考える時間のギフトとしての芝居。

夏に演奏出演した朗読劇から3か月も経っていないのに、
仲間の作家は、新作の公演を果たした。
執念の挑戦とも思える。記念すべき劇団の20回目公演。

秘めたる思いを短い時間に実現させてしまう、そのスピード感にも驚くが、
そのテーマの深遠さにも驚く。社会のそこを見ていたのか・・と、改めて
作家魂に敬意が芽生えてくる。
この作品には彼女なりの長年の想いがあったようで、その強い気持ちが
この公演への挑戦につながったのだろう。

今回のテーマは性犯罪である。しかも男性の・・というあまり聞かない話。
聞かないこと自体が、実は問題であるが、そんなことを普段考えることも
なかった。

普段、誰も目を向けようとしないことがある。
だから、言わない、言えないまま長い時間、苦しみを背負ったまま
生きなければならない弱い立場の人が、世の中には存在する。

このデリケートで重いテーマの作品。どんな風に展開するんだろう?
ドキドキしながら、ストーリーにはまっていく。
作家の強い思いと、それをちゃんと演じようとする役者たちの力が
シンクロして、私の五感にぐっと染み入った。
なぜか、涙があふれて止まらなかった。苦しい90分であった。

芝居は映画とは違う。このライブ感がたまらない。
生きている人間そのものを抉り出して見せる瞬間であるから、
人間が、むき出しに、真正面に伝わってくる。
だから、ライブは素晴らしい。コンサートとそこは共通している。

大切なテーマについて、考え、話す時間。
そんな立ち止まる時間が、とても大切だ。
普段考えないことを考えることができる。そんなギフトを
芝居は与えてくれる。
だから、世界中に演劇ファンがいる。
DXの時代と言われても、このアナログな表現こそが、人間を語る、伝える。

今回の作品はコメディではなく、社会派の演劇だ。
今の世の中だからこそ、ぜひ、見てほしい。

考えたことのない世界に足を踏み入れ、どうすれば世の中が
よくなるかと考えることはとても大切だ。
目を背けないことも大切だ。

明日、明後日と公演が続く。
ぜひ一人でも多くの人に見ていただきたい。


脚本家という仕事。役者という仕事。改めて凄いと思う。
世にメッセージを伝えるための、自己表現の職業。
アーチスト的な生き方。心から共感する。

次回公演情報 | B.LET’S (blets.net)

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みんなで作った作品だから。

今年の春にかけて、みんなでつくった曲。
障がいをもった皆さんが働く職場での勉強会中に発案、提案。
みんなで一緒に会社のイメージソングを作ろう!
みんなの想いを集め、ひとつのマーチに仕上げた。
そして、無事出来上がり、会社の記念イベントでのお披露目。

そして、季節は変わり、夏から秋へ・・・。
なんとか、この演奏を記録に残し、記憶から消えないように・・・と思っていた。
久しぶりに再会し、再び演奏。今回は、無事録画も完了。

そんなこんなで、今年完成したばかりの企業サイトでこのテーマソングを公開。
マスクをしているので、表情はいまひとつわからないのが残念ではあるが
一緒に演奏しているときに見えた皆さんの表情はばっちりであった。

なかなかいい曲ができた。
みんなでつくった曲だから、丁寧に歌い継いでいきたい。
みんなでつくった「たからもの」である。

株式会社モスシャイン | 一人ひとりが輝き、みんなが笑顔になる共創のモスシャイン (mosshine.co.jp)

このサイトのイベント・セミナーコーナーにて動画を公開、チャレンジ日記という
ブログページでその様子も投稿されています。

チャレンジ日記 | 株式会社モスシャイン (mosshine.co.jp)

