10代に学べる機会。

今日から東京入り。
雪の2月の公演以来の下北沢。
演劇の町、文化の町として、何か心躍るものがある。
夢がある、自由がある、未来がある。
自分は、自分たちはこれを表現しよう。
自分は、将来こうなるんだ。こうなりたい。
多くの役者はここで鍛えられ、そしてメジャーになっていく
人もいる。
そして、お客様の立場になれば、
あの劇を見て、元気になろう。夢を描こう。
リフレッシュしよう。プチ日常を愉しもう・・。
とみんなの前向きな気持ちがあふれる街だと思っている。
ビジネス街とも、一般の観光地とも違う、明るさと自由が
ある町。
と、そんな印象だ。

そんな日本のブロードウェイにたびたび足を運べるのは幸せで、
しかも、観る側だけでなく、演じる側に身を置ける時間というのも
大変貴重である。

今日から舞台づくりや最終の音合わせ、などなど
一気に明日からの本番に向けての準備がはじまる。

私にとって、今回の楽しみのひとつは10代の役者さんとの
交流だ。
自分が18歳のときを思い出すかもしれない。
そして、そこから歩んできた道のりも思い出すだろう。
そして、未来志向ということについて、
前向きということについて、いろんな学びをいただける
と思っている。

若いっていいな。にとどまらず。自分もさらに若々しく
生きるためのきっかけを得たいとも思う。
異世代、異世界の人との出会い、共有の時間は、
自分を磨く、育てる上で大変貴重だ。

自分と一緒に演じて良かったと思ってもらえる
表現をしたい。
そして、おいでいただけるお客様に、来てよかった!と
思ってもらえる時間にもしたい。

初日以外は、劇後に少し歌も?
劇中で弾いた曲の原曲を少し披露したいとも思っている。

10代の自分。それからの自分。ここからの自分。
ずっとつながっている。

「真夏の雪」明日が初日。

https://www.blets.net/%E6%AC%A1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E6%BC%94%E6%83%85%E5%A0%B1/

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人が代われば、作品が変わる。

今週末に行う、朗読劇の2回目の音合わせ。
前回と違う組のキャストとのオンラインでの稽古となる。
同じ作品、同じ脚本なのに、役者が一人、二人入れ替わる
だけで、全く違う作品のようになる。
これは、今回発見した事実!

もちろん、これまでも、たとえば同じベートーベンの
ソナタでも、ピアニストが変われば、違う曲になる。
指揮者が変われば、まったく違う交響曲になる。
と、演奏者、表現者によってそれぞれ違う作品になると
いうことは知っていたが、今回は自分もそこに参加しな
がら、体感できるという貴重な経験。

演ずる若き役者さんのセリフ。具体的には声のトーン、
話し方、話すテンポ、表情の出し方、感情の入れ方など
によって、ほんとうに伝わってくる世界が異なってくる
面白さ。個性とは、ほんとうに大切であるとも思った。

ああ、こんなに変わるのだ。
では、それぞれの演技に合わせ、音楽が入る間も少し変える必要が
あるかも?
それにも気づいた。

作品というものは、つくる人もすごいが、それを演ずる人も
凄い。その人の表現力で、その作品は生き、またその逆もある。

今回は、いずれも若き役者ペアが、いい一体感でがんばっている
ところに、好感をもち、期待を抱いている。
不思議なのは、出会って間もないのに、もう親しい。
チームワークをすぐに発揮できるのも、彼らの能力のひとつ。

キャストA組にとっても、B組にとっても、
それぞれがいい作品にできあがるように、ベストを尽くしたい。

ダブルキャストに寄りそう仕事、経験はあまりないかもしれない。
楽しみになってきた。
緊張感とともに、わくわく感も日々増して・・・。
言葉と音で、見えない世界を作り出す。
とくに「読む」コミュニケーションで、新たな世界を創出する。
文字が言葉になり、世界になる。

本番が近づくにつれ、作品ができあがっていく。
このプロセスも楽しみたい。

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今日も明日も「どっち行く?」

東京はどの町も、駅も常に変化があるため、いつもと同じ道でも
何かしら、発見がある。
京都では、普段行かない道、あまり人が歩かない静かな路地などを行くと、
まだまだ知らない京都に出会える。

