新潟市内の雑貨店。外国の町をふらり訪ねるようなそんな気持ちになるお店。プロカントという生活雑貨のお店で、珍しいカテゴリーだと思うが、数年前、起業される際に広報のアドバイスをしたことがあり、それ以来応援しているが、久しぶりの訪問となった。
こんなこじゃれたお店が新潟にあることがうれしく、また公務員から転身されたオーナーの
生き方も好きで、仕事の合間にたずねるのが楽しみであったが、コロナを経て新潟出張の回数が減ったこともあり、なかなか通えない。
桜咲く、良き季節、久しぶりに寄ってみる。万代橋を歩きながら店に向かう。ちょっと旅気分になるひとときだ。
ブルーのお店は、遠くからも目立つ。あったあった、近づいてみると、前なかった看板が追加されている。なんと無人販売も始めたと書いてあり、ときどき有人販売とある。一見、無人販売といえば、野菜とか販売するようになったのかな?と思ったら違っていた。
店主によると、無人の営業時間を設けているのだという。店主がその時間いなくても自由に店を見てもらい、気になるものがあったら、自由に買ってもらう。もちろん店主との会話が楽しみな方は無人のときではなく、有人営業のときに来られたらいい。
従来、営業時間は店主やスタッフはお店にいなければいけない。それがお店の決まりであるが、無人でも販売しているとなれば、必ず店主がいなくてもいい。夜も販売できるので、お客さんも自由に来店できる。
もちろんセキュリティは重要なので、カメラで撮影されているが、見る限り、ひとりで30分以上長居される方、お友達とおしゃべりしながら店内をすみずみまで見ていかれる方もおられ、店主がいないなりの楽しみ方を提供できているようだ。
新しい発想だ。新しい買い物のスタイルだ。
どうやら、ご近所の書店が無人販売をされ、それをヒントにはじめたのだそう。
確かに餃子の無人販売、冷凍食品の自販機・・と無人販売の可能性は広がっているが、
こうした雑貨店でも、十分成り立つのだ。おそらくモノを販売しているというよりは、
くつろぎの時間を提供しているという見方が合っているのだろう。
ウィンドーショッピングの続きに店内に入って、気兼ねなく・・・というのが心地よい
のかもしれない。
従来の発想を越えて、なんでもやってみる。店という世界をどのように提供するか。
知恵を出し、工夫を重ねる。さすが!
がんばっておられるなあ。
今回はこだわりの英国のジャムを購入してみたが、どうやら違う種類のジャムを持ち帰ったようで、店主が自転車で駅に向かう私を追いかけてくれて、無事にジャムを交換。
自転車で万代橋を全力疾走された?今回は、無人でなくてよかった。
海外に行かなくても小旅行を体験させてくれるお店。mietta 。みなとまち新潟にある。
長く永くお店が続くように、心から願っている。
無人販売ここまで?
本気の手作りアニバーサリー稼働!
こんな素敵なチラシができあがった。
携帯メールとファックスと郵送でのやりとりと、友情、つながりでできた素晴らしい
1枚だ。先日、糸魚川に出向き、この節目を逃さず、今やれることをやってみましょう!と背中を押させていただいたこの企画。
お店が閉店するときにコンサートやってください。と冗談めかして?言われたことに対し、
閉めるときはまだ先の先。未来に向かう今こそ、お手伝いしたいから、今年こそやりましょう。25周年は今年しかないのだから!と。そんな感じでお伝えしたら、「はい!やります!」と力強い宣言。そこから一緒につくるアニバーサリーがはじまった。まずはチラシを・・・。ということで、携帯に文案をメール。最初は手書きの予定。店主の文字はとてもやさしくてあたたかい。でも、もっと良くしたいね。ということで、お友達が手伝ってくれてパソコンのチラシに変身。そこからああしたら、こうしたら・・・といつもの悪いコンサル癖?が出て、どうせやるならモードに。
店主とお友達もこちらのおせっかいに応えてくださって、だんだん形が整ってきた。
最初、単色で考えていたのが、気が付けばカラフルに。
「カラーでプリントしたらもったいないので、一色で刷るなら、色紙がいいと思いますので。紫の紙持っていますから、少し送ってみますね」とレターパックで送付。その紙を使ってなんとカラープリントいただいたのがこの画像。
うん、なかなかいい感じ。
店主のマツ子さんは、さすがの行動力で、すでにお客様の予約を取り始めて、「もう半分
埋まりました~。」すごい!「では、早く満席になると後が楽ですね。もうひと踏ん張りがんばってくださーい」マツ子さんの最初のしり込みは、どこへ行ったやら。もう今はやるしかない。やると決めたのだから。その覚悟がアクティブな行動に!
