25歳、タクシードライバー女子への転身。

彼女とは演劇の仕事で出会った。
笑顔がさわやかな、京都出身の25歳。
前回の朗読劇では、自分の演奏とくに劇後のコンサートも聴いて
くれて、とくに「かもめりぃ」を気に入ってくれていた。
公演の合間に少し話す。
「仕事は何をしているの?」
「実は、もうすぐタクシードライバーとしてデビューするんです」
ときらきら笑顔で言う。
法学部を出て、IT業界での営業職を経ての転職のようだ。
「へえ?」
その経歴に驚く。そして、かわいらしい見た目とのギャップにも
驚いた。
「なんで?その道へ?」
「カッコイイと思ったんです!」
そんな会話から約半年経って、再び会えた。
「本当になったの?どう?慣れた?」
「はい、本当になったんです。楽しくやってます」
と笑顔で答えてくれた。
毎日、いろんな人に会えるのが楽しくてたまらないらしい。
確かにタクシーは究極、走る密室。特別な空間だ。そんな中での
乗客とのひとときの会話は本当にさまざまだろう。
もともと、この職業には興味もあったので、自分が出会った国内外の
タクシードライバーの話をしたら、大変興味深く耳を傾けてくれた。
旅の数だけ、タクシーの思い出があるが、そんな話題も今回役立った。

それにしても、あんなかわいらしい彼女が、その道に入るなんて。
いのちを運ぶ仕事。
緊張は尽きないだろうが、東京の道を覚えるのは大変だろうが、
新たな出会いを求めて、きらきら輝き、がんばってほしい。

タクシードライバーとは、映画やドラマにもなる、奥深い職業だ。
それにしても、かっこいい。タクシードライバーガール。
私にはできない仕事で、ただ、ただ尊敬。

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一心同体になる仕事。

いやー、ほんとうにいろんな仕事がある。
コミュニケーションは、業界を越えて、職種を越えて、
時を越えて、誰にとってもどの仕事においても、重要な生きる道具だ。

今、ある選挙に出馬する方のレッスンを続けている。
もう数回以上のレッスンを重ね、それなりに
成果は出てきたと実感している。
ご本人とはもともと面識はなく、今回直接会うこともなく、

この仕事ができているところが、すごい。
コロナのおかげで、オンラインレッスンも本当に容易になった。

そろそろ、本番が近い。出陣式のスピーチの練習の時期となる。
これには、力が入る。
まさに、キックオフ!なのだ。

ご本人が何度も演説の原稿を書かれて、気になるところを
チェックしながら、練習を重ねる。
一緒に原稿に目を通しながら、その発声や活舌チェック。
一緒に読み、仕上げていく。こちらも熱が入ってくる。

そんななか、「演説の手本」を示してほしいと言われた。
それを聴いて練習したいから。とのこと。
そうか、そうなんだ。
軽く 引き受けた。

それから、その演説原稿を前に、ひとり まるで自分が立候補
するかのように、それを読み上げ、スマホに録音する。
いやー、普通に話すなら、まだしも、一世一代の大勝負をされる方の
お手本にせねば!と思うと、こっちが緊張してくる。

途中で止まらないで 続けて話すのは、意外と難しい。
やってみてはじめてわかる。
ということで、思いのほか、時間がかかった。

ではあるが、なんだか読んでいるうちに、本当に自分が出陣する?
そんな気合いになってくるから、不思議だ。
熱の入ったミニ演説?の音源をメールで送る。
すると、早速それを聴きながら、車で移動中にも練習しているとのこと。
お役に立っているならば、こちらもうれしい。

気が付けば、一心同体のお仕事。
そう、とことん寄り添うということは、こういうことだ。

一生懸命やっておられる方に伴走。

なんだかこの仕事も、自分に向いているような気がしている今日この頃。

さあ、いよいよ出陣。
同じ気持ちで、こちらもさらなるエールを送る。

挑戦は楽しい!人生の宝でもあり、成長の種だ。

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マイ ゴールデンタイム。

昔、テレビ番組の放送時間について「ゴールデンタイム」という
表現をしていた時代があった。最近はあまり言わないかもしれないが。
「ゴールデンタイム」「ゴールデンウィーク」日日のくらしのなかに
ちょっとした非日常を求めた時代のなごりかもしれないが、
その言葉自体は、気に入っている。
昭和のある意味、いい時代が生んだ言葉だったかもしれない。
(その後生まれた、シルバーウィークなどはあまり気に入っていないが)