自分が棲んでいる町も、ふるさとも・・東京や京都ほど、選択肢は
少ないけれど、いつも歩き始めるとき、交差点に出たとき、ビルの前に
きた時、「どっちいく?」とその都度、道を選んで、なるべくいつも
違うところを歩くことにする。川のほとりを歩く時も、往復で両岸を
歩くようにする。
気が付けば、いつも違う道を歩きたがる傾向があるようだ。
ひなたか、ひかげか。咲いている花は、いつもみかける猫は、鳥は・・・。
少しでも変化をみつけたいからだ。
ちょっとした工夫で、歩くのも楽しくなる。

名鉄岐阜駅のビルの入り口で立ち止まった。まっすぐ入れば、
母と待ち合わせした店や、一緒にランチを食べた店の前を通ることになる。
そういえば、両親がいなくなってから、そこを通ったことはなかった。
「どっち行く?」よし、今日はまっすぐ行ってみよう。と思った。
なぜか、ちょっと勇気がいった。
そして、その店が近づいたら、急に元気だったころのことを思い出し
たまらない気持ちになり、少し手前で曲がった。
道によっては、思い出が濃厚すぎて、もう少し時間が必要ということもある。

と、長く生きていくと、そんな思い出の道も、いろいろあるけれど、
「どっちへ行こうか?」「どの道、行こうか?」と毎日、そんな風に
きょろきょろしながら動いている。
そうしながら、意外といろんなものを見ながら、考えながら
心豊かに過ごせている。
そして周囲の変化と、自分の変化を見比べている。

人生はこんな風に、毎日「どっちいく?」とつねに自分に問いかけながら
進んでいるのだと思う。
自分の意志で進むのが良い。
自分で選んだ道を進む続けることで、自分らしい人生になる。
仕事でもそう。相手との対話でも、おつきあいでも。
「どっち行く?」
選択しつづけ、進む。そしてまた・・・。
それが、毎日の積み重ねである。

さあ、今日は「どっち行く?」

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輝く、素敵な1週間を創る。

8月も後半。秋が近いとも感じる。
セミの大合唱が聞けるのも、あとしばらくか。
と思うと、この暑苦しい夏も少しだけ名残惜しく、
でもやっぱり秋が待ち遠しい。

芸術の秋には、ちょっと早いけれど・・・そんな1週間がはじまる。

写真は、今週公演を行う朗読劇「真夏の雪」の練習風景の様子。
といっても、私はここに行かず、リモート参加。
ネットでつないで、音だけ参加。リアルには勝てないが、音合わせはできる。
便利な社会。コロナのおかげで、遠くにいても練習に参加できるようになった。

初めて出会う役者さんたちの澄んだ、元気な声を聞き、
ああ、今回もいい作品になると確信する。
ネットであと1回の練習、そして前日の現地でのリハーサル。(この日が重要だ)
そして、26日から毎日2回の公演。
あっと言う間に過ぎるだろう。
いろんなことを抱えながら、1週間が始まった。
一生懸命、心を込めて、そして、集中力をもって。

オーディションを受けて、選ばれてきた若者たちとの共演。
とびっきりのステージに、夏の良き思い出に・・・。

ぜひ、ひとりでも多くの方に楽しんでいただきたい。

1.作品の詳細はこちらです。

https://www.blets.net/%E6%AC%A1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E6%BC%94%E6%83%85%E5%A0%B1

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2.ネット配信でのご予約はこちらからお願いいたします。(8月末からの試聴です)

https://teket.jp/4220/14448

※今回、ダブルキャスト公演のため、ネット配信も2種類から選べるようになっております。出演者についてなど、1の詳細をご参考にしていただきお選びください。
(写真はキャストBです)

3,当日劇場へおいでいただき観賞いただける方はこちらからお願いいたします。

https://www.quartet-online.net/ticket/manatsuyuki?m=0ugdgfe

そんな思いを抱きつつ、まず、今日と言う日をしっかり生きる。
輝く1週間のはじまりだ。

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ひとりオーケストラを演ずる。

この朗読劇「真夏の雪」。まさに今が、上演にふさわしい季節。
演劇や朗読劇で自分のオリジナル曲を使い、演奏するのは
これで三作目であるがそのつもりで作ったわけではないのに、
場面場面に合わせて選び、演奏すると、まるでそのために
作ったように、マッチするから不思議だ。

音楽は歌のあるなし、演奏の仕方、あるいは演奏する楽器によって
まったく違う顔になる。表現の可能性が無限大になるのである。

そして、劇や映画の場合は、イントロとエンディングがやはり見せ場で、
そこに音楽は欠かせない。
観客を引き込み、そして感動を高め、作品を締める。
音楽で決まるといっても過言ではない。
言い換えると、かなり緊張する瞬間だ。
とくに クライマックスはひとりオーケストラでのシンフォニーのごとく、
最高潮のまま、終えなければならない。というプレッシャー。
でも、うまくいったときの快感がたまらない。

