15年後の目標に。

日本のアーチストのコンサートに出かけた。
一般に知られる歌手の生ステージに行くなんて、物心ついてから
あったかなかったか?
ほとんど記憶がないが、今回はどうしても、その人が元気なうち
にと思い、なんとかチケットを入手した。
喜寿を迎えたという、布施明さんの60周年記念コンサート。
さん付けにしているのは、そのステージで彼がバンドのメンバーを
紹介する時に、「さん」付けにしていたのが印象的だったから。
呼び捨てにして、親近感を出す人も多いが、布施さんは、そんな
ところも決め細やかに神経を使う人だということを学んだ。

さて70代後半となれば、その声の艶は?声量は?
CDや放送ではもちろん抜群の歌唱力に触れてきたし、最近も
衰えていないことを知ってはいたが、それを確かめたかった。
そして60周年という節目をどのように表現するのかと。
テーマは「VOYAGE~ボヤージ」。旅、出航。
人生は船でめぐる旅のようだということだろうか。
とにかく、久しぶりに胸を躍らせ、会場に向かった。

さて、何度も聴いてきた名曲はもちろん、「独白」なる
オリジナルのコーナーも含め、約90分余り、途切れなく
布施さんは表現豊かに歌い続け、会場を魅了した。
トークも品良く、あたたかく丁寧な話し方で、歌の間を
優しくつないだ。

子どもの頃から大ファンだったというわけではない。
もちろん親しんでいたし、尊敬もしていた。
でも、テレビの世界の人という距離感。ここ何十年も
その活動ぶりに触れることはなかった。
半年ほど前の歌番組で、変わらぬ素晴らしい歌唱力に
振れ、元気なうちに一度は生を聴きたいと思っての
今回のコンサート。
予習ということで、何度も何度もベストアルバムを聴き、
当日も聴きながら歩いて会場に向かった。
その中で一番気に入っていた曲「カルチェラタンの雪」
の演奏がはじまったときには、さすがに目頭が熱くなった。
よく、よく歌ってくれました。
雪降るパリの街角を肩寄せあって歩くカップルの姿が
くっきりと浮かんだ。
そう、布施さんの歌は、情景がくっきり浮かぶという
点が特徴で、素晴らしいところだ。

何千人という観客ひとり一人がそれぞれの歌に
自分の人生を重ねていたことだろう。

そして、
おなじみ「マイウェイ」がクライマックスで歌われた。
このとき、布施さんは衣装を白のジャケットに変え、
まさに今回のステージのテーマにマッチしたその曲を
唄い始めた。「今、船出が近づくそのときに・・・」
会場は大いに盛り上がった。

声の艶、声量。まったく衰えていない。つややかに
伸びて、聴く人の心に染み入る。
そして、その豊かな表情。
今回最上階の席であり、オペラグラスも持参していなかった
ため、顔の表情までは見えなかったが、手足動かし全身をフルに
使って歌っていたのも大変印象的。
身体から歌っていた。

