いつもずっと平和を。

オリンピックが終わったら、平和はどうでもよいのだろうか?
もともと、そんなことはオリンピックと関係がないのだろうか。
終わるのを待っていたのだろうか?
水面下でいろんな画策がされていたのかもしれない・・。
と、ネガティブに現実を見るのではなく、前向きに素直にとらえたいのであるが
なんだか世界がとても怖い今日この頃。

情報が、平和を破壊に導いているかもしれない。という懸念もある。
結局、目の前で見えること以外は、すべて情報から知るほかないが、
何が真実か?がわかりづらい世界。
まさに、情報を受け取る力が試させる今日。

昨日の海外のニュースで、
ウクライナで、小学生たちが防空壕に避難するニュースを見て、まさかと思ったら、ロシアが侵攻しているとのこと。
銃を持った子供の訓練の様子も報道され、無邪気な子供が銃をもつとは
どういうこと?
愛する家族を守るために、やむなき手段として、武器を備える住民。

戦争って、何のため?
原爆はもちろん、どんな攻撃も、正しいものは何もない。
オリンピックが平和の祭典なんて、まったくおかしい。

とにかく、罪のない人たちが命を落としたり、傷つくのはたまらない。
いつも、ずっと平和を願いたい。

在日のウクライナの人たちが、ロシア大使館の前で、叫んでいたのが
悲しすぎる。
同じ人間が、国の利益、いえ、為政者の利益、野望のために、傷つけあう。
人間は、今の時代も、愚かだ。と言いたくないが・・・

いつも、心から平和を願う。
コロナも怖いが、戦争はもっと恐ろしい。

日本で、今、穏やかな朝を迎えつつ、何か胸騒ぎがする。
世界中が一日も、一刻も早く 落ち着いてほしい。
自分の周りだけ平和であっても、幸せな気持ちにはなりづらい。
ひとりの命より大切なものが、この世にあるのだろうか?

人々を脅かすさまざまな恐怖から解放され、
平和な日々が戻るように。
心から願うのみ・・・。

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名残惜しき、寒い朝

朝は新たな1日のはじまり。
一日生きた「いのち」が、睡眠からの目覚めによってまた新たな命として、
生まれ変わる。
ああ、朝が来て良かった。と思うこともこれまでに何度もあった。

とくに私の場合は、冬の朝が大好きだ。
この季節に生まれたからかもしれないが、寒い朝、一歩外へ出たときの
シャキーンとしたあの緊張感がたまらない。
白い息を吐きながら、寒さに慣れていく感覚も良い。

今、ふとフランスで活躍したサン・サーンスの曲(チェロの音色)を耳に、
20代から40代にかけ、冬のパリに旅したときの冬の朝を思い出す。
朝7時になっても、まだあたりは暗かった。
それでも、人々は動き始めている。暗い朝に慣れているのだ。

コート、マフラー、帽子を纏い、身を縮めながら、
地下鉄の乗り場に降りていく人・・。
一歩、外に出るだけで、身も心も覚醒した。

暗い朝。寒い朝。
私自身も、町ゆく人々と同じように、その寒いなか
通りを歩きながらカフェを探し、いい感じの店を探し、
そこであたたかいカフェオーレをいただく。
寒い朝の一杯は格別だ。
そんなひとときを思い出し、心が豊かになる。
何十年前のことでも、昨日のことのように思い出す。

改めて、この寒い朝がとても好きだ。
だんだん、春の訪れとともに、朝の様相も変わってくるだろう。
新しい季節がうれしくもあるが、今しばらく、このままでいてほしいような・・・。
まもなく、別れることになるこの瞬間を大切にしながら、
想像をめぐらし、心豊かに春を迎えたい。
シャキーン。さあ、やるぞ!
の1日がはじまる。
毎日の時を重ねて、季節を巡り・・・。
次の冬が来たときの自分はどうなっているだろう?
早くもそんな想像を働かせている。


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往復8時間、弾丸出張を癒すもの

久しぶりに二週続けて、新潟へ向かう。
いずれも日帰り。仕事以外の準備が不要で、泊まるより楽であるから。
となるべく1日をフル活用する。
東京に寄って一仕事したのち新潟へ向かうか、朝のうちに新潟へ
一気に移動して、そのまま午前、午後、夕と三部構成で仕事をして、
移動するか。
と、いろんな組み合わせが可能であるが、いずれも始発で行って、
最終で帰るということになる。
しかも東京駅での新幹線乗り換えは10分ほどだ。
前に乗る列車が遅れるとドキドキする。
と、こんな生活を名古屋に拠点を移してからずっと繰り返してきた。
東京~新潟は隣町。しかし、名古屋~新潟はちょっと?遠い・・・。