長年変わらずずっと応援してくださっているこの店主の、お店の一度きりの節目に関われることに感謝して、本番までのやり取りも大切にしたいと思う。
お店にピアノはないから、楽器も持ち込む(送り込む)。
この出前コンサートは、こんなカタチにて展開する。
思いついたら、即提案、即行動。人生の時計は止まってくれない。
ハレの日があると、それまでの日常もわくわくになる。人生、そういうものだと思う。
元気なうちに、やれるうちに、やりたいことをやるのみ。
浮かぶのは、お客様と主催者の笑顔と感動・・・。がんばる!
声を届けるのが第一歩
街頭演説。駅前に街宣カーを止めて、高いところから手をふる、あの
スタイルは昔からどうも・・・である。
しかし著名人などがそこにいると、おのずと人が集まる。
その効果を狙っているのだろう。でも、そこでは何を伝えているのか、話して
いるのかはよく聞き取れない。いわゆる辻説法というスタイルは政治活動
のひとつとして、存在するが、人を集めることに意義があるのだろうか。
むしろ、日常生活の風景。たとえば小さな交差点や駅の出口を出たあたり
でひとり、ふたりで一生懸命語っている人の方が、何を言いたいのかなと
つい、耳を傾けたくなる。
昨日もたまたま、地元の急行が止まる駅の交差点の角で演説する、ある
政党の方がおられた。地味な感じである。そこでもうひとりの人がビラを配って
いる。
ああ、あの党か。前から本当にネーミングが惜しいとずっと思っている党であ
った。姿勢やメッセージは納得できることも多いのに、ネーミングが・・で
人気がないのだろうと自分なりにずっと思っていた。
相変わらず、まあいいことを言っているなあ。でもなあ。
とビラを配っている女性の方の横を通り過ぎようとしたら、
「○○新聞読んでみませんか?」
と、サンプル誌を見せられた。
「あのー、ちょっといいです?ほんとうにおたくの党はさあ、
いいこと言っていると思うけど、ネーミングが時代に合っていないと思うので、
本当に変えた方がいいとずっと思っているよ」
と思わず、その女性に言葉をかけた。話しかけやすい人だったからだ。
すると、その人は
「ええ、実はそう言われる方も多いんです。でも、私たちはあえて、これで
いこうと・・・」
「だから、それだから集まらないと思うよ。時代に合わせた表現があるし。
今どきこの言葉、どこの国?という感じだし、イメージ悪い言葉だと思うし。
本当に名前変えてくれたら、応援するわ」
「確かにそういわれる方も多くて。こういってくださる方が中にいてくださったら
いいんですけど」
と思わず勧誘モード?
「いや、その名前では関わりたくないです。とにかく名前変えた方がいいって。
今日の街頭演説でそういわれた。とちゃんと上に報告してくださいね。
応援したいからそう思っているんで」
と伝えた。
「はい、伝えます。ありがとうございます」
と、そんな会話。笑顔で別れた。
この党がどうこうではないが、このように、こちらからも声を届ける。
そのことが、活動する人にとって、その団体にとっても大切ではないかと思った次第。
自分の考えを、党の考えを発信することはもちろん大切であるが、
政治家の仕事は「聞いて届ける」仕事だと思っている。
小さなコミュニケーションであるが、人がいない街角だからこそ、
気軽に意見が言えること。
このことは大切だ。
たまたま、その党とは関係ないが、
ある県議会議員の事務局代表に、ライバルは?とたずねたことがある。
すると「無関心」だという。
そう、ライバルは別の候補者ではない。
有権者の、民の無関心が一番怖い。無関心では世の中、良くならない。
お互いに聞く、言う。
できたら、顔が見えるところでやりとりをする。
その方が伝わるはず。
そんなことを思う一コマ。
この社会から、民主主義が消えないようにと切に願う。
まさかの出会い。信長と・・・
葉桜も十分に美しいと思いながらの日曜。京都の寺町を歩く。
目的は、信長の本当のお墓参り。
本能寺跡にもお墓があり、また、大徳寺でも信長の葬儀がとり行われ、そこからほど近い
建勲神社には信長が祀ってあるという話は少しは存じあげているが、その本能寺跡にある宝物館に先日足を向けた際に知った、私にとっての新事実。
