「楽しそう」に見える、魅せる。

朗読劇の本番から1週間。配信サービスも予定どおり開始され、早速ごらんいただいたから感想などをいただく。
「素晴らしいリーディングドラマでした。近くだったら駆けつけたかった~」
嬉しい限り。確かにライブの方が絶対に伝わり、五感で感動いただける。
一方、
「運転しながら運転しながら聴いて、劇と音楽がぴったりでとても楽しかった。
新たな楽しみをありがとうございます」・・など
朗読劇ならではの感想もあり、こちらも想像していなかった、新たな発見も・・・。
そう、朗読劇はラジオを愉しむように気軽に鑑賞することもできるのだ。

そんななか、
「マーサさん、後ろ姿しか見えなかったけど、楽しそうに演奏されていて
 こちらまで楽しくなってきました~」その感想をいただく。
これは配信をご覧になった方から、会場においでになった方からも、
言われたコメントだ。

そうか!わたしは、楽しく演奏していたんだ~!

さて、あのとき、実際に私は楽しく弾いていたか。というと、そうではない。
とてもそんな余裕はなかった。
とにかくリズムをしっかりとらないと、リズムが崩れておかしくなったら
劇自体が壊れてしまうため、リズムに乗るために、ノリノリのパフィーマンスをして
弾いていた。内心はドキドキ。手は汗で鍵盤の上を滑りそうで、こわごわ・・・
(冬は寒さで、夏は汗で・・照明の当たった本番の鍵盤上はちょっと危険地帯だ)

など、見えている自分と、実際の自分は異なっていた。
楽しいよりも、必死である。間違えないように!!
いつも書くけれど、氷の上を優雅に舞うフィギュアスケート選手と
同じ気持ちなのだ。(と、思っている)

そんな状況で難しい顔、コチコチの表情で弾いていたら、お客様に伝わって
しまう余計間違える。どうせなら楽しく見えた方がいい。
ということで、
楽しく見せるのも、芸のひとつ。

実際、
楽しそうに見えていて、良かった!!

こちらが笑顔や楽しさをふりまくと、周囲もそれにつられるものだ。
それを実践するのが演奏者のつとめ。
顔が見えなくても、音とともに存在は伝えられたようだ・・。

多くの方にご鑑賞いただき感謝のひとこと。
週末ご覧になる方もいらっしゃると思いながら、
あっと言う間の1週間をふりかえっている。

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いろんな四半世紀、そして。

京都駅にあるデパートの前を通ったら、
「おかげさまで25周年」というポスターが目に入ってきた。
ああ、京都駅がガラリ変わったのは、たしかこの頃だったか・・。
急に昔の京都駅が懐かしくなる。
あれはあれでとてもノスタルジックでロマンチックだった・・・。
だが、実はその形をもう思い出せない。
来年、グラン・ルーを設立して25周年になるが、
このデパートの誕生時はまだ会社員だったということか・・。
30代半ばの自分をふと思い出す。

続いて、戻ってニュースをながら見していると、
あのダイアナ王妃が亡くなって25年という話題も知る。
ああ、パリのあのトンネルでの突然死は、世界中を哀しみに
包んだ。パパラッチという存在を知ったのもあの時だった。
今も、彼女の存在を惜しむ人々の声を報道していた。

四半世紀・・。
人生では、いくつの四半世紀を折り返すことができるだろうか。
私の場合は、もう二回目を過ぎた。
3回目はあるかないか・・。
4回目はないとまあ、ないだろう。(そう思っているがわからない)

人生や企業は、10年ごとに、25年ごとに・・・それを節目として
存在する。
限りある短い時間ではあるが、また、人は企業と違い、ひとりで
その人生をまとめなくてはいけないが、
節目を意識しながら、足跡を確認しながら、意義ある時間を重ねる
ようにしたい。

