それでも私は生きている。今年の締めに。

2022年最終日を迎えた。
町のあちらこちらに、門松やしめ縄などが飾り始められると、
一気にお正月ムードが高まる。
食品売り場はおせちを求める人で大賑わいだ。
今日は最終日ということで、さらに大混雑になるだろう。
なぜ、みんなが駆け込んで混み合うことをするのか?は、毎年の
素朴な疑問であるが、それも年末ならではの風景。
一種の祝祭の姿なのかも?

昨年の自分は、親の旅立ちが続き、なんという気持ちで大晦日を
迎えていたのだろうか。
今は、それすら思い出すことができない。
どこか、体の一部の力が抜けたような、何かが足りない、そんな
不安定な状態であったかもしれない。

あれから、1年を駆け抜けた。
途中、突然悲しみが迫ってくる日や、会えない寂しさを感じる
時もあったけれど、いつのまにか、それらも自分のなかに
うまく溶け込んで、気が付けば1年、元気いっぱいに生きてきた。
悲しみも寂しさも抱きしめて一緒に生きるのが人生だと、
そんなこともわかってきたように思う。

見えない親との会話も自然とできるようになった。
ある意味、どこにいてもいる。そんな気持ちにも慣れてきたのかも
しれない。

親がいなくても、生きる。生きなくてはダメ。生きられる。
ほんとうの意味での自立。
おためしの1年だったかもしれない。

生きられるのかなと思っていたのに、ちゃんと1年生きられた。
2022年とは、自分にとってそんな1年であった。

親がいなくても、何があっても、
それでも、生きている。
それが人生だ。自分が息絶える瞬間まで生きるのだ。

いろんな出会い、思い出がまた増えた1年。
今日は最終日。
悔いのないように365日目を終えるとしよう。

今年一年、大変ありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えください。

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昭和への思い、今新たに。

昭和生まれのせいなのか、それはわからないが、昭和の暮らしや文化、
ファッションが懐かしく、愛おしい。東京オリンピックは映像での記憶
しかないが、大阪万博のことはしっかり覚えているし、報道から知る
日本中の熱狂はすごかった。

最近行った、高齢者施設でのコンサートでは、昭和の曲を取り入れ演奏
することにしている。
誰しもが知っているから、音楽により一体感が生まれ、会場は瞬く間に
盛り上がる。
「昭和の時代は、良かったですね」というと、人生の先輩たちは目を
輝かせて大きく頷かれる。
もちろん戦争があり、ご苦労尽きない幼少、青春期を過ごした方
もおられるが、戦後の復興、そして日本の高度成長・・・。
がんばった時代、夢を描いた時代、そして生活が便利に、豊かになった時代。
現代日本が大きく変化、成長したのは昭和の時代であった。
与えられた幸せ、豊かさではなく、みんなでがんばった!という
生きごたえを感じられる時代でもあったのだろう。

そのとき生まれた数々の曲たち。
それらを口ずさむと、その頃がよみがえり、元気が湧いてくるのだ。
不思議なことに、昭和生まれのメロディにはドラマ、ロマン、そして
美しさがあり、聞けば歌えば魂が高揚するのだ。

現役で頑張った時代、夢を追いかけた時代。
昭和にがんばった人たちに接する機会が多いせいか、
改めて自分の昭和時代も思い出す。
そこには、やはり現役でパワフルな親も一緒に浮かび上がる。

昭和の時代。良かった、よかった。
ふと、全盛期のレコード大賞やあの頃の紅白歌合戦もよみがえる。
そうだ、年末も今とは違うハレ感があった。
なつかしいあの時代。
ふと、ユーミンの「あの日に帰りたい」がうかんでくる。

今日は少しでも、昭和の年末を感じられる場所を探しに行こうか。

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送る言葉。

毎年年末になると、今年亡くなった著名人のことを
振り返り、偲ぶというニュースに接する。
エリザベス女王が亡くなったことは世界最大の話題であった
かもしれない。
すごい存在がまたひとり・・である。