東京から新潟に通っていた12年間、そして名古屋からの5年・・・。
その間にコロナ・・・。オンラインも増えて、回数は減ったが、
それでも17年間、本当にこのホームに足を運び、列車を待った。
このホームでは、到着する列車を待って直ちにお掃除にとりかかる
スタッフの姿も印象的だ。

出発して1時間余り、
今週も越後湯沢を出てトンネルを越えると・・・。
先週以上に魚沼地区は真っ白。
車窓に列車内の明かりが映りこんでいるが、やむなし。
目が覚める銀世界を抱くこの瞬間。やっぱり新潟は雪がないと・・。
と、苦労もわかっていないくせに、新潟通のふり。

今回もがんばる新潟の皆さんにお会いでき、
ともに考え、いろんなことをお伝えし、春に向かう締めができたかな。

そうそう、弾丸出張の疲れを癒してくれた、1枚のウェルカムボード。
この色といい、観覧車といい、来社する客のことをよく理解し、
用意してくれる。こんな会社が新潟にある。
今日のためにつくってくださる。毎回日付入りのおもてなし。
新潟へこんなに長く通えたのは、こうしたさりげなく、
あたたかい気持ちを感じることが多くあったからかもしれない。

寒いのに、あたたかくなって帰ることができる。
心地よい疲労感でほっこりして帰ることができる。
そんな弾丸出張。長い1日がやっと終わる。
日付がしっかり変わっているが・・・。あれ?1日27時間?

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オンラインで手をふる。

長年担当してきたある業務が、今年度をもって満了となる。
そして、その業務の最終日はオンライン対応。
この満了とコロナの影響はわからないが、まあ、どんなことも
何でもいつか終わりは来る。
永遠に・・ということはない。

コロナの影響はわからないが、私自身、コロナによって
人生観や仕事観は少し変化したかもしれない。
何がおきても不思議ではない。
これまでの当たり前が、そうではなくなる。
絶対はない。
だから、今間の前のことを一生懸命やるだけ。
結局は、以前と変わらないが、より一層、今を大切にという
気持ちが強くなったのかもしれない。
どんなことも、はじまりがあり、終わりがある。
だから、何があっても、平常心。

「先生には、本当にお世話になったので~」
と言ってくださる方。悪天候にもかかわらず、最終回だからと
参加していただいた方。
もちろん最終回ということを知らずに、
「では、また~。お元気で~」
と、いつもどおり終わった方もいる。

十数年取り組んできたこと。
いろんな企業さん、それぞれの立場に寄り沿って
一緒に考え、行動すること。
本当にカウントできないほどの企業さんと出会って
きたが、いろんな思い出がよみがえり、胸がいっぱい
になる。

もちろん、ここですべてが終わるのではなく、
新たな関係がはじまる。生まれる。
時の経過とともに、ホンモノの関係が残っていくのだろう。

「では、また!お会いしましょう。どうぞ、お元気で!」
オンラインのお別れは、湿っぽくならないのがいい。
画面いっぱいに手をふって、一区切り。

ひとつ終わって、ひとつ前に。
自分がやってきたことをふりかえり、
悔いがなければ、それでよし。




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春がくる。

春のおとずれを感じる京の週末。
鮮やかに咲く梅の花、ピークを過ぎた受験合格などへの願掛け、そして、町の各所に飾られはじめたおひなさん。町角でみつける引っ越しのトラック・・・。
雪が舞いながらも、太陽の光が降り注ぎ、季節の交代を感じる。

ふと、先日、東京行きの新幹線のなか、隣の席に東大の英単語の参考書
を手にもった親子連れをみかけたことを思い出した。
あの受験生、うまくいったかな。
2月後半は春に向け、新たなスタートに向け、人々が動き始める季節。
自然も動く。寒さのなかに、鮮やかな春を感じる瞬間。
緊張と希望、世代交代・・・。
四季を巡り、いのちが生まれ変わる。

