恵みの時間と考える。

予定どおりにいかないこともある。
おもわぬ病気にかかってしまうこともある。
社会生活を営むということは、他者とのかかわりで
成立するのだから、自分が思っているように物事が
進むばかりではない。
何があってもおかしくない、とくに昨今は
そんなことを強く感じる。

今、コロナ感染が急拡大し、仕事関連でも影響が
再び出始めている。昨年までとは違い、
規制がなく、自己判断、自己責任で行動することで
自由とともにリスクも増大。
気を付けて行動しているつもりでも、相手は目に見えない
から、いつだれが感染してもおかしくない。
もちろんひとり無人島にいたり、山間に籠っていれば
感染リスクもないかもしれないが、社会生活とは
人と関わり、交流するのが前提であるので、
いつ何がおきても、やむなきことと思う。

たとえば予定がすべてキャンセルとなり、普段と違う
自宅での時間を過ごすことになる。
もし、重篤でなく、リモートでの仕事もでき、ある程度
可能な範囲で室内で自由に過ごせる場合は、
この突然に与えられた予期せぬ時間を
プラスの発想で迎えたい。

元気であれば、忙しい忙しいと東奔西走していたであろうが
その歩みがピタリと止まった。
これは、与えられた恵みの時間だと考えてみる。

睡眠不足であったならば、充分に眠ればよいし、
たまった読書を楽しむもいいし、映画もいい、資料整理もありだし
オンラインショッピングを楽しんだり、
じっくり書き物をしたり・・・。
とにかく、自宅で、ひとりでできることは、たくさんある。
孤独を楽しむのもいい。
と、時間が膨大にできたということは、恵みである。と考えたい。
外に出られないのは、不自由であるが、今の季節は、かえって
ありがたいという見方もあるかもしれない。

もちろん、お盆休暇前の時期、
やらねばならない仕事は山積み。
これはこれでリモートでできることはしっかりやる。
今はやれることが多い。やれないことは、復活してから
やれるように、今できる最善を尽くす。
リモートで仕事ができることによってのメリットも多い。
コロナは、いろんな意味で教訓を与えてくれる。

元気であれば、動き回るのが常。
しかし、暑さで、マスクを絶対装着しなければならない
外の社会生活は苦しすぎる。
まるで、何か人間が大きな罪を背負って歩いているような
光景にも見えてくる今日。

そんな外界から離れて
自宅で快適に休めるのであれば、これはこれで幸せなこと。
もちろん、まずは療養、回復につとめること。

と、何があってもおかしくない状況のなかで、
いかにその事態をどう前向きに過ごすか、楽しむかについて、
考えてみる。

もちろん。何もなければ一番よし。
今日も無事であれば、ありがたい。
でも、明日は我が身。と思いながら・・・。
どんなときも、プラス思考で。
今日というかけがえのない日が、恵みの時間となるように。

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キックオフこそしっかり。

終わりよければすべてよし。という言葉があるが、
始まりもとても大切だ。
仕事で何か新しい取り組みをするときには、
キックオフミーティングと銘打って、
関係者で集い、目的やターゲットなど基本的なことを共有する。

まずは可能な情報を共有、確認しつつ、
目的に向かって、それぞれの役割分担でもって具体的な行動に
乗り出す。
同じスタートラインに立っている!というこの
心持こそが、協働作業には大変重要で安心の第一歩になる。
このキックオフがうまくいくことで、このプロジェクトが
なんだかワクワクしたものになる、
うまくいく予感がする。
ということにつながる。

これまで いくつのキックオフをやってきただろう。
今はゴールを見据えている。
プロデュースしていく立場は、はじめと終わりを
結ぶ役割を担う。

新たな仕事は、いつもどきどきわくわく。

関わる人たちと、コミュニケーションを重ね
切磋琢磨して、知恵を出し、行動を興す。
ゼロからの仕事を楽しみながら、
カタチにしていく。
まさにコミュニケーションクリエイターの
楽しみでもある。

キックオフから、新たな出会い、そして意外な化学反応が
起きることを期待しながら・・・。

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手のひらのクールダウン作戦

とにかく、とにかく暑い。暑すぎる。
「いのちに危険を及ぼす暑さ」
というこの言葉がとても怖い。
冷房がない部屋では干からびてしまう。
一人暮らしのご老人は本当に注意せねば。

そして、ご老人の心配だけでなく自分のことも
同様だ。
できる限り、昼間の外出を控えたい。
そうは言っていられないことも多いけれど
とにかく、8月は注意月間。

そんななか、少しでも涼しくならないか?
と、毎日何回も何回も見て暮らす、スマホに
注目。
このスマホ自体で温度設定ができて、クールダウン
できる・・そんな機能があったら、いいな。
と妄想。いや、余計に電池を使ってしまうので
熱くなってしまうかも。

