小さなひまわり応援キャンペーンにご協力ください。

ご存じのとおり、ロシアのウクライナ侵攻では、多くの被害が出続けており、
難民の流出も増え続け、親を亡くした子供、夫と別れ別れの人々・・・。
本当に悲しいです。
そして、この戦争は世界にも悪影響をもたらしています。
恐ろしいです。
一日でも早く、平和が戻ってほしいです。
ということで、自分が今できることを「小さなひまわり応援キャンペーン」と
題して、戦争が終わるまで、続けたいと思っています。
内容は、私のオリジナルCDをご購入いただきましたら、その売り上げ全部を
日本赤十字社を通じ、ウクライナの人道支援に寄付させていただくというものです。
9月13日は8月分と9月分で28000円を入金させていただきました。
ありがたいお気持ちに感謝しております。

CD3枚組 7500円のところ5000円
CD1枚 「あなたに捧げる1・2・3で愛の歌」2500円のところ1000円で
作品の紹介は、
https://www.mahsa.jp/creation/

こちらをごらんください。

ご協力いただける方がいらっしゃいましたら、ご一報いただければ幸いです。https://www.mahsa.jp/contact/

あの映画「ひまわり」のような戦争の時代は絶対に繰り返してはいけない。
そして、あのウクライナの広大な地に、うつくしいひまわりが元気に
咲き続けてくれるよう、祈りを込めて・・・。
今、自分にできる小さなことを、ひとつづつ。

みなさまのご協力、心よりお待ちしております。

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自分にできること、やります宣言!

9月12日岐阜新聞でのコンサートは、おかげさまで大盛況。
今回はコロナ制限はなし。と事務局が決定され、35名以上の
お客様が集まってくださった。
知らないお客様も増えてきており、ほんとうにうれしい限り。

今回は演奏とトークに加えて、先日の朗読劇の配信のご案内と、
さらに、「平和な社会を願って、ウクライナの子供たちへの応援」
として、自分のCDのセットをチャリティ商品として、ご案内。
「私は提供できるのがCDしかないので、これを売って全額
寄付します。戦争が終わるまでずっとやり続けます」
そして、
「大好きなひまわりが、あの地にまた咲き続けるように祈っています」
と、映画ひまわりのテーマ曲を演奏。

コンサートが終わったら、何名かのお客様が来られて
CDセットを即、お求めいただいた。
へ?そんな、いいんですか。
「これぐらいしかできないし、ぜひお願いします」
「これ、ウクライナに使って」

最近、メディアでは国葬などに話題が移り、ウクライナの報道が
薄くなってきているが、まだ戦争は終わっていないのだ。
現地は何も変わっていないのだ。難民や親を亡くした子供たちも
多数いる。日本の暮らしとはまったく違う世界があるのだ。
そのことを忘れてはいけない。
だから、やれることを続ける。

ご賛同いただき、ご協力いただいたみなさんに心から感謝したい。
早速、寄付をさせていただく。

これからも有言実行を続けていきたい。
自分ができることはやる!宣言してやる!たとえ小さなことでもいい。
そのかわり、宣言した以上は、やらなくちゃ!

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心の旅に出かけよう。

このコロナの3年間で、海外渡航はストップ。そんな生活にも慣れてきた。
もちろん、時期が来たら、ちゃんと行けるときがきたら、
再びNYや、パリや、そしてボンや、ブエノスアイレスや・・・。
いろんな町をこの足で歩き回りたい、あの町の匂いを、音楽を、人々の集う風景を
リアルに自分の体と五感で確かめたい・・・。
生きている間に絶対に!と思う反面、
実は、今ここで、自由にその旅をイマジネーションすることもできることで
楽しんでいる自分がいる。

それは、ネットのおかげと言いたいところであるが、
私の場合は、音楽のおかげ。であるといいたい。

音楽は時代を越えて、空間を越えて、いかようにも心の中に、自分が描きたい
世界を描かせてくれる。行きたいところへ自在に行ける。のみならず
心を豊かに、やさしく。そしてときに癒しの役目も果たしてくれる。
思い出であったり、未知の世界であったり、それもさまざまであるが、
音楽のおかげで、自由に旅ができる。
心のなかの非日常の体験ともいえる。

ということで今日は、岐阜新聞ロビーコンサートの出演日。
今回のテーマは「心の旅をたのしむ、あんな歌 こんな歌」。
季節を切り口に、あるいは心情から、それぞれの世界を楽しんで
いただきたいと思う。