ふと、フジコヘミングさんが遺した、「魂の演奏」という言葉が
蘇った。
布施さんもその世界の人だ。

心が伝わる。
愛を感じる。

今回学んだこと。

どんなことがあっても、一歩前に進む。
自分を信じて進む。

そして、相手が喜ぶことをする。
自分らしく生きる。

それがいいのだということを、
今回改めて教えてもらった。

15年後。今の布施さんの年齢になる。
そのとき、あれぐらい元気に演奏できていたら、
そうあるようにがんばらねば。
できるよ、きっと。

「平に平和に生きることができ、細くてもいいから
歌い続けることができたら・・・」
と、最後にこんな言葉を遺した布施さん。

そう、平和な世界で好きな歌を歌い、聴き・・・が
できるのが一番の幸せなこと。

さあ、15年後も生きているならば、細くてもいいから、
丁寧に自分らしく存分に生きたい、演りたい。

改めて布施明さんのますますの、素晴らしい歌を
これからも期待し、応援していきたい。

BON VOYAGE。素敵な人生の旅を。


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「にほんごでいいですよ」

JR岐阜駅からバスに乗り替え、移動しようとロータリーのバス乗り場に
着いたとき、外国人らしき若き男女が時刻表を見て、なんだか話していた。
インバウンド?観光?岐阜に来た?何か困っているのかな?と思い、
「May I Help you? 」「Where are you going ?」などと声をかけた。
すると、瞬間、どう言おうか?という顔をしたあと、
「 にほんご で いいですよ」とゆっくり言われ、
「なーんだ、話せるんだ」と三人で思わず笑顔に。
「ぎふこうえん に いこうとおもって います。このバスでいいですか?」
「ここでいいよ。もうすぐ来るかな」
同じバスを待つことになった。そこからしばしの会話。
「住んでるの?」「はい、住んでます」
このカップルはミャンマーからやってきた。
見た目20代前半に見える。
男性は、今は三重県で介護の仕事。女性は関ケ原方面の会社
で縫製の仕事をしているようだ。
「介護の仕事も、大変だね。えらいね。」
「はい、でも、たのしいです。いいひとばかりです」
「ミャンマーも大変だね、」
というと、二人とも少し憂いた表情になり、頷いた。
「ミャンマーの人は私も知り合いいたけど、皆あたたかいね。」
というと、笑顔に戻った。
「岐阜公園にいったら、お城もいいよ。あそこに(バス乗り場から
見えるところに)金ぴかの銅像立ってるよね。
あの人のお城が公園の上にあるよ。あの人が岐阜という名前を付けたの。
知ってる?オダ ノブナガという人」
「へえ。知りません。おもしろ」
とそんな会話をしているうちに、バスが来て、彼らが先に乗り込んだ。
ICカードをさっと通してバスに乗る。確かに住んでいる人だ。
同じバスに乗って10分ほど。岐阜公園が近づいてきた。
「次ですよ。」と彼らに教える。
そして、笑顔でおりていった。
「ありがとうございました!」
束の間の小さな国際交流?
勉強してミャンマーから日本にやってきて、高齢社会を支えてくれて
いる。
あどけない、純朴な感じがとても印象に残った。
20年後、30年後、世界は日本は岐阜はどうなっているのか。と思いながら。

彼らの人生が、しあわせであるように、母国に平和が戻るように。
いつか、安心してふるさとに帰ることができるように。



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気にならないサポーター。

外反母趾と長年つきあっている。
靴と足の関係は難しい。
最近、新たに購入した靴が足に合わず、ネットで評価の高い
サポーターを入手して、早速装着して、新しい靴を履いて
歩き始めたが、途中から足先に痛みが走った。
時々立ち止まり、靴の紐をゆるめたり、サポーターの位置を
変えてみたり・・・。でも、やはり痛みはとれないため、
せっかくのサポーターを外した。
外反母趾とつきあうのは、なかなかむつかしい。

今回装着して痛かったそのサポーターを手にとってみつめる。
「ああ、これは確かに痛いわ。」
とても小さいサポーター。これを無理して足に付けていた。
それを足のサイズまで伸ばした分、ゴムの圧が足全体にかかる。
「支えられている!」という状態は、力のかけようによって
苦痛になるのだ。

さて、このサポーターを自分自身や仕事にもあてはめてみる。
今どきは、「伴走者」という役割が重要で、企業にとって、
経営者にとって、働く人にとってのサポーターの存在は必要。
豊かな経験を活かし、組織内で見える世界とは違う視点をもち
外から寄り添ってくれることはうれしいが、
そのアウトプットが時に強すぎたり、痛かったりするのでは、
長続きはしない。

付け具合も重要なのだ。
あまり自己主張もしてはいけない。
まずは、よく聞いて、ほどよくいい刺激やアドバイス、アイデア
を届ける。
苦にならない、気にならないコミュニケーションを心がける。

ときに、「全力で支援させていただきます」という入れ込みも
相手には負担になることもあるかもしれない。
究極は いるかいないかわからないぐらい相手と一体になっている
こと、気が付けば一人で走っている時よりも、何倍も力を発揮している。
気が付いたら、ずっと傍らにいてくれること。そんな伴走が理想か。

私自身、まさに日々、伴走をさせていただく仕事がある。
今一度、自分が痛くないサポーターであるかをふりかえりたい。
付けていても自然、じんわりきいてくる。
それが関係の長続きの秘訣かもしれない。

