「あの人に似とるな。」は誉め言葉。

両親が生前お世話になったデイサービス施設に、一度は感謝を込めて
コンサートをと思っていたが、コロナの影響でなかなか実現しなかったが
1年以上経過して、やっとやっと実現。
なんと、施設で親と親しかったおじいさん、おばあさんとも再会
することになり、「ああ~」といきなり喜ばれ、盛り上がる。
覚えていてくださったんだ!

「クリスマス&ふれあいコンサート」と題して、約1時間クリスマスソング
から、童謡、オリジナル曲までたっぷりしっかり演奏するとともに
トークも。何か言えば、面白がっている。受けるのでこちらも調子にのる。
そう、皆さん楽しいことを待ち構えているのだ。刺激がほしい!

親たちがお世話になった場所ということで、もしかしたら思い出して
泣いてしまうのではと思ったが、そこは自分でいうのもなんであるが、
プロ意識はあるので?涙はなし!その代わり、お客さまやスタッフが
泣いておられた様子・・・。
途中でスタッフが、なぜか母が施設に置き忘れていた小さな人形を
ピアノの前に置いて、「お父さん、お母さんも参加して見えるよ」と。
きっと施設の方も、ご苦労をかけた両親のことを思い出されたのだろう。

自分のオリジナル曲をはじめて聴く人も多かったが、ふるさとにちなんだ
曲をセレクトしたせいか、「いい曲、素晴らしい!ブラボー。」と喝采。
お年寄りってこんなに感情豊かで自由に表現されるのかと思ったぐらい、
いろんな歓声を聞かせていただいた。

アンコールもあり、そろそろ退散というときに、ひとりの利用者さんが
「あの人に似とるな。ずっとそう思って聞いていた。ジャズを弾くあの小さい
元気な人」「似とるなあ。すごいなあ。」すぐに誰のことを言っているのか
わかった。実は、これまでも何度か言われたことがあった。
こういう場合の「似とる」発言は、誉め言葉である。将来は言われる側に
ならなければならないが。

ずっとこの場所で、感謝を示さねばと思っていたことが、実現した。
もう1件お礼をしなければならない施設がある。これは新年に実行。
親が暮らし、過ごした場所。お世話になった施設には、ちゃんとお礼を
伝えなければ。やっと、それができるタイミングとなった。

どこの施設にも、非日常を求めるお年寄りが多い。
喜んで頂けて良かった。今日もたくさんの方に泣いていただいた。
笑っていただくのも、泣いていただくのも、うれしいのがこの仕事。
確かに、父も母も一緒に参加していたことと思う。
ありがとね。ありがとね。とにこにこしている、そんな顔が浮かぶ。
何事にも締めがある。ひとつひとつクリアしていこう。

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マッチングは信頼から。

企業と企業、人と人、企業と人。
気が付けば、新たな取り組みをするために、ご紹介、お引き合わせを
させていただくことがある。
こうなったらいいなという思いから。まずは出会ってみないとわからない。
これは両者がその気にならないと前に進まないため、
やってみないとわからないけれど、これはいいかも!
とひらめくと、即行動してみる。そして、実を結ぶこともある。
そんなときは、ほんとうにうれしい。

マッチングという言葉。最近よく新しい言葉のように使われるが、
今にはじまったことではなく、ビジネスではごく自然な、双方向
とってのビジネスチャンス。
私の場合は、新たな化学変化が起こることが楽しみで、これは!
と思う企業にご紹介をさせていただく。但し、あくまでも相手を
見てである。
誰にでもなんでも紹介ということにはならない。
お互いの課題解決につながることが大前提であり、お互いに良かったと
ならないといけない。

マッチング。これは慎重にすべきことでもある。
また、信頼関係がなければ、成り立たない。してはいけない。
日頃からいい関係があってこそ、紹介も可能となる。

そして、紹介して終わりではない。
ずっと伴走して、うまくいくようにサポートし続けること。
成果が出たときには、ほんとうにうれしいものだ。
これからも、よき仕掛け人となれるよう、人間関係を広げ深め、
信頼されるようにつとめたい。
自分にしか浮かばないマッチングを心したい。
そのためには自分のなかに多くの引き出しをもっていること。