それは、阿弥陀寺というお寺の存在。なんでも本能寺で亡くなった信長の葬儀はひそやかにこのお寺で執り行われ、それ以来ずっと信長はそこに眠っているというのだ。
幻の弟と言われている清玉上人という僧侶が、本能寺から信長の亡骸を探し出し、そして、この寺で弔われたとのだという。信長と最後をともにした森蘭丸も同じくここに眠る・・。
という情報を得て、実際にやってきた。
これまで本能寺にあるお墓には何度も訪ねてきたのだが・・・。
いやはや歴史とはロマンすぎる。何が真で、何が偽かは本当はわからない。
これど、今回の墓地の存在を知るに、これは本当ではと思えてきた。
実際、織田家の代々のお墓も信長公の墓の傍らに建立されている。
子孫たちはどんな思いで、代々祈りをささげてきたのだろうか。
信長の曲を書いてきた身としては、次の展開が生まれてきそうな歴史ロマンを十分に
感じることができるお墓参りとなった。
そして、それだけではなく、信長や蘭丸が眠るこの墓地に、あの森光子さんの墓地も
存在していることを訪問して知った。
いやはや、森さんはもしかしたら、ここに信長のお墓があることも知って、ここに墓地を
構えられたのだろうか・・・と新たな妄想がはじまる。
京都には想像を超えるロマンあふれる現実がある。無数にありそうだ。
この葉桜のなか、信長のお墓、そして森光子さんのお墓にそれぞれ手を合わせる。
静かなお寺に、とてつもない、歴史が眠っている。
京都には、そんな場所はいくつもあるのだろう。
信長のシリーズ続編ができそうな気がしてきた。
両極を生きて、人間を見る、知る。
今、仕事ではDXや、AIという世界が身近なところにある。
もちろんそのど真ん中にいるわけではないが、周辺にいる感じ。
世の中がどんどん変わってくる、世代交代が進んでいることを実感する。
ビジネスは間違いなく、デジタルの世界が軸になっているし、さらに
加速する。
いずれも生産性を高めるために、企業はそちらの方向にシフトしていく。
この流れは止まらない。「生産」を継続、事業を維持し続けるには
避けることはできない道。
とその一方で、デジタルとは無関係な世界で生きている人たちも
少なくない。
ふるさとでは、高齢者の方に接する機会があるが、そこでは、
このDXやAIには一見無関係に見える世界がある。
もちろん何かしらのサービスを利用する際には裏側でこういった環境が
存在しているとは思うが、福祉や医療の現場はまだまだアナログである。
話しは変わるが、自分の新アルバムを購入いただいたお客様の例。
WEBサイトから、メールからご注文という方ばかりではない。
知り合いにファックスしてもらう。
それに対して、確認の電話を入れてみるが、うまく話せないため、
その方のお宅まで伺ってみることにする。
どうやら、一人暮らし~独居老人といわれる暮らしのようだ。
玄関からチャイムを鳴らす。出られない。
外から電話をかけてみる、出ない。
結局は、ファックスを代行していただいたお医者さんに預けること
にする。お金もそこで預かっていただき、受け取りに伺う。
高齢になると、振込という作業もすでに難しい。
と、商品を購入されるにも、購入すること自体が難しくなってくる。
誰かのアナログなサポートがないと暮らせない。
高齢化とはそういうことなのだ。
遠くへ行けなくなる。五体満足でなくなる。コミュニケーションが
とりづらくなる・・・。
これを別世界のように思いながら、日々パソコンで、タブレットで、
スマホで一見、スマートになんやらやっているが、
ふと手を止めると、アナログの世界を生きている人たちの存在が
頭をかすめる。
このように毎日、両極の世界を見ている。
ここは大切だ。
すべてDXでは解決できないのだ。
AIには頼れないことがあるのだ。
どんなことも可能にしそうなデジタルパワーを横目に
決して明るいとはいえない、高齢化の先を考える。
人間とは・・・。考えるためにも両極を見ることは
大変意味がある。
ちょっと切ないけれど。自分もいずれ向かう先。
他人事ではない。
取り残されない世界とは。
DXが進む一方、そんなことも考える現在。
祭り前日。父のハレの日の思い出。