主催者から聞いたところによると、多くのお客様においでいただけるとのこと。
コロナとの共生時代に入った証しかも。
感謝を込めて、いいパフォーマンスをしたい。

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気高き、みんなのマザー。

イギリスだけでなく、過去の植民地であった国々だけでなく、
日本含め、世界中の人々が、静かで深い悲しみに包まれたこの週末。
その存在感が大きかったゆえに、より一層、惜しまれる。

なんと、崇高で愛情深く、そして強い女性であったのだろうか。
私がイギリス女王さまのことを口にするだけでも、場違い、身分違いで
あると思うが、ほんとうの意味で、こういう方こそが国の象徴、シンボルである。

誰から見ても憧れの女性。
そんな女王は「母」でもあった。
チャールズ新国王が、就任のビデオメッセージにて、最高の最愛のママである
女王に心からの感謝をされている言葉を聴き、思わず涙があふれた。
言葉数は多くなかったけれど、
ぬくもりのある、愛情にあふれた素敵な哀悼ののことばであった。
言葉というものは、染み入るものだと改めて思った。

ふと、マザーテレサとその存在が重なる。
彼女も、世界の人々に慕われた「母」であった。
もちろん、ふたりの進んだ道は異なる。
ではあるが、ひとりの女性として、誰からも尊敬され、愛される人柄。
みんなのマザー。という点では共通する。

ステキだ。
愛されること、愛すること。
このことが、一番幸せな人生であるのだと、
今回の哀しみのなかで、そんなことを感じている。

感謝され、尊敬されて、世界の人々が見送る。
なんと素敵な、素晴らしい人生の締めくくり。

みんなのマザーは、歴史から消えることはない。
これからも、この時代をともに生きたシンボルとして
語り継がれていくだろう。




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悲しみの日に学ぶ。

イギリスだけでなく、世界がエリザベス女王の死を悼み、
そして今、悲しみのなかにいる。
ともに女王に感謝し、哀悼の意を込め、祈りを捧げている。
祈りのかたちも、場所も、それぞれであろうが、悲しみの気持ちというものがこんなに
広がるものだろうか。と、喪服に身を包んだBBCのキャスターのニュースを見てから1日、
ずっとそんなことを考えていた。

その存在に感謝し、死を悼む。哀しみにくれる。
これは、誰からも強要、強制されてもできないことで、
自然と湧き上がってくるものだ。
涙は自然と湧いてくるものだ。

直接会ったことがない人々にとっても、その喪失が悲しいと思えるという
その存在感と影響力は凄いと思う。
それだけ、生前、善行につとめ、人々に尊敬される生き方をされてきた
ということだろう。

「私たちが生まれたときから、すでに女王でした。」

と、あるイギリス国民がインタビューに答えていた。
きっと、母親のような存在なのだろう。

そう、母親が亡くなることは、この上なく悲しく、そして寂しい。

亡くなったときに、自然にみんなの気持ちが集まってきて、あたたかい感謝の心で
送ることができることが自然であり、それが一番の幸せだ。

「死」というのは、その人の一生を締めくくりだ。
自然の総意で、拍手と祈りで送ることができることが一番。
自然に純粋に、気持ちが沸きあがる、
そんな人生、そんな人物でなければ、そうなることは難しいだろう。

カタチではなく、気持ちから。
気持ちの方が大切だ。

心こそが、人を動かす。
心だけが、人を動かす。

そんな人生の在り方を学ぶ、悲しみの日。
エリザベス女王は、これからも世界中の人に愛され続けるだろう。

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その威厳なる存在にただ、感謝。

イギリスのエリザベス女王が亡くなったとのニュース。
ああ、そうか・・・。
海を越えた、異国の女王様のことであるのに、
なぜか、とても悲しい気持ちに包まれた。

自分が生まれた時からずっと変わらず、
イギリスの象徴といえば、という存在。
世界中の誰もがそう思い、そしてあの愛らしい存在に
親しみを感じ、敬意を感じてきただろう。
25歳で即位されてから70年もイギリスと言う国の
母なる存在でおられた。
命が短かろうが、長かろうが、国のために尽くすと
即位のときにメッセージを出されたそうであるが
その志が、長寿へとつながったのかもしれない。


イギリスは、新しい女性リーダーを迎えたばかりの
今、その大きな存在を失った
今の現地の様子を想像するに、心が痛い。
時代も状況も異なるが、
日本で昭和天皇陛下が亡くなったときのことを
ふと思いだした。

その存在自体がすべて。
いてくださるだけで・・・と言われる存在になるには
どれだけの努力や心がけが大切だろうか。

本当に偉い人は、忖度や根回しやそんな小さな世界での
ご苦労がなくても、ごまかさなくても、
だれからも尊敬され、愛され、
そして、惜しまれる。
存在自体がホンモノなのである。

