10月13日開催したコンサート会場の近く。長良川での鵜飼は昨日10月15日をもって、
今年のプログラムを終了した。
最終日は、花火が打ち上げられるため、遊覧船に乗って鵜飼を楽しむ人以外に、
地元から多くの人が集まってくる。長良橋には三脚がずらりならび、シャッター
チャンスを待つ人々。
より近くで鵜飼を観たい人は、右岸に集まってくる。
今年も、天気が良くて本当に良かった。
14日命日の父、15日命日の叔父へのレクイエムのような花火だ。
全国の花火大会で見るような、巨大で豪華な花火ではなく、あくまでも鵜飼を引き立てる
演出ツールとして、やや静かに空に打ち上げられる花火。
その奥ゆかしさが、この季節にはちょうどいい。
打ち上げられて空に開いた花は、たちまち消える・・。花火の命ははかない・・・。
鵜飼と花火は、なんと相性が良いのだと改めて思う。
今年で父はまる2年、叔父は1年。
ふたりとも空の上から、きっと鵜飼を見ていることだろう。
元気なうちは、必ずこの日には長良橋と長良川右岸から、このフィナーレを見届け、
父、そして叔父に思いを馳せることにしようと、心に決める。
人生の終わりに、小さな花火をあげられたら 素敵だな。と、思っていたら、
最後の一発が終わったり、長良川が拍手で包まれた。
下の写真は鵜飼のクライマックスで6つの船が並ぶ「総がらみ」と、その後の花火、
そして、終了時の長良川と岐阜城。
この景色が、わがふるさとの誇り。
おもしろうて、おもしろうて、やがて涙あふれてる・・・♪
また来年も、再来年もずっと開催されるように、心から願っている。
おもしろうて、おもしろうて、今年もフィナーレ。
命の日の過ごし方。
昨日10月14日は父の命日。まる二年が経ったことになる。
仏教の世界では三回忌と呼ぶのだそう。妹と二人だけでの法要はすでに
終えていたため、当日は静かに父のことを思い出したいと思っていた。
といっても、実はいつも思い出している。命日だから改めて思い出すと
いうことはない。
いつもずっと一緒にいるという感覚だ。
でも、特別に、父が好んで通っていた懐かしの場所に行くことで、
そのときの父のことを思い出すことができる。
父はお酒を飲むのが好きで、酔っぱらうと気が大きく、陽気になった。
(幼いときはそれが嫌いなときもあったが・・・)
なんだか幸せそうに、馴染みの店の人をからかったり、冗談を言いながら
好きな煮魚をつまみながら、焼酎を飲むのが好きだった・・・。
外食が好きな両親は、近所の飲食店に頻繁に出かけていた。
そうだ、今日はひとりで、あの店に行ってみよう。
そんなことで、両親が好きだったそのお店に、久しぶりにひとりで
足を運ぶ。実家より徒歩20分程度か。国道の脇の狭い歩道をずんずん歩いた。
両親が亡くなった頃は、コロナダメージで通常営業もままならず、ご苦労されて
いた。団体客、宴会に強いお店だったから余計に大変であった。
今は落ち着いただろうか・・。お店はにぎわっているだろうか、だといいが・・。
玄関の扉を開ける。
「ごめんください」
ガラリ玄関をあける。なんだか静かだ。人の気配が前と違う感じ。
店の奥から、ママさんがゆっくり歩きながら出てきた。
「ああ、久しぶり~。会いたかった~」
とても喜んでくださる。
コロナで営業が苦しいとき、時々電話をかけてこられた以来、である。
「今日はお父さんの命日なので、お父さんが好きだったここに来たら
喜ぶかな~と思ってきました。」
というと、いつも両親たちと来た時に座っていた席に案内してくれる。
ママさんは、母親と同じ年齢だ。まだ現役でがんばっておられる。
「もう、83歳なんよ~」
今、親が生きていたら、どうなっていただろうか?と想像した。
コロナがすべてを変えた。
親もいなくなり、そして飲食店の環境も激変した。
コロナだけでなく、さまざまな値上げが営業を圧迫している。
何もかも昔と変わった。
両親が通っていたあの頃は、お店にもにぎわいがあった。
少し静かになってしまっているお店。
BGMは昔と変わらない 琴の音。
そこに声の大きい、父と母のかけあいが聞こえてくるような
気がした。
久しぶりに東京から帰ってきた私と乾杯した父の顔が、
くっきり浮かんだ。
ああ、こんなこともあったな。ちょっと照れていたな・・・。
命日とは、その人のことを思いだして、一緒に過ごす日だと思っている。
手を合わせることも大切であるが、その偲び方は人、それぞれ。
毎日思い出しているから、毎日が命日のようなものであるが、
やはり、人生を終えた日というのは、特別な日。
命の日。命をまっとうした日。
命は限りあるもの。
寂しさは変わらないが、生きているものが、生きるのみ。を
再認識する日でもある。と思っている。
今日15日は今年の鵜飼いフィナーレ。
これも含め、私にとっては父の命日だ。
長良川の空に舞う花火と漁火を見ながら、改めて父のことを思いたい。
