あと5年を駆け抜ける。

成人の日、まぶしい晴れ着姿の新成人たちを見ながら、
ふと自分のその頃、そして今までのことを思い返す。
あっという間の20年、30年、そして・・・。

今年はグラン・ルー設立25周年。
ということで、年賀状にもそう記載した。
正式には設立日は9月であるが、年の初めから
感謝の1年にするつもりで走りはじめた。

一方、自分はいつまで走るかについて考え始めてもいる。
生涯現役は原則であるが、同じ内容で同じペースで同じ環境で
進み続けることとは別である。

今はまず、あと5年。30周年までは全力疾走してみようと思う。
五年後までは遠いゴールではない。
そして、その後の働き方や生き方を同時に模索し、
新しいフェイズに向けていきたい。

そして、そのために今の瞬間、一番大切にしたいことに
集中したい。
同時に悩むことはしない。
ひとつづつ集中し、クリアして進み続ける。
人間的にまだ成長することができるかどうかはわからないが
そうありたい。
謙虚に誠実に、そしてぶれずに、止まらず。

さあ、目指すは30周年。
と、新成人たちの元気な笑顔を見ながら、
自分も同じ気持ちで、スタートだ!

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励まされるタイトル

何気なく、ふと口ずさむ歌。
やはり昭和生まれの作品ばかりだ。
馴染みある歌は生まれ育った時代に呼応するのだろうと思う。
「見上げてごらん夜の星を」「幸せなら手をたたこう」
「遠くへ行きたい」「365歩のマーチ」「希望」
など、懐メロと言われるモノの良さが、自分にとっても
理解できる齢になってきた。
作品は世相を反映する。この戦後、昭和40年代前後の
流行歌は社会が変化、発展していく途中に生まれ、親しまれた
もので、人々を元気、勇気づけるものが多い。
メロディも歌詞ももちろん素晴らしいが、タイトルも
この時代を反映していると改めて感心する。
奇をてらわず、わかりやすく、そのまま人のここに入り込む。
コピーであればキャッチ。
歌であれば、タイトル。
励まされるタイトル、元気が出るタイトル、ふと
心があたたまるタイトル・・・。

自分がつくってきた作品はどうだろうか?と改めて
見直しながら、今後もタイトルにはこだわりを!と
思う。

人々に元気と勇気を伝えることができる作品、メッセージを
これからも作り続けていきたい。
今年も新作増やしていこう。

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親友は何?

いろいろ頭を整理したいとき、冷やしたいとき、何も考えたく
ないとき、少し普段と違う世界に身を置きたいとき、自分に話しかけたいとき。
気分転換をする方法は人それぞれである。
コーヒー、紅茶、たばこ、ウォーキング、映画、ヨガ、スポーツ・・・。
私の場合は、コーヒーも紅茶もウォーキングも映画ももちろん
選択肢であるが、気が付けばピアノを弾くことが、一番の気分転換、
癒しの存在になっている。
改めて振り返れば、子供のころからそうだった。

親に怒られたあと、すぐにピアノに向かう。何かあったらピアノに向かう。
鍵盤の上で指を動かし、流れてくるメロディーに耳を澄ましながら
嫌なことを流していく。
さっきまで悩んでいたこと、気になっていたことも、ピアノのおかげで
違って見えてくる。
まるで、親友に話を聞いてもらったあとのような気持ちだ。
頭の中でメロディを追いかけながら、自分との対話を続ける。
そんな時間がもてることで、バランスをとることができるのかも
しれない。
1時間ほど何も考えずにショパンのノクターンや即興曲やベートーベンの
ソナタを途中つまりながら、繰り返しながら弾き続け、指先と頭をぐるぐる
めぐる。頭にはびこる雑念を音に流し、頭を切り替えて、次のライブで
演奏する曲目をさらう。だんだん前向きになってくる。

そして少し疲れたら、ここで今日はおしまい。と楽譜を片付ける。
前向きになりながら、心の洗濯もでき、すっきりする。
そして、ピアノの蓋を閉じながら、
「ありがとう。ずっと一緒だからね」
と黒いボディに話しかけ、そっと撫ぜる。