では、見た目でなんとかしよう。
と、何気なくスマホに入っている撮りためた写真に
目が行く。何かないか・・・。
そんななかから、先日、自分で下処理をしようと
入手してきた京都産山椒の写真が目に飛び込んできた。
これ、いいかも?
と、壁紙にしてみたら、なかなかイケる!
山椒のきれいなグリーンが涼し気であり、
またあの一粒一粒のぴりり感を想像すると、ちょっと
涼しくなるのだ。

夏の山椒。
と、こんな具合に壁紙を、自分なりに避暑地化
してみるのは意外といい。
小さなことではあるが、涼感を体感できる
モノ、ことを工夫して、なんとかこの夏を
乗り切ろう。

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応援したい人、応援される人。

自分が応援したいと思う人は、いるだろうか?
この問いに対し、いる!、といろんな方の顔が浮かぶ。
会社の社長さんであったり、そこでがんばる社員さんであったり、
病気から快復、リハビリに専念するおばあさんであったり、
ご家族を最近亡くされて、悲しみを乗り越えようとされている人
であったり、障がい者との社会共生のために新しい知恵を絞り
行動している人であったり、介護を頑張っている人であったり、
若手のアーチストであったり、コロナに負けず公演を決行しようと
腹を決めて準備にとりかかる人であったり・・・。。
よく考えたら、数えきれないほどに、多くの人のことが浮かび、
それぞれと関わり合いながら、日々を生きている。
純粋に頑張る人、前向きに生きていこうとする人を
応援したい!自分だけ良くなろうとしている人のことは、そういう
気持ちにならない。
最近も、毎日のように新たな出会いをいただいているが、
自分にはない発想や行動力で、挑戦を続けている人たち。
社会を善に導こうと奮闘する人のことは、自然と応援したくなる。

そして、自分はどれだけの方に応援していただいているだろうか。
この問いに対しても、いろんな顔が浮かんでくる。
いつも寄り添って応援してくれる人、遠くにいるけれども、
ずっと気にかけてくれる人。
その人が声をかけてくれるだけで、勇気百倍湧いてくる。

応援というのは、一方的でなく双方向であれば、尚いい。
応援し、応援される。
お互いを認め、敬意を、そして友情を、信頼をもって
お互いをじっと見守る。
そして、応援というのは行動を起こすことも大切だ。
見ているだけでなく、ときには目に見えるサポートをすること。

あの人が見ていてくれる。この安心感は毎日世間の荒波をわたっていく上で、
とても重要だ。

今、改めて自分の周りにいてくださるひとり一人の顔をしっかり
思い浮かべ、ありがたいと思う。
もちろん、その応援者の中には、両親も含まれている。

がんばれ~!暑さに負けるな~!
そんな声が聞こえてくる。

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ギラギラとキラキラのAugust

8月になった。
夏休みどまんなか。
子供も大人も開放された気分とともに
この暑さとコロナに、どう立ち向かうか。と
緊張も入り混じる。

もう人々は止まっていない、我慢しない。動いている。
コロナとともに過ごす、夏。
マスクとともに過ごす夏休みとは思いもしなかったが、
この光景が現実だ。
なんともいえない、2022年の夏本番。

ギラギラと太陽の照り返し。
外を歩くのも危険。バランスをとりながら生きるしかない。
冷房があってよかった。
昔はエアコンがなくても、暑いといいながらもなんとかなったが、
今はエアコンなければ、命も危ない。
と、そんな過酷な8月が始まった。

私が好きなerが接尾につく月がはじまるまで、あと1か月の辛抱だ。
そう、Septemberが来るまで、1か月がんばろう。
それまでに、今月は、朗読劇の本番もある。
キラキラ演じる役者とともに、私もキラキラオーラを一緒に発し
暑さを忘れたい。

ギラギラの夏。
暑さに負けずに、キラキラ輝けるように。
あっという間に駆け抜けるだろう。
だから、瞬間瞬間を大切に生き抜きたい。

太陽を向いて咲く、ひまわりのように、
笑顔で、キラキラ8月をはじめよう。

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東京駅キオスクのおねえさん。

たまには、いろんな人の1日、たまには、その人の人生を
無責任にイメージしてみるのも楽しいかも。
そんなことを思う小さな出来事があった。

東京へ出張に行き、東京駅から新幹線に乗る時は、
時間がある限り、決まったキオスクに寄ってから
新幹線の改札に入ることにしている。
そこのキオスクだけ、私が読みたい新聞を売っているのだ。
改札内の売り場では、種類が少なく好みの新聞ではないので
決まって、その「いつものキオスク」に寄って2種類の
夕刊を手に取る。
「はい、東京新聞と毎日新聞ください」
キオスクのレジもセルフが導入され始めて
いるが、そこは幸いにして、有人レジも併設されている。

