情熱を届ける真っ赤なバラ。

この花は、この週末に開催されたイベントに送った花である。受け取っていただいた
方から感謝の気持ちとともに、写メが届いた。
最近、こうやって画像を送ってくださる方が多く、送り手としては無事届いたことを
確認できて安堵する。
今月は、ギフトの多い月であるが、相手によっては花を送る。食べ物など数に限りが
あり、シェアいただくのが難しい相手の場合、長く楽しんでいただきたい場合、また
特別な場合、自分は現地に行けないけれど・・・という場合など、さまざまな場面や
用途に向いており、お花のギフトは最適だと思っている。
12月はクリスマスもあるため、赤い花を贈ると喜んでいただける。温かい気持ちにな
れるので、寒い季節には最適だ。

この写真は、「まっかな情熱」をお伝えしたく送ったアレンジメント。
寒さに負けず、元気にあふれ、愛と情熱に満ちたイベントに、「花を添えられたら」
と思い、送ることにした。
思い起こせば、今年も多くの花をいただき、そして贈った。いろんな場面で・・・。
言葉以上の気持ちが伝わる。言葉が要らないときもある。
うれしいときも、悲しいときも、楽しいときも、寂しいときも・・・。
お花は喜怒哀楽とともに、人に寄り添ってくれるかけがえのないコミュニケーション
ツールだ。

写真のアレンジメントも大変喜んでいただけて、主人は自宅へ持ち帰り、今日も花と
ともにイベントの余韻を楽しまれることだろう。喜んでいただけることは、ほんとう
にうれしい。

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言葉にも、心忘れることなかれ。

師走だから、忙しい。だから・・・?。
そんな日が続いている。
今週もなんとか、連日の出張も含め、予定していたことを無事終えられそう・・。

そんなときに、ある場面で自分の一言で、相手を傷つけていたことがわかった。
へ?ああ、そういうつもりではなかったのに~。
むしろ、良かれと思っての行動だったのに~。
言われてみて、気づいた。そうか~。
とにかく、お詫び、そして猛省。
自分がどういうつもりであろうが、そんなのは関係ない。

「ひとことの言葉」の重さ、を改めて感じた。

忙しいから、時間がない、心のゆとりがない、力が入ってしまう。
それではいけない。
やることが多い時期だからこそ、一つ一つ気持ちよく進めていかねば
心配りをしなければならない。

「忙しい」いう言葉は好きではない。心を亡くすと書くから。
といつも言っているのに、自分が心なくす行動をしているとは
まだまだだ。

コミュニケーションは伝えるではなく、伝わる。
伝わってこそ、信頼関係が生まれる、絆が深まる。

師走だからこそ、丁寧に大切に 一言一言を大切にかわしたい。
言葉は、ほんとうに重い。





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YES or NOT

なかなか断ることができない。
というのは、日本社会の特徴のひとつかもしれない。
とくに昭和の時代は、そんなことも多かったかもしれない。
相手のことをおもんばかり、自分の気持ちを抑えて・・・、
まあ、仕方ないか~。と、相手の誘いに従う。
仕事となれば、仕方ない。
と、そんなケースも昭和の時代は多かったかも。

アメリカ人やフランス人であったら、
自分はそれには行かない、その話には乗らない
というのは、ごく普通で、
「NO!」
とごく普通に言える社会環境、歴史があるが、
日本では、今もなお「ノーと言えない」風潮が
残っている。
ひと昔であれば、上司のことには、家長が言うことに
従うのが普通。
組織であれば、家族であれば、それがあたりまえ。
この名残が今もあるのかもしれない。

でも、今はそうではない。
嫌なとき、自分の考えと違うとき・・・いろんなケースが
あるが、ときには「断ること」も大切だ。むしろ、それがよいこともある。
その行為で、相手に伝わることもある。
もちろん、その理由をうまく伝えることも大切だ。
そこもコミュニケーション。
もっともっと、自由になったらいい、
もっともっと、自然に本音でつきあえたらいい。
と思うが、現実的には?というところだろうか。

ホンネとタテマエ。
まだまだ日本にはあるのかもしれない。

自分の意志、意見を自然に出せる世の中。
それでもって、お互いを尊重しながら、友好的な関係で
いられる世界。
そんな社会が私にとっては、変わらぬ理想。

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あのバタークリスマスケーキ。

子供のころのクリスマスは、ほんとうにハレの気分になる
ことができた。夢のような一大イベントであった。
子ども会では、「クリスマス会」があって、お菓子の詰め合わせや
ときには、おそらく大手パンメーカー製の小さく丸いバタークリームの
ケーキをもらえた。持ち運び用のひもが付いているパッケージで、
るんるん気分で持ち帰ったことを覚えている。

