デジタル終活の備えも。

この夏、やっと公式サイトをリニューアルした。
ひとつ気になっていた片付けごとが、終わったような感じ。
その間、この制作にかかわってもらっているスタッフと
いろんなやりとりがあった。

そのなかで、まだ今できていない課題。
それは、万が一のとき、サイトをどうするか?
そのときの備えは?

若い時は、そんなことは考えたこともなかったし、
考えたくもなかったが、
先を考えると、そこもちゃんとしておかないと・・・と
最近は、思えるようになった。

そこで、スタッフとはじめて覚書をとりかわすことにする。
万が一の連絡先や、そのときの対応について記載したカンタンなもの。
100%以上の信頼をもって、この20年おつきあいをいただいて
いるが、これからお互い、高齢に向かうのは避けられないから、
この機会に、そのあたりもちゃんとしておくとお互いのため・・。

ふと、自分がいなくなった後、サイトをどうしまうのか、
ブログをどう終わらせるか。
などを想像する。

そうだな。ちゃんと終わらないと。

なんでも始めることは、生みの苦しみはあるといっても、
たやすいこと。
終わる、閉める方が難しい。
なんといっても、自分では終われないので、
人様に頼んでおかねばならない。

と、こんなことを今からひとつづつ。
最後、周囲になるべく迷惑をかけないように。

決して、後ろ向きな話ではない、
生き切るとは、結びも意識することだから。
自然な流れ。

備えあれば憂いなし。人生いつ終わってもいいように。
もちろん、また新しい日が来ることを信じつつ。


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2つの時計。

実家のリビング兼応接合間には、
2021年のカレンダーがふたつ、まだ掲示してある。
1つは3月のまま、もうひとつは10月のまま・・・。
これを見ると、1年前のこのときは・・・といつも思い出す。
と同時に、ここで時が止まったような気持ちになる。

カレンダーを、新しくせず当時のままにしているのは、
私だけではないようで、
他の方もそうされていることを最近知った。
親が生きていたときのカレンダーをそのままにしておく。
時が止まったカレンダー。
おそらく、これからも、このカレンダーはずっとこのままに
しておくだろう。

思えば、この1年。
自分のなかには、ふたつの時計が存在していたように思う。
ひとつは、毎日毎時毎秒、時が進む、生きている時計。
おかげさまで、今日も10月3日という新たな日付を、
進み始めている。
一方、もうひとつは、昨年で動かなくなった止まった時計。
悲しいかな、その時計はどうにもこうにも、動かないし
進んでくれない。

でも、何かをすれば思い出し、どこかにいけば思い出し、
誰かと会話をすれば思い出し、そのときがまた蘇る。
時計は進まないけれども、生きた時計のなかで、
思い出すことで、違う面を発見したり、新たな感謝が
湧いてきたり‥ということはある。

だから、なるべく、いろんな人に会い、いろんな場所を
巡りながら、たくさん思い出すように・・気が付けば
そんな風にしてきた1年。

大切な人をなくすことで、2つの時計をもつ。
誰もが通る道。
悲しみは消えないけれど、心の中で一緒に生きることは
できそうだ。

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耳が覚えている!

経験から育まれる、人間の能力とは、本当にすごいと思う。
最近、時々それを実感する。

18歳で一度音楽の世界を捨て、35歳まで、ろくにピアノを弾いていなかったのに、
3歳から習っていたせいか、子供時代に弾いた曲は楽譜がなくても弾ける。
歌詞は覚えていなくても、メロディや伴奏はすらすら弾ける。
このことを、35歳で音楽を再開したとき、われながら驚いた。

やっぱり、幼き頃からの練習・経験で得た力と言うのは、生涯通じるものだと。
子供の頃の学習の力は、無限大。

最近、無性に弾きたい曲が頭に浮かんできた。
昔、人気のテレビドラマ「赤いシリーズ」でも登場した、あの名曲、
ショパンの「英雄ポロネーズ」。かっこいい。
そのドラマでは、水谷豊が弾いていただろうか?記憶は定かではないが。
小学生の自分にはもちろん弾けない、憧れの曲であった。
ああ、いつか弾けたらいいな~。・・・と、夢は頓挫。
でも、40年余り、どこかで何度も何度も聴いていた。