個人的にはイッセイミヤケさん、森英恵さんなどファッション業界
で活躍された方への思いは強い。
そして、京都を拠点に世界にといえば、京セラの稲森和夫さん。
本当に素晴らしい経営者、実践哲学者であった。お会いする機会は
なかったが、その功績はあまりに有名だ。そのフィロソフィーを学び
経営に生かす中小企業の経営者も少なくない。
さらに、同じく京都といえば服飾研究家の市田ひとみさん。
20代のころから、憧れの女性のひとりであった。
取材で一度お会いし、その後、先生のコレクションの展覧会に
お邪魔したときも本当にお美しくされており、仕事をする女性の
かっこよさを教えていただいた。と、そんな思い出がよみがえる。

身近なところでは、
私の会社員時代の恩師であり、上司。独立後もずっと応援団長を
してくださって、気が付けば35年以上、見守り続けていただいた。
コロナで会えない日が続き、ついに今年亡くなられたことを後で
知った。
そして、新潟柏崎の酒屋のおかみさん。
昨年、母が亡くなり、父も亡くなったとき、対面でお手紙で励まして
くださった。その激励の喫茶タイムが最期となるとは・・・・。
などなど・・・。
年を重ねるにつれ、お世話になった方とのお別れも増えてしまう。
悲しいけれど、年月とはそういうものだろう。

今年旅立たれた愛する先輩へ。
ほんとうに、ほんとうにお世話になりました。
出会いをいただき、学びをいただき、愛をいただきました。
この宝物を大切に、私の残された人生を無駄にしないように、
がんばって生きていきたいと思います。
出会えて本当に幸せでした、

幾名の方から、喪中はがきをいただいた。
昨年の自分の気持ちを思うと・・・である。

いろんな新年を迎える。
今年も、あと3日。
大切に、生きていこうと思う。

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納めない仕事、納まらない仕事。

多くのビジネスマンは今日で仕事納めだろう。
仕事での今年一年を無事に終え、そしてそれぞれの年末年始に
向かう。
休みになる人がどっと増え、町に、神社仏閣に、店に人が集う。
コロナで我慢していた何かがはじけたように、楽しもうとする
人がいる。
天災人災がなく、無事にこれらの休暇が終わればよい。

この間も、休まずに仕事を続ける人がいる。
サービス業、観光業、そして医療の現場、いわゆるエッセンシャルワーカーの皆さん、
運輸業界の皆さん。。。そして、経営者。
当たり前のように正月休み、イオンに買い物に行くけれど、その間、商品が
切れてしまったら店は成り立たない。外食もそうだ。原材料が届かなければ
お客様に来てもらえない。
休み休みと、報道されればされるほど、自分は違うけど・・・と思う人も
多くいることだろう。
そして、世の経営者や社員が休んでいても、休めない。
いつも休み明け、来月、来年のことを気にかけ、心配し、正月を越す。
社長がいるおかげで、会社は成り立っている。
経営者の苦労を知れば知るほど、そう思う年末年始。
この仕事に休みはない。

世間には、仕事納めがない仕事がある。
そのことを忘れてはいけない。
人が休んでいるときに働いてくれる人がいて、人は楽しい休暇を過ごせる。
だから、駅ででも、お店ででも、「ありがとう」の一言をかけるようにする。
社長さんにも「ありがとうございました!」ときちんとお礼を言う。

そんな人が増えるといい。
そんな風に切に思う、年末。


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未来を語る望年会。

今年の年末。コロナ禍で、大勢での会食、忘年会の機会は
減った。
クリスマスもおうち需要が多く、それを過ぎれば、もう
年末モードとなり、会食は減る。次はおせち追い込み合戦。
そんなわけで、飲食業界にとっての12月は、悲喜こもごもと
いう感じを受けている。
そんな、ほど静かなクリスマス明け、二人での会食の機会を
いただく。
長年お世話になってきた方とのありがたい機会だ。
乾杯をしながら、ずっと話をする。
出会いから約四半世紀。その間の共通の話題に花が咲く。
社会も、会社も、家族も、20年も経過すれば、それなりに
変化がある。そのなかをともに生きた。がんばってきた。
そんな時間をしみじみと振り返る。
そして、話題は過去だけでなく、未来へ。

「来年は干支。新しいことがはじまる。いい人生になりそうで
楽しみだな~」
これからの夢について語り合う。
70代になっても、夢が語れるなんて、とても素敵だ。

無事に過ごせた1年を振り返り、感謝。そして次へ向かう。
それが望年会だ。
しっかり3時間語り合って、いっぱい笑って、何度も握手して
別れる。
来年も、よろしく!これからもよろしく!
肩書が変わっても、何が変わっても、変わらない関係。
そんなことも確認できた、約束の時でもあった。