意味もわからないクリスマスソングを歌い、ゲームをしたり・・・。
子ども心に、純粋にうれしい行事はクリスマスだったかもしれない。
但し、親はそういう西洋文化には理解がなく、家ではとくにプレゼントが
なかったが、その分、叔父さんが、ブーツ型のお菓子の詰め合わせを
買ってきてくれたときは、飛び上がるぐらいうれしくて、そのブーツ
に入ったお菓子はずっと食べずに置いて、それでも食べてしまった
あと、このブーツは履けるのか?と試していたような?
それぐらい、サンタさんの存在がとても不思議であり、楽しみだったのだ。
サンタがトナカイがいたのか、いないのか?そんなことよりも、
夢の時間を楽しんでいたような気がする。
日本では、宗教に関係なく、クリスマスイベントが催事としてビジネスと
して年末商戦を飾る不動の存在となった。

今、恒例行事として各店でクリスマスケーキを販売している。
豪華でおしゃれだ。
でも、私にはあのバタークリームの小さな丸いケーキがいい。
まだあのケーキが存在するならば、ぜひとも購入したい。
と、クリスマスの賑わいを感じながら、素朴にうれしかった
昔の楽しみを懐かしく思い出す。

なんでも、これから!というものの方がうれしいのかもしれない。
普及しすぎると、どうも感動が薄らぐ。

昔の感動を、忘れずに。
あのバタークリームのケーキを切ったときの感動を。
豪華でなくていい、ハレなる時間がうれしいのだ。

ハレの日を求める気持ちは、今も昔も変わらない。
でも、昔の感動を思い出すと、大切なことも一緒に浮かび上がる。
小さなことに感動できる心。大切にしたい。

華やかよりも、素朴に。
そんな風にこの年末を過ごしたい。

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皆さんのお力添えあっての今日。

毎日、同時にさまざまなことが動いていく。
よく考えたら、どんな小さなことひとつとっても、自分だけの力では
絶対になしえない。
いろんな方のご協力、ご支援、お気持ち・・・。いろんな力をいただいて
今日という日が成り立っている。自分という存在がある。

改めて、自分の微力さを感じ、多くの人に支えられているなと実感する
今日この頃。
感謝の気持ちを忘れずに、そして一緒に助け合って生きていく、仕事を
していくという気持ちを忘れずに。
そして、どうすればかかわる人がみんな、気持ちよく助け合えるのか
ということにも気を配り、進んでいきたい。

背景や価値観が異なっても、今同じ時間を、同じ何かを共有して
生きている。このありがたい現実を大切にしたい。

ほんとうに、皆さんのお力添えがあっての、今日。
年末になるとなのか、繁忙のせいか、余計にそんなことを思う。

感謝と謙虚を忘れず、今日もスタート!

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悔しさから、悔いなき人生へ。

サッカーファンというわけではないが、朝一番で
当然気になる結果。
今朝のサッカーの結果は、残念であった。
大きな期待を背負い、選手たちが全力で戦ったが、
次へ勝ち進むことができなかった。
期待とプレッシャーのなかの戦いとは、さぞかし
ものすごい緊張で、そんななかボールをパスしながら
ゴールに向かうことができる、世界中の注目を浴びながら
チームワークを発揮すること自体が私にとっては、
ただただ尊敬である。

勝負とは相手があってのこと。ターゲットがあってのこと。
その相手の研究、対策、実践。
その命題に向かって、選手たちは日々努力を重ねたことだと
思う。でも相手も同様だ。
スポーツには勝ち負けがある。実力だけでなく運もある。
だから、結果は仕方ない。
でも、ここまでやってきた。世界の強豪を打ち負かしてきた。
この経験、事実は間違いなく誇りである。

結果の分析はとても大切だ。そして次に活かしていかねばならない。
結果が出た以上、悔いがない。ということはないかもしれない。
周囲がどんなに「よくやったよ、がんばったよ」と言ってくれても
本人にとってみれば、悔しさは晴れないかもしれない。
でも、この悔しさが、次に活かされるのだと思う。
そして、さらなる努力をして、次の戦いに挑んでいく。
こうして、人は成長、パワーアップしていくのだと思う。

このように、スポーツは人生にもいろんな学びを与えてくれる。
悔しさをバネに。そして、最終的に悔いのない人生に向けて。

監督も選手も素晴らしい経験を、日本中に与えてくれた。
色んな不安の多い昨今、夢を元気を見せてくれた。
自分たちもがんばらなくちゃ!と思える瞬間をいただいた。

毎日が小さな勝負の連続だ。
多くは自分との戦いだ。
悔しさをバネに。そして悔いない人生に向けて。
今日も、元気いっぱいキックオフ!