「はい、100円ですね。」
「はい、SUICAで」
ピピッといつもの音が鳴り、
「ありがとうございます」の声。
もうお釣りを出したりする回数は減っているんだろう。

今日の担当は私より年配に見えるおばちゃん、いやおねえさん。
今は品出しをしたり、有人レジの対応で1名。
昔は、キオスクに2名が働いている・・そんな光景もあったが
今は多くの場合1名で回しているため、なかなか忙しいのだろう。

新聞をバッグに入れ、さあ、出発と財布をしまったり
しているその1~2分。さっきまで後ろで聞こえた声が
近づいていることに気づく。
「ま、素敵な洋服。これ、へえ。いいわね~。こういうのは
重ね着っていうのかしらん?」
そのレジにいたお姉さんが、店から出てきて、私の洋服を見に
きたのだ。そして、上から下まで見て、珍しそうにしている。

「そうです。重ね着ですね。でも、今日は重ね着は暑いですね」
「そうねええ。いいな。ちょっと見せてもらおと思って、へえ。」
お姉さんは、仕事そっちのけで、私の服を見て、なんだか喜んで
おられる。そんな珍しい恰好でもないが、ま、お気に召したなら。

「それは、伸び縮みするの?私のような体形でも着れるかな?」
へ、そんなに興味があるんだ。
「いやー。私が着ているぐらいですから、大丈夫ですよ」と
近所のおばちゃん状態で話していると、お客様がレジに。

「あ、いけない。お客さん来られた。ありがとう、お気をつけて」
そのお姉さんは、笑ってすぐ店に戻られた。
もう私もその人のことをしっかりマークした。

東京駅改札前のキオスク。
電車に乗る人も乗らない人も利用するキオスク。
毎日何人の人が利用するだろう。
そこで働く、あのお姉さんは、毎日どれだけの人のファッションを
目にするだろう。
そういう目で見ると、なかなかいい定点観測ができる場所でもある。

そして、気になったファッションのお客さんには、こんな風に
声をかけているのだろうか?
と思うと、楽しくなってきた。
仕事って、そんな楽しみ方もあるかもしれない。
と、勝手にキオスクで働くおねえさんのその1日を想像してみた。


どこで見られているかわからないもんだ。
東京駅のキオスクの中から見える世界。
とても興味深い。

また今度寄ったとき、覚えているだろうか?
多分、覚えていないかもしれないが、
そんな瞬間瞬間での出会いも面白いものだ。
駅ってそういうドラマがある。

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年齢の差を楽しむ。

ある勉強会の懇親会で、たまたま20代の人たちと
同じテーブルになる。
1時間半ぐらいの会食の間、いろんな話になる。
若い人たちの交流がメインであるため、こちらは
一応、隣で話を聞きながら、ときどき突っ込みながらも、
あとは頷いたり、合いの手を入れたり・・・。
時間が進むにつれ、ああ、時代が違うんだ~と
つくづく思えるほどに会話の中身がわからなく
なってきた。
「アイドルっていいですよね」
という会話で、具体的なK-POPのアイドルの名前が
ずらずら出てきても、もともと関心がないため、
理解できずにいる自分がいた。明らかに浮いている。

また、仕事観も休日の過ごし方も違うことに驚く。
ああ、今時の人はそうなんだ。自分が20代のときは
と思い出しながら、時代だけでなく個の違いもあるな~。
とにかく、新鮮であった。
でも、結婚観などは、意外と古風で保守的なところもある。

と、観察していて、いろいろ発見があった、
でも、やっぱり世代が違うな~が結論。


20代とのコミュニケーションに少し普段と違う
パワーを費やした翌日、次はなんと18歳の少女との
顔合わせ。
8月に行う朗読劇の役者さんである。
なかなか10代の人と話す機会はない。
「いやー、3倍以上生きてるけど~」
親子以上に年が違うが、こちら職業意識が高いせいか
しっかりしていて、大変大人びている面も感じる。
でも、ういういしくかわいらしい。
今回は、挨拶程度しかできなかったが、長く会話をしたら、
また未知の世界に誘われるのかもしれないが、
とにかく新鮮。


時代もあるだろう、個性もあるだろう。
そして、成長していくのだろう。
と、10代の頃の自分を思い出す、恥ずかしい気持ちに
なってきた。
とにかく異世代コミュニケ―ションは、学びがいっぱいだ。
時々、おすすめ。