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仕事が楽しい!は最高の人生。

介護業界で脱サラをして、コロナ禍に閉店した喫茶店を借りて
デイサービスを始めた人がいる。
いわゆる福祉施設には見えない、喫茶店の中にあるリハビリ付
デイサービス施設という、不思議な空間。
おそらく日本でも類を見ないだろう。
その喫茶店が開店営業しているときに、お客さんとして利用していて
「こんな空間で介護事業ができたらいいな」と、思っていたら、
コロナの影響でお店が閉店・・それを知って、すぐ起業を決めたという。

コロナ禍で起業するというその勇気にもまず感心するが、
運とタイミングもあったのかもしれない。
喫茶店として出来上がった空間であるので、とても快適だ。
利用者は、毎日喫茶店に来ていると思い込んでいる人もいるそうだ。
「あれ?モーニングに来ただけなのに、なんで風呂に入るんだ?」
と言われる利用者もおられるようで、なんだか微笑ましい。
デイサービスに行かされるより、喫茶店にモーニングに行く方が
楽しく、通いたくなるかもしれない。
ほんとうに不思議なことに、その店(施設)に一歩足を踏み入れた
だけで、元気のオーラを感じる。
代表はじめスタッフたちが大きな声で、利用者ひとりひとりに、
一生懸命働きかけ、楽しいコミュニケ―ションを仕掛けている。
その会話を聴いていても、とても楽しくなる。
なんで、ここまで元気に対応できるのか、そこに感動して胸が
あつくなる。

利用者さんは突然入院するかもしれない、亡くなるかもしれない。
だから、今日を元気に生きてもらうためにサポートをする。
利用者さんにとって、今日が、楽しいことをいつも考える。
明日も元気に!と思える今日になるように、瞬間瞬間に心を込める。

私はここのサービス、コミュニケーションの様子を見ていて
何か一緒にしたい、地域を元気にしたいと思うようになった。
全身全霊をひとりひとりの利用者に向け、その人たちの変化を見ながら
対話をしながら、楽しいひとときを演出し続けている。
介護してあげる。という上から目線がみじんもない。
何より、前向きに全力投球されている姿に心打たれた。


「この仕事、楽しいんですよ。やっぱり現場が好きなんです」
本当に楽しそうに、仕事をされている。それが利用者のみなさん
にも伝わるのだ。だから、リピーターが多く、人気がある。

脱サラしたのは、利益のために働くのが嫌だったとのこと。
結果はあとでついてくる。数字はあとでついてくる。

自分がやりたいことを仕事にする。
これは、本当に幸せなことだと思う。
改めて。私がやりたいことは?

仕事を楽しくしたい。そうなるように。
自分ができることで、周囲を元気に明るくしたい。

寒くなってきたが、ハートは熱く、今週もスタート!

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非日常の存在を求める。

来週から高齢者施設でのコンサートが続く。
打ち合わせに、施設に顔を出す。
「みなさん、ほんとうに楽しみにされていますよ」
と前回の評判も含め、皆さんの期待度を肌に感じる。
「そんな大したことはできませんよ」
「いえいえ、マーサさんが来て、演奏してくださる
ということが、皆さんにとっての非日常なんですよ。
そのこと自体がとても刺激になり、とても大切なこと
なんですよ」
と施設の代表は語ってくれた。
彼と話をするなかで、こんな話題も出た。
子供のころは、何をしても珍しくて感動があって
毎日が長い。
でも年をとってくると、生活が毎日同じことの
くりかえしで何もなく終わってしまう。
日常だけしかないと、何もなくあっという間に終
わってしまう。
そんななかに、非日常の時間があると、人生に潤い
が出てくる。
自分から動き、何か新しいことができなくなる高齢。
意識しなければ、ほんとうに毎日同じことの繰り返しに
なってしまう。
人生の価値を考えたら、少しでも最後の最後まで
何か楽しいことがあれば、幸せだ。