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年賀状見直し時代に。

デジタルコミュニケーションへのシフト、普及。そして世代交代、
さらには環境への配慮という視点から、年賀状を出す人、企業が
近年減少し続けている。
実際、お世話になっている企業の何社かでも、年賀状を今後
出さないというケースもあり、世の中の季節のあいさつの変化を
実感する今日この頃。
確かに、企業が発送する年賀状は、その規模に比例して、膨大な
用紙の消費につながる。いろんな意味でよく理解できる。
一方、毎年受け取る歓びもあり、それがなくなっていく
のは、ちょっと寂しい気もする。
しかし、企業としてはそういう姿勢を示し続けることが
大切だ。習慣の見直しは、とてもいいことだ。

企業としてはやめる。でも、個人で出す人もあるかもしれない。
もしくは紙でのあいさつはなくなっても、違う手法で挨拶する。
というケースも出てくるだろう。
それを楽しみにしたい。
同時に、自分はどうするか?は、まだ考え中、迷い中だ。

それにしても、いただいた年賀状は基本何年かは捨てないで
保存してきた。そして、何かあると何度も見直したり
してきた。
そういう1枚は実は貴重である。
相手が自分に投げかけたくれた言葉や文字が消えない。
あの時代。こんなおつきあいがあったな~。と懐かしく
思い出すことも多い。
もう会えない人の年賀状も、遺言のように大切に残している。

年賀状を受け取るのが楽しみだった正月。
まさしく昭和のお正月であるが、それはそれでとても懐かしく、
私自身は。とても気に入っている。

令和の時代の新年の迎え方。
楽しみにしながら、感謝を忘れず、その日に向かいたい。

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言葉のギフトは永遠に。

昨日12月3日は朝から日付が変わる時間まで、各地から、メッセージを
いただいた。
SNSをやらないため、自分の誕生日を知っている人は確実に交流がある方
のみであるが、毎日のようにやりとりをしている人から、何年もお会いして
いない人まで。新潟、東京、千葉、埼玉、愛知、京都・・・。
たまたまどうしているかなと気になってブログを見て、メールしましたという
ミラクルな方まで・・。
そして夜遅く、観覧車の動画を作ったとメールで送ってくれた方も。
「誕生日祝いが間に合わなかったので・・・」と。
体調が悪くても、忙しくても気に留めてくださり、考えてくださって・・。
感激と感動で胸がいっぱいになる。

言葉のプレゼント。いろんな方がそれぞれのメッセージを寄せてくださった。
どれも、味わい深く、私と出会ってよかったと言ってくださる方もあり、
自分の存在を認めていただける歓びを感じた。

言葉のギフトは永遠だ。
心に刻まれ、自分次第で消えることはない。

いろんな方に見守られ、支えられ・・・。
ありがたい人生だと、改めて思う。

言葉のギフト。
大事にいただき、そして丁寧に届けたい。

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ありがとうのバースデー。

2年前までは、誕生日になると母にあさイチのメールか、電話で
「今日は、12月3日。誕生日ありがとう」と連絡をすると、
「もう何歳になったんかな~。もうおばんやな~」と答えて
くれた母。その突っ込みが聞こえない2回目の誕生日。
親がいなければ、誕生日もなかった。
だから、誕生日は自分がお祝いされる以上に、感謝をする日だと
ずっと思ってきた。
だから、その相手がいないバースデーは、何ともいえない感じだ。
でも、これにも慣れていくのだろう。
悲しみは涙から、カラダに沁み込んで、そして気体となって
大気に混じっていく。
それと同時に親という存在感も、空気中にちりばめられる。
だから、特定の場所にはいなくても、どこにでもいる、自分とともに
いる存在になっていくのだと、この1年あまりの間に自分なりに
そう思うことにした。
だから、あえて、寂しくはないと言おう。
何かカタチが変わっただけ、消えたわけではないと思えるように。

ということで、今日はおかげさまの誕生日。
そして、尊敬するフランシスコ・ザビエルが帰天された日。
このご縁を勝手に胸に刻ませていただき、
私の航海をこれからも、続けたいと思っている。
50代最後になる。
どう考えても、人生の後半である。
いつ終わっても悔いないように。
そして、周囲の皆様に、少しでもお役に立てるよう、
そして、愛と元気をお届けできるように、
しっかり生きていきたい。

改めて、誕生日は親への、そして今日まで支えてきていただいている
出会いをいただいた全ての方への、感謝の記念日だ。

誕生日、ありがとうございます!

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善人メガネでみる。

何かあると人のせいにしたり、文句を言う。
それはある意味、よくわかる。
そうしたくなる。よくわかる。

でも、それをしても、何も幸せにならない、気持ちが良くならない
ことに気づく。

人のせいにしても、何もはじまらない。
文句を言っても、相手には響かないかもしれない。
だとすると、そう思ったり、言った分だけしんどくて
重苦しい気持ちになる。

だから、できる限り、
自分がいたらない、まだまだと思っておけばよい。
そう思った方が気持ちいい。
もし、そうでなくても、そう思っている方がうまくいく。

と、最近楽に生きるには、
そんな方法も良いかと思うようになってきた。

自分次第で、世界は見え方が変わる。
善人メガネ。
これをかけると、心穏やかに世界が見える。
至りませんで。とにこにこ、そして最善の策を考えながら
前に進む。
悪人メガネ。「いいひとメガネ」と読む。
これをかけると、心不安で、不快になる。
これは要らない。

人のせいにしない。全部自分次第。
そのように生きることに責任をもつことが、
全ての基本と思いたい。
ただいま、修行中。

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