今回、購入した靴とサポーター。ちょっと無駄な消費になって
しまったかもしれないが、そこからの気づきは大きい。

伴走者という役割については、引き続き考えを深めていきたい。
あなたのお供。
ふと、桃太郎のお供たちが浮かんできた。

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場を創り、盛り上げる。

さまざまな場で、いろんな方に向けた演奏の機会をいただく。
自主企画の場合は、時期、地域、会場を自分で決めて、
表現したいテーマをもって、準備する。企画は自由自在で
あるが集客が一番の課題となる。
一方、ご依頼いただく場合は、集客の心配はない。
いろんなケースがあるが、お客さまはいる前提となる。
与えられた条件のなかで、どう表現するか?
時期や会場や時間帯、客層はもちろんであるが、その与えら
れた時間がその企画のなかでどんな位置づけであり、どのよ
うに会場を盛り上げていくか、構成をどうするか?自分を知
らない人にはどんなイメージをもっていただくと良いか?
そして、一番大切なのは、終わったときに皆さんがどんな
気持ちでいてもらえるか?である。
感動はぜひ、お届けしたいものだ。

構成は与えられた時間のなかで、一応起承転結を想定する。
AIDMAの法則も意識する。となると、衣装もどうするか?
今回のカラーは?対象やイベントの主旨、会場によって
変わる。

本番が1週間前になってくると、このようなことが
ぐるぐる頭のなかをかけめぐり、イメージトレーニングを
はじめる。

今回のご依頼は、周年から1年遅れになったが、コロナも
あけて久しぶりに集う、社内のパーティーイベントでの演奏。
そのイベント自体も従業員の皆さんと一緒に企画、準備の
お手伝いもさせていただく。

当日をイメージする。
参加者の交流がすすみ、お酒も入って、わいわい楽しく、
いい気持ちの場ができつつあるところへ、ミニコンサー
ト。どうはじめるか?どう終わるか?

音楽はその場を創る、盛り上げる役割、使命がある。
今回は、日々一生懸命お仕事をされる皆さんの労を
ねぎらい、主催したチームメンバーも、参加される従業員
さんも経営者の皆さんも、全員ほっこり笑顔になって、
ああ、いい時間だな~と英気を養ってもらえる。そんな
時間にしたい。
もしかしたら、生演奏を聴いたことがない方もおられる
かも。

ここしばらく、頭のなかでぐるぐるイメトレが続くだろう。
毎度のことながら、このカウントダウンは
心地よい緊張時間だ。

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百年時代とコミュニケーション力!

尊敬するおばあさんがいる。
母の親友でもあった方で、若い時から自営業を半世紀以上続け、
現在もデイサービスに行かれる日以外は、店番をされている。

知らない来客が、老人扱いすると、ちゃんと用事を言うようにと
しかりつけるぐらい元気で、まさにゴッドマザーである。
商売自体は、すでに次の世代にバドンタッチされているが、
とにかく店のご自身のデスクに座ること。
それは健康長寿の秘訣のひとつになっている。

この方、かおるさんと言う。
私の高校の先輩でもあるせいか、親しみと尊敬をもって
母亡きあとも、おつきあいさせていただいている。
かおるさんが通うデイサービスに時折演奏に伺っているのも
このご縁があってのことだ。

ひなまつりに、とお菓子を届けておいた。
季節の催事を楽しむことは、とても大切だ。
無事受け取ってもらったかなと気になっていたら、
しっかり電話がかかってきた。
「ありがとうね、気を遣ってもらって、悪いね・・・」
とにかく喜んでおられることが伝わってくる。
元気いっぱい、笑顔が浮かんでくる声。

100歳近くになって、自分で電話されるって、すごいこと。
自分の携帯で番号をプッシュして、話しをする。

まあ、少し言葉が重なったり、話が要ったり戻ったりする
こともあるがそんなことは、気にならず、とにかく気持ちを
伝えようと一生懸命話そうとされていう姿勢に頭が下がり、
ありがたいと思えてくる。

少し話がまわりくどくなっても、何度も同じ言葉を繰り返
されても傾聴する。
とにかく、まもなく100歳を迎える先輩と電話で
コミュニケーションできることがありがたい。
かおるさんは、字が上手で絵も描かれる、
手紙も時々いただく。
どんな思いで?と思うと、向き合っていただいている
ことがうれしくなる。
三味線も演奏されるとも聴いた。すごいなあ。

驚くべき発信力、表現力、コミュニケーション力!
見習わねば!
そのためには、止まることなく仕事を続けること、
何かをやり続けること、関心を持ち続けること、
学び続けること。
かおるさんの背中を見て、そんなことを思う、

来月はまたデイサービスに出向き、
春のお祝いコンサートをしたい。
いつまでも、いつでも、電話をしてきてほしい人。

コミュニケーション力と生きる力は比例すると
薫さんを見ていて実感する。

百年時代は、
まさに元気なコミュニケーションから!