施設で働く皆さんは、利用者にとっては、すでに日常の
存在となっており、たまにきて、何か楽しいことをして
くれる人は、非日常の存在。後者の存在も高齢者に寄り添う
には重要だと言われたら、自分ができることをと思ってしまう。


日々の暮らしは、日常のくりかえしだけではつまらない。
刺激があると、脳の活性化にもなる。

人生、非日常があるから楽しい。
そうか~。責任重大だ。
小さな非日常の存在であり続けることも、これからの
テーマになりそうだ。

人生の価値を高める、ひとときのきっかけのお役に立てたら。
皆さんとって非日常であり、そして私にとっても非日常。
ありがたい人生だと改めて思う。

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ルードヴィッヒをいつも胸に。

師走だからといって、忘れてはいけない大切な日。
現地では、まだ当日のはず。
12月16日はかのベートーベンの生誕日だ。1770年ドイツのボンの実家
の屋根裏部屋で誕生した。
毎年このころになると、もうすぐだと思い出してカウントダウンしていたが
今年は気が付けば・・・であった。
ベートーベンのことは、この季節になると第九交響曲の演奏とともに
世界中で改めて賞賛されるが、全身全霊で世界精神を表現した芸術家
として時代を越えて尊敬され続け、これからもそれは変わらないだろう。

音楽の質だけではなく、その生き方にも学ぶことはたくさんある。
たとえば、人生の後半は聴覚に障害をもちながらも、作曲や演奏活動を
生涯続けたこと。この苦悩との孤独との闘いはどんなだっただろう。
強い精神力と生きること、表現することへの使命感。
ただ、ただ脱帽だ。

それに比べて、五体満足である自分は、聴覚も視覚も今のところ
健康である。そのことに慣れてしまっていると反省する。
聴けることに喜びを感じ、もっと聞かねばならない。
見えることに喜びを感じ、もっと見なければならない。
当たり前になっていることが多く、大切にしていないことも多いと
反省。

ベートーベンのことを思うと、自分なんかまだまだどころではないと
恥ずかしく、そして、また背中を押される。
そういう意味でも、生涯最も大切な先人のひとり。
改めて、ルードヴィッヒの生誕に感謝をささげたい。
写真は、若い日のベートーベンの肖像。私が小学生のころから
憧れをもったきっかけの1枚である。

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ゼロからつくる、生み出す。

何もないところから、何かを生み出すという仕事は道を探りながら
前に進む、未知の旅のようなもの。
産みの苦しみは確かにあるが、出来上がってみれば、プロセスの
瞬間瞬間もいい経験だと思えるはず。
そして、生まれた作品は、そこから新たなコミュニケーションの
はじまりになる。
何もないところから、何かを作り出す。
大変難しい仕事である。
でも、
このクリエイティブな仕事に携わることは、喜びでもある。

ひとりではカタチにすることはできない。
コンセプトがあってそれをカタチにする。
コンセプトを言葉に、そしてデザインへ、味へ、カタチへ・・・。
いろんな人の協力によって、作品や商品は生まれる。

良かったね!とお互いに喜べる日を楽しみに、
過程のコミュニケーションを大切に、進んでいきたい、


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事例が一番の営業ツール。

どんな営業トークが一番響くか。
それはなんと言っても、
「こんなこと できます」に加えて、
「こんなこと やりました」という事例の紹介。
今や公式サイトが営業ツールになっている以上、その事例を充実させようとする
傾向が高まっている。
仕事の相談でも、それに類する話題は増えているし、それ以外でも・・。

今年は実家の片付けにともない、これまで出会ったことがない業者さんたちと
のご縁をいただいた。
不要物の回収、クリーニングその他・・・。
これまで接点がなかっただけに、その業界の営業手法も興味深かった。