久しぶりにその楽譜を引っ張り出す。
もともと、ほとんど弾けなかったし、弾いていなかったのに、
楽譜を見て、指が動き出す。
指先はスムーズではないが、次はこうなる、ああなる。となぜかわかって
指が進むのだ。
長年、聴き続けてきたため、楽譜が読める、先に進める。
曲を覚えているのだ。
耳の経験も、大切であると改めて実感。

とはいえ、難しい曲はそうカンタンに弾けない。指が動かない。
バレリーナと同じく、ピアニストも練習を1日さぼったら、
とりかえすのに倍の時間がかかる。と言われ続けてきた・・。
いかに練習の積み重ねが大切か・・・と教えられたのに
17年の空白の時間があったわが音楽人生。
この代償は大きいが、まあ他のことに費やしたその時間は
無駄にはなってはいない。と自分で言い訳をする。

これからでも、遅くはない。
耳が覚えていることに感謝し、指先をもっと鍛える。
人間の能力は、鍛えるほどに身になる。ますます力がつく。
弾けば良いのではなく、音楽をひとつのメッセージをして
表現したい。そのことはこれからでも、充分にできると
確信している。

耳と脳の関係。改めて興味深い。
人間の力。その気になれば、元気でさえあれば、
いくつになっても無限大。

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ふたりで出かけた海へ。

10月になってしまった。
オクトーバーフェストなど、コロナ禍を乗り越えて秋祭りの季節。

10月はまさに恵みのシーズンであるが、私にとっては
それとはまた違う思いも、かみしめるとき。

10月はもともと父の誕生月であったが、
なんと同じ月、誕生日の二週間前に亡くなってしまった。

あと2週間で、1周忌となる。
今年の10月は、心して過ごし、1日1日をかみしめ、
大切にしなければいけない・・・そんな気持ちだ。

夏以降、10月になったら・・と思っていたことがある。
父がまだ元気だった頃、ふたりで出かけた最初で最後の旅先に
足を運んでみようと思っている。
車の免許を返納したあと、さびしそうにしていた父を誘って
出かけた旅。思えば、父とふたりでの旅は初めてのことだった。
当時、私はまだ東京に住んでいたが、岐阜まで父を迎えに行き、出かけた。

まだお酒を飲めた父。まだ歩けた父。ちょっとふらついていたけれど・・。
「元気元気、まだ歩ける。がんばって!」と、
父に無茶を言って、ふたりで海沿いに島を歩いた時間が蘇る。

ふたりで1泊の旅をするなんて、まさかそんな人生の1ページが、
一番の宝に、思い出になるとは、当時はそんなことはまさか思ってもいなかったが・・。

今、とても父に会いたい。
だから、そこに行ってみようと思っている。

父との1泊2日の知多半島の旅。その最後は、
名鉄の名古屋駅での別れ。岐阜行の特急電車に乗る父の後ろ姿。
その瞬間までしっかり覚えている。
父へのプチ親孝行もどき。電車に乗るとき、父はうれし泣きをしていた。
そのことを今、鮮明に思い出す。

と、10月になるというだけで、そんなことを思い出す。
10月は、オクトーバードロップ。ドロップは涙。
心にハンカチをもって、出かけよう。
海風に触れると、悲しみもやさしく海に溶けそうだ。

人生を迎え、送る季節。





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タイムトリップできる指定席。

その存在をずっと忘れていた。30年以上前に通っていた喫茶店。
その当時は、京都には名曲喫茶、あるいは純喫茶と言われたお店が何店舗かあった。
流れるクラシック音楽、コーヒーの香り、そして店によっては葉巻やたばこのにおい・・・。そんな店内で、静かに本を読んだり、あるいは仲間とひそやかに語ったり、
ひとりで考えごとをしたり・・・。
喫茶店といえば、モーニング、外食というのが主流であった東海地方の片田舎出身の
自分としては、こんな次元の違う喫茶店は、異国へ旅をするような、特別な経験をさせて
くれる貴重な空間であった。

