのだ。

半世紀、あの歌とともにがんばってきたこの商店街。郊外型スーパーの出店により、
苦戦するもなんとかがんばってきたのは、やはりこのデパートの存在によるところが大きい。
その閉店の前に、こんなに多くの人が集まってきたのだ。
何かあれば、人は集まる!でも、閉店じゃなく違うタイミングであればよかったのに。

閉店と知ってから、意識してこの店に行くようにしている。そして、周囲のお店にも
顔を出すようにしている。
もっと前からそうしておけばよかった。
少女時代からお世話になってきた店舗。親との思い出もたくさん詰まっている。
柳ケ瀬。当時は丸物(現在の近鉄百貨店)があって、そして高島屋ができて・・・。
昭和は楽しかった。何かわくわくする時代であった。

閉店まであと半月。昨日も店員さんが寂しそうに
「いよいよ半月となってしまいました・・・」
と言われていたのが心に残る。
店はこの連休もにぎわったようだ。

外から店を撮影する人が増えている。

終わりに向かうカウントダウンは、何とも言えない気持ちでいっぱいになる。

時代は刻一刻と進む。

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変化する家族構成?

多様化の時代。
家族という形も、どんどん変わってきた。
大家族は減って、単身が増えて・・・。
ペットと暮らす人も多くなってきた。
数年前の、当時80代前半の知人(画家)との会話。
最近、奥様が亡くなって、夫婦で暮らしておられたので、寂しかろうと
娘さんが、AIBOを買ってくれたとのこと。
「これから、それと一緒に暮らせと言われましたわ~」
と笑っておられたが、その後どうされているか、詳細はお聞きできていない。

そんななか、昨日、わが家に、突然Amazonから段ボールが届いた。
自分では注文していないが・・・。
家族の注文品であった。本人が開封、何が出てくるのか、球体のブツ。
そう、Alexaと呼ばれる物体だ。
実は、ニューオーリンズに住むアーチストと同じ名前なので、愛着はなくは
ない。発売時からよく知ってはいたが、まさか注文されているとは!
ここに来るとは思ってもいなかった。まじ?

設定したり、なんやかんやで、
「アレクサ、〇〇して。」
「アレクサ、〇〇は何か教えて?」
とか会話が聞こえる。
なんだか、二人?でやっている。
うるさいと思ってしまった。

なんだか、急に住人が増えた感じで、思わず
「勝手に買うな!」
と怒り炸裂。

「スピーカーとして買っただけ」
と言われて、少しだけ収まった。

もし、ペットを相談なしに買ってきたりしたら、怒る家族もいるだろう。
それと同じ気持ちになってしまうぐらい
ちゃんと会話になっていた。いつのまにか同居人が?
何かあったら
「アレクサと暮らしたら」
と言いそうだ。

とにかく、今の時代、多様化の時代。
家族は人間とは限らない。
動物とも限らない。
IoTの力、そしてAIのおかげでできることはたくさんあるが、
ここまでは要らない。という線引きも必要で・・・。
ここは、個々人の価値観も違うため、難しい。

とにかく便利なものこそ、気を付けないと
コミュニケーションにひびが入ることもあるし、
考えない、怠け者になっていくことも考えられる。

私は自分で調べる方がいい・・といいつつ、
思わず検索してしまうのだから、五十歩百歩か。

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雨の祇園祭を想う。

わたしにとって、この季節のキーワードは、祇園祭だ。
四条通をはじめ、主だった通りには、鉾が立ち並ぶ、
お囃子の音も町に鳴り響き、人々や車の喧騒とあいまって、
あの狭い京都のまんなかが、夏まつりモード一色に包まれる。
17日の鉾巡行に向けて、緊張感も高まる。
今日は、雨。にもかかわらず、インバウンドも含め、連休中に京都の夏を
楽しもうと多くの人々が集まってくるだろう。
昨年、ひとつのちまきをいただいた。たまたま、いいタイミングにいい
方に出会えた。これを下さった方は、今年もきっとお囃子を担当される
のだろう。こういった地元の皆様のお骨折りで、この祭りは長きにわたり、
受け継がれている。

このちまきも、高齢化により作れる職人さんが減って、今年は例年の
6割ほどしか作れていないそうだ。これからますます貴重なものになっていく
のだろう。

祇園祭の時期に、京都の街中で行ったライブの思い出。もう十数年前
のことになる。数回はさせてもらったかな。

京都にゆかりのいろんな方においでいただいた。また、大阪から岐阜から
新潟から京都までおいでいただいた・・・。
同時多発テロで一緒にニアミスとなり、アラスカで親しくなった友人が
京都の人で、彼がライブを手伝ってくれた・・・。