ということで、25年前の自分を思い出しながら、いよいよ独立に
向かう自分を懐かしく思い出す。
30代の意気込み、今もはっきり、くっきり。

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若い人と、通じ合う。

演劇の仕事の醍醐味は、普段と違う世界に足を入れることができること。
ひとつの作品の完成に向けて結成されたユニットは、本番に向けともにすすみ、
そして舞台が終われば、またそれぞれの明日へ向かう。
そのときに得た経験を、それぞれが次のステップに活かす。
異業種、異世代・・・。この世界に夢を持って頑張っている人がいるんだ!と
いうことを知り、ふれあうだけでも大いに刺激になる。

役者を目指して上京し、がんばっている若者との出会いは、いつもなんだか
うれしくて仕方ない。自分で選ばなければこの道には入らないはず。
強い意志をもって生きている、そして戦う日々もありながら、負けずに
がんばっている姿には、力強さを感じ、応援したくなる。

今回は10代の役者さんとの共演もあり、とても新鮮であった。
親子以上の年齢の違いがあっても、初対面であっても、すぐ打ちとける。
本番前の「お願いします!」というきらきらした、元気な挨拶は、
今もくっきり覚えている。

そんな若い役者やスタッフが、
「マーサさんの『みず・つち・ひと』めっちゃいいですよね。
 オレ、気に入りました」
「『かもめりぃ』っていい曲ですね。泣いてしまいました」
と、本番中、劇のあとに歌った私の曲について、語ってくれた。

そうなんだ。10代や20代の若い人でも、私のような昭和チックな
曲をわかってくれるんだ。泣いてくれるんだ。
心からうれしく思った。間違っていないと改めて感じた。

本番が過ぎた今週のやりとりからも、
「マーサさんの歌はすごく好きなので、これからもチェックしますね。
 これからも、お願いしまーす♪」
「YouTubeでも見ましたよ、この曲やっぱり好きです~」

とメッセージが届き、感動、感激。

自分の作品を若い人がわかってくれる。若い人にも伝わる。
これは励みになる。
そう、愛や人思う心は、世代を、時代を超える永遠のものだから。

今回、出会った若者のことを、これからもずっと応援し続ける。
そして、できれば何か、新しい面白いことを一緒にしたい。
と、新たな妄想も沸いてくる。

本番からわずか1週間。新たな出会いと感動を胸に、
細胞が新しくなっている自分に気づく。

未来を生きる人にバトンを渡す。
そんな生き方をもっと意識したいと、改めて思う。

若者目線で世界を見よう。
若者目線で生きることを意識しよう。



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忘れない記念日。

9月になった。
2022年もあと、4か月。三分の一しか残っていないという
信じがたい状況。
こんなに時間が経つのが早いとは・・。

今日9月1日は、母の誕生日だ。
生きていたら83歳になるのだろう。
生きていたら、電話をして、
「ありがとう」と感謝の気持ちを伝え
何かしらのプレゼントを毎年送り続けた・・。

昨年から、そういう儀式も不要となって・・・・。
なんとも寂しい限り。

でも、この寂しさに慣れながら、改めて母への感謝を
捧げる1日にしたいと改めて思う。

母が生まれたおかげで、私もこの世に存在する。
だから、母の誕生日は永遠に大切だ。

人は生まれ、生きて、別れ、そして、心のなかで
生き続ける。

改めて、母と言う存在の誕生に感謝を込めて。

お誕生日、おめでとう。ありがとう。

さあ、待ちに待ったerが付く月がはじまる。
いい季節になる。

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真に惜しまれる人。

あの、稲盛和夫さんが亡くなったとの報道に接し、
ああ・・・という声が、思わず出てしまった。
お会いしたことはない。
ただ、ビジネスに関わる人であれば、京都に関わる人であれば
みんな、知っている昭和、平成、令和を代表する経営者であり、
思想家であり、教育者であった。