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定年後のスタートにエール。

30年前に、一緒に働いた後輩と、久しぶりに再会。
当時以来、ほとんど会っていなかったため、話題は途切れること
なくあっという間に二時間が経った。

ともに仕事をした日々、お世話になった人やその後会えていない
人のこと。
自身の変化、もう会えない人たちのことについて。。。、
30年という月日は長く、いろんな変化があったとしみじみ・・。
平成から令和へと時代は変わったとも。
その時から変わらないその人らしさを感じながら、ああ苦労も
してきたなあ。がんばってきたんだなあ、とその半生をともに
振り返り、改めて再会を嬉しく思った。

その後輩は最近、定年退職をした。
そして、今は4月から新たな転職先でこれまでと全く違う業界に
就職するとのこと。
そのために半年間、勉強や準備をしているときいて、
とても感心した。

定年後、引退する人は減っているかもしれないが、新たな道に
向かう人は少ないかもしれない。
自分がやってきたことを活かして、少し余裕を持って働くと
いう人が多いだろうが、後輩の場合は、新たな世界への挑戦。

今や60歳は壮年であり、まだまだ働き盛り。
自分次第で衰えることもなく、若々しく、意欲的に進むことが
できる。

「わくわくしますよ。」
とても素敵な生き方だ。

挑戦を続ける生き方。
改めて、自分もそうありたいと思った次第。

京都駅で握手をして別れる。
彼のこれから。幸多き日々であってほしいと願う。
30年ぶりであっても、変わっていない距離感が心地よかった。

一緒にタイムトリップできる仲間がいるのは幸せ。
こんな時間も限りがあるから、会わねばならない人とは
再会しておかねば。

春。挑戦をはじめる季節。身も心も軽やかにGO!

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黙々、着々。

大きなことはできないけれど、何かあったら自分ができる範囲で
誰かの役に立ちたい。とは思っている。
でも、ほとんど何もできていないが。

せめてできることは、出会った人たちとのかかわりを大切に、
寄り添いの気持ちをもってできることをする。
相手のことを気にかける、声をかける、できる応援をさせて
いただく、相談にのる・・・。あくまでも相手と同じ目線で。

なぜ、このことに自分はこんなに関わっているのかなと
思うこともあるが、
そのままにしておけないと思ってしまう。

人様から見たら、なんで?ということもあるかも
しれないが、周りには気になる人がいっぱいいる。

とにかく誰かを応援したり、助けたいときは
黙々と。

小さなお節介の積み重ねが、やがてはいろんな事態が変わる
きっかけになることもあるかもしれない。

目指したいのは、出会ってよかった。
知り合えてよかった。
ということ。

出会ったからには意味がある。
出会わない場合も多いのだから、

いいことこそ、黙々とやる。
そして、着々と人生のゴールに向かう。

今日も何か小さなことができたら、いい。
良かったね。ありがとう。
その対話のために、生きている。
生かされている。





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山に棲む動物への心配

大船渡の山火事が、まだ鎮静しない。
消防、自衛隊による総力をあげての消火活動が続けられているにもかかわらず、
火の勢いは衰えず、その範囲を広げている。避難する人も増えている。
津波を経験された皆さんの不安はいかばかりか。
火事の報せを知ってから、たびたび知人に安否確認と応援の連絡を
していたが、雨乞いをすることぐらいしかできず、本当に申し訳
ない気持ち。

火が広がる様子を映像で見ながら、ふと、山に棲む動物のことが
気になってきた。
人間は避難している。まだ避難できる。
でも、クマやシカやタヌキや・・・・。
鳥たちは飛んで避難できただろうか?

被害の状況を耳にしながら、そんなことが心配になる。
異常気象で、熊や猿が民家に侵入したという報せをよく聞くように
なり、それはそれで地元の方には大変な問題であるが、
その動物たちは山火事という緊急事態で、どうしている?
助かっていないことが想定されるが・・・。

地球のバランスが急激に崩れてきている。
戦争を続ける人間界も、生態系も・・不安定な状況はひどくなるばかり。
自分で制御できない現実に直面することが増えてくるだろう。
対岸の火事ではなく、自分のこととして、一歩先、二歩先と
あらゆることを考えておかねばならない。