そう、ピアノが親友なんだ。
ずっと意識してこなかったけれど、この半世紀、ピアノが
親友だったのだ。
しばらくおきざりにしていたくせに、この数年の間にその親友と
再会し、その対話の時間に、今とても救われている。

親友は人間とは限らない。
人によってはギターのこと、愛車のことも・・・。
私の場合は、まずピアノ。
生涯の友。決して裏切らない友。いつもそこにいる。
それを、親が遺してくれたことに、心から感謝だ。
もちろん人間の親友も大切に。


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耳の痛い言葉は良薬に。

年を重ねると、だんだん嫌なことを言われなくなる。
誰しも、そんな傾向にあるのでは?
子どものころは、耳の痛いことをよく言われた。
親にはとくに言われたのだろう。具体的には覚えていないが。
あるいは、気遣いという言葉を知らない子供時代は、
何も考えず相手の悪いところを平気で言って、それが喧嘩に
なることもあったかもしれない。
言われたくないことを言われ、不快になる。
人間誰だって、耳の痛いことを言われるのは
嫌だと思う。言われたくない。

でも、時に言われることもある。
いろんな場面において。
耳にしたときには、なんとも言えない気持ちになる。
頭のなかが、しばし真っ白になることもあるかもしれない。
怒りがこみあげてくることもあるかもしれない。
人間だから、痛いことは基本、嫌なのだ。

でも、考え方を変えるとその痛さも変わる。
この言葉を良薬にしよう。と見方を変えるのだ。
何に効く薬なのか?自分の気づかないことを
教えてもらえた、あるいは自分の配慮のなさや
怠慢を教えてもらえた、そう良薬なのだ。

言いづらいことを言ってくれる人に感謝する。
もちろん、相手はそういうつもりで言っている
のではないことも多いけれど、まあ、相手のこと
はともかく、その痛い言葉は、良薬と思って
生かしていこう。

人間社会、違う価値観、違う人間同士。
なるべくお互いに痛みを感じなくて良いように
怪我がないように、
相手のことを考えながら、そして
自分のことも大切に歩きたい。


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年頭のあいさつを胸に。

年末年始の休日が終わって、多くの企業が今年の活動をはじめた。
不思議なもので、昨日までゆっくりしていた町も、急に目覚めたように
日常の情景に変わる。地元でも急に通勤や営業の車が増えている。
しっかり休んだ~。さあ、今年もがんばるぞ!と元気に出勤された方も
多いことだろう。寒さが緊張感を高めてくれているのも良い。

各企業のトップは、今年一年への期待を込めて、いろんな方法で
その思いを社員に発信する。
年頭のあいさつは大変重要だ。
自分が会社員時代、新年の社長の挨拶は、それなりに緊張感をもって
何を言われるのだろうとしっかり聴いていたことを思い出す。
社長のメッセージ。どんなことを社員に伝えるべきか。
年末年始の休み前から、考えて準備されている方もいる。

いかに社員ひとりひとりに同じ気持ちで、目標に向かい
前進してもらうか。
絶対にやり遂げなければならない。このことを全員にしっかり伝えるには。
工夫も必要だ。
普段同じことを言ってもなかなか響きづらくとも「新年」という
節目は、みなさん新しい気持ちなので、受け入れやすい。
そういう意味でも、年が変わるということは、いい転換点になる。

もちろん昨年までのことをなしにするということではなく、
いい意味でリセットしながら、心新たに力を合わせてがんばる。
それぞれが前向きに成長しようという気持ちで行動をはじめる。
そんな人が多ければ多いほど、いいスタートだ。
見た目は平常モード。
しかし、心は新しく。そして、今年は跳ねる年。
元気に新年を迎えることに喜びを感じ、1日1日をしっかりやり遂げる。
それぞれの企業の今年一年の発展を、心から応援したい。

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年賀状は2種。

年賀状。昨年を除き、気が付けば かれこれ数年以上、
毎年2種類用意している。
これまで香り付きの年賀状にも挑戦したが、香り付きは
別途企画中ということで、今年の年賀状は以下のとおり
久しぶりにカラー版にした。
上はまさに年賀状として、今年の25周年の感謝を伝える
内容。
下は1年間手元においていただくカレンダータイプで、
岐阜での定例コンサートの予定も入れてある実用版。

デジタル時代の年賀状の行方は気になるが、自分が必要
であれば続ければよい。
自分のコミュニケーションスタイルは自分が決めればよい。
伝えたい人に伝わればいい。
伝え方いろいろ。そのこと自体を楽しみたい。

今日から仕事はじめの方も多いと思う。
改めて、

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

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夢の年賀状?