伝統も大切にするが、新しい挑戦もいとわない。
まさに、京都らしい。
京都を代表する企業を一代で世界の企業に
成長させ、京都の産業界を活気づけた。
にとどまらず、KDDI設立、日航の再建・・と、他の誰もができなかった
偉業を次々と成し遂げられ、さらには地元の産業だけでなく、文化の発展にも、
そして日本内外の経営者の育成にも・・
と、限りなく、人生のなかで次々と、世のために尽くされた。

松下幸之助さんは昭和を代表する経営者であったと思うが、
稲盛さんは、それに続く、さらに大きな功績を残された歴史に残る経営者。

私がその名前を知ったのは、学生時代で、京都の会社といえば、京都を
代表する社長といえば・・と、まったくの一学生、一庶民であっても
その存在は知っており、敬意を持ち、その動きに注目していた。

第二のふるさと京都への恩返し。それから、利他の心。
この2点は、まさに自分もそうありたいと思っているところ。
また、出家された60代の頃の報道も、今は懐かしく思い出される。
普通の人じゃないな~。と世間を驚かせた。

そう、ほんとうに普通じゃなかった。

心からその一生に感謝と敬意を表したい。

真に惜しまれる方とは、こういう人を指すのだと思う。

今、稲盛さんに感謝される人はどれぐらいいるのだろう。
功績はもちろん、その存在に対して、
稲盛さんがおられたから・・という企業、人は計り知れないだろう。

お会いしたことはなかったが、心から尊敬できる経営者のひとり。
90年の人生。
現代の西郷さん、素晴らしい。

改めて。
私も、
第二の故郷、京都に恩返しを。
そして、利他の心で。

心からご冥福をお祈りします。



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弔意と感謝の黒シャツ。

このたびの公演の衣装は、といえば黒と決まっていた。
今回に限らずだいたい、演劇の際の生演奏のときは、黒スタイルと決めている。
役者さんたちは白っぽい衣装で明るく、演奏側はまさに黒子で舞台を支える
感じだ。
この黒い衣装も選択が難しく、演奏しやすいもの、また扱いしやすい素材。
そして、会場の室温によって、暑すぎたり、寒すぎたり・・・。で困らないように
備えが大切だ。
いろんな面で、衣装選びは、難しい。だからいつもつい、多めに持参する。

さて、今回はこの季節だから、きっと冷房で室内は冷えて、寒くなるだろう。
と、気づいたのは移動しはじめてから。
ああ、1枚あった方がいいな。持ってくるのを忘れた・・・。
長時間じっと座って演奏するのに、寒暖の不安は禁物だ。

じゃ、仕方ない。出先で1枚何か買おうかな。
ふと、先日、亡くなったイッセイさんのことが頭に浮かんだ。
そして、そのまま宿泊先近くのデパート内の売り場に行った。

ないかな?と思ったら、偶然、シンプルな黒いシャツを発見。
私の方を向いているようにも、思えた。
「あ、これ!いいかも。」
時間もなかったため、瞬間の衝動買いをしてしまった。
1枚あれば、安心安心。
ちょっと張り込んでしまったが・・・。

宿泊先ではハンガーに吊るし、楽屋へも持ち込んで、
イッセイミヤケのことを、毎日思い出した。
この四半世紀、この衣装に支えられ、助けられたか・・・。
各お店のこと、そこで出会った多くのスタッフたち・・・。

たまたま舞台衣装としての黒シャツであったが、
実は弔意を込めての1枚でもあったのだ。

実は、今回、舞台中、寒くなることがなく、着る機会がなかった。
そのまま、持ち帰り、ずっとハンガーに吊るして眺めながら、
イッセイミヤケを偲び続けている。
もちろん、秋からのコンサートではこのシャツも、活躍するだろう。