毎年第二土曜は、わがふるさと岐阜の実家から、ほど近い神社で開催される
火祭りの開催日。コロナでしばらく中断されていたが、今年は開催。
私が生まれてから、ずっと春といえば、この「火祭り」であった。
手力の火祭り。実は300年以上の歴史があり、岐阜県重要無形民俗文化財に認定されている。
夏には長良川でも開催され、地元以外の方にも岐阜の観光資源として、それなりに知られているようだ。
私にとっては、とにかく地元のまつり。
昨日、所用があり、近くまで行ったため、参道を歩きながら、神社に入ってみる。
参道も今日立ち並ぶ屋台の準備がはじまって、まつりの前の静けさが漂う。
敷地内も今日の仕込みが行われている。
このメインステージ?の見事な人形などの飾り物には、実は花火が仕込んである。
また、長い木柱が何か所かに埋め込んであるが、ここには行灯が吊るされる。
この行灯が火祭りを空から見守る。行灯と花火。火祭りの主役は地元の人と
「火」の存在。
岐阜といえば、鵜飼いや岐阜城。だけでなく、隠された大変激しいこの祭りもある
のだ。改めてこの祭りの特徴は、銅鑼の激しい音、爆竹(火薬)、仕掛け花火。
そう思っている。これは大人になって、各地に出向いてから気づいたことであるが。
火の中を自分たちがつくった花火仕掛けの神輿を担いで舞う。火の粉が散る中、みこしを担ぐという危険な祭り・・・。今日の夜は、そんな奇祭がここで開催される。
と、この風景を思い出すだけで、この神社に一歩足を踏み入れただけで、昨日は思わず
泣いてしまった。
若くて元気な父の半被姿が浮かんだからだ。
日頃、言葉数が少ない父は、お酒が入ると気が大きくなり、陽気になり、人が変わる。
地元で生まれ、生きた父にとっては、若いころから老いるまで、年に一度の最大のイベント
だった。祭りの何か月前から準備をして、今日に臨む。地域が一体になるお祭り。
本当にハレの日であった。
と、父の姿が神社の中に見えた気がしたのだ。
そして、そのはじけた父のやらかすことに、腹を立てながら、祭りだから・・と諦め
ていた母。はじける父と、黙る母。そう日常とは違う、父が輝く日。
この祭りはそんな思い出があふれる「まつり」なのだ。
今日は行けない。行くと号泣しそうなので、遠くで見守る。
その代わりできる支援をさせていただく。
そして、無事に安全に祭りが執り行われるようにと、先にお参り。
人気がない神社での参拝。チャリンと音がするのが恥ずかしく、音がしないお賽銭を
入れた。生まれて初めてかもしれない。
父の分と、母の分と一緒に。
この祭りがあることは、誇りである。
支え続けてきてくださる地域の皆さんに感謝したい。
想い出すだけで、泣けてくる。
「祭りやな」父の声が聞こえた気がした。
「帰ってくるんか」と、母の声も聞こえた気がした。
この祭りは、ぜひ他県からも訪ねてみていただきたい、
手力火祭り 岐阜市のコンベンション協会からの情報はこちら。
https://www.gifucvb.or.jp/event/detail_spring.php?eid=00004&calendar_keisai=1
町のお医者さん、デイサービスの役割
いやはや、高齢化社会とはこういうことか・・・と新たな現実を知り、
学ぶことが多い今日。
高齢者が誰を身近な存在として頼るのか・・。
先日リリースしたアルバムは、いろんな方法で入手いただけるようにと
自分なりに工夫した。
直接お渡しする方法から、ネットでの配信サービス。それもプラットフォーム
を利用する方法から、自分のネットショップでの販売・・・。
地元ではお年寄り向けに、チラシの新聞折り込みも試みた。
ご注文方法も、実にさまざまである。
一番有難いのは、直接ご連絡をいただき、直接お届けすること。顔も見えるし
間違いがない。でも、メールはもとより、電話やファックスも利用されない方
もいる。
いつも演奏に出かけているデイサービスでは、私のCDを毎日流していただき、
皆さんの耳におなじみになった。さらに新しいアルバムも利用者さんに紹介し
ていただいた。希望される方にはデイサービスで注文をきいていただき、こち
らに連絡をくださる。なんとありがたいこと!