久しぶりによく眠った。通常、睡眠時間は少なめであるが、
今日は久しぶりに10時間ほどの「寝だめ」をした。
年に一度ぐらいは許される?時間の贅沢かもしれない。
しかし、ずっと目覚めなかったわけではなく、二回ほど
起きた。
「まだ起きなくて大丈夫かな?」と普段の体内時計が自分を起こす
のだ。
「今日は、まだ大丈夫」安心して改めて眠る。

そして朝の目覚め前に、不思議な夢を見る。
元旦の夜も、2日の夜も夢を見なかったので、新年初めて見る夢を初夢と
いうならば、それがそうだ。
その夢は、久しくお会いしていない方や、先日定年を迎えられた
方や・・。これまで夢に登場することがなかった人たちと久しぶりに
再会する夢。どこか不思議な町のカフェで待ち合わせをしている。
夢ならではのカフェの描写がやたら詳細であるところが面白い。
そして会うはずの人に会う直前で目が覚める。夢は面白い。

仕事でお世話になってきた人達が夢に出てくるとは、珍しい。
それで目覚めて、その人たちのことを改めて思い出す朝となる。
ハガキではなく、メールでもなく、夢に出てくるというところが
かなり印象的だ。

お元気ならいい。
今年はぜひ再会してみるかな。
それにしても、自分の中の無意識のなかには、いろんなデータが
入っているのだと驚く。

夢の年賀状。
私ももしかしたら、だれかの夢に登場しているだろうか?
もし、そうであれば、笑顔で出演していたい。

さあ、睡眠もしっかりとれたし、そろそろ普段モードに。

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ピアソラ弾き初め、いい空気。

地球の反対側。日本から最も遠い国、アルゼンチン。写真は、ブエノスアイレス郊外の墓地。
もう10年近く前になろうか、やっと訪ねることができた、アストロ ピアソラが眠る
場所。街中の花屋でブーケを買っていった。ピアソラの眠る場所にたむけることができ、
ほんとうにうれしかった。今はあのマラドーナも同じ墓地に眠っているようだ。

当たり前であるが、まったく土地勘がないため、当時、市内のホテルからここに行くためだけに現地ガイドさんを依頼。なんとHITOMIさんという日本女性が担当してくださったことも今となれば、ほんとうにありがたく、素晴らしい出会いをいただいた。でも、その後は、約束しながら会えていない。
久しぶりに写真を引っ張り出したら、急に懐かしくてたまらなくなり、すぐにでも飛んでいきたい気持ちになる。

なぜ、新年早々に、これらの写真を引っ張り出したか・・・。
それは、ピアソラを弾き初めしたから。急にピアソラの墓地に出向いたころに戻りたく
なったのだ。
ピアソラといえば、30歳前後のとき、渋谷の文化村でコンサートに行き、生のバンドネオンを聴き、魅了された。昨年亡くなったミルヴァとの共演が素晴らしかった。
でも、ほんとうのすばらしさ、奥深さがわかるようになったのは、もっと大人になってからだ。

40代半ばから、アルゼンチンタンゴの音楽が好きになり、ピアソラの数々のタンゴに新世界を感じた。なんと物悲しく美しすぎるメロディーと、絶妙なハーモニー。コード進行がたまらなく、物語的なのだ。
日頃は、時間がとれず、リベルタンゴなど決まった曲しか弾けないが、今日は新年。
ピアノ弾き初めとして、ピアノの脇に積んであった楽譜を順番に音慣らし・・・。
そのなかに、ブエノスアイレスの楽器店で入手したピアソラ曲集があり、何も考えず
ただ、譜面を見ながらそれにあわせて指を動かした。不思議だ。初めての曲なのに知っているような気になる。ああ、なんて美しいんだ。なんて悲しすぎるのか・・・。
ピアソラの頭の中には、女神でも住んでいるのだろうか?と思えるほど・・・。