「みんなで」という言葉、想い。大切にしたい。

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無から有が面白い。

クリエーションとは、ゼロから生み出す活動だ。
まさに創造的な活動。
音楽でも、もちろんクラシックも流行歌も好きな曲は数多あるが、
人のつくったものよりも、自分で作った曲の方が思いが伝わる。
当然といえば当然のことだ。
音楽以外のコミュニケーションの仕事でも、企画や製作の仕事に
携わる場合は、本当に楽しい。
ゼロからの仕事は、かなり想像力が必要だ。どうすればどうなるか?
イメージがわかないと、人に伝え、カタチにしてもらうことができない。
こういうのを作りたい、こういうのが必要だ。ではそれをするには?
どんどん湧いてくる仕事がクリエーションだ。
今年はホームぺージの仕事もいくつかやってきたが、自分のサイトも
リニューアルでき、イメージどおりにできたことが嬉しいし、
今取り組んでいるサイトも、予定通り、自分が思っていた世界がカタチになりつつ
まり、どんどん楽しみになっている。
無から有を生み出す仕事は、やはり面白い。
もちろん無から有にするプロセスでは、さまざまな経験、事例や情報が参考になり
その組み合わせ、掛け合わせで新たな有が生まれる。
まったく何もなければ、有は生まれない。
こうしたい、そんなものにしたい。との思いを膨らませ、それを実現するための
パーツを常にもっていること。
日頃から、アンテナを張り巡らせることがポイントかもしれない。

小さくてもいい。無から有の楽しみを人生に、人生にたくさん取り入れていきたい。

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平和なふるさと。

上の写真は、わがふるさと岐阜の駅前広場だ。
金ぴかの銅像は、かの織田信長公。出身はお隣
愛知県であるが、岐阜城の主であったため、
岐阜が誇るヒーローであり、岐阜の名付け親
でもある。
春は道三まつり、秋は信長まつりと、毎年開催
されていることは知っているが、これまでは
まあ地元がちょっと盛り上がる程度のローカル
なお祭りという認識である。しかもコロナで
随分ご無沙汰している感じであった。

ところが、このポスターを見たときから何か
違っていた。
「今回の信長まつりのポスターはなんだかいつも
と違ってイケメン。誰?」ちょっと気になる。
そして、祭りの告知や抽選の様子について、
マスコミが騒ぎ始めて、びっくり仰天。
あれは、キムタクのポスターだったのか。

ということで、この写真の岐阜駅はまつり前日から
多数の観光客が岐阜入り、そしてまつり当日は
史上初の大賑わい。どうやら人口の倍の人が
岐阜に、キムタク信長を拝みに来られたと
全国ニュースでも報道され、これまたビックリ。

あの閑散とした廃れた寂しさ漂う岐阜の繊維街周辺に、
柳ケ瀬にこんなに大勢の人が溢れるとは・・・。
しかも女性客が続々・・・。
メディアの影響、映画の影響・・・。
とにかく、
岐阜市内での話題は、これ一色?。
しかもイベントが終わって2日経っても、
地元新聞社では、入り口でまつり翌日の朝刊を
販売していた。こんなことは、これまでないこと。
キムタクが一面に載っている岐阜新聞とは、レアもの
保存版である。

「キムタク見た?」がしばらくの合言葉になりそうだ。
ソウルでの惨劇があったばかりで、警備体制も厳重で
あったようであるが、まあ、事故もなく、平和に
無事終わって良かった。

街は再び、いつもの岐阜に戻り、とても静かだ。
これが岐阜だ。メディアで騒がれる街ではない。
でも、なんだか町中に興奮の余韻があるのが面白い。
外し忘れられた街角のポスターを見ながら、
ふるさとの平和を改めて感じた。

信長のことは、実は何年も前からマークしており、
曲も書いている。
来週の岐阜新聞社でのコンサートでは、
こんな話題と演奏もタイムリーかもしれない。

ああ、平和なふるさと。永遠であれ。


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ごまかしのできない仕事。

マーケティングやコミュニケーションの世界に身を置いた十数年の間に、
ピアノの演奏力は低下した。この現実は、ときに苦しく、ときに
悔しく・・・。でも、その代わりに得たものは、出会いは、新たな世界は、
より広く、大きく、また違う豊かさもあるのだから、それでよかったのだと
言い訳をする自分もいる。