ふと、早咲きの桜をみつけた。
「あ、もう咲いたんだ」
ふと、なぜか悲しい気持ちになった。
しばし忘れていた、1年前の母の旅立ちを思い出したのだ。

春は、別れの季節でもあった。
でも、あれから4つの季節を巡った。
だから、あのときと同じではない。新しい何かが私のなかに
芽生えてきているはず。

春をみつける機会がこれからますます増えるだろう。
新しくなる。新たにする。新たに生まれる。
新たに生き始めることができる1年の節目。

春がくる。





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眠ることも生きること。

どちらかというと、睡眠時間が短い方だ。
いつからかわからないが、朝型の生活を目指すうちに、
眠ることより、起きることを優先してきた。
気持ちが張っているから、そんなことも可能であったのか。
とにかく、1日24時間をどう過ごすかのなかで、寝ることは
二の次になってきたようだ。

「ながら睡眠」も自然と身に付いて、新幹線や飛行機などでの移動時間は
睡眠にも活用する。仕事の準備が終わったあと、少し目を閉じる。
短時間でも眠ることで、前の日の睡眠不足はいくらか解消でき、
すっきりする。

と、20年ほど、そんな生活を続けてきている。
すでに、亡くなってしまったが、台湾人の親友は、いつも
「私は1日8時間寝ないとダメな人なの。昌子は、よくやるね~。」
と言ってあきれていた。
彼女はよく眠り、そしてアーチストとしての創造性をはぐくんだ。
睡眠というと、彼女のことを思い出し、
「睡眠は大事だよ」
と言われているような気持ちになり、
「わかってるよ~」
とひとり返事。

そんな日々ではあるが、ハードな仕事やスケジュールが立て込んだあとには、
「明日は寝る!」
という日をたまに、もうけている。
親から、
「寝だめはできないよ」
と言われていたが、そうでもないと思っている。
ということで、翌朝、ちょっとゆっくりできそうな日は、
ゆっくり眠らせていただくことにしている。

そんなこんなで、たっぷり睡眠をとらせていただいた日曜の朝。
静かに1日がはじまる。この感覚も心地よい。
時間に追われない1日を迎えられることは、幸せだ。

ああ、1週間よく駆け抜けたなとふりかえりつつ、明日からの1週間を
イメージする。
1週間のはじめ。静かに過ごす。
生きるために、眠りは大切。心身のために。
みなさま、素敵な日曜をお過ごしください。

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みんなでわくわく初練習。

春に向けての新曲ができた。
障がい者の皆さんと交流し、声をききながら、
皆さんの仕事に対する思いや仲間意識などを表現したイメージソング。
まさに「みんなのうた」だ。
大急ぎで頭の中にあったものをアウトプット、形にして、
練習に突入。

初回の練習に、12名とお世話されるスタッフさんたちが集まった。
手持ちの楽器も持ち寄った。
私もはるばる?名古屋から新幹線に乗って持参した。
その楽器が入った袋を持って車内を歩くとき、
タンバリンや鈴の音がしゃんしゃん鳴るため、
そっと持ち運んだ。

初の練習がはじまる。オフィスの中では音を出しづらいため、
仲間のレストランにお願いし、営業前のお店をお借りした。
歌詞や楽譜を配り、楽器も好きなものを選んでもらう。
家からおもちゃのラッパ、木魚、ハーモニカなどそれぞれ
持ってきた人はそれを使い、それ以外は用意した楽器から
選んでもらう。楽しそうに皆さん楽器を手にとってくれた。
その後、
簡単に録音してきた音源を皆で聴いてもらう。
みんな、しっかり歌詞に目を通し、まずは聞く。
この3か月ほどかけて、皆さんと個別に面談をして、
いろんな思いや言葉をいただきながら、私の方でそれをまとめた。
だから、みんなの想いもぎっしり詰まっている。
だから、みんなが自分たちの歌として、真剣に
受けとめてくれている・・・・そんなことを感じながら
全員の表情を確認する。
音源を聴きながら、もうすでに歌い始めている人もいる。
その次に手拍子の練習を全員で行う。
最初は揃わなかったが、すぐに揃い始めた。
なんと皆さんのノリのいいことか。
歌の覚えも早い。
しっかり自分が選んだ楽器を、叩く姿が微笑ましい。