毎日通うことはできない。本当にハレの日の訪問先としての存在・・・。
その店のことがテレビで放映されると、ああ、まだあったんだ。ととてもうれしくなった。
そして、時々その店の前を通ったtき、やってるかな?と覗き込むと、鍵がかかり、店内は暗い。もうやってないのかな・・残念・・・。
ということを何度か繰り返し、最近、また諦め半分で前を通ったら、開いていた!!!

ああ、まだご健在!うれしくてすぐ中に入る。
足を踏み入れた瞬間、あの当時、その世界が広がった。
そして、アンティークなボックス席・・。
たちまち胸がいっぱいになる。

すると、隣の方の席から、声の様子から想像するに80代後半?ぐらいのおじい様たちの
会話が漏れ聞こえてくる。
「あの当時はですな、私ら・・・へいかねばならなかったもんです。今は平和ですなあ。
でも、今、ロシアはえらいことになっておりますが~」
「ほんまに、あの当時は・・・」
と戦争のときのお話しをされているようだ。
その言葉はゆっくりではあるが、話は通じ合っているようで、勝手な妄想をさせていただけるならば、久しぶりにお仲間と、このお店で再会された・・・。

ふと、そのお二人が若いときも、この店で、この席で他のお仲間たちと話をされていたのでは…。

生きていれば、元気であれば、ここに来たら、若いころに戻ることができる。
という夢をかなえてくれるお店は、本当に素敵だ。

京都にはいくつかのそういった店があり、歴史を大切にしながらも、時代に溶け込み
生き続けている・・。
そうだ、また、あの席に座りに行こう。
タイムトリップできる「指定席」。
これがあると、人生はとても豊かで楽しくなる。

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変化、影響を考えた行動の選択。

人生は1日24時間、そして1年は365日。
そして、いつ明日が消えるかもしれない。

と、人生は実は平等だ。
そのなかで、いかに生きるのか?いきごたえのある人生にするのか?

ネット社会のいい面、悪い面。
毎日のように感じながら、
情報の洪水に流されないように、しっかり自分の軸をもって
踏ん張って生きようとしている。

限られた時間のなかで、少しでも自分の人生を実りあるものにする
には、自分ができることを迷わず実践し、そして、少しでもいい変化や
影響が出るようにつとめること。
言っているだけでは、何も変わらない。
そこのパワーを費やしても、もったいないかもしれない。

もちろん人生の価値観は人それぞれ。
自分がしたいことをすればいい。

私の場合は、自分の言動、行動、そして存在が少しでも、
一人でも二人でも、その人にいい変化や影響が生まれるような
ことを優先したい。
相手を笑わせることでもいい、相談を聞くことでもいい、
がんばって!と悩む人の背中を押すことでもいい。
とにかく、
具体的に誰かの変化、影響のお役に立ちたい。

できることは、抽象的な事ではなく、つねに具体的なこと。
そして『ありがとう』と、相手が笑顔を見せてくれること以上の
宝物はない。
今日も、そんなことを意識しながら、生きてみたい。

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価値観の共有とつながり。

久しぶりに、ある青年と再会、夕食を一緒にとる。
あのときは、まだ20代であったのに、もうすぐ40歳になる
という。
その間に転職し、結婚、そしてお子様も誕生、コロナ・・。
もともと素直で、まっすぐ、しっかり者という印象であったが、
安定感も増し、さらに家族のことを本当に大切に考え、これから
どう生きていこうかを真剣に問いながら、日々前進している様子が
伝わってきた。

