特技を生かして差別化。

春に向けて、勝負に出ようとされている方のサポートが始まった。
選挙は「キャンペーン」というが、まさにその人自身が商品であり、
その商品の価値をどうアピールするかにかかっている。

勝つためには、コミュニケーションの力が絶対に必要。
どれだけ多くの発信、また受信をして、有権者の心をつかむか、
投票日まで記憶しておいていただき、そのまま投票してもらえるか。

私は第一印象から、ステップごとの発信について、全方位で
俯瞰しながら、その戦略戦術を考える。
(普段は、戦略・戦術と戦争用語は使いたくないが、こと選挙の場合は
その言葉が似合う気がするので、やむなく・・
それにしても、なぜ出馬というのだろう。これまたいかにもという用語である。)

ライバルと比べて、どこが違うか、個性か、特徴か。
強みをしっかり把握して、それが生かされるように工夫する。

もし、特技があれば、それもうまく生かすようにする。
他の人にはできないちょっとしたことが、差別化になることもある。

同じ土俵で戦うのではなく、あえて、違う自分が輝くステージを作る。
それをどうすると効果があるかについて、その人を観察しながら考える。

昨年末、はじめて担当したキャンペーン(選挙)の広報アドバイス。
今回も前回の経験がとても役立ちそうだ。
純粋に世の中を、地域社会をよくしたいと立ち上がる、でもいわゆる
業界のバックグラウンドがない方たちを後ろからしっかりサポートしたい。

やる以上は、勝ってほしい。かかわった以上、絶対に笑顔の結果が
出るようにしたい。

自分が商品という仕事。まさに自分もそうである。
いかに特技を生かして、差別化するか。
人のお世話をさせていただき、わが道にも生かしていきたい。

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余命、知りたいか。

先日、とある人との会話で、余命宣告の是非についての話題
になった。
今の医療では、それが義務付けられているのか、
とにかく患者の家族にはそのことを告げられ、さて本人には。
ということになるが、
ある方は、ご家族本人に余命宣告をしたことで、それがショック
で寝込んでしまい、結局寿命をさらに縮めてしまったとの
ことで、それ以後、余命宣告には反対。もし、他の家族に
そんなことがあっても、本人には言いたくない。

といったそんなお話であり、ずっと自分の中でそのこと
が忘れられずにいた。
自分が本人だったら、余命を知りたいだろうか。
家族だったら、どうするだろうか?

余命がわかる病気以外の場合、人はいつ果てるか
わからない。10年後かもしれないし、明日かもしれない。
わからないからこそ、今日1日をしっかり生きようと
思っている。
でも、実際自分が不治の病に冒されてしまった場合は
迫る最後の日のことを知りたいだろうか?

今のところは、応えはNOである。
明日死ぬかもしれないが、生きるかもしれないと
思って生きている方が、自分は幸せのような気がする。
知らない方が、希望を感じられ、生きがいを最後まで
持てるような気がする。

ああ、もう終わってしまうんだ。
でも、奇跡が起きるかも?と
思えるのかどうか、今はわからない。

ということで、今のところ、余命宣告はいらない。
と、元気な私であるが、実際にご家族がそんな状況に
いらっしゃる方のことを思うと、心が痛い。

いずれにせよ、命は限りあるもの。
それは間違いないから、今日1日を丁寧に、大切に
生きたいと思う。



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自分流瞑想、こころの時間。

静かな朝。コロナで何年もお会いできていないが、メール含め
やりとりが今も続いている、ある方のことをふと、思い出す。

私が会社員であった頃からのおつきあいであるから、30年近く
ご縁をいただいていることになる。
それは、国際マーケティング勉強会での出会いであった。
その方は50代後半に脱サラされ、会社員時代の経験を活かし、
起業された。
そして私の35歳での脱サラ後も、マーケティング方面での仕事への
心配、音楽活動への応援、ときに翻訳などで助けていただいたことも
・・・。
思い起こせば、良き応援団として、ずっとずっと見守っていただいてきた。

今は70代後半。現役を退いても、積極的に社会に関わり 長年培われた
国際的なキャリアを生かし、海外と日本をつなぐ社会活動を続けて
おられる。そして健康的な生活を送っておられ、とてもお元気な様子。