父につくった「やがて・・・」を橋の上で歌いながら・・。
そして、また、そのお店にも顔を出そうと思う。
父や母のことを思い出せる場所には、ずっとずっと元気に存在していてほしい。
涙のイベント翌日。
おかげさまで、12日に開催したふるさとコンサートには、本当に多くの
歓びの声をいただいた。
やって良かったとしみじみ、じわじわ感じ、感動をゆっくり味わっている。
が、一方、イベントというのは本番を作り上げるまでの事前準備と、終わって
からの処理や片付けやもろもろ、やることがいっぱい。事前にすることは自分の
計画通りにやればいいが、事後は結果に合わせて動かねばならないので、
やることは増える。その分、余韻も味わえ、感動も・・・。
今回、ほんとうに多くのお花をいただいた。そのお礼と、そのお花の活用を思案。
当日に実家と自宅に分けて移動。乗用車に全部乗り切れず、2回に分けての搬送
となった。これはうれしい想定外。(運んでもらった家人には感謝)
抱えきれないほどの大きいお花。ひとりで鑑賞したり、棲む人がいない実家に
いっぱい飾ってもお花に申し訳ない。もったいない。
ということで、そのお花の行き先がひらめいた。
時々演奏に行き、応援していただいているデイサービスである。
今回コンサートのことが新聞掲載されたときも、記事にいちはやく反応された
方、でも移動できないためコンサートには行きたくても行けない・・・という
方に少しでも楽しんでもらいたいと急きょ、花をもらっていただくことに。
連絡をしたら、喜んですぐに取りに来てくださった。施設と母がお世話になってきた
96歳のおばあさんのお宅に届けてもらう。
おばあさんからは、超感激の電話が入る。
こうやってみんなで喜ぶのが良い!感動のお裾分けだ。
そうこうしているうちに、急に新潟から来られた夫妻の帰り時間が気になった。
コンサートの前日から岐阜入りされ、鵜飼い見学をし、コンサートを観てから
犬山城に行き、そしてもう1泊、そして明治村へ。コロナ後、初の夫婦旅行。
旦那さんが車いすを必要とされるのも移動が慣れておられるといっても、大変だ。
あ、岐阜駅か名古屋駅で見送ることができたら!
急に思いつき、電話をして乗車予定の新幹線の時間を確認する。
岐阜でオンラインでやっていた会議が終わり次第、急いで駅に向かう。
岐阜駅から名古屋駅へ快速電車で移動。名古屋駅に着くのは、
新幹線発車の6分前の予定。慣れた名古屋駅、走ればいける。
でも、入場券を買わないと新幹線ホームへ行けない。
ここで時間がかかりそう・・。
岐阜から名古屋への移動時間は、そんな計算をしながら、新幹線で食べられるように
と車内おやつセットをつくる。朝買ったみかんふたつと実家にあったおかき。
これなら荷物にならないだろう。よし、これをホームで渡すぞ!!と意気込む。
絶対に間に合う、絶対改札を突破する!ちょっと新幹線の時間が遅れて出発だと
うれしいとか勝手勝手に瞬間、思ったりもしたが・・・。ネットでは平常運転。
名古屋駅に着くと階段で転ばないように気を付けながらも、猛ダッシュ。
こんな時に限って、混んでいる。いや、金曜の午後はこんなもんか。
新幹線改札の手前であと4分ある。ところが、きっぶ売り場が長蛇の列。
あ、ここは読みが甘かった。
そ戸で、ダメ元で改札の係の人に、泣きそうな声で
「ここで、入場券は買えませんか?20分の電車乗る人を送りたいので」
「ああ、ここでは買えません」の一言。
そこでかたまった。もうホームで見送ることができないことが決定。
そうこうしているうちに、頭の上でガタゴト音がしはじめた。
時計は14時20分。ああ、この電車だ。ああ、出た。ああ、間に合わなあった。
と思ったら、なぜか涙があふれて、一人で改札の外で泣いていた。
(今から思えば恥ずかしいが)
「間に合わなかったので、改札の外で見送っています」メッセージを送ったら
ちゃんと乗られている旨の返信、そしてその後、東京駅の乗り継ぎも終わって、
無事、新潟行のとき号に乗り換えも終わったともメッセージ。
私が心配していると思われたのだろう。
「新潟駅まで行かないようにね、お宅まで気を付けて」
車いすがあるから、短時間の上下車は一仕事だ。
と、そんなこんなのイベント翌日。
感動は後からやってくる。という感じで、
今回遠方からはるばるきてくださった方はじめ、地元の皆さまにも
お礼のご連絡をしながら、感謝を伝える。
最後のお客様が、帰宅されるまで、イベントは終わらない。
ドタバタのあと、自宅に戻ったら宅急便が届く。
東京の弟(?)より、今回行けないけど・・と、オリジナルラベルの
スパークリングワイン。観覧車マーク。びっくり。
乾杯するようにくれたんだな・・これも涙。
皆さまのおかげで、翌日、いっぱい感動をいただきました。
本当に、ほんとうに ありがとうございました。余韻は尽きず・・・。
はるちゃん、はるちゃん!