そのゴールデンタイム。
自分の生活の24時間に置き換えてみる。

ここ何年か、私にとってのゴールデンタイムは、
朝の3~4時。もしくは4~5時。

世間がまだ動き出す前の静かなときに、目覚めの頭で新たなアイデアを
まとめたり、書き物をしたり。
生み出す時間、あらわす時間。

疲れた夜に書く文章は、そのまま発信しない方が良い。
独りよがりになっていたり、感情がむき出しになっていたりする。
朝、冷静になって、もう一度見直してから、送信する。
昨日途中まで考えていたことを、もう一度考えてみるとすぐ答えが
出たりする。

ということで、この時間がマイ ゴールデンタイム。

朝4時台。
そういえば、昨日インタビューした会社の主任さんたちは
朝4時や5時に出勤されている。
また東京で弁当屋を営む仲間は、この時間はまさに仕込みで忙しい時間。
もう1日がはじまっているのだ。
ああ、みんながんばっておられるな。
と思えるのも、いい時間。
私にとっては、この時間がゴールデンタイム。

人それぞれに、自分の金の時間をもつと、1日が豊かになる。

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心のご近所さん。

久しぶりに、親しくしている記者さんと再会する。
コロナ禍は、一度も会えなかったので、3年ぶりか。
彼が20代の頃からお世話になってきたので、
気が付けばもう15年近いおつきあいかもしれない。

新聞記者といえば、いろんな方がおられるが
実によく調べる、事実を集め、解釈をした上で
記事を書く。というプロ意識の高い仕事への向き合い方と、
人柄が素晴らしく、こんな記者さんもいるんだと
感心したり、共感することも多く・・・。
その昔出会う前、東京で本当に近所に住んでいた
という偶然もあって、心のご近所さんという関係だ。

久しぶりに会う。一瞬の沈黙もなく、世界情勢から
地方の話まで、あれこれ話し合う。
もちろんジャーナリズム、メディアについても話
は尽きない。好きな新聞が同じという点もうれしい。
ともに関わった、なつかしい新潟のことも、もちろん話題に。

とにかく、思い浮かんだことが何でも話せるという
相手はありがたい限り。

気が付いたら2時間半も経っていた。
「いやー、久しぶりに会うとこんなに話せるもんだと‥」
相手も
「安心しました。相変わらずですね」
と、一言。

会えない時間があっても、その間におきたさまざまな
事象を振り返ることも楽しく、新鮮だ。

経済新聞で、競馬の記事を担当するという異色の記者。
自分にない才能をもつ人は尊敬に値する。
そして、心のご近所さんは、貴重な存在だ。

またいつか、「安心しました」と再会できる日を
楽しみに、今日も心新たにスタートするとしよう。

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最初と最後はわからないけれど。

毎日、一生懸命生きている。
明日という不確実な存在に向かって、
生きている。
気が付けば、また新たな朝を迎え、今日は明日になる。
この繰り返しを幾日も幾日も続け、
半世紀以上、生きてきてしまっている。

人生ってなんなんだろう?

最近、お世話になった方のお別れがあった。
親の旅立ちからちょうど1年。
その当時は、まさに当事者であったため、
そのときに封印していた感情が、
今回、一気に沸きあがり、涙があふれた。

最後のお別れ。
親族の皆さんや親しくされてきた人が、
花をたむけながら、名前を読んだり、感謝の言葉を
言ったり・・・。

本人には聞こえないし、見えない。
それが、死なのか。と思った。

人は生まれるときも、亡くなるときも意識がない。
最近読んだとある本にそう書いてあり、納得した。

確かに、
自分で自分のはじまりと、終わりを実感することは
ない・・のだ。改めて考えると不思議なものだ。

最初と最後は意識なし。
でも、
今はまだ意識がある。生きている証拠だ。
私が私でなくなる日。
そのことを、私は実感できない不思議。

という理解しがたい現実がいつか来ることを
畏れず、
意識がある、私が私である今日という日を
存分に生きたい。

悩み苦しむことがあっても、
時とともに、それも変化していき
いつか歓びや、いい思い出になることもある。
人生は、やっぱり、
ミルフィーユのようにさまざまな経験や思いを
重ねていくのみ。

最後、誰が自分のことを思い出してくれるだろう?
それもわからないけれど、
みんな、同じこと。
精いっぱい生きていれば、その背中を誰か見ているはず。

自分が自分でいわれる幸せに感謝し、
終わりの日まで、元気に走り続けよう。




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追い込んでパワー炸裂!