当時20代後半、私も40代。ずっとマーサさん、マーサさんと慕ってくれ、
人生の節目には報告をいただいていきた。
出会った頃は、勢いに任せがんばる。という一面もあったかもしれない。
人付き合いにしても幅広く、いろんな人に出会うことがよい、と
出会いの量を求めていたのかもしれない。

しかし、年を重ねるにつれ落ち着いてくると、価値観が共有できる
人との関係こそが、最終的には一番大切なのでは・・という結論へ。
人付き合いも量から質へ変わる。
同じ価値観を共有できる人とは、月日を経ても、いつでも会える、話せる。

世の中には、自分と異なる価値観をもつ人も、もちろん多くいる。
それはそれで、その存在は認めつつ、でも分かり合える人との時間を
より大切にする。

そんな話を彼とするようになった。
相手とともに、自分も少し大人になったような気がして・・・。
年の上下ではなく、成長し続ける人と出会うこと。
そのことが、自分にも新たな学び、刺激になる。



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わが秋を色づかせる。

ふと、気が付けば50代後半になっている。
両親たちは80代前半で生涯を終えた。
70や80という年齢はなんだかずっと先の、未来の話・・・
と思っていたが、実はそうではないのでは?と思う今日この頃。

生涯現役で走り続けるつもりでいるが、
しかし、20年後を考えてみると・・・?わからない。

わが人生の夏は多分、もう過ぎただろう。
もちろんまだまだ若さもパワーもみなぎっているつもりでは
あるが、いろんな意味で、30代や40代のときの
自分とは異なってきていると感じる。

親を送るという年齢は、すでに自分も人生の折り返しになっていることを
自覚させられる。

さて、がむしゃらに進んだ夏を終え、この秋。
さあ、どんな風にこれまでの経験を実らせるのか、
色づかせるか?

自分自身、自然の四季のなかで秋から冬が一番好きであるが、
人生もそうありたい。

いい熟し方をして、そしてその先は、いい感じに枯れていけるように。
もちろん枯れ方の心配はまだ不要。
少しでも長く、ずっと秋を長く過ごすことができるように
自らの経験を活かしながら、まだまだ勉強も怠らず、
晩秋には急がず、ゆっくりゆっくり実っていくように
心がけたい。

涼しさを感じながら、より一層、人生の四季を感じる。
そう、それは1日1日、ひとり一人に感謝して、
丁寧に生きるということだ。

さあ、今日という日がはじまる。
昨日と違う今日。小さな実りをひとつでも、ふたつでも。

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わくわくの2023年に向け。

暑さ寒さもお彼岸まで・・という言葉は、すごいなと思いながら、
台風とともに・・・の1週間。
もうおせち料理の予約がはじまっている。
そうか。気が付けば、もうすぐ10月になる。
これから、クリスマス、年賀状やお歳暮やとまた騒がしくなる。
日本特有の行事が多くなる季節・・・。
なんかやんかで、あっと言う間に2022年も終わりになるだろう。

来年のことを考えると、まず手配するのが新しい
カレンダー。
毎年同じデザイン・テーマのものを取り寄せている。
パリとNYのイラストのものをもう何年も使い続けている。
これがないと、1年が始まらないという感じだ。
毎日、見ながら姿勢を正したり、夢を膨らませたり・・・・
夢のツールと位置付けている。
もうひとつは、ポケットダイアリーも併せてチェック。
こちらも、ずっと同じデザインのものを使い続けている。
毎日のトピックスをメモって残しておく。
同じデザインのものが手もとにあることは。とても
安心につながる。

次に自分のオリジナルカレンダーも用意するか・・・。
そろそろ、やらねば!の季節になった。

と、これらが整うと、まず来年への備えはオッケーだ。

そして、来年すべきことについて、改めて考える。
来年は25周年。さあ、この節目に何をするのか?
年内に考えて、準備に入る。
企業であれば、大がかりになるので、もっと早く取りかからねば
ならないが、私は自分で決めて実行すればよいので
本当に楽なものだ。
もういくつか案はある。
なんだか、楽しくなってきた。