今回の公演はダブルキャストであるので、練習の工夫も大変だ。
「昨日は、役者だけでCD音源で練習してみましたけど、いい感じです。
改めてきいて本当に素敵な曲ばかりです。使わせていただいてうれしいです」
この作家の褒め上手には、いつものせられる。でも、とてもうれしい。

音合わせは各ユニットと1回づつのみ、ZOOMで行う。
どのタイミングで、どの曲が流れるかがわかればいい。
そして、リハで会いましょう!
と、前日現地で会う約束。

現地入りしてから、本番モードに突入する。
今回もいよいとあと1週間となり。楽しみになってきた。

演奏で、朗読劇を最高に仕上げたい。
さて、その本番。ぜひご鑑賞ください。
1.作品の詳細はこちらです。

ttps://www.blets.net/%E6%AC%A1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E6%BC%94%E6%83%85%E5%A0%B1

2.ネット配信でのご予約はこちらからお願いいたします。(配信は8月末から)

https://teket.jp/4220/14448

3,当日劇場へおいでいただき観賞いただける方はこちらからお願いいたします。

https://www.quartet-online.net/ticket/manatsuyuki?m=0ugdgfe

さあ、この1週間で集客と本番と・・・。
いつも本番が近づいてくると、なんともいえない高揚感がある。
若き役者さんたちとも会える日も近い。
新たなお客様たちに合える日も近い。

ピアノは立派なひとりオーケストラ。
なんでも、ござれ。なんでもやれる。

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帰るお盆と・・・。

お盆になると、ほおずきを見かけることが多くなる。
私も、今年は大きいのを買って、お墓に飾った。
ぐっと臨場感が増す、雰囲気たっぷりのお供え花。
お墓にも、お寺にも、仏壇にも・・・。
とくに、あのあざやかなオレンジは、暑さのなかでも、
元気が湧いてくる、まさにビタミンカラー。

そして、
この写真は、ほおずきの皮をむいたもの。
使ったあとのほおずきの活用法のひとつらしい。
レースのような皮の中にプチトマトのような
ほおずきの実が見える。
最近では、これをつかったリースなどもあるようだ。

お寺でいただき、早速、両親の写真の前に飾ってみた。
ご年配の方には、ほおずきは、懐かしい夏の風物詩だそうだ。
中の実を食べて、音を鳴らしたもんだと・・そんな話を聞き、
ほおずきが長らく、生活に浸透していることも知る。

さて、そのお盆。
今や夏休みのイメージが先行しているが、もともとは
みんなで、先祖にお参りするというならわしから。
それも江戸時代から・・・ということで、もっと早い段階では
仏教行事として、1000年以上継承されているようだ。

さて、そんななじみ深い、お盆・・・。
お盆に先祖さんが帰ってくる。というけれど、
ご先祖は、お盆しか帰ってこないのか?かえってきちゃいけないのか?
と、最近お会いしたお寺の住職さんとそんな話になった。

いろんな考え方があるけれど、私にとっては正直あまりお盆も
お彼岸も関係なく、
親はずっと心のなかにいる存在。いつでもいる。
帰ってくるのではなく、すでに、ここにいるけど?
という感じ。