人間も動物もそれぞれが平和に安全に暮らせる社会。
当たり前と思っていた時代が懐かしくなる。

とにかく早く、大船渡の山に雨が降ってほしい。

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仰げば尊しの春。

3月になり、町が急に動き出した。
そんなことを感じる3月1日であった。
引っ越しのトラックもちらほら、花をもって歩く若者の姿・・・。

岐阜から名古屋へ戻る途中の駅。電車の乗り継ぎ待ちをしている
ホームで、見覚えのあるセーラー服を着ている女子高校生二人の
姿をみつけた。
とっても楽しそうに笑いながら、話している。
なつかしさのあまり、
「加納高校?」
と聞いてしまった。すると、その二人は元気に
「はい、そうです。」と答えてくれたので
「あ、後輩だね。」
と言ったら、表情がさらに柔らかくなって
「へえ。そうなんですね~」
「スカートの丈は私たちのときと違うけど、
制服見て懐かしくなったわ。昔はもっと長かったよ」
と言ったら、高校生たちは驚き、笑っていた。
「へえ、そうなんですね~」
そう、今どきの制服のスカートはミニ丈である。
そんな会話で、
一気に打ち解けた。高校生と話すのは久しぶりかもしれない。
「今日は何?」
と聞いたら、
「卒業式でした!」
「あ、今日なんだ。それはおめでとう!!」
「ありがとうございます!」
そこから、少し会話を続けた。
ひとりはもう進路も決まり、もうひとりは滑り止め(この言葉も
懐かしいが)は合格、本命はこれからということだそう。
「もう少しがんばってね。とにかく卒業おめでとう!」
気持よく分かれ、彼女たちの楽しそうな会話はその後も
続いた。

大好きな制服だったから、今も町でみつけると、嬉しくなる。

彼女らと別れた後、自分の高校の卒業のときのことを思い出した。
うーん。進路は決まっていなかったから、そんなにハッピーじゃなかった
ような。だからくっきりした思い出はない。
それよりも、わが高校時代は思い出が多すぎて、そのことを想い出したら
胸がいっぱいに。セーラー服時代の自分が次々登場してきた。
ピアノもバイトも、遊びもそれなりにやった時代。

あれから、半世紀近い。
セーラー服で自転車で通っていたあの頃。
音楽やっていたことが誇りだった時代。
そして揺れはじめていた時代。音楽?それ以外?

あおげば尊し。これは明治時代から歌い継がれている
アメリカ生まれの唱歌であるが、永遠の名曲だと思う。
この曲が出てくると、すがすがしい気持になる。

3月。
いろんな節目がある。卒業。いい言葉だ。
すべての卒業生へ、おめでとう。
これからはじまる新たな道への準備をする3月。

分かれていく友達との時間を、
分かれていく家族との時間を
心ゆくまで楽しんでほしい。
そして、家族の応援、親の苦労に感謝を忘れずに。


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かもめりぃの地が・・・。

岩手の大船渡。
お世話になっている人の会社やご自宅もあり、そんなご縁から
この町には馴染みがあった。
そして、あの東日本大震災では津波の影響で甚大な被害を受けた。
知人のご家族も津波で行方不明になったり、その後もその影響で
いろんなことがあり、皆さんのご苦労に対して、何もできない
自分がいた。
1年してから、やっとお役に立つことができると・・高齢者施設
に出向きコンサートを何度かさせていただいた。
この地への応援歌「かもめりぃ」をつくり、演奏した。
地元の新聞社さんにも取り上げていただいた・・・。
東北の町のなかでは、もっとも馴染みのある町・・・。

「自然は感情がないんですわ」
と当時、海とみておっしゃっていた知人の言葉が今も忘れられないが、
今度は山火事が町を襲っている。
その知人のご自宅は、火事現場とは離れているようではあるが、
風向きが変われば、他人事ではないと・・。
そんな危険ななか、連日炊き出しに行かれていると聞き、胸がつまる。
何かできることがあったら!
と言ったものの、今は鎮火。自分には祈るしかできない。

とにかく一刻も早く収まってほしい。
海が穏やかなあの風景を思い出し、
何とも言えない気持ちになる。

どうぞ、皆さんご無事で・・・。
地震も火事も怖い・・・。
自分の意図とは関係なく、襲ってくる。

とにかく、早く・・・。長い夜、早く明けてほしい。
現地の皆さんは眠れない日々をお過ごしだ。

消防の皆様のご尽力に頭が下がる。
一刻も早く鎮火されますように。

かもめりぃの里が・・・。

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