ということで、このところ、頭の一部は来年に飛んでいる。
わくわくの一年にしたいから、今をがんばる。

この時期はさらに時間が過ぎるのが早く感じるから
心して。
流されて、あっと言う間に終わってしまった~と
ならないように。




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マーチンさんからの贈り物

両親の旅立ちは、実に思いがけない新たな出会いにつながっている。
地元の米屋さんは両親の親友であったため、今も母の代わりにはならないが、
顔を出し、女将さんが元気かどうか確かめに行くのも大切なお仕事となった。
その店では、コメだけではなく、味噌や野菜、飲料、麺類、お菓子、野菜、
お彼岸となればお参り用の花まで・・。
まさに地域のコンビニとして地元に愛され続けている。
そこで販売されている味噌は、まさに超地元の味噌醸造所のもの。
わが家でも、子供のころからそこの味噌を使っていたため、店でみつけた時には懐かしく
気が付けば、そこの味噌製品をよく購入し、自分でも使うが、
県外の方へのお土産としてもよく使うようになった。

その味噌が、県外の方にとても好評であるので、つい嬉しく、
またその地域密着の様子が大変気になって、
そこの社長にコンタクトし、会社まで会いに行くことにした。
実は、以前から岐阜の土産物の開発にも意欲的であり、また食育活動にも熱心である
という情報は見聞きしていたので、大変興味があったが、やっと面談が叶ったわけだ。

子供の頃から、もちろん存じ上げている味噌屋さんであるが、なんと現在の社長さんは
40代半ば。私より一回り以上若い。小学校・中学校の後輩にあたる。
外食での経験もあるようで、サービス精神にもあふれ、とても気持ち良い、礼儀も品も
そして、感謝の気持ちが全身からにじみ出ている素晴らしい経営者であり、とても感動した。私は18歳で地元を出てしまったため、その人との交流はまったくなかったわけだ。
会話が弾みはじめたころ、社長夫人が、あたたかいココアをふるまってくださって、
そのあと、写真のものを持ってこられた。
私は、パッと見せられたとき、
「ショコラティエが作ったチョコレートかな?へ?高級そう」
と瞬間思ったのであるが、なんと、これは岐阜県産大豆をつかった、
自社製味噌による「みそ玉」なるもの。
「みそ玉」は聞いたことがあるが、こんなおしゃれな素敵なもの
とは知らなかった。そしてトッピングは野菜。
説明を聞きながら、もっとも感動したのは、
「紫のお洋服を着てこられたので、紫のみそだまも入れてみました」
とのこと。へえ?来社するお客の服装の色まで見て、それでお土産を・・・。
粋すぎて、言葉にならない。
どうやら、非売品。特別すぎて、いただくのがもったいない。
そこには、手書きで書かれた「みそ玉の召し上がり方」、会社のリーフレットも。
さすが、しっかりされている!
とにかく、自分が一度は捨てたふるさとで、ずっと家業を守り、そして新たな挑戦を
している企業が、今もここ!にあることがとてもうれしかった。

実は、最近知ったのであるが、生前会ったことがなかった、祖父。(父の父)
この会社でお世話になっていたそうで、今回確認したら、
その事実も明らかになった。
「あの時代は、従業員さん同士あだ名で呼び合っていたようで、『マーチンさん』と
呼ばれておられたそうですよ」
と、社長が教えてくださり、胸が熱くなった。
交通事故で亡くなってからの悲しい話しか聞いたことがなかった
祖父の生前のことを、今このように知るとは、
まるでアナザー ヒストリーのようだ・・・。
一度も会ったことのない、祖父が笑っているように思えた。

そうか、これは、
マーチンさんからのギフトなのかもしれない。味噌は美祖?

今、このような出会いを大切に、自分が外で仕込んできたさまざまな事が少しでも
お役に立てればと思っている。
この味噌屋さんの名は、芋慶さん。地元が誇る素晴らしい百年企業だ。

http://www.ccom.or.jp/imokei/imokei.html

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