そんななかで、やはり公式サイト、ホームぺージの存在は大きい。
ある程度、必要なワードを2~3入力すれば、探している相手に出会う
ことができる。まあ、何と便利な時代。
そこで見つけたサイトで、相手のことを知る。
事例を見ると、その相手が信頼できそうかは、すぐ判断ができる。

今回作業をお願いした皆さんは、サイトでみつけた会社もあれば、ご紹介もある
が、いずれにしても自社サイトをちゃんと運用されていた。
その点も信頼のポイントである。

さて、年末といえば、お掃除の季節。
そのクリーニング屋さんから、今年お願いした作業中に撮影したいくつかの
掃除場所を事例として取り上げて良いかと言われており、
それを実際に公開したとの報告を受ける。
自分がお願いした仕事がbefore After で写真付きで紹介されている。
確かに、こんなにきれいにしてもらったんだ。
匿名であるから、別に恥ずかしくもない。

年末、この事例を見て、そこにご依頼される方が増えるといい。
こちらの事業者さん、まだ起業して日が浅いようであるが、仕事も丁寧であり、
好感をもてる。作業しながら営業ツールとしての事例づくりに励んで
いるというそのサイクルに納得する。

https://osoji-ms.com/

自分がこれまで、事例に活用されたことがなかったため、ちょっと新鮮
な出来事。
その前に、ゴミを片付ける業者さんからは、
「お宅はモノが多いですが、散らかっているわけではないので、事例には
使えませんね。」と笑って言われたことを思い出す。
そうBefore ・Afterは、差、ギャップ、インパクトある方が効果が大だ。
掲載されなくて光栄の事例もなかにはある。

これからの営業は事例が決め手となる。
デジタルツールを活かして、営業はそちらに任せ、自らはいい事例づくり
に励む。
なかなか効率よく、生産性も良いお話しだ。
業界を超え、こんな営業スタイルはますます広がるだろう。
ひとつひとつの仕事を大切に、丁寧に。が前提だ。

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年末年始を心静かに。

この季節、さまざまな消費欲をかきたてるムードに背中を向けたい
自分がいる。
たとえば、大晦日や初売りの大型店舗、駅の喧騒・・・想像するだけで
気が重い。コロナ前、この時期は日本から離れた何年かもあった。
最近は海外脱出も国内旅行もしない。年末早めに買い物を済ませ、
混雑する場所、時間には近づかないことにしている。
なるべく、騒がず静かに粛々、淡々と新年の扉を開けたいのだ。
大騒ぎするような歓びも、興奮もない。

この1年、日頃走り続けた人には、この時期は本当にゆっくり休養される
ことをすすめたい。
といっても、年末年始もさまざまな恒例行事が続き、なかなかそうはできない
のが忙しい日本人のつとめかもしれないが・・・。

できる限り、1年のはじまりだからこそ、静かに自分と向き合う時間にしたい。
読む時間も撮れず本棚にストックされている本たちを手に取る時間、
モノを考え、自分の進む道を整理する時間、懐かしい人を想い出す時間・・・。
大切な方に年賀状を書く時間・・・。
普段の時間とは違う時計で新年を迎えたい。
人間、節目や区切りがあることで、何かを始められる、
一度締めることで、また走り出すことができる。

とにかく静かに過ごしたい。
そして、孤独を楽しみたい。
実は、とても贅沢な正月をおくろうとしているのかもしれない。

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コミュニケーションが大切なときは?

ある企業で管理職研修を実施、さらにその対象を広げ、係長、主任クラスの
皆さんにも、コミュニケーションについて学んでいただく機会をいただいて
いる。
次代を担う人たちに、よりリーダーシップを発揮してもらうために、
コミュニケーション力を伸ばしていただきたい。そして全社一丸で
目標を達成するためにベクトルを合わせ、一緒に進むための、まさに、
「人づくり」の研修である。

日頃、現場で仕事をしていると、一見コミュニケーションは不要という人も
いる。さらにもともとコミュニケーションは好きではない、避けている・・と
いう人もいるなかで、どのようにその大切さをわかってもらうか?