つねに人生に対して、勤勉であり、計画的であり、そして敬虔であり、
信仰がある人の生き方とは、こういうものかと学びをいただいたことも
多かった。

定年後の暮らしについてたずねたときに、毎日、瞑想をされていると
言われたことを思い出した。それが心の健康法であるとも・・・。
瞑想は、自分と向き合う集中の時間。
かのスティーブジョブズも瞑想をしていたそうであるが、
日々課題多き人にこそ、心を静め、無になり、頭を整理する時間は
有意義であろう。

最近、住人が長い旅に出てしまった実家はわが仕事部屋、スタジオとして
使うことも増えてきたが、静かな部屋に、親の写真を置き、じっと静かに
過ごす時間をもつことがある。
本来の瞑想とは違うかもしれないが、私の場合はこんなやり方。
親と対話をする。それは自分との対話の時間でもある。

日々生きている動の時間。そしてそれをみつめ、見直す静の時間。
心身のバランスに、瞑想的な時間は大切だ。

社会で生きていくなかで、気づかないうちに沁みていく内面の垢を洗い流し、
無になる、素になる。
ほんの5分でも、それをすることで、ずいぶんと背負う荷物も軽くなる。

とくに週末。自分流の瞑想時間をほんのちょっと持つのも良いだろう。

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新たな挑戦を、人生に刻む。

1月ももうそろそろ終盤。もう月めくりカレンダーの1枚目を見る
日も残り少なくなって、ちょっと名残惜しい。
あっという間に駆け抜けるこの1月、2月から本格稼働する
新たなテーマをいくつかいただき、すでに準備、始動している。
ご依頼、ご指名いただく仕事。そして自分自身の25周年の事業、
活動。
前者は、自分としても新たな領域、分野にかかわることで、緊張もある。
また、モノではなく人をマーケティングする仕事。
いずれもリクエストにきちんと応え、指名してよかったという結果
にしなければ。と背筋が伸びる。
さらに、どうしても後回しになる、自分自身の事業、活動の本格稼働。
こちらも両立していかねばならない。

おかげさまで、常に前向きにがんばる人たちと接する機会をいただけ、
私自身、後ろを向く暇がない。というか、人生は後戻りできないのだから
前を見続けて進むのみ。

ひとつ山を越えると、必ず新たなお題が降りてくる、わが人生。
いつもありがたいと思うのみ。
いくつになっても、新たな挑戦を恐れてはいけない。むしろ、楽しむこと。
そして、コミュニケーションの仕事は無限大だ。
必要としない人は、企業はない。

しっかり伝えたい。
そんな思いの皆さんのお役に立てるように、
新たな挑戦で得たかけがえのない経験を、自分の人生の歩みにも、
自信をもって刻めるように。

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ハイブリッド時代の戦車?

先日、久しぶりにオードリーヘプバーン若き日の名作
のひとつ「尼僧物語」を観ていたら、ストーリー展開に
つい、くぎ付けとなった。
神に仕えるために修道生活を続けていた模範的な修道女
(オードリー演じるシスタールーク)が、第二次世界大戦
になり、父親が敵国の兵隊に殺されたという情報を得て、
神の名のもとに、敵をも赦すということができない、
との葛藤のもと、修道院を去った・・。というストーリー。
自分のなかで、今の社会情勢が重なった。

戦争になれば、結局は神を信じられない、憎いものは憎い
となるし、どんなにハイブリッド社会だといったところで、
結局は戦車を世界中からかき集める、超アナログな状況を
人は求める。対面での殺戮に向かってしまう・・。
人間は、いったい?
戦車の供与?これでいいのか?