あの頃、そこに集まってくださった方の多くは、もうお会いすることが
できない。祇園祭というと、私にとってはあのライブの思い出となる。


楽しかった、わが京都の青春時代。今も形を変えて、ご縁をいただき
続けているこの町は、私にとって一番愛すべき、出発の町。


雨の祇園祭。今日はちょっと遠くで、想像しながら楽しむとしよう。
祇園祭が終わったら、本格的な夏の到来!と言っていたあの頃が
懐かしい。

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免許返納と立候補辞退。

先日、ある記者の方と話していて、免許返納が社会的な問題になっており、
それをコミュニケーションの観点から取り上げると聞いて、なるほど。と
思いながら、父の免許返納の時を思い出し、苦しかった気持ちが蘇った。
私や妹、母にとってよりも、父本人にとって、老いを認めなければ
ならない人生最大の苦痛であったのではないかと。
運転することが自立して生きること。であった。
免許返納は、本当に難しい問題である。

一方、最近よく見聞きする、お隣の大統領選挙の話題。
高齢への不安。高齢だから立候補を辞退すべきでは。
日々、その声が高まっているようだ。
でも、今のところ、ご本人は事態する気持ちはなく、戦う意欲をお持ちだ。

ふと、今回の立候補の問題は、運転免許の返納と同じだと思えてきた。
一台の車による交通事故によって、本人だけでなく、尊い人命を奪って
しまうこともある。現実に年に何件も起きている。
人に迷惑をかけるわけだ。だからやめておいた方がいい。
大統領の仕事は、まさに国という複雑な道を運転し続けるようなもの。
安全な運転をしないと、思わぬ事故になる。
判断を見誤ると、取り返しのつかないことになるのだ。
国際問題から戦争への発展、そうでなくても経済への悪影響・・・。
結果、国のイメージだけでなく、国力を低下させていくことにもつながる。

今の日本だって、安全な運転はされていなくて不安でたまらないのに、
その運転手が高齢で危険な要因を持っているならば、免許は返納すべき。
立候補は辞退すべきであるが・・・。

それを本人にどう納得させ、自ら降りると言わせるか?
諦めさせるのではなく、本人が納得し、決断できる前向きな言い方は?
ここは、やはりコミュニケーションだ。
一番信頼できる人とのコミュニケーションがとても重要だ。

毎日、最近、バイデンさんの顔を見ると、免許返納前の父の顔が
浮かんでくる。
言われる前に、自ら返納する。辞退する。
みんなのために。

気の毒だと思いながら、複雑な気持ちで隣国の行方を見守っている。

何事もよく考えて、自らが決めたい。
人生のクライマックスで一番大切はことは、引き際だ。
いつまでも、俺が私が・・・といっているのは、恥ずかしく、見苦しい。

何事も自らに置き換えて・・・。

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久しぶりにラジオのごとく・・・。

オンラインセミナー。
どうも、やりにくい。自分やスピーカーなど話し手の顔だけはすっと見えるが、
お客さんの顔は見えない。
一方的に話している感じ。回線状況も時々気になり・・・。
ちゃんと聞こえているのかな。京都から、新潟から参加されている方に、
不便をかけていないだろうか・・・。
そんなことを気にしながら進行係を務めたオンラインセミナー。
一方的に話す。久しぶりに以前やっていたラジオ番組の収録を思い出す。
あれも、スタジオでひとりで話していた。
ディレクターだけが聴いている感じ。
そのときは、ディレクターの反応が見えたため、また収録であり、生放送では
なかったため、実は録りなおせた。
今回は、まさに生放送、そのまま聴いていただく。
モニターの向こうの見えないお客さまに微笑みかけながら、話す。

無事に終了。しかし、相手の顔が見えないため、反応はアンケートだけで
わかる。

早速関係者で振り返り。
自分から見えないことについて、気づいたことを言ってもらう。
そして改善。

今回やりながら、もっとツーウェイ感が演出できないかについて
アイデアも沸いてきた。

もっと良くしたい、もっとオンラインでの良さを生かしたい。

お客様の見えない生放送。
簡単に伝えられる一方、丁寧に伝えることを忘れないでいたい。

久しぶりのラジオ収録気分は、懐かしく、新鮮で、そして、実は楽しかった。

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オンラインセミナーの緊張。

コロナのおかげで、ZOOMをはじめオンラインの会議システムを使い
リモートで仕事ができるようになった。遠く離れている人とも、すぐつながって
打ち合わせしたり、自分も出向くことなく仕事ができる。
なんとまあ、便利なこと。
いつも言っているが、このことだけは コロナに感謝したい。