ということで、レクチャーだけではなく、
いろんな角度から、ワークタイムを取り入れる。
まずは自己紹介から。さらには今年を漢字一文字で振り返って、発表しあう。
その人の仕事観や価値観も見えてきて、お互い興味深くなってくる。
さらに、
仕事でどんな時にコミュニケーションが大切と思うか。ということについて
チームで話し合ってもらう。
面白い答えが出てくる。
イレギュラーな事態(異レギュラーとも書くらしい)、トラブルがおきたとき、
何か新しいことをはじめるとき・・
そんなときはコミュニケーションが大切。
なるほど、普段と違う非日常の時にはコミュニケーションが必要だということ
のようだ。

でも、その時にちゃんとコミュニケーション力を発揮するには、普段からの
日頃からの積み重ねが大切なんだけど・・・。
と思いつつ、研修を進める。

わずか1時間の研修であったが、研修直後のアンケートによると
皆さん、まずはコミュニケーションの大切さや、伝えるための工夫は大切
ということはご理解いただいた様子で安堵する。

これまで、日常においてコミュニケーションにあまり意識を向けていない
人との最初の勉強会はまずまずであった。
コミュニケーションが嫌いと言っていた人も一生懸命取り組まれていたこと
や、笑顔で「ありがとうございました!」と退室されていく姿が印象的であ
った。実に真面目な人たちである。

回数を重ねることで、コミュニケーション観が変わるはず。力もついてくる。
伝わるうれしさ、仲間とつながる喜び、そして一緒に行動する達成感も必ず
体感いただけると信じている。

「コミュニケーションが大切なとき。」
素朴な問いかけではあるが、改めて考えてみると、新たな気づきもある。
そして、初めての人たちとコミュニケーションをすること自体が、
出会いであり、関係づくりの第一歩になる。
大切に育んでいきたい。

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自然に向き合うおたから時間。

両親の旅立ちに慣れたような、慣れないような・・・。
なんとも言えない感覚で、とにかく前を向いて歩き続けてきたこの1年。
ふるさとへは、頻繁に足を運び、公私ともに時間を費やしている。
都会とはまるで違う、人気のない静かな川沿いの道を歩きながら、電車を
待ちながら、ああ、ふるさとはいいな。と実感するひとときがある。
それは、自然と向き合う時間があるということだ。
たとえば、川面で戯れる水鳥の集団をみつけたり、鷺など大きな
鳥をみつけては、「あ、今日もいるんだ。今日もそこで遊んでいるんだ。
おーい。」と、思わず鳥に聞こえるはずもないのに、声をかけてみる。
すると、木々から、いろんな鳥の鳴き声がこだまする。耳を澄ませると
いろんな声だ。種類が違うと声の高さも、つややかさも全く違い、
興味が湧く。
一方、実家の庭は、枯れ葉が舞い落ちる。つい最近までは、掃いても
掃いても落ちてきて、「もう!」といらだったが、もうその葉っぱも
全部なくなった。
季節は秋から、冬へと移ろった。

と、そんな具合に、歩きながら、空を仰ぎながら、何気なく自然に接して
いる自分に気づく。
そして、遠目には、岐阜城がそびえる金華山ほか、山々も見えて、田んぼも
畑もいっぱいで・・・。

東京暮らしでは目にすることがなかった光景、都会と違う昔と変わらぬ風景。
この豊かさは、他に代えがたい。
自然と向き合うと、心が優しくなる、丸くなる。そんな感じがする。
時間の感じ方が変わるのだろう。
ではあるが、自然と向き合うと、子供のころのことが走馬灯のように
浮かんできて、両親に会いたくなる気持ちが湧いてくるのをおさえるには
もう少し時間がかかりそうだ。

さあ、心豊かに、残り少ない今年を味わうとしよう。

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