さらには、
指揮をやりたいという人も名乗り出て、何かと積極的、
自発的で、このプロジェクトはすでに成功していると
確信する。
初めてのレッスンは45分。あっという間に終わる。

練習後、皆さんから感想をいただく。
歌の出来上がりを喜んでくれたり、練習がんばる!の声が
あったり、間違えたと反省があったり、感謝の言葉が並んでいたり・。・・。
とてもうれしい声がずらり。素直な声にじんわり。
この言葉から、
みんな、このプロジェクトを楽しんでくれていることが伝わり、
やってよかったの気持ちでいっぱいになる。

まだこれから、何度か練習を重ねる。
そして春に初お披露目。その方法も皆で楽しみながら検討、準備する。

彼らの会社のうたとして、歌い継がれることを願っている。
元気が湧いてくる、いい歌ができた。
そう、みんなとつくったというところが、何よりうれしい。
みんなに出会ったから、発想できた。
みんなと話したから、この歌ができた。
歌は、まさに心の架け橋、笑顔のコミュニケーションツール。
発表が楽しみだ。



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闘いの日々が生きる。

オリンピックもそろそろ折り返しであろうか?
正直、あまりそちらにチャンネルを向けない。
華やかなことは、人工的なことは、どうも・・・。
いつまで、メダルの色や、数にこだわり続けるのだろうか?
政治がらみの、金欲まみれのイベントのまま、これからも続くのだろうか?

もし、オリンピックが100年後も残るとしたら、
それでも今と同じように金銀銅のメダルを求め競い続けるのか?国別に?
あちこちの都市で無駄な箱ものを作っては、無駄にし続ける?
サスティナブルとは程遠く?

時代が変わっても、人間が目指すゴールは結局変わらないのだろうと
つくづく思う。
いい記録を残したい。一番になりたい。勝負欲。
競争することが、生存である・・・。とても本能的である。
シンプルだ。

相対的な勝負、人との比較が嫌いで苦手で、そういう意味で受験なども
真正面から取り組んできたことがない、わが人生。
そんななか、毎年の行事として音楽コンクールにエネルギーを消費した
少女時代もあった。今から思えば、よくやっていたと思う、いい思い出。
岐阜や、東海、中部地区の代表として、全国大会に出演することが
親の誇りであったあの頃と、レベルこそ違えどオリンピックが重なる。
賞を取ることが目的。それで一年が過ぎたあの日々。

よく考えたら、それが何だったのか?と思う反面、そのときに弾いた曲は
40年以上経過した今も忘れずにインプットされている。
そして、今も練習せずとも勝手に指が動く習慣は、闘ってきた日々があった
からかもしれない。
努力したプロセスは、自分の体にしみついている。
勝負した時間があることは、実はあとに役立っているのかもしれない。

そういう意味において、今、この機会に限界に挑戦する選手の努力には
共感する。がんばってほしい。
その経験が、その人の人生にいい影響をもたらすと思うから。

がんばる時期にがんばる。
がんばれる時期にがんばる。
それは、今だ。

そんなことを教えてくれる。と言う意味でオリンピックは
意味はある。





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17回目の冬に思う。

コロナのおかげで、オンラインでの仕事が可能となり、名古屋へ引っ越して遠くなった新潟出張の回数は激減した。
久しぶりの新潟行。しかもこの季節。
かの川端康成の小説にあった「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」
というくだりをいつも、思い出すのが上越新幹線に乗り、越後湯沢に到着する頃。くぐるトンネルごとに雪がお出迎え、そしてその地形により、雪の見え方も違う。スキー場がある山あいの雪、さらに平野の広がる銀世界・・・。
同じ雪でも、その場所場所で、違う表情を見せてくれる。
この広々とした新潟の地に向かう、この回数はこの17年間で何回重ねたことか。
数えたこともなかったが、1年に10回としても、170回。実際にはもっと通っているはずだ。
この景色に触れるのがいつの間にか普通になり、感慨も薄れるぐらいに、親しんできた新潟時代。
雪の季節には、しみじみと、ああ、ここは本当に雪国なのだと、自分の生まれ故郷とは違う厳しさのなかで、生きてきた人々への尊敬の念が生まれる。
厳しいなかで育ってきたから、我慢強い。
「新潟の冬は、こんなもんですよ。雪がなければ、美味しいコメも酒もできない
ですから」と地元の方がいつも言われてきた言葉が、この風景のなかに浮かぶ。
写真は、久しぶりの雪の季節の出張でみつけた車窓の様子。
にいがた。思い出がありすぎる。いつのまにか、第4のふるさとになった。
コロナのせいで・・といいたいことも多いが、コロナのおかげで、
ダイナミックな四季に触れることへの感動が、ありがたく思えてくる。
なんだか、感慨深い新潟出張。東京から通い続け12年、名古屋から通って5年。
春を待ちわびる気持ちと、冬のままでいてほしい気持ちが入り混じる
2月の越後行き。