これからも、イッセイの偉業に感謝し、かっこよくいい仕事をしたい。
衣装によって、働き方が変わる。
本当に、それを教えてくれたのが、イッセイさんだった。

次代にもその精神をきちんと受け継いでほしい。

黒いシャツ。
弔意と感謝の一枚。
そういえば、黒シャツは、この1年、着る機会が増えている・・・。

哀しみを消して、寂しさを包み、
今日も明日も、強く、深く生きるための色。
そんな風にも解釈している。



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若者に学んだ夏。

朗読劇「真夏の雪」は、無事、千秋楽を終えた。
恐怖の録画の日を終えて、少し安堵したものの、
今日が最後!この日こそ完ぺきにやらなければならない。
10代の若き役者たちの記念すべき舞台になるように
終わらなければならない。
だから、絶対に完ぺきに仕上げなければ。
最終日のミッションはまさにそれであった。

というのも、前日、フィナーレでうまく声が出せなかったと
そのあと、何度も何度もそこを練習しながら、悔し涙を流して
いた若者の姿を見たから・・・。
「大丈夫だよ。うまかったよ。その光景を思い浮かべたらうまく
いくよ。」
とキャンディを差し入れながら、励ましつつ、感動した。純粋だな
とも思った。
うまくいかなかったことが悔しくて涙が出せるとは、高校野球だけ
ではない。
若いとは、そういうことだ。
悔しくて、絶対に乗り越えてやる!とがんばって、成長していくのだ。
私も同じステージで、音を間違っているのだ。とても悔しく情けなかった。
でも、悔し涙ほどではなかった。それは、練習不足だからと思ったから。
泣けるということは、これ以上できないぐらい努力したのに・・という
ことだ。
だから、彼女は千秋楽に向けてもめっちゃ練習してきたのだと思った。
だから、そのステージに傷をつけてはいけないから、私もがんばらねばと
思ったのだ。
その集中力のおかげか、大変うまくいった。
とくに最終回ということで、全員が最後の力を振り絞った。
その手ごたえを感じた。

今回、ステージごとに、若者たちが成長していることを感じていたが、
千秋楽はその集大成。
「朗読」という演技が自分のものになっていた。
彼らが役そのものを生きているのが伝わってきた。
実際、思わず、ピアノを弾く立場なのに、セリフに聴き入ってしまい
うっとくる場面もあった。
みんなでつくった、素敵なドラマ。
というわけで、おかげさまで、大変気持ちよく、公演を終えられた。

若い人と何かをすることは、こちらが勉強になる。
未来に向けてがんばっている人たちを、応援していかねば。
と心から思う。

今回は劇中のピアノ演奏だけでなく、劇後に歌も歌った。
「東京でライブやらないんですか?やってね。」
という嬉しいお言葉もいただき、
そう、数年できていなかったことにも気づかされた。
また、この業界の方より「特殊な才能ですね」というお言葉をいただいた
ことも、とても光栄に思えた。
わかる人にこそわかる。それがうれしい。

下北沢は若者の町。夢の町。
今回も期待通り、期待以上の体験をいただいた。

新たな出会いに感謝し、これからのクリエーションもさらに
楽しく、オリジナルで!

尚、2日目の公演を収録した配信サービスが31日よりはじまります。
ダブルキャストで2種類ありますが、どちらも個性豊かで
おすすめです。
ぜひ、一度、オンラインでこのステージをごらんいただければ。
そして、次回、機会あればぜひリアルで・・。
次回公演情報 | B.LET’S (blets.net)

朗読劇 真夏の雪 【B.LET’S(ビーレッツ)】 | オンライン (teket.jp)

今回もたくさんの応援をありがとうございました。
いただいた素敵なひまわりとともに、そして共演した素敵な役者さんや
スタッフの皆さんたちと、ゆく夏を惜しみながら・・・。

