ぬくもり勉強会~楽しく本気で、一緒に~

11月最終日。ある企業の従業員さんの永年勤続表彰の行事に参加する。
そこで勉強会の時間をいただく。
サービス業で日頃はそれぞれ違う職場で働いており、店相互のやりとりは少ない。
年に一度、全従業員が一堂に会し、表彰を受けたり、一緒に話をきいたり、
そして食事をしたり・・・。コロナでこういった社内行事も開催できない
3年であったが、今回久しぶりの開催となった。

私が受け持った勉強会についての社長からのリクエストは「社員が誇りをもって
働いてくれるようになってほしいです」。そのために、何を伝えるべきか。
生きる上で仕事とは?自分の会社、どんなところがいい?
そして、夢を語り合おう!と、普段考えないことを、普段話さない人
とペアで話し合ってもらい、発表してもらう。

そして、ああ、いい会社で働けているなと一緒に感じあってほしい。
そして、夢に向かって力合わせて明日からがんばってもらえたら・・・。
写真はそのときに出された意見をホワイトボードに書き出したメモ。

従業員さんも経営者も一緒になって、仕事について、会社について、夢に
ついて語り合ったら、なんだかみなさんの表情に笑顔が生まれ、会場が
一体となった。

最後は、社長から、これからの会社の目標を具体的に話していただき、
そして目標に向かって、今日からのために作った「みんなでやろう!5か条」
の発表。それを一緒に唱和。

その後は、懇親会。楽しい時間が共有された。年に一度のふれあい。
社長夫妻が、従業員をもてなしていた風景もあたたかく、感動的であった。

楽しく、本気で。そしてみんな一緒に。
誇りをもって仕事をする。そして豊かな人生を育む。
そのために気持がひとつになる、ひとときとなった。

今日からまた心新たに、誇りを、自信を、そして感謝をもって走り出して
いただきたい。もちろん、ずーっと応援している。


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セルフヒーリングと前進。

人は緊張の連続の日々・・だけでは生きていけない。
ときにリラックスすることも大切だ。
1年に何日かまとめて、1か月に2~3日、1週間に一日、
などそれぞれその時間の取り方は異なるが、1日のなかで数分
ということも可能だ。
緊張のなかの緩和、不自由ななかの自由。
緊張と緩和をうまく調和させながら、ほどよく生きる。
連続した緊張の時間から解放され、心からゆったりする時間をもてるのは
理想だ。

実は、私はこのあたりがずれているかもしれない。
もともと、あまりゆったりしない生活を送っている。
それでも平気であるが、
ここ1年余りの間に、自分なりの癒し時間がみつかって、
幸せを感じている。

それは、ピアノに向かう時間。
ショパンでもベートーベンでも何でもいいが、楽譜をぱっと開い
そこに書かれている曲を弾き始める。
あるいは即興で鍵盤の上を散歩する。
何時の間にか、その世界に入っていく。
ときに19世紀のヨーロッパに行ったような気になる。
最近は民族音楽には心惹かれるものがある。
たとえば、ポーランド人の心の音楽として知られる「マズルカ」
物悲しいかが、本当に美しいメロディーと和声が特徴だ。
難しい曲ではなく、簡単に弾ける曲はいいヒーリングになる。
世界の小旅行をしながら、そして自分が抱える現実の課題が
客観視でき、小さく見えてくる。
自分で自分が癒される。とても満足な気持ちになれる。

緊張から心身を解きほぐす。
毎日は難しいかもしれないが、意識的にそんな時間をとりたい。
そう、道を歩きながら歌うのは、もっとも容易かもしれない。

人に癒してもらわなくても、
自分で実行できるのは、とてもいい。

セルフヒーリングしながら、日々に挑戦する。

今日で11月もラスト。悔いのない1日をしっかり生きるとしよう。

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プロセスを元気に生きる。

生きているといろんなことがある。
自分の思い通りにならないことも、そりゃあ ある。
その方が多いかもしれない。
苦しいときは、今はすべて過程だと思うようにする。
出口のないトンネルがないように、いつか光が見える
ゴールに行きつくための途中だと思うようにする。