女性の司法書士。彼女が年下であり、広報のことについて相談にきて
くださったその出会いから、よくできた妹のように思い、はるちゃんはるちゃん!
と呼んできた。他の方からすれば、先生と言われる職業であるのに・・・。
おそらく十数年以上のおつきあいになっていただろう。
彼女が30代後半からいい距離でおつきあいさせていただいた。
士業には広報が難しいんですよ。といいながらも、地道にいろんな方法を工夫しながら
実践される努力の方だった。
ニュースレターを発行する時も相談していただき、できるサポートをさせていただいた。
覚えているだけでも12号ぐらいまで発行しただろうか。最後に添削したのは昨年の
はじめごろ・・。
そんなおつきあいから、関東地区の司法書士さんの集まりで広報の勉強会をさせて
もらったことも懐かしい。
私を必要とし、周囲に働きかけてくれるありがたい応援団であった。
「先生、昨年がんがみつかったんですけど、完治したので快気祝い送ります」
と彼女らしいピンクのタオルセットを送ってくれたり、こちらから紅茶を送ろうとすると
自分の好きな銘柄をはっきり指定されたり、とにかく仕事柄のせいか、真面目で白黒はっきりさせる人であった。これまであまり会ったことのないタイプで、とても新鮮であった。
そして昨年夏、妹さんの起業相談にも乗ってほしいと、紹介をされた。
それから連絡が途絶えた。
そして、昨日、すでに亡くなっておられたことを知り、ショックな気持ちが消えないで
いる。
はるちゃん、はるちゃん!何度も心の中で叫んでいる。
もう一度会いたかったし、もうちょっと連絡をしっかりとっておけばよかった・・と
今からはどうしようもないが、悔いが残る。
私にとって頼りになる法律家であった。
身寄りのない方の最後まで面倒を見ていると聞いたことがあった。
ほんとうに世の中で困っている人のために、正義感をもって、がんばったはるちゃん。
「私、こういう細かいことが好きなので、司法書士向いていると思ってます」
この言葉も今も覚えている。
はるちゃん、はるちゃん。何度も呼んでしまう。
会いたかった人に会えないまま、いつのまにかいなくなっている。
ということこそ、悲しいことはない。
はるちゃん、はるちゃん。しんどかったね。がんばったね。
ネット検索したら闘病日記をみつけることができた。
もっと前に知っていたら・・・。何ができたかわからないけれど、
自分より若い人が先に逝ってしまうのは・・・・。
はるちゃんのご冥福をお祈りし、今日はダンスが好きだった彼女の分まで
全力でやらなければ。
鵜飼クライマックス
下は一昨日10月8日夕方17時頃の長良川の写真。鵜飼い船の乗り場の様子。
まもなく夕暮れが一体を包む前。観光客がこの近くに集まってきている。
岐阜の長良川は意外と有名らしい。もちろんふるさとの貴重な文化財、観光資源で
あることは知ってはいるが、県外での認知?はこれまで意識したことはなかった。
が、明日のコンサートに絡めて鵜飼も見学してみようという方もおられて、
これはこれは地元のお宝なのだと認識し、感動する。
その鵜飼も10月15日にて、今年もおしまいとなる。そう、父の命日の翌日、
そして優しくしてもらった叔父さんの命日・・。みんな、鵜飼の人だ。
鵜飼は私にとっては、大切な人のレクイエム的な存在だ。
改めてそう思ったりもする。
さあ、やると決めたわが25周年イベントのひとつ
ふるさとLOVEコンサートはいよいよ明日。
おいでいただく方に心を込めて、自分なりの表現を・・・。
今日から岐阜入りされる遠方からのゲストにお会いする。
コロナ後初めての旅だと言われる方も。
わざわざ遠方よりわがふるさとにおいでいただき、心から感謝を込めて。
父の三回忌を今日済ませ、その後、赤いポストの会場に向かい、気持ちを切り替える。
鵜飼クライマックス。ふるさとに感謝を。平和なふるさとで良かった。
世界の戦争が早く終わって、みんながふるさとに自由に帰ることができるように。
そんな願いも込めて、やりきる!