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ライブ録画の恐怖と感動。

今回の朗読劇の2日目。
慣れてきて、本調子が出る日である。
そういう日に、録画が計画されるのは、納得がいく。
でも、緊張は半端ない。
ライブでお客様がおられるという緊張。
朗読的であるので、個人戦ではなく団体戦であるという緊張。
そこに、
録画という緊張が加わる。記録され、世の中に配信されてしまう
と思うと、初日とは違う緊張が生まれる。

初日に血液逆流現象があったが、もうあのような
状態には絶対になるまい!
当然そう思って充分に指を鳴らし、本番、ピアノに向かった。

劇場の本番の空気は、なんともいえない。
お客様はすべての情報を受け入れ、自分なりの
物語りを紡いでいく。全員が言葉や音に集中している。

順調に進んでいたそんななか、
ちょっと入り方の指がもつれやすい箇所が迫ったとき
ここは絶対間違えてはいけないと思ったら、
指が滑り・・・間一髪。
考えてはいけないのだ。何も考えずにが一番なのだ。
意識するとかえってよくない。
今回は、血液逆流ではなく、脂汗が全身から・・。
その後しばらく、ピアノは汗で滑りやすくなった。
鍵盤を途中で拭くこともできない。
冬は寒くて手がかじかみ、夏は暑さと緊張の汗で鍵盤が
滑る。
ほんとうにピアノ演奏は、季節にもその他いろいろとも
左右される。歌とは違うハードル・・・。

それ以外もまあ、いろいろあったが、
多少のミスも演奏の味。ぐらいの感覚で一見平常心
で最後まで弾ききった。
そう、何があっても止まらず、やり続けるのがプロ。

なんとか、無事終了し、大きな拍手が・・・。
お客様の反応も上々のよう・・。

帰路についたあと、最近知り合った方で会場まで足を
運んでくださった方よりメッセージが入る。

「私自身、朗読劇というものを初めて見たのですが、
エネルギーに圧倒されました。ピアノも、聴いていて
自分自身のこの何ヶ月かのもやもやとしたものが
晴れていくような、そんな感覚を、感じました。
明日から、頑張れる活力になりました。」

なんとうれしいことか。ああ、よかった~!
間違えるとか、間違えない。ではないのだとも思った。
(もちろん間違えないがいい!に決まっているが)
伝わっていることが、大切だ。
やっぱり、コミュニケーションの基本はそこにある。
ということで、
完ぺきではないけれど、まあ良しとしよう。

さあ、千秋楽もがんばる。

多くの応援に感謝を込めて・・・。

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血液逆流と「かっこ良かったっす!」

今回の朗読劇は1回の上演が約65分。
そして、その前後で単独の演奏があるため、計90分ほど。
これを本番2回、それに向けて、ゲネプロという本番どおりにやってみる
リハーサルをそれぞれ1回。計4回通しでやる。
空き時間は練習もする。
久しぶりに8時間ほど、弾いた1日。

不思議なことにゲネプロでは失敗しない。
「では、本番もこのように!」と安心して、本番に臨む。

コロナ禍がつづくなかでも、会場はほぼ満席。
もちろん感染対策もあり、客席を制限しており、30席ほどではあるが、
お客様が入りはじめると、場が変わってくる。
緊張感がだんだん高まってくるのだ。と同時に、いよいよだな!と
腹が座るというか、なんでも来い!という気持ちにもなってくる。

本番前にいつも思うが、これは単独のライブではなく、共同制作で
あるため、役者も演奏者もそれぞれ責任があるということ。
ひとりならば、その場でなんとでもやり通すが、チームであり、
その場その場が一期一会のステージであり、役者さんひとりひとり
が努力されて準備されてきたため、絶対にこけてはいけない。
間違えてはいけない。と、だんだんプレッシャーがのしかかる。

特に、今回はオーディションを乗り越え、がんばってきた
若い役者さんの大切な舞台である。その成功を支えなければならない。
と、ここにきて、コトの重大性を感じてくる・・・。