いつまでできるかわからない。でもいつまでもこんな機会が
もてるように・・・。

ずっと前向きに人生を楽しみ、創造していくプロセスや
そこに向かう心持が、健康長寿の秘訣かもしれない。

大切な人と改めて話す。
これはぜひ、年の瀬にやっておきたい。
まだ、間に合う。


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受容でハッピーコミュニケーション。

介護の現場では、通常の社会生活でも参考になることがいろいろある。
介護職員さんたちの姿勢、態度、向き合い方。高齢者への尊厳と愛情を感じる。

ある施設の管理者によると、介護をする上でのポイントは、非審判的態度で接すること。
相手の行動、言動を否定せず受容すること。
あとは皆さんを巻き込んで自分が楽しむこと。こちらが笑顔で迎え入れれば、
相手もそうなってくる。とのこと。確かに、と納得。
なんだか、日常生活でもそのまま参考になりそうだ。

受容の姿勢。
まずは、相手を受け入れること。
普段できていないことが多いかもしれない。

どんな場面でも相手を大切に思う気持ちがあれば、人間関係もうまくいく。
そして、お互いに幸せになれる。


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今日限りのクリスマスプレゼント。

今年のクリスマスイブ。東海地方でも珍しく雪が積もり、ホワイトクリスマスと
なった。移動がちょっと大変で、開催できるか心配ではあったが、予定どおり
お世話になっている施設でのクリスマスコンサートが実施できた。

前半は私のコンサート。今回はクリスマスにちなんだ曲や、年末の紅白歌合戦
をイメージしてのメドレーなど、さらに私のオリジナル曲を皆さんと一緒に合唱。
ありがたいことに、この1か月余り、毎日館内でCDを流していただいているようで、
皆さん、私の曲を覚えていただいたようで、驚いた。
後半は、施設のスタッフの皆さん主催のクリスマスパーティーに私も参加。
一緒に歌ったり、乾杯(ロゼワインと称してアセロラドリンクで)したり、サンタさん
からプレゼントをもらったり、ひとりづつサンタさんと記念撮影をしたり・・・と、
大変心のこもった素敵なパーティーとなった。

皆さん「楽しかった」と喜んでおられたことがとても印象的であった。
前にも書いたが、日常のなかの非日常の重要性。
クリスマスは、まさに非日常だ。今日だからできること、今日しかできないことに
全力投球をする。
スタッフの皆さんの献身的なおもてなしに、一生懸命さに、楽しい演出に心うたれ、
そして、スタッフの皆さんが楽しんでおられることにも、感動した。
やらされている、やってあげている。ではなく 本当に自ら進んで動いておられる。
その自然な気持ち、フランクさが利用者さんにも伝わっている。
「もしも明日、今日のことを忘れてしまってもいい。と思ってやっています。
今日は今日を楽しく過ごせたらいい。人生のいい思い出になればいいけれど、
忘れてしまっても、それはそれでいい。今日やれることをやりたいと思います。」
というスタッフの声に深く共鳴した。
認知症になってしまえば、確かに覚えていない可能性も高い。
それでも、今を楽しんでもらう。
楽しむことが明日生きる力になる。

ああ、こんなクリスマスプレゼントもあるのだ。
お金をかけなくても、喜んでもらえるギフトがあるのだ。

私も記念撮影に参加させていただき、思い出の一枚に入らせてもらった。
「今日はこんなことがあったよ。」
おうちに帰って、報告される方もあるだろう。
この一枚の写真が、ご本人の記憶がなくても、楽しい思い出の証拠になる。

その日限りのクリスマスプレゼント。
忘れても、生きる力になっていれば、それでいい。

いいホワイトクリスマスイブになった。

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言葉の重みと素直な心。

普段何気なく話している。言葉を多く発している。
そして、相手も聞いてくれている。理解してくれている。
と、そう思っている。
ところが、自分が発した言葉、会話が相手を傷つけたり
不快な思いにさせてしまっていることがある。
それには、自分では気づかないことが多い。
相手は、その言葉に対して疑問、疑念を感じながら、
距離をおいたり、ときにはぶつかったり・・・という
ことにも発展することもある。
相手がその疑問、疑念をストレートに言ってくれる場合は
ありがたいことだ。
黙っていられるよりも、
言ってもらえるほうがありがたい。

