両親が旅立って、1年以上が経過した。
人間、不思議なもので、それでもなんとか生きていけているということに
気づいた。
ある人にそう言ったら、
「そりゃ、人類の歴史、みんなそうしてきたからね」
と言われ、確かにそうだ。親が死んだからといって、子供がショックで
生きられない。そんなことでは歴史は続かない。
なんやかんやあっても、みんな先代のいろんなこと、もの、思いを受け継ぎながら
生きるものだ。
寂しさが消えるのではないが、寂しさが普通になる。寂しさを飲み込んだように
自分のなかに存在しながら、新たな自分になっていくのだろう。
そんな日々であるが、最近、親がお世話になってきた人々に関わる
ことが日課というか、ミッションになってきている。
たとえば、親とよく飲みに行っていたという方が、その店に一緒に
行きたいと言われる。その店でお酒を飲むのではなく、ランチをいただ
くだけであるが、その方はずっと、父や母と過ごした時間について懐かしがって
いろんな場面について話してくださり、「今日は思い出せて楽しかった。ありがとう」
と満足して帰られる。当時のことが蘇ってうれしかったとのこと。
ある方には、演奏会をリクエストされ、その方が通うデイサービスの施設に向かい
そこで演奏をさせていただく。
すると、親の話題がたくさん出て、皆さん、母のことや、一緒に旅した日々のことを
楽しそうに思い出しておられる。いきいきされて話される様子が印象的だ。
自分がそこにいることで、楽しい思い出の時間になるようだ。
「またやって。次はいつかな?」
ふるさとの皆さんが、とても楽しみにしてくださる。
そんなことで、私にとっては、今はふるさと納税もいいけれど、ふるさと活動が
せねばならないこと。
それをすることで、父母のことが改めて思い出せ、皆さん喜ばれる。
思い出すことは寂しいけれど、それを表現することも必要。
ふるさと・・縁がきれないように。
なぜか、80歳以上のお友達が増えていく。喜んでおつきあいさせて
いただこう。ふるさと孝行。自分の心もあたたかくなる。ありがたい。