※コンサートにおいでの方へ。
岐阜駅から長良橋経由のバスに乗り、「長良橋」バス停で下車、
階段を降りるとこの景色に出会います。その後、川を背に前進すると、うちわ屋さんを
過ぎて、しばらくすると(下の写真)赤いポストの建物に到着します。
こちらが会場となります。気を付けてお出かけください。
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開拓を支えた影の力に祈り。
歴史は表舞台だけでは生まれない
裏で、水面下で苦労した先人たちの汗や涙があってこそ、
今がある。
そのことを忘れてはいけないと思う情報に接した。
それは北海道の開拓、発展の歴史。
大きな鉄道工事やダム工事に、多くの人々の命が犠牲になって
いたことを、数少ない信頼できる報道番組を見て知った。
そして、驚いた。
権力と歴史について、改めて考えさせられた。
北海道は、日本人はもとよりアジア人にも人気の観光地。
大自然とグルメ。デパートの催事でも、人気が高く北海道展
は2回に分けて開催されるほどに出展者数も多く、また
やればやるだけ人が集まる。
本州から見れば、九州の最南、最西のように、北海道も
さいはての地としてのロマンを感じる。
鉄道の旅でも、よく取り上げられ、ノスタルジックな駅と
広大な自然を見ながら、異国情緒に似た感動も覚えたり・・。
一方、このロマンチックやノスタルジーは、リスク、危険と
背中合わせでもある。
厳しい大自然との闘い、また開拓での悲劇、こういった
先人たちの多くの苦労があって、今がある。
確かに、あんな広大な土地に鉄道を通す、車が通れるように
する、人々が暮らせるようにダムをつくる・・・。
不便で人もいない未開の地であった北海道が今日のような
発展を遂げるには、輝かしい歴史ばかりがあったわけではない。
強制労働の結果、無残な死を迎えた人もあったことを今回初めて
知る。
知る人ぞ知る、影の歴史。
このことこそ、実は知るべきである。
これらの開拓の闇の部分についての研究が、オホーツク民衆史講座という
形で受け継がれてきたことを知り、早速その拠点のひとつである
北見の同窓生に久しぶりに電話をしてみた。
大学時代の唯一、連絡がとれる友人、元高校教諭。彼なら
知っているかも。
懐かしい久しぶりの電話口で、そのことを訪ねてみたら、
オホーツク民衆講座という存在は知らなかったが、影の歴史の
ことは知っている様子で、それは北海道の歴史だから・・という
口ぶり・・・。あまりそのことは語りたくない様子も伝わってきた。
地元の人には、北海道とは観光地とか、グルメとかそんな
イメージではないことがうかがえる。
これまで長崎をはじめ、殉教やかくれキリシタンなど権力に抑圧されながら
も信仰の道を守ってきた先人に関心を持ち、心を寄せてきたが、
経済発展のために、国力向上のために犠牲になった人が多くいる
ということを知り、こういった現実にも目を向けなくてはと
思った次第。
殉教者ではなく、殉難者。そういう言葉自体、初めて知り、
自分はまだまだ世間を知らないのだと恥ずかしくなる。
華やかな歴史には影がある。闇の世界がある。
それもあって、光があたっている人がいること、今日があることを
忘れてはいけない。
来月久しぶりに北海道にレコーディングに行く予定であるが、
歴史をかみしめながら、あの大地に足を付け、空を仰ぎたい。
そして、開拓に関わられた人達に祈りをささげたい。
と、強く思った。
歴史には光と闇がある。それが現実。
親孝行のお手伝い
下の写真は、前日に書いたまーくんと、お父様よっちゃん
のツーショットである。
施設で暮らしておられるお父様と、コロナ禍でなかなか
面会も許されなかった時間が続いていたが、このたび幸運なことに、
一緒にコンサートを楽しんでもらう時間をもつことができた。
この写真はコンサート後のお二人の記念撮影。
久しぶりの再会で、喜びいっぱいの表情にこちらもうれしくなる。
今回、まーくんからのオーダー・リクエストをいただき、お父様が
おられる施設にお邪魔して、お父さんのためにコンサートを実施。
施設にもご協力をいただいての開催となった。
せっかくなので、施設の利用者さんにも参加いただき、皆さんで
楽しんでいただく。
すでにお父様の簡単なプロフィールや好きな曲、親子の思い出など