先週岐阜新聞で行ったコンサートで、ウクライナでの
戦争が早く終わるようにと願って弾いたオリジナル曲の
タイトルは、「枯れたひまわり」。
そう、あのウクライナのヘルソンに咲くひまわりは、
枯れさせてはいけない。
でも、戦車の行列は、ひまわりをも潰していき、
再び咲くことができないように、枯れさせてしまうかも
しれない。美しいあのひまわりが死んでしまう・・・。
あのひまわりの下には、先の戦争で亡くなった兵士たち
が眠っているのに・・・。
と、私の中では、さまざまな想像と感情が入り乱れる。


戦車の供与ではなく、もっと違う次元で、コミュニケーション
=対話の力で、なんとかできないのか?
軍事産業が活況を帯びていくこの事態にも大変疑問を感じる。

戦車より、コミュニケーションを。
戦車より、音楽を。

と祈る人も少なくないことを信じ、自分ができることを
しなくては。


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雪お見舞い。

天気予報が当たった。大げさな予報かと思っていたが、
近くでいえば、京都方面でゆうべから今朝にかけて大きな
影響が出ている。
いつもの京都駅が目を疑う光景になっていたようだ。

名古屋は、おかげさまで白いものがちらついていない。
これから降ってくるかも。安心してはいけない。

しばらく忘れていた雪の恐ろしさを思い出した。
冬のNY渡航では、滑走路凍結のため、欠航という事態に直面したこと
もあった。この季節は移動してはいけなかったのだ。と苦い経験があった。
そして、20年近い新潟往来のなかでも、雪の影響は何度も体験した。
動けないことも多かった。転んだこともあった。
雪国の人はたくましいと、この季節になるといつも思った。
雪は、見ているだけであれば、美しいが、静かで怖い存在だ。

電車が止まってまだ家にたどり着けていない人もおられるようだ。
今朝もまだ影響は続く。
慣れない土地ほど、危険度が増す。
どうぞ、気を付けて どうぞ無理されず。

自然とともに生きる。
本当に、毎日何が起きるかわからないが、
経験を活かしながら、
いのちを守ることを優先する。

とにかく被害が少ないことを祈る。




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ひとりひとりが輝く会社に。

ある企業の仕事では、経営者だけでなく、従業員さんとの個別面談の
時間もいただいている。
管理職から、係長、主任、一般社員の方まで・・・。
ひとりひとりと向き合うと、ほんとうにいろんな話が聞ける。
人は、心を開くと笑顔になって、自然に口も開いてくれるものだ。

人はそれぞれ違う人生を生きているが、たまたま縁あって同じ会社で
仕事をしている。お互いの仕事がうまくいくことによって、生産性が
上がり、結果業績も向上する。
同じ会社で働いている仲間。という一体感は大変重要である。
それぞれのいいところが活かせたら、それを周囲も認めて、活かせる
様に応援していけば、前向きないい組織へと成長していける。

ひとりひとりと向き合い、話をしていると、その人のいい部分が
見えてくるのが面白い。
話を聞きながら、相手の目指していることを一緒に探し、確認
していく、コミュニケーションのショートトリップ。

その会社の社長さんは、
「ひとりひとりが輝く会社にしたいです」といつも言われている。
その思いがひとりひとりに伝わり、
それぞれが明日に向かって成長できるように。
挑戦する人たちを応援していきたいと思う。

ひとりひとりが輝く。
そんな組織でも、社会でも一番大切なこと。
そんな組織で働けて、平和な社会で生きられることは
最高の幸せだ。

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お礼を言えているか。

今年の年賀状。確かに昨年、一昨年と比していただく枚数も減っている。
企業の年賀状廃止ももちろんあるが、それは相手の顔が見えているため、
想定内であり、問題ない。
それよりも、高齢化の影響。ここが気になっている。
ある年齢から、「今年で年賀状をやめさせていただきます」とメッセージを
添えて、卒業される方もあるが、何も連絡はなく、何十年休むことなく届いていたのに
今年はない・・という場合がとても気になっている。
あの上司は、お元気だろうか?
コロナでもしかして・・・。
なんとなく胸騒ぎがするようなこともある。

自分の場合は、毎年元旦から年賀状を書き始める。
いただいた分への返信を兼ねつつ、順番に書いていく。
毎年届いているのに、今年は・・・という方のことが気になり、
返信があればと願いを込め、そして勇気をもって筆をとる。

人生でお世話になった方には、ちゃんとお礼をお伝えしておきたい。
何も言えないまま、永遠の別れになることは、避けたいと思っている。
でも、やむを得ず、連絡が途絶えてしまうこともある。
それが心残りである。

1月は新年の歓びに夢と期待が膨らむときでもあるが、一方、新年のあいさつが
できないことが気になるときでもある。
今からでも遅くない。
気になる人には、便りをしてみよう。