エリザベル女王の存在に、その偉業に心から敬意を表し
祈りを捧げたい。

静かに祈る。
ただ、それだけ。

今、イギリスには荘厳な時間が静かに流れていることだろう。

静かに送る。

公人として生まれ、育ち、そして生涯を閉じる。

その大きな存在に改めて、心から敬意を表したい。

なんだか、日本もこの訃報で大切なことに気づいてほしい・・と
思ってしまう朝。

コロナを経て、
これまで経験しなかったさまざまな衝撃や新たな経験により
時代が変わっていく。
今は、まさにその過渡期なのかもしれない。
いい方向へ変わっていくことを、切に願うのみ。

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係長たちの成長。

今、いくつかの企業支援をしているなかで、管理職や係長を支援するコミュニケーション
プログラムが動いている。
部下たちの仕事をサポートしながら、目標達成できるように育成していく、そんな人材に育ってほしいと研修や個別・グループ面談を継続して行ってきた、
このコロナとともに、なんやかんやで1年が過ぎた。
1年前にはじめて会った係長たちと、久しぶりの個別面談を行う。
この1年の間に数回は個別に、グループでコミュニケーションをとってきた。
コロナで、しばらくリモートでも対面する機会がもてず、3か月ぶりぐらいの再開。

コロナ感染再拡大の夏、もろもろご苦労も多かったのではと思いながら、面談開始。
いやはや、彼らと久しぶりにあったせいか、その成長ぶりが目に飛び込んできた。
部下をもつ立場を自覚した人、コロナ禍でみんなに助けてもらったということで
愛社精神が高まった人、もっと部下にきちんと伝えたいと思うけれど自分にできるかな?
とにかく前向きな人が多く、最初、こんなに意欲的だったかなと1年前を思い出す。

1年前には言えなかったことが、今はこうしたらもっとよくなると思いますよ。
と言える間柄。信頼してくれているからだ。
とにかく、係長たちに火が付いた。

現場を知り、現場で働く人の上に立つ係長。
この上に行くかどうかは、分かれ目だ。大変重要なポジションにいる。

コロナという苦難が、助け合う苦労、歓びを与えてくれたのかも。
それを機に、大きく成長されている。

とにかく、彼らのキラキラ感がとてもうれしかった。
人づくりに関わる仕事は、ほんとうにうれしい。
さあ、次は?
今日も心新たに、次のチャレンジに向かう!

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ゴールまでとことん、やり抜く。

ある会社員の方から、連絡をいただく。
聞けば、あと2か月ほどで定年を迎えるとのこと。
え?そんな、あと少しなんだ。
そんなに長くこの会社でつとめてこられたのだ。
会社員には、節目がある。
気が付けば、その節目を前にした人との会話も増えてきたここ1~2年。
まさに自分と同世代でもある。
自分がもし今、会社員であれば、そんなステージか~。としみじみ。

その人は、差し迫る定年ではあるが、どうしてもそれまでに
やっておきたいことがあり、
そのことで、どうしたらいいか悩んでいるとのこと。
悩むというよりは、想いがあふれてきている。といった方が良いだろう。

自分が長年やってきた仕事を、こんな風に締めくくりたい。
感謝の気持ちを込めて、こんな形にしておきたい。
という熱き思いである。

お聞きしていると、そのこと自体が素晴らしいことで
その内容も、会社にとってもプラスだと思い、
ダメもとで提案してみたらどうですか?と背中を押してみる。

何も言わずに終わって、あとで悔いが残るといけないので・・・。
そういうと、その人は、
「じゃあ、そうしてみます。話せただけでも良かった」と笑顔の返答。
そのあとも、やる気に満ちたメッセージが届いた。

結果がどうであれ、
思ったら、気になったら
定年だからやめておこう。と引っ込むのも選択肢かもしれないが、
やりたいこと、やらねばと思うことは、ぜひ一歩踏み出すのが良いと
思っている。

定年。
おつとめ人の大きな節目。
その日に向かって、ぜひ自分の長き会社人生を振り返り、
やり残したことがないか見直して、これは!と思えば、
ぜひやりぬいてほしい。
我慢する必要はない。
存分に働き、しっかり着地する。

自分にはそういった定年はないけれど、私は毎日が定年のつもりで
悔いないようにやりつくしたい。

あとになって良かったと思えるように、
すべては、人生の思い出作り。
仕事もそのひとつだと思う。

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おひとりさまの最期は、じぶんごと。

おひとりさま。これは今や、結婚するしないだけでなく、
いろんなわけあって、ひとりで生活をする高齢者、いわゆる独居老人のことも
含めての呼称として、すっかり世の中に定着してきているようだ。

そう、人間、誰しも生まれたきたときと同じく、亡くなるときも一人で
旅出つことに変わりがないが、家族が身寄りがそばにいない場合、
おひとり様は、どんな人生のしまい方をしたらいいのだろうか?