そして、その途中を進んでいる人は、自分だけではない。
生きている人全員が、途中を生きている。
しんどいのは、決して自分だけではない。

だから、同じ空の下で頑張っている人のことを想うようにする。
あの人も、この人も、それぞれがんばっている。
ああ、だから自分もがんばれる。
人生は喜怒哀楽。いろんなことがある。
みんなそれも同じ。

人はひとりで生まれ、ひとりで終わっていくけれど、
それもみな同じ。
みんな孤独を背負って、自分のゴールに向かって
がんばっている。

そう思ったら、なんだか力が湧いてくる。
おかげさまで、思うと浮かんでくる顔がいっぱいある。
あの人も、この人も、みんながんばっている。

そう、みんな今日もやるぞ!と新しい1日をはじめることだろう。

毎日プロセスを生きている。
間違いなく、前に進んでいる。
今日もその手ごたえをしっかり感じながら
ゴールに向かうとしよう。

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自分ができること、もっと。

クリスマスツリーの美しいイルミネーションにカメラ
(ほとんどがスマホであるが)を向ける人でにぎわう週末の
マチナカ、エキマエ。広場には人々が集い、クリスマスソングが
流れ、日本独特のクリスマス商戦!がまっさかり。
これから12月に向け、ますます盛り上がるのだろう。
楽しそう、浮かれ気分、コロナはもう関係なし・・。そんな空気
も感じられ、それを横目にちょっと足早に、人混みを避けて歩く。

一方、報道からは、水も電気も不足するウクライナ情勢が伝えられ
これから酷寒に向かうその土地での年末年始が心配になる。
寒さで命をなくす人も多くいるのではないか。

同じ地球なのに、同じ世界と思えない。
でも、西側の戦争はさまざまなカタチで私たちの周囲に影響を
与えているから、やはり同じ世界の話。
他人事ではない。
なんとかできないだろうか?

自分がウクライナの人々が直面する問題に大きく貢献することは
できないけれど、一滴の行動はできなくはない。
だから、少額であっても寄付を続けている。
前にも書いたとおり、この戦争が終わるまで続けようと思っている。
ほんのささやかな話だ。

また国内に目を向けることももちろん。
国内でさまざまなことで、困っている人。
自力ではどうしようもできない人のためにも、できることを。
何か提供できること、もの、時間、行動があれば、こちらもやる。

今、自分にはおかげさまで仕事もあって、やることもたくさんあって
そしてインフラにも困らず日常を過ごしている。
そのことに感謝して、今、自分ができることをもっとしなければと
思う。
以前、クリスマスの日に、慰問に行っていいことをしたと話して
くれた金持ちの人に会ったことがあり、
「なぜ、その日だけするんですか?いつでもすればいいのでは?」
と疑問に思ったことがあった。
キモチがあれば、いつでもする。
今はそのときだと思う。

厳しい冬をあたたかくするものは何か。
真剣に考えたい。

ちょっと静かに過ごしたい師走、クリスマス、新年・・・。
同じ世界に目を向けたい。

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キモチ・コミュニケーション。

生きていく上で。「気持ち」は一番大切だ。
どこか気持ち悪いと、気分が乗らないと、不安定で行動にも身が入らない。
また、同じ言葉でも、気持ちがこもっているかどうかで、伝わり方もまったく違う。
「気持ち」とは、人が生きる上での一番大切な原動力。
気持ちだけあっても行動できないこともあるが、
それでも、気持ちがあるかどうか、はとても大切である。

「ほんの気持ち」といって、さまざまな気遣いをいただくことがあるが
その気持ちで、1日が幸せになる。
また、気持ちが乗った演奏は、感動も届けることができる。

気持ちよく生きたい。気持ち悪くならないように、心がけたい。
そのためには、気持ちを日頃からキレイにしておきたい。
「気持ち」とは心のこと。

心身のバランスをしっかりとって、裏表なく、
真の意味で元気にいきたい。

今日も気持ちよく1日をはじめ、終わることができるように・・・。

人はキモチで動く。
人のキモチは、それぞれ。
キモチ・コミュニケーション。これからも、大切にしたい。

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心あわせる会食。

この人は。と思う人とは、しっかり向き合い話したいと思う。
回数は多くなくていい。そういう機会を1回はもっておきたいと
思う。
近年は、めっきり回数は減ったけれど、会食もときに必要だ。
食事でもしながら、仕事や人生について語り合う。