ああ、こんな素晴らしい音楽家を知ることができ、生まれてきてよかったと
思った。
なぜかピアソラを奏でると、ブエノスアイレスの青い空が浮かんでくる。
いい空気が満ちてくる。

そんなこんなで、弾き初めで、とても幸せな気持ちに。
今年は、ピアソラ研究も進めていくとしよう。
そして、いい空気(ブエノスアイレス)な毎日を創造していくことを
目指すとしよう。

そして、久しぶりにHITOMIさんに連絡してみよう。
「そちらの新年は、いい空気ですか?」

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ぬくもり手書きのご挨拶。

毎年元旦の楽しみのひとつは、郵便受けの中に届く
年賀状を見ること。そしてそこから私の年賀状書きが
はじまる。
年末にはどうしてもできないため、年始に。
早々にお送りいただく方には申し訳ないと思いつつ
長年自分のスタイルになっている。

昨年は喪中であり、年賀状を遠慮いただく方も多かったため、
とくに私的な年賀状は少なく、一度途切れると、もう二度と
来ないのでは?、さらにデジタル化の影響や高齢化で年賀状
を省略するケースも増えているので・・・と思っていたが、
ありがたいことに今年も多くの賀状が寄せられた。

ああ、忘れずにいてくださる。ああ、今も心寄せていただいて。
ああ、ブログをずっと見てくださっているなあ。
ああ、再会したいなあ。ほのぼのとあたたかい気持ちになり
1枚1枚返事を書いていく。印刷物であってもそこに一言
手書きのメッセージがあると、とてもうれしい。自分にだけ
向けられた瞬間をありがたく思うのだ。
またこの時代になっても、すべて手書きで書かれている1枚を
見ると、姿勢を伸ばして気持ちを込めて書いてくださったのだ
と、本来の年賀状の目的や意味を思い、「こちらこそ、よろしく
お願いいたします!」とペコリ頭を下げたくなる。
会えないけれど、新年のご挨拶をする。その1枚なのだ。

誰かが新聞紙上で、年賀状は年に一度、相手との関係性を確認する
大切なコミュニケーションツールであると書いておられたが、
確かにその一面はある。
昨今は、SDGsの面から企業の年賀状は廃止の方向にあるが、
それとは別に、個々の関係において、この1枚のはがきは、つながり
を感じることができて、とてもいいのだ。

喪中の期間があっても、途切れない関係。ありがたい限り。
切れるときは切れていくが、つながり続けたい方との関係を大切に。

今年も、ひとりひとりとの関係を大切に生きたい!
幸せな1年のスタートとなった。


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希望の空を抱き続ける1年に。

新たな1年のはじまり。

今朝のパリはどんな空だろうか?
もちろん今はまだ夜明け前。闇の中で静かに1年の始まりを待つ時刻だ。
今朝、最後にパリに出かけ、撮影した1枚を選んだ。
コロナで世界が一時停止する直前に訪問したときのワンショット。
そうだ、ちょうど3年前の誕生日であった。
観覧車と冬空。パリらしい1枚。

ルーブル宮で初めてみつけた移動式観覧車にくぎ付けになり、これで独立の道を
決め、グラン・ルーを立ち上げたあの時から四半世紀。ここまでやってきた。
今年は、記念の1年である。これまで以上に大切に生きたいと思う。

さあ、今年はどんな年にしようか。
今日1日は、自由に楽しく、この1年についての自分の歩みについて思いを巡らせて
みたいと思う。

365日分の1がまた始まる。
カレンダーも取り替えた。気持ちが新しくなる。
さあ、また心新たに生きていく。
とっておきの一年にしたい。
希望の空を抱き続ける1年にするために、したいこと、できること。
今日はいっぱい考えたい。

平和で静かな元旦に感謝して。

皆さま 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

                           




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