音楽だけ一筋に生きてきた人の生き方をうらやむことはしないと
思ってきたが、それでも、華々しいステージで勝負する演奏家たちの
姿を映像などで見るにつれ、いろんな思いが募る。
そんななか、
ショパンの再来といわれた、あのブーニンの9年ぶりの復帰の報道に
接し、釘付けとなる。
まさに音楽一筋、ピアノだけに生きてきたあの天才が、そういえば
ここんところ、コンサート情報も来日という話題もなかった。
左手が動かなくなるという大病を患い、足も骨折。そのための治療や
リハビリをされており、やっとこのたび日本での演奏会で復帰された
とのことで、番組はその様子を伝えた。
いつの間にか中年になったブーニンが、久しぶりに演奏した曲は、
昔のような華麗なショパンではなく、静かなシューマンの小品集から。
以前の指先の見事な速い動きこそないが、ひとつひとつの音が
心にしみわたる、深いキレイな音色が心を震わせた。

技術ではなく、美しい音色を届けたい。
そんな思いがじんわりと伝わる、素晴らしい演奏で、
苦難、苦労を乗り越えたブーニンの今を感じることができた。
昔は聞いていて、その指さばきに感嘆こそすれど、涙は出なかったが
今は、いろんな思いが重なって、一音一音が全身に染み渡った。

演奏後のインタビューのなかで、
「ステージはごまかしのできない場」であると言っていたことが
とても印象に残った。
「自分ができること、できないことが、わかってしまう世界」
確かにそうだ。

音楽は音が出た瞬間が、永遠である。
上から色を塗り足すことも、消しゴムでなかったことにする
こともできない。
出された音が、すべて。
この瞬間にすべてを賭ける。
それが演奏家の仕事。

ごまかしができない仕事。

ふと思った。
音楽の世界で学んだことのひとつは、これだったと。

今、音楽以外の仕事、活動をするときにも、
ここは大切にしなくては、と無意識ではあるが、
ずっとそうしてきたような・・・。

ごまかしはいけない。

ブーニンは1年後、さらに昔に戻るようにリハビリ練習を
続けるそうだ。

人生の頂点とは何かわからないが、
年齢や苦労や経験を重ね、
真なるものに向かっていく・・。それが人生か。
もちろん努力がなければ、向かうことはできない。

ごまかしのない仕事、生き方。
自分がまず、それをわかっているはず。

さらに人間味と愛にあふれたブーニンのこれからを
影ながら応援し、そして
私もさらなる復帰!を目指したい。

技巧を尊敬するだけでなく、
生きざまが尊敬される。
そんな人になれるのかどうかは、あとでわかること。
まずは、ごまかしのない今日1日を。

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野菜ダイアローグ。

初めて足を運ぶ土地で、道の駅や、直売所に足を運ぶ。
これはとても楽しいリサーチであり、ミニイベントだ。
珍しい地元ならではの農作物に出会えたりする。
デパートや大型スーパーに並ぶ、カタチやサイズの整った
キレイな野菜よりも、
近所の農家さんがそのまま持ち込んできたような、
ちょっと土がついたままだったり、
形が不格好だったりする野菜の方が、断然愛着がわく。

また、普段売り場で見たことのない野菜をみつけると、
思わず購入してしまう。
「何?これ?」
世の中には、まだまだ知らないものがたくさんある。
大量に流通する世界では出会えない、小さな発見が直売所には存在する。
さらに、親世代の人たちが、よく食していたであろうものに出会うと、
なぜか懐かしくなってしまう。
貧しい時代に食していたものたち。ちょっと面倒ではあるが、
ちゃんと美味しく食べられるものたち。

たまたま、「いものつる」をみつけた。
芋づる式とはここから来ているのかどうかわからないが、
畑の様子を、想像するのが楽しい。(といいつつ、土いじりは苦手であるが・・・)
食べるには水にさらしたり、皮をむいたりと面倒ではあるが、
なぜか、しみじみとした気持ちになる。日頃の疲れも吹っ飛ぶのが不思議だ。

「あのさ、これ、どうやって食べてた?」
「へえ、きんぴらにするの?」
「ちょっと、めんどうくさいよね」
と、手を動かしながら、ひとりで話している。
そう、母に話しかけているのだ。
きっと彼女はこういった類の野菜に親しんでいたはずだから。
扱い方は聞いても返事はないため、ネットで調べるが、
とにかく対話をするのが、いい。