こちらが意識している限り、相手は生きていると
信じているせいかもしれないが。

だから、今年のお盆も帰ってきたという感じはなかったし
初盆である父に対しても、久しぶり~と言う感覚は
まったくなかった。

暑い中 お墓に行き、花を取り替える。
「今日も、まじあっついね。」などと、両親に話しかける。
普段通りである。
なんだか、にこにこしているような気がする。

ふたりは、いずれ同じ土になる。

そんな二人は、やはり幸せ。

今年のお盆は、そんなことを思った。

帰ってくるのではなく、すでにここにいる。
ふたりでいる。よかったね。という感覚だ。

盆が過ぎても、変わらず。
お墓に行けるときも、いけないときも、
毎日思い、話しかけている。
それでいい。

毎日がお盆というわけにはいかないが、
とにかく
忘れないでいたら、その人はいる。
そこが大切だ。
と思っている。

お盆は、生きている人が寂しく思わないための
そう思わず、元気に生きていけるための
きっかけのひとつなのかもしれない・・。

ふと、そんな風にも思えたり・・・。

それだけ、大切な人の存在は見えても、隠れても
大きいのだ。



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人生のたいせつな節目にうたう歌

今回の郵便騒動はなんとか2件で終わり、他の郵送物は無事に届いた。
そして、今度はお手紙と枝豆が届いたり、日々、送り送られの日々が続いている。

その枝豆を送ってくださった方は、新潟の農家さん。
そう彼女は枝豆と米粉の普及をテーマに地元で活躍する農業女子で、
20代前半のときからのおつきあいであった。
純粋で、まっすぐで しっかりしていて、新潟の女性とは本当に強い!と
思わせてくれる素敵な見本のような人で、将来が楽しみだと思っていた。

彼女が結婚され、出産、育児で大変な時期から少しご無沙汰していたが
今回、久しぶりにその元気が伝わってくる枝豆便が届き、そして、
お子さんも小学校に入学され、今年から枝豆ショップを立ち上げたり、
米粉の事業を改めて起業というカタチでスタートすると聞き、
とてもうれしく思った。

そして、彼女が結婚されるとき、私がつくった「ひと・文様」を結婚式で
流して良いか?と聞いてもらったことを思い出した。
そんなこともあったなあ・・・。

今回久しぶりに電話で話すことになり、近況を伝えるなかで、
「昨年、両親が亡くなったのだけど、葬儀のときに、
あの『ひと・文様』を歌ったの。今から思えば、
A子さんの結婚式にも使ってもらった曲だったね。
親の金婚式を思ってつくった歌だったから・・・。」

ちょっと、縁起でもないかと思いつつ、そう伝えると彼女は
「そうですか~。へえ素敵ですね。あの曲は人生の節目にうたう曲ですね。
そうなんだ~。」
と電話口で、感動してくれた。

なんだか、久しぶりの会話で、さらに成長された彼女とそんな会話が
でき、うれしくなった。
「ひと・文様」
ほんとうに縦糸、横糸の人生を綴った夫婦だった・・・と改めて両親を
思い出し・・・。
今日はその気持ちを込めて、ちょっと遅めのお盆の法要。
感謝の気持ちを込めて。

人生の節目にうたう歌。
いいお褒めの言葉いただき、とても幸せな気持ちになった。

そして、改めて、A子さんのこれからの人生の節目節目を見守りながら、
ずっと応援したいと思った。
久しぶりにいただいた枝豆は、やっぱりとびっきりおいしかった。
https://edamame02.base.shop/

ひと・文様の演奏は
https://www.mahsa.jp/creation/

こちらのページからごらんになれます。

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奇跡は二度も?

前日の投稿からの続き。
郵便の話だ。

送ったはずの郵便、封筒と中身がバラバラにではあったが、
無事、相手に届き安堵。
では終わらなかった。

その解決した日の夜に、長崎の知人からメールが・・・。
「先ほど、お手紙届きました。ですが、中身がなかったのです~。
チラシか何か入れていただいていますか?お伝えせねばと思い
メールしました~。」

先の方の分が無事に届いたので、今日は安心して眠れると思った
矢先のこのメールでガーン!
マンガであれば、頭上の棚から、どさっと郵便物が降ってくる感じであった。

まじ!?なんで、またそんなことが?2件も続けて・・・。
再びちょっと不安な気持ちで夜を過ごし、朝9時になり、前回ご親切にしていただいた
郵便局に電話をした。(9時になるのを待っていた感じだ)

ご担当はMさん。すでに私が今回出している郵便物の中身はごらんになっており、
すっかり知り合い状態である。
電話口に出られたMさんに、
「いやー、昨日はお世話になり本当にありがとうございました。」
先方もにこにこ顔が浮かびいい感じの声で、
「いえいえ、良かったですね。お役に立てて何よりです~」

続けて、今日の電話の要件を切り出す。
「あのー、ほんとうに本当に申し訳ないのですが、もう1件、封筒だけ届いた~と
ゆうべ連絡入ってしまいまして・・・。ごめんなさい。同じ日の郵便物で
残っている分があればと思い、一度見ていただけたらと思いまして・・・。本当に
すみません。」
とお伝えしたら、Mさんは落ち着いて
「そうですか~。わかりました。その郵便ですが、もう一度確認させてください。
最初どちらの郵便局に出されたんでしたっけ?ポストでしたっけ?・・・・
そしてどちらに送られましたか?」
と前回以上に詳しくヒアリングしていただいた。
その郵便は、長崎宛てです~。と詳細の住所も伝えた。するとMさんは
「わかりました。では、これから調査しますので、おそくとも今日中、いや、午前中にはお返事できると思います。今日お電話して大丈夫ですか?」
これまた、ご丁寧な対応に頭が下がりっぱなし。