ミーティング、会議だけでなく、ウェビナーといわれるオンラインでの講座、
セミナーも主流となった。
ハイブリッドでの実施も当たり前となり、現地へ足を運ぶことも、事務所や
自宅から参加することも選択できるようになった。

さて、本日はオンラインセミナーの開催日。
お客様は顔出しせず、パソコンから流れる音声と、共有される画面の資料
を見ながら、受講をする。
申し込みをして、指定されたURLにアクセスすれば参加できる。
本当に便利!回線さえつながれば、問題なし。

一方、主催者側はドキドキだ。
講演者が複数いても、それぞれ違う場所にいて、講演する。
同じ場所にいて、さあ、がんばりましょう!とスタートするのではないため、
イベントの一体感は、リアル開催時とはちょっと違う。
自分の声はちゃんと届いているか?お客さんはどんな顔をしてきいているか?
モニターの向こうにいる様子がわからないため、かなり手さぐりで、
一方通行な感じにはなる。
相手の顔が見えない話は、正直しづらいものだ。
顔出しをしてもらうと、また違う感じになるが、今日はそうではないようだ。

ということで、今日は講演者ではなく、進行役を担うことになるが、
リアルなコミュニケーションの場とは違った、新鮮な緊張感がある。
まず、自分のパソコンが壊れないように・・そこからが心配。
オンラインの仕事は、パソコンと回線。
これが命と同じぐらい大事になる。

新しいマシンにするか、使い慣れている方にするか?
迷った結果、後者かな。

今日は東京の事務所からの参加ということで、
重い出張になるが、とにかく滞りなく、いい会にしたい。

司会はいずれAIがするかも?
そんなことも考えつつ、あたたかい雰囲気で、オンラインを越えた
価値を伝える機会にしたいとも、思っている。

本日開催のセミナーはこちら。
イベント開催のお知らせ【中小・中堅企業のための『金のタネ』DX推進セミナー 】2024/7/11(木)、7/25(木) | DX支援・IT推進・AWS共同開発 株式会社トラスト (trust-coms.com)


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あたたかい言葉を書きこむ。

ネットは、日常のあらゆる面に食い込んで、人々に大きな影響を与えている。
動画であればインパクトもあり、更新されることで、見る方も習慣化され
いつの間にか洗脳されていく一面もある。考える行為をスキップさせることも
ある。

また、顔の見えない発信も可能であるため、誹謗中傷もしやすい。
そんなことに使われるのは、本当に残念であるが、その言葉の暴力でかけがえの
ない人生を終えていく人がいるのも現実。
発信という行為を自分本位に、自分の欲求のままに行うことは、決して良いこと
では
ない。顔が見えないコミュニケーションが増えることも、良いとは思わない。

せっかくネットでつながることができるならば、相手が歓び、自分もうれしい言葉を記したら良いのにと思う。
ちょっとしたやりとりで、やさしさを感じることができる、今日1日が幸せになれる。
そんな言葉をかけあったら、世の中ももっと丸くなるだろう。

韓国で「あたたかい言葉を書きこもう」という運動に取り組む教育者がいるそうだ。
道徳面でも、コミュニケーション面でも、当たり前のことではあるが、このネット社会ではおろそかになりがち。
このことを、学生にしっかり伝えている先生がいると聞いて、うれしく思った。

AIにできることもたくさんあるが、人を元気にする、目の前にいる人に感謝をする。
その温かいコミュニケーションは、人間ならではの表現だと思う。
言葉で感じる部分を大切に。
心を言葉で表すことを忘れずに。

拡散の量や再生数ばかりが話題になるが、今一度、コミュニケーションの原点に
ついてみつめたい。
相手が元気になる、気持ちよくなることをまず考える。
そこを大切にしたい。

昨日もある方から
「いつも優しいメールをありがとうございます」
との一文をいただき、無意識にしていることが、そう響いているのかと
こちらがうれしくなった。

温かい気持。平和な社会、しあわせな世の中は、ここから始まると思えて
ならない。

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酷暑のなかのお客さま。

継続して出演させていただいている岐阜新聞でのロビーコンサート。
どんなイベントでもそうであるが、季節や天気は気になるところ。
企画するときは何も考えていないが、日が迫ると、ああこんな時期に・・・
と思うことも多い。天候ばかりは仕方ない。
晴れればラッキー。大雨だと、その逆。
曇りぐらいがちょうどいいかもしれない。
暑すぎるのも、寒すぎるのも、お出かけされるのには厳しい。