こういうときは、ネガティブ発想は禁物だ。
絶対にうまくいくと成功のイメージ、今回ならば、拍手喝采だけをイメージして
本番に臨む。

10分前から、アドリブで演奏。舞台開始までのウォーミングアップ
の時間。次は何を弾こうかと思いながら、鍵盤の上に指を這わせて
あと3分、あと1分・・・。

そして本番。
会場全体がなんともいえない緊張に包まれる瞬間。
1回目の上演。
ゲネプロでうまくいったのに、なぜか1か所、間違えそうになった
ところがあり、咄嗟に回避、なんとかごまかした。
体内の血液が逆流し、心臓が爆発しそうな瞬間であった。

ここは役者とスタッフには、ちょっと間が?と気づかれただろうが、
なんとか、なんとか・・・。
何かあっても、そのミスのダメージを持ち続けてはいけない。
転びかけ、なんとか滑り続けているフィギュアスケート選手と
同じ気持ち・・・と、勝手に思う。
クライマックスに向けて これまた責任重大。
拍手喝さいになるかどうかは、音楽で決まってしまう・・・。
おかげさまで、無事、着地。大きな拍手をいただき、安堵。

と、いつも本番になるとこの感覚が蘇り、
ステージ仕事は、ほんとうに1発勝負であると痛感!
何があってもやりきらなければならない。
身が引き締まる。

だから、お客さんは感動してくれるのだ。
だから、お客さんはチケットを買って観てくださるのだ。

2回目の公演後、ピアノの近くに座っておられた20代前半に見える
若い男性のお客さんが、
「めっちゃ、かっこ良かったっす」
と声をかけてくださった。

役者だけでなく、ピアノも十分見られている。

他にない朗読劇。生演奏付き 言い換えればひとりオーケストラ付きの
リーディングドラマ。
類を見ない。

今日は2日目。
配信用の録画もあるようで、これはこれで緊張だ。
毎日が燃焼。
毎日が青春。

好きな仕事ができる。という歓びでもって
日々地道な努力をされているこの業界の人たちとの協働を
あと2日、丁寧に紡ぎたいと思う。

それにしても、血液逆流。今日は絶対ないように!!

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いざ、本番!

オンラインでの音合わせを事前にやったとはいえ、
昨日は生での関係者一同での初顔合わせ。
1日かかって、会場づくり、音づくりから、バタバタと準備。
それぞれの役割分担で、順調にカタチができていく。
このプロセスがなんともいえない。
ああ、いよいよ、また今回も・・という実感がわいてくる。

10代の役者さんたちとも、やっと会うことができ、
皆さんのみずみずしい演技に刺激をもらいながら、
作品もいい感じに仕上がってきた。
1日でそこまでやってしまう。それぞれが準備してきたことが
一気にカタチになっていく。
この世界のプロたちを感じる1日でもある。

とにかく今日が初日。
ピアノ演奏の重大さは、やはり現地に来て実感する。
大切なところで必ずピアノの出番がある。
決め台詞のように、決め音楽もある。
脂汗とともにの時間でもある。

とにかく、タイミングも音も間違えないように!
セリフをよく聴きながら・・。
とにかく「間」が大切だ。

考えすぎず、何も考えず、普通に弾いている状態で。
と、あれこれ考えてしまうが、まあ、心のなかで
よく歌って自分からノリノリになって・・・。
呪文のように、心の中で自分と対話しながら、
1時間余り集中しよう。

再演の作品ではあるが、劇場での照明付きのしつらえで、
全く新しい作品という印象だ。
(写真は準備の合間の舞台の様子)
演じる人も、会場も、そして時間も新しくなって
今しかできない、演技、表現を!

「真夏の雪」は、降るか?
コロナのため、多くの方(とくに地方の方)が来場を断念され、
配信でごらんいただけるとのこと。
こんな時期に、ほんとうに申し訳ないやら、ありがたいやら。
でも、舞台は元気に決行!
ご来場お待ちしております。

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