言葉を発することは、一見簡単なことであるが、
実は言葉は重い。相手によって、解釈や受け止め方もさまざま
であるからそのとき、その相手をしっかり見て
言葉を交すようにしたい。

当たり前のように話し続けている毎日。
その言葉は相手に対して、適切であったのか。
については、しっかり点検しなければ。
言葉には口に出す責任がある。それぐらい重いということを
もっと意識しなければ。
そして、親しき間にも・・ということもある。

そして、何かあったら。素直な心で受け止め、改めたい。

言葉と聞く力。どちらもやはり大切にしたい。
そして、言葉に慣れないように、気を付けたい。
言葉は、薄い割れ物のような存在。丁寧にあつかうべきもの。

と、そんなことを思っているうちに、今日はクリスマスイブ。
世間では、素敵な言葉がこだましますように。


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カラダのサイン。

2か月ほど前。出張の移動中。新幹線のなかで急に口元がかゆくなって、
気づいたらヘルペスという病気に。
おかげで数日で完治した。
あれから、しばらく忘れていた。

今度は、おふろあがりにカラダがかゆくなり、翌日もかゆくて・・・。
皮膚科に駆け込んだら、じんましん!
生まれてこれまで経験ががなく、じんましんは他人事と思っていたが、
今回はそういうわけにはいかず、しっかりかゆい。
思い起こせば十数年前には、帯状疱疹も経験して、あのときも困ったが、
今回もそれなりにこまった。痛いも困るが、かゆいも困る。

疲れているとそうなる。睡眠不足も原因になるそうだ。
「やばいですよ~」「危険だぞー」
と、体が教えてくれる。

このサインには素直になること。
睡眠もとって、少し休養したら1日で元に戻った。
とはいえ、まだ過信はできないが。
とにかく体が教えてくれることを、大切にしたい。
これからも、いろんなサインが出てくるころだろう。

カラダって、ほんとうにすごい。と思うと同時に、
カラダもココロもすべてつながっていることを実感する。
自分という「ひとつのいのち」を大切に、今日も元気に
はじめよう!

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心の祝祭参加。

写真は7年ほど前に、ブエノスアイレスで撮影した市内の写真。
その地名のごとく、「いい空気」が町全体を包むかのような、きれいな空。
この水色は、アルゼンチンのサッカーのユニフォームの色、そして国旗の色である。
私が抱きしめたいと思うほどに、愛する町ブエノスアイレス。
今回、急に自分がその土を踏んだあの町を思い出したくて、写真を引っ張り出した。

ワールドカップの優勝が心からうれしく、どんなにブエノスアイレスの人たちが喜んで
いるだろうかと、優勝決定してから想像し続けた。そして、その想像通りに市民が、国民が
大喜びしている様子が、メディアが報じ、その祝祭の様子を見ながら、ああよかったよかったとこちらもうれしくなった。すっかり自分も参加している気分だ。

サッカーは経済的に貧しくとも、誰もがヒーローになれるスポーツ。
アメリカンドリームではなく、アルゼンチーノドリームが、今もなお生きている。
今回の勝利は、さらに子供たちのサッカー熱を熱くすることだろう。

経済破綻も珍しくないこの国、常に経済不安に包まれ、それでも人々は夢を見ながら、
元気に生きている。その原動力はサッカー熱(とタンゴ)だと思う。
今回の優勝は、ほんとうによかった。おめでとうアルゼンチン!

北半球は寒く、重苦しい戦争が国を越えて影響を及ぼしている。
一方、地球の反対側では、情熱と歓喜のクリスマスで、いい空気である。
ワインもステーキも、最高においしいことだろう。
ああ、今すぐ地球の反対側へ飛んでいきたい。
そんな気持ちをおさえつつ、ブエノスアイレスを思い出す。

経済的な貧しさは夢で打ち勝つことができる。
そんなことを教えてくれた、今回の試合。
早く戦争が終わって、世界中がスポーツでいい汗を流せるようにと心から願っている。

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