「いやー、ほんとうに本当にごめんなさい。まさかもう1件出てくると思いませんで・・」
ペコペコしながら電話をおいた。
まあ、出てこなくてもしょうがない。そんな続けてラッキーはないはず・・・。

2時間ほど経過したあと、電話が鳴った。
もうMさんとは、仕事仲間のような感じに打ち解けている。
「大変、お待たせしました。」
Mさんは、なかなか心憎い。結論を先に言われないのだ。経過をたどる報告であった。
「まずは、お客様が出された局で確認し、そこでなかったので、再度私どもの局で確認し
なかったので、それで、長崎の大村局というところに連絡をしました。
そこになければ、そのあとの配達局ということになるのですが、大村局にありました!
私はその現物と同じものを見たことがありますので伝えましたところ、それらしいものがあると確認がとれました。入っていたのはお手紙と〇〇でよろしかったですか?」
この素晴らしい報告にまたもや感動し、歓喜の声をあげそうになった。

「あったんですか!!!すごい、長崎まで連絡していただいて申し訳ないです」
「それでですね、前回、私が一昨日書かせていただいたと同じように、
長崎の局のものが、住所を代筆させていただき、速達で今日の午前か、夕方までには必ず
お届け先にお届けしますので、先方様にそのようにお伝えいただけますか?」
と、今思い出して書いていても、感動してしまう、見事な対応と説明。
「いやー、ほんとうに本当に申し訳ありません。大変助かりました」
とお礼を何度も言う。
「いえー、ほんとうは全員がそんなことができたらと思いますが、今回はたまたま
二件ともうまくいきましたが、いつもいつもうまくいくとは限りませんので。」
それにしても、郵便局のネットワークも大したものだと心から感動。

「それでですね、今尾さま、またもしかして何かあったらいつでもご連絡ください」
と言われてしまい、いやー、穴があったら入りたい気持ちになった。
もう3件目はないだろう。ないと思いたいが、送った人全員に、「ちゃんと届いて
いますか?」と聞くのも・・・である。

とにかく、奇跡が二度もおきて、ほんとうにびっくり。
長崎の封筒だけを受け取った知人は、この結果にびっくり驚きながら
大笑い。
「今尾さん、調べたんですか。そんなの調べられるんですか~。」
「いやー、ほんとうに素晴らしい郵便局員さんに出会って・・・
実は前の日にもう1件あったんですよ」
ここで、また爆笑された。

改めて、糊付け注意報。であるが、
それ以上に、郵便といえば糊付け!と一生忘れない教訓をいただいたのと、

親切な仕事を自然にできるMさんのこと、ほんとうに素晴らしいと思った。
失敗から学ぶことは、大きい。
感謝を込めて。

いやはや、とびっきりのお盆になった。
奇跡は二度起こったのだ。

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プロの仕事と糊付け注意報


「お手紙届きましたが、中身がなく、残念で~す!」
こんなメールが届いてびっくり!
郵便を出しはじめて半世紀。こんなことは初めてだ。
(今から思えば、連絡がなかっただけかもしれないが)

そのとき、外で食事をしていたが、手と口が止まった。
まさか?おかしいな。
2日ほど前に、地元の郵便局まで持ち込んで
その場で、重さも確認して出してきたので、そんなはずはないと
思いながらも、大変気になってしまった。
どこで落ちたんだろう?中身はどこへいったんだろう。

これはほっておけないと思い、すぐ郵便を出した窓口に電話をしてみる。
あいにく、そこには、その日の残留物(業界ではそう呼ぶようだ)はなかった。とすると、
次の工程である、各局からの郵便が集まる大きな郵便局でふるい分けの際に・・
という可能性があるかも?
と思い、そのハブ郵便局名を聞き、ダメもとでそこへ電話をする。

お盆中でもあるので、人手も足りず、応対してもらえないかもと思ったが、
電話口に出た方が、大変親切!どうやら、郵便物の中身が、零れ落ちることは毎日何軒かあるようだ。
「中身の特徴を具体的に教えていただけますか?」
との問いに、こちらも手紙の書き出しから、便箋のサイズ、色、同梱物にいたるまで細かく
説明したら、
「ああ、特徴ありますね。わかりました。では12日以降の分で調査してすぐ電話します」
との回答。なんと親切なことか。さあ、ここでみつかればいいが・・・。