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「今日の小山」を登り切る。

人生、山あり谷あり。
という言葉は一見耳にやさしい言葉。
でも、よく考えるととても深い。

改めて自分なりにとらえ直してみる。
山というのは、自分より高い位置にあるもの、自分から向かっていくもの。
登ろうと意識しなければ進むことはできない。
ときには、「よし!」と意気込むことも必要。チャレンジをも意味する。

谷は、襲ってくる困難、アクシデントにどう立ち向かうか。
注意して進まないと、谷底に落ちてしまうから、ちゃんと足元に注意を
はらって進まねばというイメージ。

人生と言う道は、平坦ではないよ。眼を見開き前を見て、そして足元にも
目を向けて、四方八方に意識を向けて、心して生きるようにという意味にも
思えてくる。

山あり谷ありだから、苦労もあるが楽しみもある。
生きている時間、いくつもの山を登り、谷を抜けることで、
人生は豊かになれるはず。

毎日が山あり谷ありの積み重ねなのかもしれない。
しかし、そんなことをいちいち意識したら、とてもしんどいから、
そんなに気負う必要はない。
ただ、ちょっとだけ意識したい。
「今日の小山」を登り切ることを。

毎日が小さな山の連なり。
小山を越えることで、終えたあとが爽快だ。
おいしい乾杯のために、ゆうべのために、なんでもいい、
小さな今日の締めが笑顔でできるように、
今日という山をしっかり越えていこう。

私にとっての「今日の山」。
また新たな出会いが生まれそうだ。
わくわく気分で一気にのぼるとしよう。

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自己責任でWITHコロナ時代を生きる。

国が行動規制をしない。
今回のコロナ対応。
賛否あると思うが、全部止められても困るという
状況でもある。
それぞれがそれぞれ自分で判断できることを決定し、実行する。
コロナのこの3年の教訓は、そういうことらしい。

結局は、決めるのは自分。
自己責任で行うしかない。

そこで気を付けて積極的に行動するか、
もしくはやめておくか。
どちらもありえる。

何かあっても人のせいにはしない。という覚悟のもと、
行動する。あるいはやめておく。
それで良いと思う。

私の場合、今日の仕事は、最後のひとりになっても
自分からやめるわけにはいかない。
でも、もちろんリスクはある。
こんな状況でも、わざわざお出かけいただける方に
感謝を込めて。

人の責任にしない。それだけはしっかりしたい。
何とか、無事突破したい。

笑顔でまず、今日を終えられるように。

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飲食店のきもち。

今週ある勉強会を予定していた。全国各地から都内で集まっての研修会。
昨年は、コロナで会えないなかオンラインで一緒に学んだ仲間たちが
今年こそは、と対面を果たすことも大きな目的のひとつであり、楽しみであった。
まさか、今年はコロナはさすがに・・。開催に不安を感じることはないだろう
と思っていた半年前。

準備もすすめて、いよいよ・・となったこの7月半ばから、コロナ感染が急拡大。
さすがに地方から東京へ出張する立場になると、東京の今はちょっと危険と感じる
人もいるだろう。さらに会食となれば、キャンセルしないと、という気持ちが勝るのは
やむなきこと。

そんなことで、この1週間のうちに、毎日のように会食のキャンセルが続く。
感染対策はしているよ!といっても、とくに地方の方からすれば、東京での会食というだけで不安になってしまうのだろう。

ということで、ここしばらくレストランの立場でこの様子を見ているため、
いかに飲食業の人がこのコロナで毎日、どんな思いをしてきたかが想像でき、
心から同情してしまう。心折れるのもわかるな~という感じだ。

電話が鳴る。そのたびにキャンセルの連絡・・。
「あ、また」「あ、またか・・・」
せっかく集まれると思ったのに、ひとり、ふたり・・・。
コロナも落ち着き、せっかくいい感じでお客様も戻ってきたのに、
と夏に向かったこの矢先の、キャンセル続き。
こんな思い約3年、毎日、毎日してきたんだ。

よく言えば打たれ強くなり、一方、心も折れるのも理解できる。
開き直るしかない、現実に向かうしかない。となってくる。
お店の人の気持ちが本当にわかるような気がして。。。
いよいよ、明日が本番であるが、今日もまた電話がメールが入るのかも。

と思いながら、どきどきしながら最悪の場合も想定しながら備えていく。

その立場になると、気持ちがわかるもんだ。
飲食店の皆さんの3年の苦労を思うと、いろんな制限がない方がいい。
あとは利用者の自己責任ということになるけれど。

ウィズコロナ時代のイベント開催の難しさ。
もちろん自分に何かあった場合のことも想定しながらいる。

安全に無事に予定が遂行できますように!
やって良かったと、
マスク越しではあるけれど、たくさんの笑顔が見られるように。


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