お聞きしていたため、それらをプログラムに盛り込み、若かりし日の
家族の時間を思い出していただいた。
山や川で楽しんだ親子での自然とのふれあい時間から、家族の結婚式
の一コマまで・・。
会場の一番前に、お父様に座っていただいた。私はお父様の顔をずっと
みつめながら、語り掛けるように話し、演奏した。
ときおり、お父さんが顔をくしゃくしゃにして泣き顔になった。
きっといろんなことを思い出しておられたのだろう。
私自身も演奏しながら、父の生前、施設に演奏に行ったとき、父が声をあげて
泣いていたことを思い出していた。
音楽とは、人生を共有することができる素晴らしいコミュニケーション
ツールであり、「生きる力」を与えてくれる絶対なる存在。
と、今回もそんなことを改めて実感する。
「おかげさまで、いい親孝行ができました!」まーくんがとても
喜んでくれたのも、うれしかった。
この寄り添い出前コンサート。施設にも、ご自宅にも、どこへでも
ご本人、ご家族のご要望あれば、駆け付ける。
拍手と涙をいただく時間。私にとって、涙は感動の証し。だから
うれしい。
音楽を聴いて、笑って泣いて、人生を豊かに・・・。
そんな願いを込めて、さらに続けていこうと思う。
親孝行のお手伝いをさせていただけて、本当に幸せなわが人生。
マー君に感謝を込めて、お父様との良き時間をこれからも重ねて
1日でも長く、ともに生きてほしい!!
まーくんのお父さんに会いに行く!
今日は、念願の寄り添い出前コンサート!
今年の春に思いついてから、ずっとあちこちで声をかけ、チラシを配って
きた。大阪でお声をいただいてから、地元でもやる機会があれば‥と思って
いたところ、日頃お世話になっている介護施設の方から、リクエストをいただく。
「僕の父親にコンサートやってほしいです」
私の演奏を聴いたことがあり、ぜひ今後はわが父にプレゼントしたいということ
になったようで、もちろん二つ返事。
ということで、今日はその当日になる。
依頼主はまーくん。プレゼントさせていただくのはまーくんのお父さん。
病を患い、お世話されていた奥さまが先に旅立たれたあと、施設で生活をされて
おり、まーくんは日曜になると見舞いに行かれているとのこと。
生きている間に、あと何回会えるか・・・と思うと、1回1回を大切にせねば・・。
と、そんななかでの出前コンサートのご依頼。
少しだけお父さまのエピソードも伺って、勝手にどんな人かをイメージして。
スマホで見せていただいた顔写真を思い出しながら、
まーくんのお父さんがとびっきりの笑顔になっていただけるように、
そして一緒にそこで生活されている方々にも一緒に楽しんでいただく。
まーくんからの最高のプレゼント。
となるように、私もはりきって!まいります!
この寄り添いコンサートは、わが人生のなかで、大切なテーマ。
このような声をいただけることに感謝して、ご縁をいただいた人たちの人生に、
小さな花を添えることができたら・・・。
母もにこにこ、笑って応援してくれていることだろう。
今日は、まーくんのお父さんに会いに行く!
2年前の今ごろ。
オレンジ色のコスモスが実家の庭に咲く。
ふと2年前の今ごろのことを思い出す。
母が旅立ってしまい、急激に弱った父の様子を毎日のように
見舞いに出かけていた日々。
施設のみなさんのご協力により、コロナ禍のなかでも、入室を許され
点滴でいのちをつなぎ、痰の吸引を常にやっていただき・・・。
施設に行っても、私は父の手を握り、話しかけるぐらいしかできなかった。
でも、2年前の今日は、まだ息をしていた。
来週は父の三回忌。それを思って企画したふるさとLOVEコンサート。
そして、両親ともいなくなった後、自分がせねばならないと思って企画した
よりそい出前コンサート・・・。
これからの1週間、実施する。
親が元気だったら、これらの企画は生まれていなかった。
いないから、いなくてもやらなくちゃ!と思って生まれた企画に向かう。
2年前の今ごろ。あの緊迫した思いの日々。張りつめすぎていた日々。
人生でもっとも無我夢中の時間だったのかもしれない。
2年前の今日、父は生きていた。
今日もそんなことを思い、辿る道々で、父や母の元気な顔を思い出すだろう。
オレンジのコスモスを見るたびに、毎年思うのだろう。
明日はよりそい出前コンサート。いろんな思いを込めてやり切ろう。