数分もしないうちに、電話があった。
「ありました!」
その答えに、思わず歓喜の声を出してしまった。
「へえ!あったんですか。素晴らしい!ありがとうございます!!!で?どうしましょう?」
とたずねると、
「では、私たちの方で、お客様の方で郵便局から速達で今日出しておきますから、
相手先様の住所わかりますか?」
との答えで、これにも驚いた。

普通郵便で出したのに、速達でしかもそのお金は郵便局持ちで・・やってくださるとのこと。住所をお伝えすると、
「はい、わかりました。では私の下手な字ですが、ちゃんと書いて、明日午前速達でお届
けしておきますね。つきましては、受け取られた方には・・・」とご案内をいただき、
何度もお礼を言って、電話を切った。

封筒だけ届いたショックは消え去り、中身がちゃんと救出され、しかも速達で送って
いただけることになったことに、奇跡と幸運を感じ、またその郵便局の方の応対の
素晴らしさに胸がいっぱいになった。

無事、郵便は翌日午前、約束どおり、速達で届き
「中身、ちゃんと来ましたよ~。」のお返事が来て、安心。
思わず、郵便局にも、御礼の電話を入れた。

時々、封書で中身が飛び出ることがあるとのことで、
その郵便局の方いわく、
「スティックのりは、乾いてしまうので、実はおすすめできないんですよ。
できれば、水タイプののりが、しっかりつくので良いですね。」
と教えてくださった。

今後、封筒だけ届かないように、糊止めのあと、テープもしょうと思った次第。

無事届いてよかった。
という安堵の気持ちと、
ちゃんとお客様のもとに届けてくださる郵便局員さんの親切な対応に
とても心うたれた。

よくない報道も時にはあるが、人による。
いい人もたくさんいらっしゃる。

ほんとうにありがたい。

せっかく書いた手紙だから、きちんと届けたい。

郵便局の方の適切かつ親切な対応に感謝。
そして、糊付け注意報の夏・・・。

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夢は何ですか?改めて自問。

先日、ある講演会で、障害をもった人に
「夢は何ですか?」
とたずねたら、
「〇〇寿司へ行ってお寿司を食べることです」
と、確か1皿100円の回転寿司の名前が出たという
話を聞いて、その答えはとても新鮮で、そして考えさせられた。

そんな体験から、あることを思い出した。
何年か前、初めて会ったビジネス関係の方に
「あなたの夢は何ですか?」
と問われ、なぜかとっさに出てこなかった。
何か気の利いた答えを言わないといけないと思ったのと、
急に夢と言われても・・と戸惑いを感じたからだ。
日常会話でそういう問いには慣れていなかった当時。
そのあと、ああいえば良かったと、何度か思い出して
少し苦い思いをしていた。

夢はその人それぞれにとって違う。
自分が叶えたいこと。
それが夢だ。
大きいとか小さいとか、関係がない。
自分の夢とは、相対的ではなく、絶対的なものであるはず。

最近、これからの自分の行き先を考えるにつれ、
あれをしたい、これをがんばろう、という思いがより強く
なってきた。
そして、具体的になってきたようにも思う。
私の夢は、イコール課題となってしまうところが、現実的すぎるが、
夢を叶えたいと思うと、それは課題の実現となる。
そして、その夢(課題)はいくつかある。

具体的には、
ピアノの演奏力を18歳のときの状態に戻すこと。
ベートーベンの三大ソナタや、ショパンのエチュードやソナタが
途中で止まらずに弾けるよう、力を付け直すこと。
そのための答えは、わかっている。
練習をする。ただ、それだけだ。
地道に何かを続けるということはできるはず。
それをピアノにも向けるということだ。

そして、もうひとつ、今の私の夢は・・・。
親切な人になること。親切な人であり続けること。
周囲にお年寄りの先輩が増えてきて、
親がいなくなった分、余計にそう思う。
「ありがとね、ありがとうね」
と、そんな風に言われる人になること。

そんな何気ないことが夢であっても、
今は、恥ずかしくなく、
胸を張れる。

今日は、五山の送り火・・・。
親には親切にできただろうか。
顔が浮かび続けたこのお盆。
足りなかった分を周りの人へ・・・。
と、改めて心寄せ、夢に向かって前に。

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