年賀状はアナログ世代にとっては、大切な安否確認でもある。
それもだんだん廃れていくのだろうが、
それで関係がつながるならば、
できる限り、大切にしたいコミュニケーションツールでもある。

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存在の「共有」。

気が付けば、この約二年。親が旅立ったあとは、親と親しかった人
たちとコンタクトをとる機会が増えている。
まるで、親に会いに行くように、何か差し入れやお土産があれば、
またはおすそ分けしたいものがあれば、花一輪でも、カステラの
切れ端でも、とにかく持っていく。
母が通っていた食料品店にも、頻繁に顔を出し、少し買い物をして
世間話をする。
会えない人には、はがきを書いたりする。
すると、お礼の電話がかかってくる。
会話は少し通じづらいこともあるが、それでも問題ない。
一生懸命聴いていたら、その心がわかる。
コミュニケーションの相手はみなさん、80代から90代・・・。
親の世代と普通に、コミュニケーションしている自分がいる。

ここは、仕事の関係や自分の同世代の友人との交流とは一味違う、
自分のルーツの世界の交流だ。
一部、認知症になっている方がいたりするが、それでも会話を
続ける。声をかける。
「元気?元気にしていてね。またね!」
なぜ、親の知り合いの方たちと交流を続けているのだろうか。
それは、その人を通じて、親と会える気がするから。
会話のなかには、親とのエピソード、思い出話が必ず出てくる。
それをすることによって、親という存在が消えずにいる、共有
し続けることで、親が一緒にそこにいるような気持ちになるのだ。

存在の「共有」。
これは、大切な人がそばにいなくなっても、いると感じられる
方法かと思う。

大切な人のことを忘れないでいれば、その人は永遠に生き続ける。
今、ほんとうに、そう思っている。

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専門店を応援する!

つい最近、ニューヨークでのイラストレーターの素晴らしい
取り組みを知って、感動した。
コロナでイラストの仕事が激減するなか、NYにあまたある
個人のお店の絵を描き続け、それが気が付けば200種以上にもなり、
それがこのたび1冊の本になったという話。
描かれたお店は、カフェ、レストラン、本屋さん、文具屋・・。
いわゆる町の伝統的な専門店だ。
NYにはチェーン店も多いが、実は個人経営のお店も大変多く、
そのお店にはそれぞれの想いがあふれ、個性があり、味わいが
あって、個人的には私はこの個人店が大好きだ。
移民が作ったという店も大変多く、歴史や文化も感じることが
できる。
しかし、そんなお店は大手企業のように資本力もないし、人手も
ないため、コロナ禍を生き残るのは本当に大変であった。
そのイラストレーターは、それらのお店を1枚の絵にすることで
応援しようと思ったとのこと。
1日1枚、お店の前で描き続け、ネットにもその都度アップ、
たちまちにして話題になったとのこと。
その1枚が店主を喜ばせ、勇気づけ、中にはお店にその絵を
飾っているところもあるとのこと。
自分ができることで、町を、社会を元気にする。
とくに個人のお店を応援しようとしているところが、とても
NYらしく、またとても素敵だと感動した!

今、自分自身も小さなことであっても、自分ができることで
世の中を元気にしたいとの思いで、やり始めていることがあるため、
この取り組みにはとても共感した。そして続けることの意義も
学んだ。
何事も、地道に続けるということが大切だ。

わたしの周りにも応援したい個人のお店がたくさんある。
気が付けば、そのお店の店主に手紙やメッセージや差し入れを
送ったり、ボランティアアドバイス?をしたり、いろいろ
している。上から目線のコンサルはいらないが、ほんとうの意味
での応援団は必要とされているのを痛感する。

専門店こそ、残ってほしい。残したい。
商店街も、残ってほしい。そのためには一軒一軒のお店の
存続がカギになる。

そんなこんなで今朝も、新潟の酒屋の新店長に手紙を書いたところ。
お母さんの後を継いでがんばってほしいな~。
思いを受け継ぐ専門店を、これからも応援し続けたい。
NYのイラストレーターのようなカッコいいことはできない
けれど、あくまでもマーサ流で。


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