最近、こんなことを決して他人事ではなく、わが人生の終わりについても
あれこれ考えるようになってきた。
多くは施設で最期を迎えるということを想定するが、
実は、おひとり様でも自宅で息を引き取ることもできる。
そういった支援をする医療・福祉の専門家がいるという報道に接し、
大変驚いた。
医師・看護士・ケアマネ・ヘルパーさんがワンチームとなって
そのおひとり様老人のお世話をする。

これは凄いことだと、その番組を見て、釘付けになり、なんと
録画を二回も見てしまった。
別居の家族がいる、誰もいないいずれの場合でも、この専門家チームは
それぞれの老人の方の最期をきちんと看取る。
治療、処置ももちろん必要であるが、ラポールいわゆる対話、
コミュニケーションでもって、おひとり様が寂しくないように
ケアしている。
来たる死を受け入れ、最後まで生き切って、
そして、笑顔でもって旅立てるようにと心がけておられる。
なかなかできない仕事だと、感心と感動と尊敬・・・。

さあ 自分の最期はどうなるのだろうか?
人に迷惑をかけないようにとは、常々思っているが、
どうしても、誰かにお世話になったり、ご迷惑もおかけするのだろう。
なるべく、そうならないようにと念じてはいるが。

私の場合は・・・。
と、考え始めていてもおかしくない。
終わりを考えつつも、今を大切に。
今できることを精いっぱいやりきること。

おひとり様。
そう、みんな生まれるときも、亡くなるときも一人。

でも、ひとりで生きるのではない。生きているのではない。
周りのさまざまな愛や応援があって、生かされている。
今日もその自覚をもって、感謝の気持ちで!

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代役コミュニケーション。

月に何度か、必ず立ち寄ることにしている店がある。
地元のお米屋さん。
小学校時代の同級生が家族で経営している、半世紀以上つづく
地元では皆さんにとってなじみのお店。

そこの女将さんは、母の親友であった。
本当によくしていただいた。
子供の頃から、「おばちゃん、おばちゃん」
と、親しんでいた。町でも有名な働き者のおばちゃんだ。

そのおかみさんと親の関係。
両親が元気なころは、年末の餅つき等を手伝いにいったり、
休日には一緒にドライブや旅行に出かけたり、
日帰り温泉や外食を愉しんだり、
ときにはお互いの家の台所で、一緒に食事をとったり、
と本当に家族のように
大の仲良しであった。

母が亡くなったあとも、女将さんは気にかけていただき、
父の施設にも顔を出していただき、食事をとらなくなったときも
ジュースを差し入れてくださったり、父が亡くなる直前にも、
家族のように、お見舞いに来てくださった。

それだけ深く、濃くつきあっていただいたいた分、
両親亡きあとは、おばちゃんもお寂しくされていると思い、
また自分も母親に会いに行くかのように、お店を訪ねたり、
お宅に寄ったりしながら、声をかけ、なんやかんやと
差し入れや花を届けてきたこの一年半。

「おばちゃん、お元気ですか?まさこです~」
と電話をかけ、お変わりないか尋ねる。
「話せる友達がいなくなって、寂しいね。
行くところもなくなってねえ。
年を取るというのは、なかなか生きづらいね」
「おばちゃん、今度、一緒に○○へ行きましょうか。
 たまには、久しぶりにお店でご飯食べるのもいいしね。」

立場も年代も興味関心も全く違うので、親たちの代わりには
なれないけれど、少しでも、親が仲良くしていただいた分
関わりを持ち続けたいと思ってしまう。
そう、
このおばちゃんには、母の分まで元気に長生き
していただきたいのだ。

時間の経過とともに、寂しさから新たな人間関係が生まれる。
母という存在を通じて、あの人に、この人にと、お世話になった
方への感謝のツアーをし始めている。
母にしてあげたかったことを、その代わりに・・という気持ちなの
かもしれない・・・。
代役にはなりきれないけれど、母との思い出が消えないためにも、
そんなプチコミュニケ―ションを大切にしていきたいとも
思っている。

このおばちゃんは、隔月実施している岐阜新聞のコンサートに
両親亡きあとも、欠かさず、仲間とともにおいでいただいている。
本当に、母の代わりに・・・ありがたい。

米屋の女将さん。母が大切にしていた人だから、
これからも できる限り、
関係を大切に、おつきあいしていければ・・と思う。
今だからこそ思うことを、無理なく実行していこう。


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