さらに驚いたのは、突然届いたファックス。
CDセットの注文だ。やったー!とよくその予約用紙をよく見ると、実家の
近所のお医者さんからファックスされているようだ。
最近、あつかましくもその医院の待合室にチラシを置いていただいたことで、
患者さんが申し込みたいけど・・ということになり、お医者さんが代行して
くださったようだ。
チラシを置いてもらうだけのつもりが、患者さんによっては、その要望に応えて
ファックス代行まで・・・。。改めて、町医者とは大変だなと思った次第。
「毎日来られる方ですので、いいですよ」直接ファックスできない、電話も
ちょっと・・という患者さんのため、医院の事務の方が気を遣い、サポートして
くださったのだろう。
いただいたファックスを見てから医院に電話をしてお礼を述べたあと、
ご本人に直接連絡をとる。
高齢者は身近な人に頼る。
家族はもちろんであるが、いつも行く場所、慣れた場所で、多少の無理を言って
助けてもらう。
町医者さんはここまでしないといけないのか・・・と頭が下がるが、
今どきはこういう場所も増えているのかもしれない。
助け合いの精神。高齢者のコンビニ的な存在。心のよりどころかもしれない。
介護と医療。高齢者の身近な存在。
確かに母も、両者にとどまらず、地元の喫茶店の方にも大変お世話になった。
当時をふりかえると、かなり無理を言ったな~。と
思わず、恥ずかしくなる。
高齢者の買い物。今回のアルバムの販売はある意味、いろんなマーケティング
リサーチとなり、また予想外の学びとなった。
ネット購入の対極の世界が、ここにある。それが現実だ。
マニュアルにはない、超アナログのサービスがあってこそ、医者もデイサービス
も地元の皆さんに長く、何度もご利用いただけるのかもしれない。
なかなか大変な世の中だ。
医院の先生、職員さん、デイサービスの皆様に改めて心から御礼をお伝えしたい。
私自身が助けられている・・、
ありがとうございます!
雪国の春、懐かしき人を思う。
4月は新潟で出会い、何年もおつきあいを重ね、そして地元でのコンサート
実現にもご尽力いただき、たくさんの思い出をいただいた方を
思い出す月でもある。雪国で生きた強い女性。わたしにとっては、雪国おんなの
代名詞のような存在でもある。
コロナ禍、闘病生活の末、静かに旅立たれた。
その何か月か前に、最後のメールをいただいた。
ほんとうに、もう会えないんだと思う、その人が力を振り絞って
送ってくださったメッセージであった。
その何年か前、お元気な頃。
食事をして長岡駅で別れるときに、実はがんが見つかったと打ち明けられ、
抱き合って励まし合った。
闘病しながら、回復すると再会しようと駅のカフェや駅近くのレストランで
お会いした。
ご自宅の方まで出向いたことも、何度もある。
終活ノートや限定でつくられた家族の本も進呈いただいた。
お母さまを送るのが最後のつとめ。とそれをしっかり実行され、
そのあと、ご自身も・・・。
公私を越えて、おつきあいいただいた。
今もその改札を通ると、そのときの場面がよみがえる。
お元気だったころは、地元のみなさんが尊敬するゴッドマザー、
時代を先取りしたキャリアウーマン(古い表現であるが)。地元の名士。
とにかく、カッコいい方だった。
私のことも、人一倍、応援してくださった。
尊敬するのはこちらなのに、講座を受講いただいたことが出会いの
きっかけだからというだけで、ずっと「先生」と呼び続けてくださったところに
これまた尊敬の念も沸いてくる。ちゃんとされているのだ。
昨日、その方が暮らし、仕事をされていた町に出張した。
ほんのわずかな空き時間、なんだかあの頃のことを思い出したくなって、
彼女と行き来した道をひとりで歩いた。信濃川を渡った。
道中、いろんなことが、思い起こされ、この町を知ったきっかけはこの方との
出会いであったと改めて、懐かしく強く思い出された。
信濃川は雪解け水で量も多く、雪国の春を感じた。
雪のおかげで、人々が豊かになれるんですよ。雪は吉なんですよ。
と笑顔で話してくれていた顔が浮かんでくる。
みちこさーん、みちこさーん。
心の中で呼びながら、懐かしい道を歩く。桜も満開。
会いたくても会えない。そんな人が増えてきている。
そんな人に会いたいときは、一緒に過ごした場所に行く。
雪国の春。新潟の空も鉛色から青空へ。春の証し。
前方に見える山々は?あとで仲間にたずねるとしよう。
小千谷。おかげさまで、あの方の想い出とともに、