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どこまで伝わるか?のどきどき

13日まで公演された、朗読劇の配信サービスが開始となった。
これは、会場にその日に出向かなくても、自宅など好きな場所で
期間内の好きなときに楽しめることができる。という点で
コロナが与えてくれた、新たなサービスだ。
配信は、今から思えば、技術的にはコロナ前からも可能であったが
「今、そこに行くことができない」という現実が、主催者に気づきを
与えたといえる。
確かに、今回も遠方からなので、コロナゆえ、東京に行けないけれど・・・
ということで配信予約をしてくださった方や、当日体調不良になり、
配信予約に切り替えられたという方もおられる。
主催者によると、
今回は、劇場来場者よりも、ネット配信予約の方が増えた。
最近の傾向はとくにそのようだ。

とくに小劇場、小さなホールでのイベントには、配信の方が安心、安全
に思える。
そんなことで、かえって、会場自体は、従来の公演と比べると大変人が
少なく、密にもならずたっぷり楽しんでいただけることにもなる。

さて、その配信。私はまだ自分で観るのが怖い。
だいたい自分で観るのは、そうかもしれない。

この録画は、初日の2回目を録ったもの。
初日というのは、なかなか緊張するものだ。
初演はとくに、お客さんが入った初めての空間、初めての演技。
チームワークもまだ未完のままでのスタートゆえ、少しぎこちなく、
なんともいえない緊張感が会場を包む。
今回は、開演後、サーキュレーターがフル回転したおかげで、
とてつもない寒さが、指先を凍らせた。というアクシデント。

そして2回目は、その初演よりは慣れてきたが、会場に撮影用のカメラが何台
も入ったおかげで、「絶対に間違えてはいけない!」との新たな緊張感に
再び包まれる。この回の公演が、配信されるのだ・・・と思うと、
これまた最後まで、どきどき。でも、意識しすぎるのも禁物。と
内面のバランスがなかなかむつかしい。

と、そんななかで撮られた回が、昨日、ネット配信された。
早速、ごらんになった方から、「朗読劇と生演奏ってはじめてみたけど、
場面転換に音楽があることで、本当の演劇みたいに映像が浮かびますね」
「音楽はすごい重要な役割なんですね」などの声をいただく。
ああ、間違えているところ、気づかれていないだろうか・・。どきどき。
ああ、観ていただいたんだ。と思いつつ、あの現場のなんともいえない
緊張感が蘇り、役者やピアノ演奏の「生」の表情が、配信でどこまで伝わった
だろう・・と不安な気持ちも改めて芽生える。

劇場に来られた方は、「やっぱり、現地でないと味わえないものがあるから」
ということで足を運ばれた方もおられたため、配信ではそれがどこまで伝わり、感動をお届けすることができるのだろう・・・と思えてくる。
しかし、「ある程度」は伝わるだろう。そして、今度こそは、生で観たい、聴きたい
となれば、まずは成功か。
でも、やはりネットの限界はある。

そんな状況で、今回、心から応援いただき、各地からご予約いただいた皆さま
に心から感謝をしたい。
行けないから、とあきらめられた本番が、
自宅や好きな場所でいつでも楽しめる。
このネット配信のメリットは、計り知れない。ここが大切だ!

いろんな発信にトライすることで、次が見えてくる。
でも、やっぱり、生がいい。
生で伝えたい。そして、生は贅沢。
改めて、そのことをかみしめ、配信された作品と自分をみつめなおそうと
思う。勇気をもって・・・。

今回の朗読劇の配信サービスは3月10日までご覧いただけます。
今日も好評受付中です。ぜひ、よろしければ・・・配信の可能性を
ご一緒に探検いただけたら、幸いです。


「スーパーむつみ堂のバレンタインストーリー ~最後の2月14日~」動画配信チケット | b.l… (stores.jp)

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