ちょっとした出会いからでも、一生の付き合いに発展することも
ある。
今回の出会いも、ふとしたことから仕事に発展し、それだけでは
惜しい感じがして、会食となった人がいる。
「これ、おいしいですね。」
まず料理の話題から、共感。
そしていただきながら、言葉が続く。
生い立ちから、人生観まで・・・。
仕事でしか見えなかったその人の横顔、素顔が見えてくる。
そして、人には話せないようなことまで話してもらえると、距離感が
ぐっと縮まった感じ、そして信頼が増す。

パソコンだけ見てのやりとりだけではわからないことが多い。
やはり向き合って、しっかり語り合いたい。
「昨日はありがとうございました。マーサさんの言葉がとても
響きました。これからも宜しくお願いいたします!」

とのメッセージをもらい、こちらも安堵する。
食事というのは、食を通じたコミュニケーションタイムだ。
心の解放の時間だ。

人数が多いと難しいけれど、できる限り、相手を知るいい機会に
したい。
同じ釜の飯・・という話を子どものころからきいていたが、
食事は、まさに「人を良くする」「人との関係を良くする」
コミュニケーションチャンスなのかもしれない。

年末に向けて。
笑顔で心を合わせる時間になるように。

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キセキは起きる。

サッカーで世界中が盛り上がっている。
とくに日本のチームが強豪ドイツに勝ったことで、
国内でもサッカー熱が高まっているようだ。
熱狂的なサッカーファンでなくても、このような勝利は
嬉しいもの。元気になれる!という人も多いだろう。

フェアに戦い、勝つ。
それまでの実績での予想を覆しての勝利は、スポーツならではの
楽しみかもしれない。
勝利の女神も、存在するのかもしれない。

私はリアルタイムで視聴していなかったし、断片的な情報しか
得ていないけれど、この結果をきいて、これをきっかけに日本が
明るい方向へ向かっていくといいなと素直に思った。
コロナもあって。政治不信もあって、諦めモードになりそうな
空気のなか、それを打ち破るグッドニュース。

この勢いで、次も勝ってほしいと多くの人が、期待している
ことだと思う。

サッカーは、貧しい国でさかんであったとされるスポーツだ。
ボールひとつで遊べる、誰もが戦える。
今はかなりおしゃれなスポーツになっているけれど、
アルゼンチンやブラジルでの熱狂など、
みんなが楽しめる、大衆的なスポーツだ。
奇跡は起こる。
このスポーツを通じて、世界中の人がそんなことを思い、
自分の人生に重ねているのだと思う。

がんばれば、奇跡は起こる。
がんばらなければ、奇跡は起きない。

勝利の女神が見守ってくれる1日となりますように。

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終わらない今日はない。

毎日毎日、いろんな課題に向き合う。
いつまでこんな日が続くのだろうと思うこともある。
嫌なときもある、気が進まないときもある。人間だもの。
でも、どんなことも一生懸命やっていたら、必ずいい結果で
終えることができると、信じている。
もうひとがんばり、もうひと山、ゴールは近い。
と自分で自分を鼓舞して、背中を押して・・。
とにかくどんなことでも、必ず終わるのだ。

人間は勝手な存在だ。
つらいことが終わることを望む一方、
いつまでもこの健康な日々が
終わらないようにと願っている。この矛盾。人間だから。

いずれにせよ、永遠はない。
いいことも、悪いことも必ず終わる。
まさしく諸行無常である。
だから、どうせならばなんでも良き方向に受け止めるとしよう。

つらくてもしんどくても、終わらない仕事はない。
終わらない人生もない。
あっと言う間のことだから、どんなにつらくても
いのちまでとられない。の精神で進むとしよう。