野菜を切りながら、皮をむきながら、母に声をかける。
きっと、これからもそうするんだろう。
野菜ダイアローグは、自分にとって一種の癒しでもある。

そんなひととき、悪くない。
ちなみに、写真の野菜ははじめて出会ったもの。
コールラビと呼ぶらしい。
母は知っていたかな。そんなことで野菜ダイアローグを楽しむのも
四季の歓び。
大地の恵みを、母の思い出とともに、ありがたくいただく。

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分断を乗り越えて。

アメリカで中間選挙が行われる。
この結果が世界にもたらす影響は計り知れない。
世界のなかのアメリカの役割、存在力が変わりつつある中、
未来のリーダーがどうなるか?が見えてくるからだ。

もう20余年が経過してしまった21世紀を振り返る。
悲しいかな、同時多発テロにはじまり、そして現在も続いている
ロシアのウクライナ侵攻、大国の権威主義の強化・・・。
一人一人が自由に、平等に、平和に、安心してくらせる世の中とは
違う方向に進んでいるように思う。
SDGsを合言葉に、持続可能な取り組みを一生懸命やっている
多くの人がいる一方、自分主義で権力を押し続けている人もいて・・。
別の世界の話だろうかと思う今日この頃。
このように、世界が分断されていると思う、感じることが多すぎる。

アメリカでは分断がさらに進み、自分の主義主張、思考と相いれない
人を排除する傾向が高まっている。
もちろん地域差はあるだろうが。

日本でも安心はしていられない。
情報の受け入れ方によって、人は違う方向を向くようになる。
認め合う、赦し合う、思いやる、愛する。
そういった人として基本的なことを忘れずにいなければ、
人間社会は成り立たなくなる。

分断。
違う意見をもっていても、お互いに聞き入れ、話し合う。
そしてお互いのいいところを取り入れる。
コミュニケーションをしっかりとる。
それが民主主義でもあると思う。

分断を乗り越えたい。
まずは、相手のことを知ること、認めること。
そして、共通点を見出すこと。
安易に決めつけてはいけない。

アメリカの動向を見ながら、これから世界はどうなるか、
そのなかで、自分はどうするのか?をしっかり考えていかねば。
すべての動向、事象は他人事ではない。
全部、自分に跳ね返ってくるのだから。

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老々の時代に。

老々介護が原因の痛ましい事件、事故・・・。
その報道に接するたびに、心が痛む。
老々でなくても、
両親の最期は、まさに真剣勝負で緊張の毎日であった。
「おまえに、わしがどんだけ痛いかわからんやろ。
 もう殺してくれ~」
と、そんな言葉も生存確認の決まり文句のような朝も
多かった。
そんな言葉は母の訴えであったし、一生懸命生きている
証しであった。
こんな激しい暴言のあと、力抜けて
「昌子さんと喧嘩せなあかんで、長生きせなあかんな。」
と言ったこの言葉が、母から私への遺言となった。

もし、この生活があと10年も続いていたら、私も70歳前になり
体力気力もどうなっていただろう。
まさに、老々介護になる・・・。
おかげさまでというと罰当たりかもしれないが、
そこまでいかないうちに、旅立ってしまった。

でも、何十年も介護をしなければならないとしたら、
介護者である家族の負担は計り知れない。
仕事も好きなこともできない。どこにも行けない。
経済面の不安も絶えない。
介護は本当に大変な人生の仕事だ。

他人事ではない、老々介護。
人生を「ありがとう」と笑顔で終えたいが、
そのためには、まずは今できることをやり、
人に迷惑をかけない生き方をしっかり準備しておくこと。

生きることは、本当に難しい。

このたびの悲しい事件のこと、他人事とせず、
どうしたらこういうことがなくなるのか、
をしっかり考えなければ。
加害者、被害者で人生が終わらないように。
「ごめんね」ではなく、
「ありがとう」で終えたい。