昨日のような酷暑。自分が会場まで足を運ぶのにも、やっとのこと。
お客さん、大丈夫かな。特に高齢者の方には来ていただいて、熱中症に
なられたらどうしよう・・・。
いろんな思いを抱きながら、たとえ来場者が少なくても、その方に向けて
全力投球しようと、覚悟を決めてリハーサル。

すると、開演時間30分前においでになった数名のお客様の姿をみつける。
コンサート前に会場横のカフェをご利用のようだ。でも、まだ準備中。
ということで、なんと外で待っておられた。心配になって、リハーサルを
中断し、店の人に声をかけて、早く中に入ってもらえるようにお願いする。
こんな暑い中、こんなに早く来ていただいて・・・。

いったん着替えに控室に入り、本番の時間になり会場に再び入る。
「今日もお客さん、たくさん来られてますよ!」控室まで迎えにこられた
スタッフからそう聞いて、驚きながら喜ぶ。

会場では、本当に満席に近い数のお客様が座っておられた。
暑い中を移動されてきて、涼んでおられた。
「本日は本当に暑いなかを、お出かけいただき、ありがとうございます」
心からお礼をお伝えして、演奏に入る。

予約も不要のコンサートであるので、無理して行かなくてもいいコンサートなのに、
わざわざ足を運んでいただいて、本当にありがたい。
ああ、こんなに暑くてもお客さんは来てくださるんだ。
コロナのとき、暑いとき、寒いとき・・・。
いろんな経験を重ねてきて、行きたいと思ったら、人は動いてくださる。
ということを学ばせていただいた。

「楽しかったね!」「感動しました~!」「がんばってください!」
別れ際に、せめてのお礼にと、ラムネを1粒づつ配りながら、お見送り。
ほんの気持ちですが・・・。
こんな暑いなか、おいでいただけて、本当に感無量。

酷暑のなか、おいでいただき、本当にありがとうございました。
おいでいただいた方の夏バテ防止に少しでも役立っていたら、うれしい。
聴くエナジードリンク?になれたら・・・。

次回は9月・・・。少しは暑さが和らいでいてくれることを期待して・・。

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「一生懸命、生きとるんじゃ!」

酷暑。いつも歩いている道を歩くのが、しんどくなる季節。
そんなとき、ふと、母が晩年遺した言葉が蘇る。
まるで、人生劇場のセリフのように・・・。

「わしだって、一生懸命生きとるんじゃ!」

コロナ禍、自由に身動きできなくなってきて、体も弱ってきて・・・
それでも口だけは達者で、何かの拍子に、押し出すような声で
と私に向かって言い放ったあの言葉。
そのとき、それでもまだまだ元気と思って、普通に口喧嘩を
日々の恒例行事のようにしていたが、その一言で、会話がピタリ止まった。

トイレに行くのもままならぬ、時間がかかる。
いろんなことが、わからなくなりかけている。
それでもしっかりせねばと自分を律し、
人に迷惑をかけないように。と思うけれども、だんだん自分のことが
できなくなって・・・。
そんな変化を一番情けなく思っていたのは、本人だろう。
それでも、母は母なりに、
一生懸命生きていた。確かにそうだ。

この酷暑の夏が近づくと、この季節こそが心配と毎日毎日
気になって、道で、家で倒れていないかと思っていた頃から
月日は経って、今はその心配はなくなってしまった。
心配の日々はしんどかったが、もっとしんどかったのは、母本人だった
だろう。

いろんな場面を思い出すと、私は母にとってベストな行動をとり続けた
だろうか?そうではないと、今ごろになって、申し訳なかったという
気持も沸いてくる。
一生懸命、生きていたんやね。そうやね。本当にそうやったね。

酷暑に季節のバトンを渡すように、
枯れていくあじさいをみながら、母の言葉を辿る時間。
あじさいを母に重ねているのか・・・。

そう、一生懸命、生きていたね。

ふるさとで一番好きな景色は、あの頃と変わらず、どの季節でもやはり美しい。
猛暑でも、酷暑でも、一生懸命、生きなきゃね!

さあ、今日のコンサートも一生懸命!がんばろう!

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