今、大きな勝負に挑んでおられる方のプレゼンのレッスンを
続けさせていただいている。
その方は55歳。人生初の大きな転職である。
そのために、これまで考えたこともないことを考え、
やったこともないことをやってみる。やらなければならない
という現実に直面。
これまで人前で話すとか、人によく見られるということの
必要性も考えたことがなかった方が、この3週間の間に
みるみる変化!
発声練習から、写真での効果的な自分の見せ方、
演説の仕方、討論会での話し方、聴き方・・。
話す内容から、話し方まで、一緒にどうしたらうまく
伝えられるのかを考え、お伝えしながら、ときには
厳しく応援させていただいている。

人は本気になったら、本当に変わる。
今回、そのことを実感している。

長年つとめてきた仕事をやめて、新しい職業に転じる。
その勇気に敬意を表し、とにかく前に向かって毎日毎日
奮闘されている姿に、心動かされる。

ああ、がんばっておられるな。
私もがんばろう!

この転職にはひとつの乗り越えるべき勝負がある。
時間が迫っている。
あと2週間。
パワー炸裂、地域の皆様に思いをしっかり伝えていかねば。

毎日毎日をマラソンのように走り続けているこの方を
最後までしっかり見守り、応援し続ける。

人生を賭けた転職を応援する。
この仕事自体にも、やりがいを感じる。

転職に、コミュニケーション力、プレゼン力は必須である。
50代になっても、人はまだまだ変わることができる。
成長できる!!

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いのち、尊し。

子供の頃から とてもかわいがっていただいたおじさん。
89歳の誕生日を前に、人生の幕が下りた。

何年もずっと来て下さった地元でのコンサートへも、
この春以降、来場が難しくなった。
最後に来てくれた岐阜新聞での演奏のときは、
会場の皆さんの介助のおかげで、入退出。
そして、やっと車に乗せてもらうことができた。
「まあ、生きとるだけやわ。」
自分で動くことが難しくなったおじさんは、笑いながらそう言った。
その言葉が、今何度も蘇る。

それまでは、耳が悪くても、それでもずっと来てくださった、
ただ、ただ見守ってくださった方。
聞こえへんのに、何が面白いのかなと、いつも思いながら
ピアノを弾きながら、叔父さんに向かって
一生懸命、視線を投げかけていた。

そんな聴こえない人生を10年以上過ごされていたが、
いつも笑っておられたのも、印象的であった。
苦を苦と思われない強さ、しなやかさが好きだった。
食欲旺盛な元気な働き者のおじさん・・・。
「わしはな、学校いっとらんけど・・・」
時々そんなことを言われ、でも、生涯の働き者であった。
出世とか、名誉とか関係なくかかわる人へ優しさを
黙って投げかける、そんな人であった。

この夏以降、食欲が落ちて、寝たきりになり、
それでも何か栄養を・・・と思い、なんどか
レトルトのスープを差し入れていた。
美味しい!と、飲んでくれていたので、
先週も送ったばかりであった。

義理のおじさんなので、
血はつながっていないのに、
心がつながっている感じ。

幼い私を「まー」と呼んでかわいがってくれた。
地元で生まれ、育ち、働き・・・。
地味な、地道な人生を歩んだおじさん。
本当に純粋な、ある意味、世渡りは下手だったかも
しれないおじさん。

そんなところがとても好きで、
子供がおられないこともあり、
良くしていただいた。

人が毎日生まれ、亡くなっていく。
名もなき人がほとんどだ。
でも、ひとりひとりの人生は
それぞれの家族や身近な人にとって
本当にかけがえのない、
大切な存在だ。

「生きてるだけで、もうけもん。
何もできなくてもいいよ」
と、優しい奥さんに見守られて・・・。
「かわいい顔してたよ」
と、そんな訃報に接し、
なんともいえない気持ち。
自宅で、静かに一生を終えられたのは
幸せだったろうと思う。

いのち、尊し。
愛されて、見守られて逝ける
人生は、幸せ。

心で演奏を聴いてくれていたおじさんに、
心から感謝と祈りを捧げたい。

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改めて、旅立ちの送り火。

岐阜といえば、長良川の鵜飼い。
金華山の頂上にある岐阜城を仰ぎながらの
長良川はとても美しいが、夜の鵜飼いの風景も、
ふるさとでもっとも自慢したいスポットのひとつ。
鵜飼いの船に漁火が灯り、ひとつふたつみっつ・・・そしてむっつ。
船があつまり、漁火も並ぶ。これが「総がらみ」と呼ばれる鵜飼のクライマックス。
水面に映る灯りたちが、とても美しく、幽玄である。
そして、たちまち、火は消えて、観客の拍手も暗闇にとける・・。