終わらない今日はない。
だから、大切に思う存分生きるとしよう。

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シソ味噌のキクちゃん、永遠に。

喪中はがきが届く季節になってしまった。
昨年を思い出すと、当時、自分が出したハガキを受け取られた方の
気持ちがよくわかる。

今回受け取った1枚のはがきに、あってほしくない名前が記載されていた。
100歳まで現役で絶対にがんばると言われていた、新潟の元気印の
おばあさま キクちゃん。キクエさん。

息子さん、お嫁さんと一緒になって、息子さんの定年後、家族で自営業を
開始。キクチャンが長年つくってこられた「シソ味噌」を商品化して、
販売するという事業だ。
ほんとうにおいしい、こだわりのシソ味噌。まさに、おふくろの味。
おにぎりに絶品だ。
創業後、商談会にも出してみたいというご相談から、その商品を知ったのが
きっかけ。
「変わらぬ新潟おふくろの味を作り続けて四十余年」とキャッチフレーズを
考えた、この「キクちゃんのシソ味噌」。このコピーを大変気に入って
いただき、商品パッケージや様々なツールにも活用いただいた。
もう数年経ったはずであるから、作り続けて半世紀になっているはず。

「私は元気ですよ。100歳まで現役で仕事しますよ!」
お会いしたのは、80代後半だったと記憶する。ニコニコお元気いっぱい。
お会いすると、自分の親のことを思い出したものだ。
あれから数年、コロナの影響もあったかもしれない・・・。

キクチャン。笑顔の素敵な、本当にバイタリティのある素敵な方であった。
このシソ味噌は、都内の人気おにぎり屋さんはじめ、知る人知るお店でも
利用されている。
キクチャン。ほんとうはもう一度お会いしたかった。
家族みんなで、母の味「キクちゃんのシソ味噌」を商品化できて、本当に
良かった。素晴らしい親孝行。
これからも、キクちゃんのシソ味噌、美味しくいただき続けたい。
今日もこれを使って、心を込めておにぎりを作らせてもらうことにする。

キクチャンという存在は、このシソ味噌を通じて、これからも懐かしき
親しみ深い愛する存在、良き思い出として、決して消えることはないと
信じている。敬意と感謝を込めて・・・。

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ふるさと納税もいいけど、ふるさと孝行

両親が旅立って、1年以上が経過した。
人間、不思議なもので、それでもなんとか生きていけているということに
気づいた。
ある人にそう言ったら、
「そりゃ、人類の歴史、みんなそうしてきたからね」
と言われ、確かにそうだ。親が死んだからといって、子供がショックで
生きられない。そんなことでは歴史は続かない。
なんやかんやあっても、みんな先代のいろんなこと、もの、思いを受け継ぎながら
生きるものだ。
寂しさが消えるのではないが、寂しさが普通になる。寂しさを飲み込んだように
自分のなかに存在しながら、新たな自分になっていくのだろう。

そんな日々であるが、最近、親がお世話になってきた人々に関わる
ことが日課というか、ミッションになってきている。
たとえば、親とよく飲みに行っていたという方が、その店に一緒に
行きたいと言われる。その店でお酒を飲むのではなく、ランチをいただ
くだけであるが、その方はずっと、父や母と過ごした時間について懐かしがって
いろんな場面について話してくださり、「今日は思い出せて楽しかった。ありがとう」
と満足して帰られる。当時のことが蘇ってうれしかったとのこと。
ある方には、演奏会をリクエストされ、その方が通うデイサービスの施設に向かい
そこで演奏をさせていただく。
すると、親の話題がたくさん出て、皆さん、母のことや、一緒に旅した日々のことを
楽しそうに思い出しておられる。いきいきされて話される様子が印象的だ。

自分がそこにいることで、楽しい思い出の時間になるようだ。
「またやって。次はいつかな?」
ふるさとの皆さんが、とても楽しみにしてくださる。

そんなことで、私にとっては、今はふるさと納税もいいけれど、ふるさと活動が
せねばならないこと。
それをすることで、父母のことが改めて思い出せ、皆さん喜ばれる。

思い出すことは寂しいけれど、それを表現することも必要。
ふるさと・・縁がきれないように。
なぜか、80歳以上のお友達が増えていく。喜んでおつきあいさせて
いただこう。ふるさと孝行。自分の心もあたたかくなる。ありがたい。

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