今、新たなつながりが生まれようとしている。
これからもずっと見守ってくださることだろう。
雪解けを待つ、新潟の春。これから本番である。
この一言があれば。
今、お世話になっている会社では大変ユニークな取り組みをされている。
「サンキューカード」を使った社内コミュニケーション企画、題してサンキュー
project。企画当初、会社が39期目とういこともあり、3と9で、thank you。
感謝の気持ちを社内でもっと伝え合おうということになってスタートした企画だ。
職場の人にお世話になったな~と思ったら、お礼を言いたいと思ったら、
匿名でもいいので、会社があらかじめ用意したサンキューカードに、その感謝の
気持ちを記し、社内のポストに入れる。1か月に一度、総務でそれを確認して、
カードに書かれたご本人にそのカードが届けられるというもの。
毎月その結果は、社内の食堂にも掲示され、また時々、この取り組みはプロジェクト
のニュースとして情報共有されている。
この企画は、1年間続けられ、先日1年間の報告があった。1年で380枚の
カードが贈られたとのこと。従業員数は80名ほどであるため、1名4~5枚程度は
書かれたことになる。
この度1年が経過して、たくさんカードを贈った人、贈られた人が発表された。
ほんとうに、とてもいい企画だと思う。「ありがとう」の言葉は、「有難う」であり、
本当はあり得ないこと、当たり前ではないこと。
しみじみ、深い言葉である。その意味を理解して、感謝すると贈る側まで、
心豊かになれる・・・そんなひとこと。
この一言さえあれば、人は幸せになれる。
と、そんなことを、日頃忘れがちであるが、この企画は人として最も忘れては
いけないことを思い出させてくれる、学ばせてくれる最高のコミュニケーションの
機会である。
ちなみに、社内の人間ではない私にまで、このサンキューカードを書いてくださ方が
おられて、ほんとうにありがたいこと。どんな気持ちで書いてくださったかなと
思うと、ああよかったと安堵の気持ちにもなり、その相手に感謝の気持ちも芽生える。
日頃、「ありがとう」の言葉をすぐに言えなかったりすることもある。
また思い出して、振り返ってからありがたいと思えることもある。
言いたいときに言える。いつでも歓迎の、自発性を大切にする企画だ。
この企画は1年で終わらず、新年度からも引き続きの実施となった。
直接「ありがとう」を口にすることが難しいときもあるが、書いてそっと
ポストに入れておく・・というのはなかなか粋である。
いつまでも、この純粋な気持ちを忘れず、ありがとう!の言葉を
遠慮なくかわしたい。
「ありがとう」は幸せを運ぶ、宝のことばである。
小さな取り組みが、人と人をつなぎ、組織を元気にすることも多い。
「ありがとう!」たった一言なのに、気が付けば大きな力になっていると
感じる。
世界どこでも、時代が変わっても、「ありがとう」は永遠に、最高の
コミュニケーションワード。
「年のわりに」は、誉めことば。
最近、医療機関を利用するとき、若い医師に診察して
もらうことが多い。
自分が子供の頃は、お医者さんといえば、もちろん自分より
年上の人というのが大前提であったが、だんだん同世代の方に
診ていただくことも増え、最近はたまたま近所に大学病院と提携
しているクリニックがオープンしたこともあり、とてもヤング!
なドクター(もしかしたら なりたて?か たまご)に出会う
ことも多い。
正直、最初は言葉遣い含め、いかにも現代風で医者らしくない?
と思ってとまどったが、おかげでいろんなヤングドクターに
出会うことでこちらにも免疫ができた。
最近は、相手は専門家だと思って、とことん聞きまくることにしている。
さて、たまたま腰のレントゲンをとって、その画像を見ながら
担当医は「年のわりには、きれいですね~」と一言。
なぬ?年のわりには?
これまで、あまり言われたことがなかったが、確かに一定の
年であることは認めなければならない。彼らたちよりは、
確かに年上なのだから。
「年のわりには・・・」これはきっと誉め言葉だと理解する
ことにする。
おそらく、これからいろんな場面で
「年のわりには・・・」と言われることだろう。
特に医者には年齢が知られているわけだから、まあ、よし。
では、「・・のわりには」と言われ続けるようにがんばろう。
若いもんには負けへんで。と思うこと自体が、年であるが。
「年のわりには・・・」どんな場面で言われたいのだろう?