と、まあ、そんな鵜飼い。
5月から10月まで毎年開催。
訪れる観光客たちを、じんわりともてなす岐阜の風物詩。
そして、昨日10月15日が最終日。
去年から、父の命日の翌日という新たな「記念日」にもなった。

父が倒れた3年前。倒れる直前の夜に、
この鵜飼をたまたま長良橋の上から見ていた。

おもしろうて、やがてかなしき鵜飼いかな・・。
は、ほんとうにそうだな・・・。

と思っていたら、そのあと父が倒れ、そのままフェイドアウトするように
一生を終えた。
松尾芭蕉が、鵜飼いを人生にたとえたのが、
よく理解できるようになった・・・。

鵜飼い最終日の前日に旅立った父。
これも意味があったのだろう。

今となっては、私にとっては、この鵜飼いじまいは、父と母への送り火だ。
最終日である昨日は、天気もよく、船で楽しむ観光客以外に、川辺や長良橋にも
多くの人々が集まり、最終日を見守った。
長良橋に多くの三脚が立ち並んでいた。一年にこんな多くのカメラが集まることは
ないだろう。
花火もきれいに打ち上げられ、観客の歓声と拍手が
夜空に舞った。
昨日は、空から、母と一緒に漁火を見ていただろうか。

山上の灯りは岐阜城。信長もこの鵜飼で多くの客人をもてなした。
もてなし、そして送る・・・。

おもしろうて、やがて かなしき うかいかな。
おもしろうて、やがて 涙 あふれてる・・・。(自作の「やがて・・・」より抜粋)

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ごめんなさい。ありがとう。

仕事でも、その他の人間関係でも、すべてコミュニケーション
があって成立する。
うまくいくこともあれば、歯車がうまくかみ合わなったり、
相手をいらいらさせたり、違う解釈をされ、怒られてしまうこともある。
もちろんその逆もある。

そうか~。そうとらえるのか。違うと思うけどな~。
でも、相手がそう思ったんだから、こっちが悪いかも。

と、思えば、謝っている。
先に謝ることが多い。そうしている。

そこで、どうのこうのと言ってぶつかり合っても、何の解決にもならない。
頭がカンタンに下げられば、それでいい。良い。

伝えたかではなく、伝わったか?が大切。
といつも、皆さんにお伝えしているが、私自身も、道半ばの日々だ。
こちらの意図どおりに伝わっていなかったならば、素直に認め
改善を急ぐ。

ごめんなさい。ありがとう。
謝罪と感謝。
いずれも「謝」である。
感謝するとは、詫びる気持ちを感じること?
「ありがとう」の言葉の奥には、本来深い意味があるのかも?と
気づかされる。

とにかくコミュニケーションは相手が主役。
と思うぐらいがちょうどいい。
自分中心にならないように、
謙虚に丁寧に、理解される、共感されるための工夫や努力は
永遠の課題。
生きている以上、続くことだろう。

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ラストDAYに感謝、そして新たに。

今日は父の旅立ちから1年の記念日になる。
そして、昨日は、父が生きた最終日。
1日頑張って息をして、そして終わった日。

父がお世話になった施設に顔を出してみる。
「お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「もう1年ですね~。早いですね~・・」
ちゃんと覚えていてくださったことに感激する。

父が息をしていた日のことを思い出し、
最後の呼吸をしていた部屋を外から見て、
1年前が走馬灯のようによみがえった。
瞬間、胸がつまったけれど・・・。

いろんな場面が過去の想い出になっていく。
でも、やはり永遠の存在であることに変わりはない。
父も母も自分の心のなかにいる。

と、父が最後まで頑張った日をしっかり
意識して過ごすことは、意味がある。

今日は、新たな出発をする日。
残った人が、残してもらった思いを受け継ぎ、
新たに生き始める日。
だから、
普段通りに仕事をする。

ふと、両親につくった曲「ひと・もんよう』
が頭のなかに流れてくる。

いろんなことがありました
いろんな人に会いました・・・♪
La Grande Roue:Poem & Songs (mahsa.jp)
https://www.mahsa.jp/creation/

改めて、母とずっと、楽しい旅を続けてほしい。

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