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食べ物にも人格がある。

久しぶりに新潟駅に降り立った。
20年前に通い始めた頃から比べ、随分と駅も変わった。
新潟駅は大規模工事の真っ最中で、馴染みの土産物店や飲食店も閉店。
ああ、これから新潟も変わっていくのだと、寂しいような頼もしいような・・。
そんな気持ちで駅ビルを歩いていたら、懐かしい駅弁売り場だけは残っていた。
あ、懐かしい。思わず立ち寄り、弁当の什器を覗き込む。
あ、みつけた。あったあった。
抱きしめたい駅弁。そんなフレーズはないかもしれないが、私が日本で一番好きな駅弁は
このゆきだるま弁当だ。雪国新潟らしいお弁当で、容器は貯金箱にもなる。
そう、通い始めたころは、これが珍しくてよく買ったものだ。
本当に微笑ましいお弁当。「がんばってね。」「お疲れさん」と語りかけてくれているような気持ちになる。お弁当の中身もやさしい内容で、本当においしい。

思わず、10年ぶりぐらいに買ってみた。
車内で食べずに、持ち帰り、開封してずっと眺めていたら、
新潟での思い出が走馬灯のように浮かんだ。あの駅弁売り場で出会った人、
そこから仕事につながった出会い・・・。いろんな人にお世話になったなあ。

駅弁は、私にとって30代・40代の思い出のアイテムのひとつ。
台湾の仕事、新潟の仕事・・・。いろんなドラマがあった。
あまたある駅弁。
そのなかの代表格が、思い出いっぱいのゆきだるま弁当だ。

企業にも人格があるというように、食べ物にも人格がある。
パッケージや器、盛り付けなどの見せ方で、いのちが吹き込まれる、
そんな感じがする。
ゆきだるま弁当。雪国のみなさんのやさしさが、じんと伝わってきた。
ありがとう、にいがた。
厳しい雪国くらしが、こんな風にしてあたたかいものになる。

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わたしの秋の感謝祭

秋というのは、人恋しい季節でもある。
真夏、真冬では、暑さ寒さの厳しさに負け、
久しぶりにあの人に会いたい、連絡をとってみよう。
とはなりづらいが、しのぎやすい季節、また忙しくなる手前のあたりは
少し、そんな気持ちにもなる。
とくに、お世話になってきた諸先輩の近況を想像すると、
思ったらすぐ会いに行くぐらいにしないと、悔いが残るため、
会える方には、積極的に!と思う今日この頃。
とくに自分が20代、30代でお世話になった方たち。その頃の社長さん、
部長さんとなれば、今は80代の方が多い。
急がねば!時間がある限り、会いに行くと、心に決めている。

ということで、30年ぶりにある方にお会いすることができた。
もともと出版の編集をされ、のち社長、会長になられ、そして今は相談役。
80歳になられた今も、毎日会社に出勤され、経営者や幹部にさまざまな助言を
されているという。
半世紀以上ご無沙汰していたが、私がお世話になっていた時代と、変わらぬ
あたたかい表情で迎えてくださって、一気にわが若き日の恥ずかしい時代が
蘇った。
よく30年経っても覚えていてくださるもんだと、改めてその記憶力に
頭が下がり・・・。
いい再会の時間をいただき、30年前と同じく、駅の改札で別れた。
時代が変わっても、ご無沙汰の時間が流れても、
変わらずお元気にお仕事される姿に感動し、胸がいっぱいになる。

改めて、自分はどれだけの方に支えられて今日まできたのだろう。
岐阜で、京都で、東京で、新潟で・・・・。
とくに自分で飛び込んできた京都では知り合いゼロからの出発であったため、
そこで出会えた人との思い出は抱えきれないほどにある。

お礼を言いたい人がまだまだたくさんいるのに、
思っている人全員に、それが伝えられるだろうか。
早くしないと、会えなくなってしまうかもしれない。

秋は人恋しい季節。
あの人にも、この人にも会いたい、会わねばならないという
想いが募る季節。

そして、感謝をしっかり伝えたい。
おかげさまで元気にやっています。
いろいろ教えていただいて、本当にありがとうございます。
と、
お元気なうちに、ちゃんと言いたい。

わたしの秋の感謝祭。
さあ、会えるうちに、会いたい人に。

一人に会うと、そこからまたいろんな人を想い出す。
人から人へ・・。
今、30年前の観覧車が回り始めようとしている。

本当にお元気で良かった。
またお会いできますように。

人生の諸先輩に心から感謝を込めて。

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